東京で泊まったホテル [2023年夏 日本]
今日も2023年夏の日本のお話を。
今回の日本で最初の2泊と最後の3泊を過ごしたのがこのホテル。正確に言うと、この建物の一番上、27~34階にホテルがある。
場所は、昨日も載せたこの写真の東京駅の日本橋口を出たところ。
この地図の真ん中下、サピアタワーというのが建物の名前である。ホテルのホームページはこちら。
その角部屋を予約した。
眼下に東京と電車とビル解体工事が見える部屋。
宿をどこにするか、随分検討した。最初は温泉付きビジネスホテルを探したのだが、駅から若干離れていたり(梅雨時なので駅直通を優先)、部屋が凄く狭かったり(遠路日本まで行って狭苦しい思いはしたくない)、眺めが無かったり(同じく遠路はるばるやってきて何も見えないのは楽しくない)。日本もコロナ後ホテルの値段はババーンと上がったようで、7年前の予算(1泊70~100ユーロ程度)では駅近では全く見つけられない。円安&Booking.comのめぎのステイタスのおかげでこのホテルを割安&割引で予約し、ちょっと奮発して一泊200ユーロ程度で角部屋で優雅にザ・東京の景色を満喫することとしたのだった。200ユーロ払えば3万円のところに泊まれるわけで、本当に円安様様である。一泊に200ユーロというのも数年前までの相場を考えてみれば凄いことだが、今はウィーンでもザルツブルクでもまともなところなら一泊200ユーロ以上するわけで、ヨーロッパの人間として見ればそんな散財というわけでもないし、東京のど真ん中のこんな景色の部屋なのに格安だとさえ言える。これで温泉付きだったら申し分ないのだが、温泉と景色を引き換えにしたと言えるかな。それだけめぎは東京の景色が見たかったのだ。
シェードもあって、電動で上げ下げできる。
バスルームからも外の景色を楽しめる。写真はシェードを下げて写したもの。洗い場が湯舟と分かれていないことだけが残念な点だったが、非常に快適なバスルームだった。このホテルだからというわけではないが、シャワーの出がとてもいいのにお湯が柔らかくて痛くないし(ドイツに帰国してから硬水のシャワーが痛かった)、アメニティも色々あって(歯ブラシやブラシや体を洗うためのタオルやモンダミンまで!)、ああ日本に来たんだなあと実感。ついでに言えば、水が柔らかすぎて、髪がふにゃふにゃになってドイツにいるときのようにはどうもまとまりがつかなくなったのも、ああ日本だなあと実感。
めぎが泊まった部屋と同じカテゴリーの角部屋がこの映像に出ている。最後に2泊したのがちょうどこの映像の部屋だった。3分50秒ぐらいからホテルの話が始まる。一年前は同じ部屋が22,441円で泊まれたらしいが、今は正規料金で35,000円ぐらい。ちなみに映像の字幕を日本語に変えられるが、その日本語はとっても変…でもまあ意味は分かるだろう。映像で線路を隠すように目の前に見えているビルが、めぎが泊まったときには解体工事が行われていたわけで、こうして東京は日々姿を変えていっているのだなと実感する。
建物の別の側からは東京駅を眼下に望める。その側の部屋には(どうしても一泊のみ角部屋が取れなくて)最後の3泊の1泊目に泊まった。鉄道ファンならそちらの方がお勧めかも。
そう言えばロビーを写すのを忘れたのだが、吹き抜けの明るい造りで、真ん中にジオラマがあった。
なかなか精巧な作りで楽しめる。
でも、なんと言っても魅力的で楽しいのは部屋から見える東京の景色。
夜には部屋を真っ暗にして夜景を楽しんだ。
ガラス越しなのでどうしても光が屈折して入り込んでしまい、クリアな夜景撮影とはいかなかったけど。
真夜中でもこんなに明るいんだよな~流石東京だな~としみじみした。
