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移動中のことなど [2023年夏 日本]

今日はこの夏(2023年6月末~7月始)の日本でのお話を。非常に取り留めなく雑感の羅列だが。

6月末のこの日、めぎは千葉県で仕事だった。デュッセルドルフは千葉県と姉妹協定があり(市と県の姉妹協定ってどうも不思議なのだが、そういうことになっている)、めぎの勤める学校は千葉県のある学校と交換交流をしている。コロナ後そろそろ交流を復活させる運びとなり、段取りのためにその学校を訪ねたのだった。

で、千葉県で仕事なので、成田空港から札幌に移動することとした。当日朝に東京駅のホテルをチェックアウトして荷物を預かってもらい(めぎはスーツケース2つで日本入りし、1つは東京専用、もう1つは札幌に空港から宅急便で送ってあった)、身軽に移動。これは仕事後成田空港まで移動中に写したもので、成田近くの佐倉市という町のどこか。その昔、蘭学が重要だった時代に「西の長崎、東の佐倉」と言われたほど蘭学の中心地となったところらしい。それでここにオランダの風車が作られたのだとか。あと2週間ほどしたらヒマワリがいっぱい咲いたらしいが、めぎが行ったときはどんより曇りだったせいもあって寂しい景色だった。
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さて、仕事の合間にお昼は一応頂いたのだが、やっと自由になって夕方お腹が空いた。移動は夜に差し掛かるので空港で何か食べようと思っていたのだが、成田空港の国内線乗り場にはあらら~意外、ほとんど何もない。日本の空港って色々レストランが並んでいるイメージだったのに…海外からの乗り継ぎの人たちだって、搭乗を待ちながらまずは美味しい日本食を、と思うんじゃないかなぁ…唯一あったのがこんな立ち食い系で、仕方がないのでそこでかき揚げうどんを頂いた。何もないと言ってもまあおにぎりなど売ってたしこういうのが食べられるのが日本で、いいなぁ便利だなぁと思いながら美味しくいただいた。
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その日は東北地方から北海道にかけてかなりの雨が降っていて、搭乗も遅れた。
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飛び立つ前。日本の航空機がいっぱい。ああ日本だな~ここでピーチという格安の飛行機もあったのだが、めぎがANAを選んだのは、年末年始のボルネオ旅行でマイルが貯まり、この飛行機代が無料になったから。
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このときの飛行機はものすごく揺れた。揺れるので熱い飲み物(スープ)は提供しないとのこと。ちょっと残念。冷たい飲み物も蓋つきで提供された。

やっと着き、JRで移動し、ここは札幌駅。
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めぎは札幌を出てからもう30年以上なので、そしてその間に札幌を訪ねたのはたぶん全部で20回程度でしかも前回は7年前なので、どこが何やらもう全く分からない。表示を見て地下鉄乗り場を探す。東京もそうだったが、マスク姿が多いわね。ヨーロッパにはもう全くいない。閉じ込められ閉め切られる飛行機の中やコンサート会場などにも全くいない。そうそう、最近相次いで知人がコロナにかかったという話を聞いた。かかってももう自己隔離とかないので、普通の風邪と同様の扱いだけど。
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札幌の(「大通」かもしれない)地下鉄乗り場のこういう仕切りは、めぎ、初めてかな…7年前にもあったのか、もう思い出せない。こういう風に仕切りができたところ、この7年でものすごく増えたわね。
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色別に色々表示されてて、とても便利に親切にキッチリしていると言えばそうなんだけど、美的にかなり難だわねぇ…
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ドアの前を開けて整列して待ち、降りる人が下りてからきちんと並んで順番に乗る、というようなことはドイツでは全く指示もされないし、学校などで習いもしないし、躾でそう教えられもしない。そうあるべき、と言うか、その方が気持ち良いし理に適っているんだけど、とにかくそうじゃないのが普通だから、こうみんなが律義に守ってキッチリ並んで待っているのを見て、かなり違和感を感じた。この国はいったい誰に(何に)こんなに統率されているんだろうって思うのだ…ドイツでは、電車の乗り方ぐらい個人の判断に完全に任せられていて、なんて自由なんだろう…そう、ホントにそう思ったのだ。7年というのはそういう時間なのだな。「当たり前」が逆転する。

