蝋燭の光 [義母とのお別れ 2023年12月]
ここはデュッセルドルフの聖マクシミリアン教会。
ちょうど蝋燭を捧げている人がいた。
一本だけでなく数本。家族の分かな。
その向こうにはクリッペ(キリスト誕生の厩の模型)。
1月6日にはここに東方の三博士も並んだのだろう。見に行っていないけど。今回のクリスマスは味わう暇もなく、らしさを感じる暇もなく終わっていったなぁ…
唯一クリスマスらしいことをしたと言えば、クリスマスまでのアドヴェントリースを作って蝋燭を4本、日曜日ごとに灯していったのだが、今、その蝋燭の使い残りを順番に食卓テーブルで使っている。蝋燭の火を消すとき、普通は吹き消すのだろうが、めぎはどうも吹き消すのが苦手でロウがテーブルの上に飛び散ってしまったりするので、義母に以前もらったこんな古い蝋燭消しを使っている。もともとはクリスマスツリーの蝋燭を消すためのものなのだが、パートナーを亡くしてツリーをもう飾らなくなった義母に数年前頼んで譲り受け、ずっと愛用していた。これがめぎにとって義母の形見になった。毎晩、蝋燭を消すときに義母のことを思い出している。
ちょうど蝋燭を捧げている人がいた。
一本だけでなく数本。家族の分かな。
その向こうにはクリッペ(キリスト誕生の厩の模型)。
1月6日にはここに東方の三博士も並んだのだろう。見に行っていないけど。今回のクリスマスは味わう暇もなく、らしさを感じる暇もなく終わっていったなぁ…
唯一クリスマスらしいことをしたと言えば、クリスマスまでのアドヴェントリースを作って蝋燭を4本、日曜日ごとに灯していったのだが、今、その蝋燭の使い残りを順番に食卓テーブルで使っている。蝋燭の火を消すとき、普通は吹き消すのだろうが、めぎはどうも吹き消すのが苦手でロウがテーブルの上に飛び散ってしまったりするので、義母に以前もらったこんな古い蝋燭消しを使っている。もともとはクリスマスツリーの蝋燭を消すためのものなのだが、パートナーを亡くしてツリーをもう飾らなくなった義母に数年前頼んで譲り受け、ずっと愛用していた。これがめぎにとって義母の形見になった。毎晩、蝋燭を消すときに義母のことを思い出している。