自分もかつてはこの東京でこの光の向こう側にいる人と同じように夜中まで仕事していたんだよな…あの時の同僚はそう言えば○○さんと××さんという名前で…などと昔のいろんなことを思い出しながら夜を過ごした。このときに思い出さなかったことも無意識のうちにたくさん掘り返されたようで、後で(ドイツに帰ってからも)この東京のパノラマが瞼に浮かんだ時にふとすっかり忘れていた記憶の断片が湧き上がってきたりする。そういう時間、過去の自分を顧みる時間を一人で十二分に満喫できたのが、今回の旅で最も大事なことの一つだったように思う。もうすっかり忘れていた自分、でもそれがめぎの根底にあるのだ、しかしそれは根底であって、その上に何とたくさんの層が分厚く蓄積されたことか…というようなことを自覚できたから。根っこは変わらないと言えば確かにそうだし、しかしその後に積み重なって培われたことで根っこが他の地に順応して何か変わってしまったと言えばそれもまた確かにそうなのだ。
今回の日本で最初の2泊と最後の3泊を過ごしたのがこのホテル。正確に言うと、この建物の一番上、27~34階にホテルがある。
場所は、昨日も載せたこの写真の東京駅の日本橋口を出たところ。
この地図の真ん中下、サピアタワーというのが建物の名前である。ホテルのホームページはこちら。
その角部屋を予約した。
眼下に東京と電車とビル解体工事が見える部屋。
宿をどこにするか、随分検討した。最初は温泉付きビジネスホテルを探したのだが、駅から若干離れていたり(梅雨時なので駅直通を優先)、部屋が凄く狭かったり(遠路日本まで行って狭苦しい思いはしたくない)、眺めが無かったり(同じく遠路はるばるやってきて何も見えないのは楽しくない)。日本もコロナ後ホテルの値段はババーンと上がったようで、7年前の予算(1泊70~100ユーロ程度)では駅近では全く見つけられない。円安&Booking.comのめぎのステイタスのおかげでこのホテルを割安&割引で予約し、ちょっと奮発して一泊200ユーロ程度で角部屋で優雅にザ・東京の景色を満喫することとしたのだった。200ユーロ払えば3万円のところに泊まれるわけで、本当に円安様様である。一泊に200ユーロというのも数年前までの相場を考えてみれば凄いことだが、今はウィーンでもザルツブルクでもまともなところなら一泊200ユーロ以上するわけで、ヨーロッパの人間として見ればそんな散財というわけでもないし、東京のど真ん中のこんな景色の部屋なのに格安だとさえ言える。これで温泉付きだったら申し分ないのだが、温泉と景色を引き換えにしたと言えるかな。それだけめぎは東京の景色が見たかったのだ。
シェードもあって、電動で上げ下げできる。
バスルームからも外の景色を楽しめる。写真はシェードを下げて写したもの。洗い場が湯舟と分かれていないことだけが残念な点だったが、非常に快適なバスルームだった。このホテルだからというわけではないが、シャワーの出がとてもいいのにお湯が柔らかくて痛くないし(ドイツに帰国してから硬水のシャワーが痛かった)、アメニティも色々あって(歯ブラシやブラシや体を洗うためのタオルやモンダミンまで!)、ああ日本に来たんだなあと実感。ついでに言えば、水が柔らかすぎて、髪がふにゃふにゃになってドイツにいるときのようにはどうもまとまりがつかなくなったのも、ああ日本だなあと実感。
めぎが泊まった部屋と同じカテゴリーの角部屋がこの映像に出ている。最後に2泊したのがちょうどこの映像の部屋だった。3分50秒ぐらいからホテルの話が始まる。一年前は同じ部屋が22,441円で泊まれたらしいが、今は正規料金で35,000円ぐらい。ちなみに映像の字幕を日本語に変えられるが、その日本語はとっても変…でもまあ意味は分かるだろう。映像で線路を隠すように目の前に見えているビルが、めぎが泊まったときには解体工事が行われていたわけで、こうして東京は日々姿を変えていっているのだなと実感する。
