トライアナ街道など [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの話を連載中。2日目の朝、Egnaziaというところの古い遺跡を見ているところ。
昨日ご紹介した海岸からすぐの遺跡は古代ギリシャ時代のもの。こちらは道路を挟んだもう片方の遺跡。こちらは古代ローマ時代ので、若干新しい。現代から考えるとどちらも似たような石の遺跡だが、その差300~500年くらい。きっと当時、ずっと斬新でずっと技術が発展して見えたのだろうな。
この広々としたところは何かな~
そして、ここにトライアナ街道(アッピア街道から枝分かれしてアッピア街道と平行に敷かれた街道)があった。真ん中を左右に横切る細長いところ。
近くで見てみる。ほ~これね~
どこにあるかはWikipediaの地図のこちらをどうぞ。ピンクのところがトライアナ街道で、めぎたちがいるEgnaziaは右端の最終地点から2つ目の地点。
昔の人って、すごい健脚だったんだなあ…こんな道を歩いてローマまで行ったんだものね。
あの広々としたところは市場だったみたい。
近くにイチジクがなっていた。このイチジクがもしその当時からあるとしたら、あの市場で売っていたりしたのかな…なんて想像が広がる。
遺跡の横には広々とした畑。
チンゲン菜みたいな葉物。スーパーでbietola costa largaという名で売られていたのだが、ドイツではMangoldという名。地中海の辺りが原産で紀元前400年前からヨーロッパにあるようだから、これも2000年前からこの辺で育てられてて、あの市場で売られていたりしたのかもしれないな。青々として美味しそうだな~今の時期にこんなのがまるまると育つなんて、やっぱり南イタリアは暖かいのね。
あの石積みは今何かに使われているのか、遺跡の一部なのか、どうなんだろう。ホント南イタリアって興味深い。
めぎたちはこれで遺跡を後にして次の目的地へ向かった。
昨日ご紹介した海岸からすぐの遺跡は古代ギリシャ時代のもの。こちらは道路を挟んだもう片方の遺跡。こちらは古代ローマ時代ので、若干新しい。現代から考えるとどちらも似たような石の遺跡だが、その差300~500年くらい。きっと当時、ずっと斬新でずっと技術が発展して見えたのだろうな。
この広々としたところは何かな~
そして、ここにトライアナ街道(アッピア街道から枝分かれしてアッピア街道と平行に敷かれた街道)があった。真ん中を左右に横切る細長いところ。
近くで見てみる。ほ~これね~
どこにあるかはWikipediaの地図のこちらをどうぞ。ピンクのところがトライアナ街道で、めぎたちがいるEgnaziaは右端の最終地点から2つ目の地点。
昔の人って、すごい健脚だったんだなあ…こんな道を歩いてローマまで行ったんだものね。
あの広々としたところは市場だったみたい。
近くにイチジクがなっていた。このイチジクがもしその当時からあるとしたら、あの市場で売っていたりしたのかな…なんて想像が広がる。
遺跡の横には広々とした畑。
チンゲン菜みたいな葉物。スーパーでbietola costa largaという名で売られていたのだが、ドイツではMangoldという名。地中海の辺りが原産で紀元前400年前からヨーロッパにあるようだから、これも2000年前からこの辺で育てられてて、あの市場で売られていたりしたのかもしれないな。青々として美味しそうだな~今の時期にこんなのがまるまると育つなんて、やっぱり南イタリアは暖かいのね。
あの石積みは今何かに使われているのか、遺跡の一部なのか、どうなんだろう。ホント南イタリアって興味深い。
めぎたちはこれで遺跡を後にして次の目的地へ向かった。
撮影ポイントを探す [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの話を連載中。
南イタリアのかかとの部分にあるEgnaziaという遺跡を後にしためぎたちは、内陸のOstuniという街を目指した。写真で見て素晴らしい街並みだなと思ったので、見てみたかったのだ。これがそのOstuni(オストゥーニ)。
場所はこちら。
まずは街中のどこかでコーヒーブレイクを、と思っていたのだが、車を止められるところが見つからず、通り抜けてしまった。
…と書くと簡単だが、通り抜けるのがものすごく難しかった。まず、↑上の写真のところはこの辺りでは極めて普通の街中の道で、左は縦列駐車スペースで、右を車が適当な2列状態になりながら進み、イタリア人はとても自由に走るのでいつどこからひょいっと割り込んでくるかわからず、かなり注意が必要である。でも、強引ではないのでまあなんとかなるし、こういう道は混んでいるだけで普通に通り抜けられるレベル。難しいのは、入り組んだ旧市街。街の中心へ行けば行くほど道が細くなり、かつ迷路のようになり、そこに車も駐車してあるものだから曲がるのも通り抜けるのも大変。何度もめぎが降りてぶつからないようスペースを確認してうちのドイツ人を誘導するという羽目に。写真撮りたかったけどそんなわけでそれどころではなく。(だから「一番小さな車を」とminiくらいのをイメージしてレンタカーに注文したのに、貸してくれたのは結構大きなDachia Dusterだった。)
