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辛かった日々 [小さな出来事]

今日の写真は2月3日の撮影。カメラはCoolpix AというAPS-Cセンサーに35㎜換算で28㎜単焦点レンズの古いコンデジ。

土曜日のこの日、買い物ついでにちょっと寄り道。
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門が開いていないかな~と右奥の煉瓦の壁の向こう側に思いを馳せる。手前のバラは切り戻されていた。
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門は開いていた!日曜日だとよく閉まっているのだが、この日は土曜日だったからかしら。

中庭の芝生のところ、ひょっとして咲いていないかな~と入ってみたら…

咲いていた!
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ああ、可愛い~なんて綺麗なの…いつの間に春が来たんだわねぇ…ああ、うちのドイツ人と一緒に見たかったな…彼、またここに来られるようになるのかしら…
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…と、めぎは本当に切なく感じながらここで写真を撮っていた。実はうちのドイツ人、腰椎を2カ所も骨折してこのとき寝たきり状態だったのだ。
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事の起こりは昨年9月末、床の改装に使う板を新たに買って4階まで運び上げていた時。急激な腰の痛みに、最初はぎっくり腰だと思っていた。ただ、あまりにも痛いので10月初めに予定していたミラノのスカラ座への旅行をキャンセル。医者に痛み止めを処方してもらい、安静にしつつ、でもぎっくり腰は動いた方がいいというのでうちの中でできるだけ歩いたりして様子見。2週間ぐらいしたところで少しずつ痛みも和らぎ、11月にはゆっくり動作だけど車にも乗れるようになり、一度なぜか痛みの戻りがあったけどそれほどひどくもなく、徐々に治る方向に向かっているように見えた。時間がかかるのは歳だからかな、仕事をキャンセルせずに全てやっていたから安静が足りなかったのかな、でももう3か月近く経ったのに完治しないなぁと思いつつ、クリスマスのポルトガルへは観光ではなく療養に出かけたのだった。
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それが、義母がまもなく亡くなるという突然の知らせで動揺したのか、重い鍋を持ち上げた瞬間にまた腰に激痛が。その後彼は横になるとか起きるとかそういうのも激痛で大変になり、ゆっくり歩くのがやっとで、リュックすら担げなくなり、小さな機内用スーツケースを引くこともできなくなり、ポルトガルからデュッセルドルフまではめぎがリュックを2つ担ぎスーツケース大小1つずつを運びつつうちのドイツ人の手を引くという離れ業でやっとの思いで帰宅(2週間の滞在予定だったから荷物が多かった…めぎはカメラ2台体制でレンズも数本、三脚も持って行ってたし)。その後痛みを堪えつつ義母のお葬式の準備。ドイツはクリスマス&年末年始&ストライキで医者もずっと休みで、整形外科医に診てもらえたのはやっと1月4日。MRIが1月17日。そして1月24日、やっと診断が下された。ぎっくり腰ではなく、腰椎骨折なのだと。2カ所骨折しているし、数年前と見られる古い骨折の跡ももう1カ所あるんですと。なんですと!
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古い骨折の跡と聞いて思い出したのは、3年ほど前、コロナの初期の頃、急に腰に激痛が走って夜中に医者を呼んだこと。でもそれは、2日ぐらいで痛みが引いてしまっていたのだ。だからちゃんと診てもらうこともないまま時が過ぎた。あれはきっと1回目の骨折だったのね。ネットで調べて見ると、腰椎は骨折してても痛みが無く気がつかない人もいるとか、1度骨折すると2度3度起こりやすいとか書かれている…まさにこれだ。
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医者からは手術の提案もあったが、うちのドイツ人はまずはコルセットをはめて安静にする温存療法を選んだ。在宅医療の国ドイツなので、自宅にて絶対安静となった。完治を目指して、まずは食事の支度なども一切しないと決めた。もちろん外に買い物に行くとか散歩に行くとか、そういうこともご法度となった。とにかくベッドで安静にしていたわけだが、それでもその頃はまだ歩けていた。つまり、自宅内でトイレに行くぐらいはできていた。それが、1月30日にコルセットが届けられてはめる練習をしていたところ肋間筋を痛めてしまい、そのために歩けなくなってしまったのだ。痛すぎて、つかまり立ちまではできても、歩けないというのである。
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それから彼は2月6日まで全く動けなかった。治すためのコルセットのはずが、もっとひどくなってしまうなんて…うちのドイツ人はさらに痛みに苦しむし、めぎには突然、下の世話までする介護が降ってきたのである。これにはかなり参った…痛みに苦しみながら横たわっている人も大変だけど、それをお世話する側も本当に大変なのだ…フルタイムで仕事もあるし、突然買い物だの料理だの片づけだの全部一人でしなければならなくなり、さらに介護。下の世話ももちろん大変だが(それについては詳細を書くのを控えるが、本当に涙なしには語れない)、定期的に湯たんぽを入れ替えるとか、枕や掛布団を寝心地いいように一日に何回も整え直すとか、水だの薬だの用意するとか、めぎが仕事に行っている間に食べるものを枕元に用意しておくとか、電話を取ってきてあげるとかまた元の位置に戻すとか、椅子をここに置くとかどけるとか、下着の着替えとか、締め付けられると痛いのでゆったりサイズのパジャマしか着られないということで急いで洗濯して暖房をギンギンに上げて速攻で乾かすとか、脚をちょこっと上げるだけでも激痛の走る相手に靴下を履かせるとか…そういう小さいこと全てが実はどれほど時間と手間を要し、どれほどの体力と気力を消耗するのかということを身をもって経験し、小さい子供の子育てをしながら働くお母さんとか凄いなあ、本当にめぎはその人たちの苦労をまるで分ってなかったなあと、大いに反省したりした。