階段の秋 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]
現在、10月末の秋旅の話を連載中。
ウィーンのリンク内をてくてく散歩して、リンク外までやってきた。ここはフロイト博物館の近く。シュテファン・ツヴァイクが学んだ学校だと表示が出ていて、思わずパチリ。
その同じ建物にこんな表示も。週末や放課後に教室を借りて運営しているようだ。
そこからさらに歩いて、たまたま見つけた趣ある門。
そして、ようやくこの日の目的地に到着。Strudlhofstiege(シュトゥルードゥルホーフシュティーゲ)と言うところである。
シュトゥルードゥルというのはこの丘の上に18世紀初頭に絵画学校を作った人の名前。ホーフというのは中庭とか中庭を持つ大きな館という意味で、つまりシュトゥルードゥルホーフは丘の上のその学校の建物の名前。最後のシュティーゲは階段。階段が作られたのは1910年で、手すりなどはユーゲントシュティール。つまりここは丘の上のその昔絵画学校だったところへ上る階段の名所なのだが、そう言えば階段の全体像を撮るのを忘れたわ・・・ここまで歩くので意外と疲れちゃって。階段がジグザグにシンメトリーになっている面白いところなのだけど。
この階段を見てみたいといい出したのはうちのドイツ人。Heimito von Doderer (ハイミート・フォン・ドーデラー)という作家の本に出てくるから。この泉の左に作家のこの階段に関する詩が掛かっている。
詩は階段と秋を歌ったものなのだけど、ユーゲントシュティールの柵に秋が絡まっている様子は素敵だった。光がなくて残念な写真だけど。
上から見た景色。
上りきったところの空間。ピンぼけだけど。
そんなに感動するような場所でもなかったが、ウィーンの見所をまた一つ制覇したという感じ。晴れていたらまた印象が違ったかしらね。
そこからまた歩いてリンク内に戻り、宿の近くのHoher Markt(ホーアー・マルクト)の屋台で軽くお昼。うちのドイツ人としてはこれがウィーン名物のソーセージで、ウィーンに来たら一度は絶対に食べないと、と。焼きソーセージはドイツやオーストリアにゴマンとあるけど、このタイプ・この焼き方・この出し方はザルツブルクでもお目にかかれず、いや、一応似たようなのはあるけどやっぱりちょっと違ってて、ウィーンならではのものらしい。めぎ的には特に美味しいものでもないが、うちのドイツ人は大満足。若い頃ウィーンで食べた思い出の味なのだろう。(追記)横に写っている黄色っぽい物は辛子。あまり辛くなく、ちょっと甘めで、大量につけていただく。
撮影: D600 + 20mm(F1.8)
ウィーンのリンク内をてくてく散歩して、リンク外までやってきた。ここはフロイト博物館の近く。シュテファン・ツヴァイクが学んだ学校だと表示が出ていて、思わずパチリ。
その同じ建物にこんな表示も。週末や放課後に教室を借りて運営しているようだ。
そこからさらに歩いて、たまたま見つけた趣ある門。
そして、ようやくこの日の目的地に到着。Strudlhofstiege(シュトゥルードゥルホーフシュティーゲ)と言うところである。
シュトゥルードゥルというのはこの丘の上に18世紀初頭に絵画学校を作った人の名前。ホーフというのは中庭とか中庭を持つ大きな館という意味で、つまりシュトゥルードゥルホーフは丘の上のその学校の建物の名前。最後のシュティーゲは階段。階段が作られたのは1910年で、手すりなどはユーゲントシュティール。つまりここは丘の上のその昔絵画学校だったところへ上る階段の名所なのだが、そう言えば階段の全体像を撮るのを忘れたわ・・・ここまで歩くので意外と疲れちゃって。階段がジグザグにシンメトリーになっている面白いところなのだけど。
この階段を見てみたいといい出したのはうちのドイツ人。Heimito von Doderer (ハイミート・フォン・ドーデラー)という作家の本に出てくるから。この泉の左に作家のこの階段に関する詩が掛かっている。
詩は階段と秋を歌ったものなのだけど、ユーゲントシュティールの柵に秋が絡まっている様子は素敵だった。光がなくて残念な写真だけど。
上から見た景色。
上りきったところの空間。ピンぼけだけど。
そんなに感動するような場所でもなかったが、ウィーンの見所をまた一つ制覇したという感じ。晴れていたらまた印象が違ったかしらね。
