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再び実家で [2023年夏 日本]

今日は今年(2023年)夏の日本でのお話を。今日の写真は全てスマホ撮影。

小学校時代の担任の先生の家で一夜を過ごしてきためぎは、お昼過ぎに再び実家に戻ってきた。戻ったときは妹はまだ到着しておらず、母も買い出しに出かけてて、その間に父と二人で空港へ送ってしまうスーツケースと東京で泊まるホテルへ送る荷物を発送に出かけた。
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歩きながら、その機会に近くの葬儀屋の場所を教わって「葬式の手配はここでできる、その時にはこんな風な葬式と墓で…」というような現時点での父の考えを聞いたりした。
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その内容は、以前若いときに聞いていたのとは違っていた。状況が変わってきたので、現実を見て臨機応変に変更したのだ。葬儀のことに限らず、その他様々な近況やら親戚のことやらなにやらについて極めて具体的で実際的で現実的な父の言葉を聞きながら、ふと、かつて子どもの頃の進路の相談の時に極めて現実的で身も蓋もないほどの事実を突きつけられたことを思い出した…父は子どもの頃めぎのしていることに口をはさむことは全くなかったが、ここ一番の最も大事な時にハッキリとめぎの進路を現実に基づいて…めぎと父の双方の可能性と不可能性の両方を冷静に鑑みて…決定するという大役を果たしたのだった。
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今のめぎの極めて現実的かつ実際的・実用的な性格は、多分に父から受け継いだものなのだろう。事実を受け入れるのは時に厳しく辛く、冷静さ、ある意味冷酷さも兼ね備えていなければならないが、現実を受け止め、その現実に即して臨機応変に修正していけば、道はちゃんとどんどん開ける。当時の進路の決定の先に今があるわけで、めぎは父に本当に感謝している。
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この時の父との時間は特に心に残っている。言葉よりその話し方のトーンとか、父の佇まいが今も目に浮かぶ。淡々と語っているようでいて、でもしっかり準備しておいたらしくキッチリ必要な話を順番に切り出し、大事な点を網羅し、限られた時間を決して無駄にしない姿勢がそこにあった。だらだらと一緒にいるよりぎゅぎゅっとエッセンスを凝縮した建設的な時間を過ごした方がずっといいとめぎは思う質なのだが、会うのが7年ぶりである上に今回の滞在期間は非常に短く時間が確かにものすごく限られていて、親にその短い時間にキッチリ話をするという配慮をさせて申し訳なかったな…とちょっと思う。
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でも、自分が最も生きやすく最も自分の力を発揮できる場所を選んでいったらドイツ暮らしになったので、そして、自分が最も無理なく心地よく実家で過ごすにはと考えて決めた時間がこの時間だったので、その判断は親の期待や希望には代えられない。めぎはそういう人間で、本当に申し訳ないことだ。その現実を受け入れて文句ひとつ言わず臨機応変に対処してくれた父は、ホント凄い。
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めぎはバルコニーライフがものすごく大事な地で生きていて、ここにはこの生活がある。かつて一つの生活を一緒に送っていた我々が、めぎは別の新しい生活を送り、親は娘が巣立って行った後の(跡の)生活を送る。今やめぎはここでは全くのお客さんであって、分かち合えるのは思い出だけだ。この現実を受け入れ、それぞれがそれぞれの人生を全うするというのが、恐らく人間にとって最も難しい試練なのではないかな…ちょっと大袈裟に聞こえるけど、そう思った。そういう意味で、父はただ娘を喪失しただけの人生ではなくめぎの知らない自分の人生を謳歌してて、それがとても素敵だと感じた。
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そうこうしているうちに妹も到着し、母も買い出しから戻ってきた。買ってきたものでお昼ご飯。こういうおにぎりや巻きずしが手軽に変えるのって、いいな~
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ああ、デパ地下でこういうサラダが売っていたわねぇ~懐かしいな。
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おやつもあったがめぎは手をつけていない。めぎ的には日本でドーナツを食べている場合ではないので。早く消化して、晩御飯に備えねばね。
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