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2023年12月29日のこと [義母とのお別れ 2023年12月]

12月29日は12年前に亡くなった義父の誕生日。生きていれば93歳になった日だ。めぎたちはいつものように、義父の好きだった赤ワインで在りし日を偲んだ。
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この日の夜は、美食家だった義父を思い出しながらボンゴレスパゲティ。本当はポルトガルで売っていたムール貝を買いたかったのだけど、年末押し迫っていたからか売ってなくて。
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アサリは1袋に920gで27.14ユーロで、日本円にすると4千円ぐらい。車で郊外の卸売りのところまで行けばその半額もしないのだが、うちのドイツ人にはこの頃、車でちょっと買い物に出かけるような余裕はどこにもなかった。義母の死後の様々な手続きのことで一日中何十本もの電話やメールでの打ち合わせや問い合わせに追われ、夜にはもうすっかり疲れ切っていたのだ。料理する元気もなく、食欲無いというのをなんとかテーブルに着かせ、めぎが作ったものをつまんでもらいながらあれこれ議論し合う、と言うかうちのドイツ人の話をめぎが聞いてあげる時間がとても重要だった。

色々あったのを葬儀が終わってしばらくすれば忘れてしまいそうなので、覚書として書いておく。ドイツは州によって法律が異なり、義母の住むザクセン州の法律では相続しようとしまいと配偶者・子ども(長子、第二子…)・親・兄弟…という順番で葬儀を行う義務があって、うちのドイツ人は一人で全部準備しなければならなかった。(それに対し義父の住んでいたハンブルクでは、相続人が葬儀を行う義務を持つので、相続人全員で相談できる。)この頃問題になっていたことの一つは、義母の離婚証明書がないことだった。それが無いと、配偶者を差し置いて長子のうちのドイツ人が葬儀を行う許可が役所から下りないのである。

でも、1回目の離婚のうちのドイツ人の父親との離婚証明書は無く(生前父親も母親ももうどこにあるか見つからないと言っていた)、2回目のイギリス人との離婚証明書も見つけられず(しかも後から見つけた自伝によるとイギリスでは2回も結婚してた!1回目は未亡人となり、2回目は離婚したようだ)、さてさてどうしましょ状態だったのだ。どこに問い合わせても休暇中だったり、やっと通じたと思ったらそういう名前の人の書類はここには無いと言われたり。どこにあるのよ…というか、どこで離婚したのよ…ちゃんと死ぬ前に必要な書類を用意しておいてよね、と言うか、そういう大事な書類をちゃんと取っておいてよね…と、このときばかりは、3か月以内の発行じゃないと有効じゃないという縛りが面倒だけど、日本の戸籍謄本のシステムって便利だなあと思ったわ。その人の結婚離婚の歴史がすべてそこに書いてあって、謄本一枚で解決するものね。最終的には、どうしても1月5日に葬儀を行いたい義母の友人のお偉いさんが掛け合って役所が折れてくれて、なんと家族構成(配偶関係)欄に「nicht bekannt=不明」と記された死亡証明書がぎりぎり1月4日に出され、めでたくうちのドイツ人が1月5日に葬儀を行うことが認められた。この成り行きは凄かった…とにかくいつまでも冷蔵庫代(遺体保安室のこと)をかけずに葬儀を済ませることができてよかったけど、でもお役所さん、いいのそれで?

二人でその920gのアサリを平らげるため、スパゲティは少量で。二人分で150g茹でた。めぎたち、本当に食べられなくなったわねぇ…これが歳を取るということなんだわね。でも、食欲を全く失っていたうちのドイツ人がアサリを美味しく食べられてよかったわ。
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