建物の別の側からは東京駅を眼下に望める。その側の部屋には(どうしても一泊のみ角部屋が取れなくて)最後の3泊の1泊目に泊まった。鉄道ファンならそちらの方がお勧めかも。
そう言えばロビーを写すのを忘れたのだが、吹き抜けの明るい造りで、真ん中にジオラマがあった。
なかなか精巧な作りで楽しめる。
でも、なんと言っても魅力的で楽しいのは部屋から見える東京の景色。
夜には部屋を真っ暗にして夜景を楽しんだ。
ガラス越しなのでどうしても光が屈折して入り込んでしまい、クリアな夜景撮影とはいかなかったけど。
真夜中でもこんなに明るいんだよな~流石東京だな~としみじみした。
自分もかつてはこの東京でこの光の向こう側にいる人と同じように夜中まで仕事していたんだよな…あの時の同僚はそう言えば○○さんと××さんという名前で…などと昔のいろんなことを思い出しながら夜を過ごした。このときに思い出さなかったことも無意識のうちにたくさん掘り返されたようで、後で(ドイツに帰ってからも)この東京のパノラマが瞼に浮かんだ時にふとすっかり忘れていた記憶の断片が湧き上がってきたりする。そういう時間、過去の自分を顧みる時間を一人で十二分に満喫できたのが、今回の旅で最も大事なことの一つだったように思う。もうすっかり忘れていた自分、でもそれがめぎの根底にあるのだ、しかしそれは根底であって、その上に何とたくさんの層が分厚く蓄積されたことか…というようなことを自覚できたから。根っこは変わらないと言えば確かにそうだし、しかしその後に積み重なって培われたことで根っこが他の地に順応して何か変わってしまったと言えばそれもまた確かにそうなのだ。
ホテルで食事を取りながら [2023年夏 日本]
今日も2023年夏の日本の旅のお話を。
東京で泊まったホテルでとっても楽しみにしていたのは、バイキングの朝食。会場は東京の街並みを上空から楽しめるTenqoo(テンクウ、つまり天空)というレストラン。いいネーミングね。朝食は朝6時からなのだが、東京駅が見下ろせる人気席はその朝6時に争奪戦。めぎは6時半頃行き、そのときに空いている場所へ。
↑この朝食会場、お一人様用の席が充実してて、ああ東京だなあと感じた。一人の人はビジネスマンのほか、若い女性が結構多かった。すっごく面白いなあと思ったのは、日本人のお一人様はこんな風に外の景色を見る形で座るのに対し、欧米人のお一人様は窓ガラスを背にして座っている人が多かったこと。窓の外の景色より人々を見る方がおもしろいのかもしれないな。ボルネオでのうちのドイツ人もそう言えばそうだったもの。また、日本人のビジネスマンは超特急で食べ終わって去っていくのに対し、欧米人のビジネスマン風の人たちは、ここで結構な時間を過ごしてコーヒーを飲みながらPCで仕事したり新聞を読んだりしている人が多かった。PCの画面が人に見られないように窓を背に座っていたのかもしれないな…
さて、朝からこんなに色々な和の料理があるなんて、めぎにとっては夢のよう。ご飯と汁物の位置が反対なのは、おいしそうな和朝食を目の前にそんなことまでもう全然気が回らなかったから。
麦入り納豆というのが美味しかった。
洋食も充実しているのだが、そんなものを食べている場合ではないのがそのときのめぎ。洋食コーナーから取って来たのはサラダ(青じそドレッシングというさっぱりした和風ドレッシングがあるのに感動!)と生魚のマリネ(これは日代わりのようでサーモンの日やカツオのたたきの日もあった)と…
食後のデザート。
カップルできていた人たちの女性の方が、あなたはいつ召し上がるんですか、と思うほどずっとこうやって撮影していた。
このホテルの朝食についてはYouTubeにたくさん映像が出ている。こうやって朝食バイキングを訪ねてはビデオを撮っている人がいるのね。これを見ればどんなところか分かるので、めぎはバイキングの場所などは一切撮っていない。上に挙げたように、自分が食べたものだけ記録として撮った。