さて、日本に来てからここまで数日間、ほぼ雨に当たらずに過ごしてきたのだが、とうとう札幌で大雨にぶち当たった。地下鉄の駅から両親の家まで3分ぐらいなのだが、そこで滝のような雨に当たったのだ。6月28日から7月10日までの間で雨にたたられたのはこの日の夜の札幌でのみ。梅雨だから東京で雨の中歩かないで済むように東京駅直結のホテルにしたのに、梅雨がないはずの札幌でこんな目に遭うなんて。しかも、そこにはめぎは住んだことが無いし、夜に一人で来たことも無かったので、あれれどこだっけ…?と遠回りして探す羽目にもなって、あーあタクシーにすればよかった…しかし、これまた親の家の住所を覚えてなくて、タクシーに乗っても行先を言えないし、電話して聞こうにも、めぎは電話を持っていなかったのだ。日本ではスマホのSIMを入れ替えていたのだが、それはデータのみで電話をする機能はなかったので。

で、ようやく着いたのが夜9時半頃。飛行機が遅れなくても8時過ぎになる予定だったので、そして空港で夕食を食べるつもりだったので「食事はいらない」と言ってあったのだが、実際はかき揚げうどん以外何も食べられずに到着。ここで北海道のビールを頂き、空港で買ったおにぎりで夕食。
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それとフルーツを頂いた。白桃と「あじうり」という果物。白桃はまだ出始めで甘みが理想より若干足りなかったが、あじうりは懐かしい味でとても美味しかった。
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7年ぶりに会った両親には申し訳ないが、本当に疲れ果てていて、お話もそこそこに就寝。それが想像できたので本当はホテルでしっかり寝てその次の日のお昼以降にシャキッとして札幌入りする案もあったのだが、夜のうちに行けば次の日の朝から一緒に過ごせるから、と予定を変更したのだ。結果的にはそれで大正解だった。
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7年ぶりの両親の家で [2023年夏 日本]

今日は今夏(2023年7月初め)の日本でのお話を。

7年ぶりの日本、つまり両親に会うのも7年ぶり。めぎはLINEをしないし、父はスマホもPCも使わないし、母はスマホもPCもあるがZoomなどができるほどは使いこなしていないしで、顔を見たのはこの7年間にたった一回、数年前のお正月に妹夫婦がZoomをセッティングしてくれたときのみ。歳を取ったと聞いていたけど、さて。どんな感じかしら。今両親が住んでいるところにはめぎは住んだことはないので、その場所が懐かしいということは全く無いが、久々の札幌、久々の両親、ドキドキ。その場で見るもの聞くものすべてを目に焼き付けるように、めぎはものすごく集中していた。この先もそう簡単には来られない日本、今回はどんな小さなことも逃さない、というが如く。これは一晩明けた朝、父がチラシを確認・仕分けしているところ。これが朝の日課なのだそう。
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↑ドイツには朝の新聞配達という制度が無いので、そして新聞を配達してもらってもチラシは入って来ないので(チラシは郵便局が一週間に一度まとめて持ってくるが、それにはスーパーのチラシぐらいしか入っていない)、こういう風景はとっても異文化。

朝はちょっとゆっくり、8時過ぎの朝食。朝からこんなにたくさん用意させて申し訳ない…特別なものは要らない、日本の普通の朝ご飯というものが食べたい、と言ったのだが、一通り揃えなきゃ、とかえってプレッシャーになったのかもしれないな。母はあれやこれや用意して熱々を出そうとするから、そしてやっと座ったと思ったらお茶やら出し忘れやら気がついてまた席を立つから、ゆっくり座って一緒に味わう暇もない。でもおかげさまでめぎは上げ膳据え膳で本当に美味しく、ゆっくりといただいた。
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それから午前中は父と色々とおしゃべり。おしゃべりと言っても、父の趣味のテニスのことから父方の親戚のこと、そして将来のお葬式やお墓のことまで話はあれやこれや。父は本当に聡明で、短い時間にテキパキと重要なことを話していく。めぎがそれを望んでいるのだろうと察しているところが本当に聡明だと思う。

