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壁のこちらと向こうとその先 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。今日から滞在3日目のお話を。

これはMartin-Gropius-Bau(マルティン・グロピウス建築)。
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マルティン・グロピウスというのは建築家で、有名なヴァルター・グロピウスの大叔父。ヴァルター・グロピウスというのは、バウハウスの創始者。バウハウスというのは、1900年代前半のドイツの建築・美術・デザイン学校(ドイツのホームセンターのチェーン店とは別の組織)。

立派な柱のこの建物は、東西ベルリン時代、壁のすぐ西側にあり、かつては美術工芸品のミュージアムだったが今は展覧会やイベントに使われているようだ。
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壁画や彫刻は建物を掲げている人物の絵が多いなあ・・・
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これはガラス細工ね。
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向かいには、現在のベルリン州議会議事堂。もともとはプロイセンの議会議事堂で、東ドイツ時代には盗聴設備が置かれていたところだとか・・・
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そう、この道路を挟んで向かいは東ベルリンだったのだ。つまり、この道路にはベルリンの壁があったのだ。
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あちらはナチス時代にドイツ航空省が置かれていたところ。そこで1949年に東ドイツ(ドイツ民主共和国)が誕生したのだとか。壁崩壊後しばらくは旧東ドイツの国営企業を民営化するための信託公社が置かれ、現在はドイツ財務省。
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こうして書くと、如何にドイツが古い建物をずっと使い続けてきているかよく分かるわね・・・プロイセン時代の建物をずっと使い回しているのだもの。

そして、間の道路には、壁の一部が残されている。
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絵が描かれていないと、殺伐とした感じ。
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望遠で。
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この金属は壁に埋め込まれていたのだろうか。
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この辺りはテロのトポグラフィーというところで、ゲシュタポの本部があったのだとか。その跡がこうして展示されている。見なかったけど、この下には地下牢もあったらしい。
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それを見下ろすWelt(世界)という名の気球。Weltとはドイツの大きな新聞社の名前。
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そこから歩いて20分くらいのところへ移動。うちのドイツ人が是非見たいと言ったところへ。

それはここ。
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黒と灰色の世界。
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高さは同じではなく、水平でもない。
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地面もうねっている。
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ここはユダヤ人犠牲者記念館。2005年に作られたので、めぎもうちのドイツ人も見たことがなかった。うちのドイツ人がベルリンに行くにあたり見学を希望したのはここだけだ。
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若い観光客がたくさん訪れていた。
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ここは非常に広い。これだけの広大な土地にユダヤ人慰霊の場所を2005年になってからも尚建設し、さらここが連邦議会議事堂やブランデンブルク門など政治の中心や観光の目玉からすぐ目と鼻の先であることを思うと、ドイツって凄いなと感じる。最も美しく綺麗に見せたい場所に、こんな黒と灰色の世界を作ったのだ。それも、もう多くの人が戦争のことなど忘れた頃に。それどころか、もう壁のあった頃さえ知らないドイツ人がいっぱい育ってきている頃に。
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これは、喩えて言えば、日本の赤坂や霞ヶ関あたりに韓国人や中国人の犠牲者のための広大な慰霊記念公園を作るようなもの。そう考えると、この重みが少し想像していただけるだろうか。もちろんドイツがしたことと日本がしたことは規模も形もやり方も全く違って比べることはできないが、喩えとして分かりやすいのではと思う。

歴史の罪からも恥からも目を背けずに、様々なものを背負って東西再統一まで成し遂げたドイツは強い。強すぎる。それは、裏を返せば、過去と真摯に向き合えば武器など翳さずとも強くなれるということかも知れない。ヨーロッパの他の国々が色々と悔しくとも結局協調せざるを得ないのは、こんなところに一因があるのではと感じる。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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ブランデンブルク門とドイツ連邦議会議事堂 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