泊まった人の場合も載せておく。15分26秒ぐらいからが朝食の話。なるほど、若い女性はこんな風にリフレッシュのために一泊訪れたりするんだな…話は逸れるが、このパジャマが肌に心地よかった。購入したいなと思ったほど。
話はさらに逸れるが、今やVlogの時代で、めぎも今後ブログをどうしようかなとちょっと考えさせられる。こんなところでしたよ~こうやって行けますよ~ここはこういう文化ですよ~などと情報提供をするようなブログはもう必要がなく(そういうブログは実際どんどん減っているし、情報はビデオで見た方がずっと分かりやすい)、ブログは写真などの作品を紹介する場としてか、個人的な考えや体験したことについての自分の思いを綴る場所として残っていくのだろう(残るとすれば、の話だが)。字には字の良さがあって、10分も20分も映像を見るよりは(若い人たちが早回しにするという気持ちもよく分かる)テキストの方がパッと読んですぐに自分にとって必要な情報を見つけ出せるし記憶に残りやすいので、情報提供のブログもあり続けてほしいと願うが、今の若い人たちは情報を全く違う形で探し当てるのだろうな。必要とする情報そのものもめぎと彼らとでは違うように感じるし。とにかく、めぎのブログは、以前多かったドイツの情報を知りたくて検索して辿り着くというのがどんどんなくなってきていることは確かだ。日記として記録を残す場と位置付ければ何でもありだが、私なんぞのただの記録をオンラインで発信して何の役に立つのか、という基本的な問いが生じる。そして、そういうブログを書く場所をプロバイダーが今後もずっと提供し続けてくれるのか、かなり怪しい気がする。めぎはまだ50代だし、今後に備えてビデオ撮影も始めようかなぁ…そう思いつつも、今回もビデオは一切撮って来なかったけど。それに、めぎなんぞの撮った映像を一体だれのために発信するのか?というブログと同じ問いが生じてしまうし。
さて、朝食会場であるTenqooというレストラン、お昼以降は本格的なフレンチレストランになる。滞在2日目の夜、めぎは友人のとある大学の教授さんにここでディナーをご馳走になった。というのは、滞在2日目は彼女の勤める大学の講義とゼミで講演を行ったので。その話はバサッと割愛するが、印象に残ったのは、1)学生たちのおとなしさ、2)その中でくらいついてくる数名の学生の積極性、3)男の子たちが非常に繊細、4)大学のお手洗いが全てウォシュレット付き、5)それほどハイテクなのにお手洗いに手拭き用の紙がなく、乾かすマシンもないことなど。日本って、ハンカチが必需品な国だったのね。ディナーをホームページから予約していたので、スパークリングワインがサービスでついた。最初の塩味のクレームブリュレみたいなのと前菜の真鯛のマリネがとても美味しかった。
魚料理に関してはあまり思い出せない。メインは鹿肉で、これがとても美味しかった。こういうディナーの〆にお茶漬けがあるところが日本だわね。どれも写真がピンボケだが、めぎの個人的な記録だということでご勘弁を。今回の旅では特に食事の場合お手軽にスマホで撮ることが多かったのだが、会っている相手との話に集中していたし老眼で画面があまりちゃんと見えていない所為で確認も適当だしで、ピンボケ写真がかつてないほど多かった。
グラニテもデザートも量がこんなにちょっぴりで、流石日本。
めぎよりずっと若い教授さんは久々に小さいお子さん無しで大人のディナーを楽しめて嬉しそうだったし、めぎも久々にアカデミックなお話ができてとても楽しかった。このレストラン、美味しいし、夕刻は撮ってないけど眺めも抜群なので、機会があれば皆様もぜひ。
そして次の日の朝。連日とろろとお豆腐が美味しかったな~
