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手続き [義母とのお別れ 2023年12月]

今日の話は、義母の葬儀から一週間ほど経った日のこと。
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めぎたちはデュッセルドルフの↑この並木通りにある公証人の事務所を訪ねていた。そこに集まったのはうちのドイツ人と彼の伯母、その娘(つまりうちのドイツ人の従妹)、そしてその息子。彼らは家族そろって義母の相続放棄をする決心をし、手続きに訪れたのだ。めぎには相続権が無いので、ただの付き添い。

相続放棄をすることにした理由はたくさんあるが、主なものを挙げると…
1.東側の義母の家には誰も縁もゆかりもなく、引き取りたい物も思い出の物も自分の物もそこには何一つない。
2.電車で片道10時間、車でも7時間、飛行機を使っても半日かかるそこへ片付けに通える人もいない。通ったところで泊まる場所はホテルになり、費用もかさむ。
3.義母の遺した銀行預金では最後の家賃(持ち家ではなく賃貸で、死後すぐに解約をしても最低3か月は払い続けなければならない)と片付け業者料、その他もろもろを払うと大いなるマイナスが生じる。
4.義母の家には12年前に亡くなった義母のパートナーの私物もまだあり、友人たちはあれが欲しいこれをもらうはずだったと色々言ってくるし、さらに大家もアルコール依存症のようで、やり取りが非常にストレス。


追記)  子どものうちのドイツ人だけでなく親族、つまり叔母もその娘もさらにその息子までも 相続放棄の手続きをしたのは、亡くなった人の子どもが相続放棄した場合、亡くなった人の親、兄弟、その子ども…という順番で相続人になるから。我々は誰も相続したくないということで一致したため、相続人になる前にみんな放棄手続きをしたのだ。(そうでないと、相続人が決まるまで誰も部屋を片付けられないから、いつまでもそのまま放置されることになってしまう。相続人になる可能性のある人が全員放棄したので、次は裁判所が遺産清算人を手配し、公共の手で片付けに入ることになる。)配偶者と子どもがいなかったら(または相続放棄したら)、親、兄弟、その兄弟がもう亡くなっていたらさらにその子供という順番で相続人になるのは日本も同じだけど、そういう経験をなさった方はいらっしゃるかしら。今後は子どもも少ないし、頻繁に起こりそうよね。


公証人とは予め電話やメールで話をしてあり、必要な書類も提出済みで、この日はただ順番に署名をしてあっという間に終わった。家族が話し合って全員一致で決めたことだから尊重するし、仕方がないし、気持ちも大いにわかるのでめぎも異存はないが、人が一人亡くなって、遺産と呼べるようなものは全くなくとも、その人が大好きで集めて大事にしていた物たちがただ家族の迷惑になり処分されてしまうのって、凄く淋しいことね。死とともに、その人の物の命も全て終わりってことね。その人の生活が終わったのだから当然だけど、本当に生活って「生活」という字の通り、生きていればこその営みで、儚いわね。

手続き終了後は、現地の裁判所が遺産処分管理人を公に指定し、その人が遺書などを参考にしつつ全て片付けを公の業者に依頼することになる。ほとんどの物はたぶんキリスト教団体が引き取って役立ててくれるのだろうけど、遺書にはいくつかの物品が誰だれにと指定されていたので、それは相続放棄と関係なくいつか手渡されるらしい。つまりは貴族の紋章とか祖先の古い写真とかは、めぎ家にいつかやってくるようだ。でも、引き取ると決めたら、運送代は自分持ちだとか。金目のものは何一つないので、税金はかからない模様。それに、もし何らかの手違いなりでそれらの物がめぎ家にやって来なかったとしても、めぎ家は別に困らない。勿体ないなあと思うものは何一つないのだ。うちのドイツ人は貴族ではないし、写真は既に全部スキャンしてあるし、めぎにはもうあの蝋燭消しやエルツ山地地方のクリスマスとイースターの飾りの工芸品が多々あるし。義母の思い出はめぎたちの胸の中にある。

その後、めぎたちはみんなで近くのレストランへ行った。ワインで乾杯。
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家族で義母の思い出や葬儀のことなどをあれこれ話す。これが我々にとって、日本でいうお通夜のような時間になった。義母を憎んで相続放棄したのではなく、みんな、自分の生活の中でできることとできないことがあるということなのだ。放棄したおかげで、かえってみんなの中に良い思い出だけが蘇る。とても和やかな時間だった。

場所的には高そうなところなのだがいろんな料理が良心的な値段で提供されているレストランで、めぎはここで、Chicken Karaage Bowlというのを食べた。唐揚げが3つとライスと枝豆の豆と乾燥トマトとサラダが盛られてあった。ライスはニンジンの下で、サラダの一部というような位置づけ。これ、思った以上に美味しかった。こういうエキゾチックなもの、目の前の叔母は全く受け付けないが、義母は生きていたら興味津々につまんでくれたんじゃないかな。かつてめぎ家に一週間ほど滞在した時、めぎの友人が遊びに来て餃子を作ってくれたのだけど、凄く喜んで食べていたから。
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ここでうちのドイツ人が言った。いつもなら「ここに母が参加できていないのが可哀想だね」と言うところなんだけどね…と。そうね、もう参加しようにも義母はいない。叔母がめぎ家と一緒に何かをすると特に凄く羨ましがっていた義母はもういなくて、我々ももう後ろめたい気分にならずにすむ。生きている者同士、最期の瞬間までこうして楽しんでいけたらいいね。
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