頂上からの眺めと妹の思い出の場所 [イタリア・ウンブリア州]
現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。あと2回。
昨日の石造りの入り口を入っていき・・・
こんな螺旋階段を上ると・・・
とうとう頂上に!
あの骨組みもずいぶん下に見える。
向こうの山々も素敵。
下を見下ろせば、崖に造られた建物が。
裏を振り向くと稜線が。
いかにもウンブリア州という景色。登ってみてよかった。
それからまた鳥かごで下界へ。
この鳥かごリフトは定員2名。行きはめぎと妹が一緒に乗ったのだが、高所恐怖症のうちのドイツ人にはかなり過酷な旅だったらしい・・・それで、帰りはめぎとうちのドイツ人が二人乗り。
妹は一人でも全然平気。いろんなポーズをとっていた。
高いところから見ると町の作りがよく分かる。ここが旧市街との境界線なのだな。
真ん中にあの執政官宮殿。めぎたちの泊まっているところが手前にあって、その左側にホテル前の広場が写っている。
妹たちがコンサートをした修道院。
下に降りてから、めぎたちは妹の案内で彼女が音楽祭で使用した場所を訪れた。ここはある教会の前。
中はこんなに綺麗なの。
ここで妹たちはレッスン受講中のある夜に小さなライブコンサートをしたのだとか。
でも、控え室として使った場所はすっかり片付けられていて、中でつながっている隣の建物ではバイオリンのコースがレッスン中だった。
ここでコンサートやったのはホンの数日前のことなのになあ・・・と感傷的な妹に、うちのドイツ人がたぶん気分を切り替えさせようとしたのか、こんなバカなことをし、妹もそれに倣ってポーズ♪
きみたちは・・・はあああ。罰が当たるわよ。いや、それを撮影するめぎもめぎだけど。
ちなみに隣の建物もこの教会の一部で、そこにこんな回転棚があった。うちのドイツ人の予想では、これはその昔貧しい人に食べ物を与えたところか、または、子供を産んだけど育てられない人が捨て子を置いたところではないかと・・・へえええ、そうなの!?
それから、妹たちがレッスンを受けていた場所とやらも訪ねてみたが、こちらは完全に閉まっていて、既に入れないようになっていた。関係者しか分からない通用口もあったが、それも閉まっていた。それを見て、本当に終わってしまったんだなあ・・・となんとも言えない気分に浸る妹・・・そうね、何事も、時は無情にも過ぎていき、楽しみにしていたイベントは終わっていくのだ。たぶん彼女にとってイタリアまで歌を習いに来るというのは物凄く大きな出来事だったのだろう。そりゃそうよね、旦那の許しを得て、職場の許しも得て、休みを取ってお金をかけてここまではるばる来たのだから。お盆休みを早めにとる形で音楽祭参加に充てたため、お盆には旦那と一緒に帰省することができず、週末だけ旦那の実家に顔を出す予定だと言っていた。それって、日本で結婚している女性としては、結構大きな決断だわよね。
それからめぎたちは一度それぞれホテルに戻り、めぎたちは部屋でまったり昼食とお昼寝をし、妹は参加者と一緒に昼食を取って何かしていたらしい。それからまた夕方に待ち合わせをして夕食を食べに行った。ここは待ち合わせをした場所の近くにあった教会。
妹はこのとき非常にのんびりペースで、実はめぎ家は待ち合わせの度に30分から1時間待たされた。それも、めぎたちがもうホテルを出てから、いやそれどころかその待ち合わせの時間を過ぎてから連絡をしてくるのだった・・・そんなわけでこのときも45分ほど待たされ、待っている間にうちのドイツ人はバールでビールを飲み、めぎはこの教会をちらっと見学した。