東京で泊まったホテルでとっても楽しみにしていたのは、バイキングの朝食。会場は東京の街並みを上空から楽しめるTenqoo(テンクウ、つまり天空)というレストラン。いいネーミングね。朝食は朝6時からなのだが、東京駅が見下ろせる人気席はその朝6時に争奪戦。めぎは6時半頃行き、そのときに空いている場所へ。
↑この朝食会場、お一人様用の席が充実してて、ああ東京だなあと感じた。一人の人はビジネスマンのほか、若い女性が結構多かった。すっごく面白いなあと思ったのは、日本人のお一人様はこんな風に外の景色を見る形で座るのに対し、欧米人のお一人様は窓ガラスを背にして座っている人が多かったこと。窓の外の景色より人々を見る方がおもしろいのかもしれないな。ボルネオでのうちのドイツ人もそう言えばそうだったもの。また、日本人のビジネスマンは超特急で食べ終わって去っていくのに対し、欧米人のビジネスマン風の人たちは、ここで結構な時間を過ごしてコーヒーを飲みながらPCで仕事したり新聞を読んだりしている人が多かった。PCの画面が人に見られないように窓を背に座っていたのかもしれないな…
さて、朝からこんなに色々な和の料理があるなんて、めぎにとっては夢のよう。ご飯と汁物の位置が反対なのは、おいしそうな和朝食を目の前にそんなことまでもう全然気が回らなかったから。
麦入り納豆というのが美味しかった。
洋食も充実しているのだが、そんなものを食べている場合ではないのがそのときのめぎ。洋食コーナーから取って来たのはサラダ(青じそドレッシングというさっぱりした和風ドレッシングがあるのに感動!)と生魚のマリネ(これは日代わりのようでサーモンの日やカツオのたたきの日もあった)と…
食後のデザート。
カップルできていた人たちの女性の方が、あなたはいつ召し上がるんですか、と思うほどずっとこうやって撮影していた。
このホテルの朝食についてはYouTubeにたくさん映像が出ている。こうやって朝食バイキングを訪ねてはビデオを撮っている人がいるのね。これを見ればどんなところか分かるので、めぎはバイキングの場所などは一切撮っていない。上に挙げたように、自分が食べたものだけ記録として撮った。
泊まった人の場合も載せておく。15分26秒ぐらいからが朝食の話。なるほど、若い女性はこんな風にリフレッシュのために一泊訪れたりするんだな…話は逸れるが、このパジャマが肌に心地よかった。購入したいなと思ったほど。
話はさらに逸れるが、今やVlogの時代で、めぎも今後ブログをどうしようかなとちょっと考えさせられる。こんなところでしたよ~こうやって行けますよ~ここはこういう文化ですよ~などと情報提供をするようなブログはもう必要がなく(そういうブログは実際どんどん減っているし、情報はビデオで見た方がずっと分かりやすい)、ブログは写真などの作品を紹介する場としてか、個人的な考えや体験したことについての自分の思いを綴る場所として残っていくのだろう(残るとすれば、の話だが)。字には字の良さがあって、10分も20分も映像を見るよりは(若い人たちが早回しにするという気持ちもよく分かる)テキストの方がパッと読んですぐに自分にとって必要な情報を見つけ出せるし記憶に残りやすいので、情報提供のブログもあり続けてほしいと願うが、今の若い人たちは情報を全く違う形で探し当てるのだろうな。必要とする情報そのものもめぎと彼らとでは違うように感じるし。とにかく、めぎのブログは、以前多かったドイツの情報を知りたくて検索して辿り着くというのがどんどんなくなってきていることは確かだ。日記として記録を残す場と位置付ければ何でもありだが、私なんぞのただの記録をオンラインで発信して何の役に立つのか、という基本的な問いが生じる。そして、そういうブログを書く場所をプロバイダーが今後もずっと提供し続けてくれるのか、かなり怪しい気がする。めぎはまだ50代だし、今後に備えてビデオ撮影も始めようかなぁ…そう思いつつも、今回もビデオは一切撮って来なかったけど。それに、めぎなんぞの撮った映像を一体だれのために発信するのか?というブログと同じ問いが生じてしまうし。
