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教会で心を落ち着ける [義母とのお別れ 2023年12月]

ここはデュッセルドルフの旧市街近くにある聖マクシミリアン教会。めぎ家から歩いて10分ぐらいかな。めぎは12月末に一人でここを訪れた。
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キリスト教ではクリスマスというのはキリストが生まれた12月25日からそれを聞きつけて東方三博士がお祝いに駆け付けた1月6日までの期間を指し、そのためめぎが行ったときはまだツリーが飾られてあった。
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↑赤いアマリリスが活けてある。ドイツではクリスマスにアマリリスを飾ることが多い。そう言えば去年亡くなった義父の3人目の奥さんアンゲリカもアマリリスが好きで、クリスマスから春までの間、部屋をアマリリスの切り花でいっぱいにしていたな…義父もアンゲリカも、義母のパートナーも義母も、みんな亡くなってしまった。去年はずっと、新演出のオペラを見るにつけ、またはYouTubeで50年前とかの映像の中のめぎが知らない、でも恐らく当時有名だったはずの歌手たちの素晴らしい歌声を見つけるにつけ、この演出どう思った?当時この歌手どうだった?とオペラ歌手だったアンゲリカとおしゃべりできない淋しさを感じて過ごした。さらに今度は、クリスマスどうだった?休暇はどうだった?イギリスのこのニュースどう思った?などと長くイギリスに住んでいた義母と話すことももう叶わなくなり、こうやって、一人一人と欠けて行くんだな…となんとも言えない哀しさがこみ上げる。兄弟姉妹最後に残された義母の妹(うちのドイツ人の叔母)の哀しさも気の毒なほどだし、その次に一番年上なのはうちのドイツ人。つまり、めぎにとって次の大きな別れは(日本の家族を除けば)自分の夫なのだな、と否応にも考えさせられる。人の営みって、こんなに頑張って生きているのにつまりは死や別れに向かって努力しているということなのであって、なんて無情なのかしら。

義母はプロテスタントの教会の参事会員だったので、こんなカトリックの教会に来ても義母が喜ぶわけではないのだけど、めぎは自分の大好きなここで一人静かにこの世の無常に打ちひしがれて涙し、しばらく涙にくれることで少し落ち着くことができた。生まれた以上、どんな酷なことが起こったとしても、自分にお迎えが来るその日まで生きていくしかないのだ。

クリスマスのミサのためかな、席も多めに設置されていた。これは全部、生きている人たちのための物。ミサも綺麗な飾りもハッキリ言えば空しい営みだけど、それで今を生きる元気が出る人がいるならば、存在価値があると言えるのだろう。
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