今までずっと、仕事に間に合うように起きて自分の支度さえすればよかったのが、うちのドイツ人の介護の時間も考えてその分さらに早く起きなければならない。疲れて帰ってきてもどんなにお腹が空いていてもまず最初に介護。それから料理。動かないし痛いから食欲のないうちのドイツ人に骨に良いものをなんとか食べさせて、それから後片付け。それからやっと自分が食べながら次の日の授業準備。やっと寝る頃にもう一度介護と次の日の朝の段取り。夜中にも痛いと言って起こされる。そして何と言っても辛かったのは、あっという間に何もできなくなった夫を目の前にして、これ、このままでいいのか?本当に治る方向に向かっているのか?コルセットもはめられないままこうして横になっているだけでよいのか?下手するとこのままあちこち痛くなってもう二度と歩けなくなったりするのでは?…と思考がどんどん悪い方向へ進み、本当にやり切れない気分に陥ったことである。
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有難いことに、一週間ほどで少しずつ痛みが減ってきて、大の方だけでもお手洗いに行って用を足したいということで色々考えて、キャスター付きの仕事用の椅子の背もたれにつかまって歩いてトイレに行くというのを試してみて、成功したのが2月6日。やった~できたね~涙…たった3日の違いだけど、2月3日のこの写真のときはうちのドイツ人はまだかなりぐったりとしてて、めぎも結構絶望的な気分だったのだが、この6日以降は少しずつ前向きに考えられるようになった。13日にはハイキング用ストックを使って歩くことができるようになり、立ったり座ったりもそれを使えば一人でできるようになった。
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カーニバルの週末から、PCの前に座って仕事をしてみる、というのも試してみて、最初は1回に30分が限度だったけど、日に日にもう少し長く座っていられるようになった。これで少しずつ仕事にも復帰できて、さらには食事のためにキッチンに来て座れるようにもなり、うちのドイツ人はかなり前向きになった。ちゃんと歩けるようになって普通に生活できるようになるにはリハビリが欠かせないが、行くには階段を下りられるようにならなければ。
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めぎのブログがこのところどうも暗くなりがちだったのはそのようなわけである。義母の突然の死も残念だったけど、実はめぎはフルタイムの仕事と家事と介護の両立と、心配と不安で本当に押し潰されそうだったのだ。
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この辛かった間、買い物に行くついでに写真を撮るとか、懐かしい思い出の写真を見ながらブログを書くとか、Duolingoに没頭するとか(自分のためになることをしているということでものすごく気晴らしになり、没頭しすぎてダイヤモンドトーナメントに入賞した!)、覚えたての片言のイタリア語でうちのドイツ人に話しかけて笑いをとるとか、そういうことで気を紛らわしていた。仕事をしている間は忘れていられたし(生き生きとした若い生徒たちの中にいると何だか自分が場違いな気もしたが)、友人たちが優しい言葉をかけてくれたり、料理を持ってきてくれたり、家の仕事を手伝ったりしてくれたことが本当にありがたかった。ある友人のアドバイスでマルクト市場やパン屋以外の買い物をスーパーの宅配に切り替えたのだが、それは本当に助かった。めぎも介護で背中が痛くなってたし、牛乳とかトマトジュースとか洗剤とかバナナとか下準備されたザワークラウトとか、重いものを指定した時間に4階まで届けてくれるのだもの。
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ここ数日どんどん回復してきてて、振り返ってみれば、完全に寝た切りだったのはほんの1週間程度だし、料理など家事をすべて請け負うことになってからもまだ1ヵ月半で、長年介護や看病をしている方々にしてみたらお笑いのようなものだろう。が、寝たきりだった1週間は、人間ってこんなにも急に何もできなくなったりするんだ、いつかはこれが、もう治らないという方向に切り替わる日が来るのだ、その日がもしかしたらそんなに遠くないかも知れないのだ、とめぎに教えてくれた。
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それに、ここまでどんなにたくさんのことをうちのドイツ人が担当してくれていたのかもよく分かった。帰ってきたら夕食ができているというのは本当にありがたいことだし、朝コーヒーを入れてくれるというのも本当に幸せなことだ。買い物に行ってくれたり、宅配を受け取っておいてくれたり、ストライキの時に学校まで送ってくれたり…二人で生きていると、こんなに楽なのだ。その一人が欠けるだけで、こんなに負担が増えるのだ。感謝しなきゃなぁ…
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2月15日の夜には、めぎが段取りしておいてあげたものを炒めたり茹でたりすることができた。まだどこかにつかまっていないと立っていられないし、従って立ちながら両手で何かをすることはできないのだが、片手で台に寄りかかりながらもう片方の手でやっと料理らしきことができて、うちのドイツ人はとっても嬉しそうだった。

小さな子どもの時には想像もできなかったこと、若いときには全然思いが至らなかったこと、まだまだいっぱいあるなぁ。
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