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義父の葬儀 [文化の違い]

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12月9日、うちのドイツ人の父親の葬儀が行われた。
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亡くなったのは11月19日。義父は葬儀やお墓に関してはすべて自分で決めてすべて費用を払い込んであったのだが、その指示通り火葬を行うにはドイツでは役所や警察の許可が必要で、葬儀屋によると許可には約2週間かかるとのことだった。許可が下りるまでは葬儀の日取りも確定せず、希望を伝えたとは言えその日に本当に葬儀ができるか否かは分からず仕舞いで、結局許可が下りるまで待たなければならなかった。ようやく許可が下りて葬儀の日取りが決まったのが12月5日のこと。その日に葬儀の日も9日と決まった。日取りはほぼ希望通り。場所はハンブルクの墓地で、中に入るとこんなところ。
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土葬の人たちの個人個人のお墓や、少数だが家のお墓もある。ちなみに家としてのお墓を持った場合、一年に最低約1000ユーロ(約10万円程度)払うのだとか。花や木の手入れをしたり石が傾いたりしたのを直したりといったことをすると、追加でそれ以上かかるのだそう。土葬の人たちについては以前義母の連れ合いが亡くなったときにも書いたが、10年から長くても25年契約である。
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上のような一画にそこそこの場所をとっているのは土葬のお墓か、家のお墓。火葬で個人で墓を持った場合、下のような形となる。
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義父は火葬を望んだが、墓石を作ることは望まなかった。匿名で葬られることを望んだのだ。それが最も費用がかからないということもあったのかもしれない。とは言え、そのお金が無いというわけでは決して無い。義父は大金持ちでもないけれど決して貧乏でもなく、おいしいお酒を飲み、おいしいものを食べ、外食やコンサートやオペラを楽しみ、海外旅行も長い休暇に出かけることも決して欠かさなかった。生きている時間を惜しみなく謳歌し、しかし己の分をわきまえて浪費せず妻と子供たちにいくばくかを残すことには気を使ったが、宗教儀式にお金をかけることは決して好まなかった(従って義父は洗礼を受けていたが大人になってからキリスト教を脱会し、ドイツの教会税を払っていなかった)。だから、死後の儀式やお墓にお金をかけることも全く望まなかったのだ。したがって葬儀は無宗教で行い、お墓はこのような立派なオークの木と小さな十字架の立つところに作られた。
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その根元に予め掘られていた穴に、骨壷を埋めた。
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それからしばし、家族は持参した蝋燭を灯してそれぞれに祈りを捧げた。めぎは友人から日本の白檀のお線香を譲り受けて上げることができた。
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ところで、この儀式に関しめぎが最も驚いたことは、義父がすでに火葬されていたことだった。めぎたちはこの墓地に着いたところで葬儀屋から骨壷を受け取ったのである。12月5日に火葬の許可が下りてから9日までの間に、葬儀屋が火葬しておいてくれたとのこと。いつどこで火葬されたのか、家族は誰も知らない。義父は立ち会いを望まなかったし、家族もそれを望まなかったし、そんな考えすら浮かばなかったようだった。基本的にドイツには火葬に立ち会うという文化が無いのだろう。また、お金を払えば葬儀自体を火葬場で行ったり、火葬前に遺体にきれいに服を着せたり化粧したりすることもできるそうだが、長年オペラ座で演劇を生業としてきた義父と奥さんとうちのドイツ人は、実生活で演劇(儀式)を行うことを嫌い、葬儀はいたってシンプルに行うことを望んだのだった。そのシンプルさは、日本で「葬式は簡素に」と考えるレベルの比ではなく、例えば今回の葬儀に関しては花すら用意していなかった。あの冷蔵庫での遺体長期保管といい、この火葬システムといい、さらにこの葬儀の簡略さといい、日本とドイツの基本的な意識のあまりの違いに、めぎはなんとしても自分の両親より長生きせねばと思った・・・文化の違いだから仕方が無いとは言え、めぎの両親にはこの違いは大きすぎて理解を求めるのは恐らく無理だろう。いや、理解はできても、心がなかなか受け入れられないんじゃないかな。めぎだって、うちのドイツ人の葬儀の際にはこのシステムは相当しんどいと思うから。事前に義父で経験しておくことができて本当によかった。

