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ブランデンブルク門とドイツ連邦議会議事堂 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

ここはベルリンで最も有名なところ。
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31年前、めぎはここから向こう側へ行った。
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西ベルリンの壁を越えて、門のこちら側へ。いや、ちょうどこの辺りは無人地帯で、この辺でパスポート検査と、乗っていた車の厳重なチェックがあったような記憶。無人地帯には戦車もあったし、銃を持った兵士もいたし、ここは写真撮っちゃダメという地帯もあった。そこへ足を踏み入れたそのとき、空気が変わったような気がした・・・そんなことを思い出しながら、ドイツ人たち3人とちょっと離れて一人でここに立ってみた。あのときと同じ場所。でも、あのときと全然違う雰囲気。あのときの空気はもう無い。
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西側を振り返ってみる。
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そうだ、この馬は、こちら側からしか見られなかったのよね。
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馬さん、どこへ駆け出していきたいの?
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そのときのことは以前にも書いたような気がするが・・・めぎはここのどこかで東ドイツの方々に昼食に招かれた。非常に歓迎を受け、貴重な食事を出された。それはたぶんビスマルクヘーリングだったのではないかと思う・・・ヘーリングというのはニシンで、つまりビスマルク風の酢漬けニシン。めぎが好きで時々ご紹介しているニシンの塩漬けではなく、酢漬け。これが、食べ慣れない所為もあったのか、でも臭いがひどくて酢がきつすぎて、異常にまずかったという記憶。高級品を出してくれたそうなのにほとんど手をつけられなくて(5匹も皿に載っていたのが1匹半でギブアップ)、申し訳なかったというのが強烈な印象になっている。出されたものを食べ残すなんて、ものすごく失礼なことだと感じつつ、でもでも全く呑み込めなかったのだ。東ドイツの人たちはいったい何を食べているのかと非常に気の毒に思ったものだった。いや、もしかしたら、酢漬けニシンではなく肉類でも出してくれていたら印象は全然違ったのかも知れないが。

あのときは、めぎの生きているうちにここが東西統一するなんて想像もできなかったな・・・そんなときが本当にこの世にあったのだ。
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あのときの思い出をまた心の奥に仕舞って、ブランデンブルク門をあとにした。
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少し歩くと、壁を越えようとして撃たれたりして亡くなった方々の記念碑。
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うちのドイツ人も友人のご主人の方も、ドイツで兵役に就いた人たちだ。高校を卒業してから、当時は全部で1年半の兵役があった。当時は高校卒業時に19歳になる制度だったから、21歳を超えてからようやく大学に行けた世代。高校卒業と同時に親元を離れ、彼女とも離れ、軍隊の集団生活へ。東ドイツが国境を越えてくることを念頭に、大砲やら銃やら全ての扱い方を修得した。大きな銃は苦手だったが、ピストルの命中率はうちのドイツ人は彼のいた部隊でNo.1だったと言っている。そして、実際に前線・・・東ドイツとの国境地帯に赴いた。それは訓練ではなく当時本当に前線だったのだ。戦争になることは運良くなかったけれど、撃ち合いをすることも運良く無かったけれど、そのときは東ドイツは本当に敵国で、四六時中対峙していたのだ。だから、東西が再統一することになったとき、心中非常に複雑だったという・・・同じドイツ人だけど、彼らにとっては東と西はまるで違う国だったそうだ。あのときの彼らの東への歩み寄りを思えば、今のギリシャ問題などなんでもない気がするとさえ言う。

当時、西ドイツが武器を持つことをもちろんフランスやイギリスはいいことだとは思っていなかった。ポーランドだってユダヤ人たちだって反対だったことだろう。しかしそれが受け入れられたのは、もちろん西側が当時のソ連に対抗するためでもあるが、ドイツが全ての歴史の過ちを認め、謝罪を繰り返したからである。誰しも、過ちを犯しました、申し開きようもありません、と跪く相手には、さらに剣を振りかざしたりはしないのだ。国内にはもちろん反対意見もあった・・・誰も自分の国の代表が他国に頭を下げて詫びるところなど見たくない。しかし、ドイツはそれをやってのけた。そのおかげで自国の持つ権利・・・軍隊を持つ権利も、誰に文句を言われることもなくなった。なんて強かな国だろう。

