2022年春旅ダイジェスト① [2022年春 ウィーン~シュプロン]
今日からこの春の旅について書き始めようと思うが、まずは全体をダイジェストで。
旅はまず、驚きの冬景色から始まった。これは4月9日、ドイツのアウトバーンから見た景色。
400㎞近く走って途中で寄った街も冬景色。
こんなところでお昼を食べて…(ドイツは3月末ごろからコロナ対策の3Gという規則(3つの証明すなわちワクチン接種済み証明または感染治癒証明または検査陰性証明を提示して食事できる等々)が撤廃されたところで、レストランに誰でも入れるし、マスクも義務ではなくなった。しかし、多くがテーブルに座っているとき以外、例えばトイレに立つときなどマスクをしていた。)
場所はこちら。
さらに300㎞ぐらい走ってこの日の宿泊地に到着。
泊まったのはノイブルク・アム・インというオーストリアとの国境の街の古城。数年前にザルツブルクから帰るときにここを見つけ、いつか泊まってみたいと思っていたところ。古城といっても素泊まりで、朝食もないし支払いもチェックインも全てネットで済ませる仕組みで誰にも会っていない。
場所はこちら。
それから次の日にまた300㎞ぐらい走ってウィーン入りし、3年ぐらい前に来た時と同じグラーベン(ウィーンの中心の大通)を見下ろすペンションに宿泊。宿はチェックインの際に3Gをチェックされ、廊下や朝食会場のバイキングを取るときなどはマスク義務だった。今回の旅の中でこのホテル内の規則とその徹底ぶりが一番厳しかった。初日は雨時々晴れ。ここには3泊。
場所はこちら。
次の日には晴れていたが、寒かった…
その後はずっと晴れて、徐々に暖かくなった。
ウィーンで何をしたかと言えば、昨日も書いたように一日目はオペラを見に行って楽しみ(オペラ座の中は3G規則はなかったがFFP2マスク義務)…
二日目はコンサートを見に行った(コンサートホールの中もFFP2マスク義務)。これは、戦争の影響を受けてとてもとてもとても切ないコンサートとなった。このことに関してはどう書いていいか分からないほど切ないのだが、昨日も書いたように、追々に。
三日目はのんびりとカフェハウスに行ったりして過ごした。ウィーンでは、美術館の中はFFP2マスク義務だったが、カフェやレストランは3G証明が要求されたりしなかったりまちまちだった。なんでもオーストリアは3G規則もマスク着用義務も撤廃したのだが、ウィーンだけは独自に規則を継続していたらしい。でもそれも、ちょうどイースターの頃から撤廃することになっているらしかった(「らしい」とお茶を濁しているのは、そう聞いただけであって、実際どういう規則なのかめぎ自身では確認していないため)。
ウィーンの街を歩いていると結構活気が戻ってきていて、団体旅行も見かけたし、レストランやカフェも時間帯によっては賑わっていたが、いないのはアジア人と、ムスリムの人と、ロシア人。アメリカ人もいなかったように思う(聞こえてきた英語はブリティッシュだったから)。コロナの影響か、めぎたちの行きたかった馴染みの店も一つ閉まっていた。
つづく。
旅はまず、驚きの冬景色から始まった。これは4月9日、ドイツのアウトバーンから見た景色。
400㎞近く走って途中で寄った街も冬景色。
こんなところでお昼を食べて…(ドイツは3月末ごろからコロナ対策の3Gという規則(3つの証明すなわちワクチン接種済み証明または感染治癒証明または検査陰性証明を提示して食事できる等々)が撤廃されたところで、レストランに誰でも入れるし、マスクも義務ではなくなった。しかし、多くがテーブルに座っているとき以外、例えばトイレに立つときなどマスクをしていた。)
場所はこちら。
さらに300㎞ぐらい走ってこの日の宿泊地に到着。
泊まったのはノイブルク・アム・インというオーストリアとの国境の街の古城。数年前にザルツブルクから帰るときにここを見つけ、いつか泊まってみたいと思っていたところ。古城といっても素泊まりで、朝食もないし支払いもチェックインも全てネットで済ませる仕組みで誰にも会っていない。
場所はこちら。
それから次の日にまた300㎞ぐらい走ってウィーン入りし、3年ぐらい前に来た時と同じグラーベン(ウィーンの中心の大通)を見下ろすペンションに宿泊。宿はチェックインの際に3Gをチェックされ、廊下や朝食会場のバイキングを取るときなどはマスク義務だった。今回の旅の中でこのホテル内の規則とその徹底ぶりが一番厳しかった。初日は雨時々晴れ。ここには3泊。
場所はこちら。
次の日には晴れていたが、寒かった…
その後はずっと晴れて、徐々に暖かくなった。
ウィーンで何をしたかと言えば、昨日も書いたように一日目はオペラを見に行って楽しみ(オペラ座の中は3G規則はなかったがFFP2マスク義務)…
二日目はコンサートを見に行った(コンサートホールの中もFFP2マスク義務)。これは、戦争の影響を受けてとてもとてもとても切ないコンサートとなった。このことに関してはどう書いていいか分からないほど切ないのだが、昨日も書いたように、追々に。
三日目はのんびりとカフェハウスに行ったりして過ごした。ウィーンでは、美術館の中はFFP2マスク義務だったが、カフェやレストランは3G証明が要求されたりしなかったりまちまちだった。なんでもオーストリアは3G規則もマスク着用義務も撤廃したのだが、ウィーンだけは独自に規則を継続していたらしい。でもそれも、ちょうどイースターの頃から撤廃することになっているらしかった(「らしい」とお茶を濁しているのは、そう聞いただけであって、実際どういう規則なのかめぎ自身では確認していないため)。
ウィーンの街を歩いていると結構活気が戻ってきていて、団体旅行も見かけたし、レストランやカフェも時間帯によっては賑わっていたが、いないのはアジア人と、ムスリムの人と、ロシア人。アメリカ人もいなかったように思う(聞こえてきた英語はブリティッシュだったから)。コロナの影響か、めぎたちの行きたかった馴染みの店も一つ閉まっていた。
つづく。