一方でめぎは、義父の死後のあれこれの一連の締めくくりとしてこの埋葬に参加して、ふと憑き物が落ちたかのように心が楽になった。あの冷蔵庫のトラウマも霧が晴れるようになくなって心が軽くなった。遺体をあの冷蔵庫に入れずに自宅に引き取ったからといって、この冷たい墓地に葬ることを免れるわけではない。また、この寒々しい墓地に愛する人を置きっ放しにしてくる哀しさは、どんなに立派な墓だろうと、このような匿名の墓だろうと、どんな立派な儀式をしようと、花すら無くとも、等しく同じこと。現実は義父が亡くなったという事実であって、我々の喪失感は変わらない。心の整理をつけるために儀式が役立つこともあるが、必要以上のことをするよりはゆっくりとでも自分で克服できる強さを持ちたい。だから、遺体の取り扱いに関してはもっとシンプルに、土に還すということだけを考えればいい(そういう意味でめぎはあの金属の骨壷を埋めるのはちょっとどうかと思う)。少なくともめぎは、義母の連れ合いのときのような立派な儀式よりも、義父のような潔さを倣いたい。それはきっとうちのドイツ人も同じだろう。その意思を何よりもめぎは尊重しよう。だって、めぎは、彼らの家族なのだもの。
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それぞれがそれぞれの思いを胸にこのお墓の周りで涙し、最後のお別れをしてここを後にした。振り返ってよくよく見てみると、後ろにここを埋めるための土が用意してあるようだった。
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そして、しばらく戻ってから振り返ると・・・
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きっとどこかに隠れてめぎたちが去るのを待っていたのだろう、作業員の方が早くもお墓を埋める作業に取り掛かっていた。どうもありがとう。お疲れ様。
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お墓の周りにはこの花の生垣があった。春には美しく咲くのだろう。義父は本当に素敵な場所を選んだのだな。
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埋葬を終えて義父と奥さんの自宅に戻り、みんなでチーズとハムをつまみながら、そして飲みながら夜更けまで語り合った。めぎが飲んだのはMarsalaというリキュールとその後メルローの赤ワイン。どれも義父が遺したもの。みんなで義父や子供の頃の思い出話をし、クリスマスや来年の夢を語り合い、寂しくも前向きな気分になった。文化の違いがどれほどあっても、葬儀と埋葬を済ませるとホッとして、程度の差こそあれそれぞれに次のことを考えられるようになるのは、いずこも同じなのかもしれない。夫を失った奥さんがそれに一番時間がかかるのも、いずこも同じ。そして、喪失感がじわじわと押し寄せ、時間が経つにつれてさらにしみじみと感じるのも、いずこも同じような気がする。
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初めて会った瞬間から家族としてめぎをそのまますとんと受け止めてくれた義父。最後の最後まで写真を撮らせてくれてありがとう。最後に会ったときに、最後の最後にあたたかい手でめぎの手をぎゅっと握って、めぎの「お大事に」という言葉にうなづきながら目をじっと見てそしてもう一度ぎゅっと握ってお別れしてくれてありがとう。今までたくさんたくさんあたたかい心をありがとう。どうぞ安らかに。


♪ 12月12日のアドヴェントカレンダー ♪

12日目はまたもやパズルだった!
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コメント 23

Baldhead1010

おはようございます。

死ぬ前に死後の段取りをする・・・できそうでなかなかできない。
by Baldhead1010 (2011-12-13 04:47) 

manamana

文化の違いの大きさに圧倒されますが、
ドイツ式の非常にシンプルな死への考え方が、
究極な個人主義という気がしました。
by manamana (2011-12-13 06:16) 

母ちゃん

これでお義母さまも落ち着かれそうでしょうか? ご苦労様でした。
by 母ちゃん (2011-12-13 06:23) 

YAP

文化の違い、考え方の違いが日本人の思う常識とのギャップを際立たせますね。
ただひとついえるのは、亡くなった後のことまで含めて人生を真剣に考える姿勢がすばらしいということです。
by YAP (2011-12-13 07:34) 

krause

お疲れ様でした。そしてお悔やみ申し上げます。
by krause (2011-12-13 09:16) 