さて、朝食会場であるTenqooというレストラン、お昼以降は本格的なフレンチレストランになる。滞在2日目の夜、めぎは友人のとある大学の教授さんにここでディナーをご馳走になった。というのは、滞在2日目は彼女の勤める大学の講義とゼミで講演を行ったので。その話はバサッと割愛するが、印象に残ったのは、1)学生たちのおとなしさ、2)その中でくらいついてくる数名の学生の積極性、3)男の子たちが非常に繊細、4)大学のお手洗いが全てウォシュレット付き、5)それほどハイテクなのにお手洗いに手拭き用の紙がなく、乾かすマシンもないことなど。日本って、ハンカチが必需品な国だったのね。ディナーをホームページから予約していたので、スパークリングワインがサービスでついた。最初の塩味のクレームブリュレみたいなのと前菜の真鯛のマリネがとても美味しかった。
魚料理に関してはあまり思い出せない。メインは鹿肉で、これがとても美味しかった。こういうディナーの〆にお茶漬けがあるところが日本だわね。どれも写真がピンボケだが、めぎの個人的な記録だということでご勘弁を。今回の旅では特に食事の場合お手軽にスマホで撮ることが多かったのだが、会っている相手との話に集中していたし老眼で画面があまりちゃんと見えていない所為で確認も適当だしで、ピンボケ写真がかつてないほど多かった。
グラニテもデザートも量がこんなにちょっぴりで、流石日本。
めぎよりずっと若い教授さんは久々に小さいお子さん無しで大人のディナーを楽しめて嬉しそうだったし、めぎも久々にアカデミックなお話ができてとても楽しかった。このレストラン、美味しいし、夕刻は撮ってないけど眺めも抜群なので、機会があれば皆様もぜひ。
そして次の日の朝。連日とろろとお豆腐が美味しかったな~
解体工事を見下ろしながら [2023年夏 日本]
今日も2023年夏の日本の旅のお話を。
先日来書いているめぎが東京で泊まったホテルの部屋からは、ビルの解体工事が見えた。
最初はせっかくの東京の景観がこれで台無し、なんて思ったのだが、この日、約束の時間までまだ一時間以上あるし、とちょっと眺めていたら、こんな風に瓦礫の入った大きな箱がクレーンで持ち上げられてどこかへ消えて行って…
空になって戻ってくるのに気がついてから、じ~っと見入って夢中でたくさん撮影してしまい、気がついたら一時間過ぎていた。
ここから4枚ずつのパラパラで。
重機で壊した瓦礫が箱の中に溜まるとこうして持ち上げられていき…
宙をぐるっと回って遥か下のここへ下ろされ、…
鎖のロープがつけ返され、中身を下ろし…
こうして空にされてからまたロープを付け替えて持ち上げられ…
こうしてぐるっと宙を回ってこの高みへ戻っていくのである。
これを何度も何度も見た。そして何枚も何枚も撮った。ビデオを撮るべきだったのかもしれないが、ただただこの瞬間を撮りたくて撮っていた。かつて誰かが汗水たらして建てたこのビルを、今この人たちが汗水たらして解体していっている。そしてまた誰かがここに別のビルを建てるのだろう。そんなことをこの国はここで数十年おきに繰り返しているのだ。ひょっとするとほんの20年とか30年おきに。ひょっとしなくても50年ぐらいも経てば。今めぎがいるこのホテルだって、30年後にはどうなっていることやら。
しかしまた、そのおかげで生計を立てている人たちがいるわけだ。だから、この歩みを止めるわけにはいかない。この気の遠くなるような、しかし日々確実に進んでいく作業。一瞬一瞬壊すというのを仕事として、日々の糧を得ている人たち。そのおかげでどこかが潤い、誰かが巨額に儲けているという実態。