そんなことをしてきたドイツだからか、ここ数日のドイツ国内の報道を見る限り、今の日本の動きには非常に冷ややかだ。子どもが売るケンカをあなた買うんですか?あなた、西側に属しているけど、大人(=先進国)じゃなかったんですか?だいたい、やったことをやってないと言い出すようじゃ、子どもと同じですねぇ、というような受け取り方だ。まあハッキリ言って極東で何がどうあろうとドイツにはあまり関係ないからどうでもいいけど、いくらアメリカが作った憲法だからってその解釈をころっと変えちゃうなんて、そしてあんな採決の仕方をするなんて、やっぱりアジアって異質で我々には分かりかねるねぇ・・・という感じでもある。ちょうどEU内でケンカを売られて、それを理性的にどう対処するかに頭を悩ませてきたところだから、ことの成り行きが対照的にも見えたかも知れない。ドイツだってパーフェクトじゃないが、隣人と話し合いを繰り返す努力はしているのである。

記念碑が見えるところの日陰にあったベンチで一休み。
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目の前をひっきりなしに通り過ぎていく観光バス。
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ベルリンにはたくさんたくさん外国人観光客がいたが、日本人は全くと言っていいほど見かけなかった。7月初めはまだ夏休みではない所為かも知れないが、日本人にとってベルリンはそれほど行きたいと思うような場所ではないということでもあるんじゃないかな・・・興味の矛先が違うのだろうと思う。ヨーロッパに行くのなら、絵に描いたような美しい街並みを見たいと思うのが普通だものね。

涼んで一息ついて、次にドイツ連邦議会議事堂へ。
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2003年に訪れたときは、ちょっと並べば荷物チェックだけでガラスのドームをすぐに見学できたが、今はテロ防止のため事前予約が必要。今回めぎたちは遠くから眺めただけ。

これはもちろんドイツ国民のためのものだが・・・
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上にはドイツの旗とヨーロッパの旗。ドイツ人たちには自分たちはヨーロッパ市民だという自覚が強い。ドイツ国民だという思いと同じくらい強い。今やヨーロッパを牛耳るドイツだが、ヨーロッパ市民として当然という意識もある。そう胸を張るにはそれだけの裏付けもあるのだなあと感じる旅だった。
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さて、めぎたちは暑さにギブアップして、日陰の多いティーアガルテンを横切り・・・
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ブランデンブルク門の西側を横切り・・・
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壁崩壊25周年記念のアンペルマンにちょっと会釈して・・・(アンペルマンというのは東ドイツの信号機のキャラクター。東西再統一してから信号機も西側化されるのに反対運動が起き、このアンペルマンが一部残され、お土産グッズにもなっている。)
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ポツダム広場を横目に見つつ・・・
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ベルリン一の観光地に別れを告げた。
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そして車でまた移動。これは車の中から写したポツダム広場の一部。
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ベルリンの話、長いわね・・・あとたぶん2~3回。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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Inatimy

アンペルマンのスポンジ、売ってたの見たことあります^^。
日本人に人気の欧州といえば、やっぱりフランスやイタリアなのかしら・・・。
by Inatimy (2015-07-18 06:19) 

YAP

めぎさんの記事からは学ばせていただくことが多々ありますが、今日の記事もいろいろ考えさせられました。

まず、めぎさん自身が東西ドイツの国境をまたいだときの話。
今でこそEU圏内の国境はあってないようなものですが、こういう国境越えが世界中のほとんどのところでは当たり前というか、そこを越えただけで空気が一変するというところ、私自身は体験ないですが、想像できます。いや、私の想像なんて、どこまで合ってるんだか。