そこからまた歩いてリンク内に戻り、宿の近くのHoher Markt(ホーアー・マルクト)の屋台で軽くお昼。うちのドイツ人としてはこれがウィーン名物のソーセージで、ウィーンに来たら一度は絶対に食べないと、と。焼きソーセージはドイツやオーストリアにゴマンとあるけど、このタイプ・この焼き方・この出し方はザルツブルクでもお目にかかれず、いや、一応似たようなのはあるけどやっぱりちょっと違ってて、ウィーンならではのものらしい。めぎ的には特に美味しいものでもないが、うちのドイツ人は大満足。若い頃ウィーンで食べた思い出の味なのだろう。(追記)横に写っている黄色っぽい物は辛子。あまり辛くなく、ちょっと甘めで、大量につけていただく。
撮影: D600 + 20mm(F1.8)
マルタ騎士団教会 [ウィーンとブルゲンラント 2017年秋]
今日からまた10月末の秋旅のお話を。
ウィーン3日目、話は夕方に突入。
暗くなっても賑わいの衰えないケルントナー通り。
その一角に、見落としがちだけど教会がある。
とても小さい教会だが、中はとても綺麗。
教会の中で目につくこの赤い旗に雪の結晶のような星のような十字。
これはマルタ騎士団の紋章なのだとか。マルタ騎士団というのは、もともとは聖ヨハネ騎士団と言い、12世紀の十字軍遠征の頃に発足。16世紀、ハプスブルグ帝国がオスマン・トルコの襲撃を受けていた頃、共に戦った聖ヨハネ騎士団に神聖ローマ帝国の皇帝(ハプスブルグ家)がマルタ島を与え、マルタ騎士団という名前になったらしい。レパントの海戦の様子を描いたのではないかと思うこんな彫り物があった。
その後マルタ島はナポレオンが支配し、更にイギリスが支配し・・・という歴史を経て、今はマルタ共和国となっている。領土を失ったマルタ騎士団はローマに宮殿を持ち、そこは治外法権となっているそうだ。イタリアやスペインや東欧やロシアなどとは国としての外交関係もあるらしい。つまりオーストリアはこのマルタ騎士団を国家として認めているということである。領土はないのに人口は1万3千人ほど。不思議ね・・・。
何はともあれ、そんなこのマルタ騎士団教会には、ヨハネによってイエス・キリストが洗礼を受けている絵がかかっている。つまりこのヨハネというのは洗礼者ヨハネのことで、使徒ヨハネではない・・・うーん、ややこし・・・
小さい教会だが可愛らしいオルガンも。
結構多くの人が蝋燭を捧げていったようだ。
こんなきれいな教会を見つけるなんて、やっぱりフルサイズカメラ持ってくるんだったな・・・と思いつつ撮影したが、1インチのV3、ホント健闘してるわよね。これだけ写るから安心して持ち歩けるし、楽しめる。
ここに来るまでマルタ騎士団の存在すら知らなかっためぎ。まだまだ知らないことがいっぱいあるな~と思いながら後にした。
撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
ウィーン3日目、話は夕方に突入。
暗くなっても賑わいの衰えないケルントナー通り。
その一角に、見落としがちだけど教会がある。
とても小さい教会だが、中はとても綺麗。
教会の中で目につくこの赤い旗に雪の結晶のような星のような十字。
これはマルタ騎士団の紋章なのだとか。マルタ騎士団というのは、もともとは聖ヨハネ騎士団と言い、12世紀の十字軍遠征の頃に発足。16世紀、ハプスブルグ帝国がオスマン・トルコの襲撃を受けていた頃、共に戦った聖ヨハネ騎士団に神聖ローマ帝国の皇帝(ハプスブルグ家)がマルタ島を与え、マルタ騎士団という名前になったらしい。レパントの海戦の様子を描いたのではないかと思うこんな彫り物があった。
その後マルタ島はナポレオンが支配し、更にイギリスが支配し・・・という歴史を経て、今はマルタ共和国となっている。領土を失ったマルタ騎士団はローマに宮殿を持ち、そこは治外法権となっているそうだ。イタリアやスペインや東欧やロシアなどとは国としての外交関係もあるらしい。つまりオーストリアはこのマルタ騎士団を国家として認めているということである。領土はないのに人口は1万3千人ほど。不思議ね・・・。
何はともあれ、そんなこのマルタ騎士団教会には、ヨハネによってイエス・キリストが洗礼を受けている絵がかかっている。つまりこのヨハネというのは洗礼者ヨハネのことで、使徒ヨハネではない・・・うーん、ややこし・・・
小さい教会だが可愛らしいオルガンも。
結構多くの人が蝋燭を捧げていったようだ。
こんなきれいな教会を見つけるなんて、やっぱりフルサイズカメラ持ってくるんだったな・・・と思いつつ撮影したが、1インチのV3、ホント健闘してるわよね。これだけ写るから安心して持ち歩けるし、楽しめる。
ここに来るまでマルタ騎士団の存在すら知らなかっためぎ。まだまだ知らないことがいっぱいあるな~と思いながら後にした。
撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)