ここからまた一枚の写真で。
ゆっくりと確実に壊されていくビル。一枚目と次の写真との時間の差は18分。空になった別の箱が戻ってきた。
中に入ってクレーンの鎖を取り外した人たち。この人たちはこれを一日に何回繰り返すのだろう。
また瓦礫でいっぱいになった箱が吊るされ、下ろされていった。
この次の日のチェックアウト時にはここまで作業が進んでいた。
もう一度、別の写真で比べてみる。6月28日の15時頃チェックインして写したもの。
7月7日14時近くに写したもの。その間に数階分作業が進んだようだった。
これを見てめぎが感じたことを書き表すのは難しい。いや、めぎはまだ、何をどう言いたいのか、自分の心の中のざわめきが何なのか、つかみ切れていない。ゆっくりと、しかし一瞬一瞬確実に壊されていく作業。その横をひっきりなしに通る15両などの長い編成で恐らく人でいっぱいのたくさんの電車。みんなめぎと同じ一つの命。ただただ儚さを感じ、とてつもなく苦しかった。
先日来書いているめぎが東京で泊まったホテルの部屋からは、ビルの解体工事が見えた。
最初はせっかくの東京の景観がこれで台無し、なんて思ったのだが、この日、約束の時間までまだ一時間以上あるし、とちょっと眺めていたら、こんな風に瓦礫の入った大きな箱がクレーンで持ち上げられてどこかへ消えて行って…
空になって戻ってくるのに気がついてから、じ~っと見入って夢中でたくさん撮影してしまい、気がついたら一時間過ぎていた。
ここから4枚ずつのパラパラで。
重機で壊した瓦礫が箱の中に溜まるとこうして持ち上げられていき…
宙をぐるっと回って遥か下のここへ下ろされ、…
鎖のロープがつけ返され、中身を下ろし…
こうして空にされてからまたロープを付け替えて持ち上げられ…
こうしてぐるっと宙を回ってこの高みへ戻っていくのである。
これを何度も何度も見た。そして何枚も何枚も撮った。ビデオを撮るべきだったのかもしれないが、ただただこの瞬間を撮りたくて撮っていた。かつて誰かが汗水たらして建てたこのビルを、今この人たちが汗水たらして解体していっている。そしてまた誰かがここに別のビルを建てるのだろう。そんなことをこの国はここで数十年おきに繰り返しているのだ。ひょっとするとほんの20年とか30年おきに。ひょっとしなくても50年ぐらいも経てば。今めぎがいるこのホテルだって、30年後にはどうなっていることやら。
しかしまた、そのおかげで生計を立てている人たちがいるわけだ。だから、この歩みを止めるわけにはいかない。この気の遠くなるような、しかし日々確実に進んでいく作業。一瞬一瞬壊すというのを仕事として、日々の糧を得ている人たち。そのおかげでどこかが潤い、誰かが巨額に儲けているという実態。
ここからまた一枚の写真で。
ゆっくりと確実に壊されていくビル。一枚目と次の写真との時間の差は18分。空になった別の箱が戻ってきた。
中に入ってクレーンの鎖を取り外した人たち。この人たちはこれを一日に何回繰り返すのだろう。
また瓦礫でいっぱいになった箱が吊るされ、下ろされていった。
この次の日のチェックアウト時にはここまで作業が進んでいた。
もう一度、別の写真で比べてみる。6月28日の15時頃チェックインして写したもの。
7月7日14時近くに写したもの。その間に数階分作業が進んだようだった。
これを見てめぎが感じたことを書き表すのは難しい。いや、めぎはまだ、何をどう言いたいのか、自分の心の中のざわめきが何なのか、つかみ切れていない。ゆっくりと、しかし一瞬一瞬確実に壊されていく作業。その横をひっきりなしに通る15両などの長い編成で恐らく人でいっぱいのたくさんの電車。みんなめぎと同じ一つの命。ただただ儚さを感じ、とてつもなく苦しかった。