誰もいない古代オリンピアスタジアム [ギリシャ]
現在、3月末~4月初めのギリシャ・ペロポネソス旅行記を連載中。
人が来ないうちに、あのアーチの方へ!
・・・と言いつつ、V3と望遠レンズでも撮影。
そして、いよいよこの入り口のところまでやってきた。そう、ここは古代オリンピアスタジアムの入り口。
そもそもギリシャのペロポネソスへ行きたいと思ったのは、オリンピアを見たいと思ったから。そのオリンピアで何を見たいかと言えば、オリンピック発祥の地に他ならない。神殿などの遺跡も魅力的だけど、うちのドイツ人にとって最も大事だったのはこの競技場跡だったのだ。
足下に長い長いミミズがいた。大きさが分かるようにうちのドイツ人の手と一緒に撮影。
このままにしておくとあとからやってくる人々に踏みつぶされちゃうだろうと思って、木片を拾ってすくい上げてこの草むらの方へ返しておいた。
あのミミズはもしかしたら紀元前にオリンピアで競技が行われていた頃にここに生きていたミミズの末裔だという事よねえ・・・そう思うと、なんか凄くない?
ここを通りながら、ふと、向こうにたくさんの観客が待っているような気がした・・・
この空間に出た瞬間、わぁ~~~~~~!という歓声が聞こえるような気がした。
ミミズたちが競技した跡。
かつての観客たちは観客席など無く、競技場まわりの地べたに座って観戦したらしい(最後のローマ期になってようやく木製の席が作られたとか。もちろんそれは残っていない)。雨が降るとちょっと大変だっただろうな。でも、当時オリンピックは8~9月だったという事だから、暑くてカラカラだったかな・・・夏のギリシャはほとんど雨が降らないはず。
石造りの席(祭壇)に座ったのは、デメテル女神の巫女のみだとか。
あれこれ撮影していたら、うちのドイツ人がここにおいでとめぎを呼んだ。あらま、いつの間にあんなところに。
古代人になったつもりで見下ろしてみる。と言っても当時は、巫女さん以外男性しか観戦が赦されなかったらしいけど。
トラックの幅は30m、長さは192m。4万人も収容できる規模だったとか。いや、ここに4万人も座って観戦していたかと想像すると、ちょっと凄い。結構ぎゅうぎゅう詰めよね。
このスタジアムは紀元前4世紀に作られた3代目。だから、ここがオリンピック発祥の地というのは正確には誤りだが、1代目と2代目もこのオリンピア遺跡の中にあったとのことだからそんなに離れてもいない。3回も作り直したのは、観客が増えたからだとか。当時の観客は後ろの山の方からここへ入ってきたそうだ。ちょうどめぎたちが前日夕方に見下ろした場所の辺りからだわね。左上のガードレール、見えるかな。
古代オリンピックは確認されただけでも紀元前8世紀頃から紀元後4世紀まで、4年ごとに1200年も続いた競技会だったのだとか。競技は5日間だけだったらしいが、戦争の絶えなかった古代ギリシャ・ローマ時代に競技者の認定までの合同練習期間なども含め開催前後3ヶ月間も停戦し、それが1200年一度も途切れることなく続いたのだというから、もしかしたら昔の人たちの方がきちんと節度を持っていたのかななどと思ってしまう。しかし、4世紀にキリスト教が国教となって、ギリシャの神ゼウスへの奉納試合であった競技会は廃止、その後ギリシャ神話の神々の神殿が異教神殿として取り壊された。遺跡がこれほどバラバラに壊れ、神々の顔などが剥がされているのはその所為だ。今の過激な人たちとやっていることは同じだわね。さらに6世紀頃の大地震でオリンピアは埋没。発掘されたのは1875年のこと。
このスタジアムは2004年のアテネオリンピックの折に砲丸投げの会場として使われたそうで、それでこんなに綺麗に整地されているのだろうと思う。ちなみにそのとき、遺跡を傷つけないように観客席も電光掲示板も照明灯も作られないままだったという話だが、2004年もこの緑の上に観客たちが座って観戦したということなのかしら。それもまた凄いわねえ。
古代オリンピックがあった頃にもここにこんな花が咲いていたのかな。
雨に打たれてちょっと重たげな赤い花、可愛い。
芥子かな?