塩

めぎ様の文、特に最後の言葉にじーんと胸をうたれました。
そう長くもないであろう自分の今後の生き方についても、改めて考えさせらけました。(何かお礼を言いたいような気持ちになって一言書かせていただいたような次第です)

by (2011-12-13 09:28) 

uminokajin

大人になってからキリスト教を脱会されたというのは、すごいことだと思うのですが。
by uminokajin (2011-12-13 15:11) 

luces

お疲れ様でした。

by luces (2011-12-13 16:16) 

Inatimy

オークの木の下に眠るまで見届けて、皆で語り合って、
哀しい気持ち、寂しい気持ちはあっても、
少しずつ心で受け止めていけるステップがあるのは大事ですよね。
私も“克服できる強さ”をもちたいな。
by Inatimy (2011-12-13 16:51) 

テリー

文化の違いは、大きいですね。やはり、日本のお墓の方がいいですね。

by テリー (2011-12-13 16:55) 

ナツパパ

記事を拝見していて、ああ、わたしもこうやって貰いたい、と思いました。
お墓や年紀や法事...そういうものは、たしかに日本の文化と言って
良いのでしょうが、あまりにも多くそして煩わしいようで。
出来ればもっと簡素な形に変えたいです。
by ナツパパ (2011-12-13 18:20) 

あかえび

そうか、めぎさんも覚悟が出来たか。
義父君が教えてくれたんだなぁ。有り難いことだね。合掌
by あかえび (2011-12-13 18:36) 

miffy

お義父様はシャクナゲのお花がお好きだったのかしら・・・
最後の幕引きは自分で決めなければいけないのですね。
by miffy (2011-12-13 20:43) 

のび太

いろいろと考えさせられました。
by のび太 (2011-12-13 20:55) 

HIROMI

火葬と土葬を選べるのですね。遺体を大事にする日本人にとっては、火葬に立ち会わないというのは信じられませんが、いろいろな考え方が存在しているのですね。
by HIROMI (2011-12-13 21:42) 

マリエ

最後のめぎさんの言葉にジーンときました(´_`。)良い方だったんですね。広々としたお墓が何だか更に寂しい感じがします。
我が家もどちらかというとお義父様と同じような考え方なので分かるような気がします。
by マリエ (2011-12-13 22:50) 

たいちさん

今回の記事は、本当に文化の違いを感じますね。
by たいちさん (2011-12-13 23:50) 

まる

どんなに文化の違いがあっても、確かに愛する人を
こんな寂しい墓地に置き去りにするのは心が引き裂かれますね。
人はいつか必ず死ぬけれど・・・私もいつか死ぬけれど。。。
たくさん色々考えました。
ドイツの方も土葬だけでなく、火葬もあるのですね。
何だか意外でした。
by まる (2011-12-14 00:04) 

nachic

文化の違いはあるけど、どこかで気持ちの折り合いを付けなければ
ならないのですね。父の亡くなった時のことを、思い出しました。
by nachic (2011-12-14 16:35) 

もんとれ

こちらを拝読しています。大好きな記事だった。
http://megimigi.blog.so-net.ne.jp/2011-01-05
今年のことだったのにね。でも、よかったね。そう思うわ。
めぎちゃん、おつかれさま。
by もんとれ (2011-12-15 06:18) 

ネム

私の母はさらに簡単な…亡くなったら病院の出口からそのまま火葬場へ行き、骨は遺棄してほしいと望んでいます。
きっと、母との絆を大切に大切に握りしめて、それを実行するのが娘としての私の仕事なのでしょうね。
この記事に勇気をもらいました。
めぎさん、お疲れさまでした。
by ネム (2011-12-15 08:22) 

のの

(TT)泣けました・・・;
国が違っても宗教が違っても人種が違っても人間か違う動物かでも、命が消えた時の哀しみはみな同じです。
by のの (2011-12-17 07:32) 

きぃ*

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
義父様の清さに、心うたれました。
by きぃ* (2011-12-28 10:30)