ポリニャーノでの夕食 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの話を連載中。
19時からのレストラン開店を18時半からバールで待つことにしためぎたち。ここがそのバール。まずはハウスワインでお疲れ様~写真は何口か飲んでから写したもの。お疲れ様乾杯をしたくて、飲む前に撮影なんてできなかったのだ。
一息ついてから、飾られているワインを見ながら、どれにする?と検討。
レストランは19時からのはずだけど、19時過ぎになってやっと担当のウエイターが到着し、バールのウエイターに「あそこにいる二人が食事するつもりで待ってるよ」などと説明され、エプロンをめぎたちの目の前でつけながら「ちょっとお待ちを~」と。うふふ、庶民的でいいわ~で、やっとレストランへ通された。もちろんまだ誰もいない。
客はまだめぎたちだけなので、ウエイターはゆっくりとめぎたちのお相手をしてくれて、おしゃべりがなかなか楽しいひと時。どうしてプーリアに来たのかとかローマに行ったことはあるかとかイタリアは他にはどこに行ったことがあるかとかどうしてイタリア語ができるのかとか、色々聞かれておしゃべりに花が咲く。スターターにうちのドイツ人は地ビールを、めぎはもう一度同じハウスワインを。一杯3ユーロ。それを飲み切らないうちに選んだ赤ワインがやってきた。この地方のブドウのワインで、一瓶15ユーロ。
赤ワインはそのまま飲まないで呼吸していていただき、まずは前菜を。これはマグロのタルタルで、13ユーロ。これは二人で一品を頼んだのだが、取り皿をくれた。絶品だった~♪
この頃からちらほらと別の客がやってきた。そのほとんどが子連れ。そうか、子連れだと早めに食べるってことね。彼らは前菜とパスタくらいを一人一皿くらいしか頼まず、賑やかに食事。
さて、次はパスタ。めぎのはシンプルなトマトソースの耳たぶパスタ。これがもうもう美味しくて。どうしてイタリアのトマトソースってこんなに美味しいのかしら。どうしてイタリアのパスタってこんなに美味しいのかしら。ドイツではこうはいかないのよね…
うちのドイツ人はムール貝とアサリのニョッキ。赤いのはトマト。ヨーロッパでは魚介のスープとかこういうパスタの魚介ソースとかにもトマトを入れることが多い。それが味の決め手になっているようにも思う。
ちなみにメニューはこちら。めぎのは8ユーロ、ニョッキは13ユーロ。安くもないが高くもない。このレストランを選んだ最も大きな理由は、メニューがイタリア語だけで英語の表示がなかったこと。現地の言葉を解読しながら頼むのが楽しくて。
メインはまた二人で一皿。タコとイカとエビのグリル。16.5ユーロ。柔らかくて美味しかった。これは日本の、特に北海道などから見たら単なる普通レベルだけど、ドイツから行くと感動的な一皿。まあドイツでも魚介レストランに行けば食べられるが、タコやイカがこんなに柔らかくて美味しいのにはなかなか巡り合えない。エビはまあまあだったけど…大きな美味しいのをクリスマスに食べたばかりだったからね。
メインを食べ終わるころにはレストランはかなり人でいっぱいになってきた。満席ではないが、20時を過ぎるとこんなに埋まり始めるのね、と実感。残念ながら撮っていない。
食後にはお店お勧めのデザートを一つ頼み、二人で分けた。プラムのケーキだったような記憶。
そしてもちろんエスプレッソを。
全部で二人で88ユーロの食事。安くあげようと言っていた割には豪勢に食べたわね。まあ旅の初日であれもこれもという感じだったし、うちのドイツ人の誕生日だったしね。お会計を終えたのは20時45分ごろだったが、その頃にはレストランは盛況だった。イタリア人の夜はこれから。ドイツのめぎたちはお休みなさい…
19時からのレストラン開店を18時半からバールで待つことにしためぎたち。ここがそのバール。まずはハウスワインでお疲れ様~写真は何口か飲んでから写したもの。お疲れ様乾杯をしたくて、飲む前に撮影なんてできなかったのだ。
一息ついてから、飾られているワインを見ながら、どれにする?と検討。
レストランは19時からのはずだけど、19時過ぎになってやっと担当のウエイターが到着し、バールのウエイターに「あそこにいる二人が食事するつもりで待ってるよ」などと説明され、エプロンをめぎたちの目の前でつけながら「ちょっとお待ちを~」と。うふふ、庶民的でいいわ~で、やっとレストランへ通された。もちろんまだ誰もいない。
客はまだめぎたちだけなので、ウエイターはゆっくりとめぎたちのお相手をしてくれて、おしゃべりがなかなか楽しいひと時。どうしてプーリアに来たのかとかローマに行ったことはあるかとかイタリアは他にはどこに行ったことがあるかとかどうしてイタリア語ができるのかとか、色々聞かれておしゃべりに花が咲く。スターターにうちのドイツ人は地ビールを、めぎはもう一度同じハウスワインを。一杯3ユーロ。それを飲み切らないうちに選んだ赤ワインがやってきた。この地方のブドウのワインで、一瓶15ユーロ。