それと日本の今の政治の話。
私は基本的に政治と宗教の話は自分のブログに書かないことにしているのですが、このことは書こうか書くまいかずっと迷っています。
周辺国との関係は、それぞれに言い分もあるのでなんともわかりにくい部分があるのですが、今の状況を考えると、何かしら考えていかなければならないというのが私の考えです。
ただ、首相が変わっただけで勝手な憲法解釈をして一気にことを推し進める今のやり方がとにかく怖い。ヒトラーやムッソリーニと変わらないですよ。
選挙に行かないくせに単純に「戦争反対!」と言っているだけの人の行動には疑問なのですが、まったく別の、そういう勝手な理論で強引に進める今の政治に反対です。

長文失礼しました。
by YAP (2015-07-18 07:08) 

Bonheur

ベルリン記事、楽しいですしためになります。まさに「ドイツ再発見」というタイトル通り。
アンペルマン、リアルな感じですね。ぺったりとしたマークしか見たことがなかったです。
by Bonheur (2015-07-18 07:38) 

ナツパパ

ドイツから見て、日本のこの方針転換は不可解でしょうね。
おそらくいらいらしているだろうな、と思います。
弁解ではないけれど、日本は島国なんですよねえ。
明治に至る開国は、黒船よりのイギリスのアヘン戦争が原因だったし、
海外からの刺激に対して過剰に反応してしまう傾向がありますねえ。
それからもう一つ、日本って、概念構造を根底から変えるのが
非常に苦手であるという点。
奈良朝以前にできた律令体制を、結局江戸幕府の終焉、
もしくは第二次世界大戦時まで続けてきたのですから。
鎌倉幕府の御成敗式目、江戸幕府の禁中並びに武家諸法度は、
律令体制の否定ではなくて言ってみれば解釈変更なんですよねえ。
1200年、解釈の変更だけでやって来たというのは変ですね。
...あ、だからといって、今の時代それでこの騒ぎを肯定できるものではないけれど。
それぞれの国は、それぞれの利益や考えに従ってものを言います。
なので、問題は国内での話し合いが出来るか国民が納得できるか、という点でしょうか。
変えるのであれば憲法を変えてから、ということが筋道、と思いますねえ。
by ナツパパ (2015-07-18 08:15) 

ちばおハム

信号機にこのキャラクターがいるんですね。
歩き出したくなるかわいらしさ。
私は今の政権に反対のことが多いです。
国立競技場の予算が立たないのに辺野古の埋め立て予算は計上できるっていう気持ちが、感情が理解できません。
by ちばおハム (2015-07-18 09:36) 

テリー

壁崩壊、東西ドイツの統一は、大変だったでしょうね。

ギリシア問題は、何でもないと言うことですが、チプラス首相が、国民投票で、EU の提案にノーと投票を呼びかけて、
ノーが、多数を占めたときは、ギリシアは、財政破綻、EU離脱、そして、それが、スペイン、イタリアと波及とか、最悪のシナリオも出ていたなかで、チプラス首相が、一転、緊縮財政再建案を提案して、なんとか、合意をとりつけ、ドイツからの厳しい要求の15日までの議会からの承認も、与党からの反対者が40人も出ながら、よく、通過させたものです。
下手な小説や映画のシナリオよりも、はらはらどきどきで、すごかったです。
by テリー (2015-07-18 15:34) 

ぽりぽり

私も今回の旅で旧東側諸国を訪れましたが、独特の雰囲気が今も残りますよね。ベルリンは一度行きたいと思っています。
by ぽりぽり (2015-07-18 20:58) 

らしゅえいむ

うちの子が
じいちゃん・ばあちゃんへのお土産と言って
反射板になったアンペルマンのキーホルダーを
買ってきたことがあります。
緑(歩いている)と、赤(静止している)。
by らしゅえいむ (2015-07-18 22:38) 

ネム

陸続きに別の国がある、という事態が、頭ではわかっても、感覚として想像しにくいように感じます。普段、ここは県境ということはあっても、別の法律があるわけではないし・・・。
日本って、戦国時代でも結局天皇陛下のもとでひとつの国ではあったわけで・・・と考えると、ドイツの方々のヨーロッパ市民感って、そんな感じなのかしら、なんて思ったり。。
by ネム (2015-07-19 17:08)