もう少し早めに連絡をくれればホテルでもっとゆっくりできたのに、と待たされるのが度重なるうちにうちのドイツ人がだんだん腹を立てた。めぎ自身も、妹といっしょにいられる極めて限られた時間を楽しみにしていたのに、いつも遅れて来られて正直腹が立った。たぶん妹はめぎたちと一緒にいるより自分の音楽祭の余韻に浸っていたかったのだろうな。そこにもっと早く気づいて別行動をすればよかったのだけど。きっと妹自身もそこにハッキリと気づかないまま無意識に遅れるという行動でそれを示していたのだろう。よく小さな子どもが学校へ行きたくなくて(もしくはうちにいたくて)朝の支度を殊更ゆっくりするみたいに。
アドリア海へ [イタリア・ウンブリア州]
現在、昨年夏のイタリア旅行記を連載中。本日めでたく最終回。
妹が参加した音楽祭の声楽コース受講者たちの日本からの団体さんは現地解散し、すぐに日本へ帰国した方やイタリア旅行に出た方など様々だったようだが、妹はもう一泊だけイタリアに残り、めぎたちと一日ドライブに出かけた。
これは途中で休憩したところ。
グッビオからアドリア海までは一般道を走って1時間ちょっとだったかしら・・・あ、車はめぎ家がローマで空港からレンタカーしてきたもの。
ポルコ・ロッソの世界ね・・・と言っても、飛行機は見あたらなかったけど。
アドリア海の水と小石。
波の音が嬉しい。ドイツの遠浅の北海ではこういう石も波もなくて。
向こうにこんなのが見えた。
妹はこの日も音楽祭の余韻に浸っていた。
海辺をしばらく北へ走り、いかにも海水浴場という感じのところのレストランで食事。そうそう、久々のもーきちさん。このときお連れしていたの♪
前菜にムール貝を食べ・・・
それからうちのドイツ人はトマト味のニョッキを・・・
めぎはこの小エビのパスタを・・・(もちもちっとしててちょっとうどんみたいで美味しかった)
そして妹は魚を。
食べてからちょっと撮影。ね、いかにもヨーロッパの海水浴場って感じでしょ。
暑かったなあ・・・
そしてまたグッビオへ。これは途中で休憩したところ。
どこで飲んでもコーヒーが美味しいのが嬉しい。
帰りにはグッビオの麓の大きなスーパーに寄って、お土産を買った。妹は日本の職場やら親戚やらへのお土産にあれこれと選び、2時間くらいスーパーにいたかしら・・・めぎたちもウンブリア州の地元のワインとか地元のソースとか、目についた物をいくつか購入。それにしてもワインの大きさ、すごいなあ。
そしてその日の夕飯も購入。最終日は部屋で寛ぐことにしたのだった。
本当は夕方のホテルの庭園でのひとときを妹といっしょに楽しみたいと思って妹の部屋も取ってめぎたちのホテルにお招きしたのだけど、妹は日没の時間を部屋に籠もって一人で音楽祭の余韻に浸っていた。
夕飯は生ハムや・・・
ワインや・・・
チーズや果物を堪能。
次の日は車で一緒にローマの空港に向かった。妹の日本行きとめぎたちのデュッセルドルフ行きがほぼ同じ時刻の出発だったのだ。グッビオからローマまで一気に駆け抜け、お別れ。最後の最後まで妹とは時間感覚的にも精神的にもどうもリズムが合わず空回りで、めぎが長いことグッビオについてブログに書けなかったのはそのことをめぎなりに消化するのに時間がかかったからなのだが、あの音楽祭が妹にとってそれだけ非常に大きなイベントだったのだろうと今は思う。彼女にとって声楽は未だ趣味と割り切れず夢を追いかけ続けていて、音楽祭参加はその夢への第一歩のはずだったらしい。震災を経験し、好きなことを好きなようにやって生きようと意識変革したこともあったようだ。めぎとしては、その気持ちが旦那と一緒の人生設計と調和し、夢を追う少女から大人の女性として成長することを切に願う・・・しかし、夢と仕事と家庭との折り合いをつけていくのって、誰にとっても永遠のテーマですわね・・・みなさまはどのようにしていらっしゃる?