ここはベルリンで最も有名なところ。
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31年前、めぎはここから向こう側へ行った。
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西ベルリンの壁を越えて、門のこちら側へ。いや、ちょうどこの辺りは無人地帯で、この辺でパスポート検査と、乗っていた車の厳重なチェックがあったような記憶。無人地帯には戦車もあったし、銃を持った兵士もいたし、ここは写真撮っちゃダメという地帯もあった。そこへ足を踏み入れたそのとき、空気が変わったような気がした・・・そんなことを思い出しながら、ドイツ人たち3人とちょっと離れて一人でここに立ってみた。あのときと同じ場所。でも、あのときと全然違う雰囲気。あのときの空気はもう無い。
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西側を振り返ってみる。
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そうだ、この馬は、こちら側からしか見られなかったのよね。
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馬さん、どこへ駆け出していきたいの?
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そのときのことは以前にも書いたような気がするが・・・めぎはここのどこかで東ドイツの方々に昼食に招かれた。非常に歓迎を受け、貴重な食事を出された。それはたぶんビスマルクヘーリングだったのではないかと思う・・・ヘーリングというのはニシンで、つまりビスマルク風の酢漬けニシン。めぎが好きで時々ご紹介しているニシンの塩漬けではなく、酢漬け。これが、食べ慣れない所為もあったのか、でも臭いがひどくて酢がきつすぎて、異常にまずかったという記憶。高級品を出してくれたそうなのにほとんど手をつけられなくて(5匹も皿に載っていたのが1匹半でギブアップ)、申し訳なかったというのが強烈な印象になっている。出されたものを食べ残すなんて、ものすごく失礼なことだと感じつつ、でもでも全く呑み込めなかったのだ。東ドイツの人たちはいったい何を食べているのかと非常に気の毒に思ったものだった。いや、もしかしたら、酢漬けニシンではなく肉類でも出してくれていたら印象は全然違ったのかも知れないが。

あのときは、めぎの生きているうちにここが東西統一するなんて想像もできなかったな・・・そんなときが本当にこの世にあったのだ。
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あのときの思い出をまた心の奥に仕舞って、ブランデンブルク門をあとにした。
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少し歩くと、壁を越えようとして撃たれたりして亡くなった方々の記念碑。
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うちのドイツ人も友人のご主人の方も、ドイツで兵役に就いた人たちだ。高校を卒業してから、当時は全部で1年半の兵役があった。当時は高校卒業時に19歳になる制度だったから、21歳を超えてからようやく大学に行けた世代。高校卒業と同時に親元を離れ、彼女とも離れ、軍隊の集団生活へ。東ドイツが国境を越えてくることを念頭に、大砲やら銃やら全ての扱い方を修得した。大きな銃は苦手だったが、ピストルの命中率はうちのドイツ人は彼のいた部隊でNo.1だったと言っている。そして、実際に前線・・・東ドイツとの国境地帯に赴いた。それは訓練ではなく当時本当に前線だったのだ。戦争になることは運良くなかったけれど、撃ち合いをすることも運良く無かったけれど、そのときは東ドイツは本当に敵国で、四六時中対峙していたのだ。だから、東西が再統一することになったとき、心中非常に複雑だったという・・・同じドイツ人だけど、彼らにとっては東と西はまるで違う国だったそうだ。あのときの彼らの東への歩み寄りを思えば、今のギリシャ問題などなんでもない気がするとさえ言う。

当時、西ドイツが武器を持つことをもちろんフランスやイギリスはいいことだとは思っていなかった。ポーランドだってユダヤ人たちだって反対だったことだろう。しかしそれが受け入れられたのは、もちろん西側が当時のソ連に対抗するためでもあるが、ドイツが全ての歴史の過ちを認め、謝罪を繰り返したからである。誰しも、過ちを犯しました、申し開きようもありません、と跪く相手には、さらに剣を振りかざしたりはしないのだ。国内にはもちろん反対意見もあった・・・誰も自分の国の代表が他国に頭を下げて詫びるところなど見たくない。しかし、ドイツはそれをやってのけた。そのおかげで自国の持つ権利・・・軍隊を持つ権利も、誰に文句を言われることもなくなった。なんて強かな国だろう。

そんなことをしてきたドイツだからか、ここ数日のドイツ国内の報道を見る限り、今の日本の動きには非常に冷ややかだ。子どもが売るケンカをあなた買うんですか?あなた、西側に属しているけど、大人(=先進国)じゃなかったんですか?だいたい、やったことをやってないと言い出すようじゃ、子どもと同じですねぇ、というような受け取り方だ。まあハッキリ言って極東で何がどうあろうとドイツにはあまり関係ないからどうでもいいけど、いくらアメリカが作った憲法だからってその解釈をころっと変えちゃうなんて、そしてあんな採決の仕方をするなんて、やっぱりアジアって異質で我々には分かりかねるねぇ・・・という感じでもある。ちょうどEU内でケンカを売られて、それを理性的にどう対処するかに頭を悩ませてきたところだから、ことの成り行きが対照的にも見えたかも知れない。ドイツだってパーフェクトじゃないが、隣人と話し合いを繰り返す努力はしているのである。