赤ワインはそのまま飲まないで呼吸していていただき、まずは前菜を。これはマグロのタルタルで、13ユーロ。これは二人で一品を頼んだのだが、取り皿をくれた。絶品だった~♪
この頃からちらほらと別の客がやってきた。そのほとんどが子連れ。そうか、子連れだと早めに食べるってことね。彼らは前菜とパスタくらいを一人一皿くらいしか頼まず、賑やかに食事。
さて、次はパスタ。めぎのはシンプルなトマトソースの耳たぶパスタ。これがもうもう美味しくて。どうしてイタリアのトマトソースってこんなに美味しいのかしら。どうしてイタリアのパスタってこんなに美味しいのかしら。ドイツではこうはいかないのよね…
うちのドイツ人はムール貝とアサリのニョッキ。赤いのはトマト。ヨーロッパでは魚介のスープとかこういうパスタの魚介ソースとかにもトマトを入れることが多い。それが味の決め手になっているようにも思う。
ちなみにメニューはこちら。めぎのは8ユーロ、ニョッキは13ユーロ。安くもないが高くもない。このレストランを選んだ最も大きな理由は、メニューがイタリア語だけで英語の表示がなかったこと。現地の言葉を解読しながら頼むのが楽しくて。
メインはまた二人で一皿。タコとイカとエビのグリル。16.5ユーロ。柔らかくて美味しかった。これは日本の、特に北海道などから見たら単なる普通レベルだけど、ドイツから行くと感動的な一皿。まあドイツでも魚介レストランに行けば食べられるが、タコやイカがこんなに柔らかくて美味しいのにはなかなか巡り合えない。エビはまあまあだったけど…大きな美味しいのをクリスマスに食べたばかりだったからね。
メインを食べ終わるころにはレストランはかなり人でいっぱいになってきた。満席ではないが、20時を過ぎるとこんなに埋まり始めるのね、と実感。残念ながら撮っていない。
食後にはお店お勧めのデザートを一つ頼み、二人で分けた。プラムのケーキだったような記憶。
そしてもちろんエスプレッソを。
全部で二人で88ユーロの食事。安くあげようと言っていた割には豪勢に食べたわね。まあ旅の初日であれもこれもという感じだったし、うちのドイツ人の誕生日だったしね。お会計を終えたのは20時45分ごろだったが、その頃にはレストランは盛況だった。イタリア人の夜はこれから。ドイツのめぎたちはお休みなさい…
ポリニャーノの朝 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの話を連載中。
旅先で一夜明け、朝が来た。
日の出は朝7時15分ごろ。場所的に海から日が昇るかなと期待して、朝食前に散歩に出かけた。
前日夕方に宿から見えた岩場へ行ってみた。
めぎたちの宿は真ん中ちょっと右に見えている大きな長い青色のところ。あそこがバルコニーなのだ。
日の出、もう少し右の方のようね…
朝の色が美しかった。
でも日の出は見えないし日が昇れば影になってしまうので、これで諦めた。崖の上にはこんな銅像。ドメニコ・モドゥーニョという歌手・俳優・国会議員だった人で、この街の生まれらしい。俳優が歌手を兼ね、最後に国会議員になったりするのは日本だけじゃないのね。
だんだんと日が差してきた。
そこにこんな車がやってきた。ここ、駐車OKでもないと思うのだけど、バンと停めて工事の人のような恰好をしたおじさんが出てきてバールに入っていった。
こちらにももうすぐ日が差してきそう。ここ、素敵な橋なんだけど、下の真新しい無機質な建物の屋根が残念。
こんな車もやってきた。
このあとめぎたちは宿に戻りチェックアウト。予めチェックアウトの時間を約束して宿の人は8時に来ると言っていたのに、全く来ないし、その人の家のドアをノックしても全くうんともすんとも(呼び鈴はない)。仕方がないので鍵は郵便受けに入れ、その旨メールを打ったが、返事が来たのは3日後だった。会っていた時にはとってもお調子いいのに約束は適当で、そういう辺りは失礼ながらイタリア人だなあと思ったわ…
B&Bだけど朝食は券をくれて指定されたバールで食べるというシステム。イタリアのB&Bってそういうところが結構多い。で、めぎたちは指定のバールへ。出勤中みたいな男たちがいっぱい。そうそう、この日は大晦日なのだけど、イタリアは平日。
この日の朝食。いかにもイタリアで、朝のパンは甘いパン。いつもは朝から甘いものは全く食べないのだけど、郷に入れば郷に従うめぎたち。美味しかった。
ここから南イタリアの話は2日目に入るのだが、その前にちょっと小休止して明日はデュッセルドルフの話の予定。
旅先で一夜明け、朝が来た。
日の出は朝7時15分ごろ。場所的に海から日が昇るかなと期待して、朝食前に散歩に出かけた。
前日夕方に宿から見えた岩場へ行ってみた。
めぎたちの宿は真ん中ちょっと右に見えている大きな長い青色のところ。あそこがバルコニーなのだ。