で、その間に母がデパートまで買い出しに出かけ…というのは近くにスーパーがあるのだけどそこで買えない新鮮なお刺身を仕入れたいとのことで…お昼は簡単に買ってきたもので。こんな立派なものを買ってきて済ませられるなんて、ホント日本って便利だわね。札幌だなあと思うのは、お稲荷さんや巻きずしの中身の色。お醤油の色が濃いわね。北国だなあ。
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母はその後、買ってきたお刺身を仕分けして、一部は2日後の妹も集合しての団欒に備えていた。
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それからめぎは、日本で受け取るために予めネットで色々発注して両親宅に届けておいていたものを段ボールから出し、ほぼ空で札幌に届けてあったスーツケースに詰める作業に取り掛かった。そこで母が、めぎにあげると言って着物と帯を出して来た。ありがとう…
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午後4時近く、母がデパートで買ってきたお菓子とともにお茶にした。
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お茶を頂きながら、両親は野球を見ていた。野球、久々だなあ…そんなスポーツもあったなあと思うほどご無沙汰だ。もう選手もだれ一人分からないし、球団の名前も随分変わったし、そもそも試合のトーナメントの方法もめぎが昔知っていたのと変わったようで、何もわからない。ただ、野球中継のアナウンサーの語り口調と言うか声のトーンが、昔と似たような感じで懐かしく聞こえた。ああ、日本だなぁ…両親はピッチャーがこうするべきとか采配がどうとか、議論している。そうか、こうして二人で過ごしているのね。めぎが子どもの頃は、父は仕事にかかりきりで母とあまり折り合いがよくなくて、こんな風に二人でテレビを見てあーだこーだ議論しているのを見たことが無かったからとても新鮮だった。
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それからまた父の趣味のテニスの話になり、北海道の大会のシニアクラスで優勝して名前が載ったという資料を見せてくれた。これは2位までしか名前が載らないので、3位になったときには悔しかったとのこと。
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その昔、めぎが小さい頃、父には趣味も何も無くて仕事しかなくて、将来年金になったらすることもなくぼけるんじゃないかなんて聞かされていたのだが、定年になる数年前から定年後に備えてテニスを始め、しっかり習ってトレーニングもして大会で80にして優勝を争えるようなレベルになったのだから、そういう意味でも父ってホント聡明だよなと思う。

それから時間が過ぎ、晩御飯。
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お刺身さえあれば他は何も要らない、と言ってあったので、母が新鮮なのを買いに行ってくれたのだ。甘エビ、北寄貝、ヒラメ、ツブ貝。北寄は湯通ししていない本当の生で、だから赤じゃなくて黒っぽい。ツブはコリコリ。ああ、幸せ。お母さん、ありがとう。
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そして、生のイカを買ってきて皮を剥いで作ってくれたイカ刺し。透き通るようで甘くておいしかった。
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お酒は国稀。父がお正月など特別な時に飲んでいるお気に入り。右側の細い透明な便は、夏なので冷やすために使ったもので、でも父は常温が好きなのでそのまま。ちなみに普段の晩酌はパックの黄桜辛口一献だとのこと。年金暮らしの現実を垣間見る。
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そして食べ終わった後の食器洗いは父がしていた。これも、現役時代には考えられなかったこと。人って変わるのだな。歳をとっても状況に応じて変われるというのが素敵。めぎもそうありたいな。
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80のお祝いに両親を訪ねたのだが、めぎのためにこんなに色々してくれて、どっちが祝われているのやら。両親健在でこんな経験ができて、本当にありがたいことだった。
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札幌の実家3日目の朝 [2023年夏 日本]

