SSブログ

コンサートを見て [2022年春 ウィーン~シュプロン]

現在、2022年4月中旬の春旅の話を連載中。旅の前半にしてハイライトのコンサートのお話の続き。

イースターまであと一週間という頃。あのお月様が満月になった後の日曜日がイースター。
DSC_8890_001.JPG


めぎたちは19時半からのコンサートにやってきた。場所はウィーンの比較的新しいコンサートハウス。有名なウィーンフィルの本拠地Musikvereinのすぐ近く。1913年設立とのこと。
DSC_8887_001.JPG


ティンパニーが音の調整をしていた。弦楽器等にチェロ以外座る席はなく、いつものように立って演奏するようだ。
DSC_8892_001.JPG


ゴージャスなウィーンにしては割と質素なつくり。早めに来たので、まだあまり人が入っていない。
DSC_8893_001.JPG


コンサートの演目は昨日も書いたとおり、まずはリヒャルト・シュトラウスの81歳という晩年の作品「メタモルフォーゼン」。日本語にすると「変容」。作品について詳しくはこちらをどうぞ。簡単に言うと、第2次世界大戦の終わりごろ、リヒャルト・シュトラウスが長年自分の作品を初演してきたりした伝統あるドイツのオペラ座やコンサートホールが連合軍の襲撃に遭って瓦礫と化し、喪失の悲痛と破壊された祖国への惜別、反戦の思いを込めて作曲したものらしい。「23の独奏弦楽器のための習作」という副題がついていて、たしかに23人がそれぞれ別々に弾いていてそれが複雑に組み合わさって合奏になっているという感じだった。ムジカエテルナの弦楽器の人たち数名と、ウクライナの音楽家たちとの特別なアンサンブルで、いつもとちょっと違ってクルレンツィスが完璧に全てを統率しているという感じではなく、何か本当に苦しんでいるという感じだった。最後の部分は本当に辛く、印象に残った。その音源はないため、フルトヴェングラーのこちらを参考に張り付けておく。リヒャルト・シュトラウスがまだ生きていた時の演奏である。



休憩をはさみ、次はチャイコフスキーの「悲愴」。これは有名中の有名な曲で、知らないと思っても部分的には誰もが聞いたことのある曲だ。詳しくはこちら。これは特に戦争反対のために作られた作品ではないが、チャイコフスキーが自分の人生を込めて作曲したらしく、鬱病だったとも言われているし、叶わぬ恋(同性愛)の悲嘆が描かれているとも言われるが、とにかく憧れと悲哀に満ちていて物悲しく、狂ったように勝利を叫んだかのように一瞬感じるが最後は悲嘆に暮れて消えるように終わる独特なもの。これもひとまずフルトヴェングラーのを。



ムジカエテルナはこの作品を骨の髄まで理解しているという感じで、クルレンツィスもスコアなしで指揮をしていて、この作品が彼らの血や肉のような、彼らの魂そのもののような、そんな凄まじい演奏だった。チェロなどの座らないと弾けない楽器を除いて全員が最初から最後まで立ったまま演奏し、その集中力と迫力は座って演奏するのの比ではない。もっと上手い演奏はきっとあるのだろうと思うが、とは言えもちろん素晴らしい演奏だったのだが、そういうレベルの話ではなくて、いや、なんというか、約100人のオーケストラが100の音をそれぞれに立たせて弾いているのにもかかわらず100人で一つと言うか、一体感そのものと言うか、その響きは嗚咽と言うか叫びと言うか刹那というか、全身全霊とはこのことと言うか、神憑りにあったような、ちょっと今までこんな経験したことない!という感じのコンサートだった。特に3楽章のこれでもかこれでもかというド迫力な響きには、ひょえ~と思わず口に出したほどだった。
DSC_8898_001.JPG


そして、終わった後、誰も笑っていなかった。
DSC_8898_001_01.JPG


会場は総立ちのスタンディングオベーションだったのにもかかわらず。こんな凄い演奏を一団となって成し遂げたにもかかわらず。
DSC_8900_001.JPG


彼らはお別れの演奏をしたのだ。まさに惜別の演奏だった。全身全霊を込めて。実存をかけて。音楽の美しさと尊さと夢の破滅と哀しさと虚しさを込めて。
DSC_8901_001.JPG


去年の夏にザルツブルクであんなに楽しそうに、踊るように、まさに音を楽しんで音楽を奏でる姿を見せて演奏していたのに、一年も経たずにこんなことになるなんて。
DSC_8901_001_01.JPG


