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大晦日とお正月 [義母とのお別れ 2023年12月]

今日はまず2023年大晦日にめぎ家が食べたもの。飲み物はRotkäppchen(訳すと「赤ずきんちゃん」)という名のドイツ東部発祥のスパークリングワイン。めぎが初めてRotkäppchenを飲んだのはかつてドイツ東部の小さな町に住む義母を訪ねた時だったので、ちょっと思い出の飲み物だ。
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そして年越しそばの代わりに食べたのが、うちのドイツ人のリクエストで明太子スパゲティ。DSC_4432_001.JPG


そうそう、撮り忘れちゃったけど、今年はスペイン風にブドウを買ってきてデザートとして12粒食べた。ポルトガルでもそうなんじゃないかな、と想像して。知らないけど。夕食後から真夜中まではバイエルン国立オペラ座の新演出のオペレッタ「こうもり」を見て過ごした。どんちゃん騒ぎのオペレッタなので、新演出だろうと昔のだろうとあまり変わらないというか、まあまあって感じ。ただ、明るい軽い調子のヨハン・シュトラウスの音楽がこの頃の疲れ切っていためぎには心地よかった。年越しには周り中がバンバン大きな花火を打ち上げててバルコニーから見てても素晴らしい眺めだったのだけど、あまり気が乗らず写真も動画も撮っていない。日本風に言えばめぎ家は喪中なのだが、キリスト教にそういう考え方は無いので、めぎ家も普通に年越しを祝い、Frohes neues Jahr!(フローエス・ノイエス・ヤーア!=あけましておめでとう)とお正月を迎えた。

日本ではお正月を祝っている頃、ドイツでは元旦には何もしない。特別な料理もないし、特別な習慣もない。年越しをどんちゃん騒ぎして祝った後の疲れで、普通はみんな寝正月。2日から通常なので、ああまた仕事だなあってみんな嫌気がさしている日でもある。外は花火と乾杯の残骸で汚いし、新年改まった清々しい気など全くしない。
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2023年の大晦日は日曜日だったし元旦はドイツも祝日なので役所や葬儀屋が金曜日の29日午後から1日まで締まってて、義母のお葬式についてのあれこれの問い合わせや確認や打ち合わせ等も止まり、めぎたちは束の間の静寂を謳歌した。それでも現地で色々準備をしてくれてた義母の友人たちから何度か電話が入ったけど。新聞広告をどうするかとか、合唱をさせてほしいとか、まだ足りない書類のこととか。彼ら、こんな年末年始にほかにすることないの?と思うほど葬儀の準備に熱心だったなぁ…なんというか、村のコミュニティ結束を感じたわ。ロンドンに住んでインターナショナルな空気を吸って自由を謳歌していた義母が壁崩壊後サクッと離婚して旧東ドイツの故郷に一人戻り、そこに住み続けることに最後までこだわっていた理由が本当によく分かる。西に住むと義母はただ人の一人にすぎないが、東の村では花のお貴族様としてちやほやされ、子どもの頃のお姫様気分で過ごせたのだろう。付き合いの良い義母は人気者だったようで、死後もみんな本当に一生懸命。現地にいないうちのドイツ人の代わりに色々やってくれて有難いこともあったけど、彼らの意向が最優先されて、誰が遺族なのか分からないほどだった。

確かに一人暮らしの高齢の義母を支えてくれたのは現地の周りの人たちであって我々家族ではないのだし、だから感謝の気持ちを込めて彼らの意向に沿って準備した。もともとザクセン州の法律で、お葬式は故人の希望していた通りにしなければならない決まりで(!)、義母の意向は友人たちこそがよく知っているので(葬儀屋が国葬みたいねという冗談を言ったほどの規模)、どっちみち無視はできないのだ。でも、うちのドイツ人は調整が本当に大変そうだった。喩えて言えば、北海道育ちの人が鹿児島でお葬式を行わなければならないような、そのぐらいの文化や習慣の違いがあり、それに加えて法律の違いもある。でも、何と言われても、葬式代を払うのはうちのドイツ人なのだ。

亡くなった人のネガティブなことを書くのも何だが、どうにもこうにも辛かったので、このブログ上で年の改まるタイミングでこの件に気持ちの整理をつけるためにやっぱり書いておく。葬式代としてこれを使ってね、と言われて証書のコピーまでもらっていた生命保険は、ふたを開けて見ればほかならぬ義母の手でいつのまにやら解約されてて、葬式代が全てめぎ家の持ち出しとなったことが、うちのドイツ人には衝撃が大きかった。それは、金額の問題ではなく、母親にまたしても騙されていたという事実が。

うちのドイツ人は赤ちゃんの頃からあちこちに預けられて育ち(残っている写真から推測するに20カ所を越える)、基本的に母親に育てられていないのだが、一緒に住んでいた数少ない期間のある時期、小学校低学年の頃、楽しいイースターパーティーがあるからここに行きなさい、と母親に言われてタクシーに乗せられて届けられたところには誰もいなくて、その間に義母は一人イギリスに行ってしまってそれきり帰って来ず、不思議に思ったタクシーの運転手さんが無料で出発地の家に届けてくれたおかげでうちのドイツ人は雨露をしのぎ、小さな妹と数日間食べ物もなく二人だけで家に取り残されていたのを近所の人が見つけ、離婚して別のところに住んでいた父親に引き取られたという過去を持つ。その前にも後にも、母親は大なり小なりいろんな噓をついてきた。そして、とうとうこんな最期にもまた。

聡明な義母がそのことに気がつかずに解約したはずはない。2023年秋に、遺書も新しく書き直していたのだから。お金がなくやむを得ず解約し、恥ずかしくて言えなかったのかもしれないが。でも、そういう隠したかったことも死後こうやって明るみになり、結局のところは「母は息子に一言も謝りもなく裏切って死んだ」というイメージが残ってしまう。もう亡くなった義母はそのことを恥ずかしく思ったりすることももはやないが、残された我々はその悲しい事実を乗り越えて生きていかなければならない。なんという負の遺産。我々、このことから学び、恥ずかしいことも後ろめたいことも隠さずちゃんと遺族に伝え、なあなあにすべきではないと強く思う。めぎとめぎの親はもう長いこと所帯が別であって相手の懐具合のことなどお互いに詮索してないが、故人にはもう人権も無く突然おっぴろげになるのだ。お互い迷惑をかけないように身辺をきちんとしておかないとね。

解約の事実を聞いた叔母(義母の妹)は、そんなはずはない、姉はちゃんと用意したと言ってた、どこかに別の証書があるはず、ちゃんと探したのかと言い張って、そうでなくても大変なのにそういう家族間の対応も面倒だったし、そんなこんなでもう料理もできないほどうちのドイツ人は精神的に疲れていた。で、ちょっと何かお正月らしく特別なものをと思ってめぎが元旦の夕食に料理したのは、ホタテのバター焼きとラパというちょっと菜の花に似た味の野菜のごま油炒め。ホタテは先日ご紹介した街中の市場で殻から出してあったとは言えかなり新鮮なのを購入。ラパはドイツの野菜ではなく、トルコ系の店で購入。写真はぼけちゃった。
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うちのドイツ人は餅が苦手なので、お雑煮は作っていない。めぎ家の2024年のお正月はこれで終わっていった。
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