石がこんなに風化していく2千年以上もの間、花は毎年毎年新しく生まれ変わってきたのよね。
当時の観客はここでピクニックしながら観戦したのかしら。物売りとかもいたのかしら。ワイン飲みながら大騒ぎしたのかしら。それともアルコールは競技が終わるまで御法度だったりしたのかしら・・・色々空想が膨らむ。
テレビもインターネットも雑誌もマンガも、一般の人々には本も無かったであろう古代の当時、しかも戦争の絶えなかった当時、競技会はきっと人々にとって4年に1度の大々的なお祭りで、どれほど楽しくワクワクしながら観戦したことだろう。きっと今の観光客どころではない数の人々がここに一度に集まり、競技に燃えたんだろうな。遺跡の中には宿泊施設の跡もあるし、神々への供犠のあとは肉の配分もあったという。そんな話を聞くと、当時の人々の高揚や競技会の躍動感が甦ってくるようだ。
そんなことを想像したりしながら結構ゆっくり写真を撮り、大満足でそろそろスタジアムをあとにすることにした。当時は競技者と聖職者と王族などしか通れなかったというこの通路は、ここを通る人の心を高揚させるような、何か特別な力を持っているような気がした。
誰にも邪魔されず、めぎ家二人だけでこのスタジアムを独占することができた幸せは一生忘れないだろう。さようなら。素敵な時間をありがとう。
通路の石の上に生えていた植物。
V3と望遠レンズでも撮影。
そして、現実の世界へ・・・と言ってもあちらも遺跡だけど、でも、本当にそんな感じがしたのだった。
遺跡の話はもうちょっと続く。
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
オリンピア遺跡の石たち [ギリシャ]
昨日は聖霊降臨祭で祝日だったドイツ。つまり3連休だった。その翌日である火曜日も、学校(小学校から高校まで)はお休み。だから生徒たちと同僚たちは4連休。でも、大学は休みじゃないので、めぎは今日から仕事。時々、大学も州のカレンダーを考慮してくれたらいいのになあと思ったりする。教職員にも子どものいる人がたくさんいるだろうに、そういう人たちが子どもと一緒に休めるように考えるということはないのかしら・・・
さて、現在、3月末~4月初めのギリシャ・ペロポネソス旅行記を連載中。
古代オリンピック競技場を堪能して、今度は神殿などの遺跡のエリアへ。
ついさっき綺麗だなあと思いつつ足早に素通りしたところを、ゆっくりと撮影。
V3と望遠レンズでも。
ここからまたD600で。石たちにはなにやら刻まれている。
ロープで立ち入りを制限しているところもあるが、野放しのところもたくさんある。だから、相当接近して撮ることができる。
あの辺りはゼウスの神殿。
古いドリア式の土台がごろごろ。
このとき、まだ人がいなかった。これは朝8時45分頃の撮影。左にV3と望遠レンズを下げ、メインでD600と24-70mmレンズで撮影。
こちらはヘラの神殿。ヘラというのはゼウスの后。
ここは、あのオリンピックの聖火の採火が行われるところ。
あの白い服を纏ったギリシャ女性たち(巫女かしら)がここで採火するのね。
その向こうには、いかにもギリシャ神殿の遺跡という感じのフィリペイオンというところが見える。
フィリポス二世というマケドニア王が戦争勝利記念に建てたのでフィリペイオンという。
土台の部分は修復したみたいね。
紀元前4世紀の建物だが、ギリシャ神殿的には新しいもので、イオニア式。ここから3枚はV3と望遠レンズで撮影。
望遠、持ってきてよかったなあ。上の方がハッキリ見える。これ、その昔どうやって積み上げたのかなあ・・・
・・・などと思っていたら、なにやら声が。おおお~!