日の出、もう少し右の方のようね…
朝の色が美しかった。
でも日の出は見えないし日が昇れば影になってしまうので、これで諦めた。崖の上にはこんな銅像。ドメニコ・モドゥーニョという歌手・俳優・国会議員だった人で、この街の生まれらしい。俳優が歌手を兼ね、最後に国会議員になったりするのは日本だけじゃないのね。
だんだんと日が差してきた。
そこにこんな車がやってきた。ここ、駐車OKでもないと思うのだけど、バンと停めて工事の人のような恰好をしたおじさんが出てきてバールに入っていった。
こちらにももうすぐ日が差してきそう。ここ、素敵な橋なんだけど、下の真新しい無機質な建物の屋根が残念。
こんな車もやってきた。
このあとめぎたちは宿に戻りチェックアウト。予めチェックアウトの時間を約束して宿の人は8時に来ると言っていたのに、全く来ないし、その人の家のドアをノックしても全くうんともすんとも(呼び鈴はない)。仕方がないので鍵は郵便受けに入れ、その旨メールを打ったが、返事が来たのは3日後だった。会っていた時にはとってもお調子いいのに約束は適当で、そういう辺りは失礼ながらイタリア人だなあと思ったわ…
B&Bだけど朝食は券をくれて指定されたバールで食べるというシステム。イタリアのB&Bってそういうところが結構多い。で、めぎたちは指定のバールへ。出勤中みたいな男たちがいっぱい。そうそう、この日は大晦日なのだけど、イタリアは平日。
この日の朝食。いかにもイタリアで、朝のパンは甘いパン。いつもは朝から甘いものは全く食べないのだけど、郷に入れば郷に従うめぎたち。美味しかった。
ここから南イタリアの話は2日目に入るのだが、その前にちょっと小休止して明日はデュッセルドルフの話の予定。
遺跡を見る [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
今日からまた年末年始の南イタリアのお話を。
滞在2日目、大晦日。最初に訪れたのは、ポリニャーノから海沿いをイタリアのかかとの下の方へ20㎞程行ったところにあるEgnazia。そこにこんな古い石積みの塀があった。
中はこんな遺跡。
塀のところから駐車場を振り返る。めぎたちの乗ってきたレンタカーがそこにポツンと。そう、他に誰もいない。
ラッキーだわね~遺跡独り占め。いや、二人占め。
ここ、紀元前4世紀には集落があったらしい。紀元後2世紀にアッピア街道の支流(支道?)のトライアナ街道が敷かれ、栄えたのだとか。
港町だったとのこと…あ、向こうにトゥルーリがある。
しばし、波が岩の下に潜り込んで左の穴から噴き出てくる様子を見ていた。昔々に栄えていたこの街のことを空想しながら。
この石の塀は、大きな石のブロックを平行に並べ、真ん中に小さな石を埋めて固めてある。その昔、これを作った人たちの姿を空想する。かつて生きていた人たち。どんな家族がいてどんな暮らしをしていたのかしら。作ったのは奴隷だったのかしら。だとしたらどこから連れてこられたのかしら。彼らが作ったこの塀を、2000年後に存在すら全く知らないアジアのそのまた向こうの島国から人がやってきて見ているなんて、もしその時の彼らが知ったらなんて思うかしら…
塀の向こうには、めぎたちが通ってきた道路がある。道路も石積みの壁のようなものがあるけど、どのくらい古いのかしらね。
そしてその道路の向こうにも遺跡が広がっていた。
つづく。
滞在2日目、大晦日。最初に訪れたのは、ポリニャーノから海沿いをイタリアのかかとの下の方へ20㎞程行ったところにあるEgnazia。そこにこんな古い石積みの塀があった。
中はこんな遺跡。
塀のところから駐車場を振り返る。めぎたちの乗ってきたレンタカーがそこにポツンと。そう、他に誰もいない。
ラッキーだわね~遺跡独り占め。いや、二人占め。
ここ、紀元前4世紀には集落があったらしい。紀元後2世紀にアッピア街道の支流(支道?)のトライアナ街道が敷かれ、栄えたのだとか。
港町だったとのこと…あ、向こうにトゥルーリがある。
しばし、波が岩の下に潜り込んで左の穴から噴き出てくる様子を見ていた。昔々に栄えていたこの街のことを空想しながら。
この石の塀は、大きな石のブロックを平行に並べ、真ん中に小さな石を埋めて固めてある。その昔、これを作った人たちの姿を空想する。かつて生きていた人たち。どんな家族がいてどんな暮らしをしていたのかしら。作ったのは奴隷だったのかしら。だとしたらどこから連れてこられたのかしら。彼らが作ったこの塀を、2000年後に存在すら全く知らないアジアのそのまた向こうの島国から人がやってきて見ているなんて、もしその時の彼らが知ったらなんて思うかしら…
塀の向こうには、めぎたちが通ってきた道路がある。道路も石積みの壁のようなものがあるけど、どのくらい古いのかしらね。
そしてその道路の向こうにも遺跡が広がっていた。
つづく。