今日は今年2023年7月初めの日本でのお話を。

札幌での3日目の朝、前日と同様、たくさんの料理が並んだ。お母さん、ホントありがとう。
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朝食後、父が新聞を読んでいた。
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母が片づけをしているキッチンをちょっと覗くと、可愛い色の鍋(というのかな?)が並んでいた。母が若いときからずっと使っているものだというが、めぎには全く記憶がない。水色のがあったような気もするが…それが火にかけられるものとは知らなかったな…
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この家はめぎが住んでいたところではないため、どこに何があるのか全く分からない。食器も見覚えのないものがほとんどだ。今回(と言うか7年前もその前も、つまりいつもだけど)めぎは上げ膳据え膳で全く何もせず、キッチンにはこのときぐらいしか足を踏み入れなかった。
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戸棚の大きい方のは、めぎがいたときにもあったものかもしれない。でも、あまり自信がない。そのぐらい、この家のことは分からない。ただ、右の奥に見えている薄青緑色の茶器は知っている。めぎが高校生ぐらいの頃、働き出した母がどうしても欲しくて買ったものだ。欲しくて何度も売り場に見に行ってとうとう…という話を聞いた記憶が残っている。懐かしいな。
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この花器もその茶器と仲間なのかな。仲間、という言い方はおかしいが、テイストが似てるなあと感じたので。
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その後、昔の写真が見たいなと言うと、父が自分の昔のを出して来た。色々説明してくれて、父も懐かしんでいるのが分かる。
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昔の写真はかなり整理し、母の若い頃の写真はもう処分して全くないとのこと。両親の結婚式の写真は父が辛うじて救って取っておいてくれてて、懐かしい親戚の若い顔などとても興味深かった。親自身の若い頃の写真も、親戚の写真も、子どもにとっては今の自分や昔の自分と重ね合わせて新たに色々感じたり発見したり理解できたりすることもあり、非常に重要なのだ。自分自身の子供の頃の写真より重要かもしれない。取っておいてくれてホント良かったわ。

下の写真は、父がどこに写っているのかもわからないが、当時の小学校の様子が分かる貴重な写真だと思う。学年の終わりに教室で、保護者も一緒に写っている写真なのだ。制服があったのね。そうか、父はこういうところで教育を受けたんだ…
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それからこちらは小5の時の写真のようだが、あ、ここ、知ってる…
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同じアングルでは撮っていないが、2014年に両親がめぎ家と妹夫婦と6人で支笏湖畔の温泉に招待してくれたときに、宿のすぐそばで写したのだ。
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この赤い橋がとても印象に残っている。ここ、父にとって懐かしい場所だったのね。
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橋の向こうの緑の部分にも、なんとなく当時の雰囲気が残っている。
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全員そろって一緒に行った温泉としてめぎにとっても非常に印象に残っている場所。共通点が分かってなんだか嬉しい。

美幌峠は思い出せないが、川湯温泉にはめぎもうちのドイツ人と妹と3人で一緒に泊まったことがある。
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こういう風に昔の写真を見て改めて思うのは、父にはめぎの知らないたくさんの他の思い出があるということ。当たり前のことなのだが、親子って、絆が深くて下手すると世界で一番理解しあっているように錯覚しがち。でも実は、めぎは父を「父」としてしか知らないし、父もめぎを「娘」としてしか知らない。もちろんそれでかなりの部分を知っているし、性格など変わらないところも多々あるし、どういう人でどういう風に考えてどう行動するかかなり推測もできるわけだが、でも、お互いに全く知らない面も実はあるのだということを、もっと慎み深く認知するべきだだわね。他人と同様、親でも子でも、一人の人間として全く別の人格で、ほんのちょっとしか知らない人なのだ。でも、その「ほんのちょっと」が濃くて、中身いっぱいぎゅうぎゅうなのよね。
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