記念碑が見えるところの日陰にあったベンチで一休み。
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目の前をひっきりなしに通り過ぎていく観光バス。
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ベルリンにはたくさんたくさん外国人観光客がいたが、日本人は全くと言っていいほど見かけなかった。7月初めはまだ夏休みではない所為かも知れないが、日本人にとってベルリンはそれほど行きたいと思うような場所ではないということでもあるんじゃないかな・・・興味の矛先が違うのだろうと思う。ヨーロッパに行くのなら、絵に描いたような美しい街並みを見たいと思うのが普通だものね。

涼んで一息ついて、次にドイツ連邦議会議事堂へ。
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2003年に訪れたときは、ちょっと並べば荷物チェックだけでガラスのドームをすぐに見学できたが、今はテロ防止のため事前予約が必要。今回めぎたちは遠くから眺めただけ。

これはもちろんドイツ国民のためのものだが・・・
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上にはドイツの旗とヨーロッパの旗。ドイツ人たちには自分たちはヨーロッパ市民だという自覚が強い。ドイツ国民だという思いと同じくらい強い。今やヨーロッパを牛耳るドイツだが、ヨーロッパ市民として当然という意識もある。そう胸を張るにはそれだけの裏付けもあるのだなあと感じる旅だった。
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さて、めぎたちは暑さにギブアップして、日陰の多いティーアガルテンを横切り・・・
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ブランデンブルク門の西側を横切り・・・
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壁崩壊25周年記念のアンペルマンにちょっと会釈して・・・(アンペルマンというのは東ドイツの信号機のキャラクター。東西再統一してから信号機も西側化されるのに反対運動が起き、このアンペルマンが一部残され、お土産グッズにもなっている。)
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ポツダム広場を横目に見つつ・・・
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ベルリン一の観光地に別れを告げた。
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そして車でまた移動。これは車の中から写したポツダム広場の一部。
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ベルリンの話、長いわね・・・あとたぶん2~3回。

撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Nikon 1 V3 + 30-110mm(F3.8-5.6)
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ベルリンで日本食 [ベルリン]

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現在、7月初めのベルリン旅行記を連載中。

ベルリン位置の観光地をあとにしためぎたちは、車でさくっと移動。これはガラス越しだが、Hallesches Torという駅で、文化財保護指定を受けている建物だそう。Torというのは門のこと。1812年のユダヤ教徒解放令まで、ユダヤ人は南の方角からはこの塔からしかベルリンの中に入れなかったのだそう。余談だが、こういう差別はドイツに限らずフランスなどヨーロッパ中にあった。
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地上を走る地下鉄沿いに東へ走っていくと・・・
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煉瓦造りの駅も。これはSchlesisches Tor(シュレージエンの塔)という駅。
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シュレージエンというのはポーランドのシレジアのことで、旧ドイツ領だったところ。アルザス地方と並び、戦後ドイツが失った地域である。その昔、この塔がシュレージエンに向かう出発点だったのだ。
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そこからすぐ、先日も来たあのオーバーバウム橋を渡り・・・
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ワルシャワ駅を通り過ぎてから割とすぐに右に入って通りに車を駐めて(3時間分の駐車料金を予めパーキングメーターで払って領収書をボンネットに置いておく)、レストランの並ぶこんな通りを歩いた。
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お洒落な店が並ぶこの辺りはFriedrichshain(フリードリヒスハイン)という地域。
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お昼ちょっと前で、レストランはどこもちょうど準備万端という感じ。
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この通りはSimon-Dach通りという。
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貸し自転車屋さんもあった。
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さて、なぜここまで来たかと言えば、ここでお昼を食べるため。なぜここでお昼を食べるかと言えば、友人夫婦がめぎをここへ招待したかったから。
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ま、マジですか・・・
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そう、ここは日本料理レストラン。ベルリンで美味しいと話題のレストランなのだそう。と言ってもコックもウエイトレスさんも日本人ではないようで、口コミなどを見ると凄く美味しいという賛美と本物じゃないという酷評とが入り交じる。友人はとっても美味しかったからとめぎを是非ここへ連れてきたかったのだそう。コックさんはたぶんアジア系の方。