で、駐車できるところも見つからないまま街の外に通り抜けてしまい、もう街中でのコーヒーブレイクは諦め、電線が入らないで街が浮かんだ感じに見えるところを探す。こんなところをウロウロと。
ここは木が邪魔だし…
ここは電線が入っちゃうし…
で、まあまあというポイントで望遠で撮ったのがこれ。本当はもう一つ左下の方にある建物を入れたかったのだが、うまくいかず。
突然すごいたくさんの鳥が飛んできた…ひゃ~すご~~い!と思って頑張ったけど、あまりうまく撮れなかった。
ホント凄かったんだけどな~
この近くで撮ったサボテン。
ちょっと食べてみたかったなあ。
南イタリアのかかとの部分にあるEgnaziaという遺跡を後にしためぎたちは、内陸のOstuniという街を目指した。写真で見て素晴らしい街並みだなと思ったので、見てみたかったのだ。これがそのOstuni(オストゥーニ)。
場所はこちら。
まずは街中のどこかでコーヒーブレイクを、と思っていたのだが、車を止められるところが見つからず、通り抜けてしまった。
…と書くと簡単だが、通り抜けるのがものすごく難しかった。まず、↑上の写真のところはこの辺りでは極めて普通の街中の道で、左は縦列駐車スペースで、右を車が適当な2列状態になりながら進み、イタリア人はとても自由に走るのでいつどこからひょいっと割り込んでくるかわからず、かなり注意が必要である。でも、強引ではないのでまあなんとかなるし、こういう道は混んでいるだけで普通に通り抜けられるレベル。難しいのは、入り組んだ旧市街。街の中心へ行けば行くほど道が細くなり、かつ迷路のようになり、そこに車も駐車してあるものだから曲がるのも通り抜けるのも大変。何度もめぎが降りてぶつからないようスペースを確認してうちのドイツ人を誘導するという羽目に。写真撮りたかったけどそんなわけでそれどころではなく。(だから「一番小さな車を」とminiくらいのをイメージしてレンタカーに注文したのに、貸してくれたのは結構大きなDachia Dusterだった。)
で、駐車できるところも見つからないまま街の外に通り抜けてしまい、もう街中でのコーヒーブレイクは諦め、電線が入らないで街が浮かんだ感じに見えるところを探す。こんなところをウロウロと。
ここは木が邪魔だし…
ここは電線が入っちゃうし…
で、まあまあというポイントで望遠で撮ったのがこれ。本当はもう一つ左下の方にある建物を入れたかったのだが、うまくいかず。
突然すごいたくさんの鳥が飛んできた…ひゃ~すご~~い!と思って頑張ったけど、あまりうまく撮れなかった。
ホント凄かったんだけどな~
この近くで撮ったサボテン。
ちょっと食べてみたかったなあ。
何かと思ったら… [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの話を連載中。
Ostuni(オストゥーニ)の写真を撮ったあと、めぎたちはほぼ真南に向かった。イタリアのかかとの部分を突っ切る感じである。内陸は、オリーブ畑がどこまでもどこまでも。
そんな中、これ、何?と気になるアパートの団地みたいなところがあって、ちょっと寄ってみた。他の集落とは明らかに違うので(昨日のOstuniのようなのがこの辺りの街の形)、目立ったのだ。
真新しいここは…
お墓!
家ごとにアパートを所有するがごとくお墓の建物を所有し、中に引き出しみたいに葬られているみたい。
つくりはそれぞれ違う。ステンドグラスのあるお墓もあった。
結構頻繁にお墓参りをしている様子。
というのは、ここに絶えず人々が出入りしていたのだ。こんな風に。
この日は大晦日。近しい人が亡くなったのかも知れないが、大晦日の過ごし方って日本とは全く異なっていそうだわね。
とても印象に残る場所だった。
場所はこちら。
Ostuni(オストゥーニ)の写真を撮ったあと、めぎたちはほぼ真南に向かった。イタリアのかかとの部分を突っ切る感じである。内陸は、オリーブ畑がどこまでもどこまでも。
そんな中、これ、何?と気になるアパートの団地みたいなところがあって、ちょっと寄ってみた。他の集落とは明らかに違うので(昨日のOstuniのようなのがこの辺りの街の形)、目立ったのだ。
真新しいここは…
お墓!
家ごとにアパートを所有するがごとくお墓の建物を所有し、中に引き出しみたいに葬られているみたい。
つくりはそれぞれ違う。ステンドグラスのあるお墓もあった。
結構頻繁にお墓参りをしている様子。
というのは、ここに絶えず人々が出入りしていたのだ。こんな風に。
この日は大晦日。近しい人が亡くなったのかも知れないが、大晦日の過ごし方って日本とは全く異なっていそうだわね。
とても印象に残る場所だった。
場所はこちら。