↑これは高校生くらいのアメリカ人の団体さん。若者たちの声はまあ賑やかなこと。修学旅行かしら・・・話していた英語がアメリカ訛りだったのだが、アメリカからギリシャに修学旅行って凄いなあ。
ここからまたD600で。向こうからもぞろぞろぞろぞろ。来た来た~~
一気にまわりががやがやと騒がしくなり、うちのドイツ人は、時間だ、行くぞ!はーい・・・
そして、入り口に戻ってきた。
ここにも修学旅行っぽい団体さん。
あ、昨日タベルナ(大衆食堂)で隣に座ったフランス人カップルだわ~その向こうには賑やかなアジアの団体さん。
ぞろぞろぞろぞろ。この人たちと逆行していくめぎたち。
みなさん、いってらっしゃーい♪ このとき9時4分。
こうして約1時間のオリンピア遺跡巡りを終えた。人気がなかったのはそのうち50分くらい。なんて素晴らしい充実した時間だったことかしら。ちなみに、遺跡の全てを見た訳ではない。実は半分くらい見ていないのだが、見たいものを絞り、それに時間をかけて全身で「感じる」ことを優先しているため、満足感もあれば、充足感でドッと疲れも。これ以上何かを見てももう感じることができないという満腹感だった。
感動でハイテンションのめぎたちは、この誰もいない帰り道をほとんどスキップするかの如く歩いて戻った。
新緑が美しかったな~
駐車場に並ぶバスたち。いやあ、これに先駆けたと思うと嬉しい。
以上、オリンピアの話はこれでお仕舞い。この後めぎたちはスパルタに向かった。ギリシャの話はまだ3分の1くらいしか終わっていないが、残りはまたそのうちに再開することとし、明日からはまたしばらくドイツの日常のお話を。
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
2015年春のギリシャにて [ギリシャ]
今日から思い切って2015年春のギリシャ・ペロポネソス半島の旅の話を始めようと思う。コリントスとオリンピアの話をしたところで途切れてしまい、それからもう3年も経ってしまったが、埋もれさせてしまうのは勿体無いなあと。
とは言えあまりにも前のことなので観光地のことだけを載せてさっさと終わらそうかとも思ったのだが、写真を見ていたらなんだか自分でも懐かしく面白くなってきて、結局移動のことなども載せることにした。今日の話は、オリンピアからスパルタへ向かう道中のこと。
途中でこんな羊さんたちを追い抜き・・・
海に出た。
これはイオニア海。
ギリシャ文字で書かれた標識。ギリシャ入りする前に標識を読むためギリシャ文字を覚えておいたので、あっちだよ~と指示が出せる。地図を見つつナビをするのはめぎの役目。まあうちのドイツ人も予め地図を見てだいたいの方向をざっと覚えているけどね。
途中でガソリン補給。
ギリシャ文字の解読が楽しかった。
しばらくはこんな道を走り・・・
時折現れるザ・ギリシャな景色におお~と声あげつつ・・・(遺跡を見るとこういうのはずいぶん新しいとわかるのだが、パッと見ると古そうよね)
しばらくアウトバーンに。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
とは言えあまりにも前のことなので観光地のことだけを載せてさっさと終わらそうかとも思ったのだが、写真を見ていたらなんだか自分でも懐かしく面白くなってきて、結局移動のことなども載せることにした。今日の話は、オリンピアからスパルタへ向かう道中のこと。
途中でこんな羊さんたちを追い抜き・・・
海に出た。
これはイオニア海。
ギリシャ文字で書かれた標識。ギリシャ入りする前に標識を読むためギリシャ文字を覚えておいたので、あっちだよ~と指示が出せる。地図を見つつナビをするのはめぎの役目。まあうちのドイツ人も予め地図を見てだいたいの方向をざっと覚えているけどね。
途中でガソリン補給。
ギリシャ文字の解読が楽しかった。
しばらくはこんな道を走り・・・
時折現れるザ・ギリシャな景色におお~と声あげつつ・・・(遺跡を見るとこういうのはずいぶん新しいとわかるのだが、パッと見ると古そうよね)
しばらくアウトバーンに。
つづく
撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)