そんなわけで、玄米茶で一息♪ 暑いときの熱いお茶って意外に一息つけるのよね。
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枝豆は日本の居酒屋チェーン店並み、餃子は焼き方がちょっと違うが味はまあまあ。
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その他、お寿司やお刺身など、充分美味しい。よくあるなんちゃって日本食と比べると、悪くない。スマホの写真しかないが、このベジタブルうどん(豆腐&青梗菜入り!茶色っぽいのは干し椎茸・・・この干し椎茸は日本のように予め甘辛く味付けしてあるのではなく、出汁をとったのをそのまま切ってある)も悪くなかった。その横の皿は、ちょっと鰹のタタキみたいにあぶった鮪を炒めた(もしくは茹でた)ほうれん草の上に載せて中華風の味付けになっている料理。この鮪に関しては、目から鱗の美味しさ。
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どう?と聞かれて、美味しいよ~独創的だけど・・・と言うと、どこがどう独創的なのか?と聞かれ、うーん日本ではうどんに豆腐を入れたりはしないと思う(少なくともめぎは食べたことがない)・・・と言うと、非常に変な顔をされた。うどんも豆腐も極めて日本的なもので、醤油味だし、どこが独創的だというのだ?と言いたげだった。そうねえ、どうやって説明すればいいのかしら。うどんの具に豆腐を入れたりしないというのは、どうしてかと言われると理由はよく分からない。ただ、そういううどんは食べたことがないというだけのことである(入れる地域もご家庭もあるのかも知れないが)。なぜめぎはうどんの具に豆腐を入れようとは考えたことがないのだろうか。別に入れて悪いものじゃないし、まずくもないし、よく汁物に入るありがちな具でもあるのに、どうしてかしら。白いうどんに白い豆腐を入れても彩りがよくないから?いや、それより、そういう取り合わせを見たことがなかったから、なのよね。そういう取り合わせはめぎの経験の範囲では日本にはない・・・たったそれだけのことで、うどんを食べてみたけどちょっと本物と違ったということになる。まあ許容範囲だけど、ちょっと違う。

ドイツの現代人気作家フランク・シェッツィングのLimitというミステリー小説に「日本人は料理に関してファシストだ。」というくだりがある(原語版で691ページ、日本語訳でどう訳されているかは知らない)。そのくだりを思い出すこのレストラン。日本食は今や国際料理として認知され、ドイツでもちょっとした街には必ず日本食レストランがあって以前よりはかなり日本食らしいものが食べられるようになったし、ドイツ料理に日本的な味付け・・・ヴァーザービー(山葵)ソースなど・・・をするのが流行になっているほどだが、外国である以上、日本で普通に食べられるような日本食は諦めざるを得ない。デュッセルドルフはずいぶん恵まれているが、それでも魚介類など札幌で食べていたものの多くは手に入らないし、東京でちょっと高めだけどできたてのざる豆腐を買っていたような贅沢も味わえない。本物はここにはないのだ・・・少なくともうどんに豆腐を入れるようなのは本物じゃないとめぎは思うのだが、それはファシストだと言われると、うーん・・・いや、そっちだって白アスパラの食べ方に関しては充分ファシストじゃない?と思うが、日本人はあらゆる日本料理に関し、いやそれだけじゃなく外国料理に関しても本物にひたすら拘るファシストだと言われると、うーんたしかに・・・日本人って国内海外どこへ行ってもそこの郷土料理に拘るし、その土地の食べ方(味付けや付け合わせや調理方法等々)まで拘るし、その拘りがドイツ人一般よりずっと強いのは確かだ。日本ではそういう「こだわり」をかなりポジティブな意味で解釈するけど、ドイツ語の拘りに当たる言葉って、そういえばネガティブな意味にしか使わないなあ・・・

とにかく外国人には、日本料理レストランの料理のどこがどう本物と違うのか、想像がつかない。ズーシー(寿司)もトゥーナー(鮪)もウードン(うどん)もトーフ(トにアクセントを置き、フは低く発音)も美味しいね~魚と野菜で健康的だね~日本食いいね~と上機嫌なのだから、でも本物はちょっと違うんだけど・・・というコメントは野暮なのかも知れない。ただ、こちらがこういうところでかえって望郷の思いを強くするのも確かなことである・・・舌の感じる微妙な「違い」は意地悪なほど奥に仕舞い込んでいた懐かしい味への憧れを呼び覚ますのだ。日本風創作料理、となっていれば、違いを楽しむゆとりも生まれると思うんだけど。

人気のお店のようで次から次へと席が埋まっていったが、日本人は一人もいなかった。
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ベルリンにお住まいの方、ベルリンでちょっと日本食が恋しくなった方には、ここまで足を伸ばしていく価値はある。独創的だけど、美味しい。ほうれん草の上にタタキの鮪を載せた料理は、本当に悪くない。自分でも作ってみようと思うほどだった。しかし、決して本物を求めてはいけない。本物とどのように違うかを楽しむようなゆとりを持って出かければ、とっても美味しく楽しめるレストランである。

それからまた車で移動。続きはまた明日。
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撮影: D600 + 20mm(F1.8)、Xperia Z1
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