クルレンツィスはギリシャ人なのだし、さっさと反戦争を声明して西側に住めばいい、という声もある。それを待っていて、ぜひうちのオーケストラの主任指揮者へ、と受け入れたい人もいっぱいいるだろう。彼がそうしようと思えばそうできなくもない。かつて多くのユダヤ人音楽家がアメリカなどへ逃亡して大成功を収めたように。でも、それは、彼が30年近くもかけて築き上げた人生を捨てることなのだ。シベリアの田舎からずっと連れてきて今やオーケストラと合唱団の200人もの人生を肩に背負っていて、ムジカエテルナは彼の家族であり、彼の一部なのだ。それを置いてどこかへ移ったところで、片足を失い、片腕も失ってしまうようなものなのだろう。この一体感は唯一無二のもので、この日のクルレンツィスは3月末に見たSWR(南西ドイツ放送)オーケストラを指揮した時とは別人だった。ムジカエテルナあってこその彼なのだ、と思い知った。
DSC_8902_001.JPG


そして、アンコールもなく、マイクを取って何か語ることもやっぱりなく、去っていった。
DSC_8904_001.JPG


そして、ムジカエテルナも、それに従った。ロシア人の彼らは、ロシアに帰るしかない。いや、楽団員の全てがロシア人というわけではもちろんなくて、13か国からなっているそうで、このうちの何人がロシア人だったのかは正直よく分からないし、結成当初の2004年からのメンバーはインターネットで見る限りそんなにいない。つまりムジカエテルナというのは常に変容しているオーケストラで、去年の夏に演奏していたクラリネットとオーボエとフルートの奏者も見当たらなかったし、コンサートやCD録音をするのはその時のベストメンバーなのか、曲や開催地に合わせて得意な人や来られる人を選ぶのかなんともわからないのだが、とにかく2004年からいる今回のコンサートマスターのことに限って言えば、シベリアの彼方から、音楽で身を立てるという夢をもって音楽に人生をささげて打ち込み、以前見たドイツ語のドキュメンタリーによれば修道院で共同生活するように、例えば2011年にペルミに移ってからは2019年までそこにいたのにペルミの街を見たこともないほどただただリハーサル室とアパートを行き来するだけの生活を送って、ただただ音楽に身をささげて生きてきて、5年ほど前からザルツブルク音楽祭の常連になるというような成長発展を遂げたのに、さあこれからというときになってこんなことに。ザンクトペテルブルクに拠点を置く彼らに、スポンサーをロシアの銀行から別のものに変えろと言ったって、そんなことがすぐにできるはずもなく、たとえロシアの銀行と契約を切ることができたとしても、今この状況でロシアのオーケストラに資金援助をする西側のスポンサーが出てくるとも思えず、彼らだって生きていく以上は給料が必要なんだから。
DSC_8905_001.JPG


もちろんわかっている。ウクライナでは音楽家たちが演奏すらできずに攻撃されていることを。でも、戦争というものが、攻撃される側のみならず攻撃する側でもこうして一人一人の人生を壊してしまうのだということを、このときほど思い知ったことはなかった。なんて空しいことかしら。こんなに一生懸命努力して生きて来たのに、こんな歳になってから、あとは集大成までもう一息という段階になってそれまでの努力が全て無になるかもしれないなんて。晩年のシュトラウスの無念さが想像できるわ…

ああ、さようなら。ザルツブルクで会えるといいな…とわずかな望みを持ちつつも、絶望的な気分。5月にミュンヘンやパリで予定されていたコンサートやオペラはすべて中止になった。後はザルツブルク音楽祭の決定を待つのみ。
DSC_8905_001_01.JPG


実はこのあと、4月14日~16日にかけてドイツのハンブルクでも彼らのコンサートがあって、そちらは無事に3日間すべて開催。3月下旬には残券がそこそこあったのだが、ウィーンのチャリティーコンサート中止のニュースの後あっという間に完売となった。16日のなら日程的に行くことも可能だったのだが、チケットの方が全く手に入らなかった。ウィーン同様にすさまじい一体感ある演奏だったようだ。会場にはウクライナ人も聞きに来ていたらしい。それについては、NDR(北ドイツ放送)のこちらに非常によくまとめて書いてある。同じサイトのこちらの記事にも、彼らの状況が非常によくまとめられている。ドイツ語だが、もしよかったら翻訳ソフトでも使ってどうぞ。帰宅後彼らの2017年収録のCDを探し出したので、それを貼っておく。でも、この曲は残念ながらライブで聞かなければその良さが分からない作品だと思う。クラシック界のロックとでもいうべきか。だから、もし可能なら、大音響で。特に3楽章を大音響で。1楽章の4分40秒ぐらいからの部分が、たぶん最も有名なメロディだと思う。



そのようなわけで、とにかく切ない夜だった。こうして書いていても切ないし、書ききれなかったことも多々あるし、分からないこともまだ多々あるし、未だ心の整理がついていない。上のNDRの記事に書かれている次の言葉が、まさにその通り。そして、それをめぎはうまく翻訳できない。
"Das ist ein wahnsinniges Erlebnis." 「それは非常極まる・狂気の・常軌を逸した・猛烈な・凄まじい体験」だった。そして、昨日の記事のリンク先のWiener Zeitungの最後に書かれているこの言葉 "Es ist sehr traurig." の通り、あとにただただ哀しみが残った。
nice!(27)  コメント(7)