SSブログ

故郷への想い [2014年夏 日本の旅]

ax.jpg

今日もこの夏の札幌の話から。

8年ぶりの札幌で、限りある滞在時間にずいぶんたくさんのところを回った。例えば北海道神宮へ。
a1.jpg


親元で過ごした時間以上の時が疾うに過ぎ、ドイツに来てからも一回り以上の年月が経過した。日本に12年以上も住んでいないとあちこちどんどん変わってすっかり浦島花子になるが、札幌となるともはや全く知らない町のよう。母校の高校も訪ねてみたが、校舎は完全に建て替えられていて思い出のかけらも感じられず、まわりの景色にも見覚えがなかった。
a2.jpg


音楽に全力をかけて打ち込んでいた子どもの頃に何度か使ったことのあるコンサートホール。懐かしいな。あの当時、ここはできたばっかりだったのよね。他のホールは既に建て替えられたりしているらしい。
a3.jpg


幼い頃よく来ていた藻岩山。山頂駅はすっかり新しくなっていて、初めて来たところのようだった。ヨーロッパの街並みにすっかり目が慣れた今、上から自らの故郷を見下ろして、この殺伐としたというか無機質というか顔の無いような街並みに愕然とした。
a4.jpg


めぎの心の奥深くに仕舞い込んでいた美しい町、札幌の記憶・・・赤煉瓦の素敵な校舎だった高校の一角、ライラックの木の下のベンチ、雪に煙るイルミネーション等々。しかし札幌も、その他の日本の大都市と同様、無機質なビルの並ぶところだったのよね。思い出は時間を経て美化される、というのは本当だな。ずっと昔、たしか国語の教科書の読み物で、何十年ぶりかで故郷の町を訪ねるというものを読んだ記憶があるのだが、すっかり変わり果てた町を歩くその男の気持ちが今ようやく分かる気がした。子どもの頃は、そりゃあ昔と今は違うでしょ、とただ漠然と思っていたのだが、「現代」だったはずのめぎの子ども時代もすっかり「昔」となり、札幌と言えども街並みは全く変わったのだ。しかし、どんなに知らない町になろうとも、懐古者にとってその変わり様がどんなに醜くとも、故郷への愛情は深く深く。

それからめぎは、今回ぜひ会いたかった父方の伯父の家へ。ここは父方の長男、父の兄の住むマンションである。めぎが小さい頃は家族4人で小さな公団アパートに住んでいた伯父も、今は立派なマンション暮らし。数年前に妻を亡くし、伯父は今一人暮らしのようだ。めぎの希望通り、昔の写真を用意して待っていてくれた。
a5.jpg


というのも、小学生の時に亡くなってしまってあまり記憶のない父方の祖父のことを知りたかったのだ。数年前に偶然、祖父がこれに同行していたと聞き、そのこともちょっと詳しく知りたかった。
a6.jpg


行き先は英国。エリザベス女王より前のことだったのね。めぎの祖父はそれに同行していたのだ。
a7.jpg


と言ってもぺーぺーで、この中のどこかにいるというだけのことなのだが。
a8.jpg


しかし、大正10年に御召艦と呼ばれる船でこんな旅をしているわけで、それはまあ本人にとっても家族にとってもずいぶんと大きな出来事だったことだろう。
a9.jpg


あ、ジブラルタルにも来ている!
a10.jpg


めぎがジブラルタルに行ったのは2007年のこと(その話はこちらをどうぞ)。うちのドイツ人が行ったのは1976年のこと。1976年の話だってずいぶん大昔のことのように聞こえたが、祖父は1921年に行ったことがあったのね・・・いやはや、なんと。

それから祖父は札幌の裏参道へ移り住んだ。その当時の写真。こんなだったのね!
a12.jpg


時代が過ぎて、昭和30年代の写真ではないかと思う・・・祖父とその娘、つまり父の一番上の姉。祖父はなかなかカッコイイし、伯母はとっても美しく、バックの残雪の残る通り、木造の低い建物、向こうに見える荷馬車のような乗り物、当時の服装・・・なんとまあ。
a13.jpg


この裏参道にあった祖父母の家は木造2階建てで、縁側があってそのつるつる滑る廊下で従兄妹たちと遊んだり、裏庭に梅の木があって毎年梅をとって梅酒を造ったり、未婚の若い叔父とかくれんぼして遊んだりした楽しい思い出が残っている。居間には祖父を囲んで男たちが座り、広い台所で祖母を囲んで女たちが料理をしながらおしゃべりし、その向こうにちょっと暗く涼しい広い土間があって裏口へ続いていた。それとは別の玄関口は引き戸で、お客が来るとがらがらっという音がして、そこはこの家に来たときと帰るときしか使わないのでなんとなく正式なよそ行きの場所という気が子供心にしたものだった。時代を経て裏参道が再開発の波に呑まれ、その木造の家が姿を消したのはめぎが中学か高校くらいの頃だったと思う。

美しいこの伯母はかつて舞台に立っていた。このステージ、後ろの広告、この服装。これがめぎの子ども時代には眩しく映る芸能人の世界だったのよねえ。いや、子どもの頃のめぎにとって、東京に出て生活しているということ自体がすごく格好良く思え、自分もいつかはと心に秘め、それを目標にして頑張ったからこそ今がある。まさか外国まで出るとは思っても見なかったけど。
a14.jpg


実は数年前一時帰国した折に、引退して今や80歳を超えて千葉で一人暮らしをしているこの伯母を訪ねてみたが、その華々しくも努力を重ねた人生の幕引きは潔く、非常に慎ましくスッキリと整理して生きていて、しかし誰にも迷惑をかけないだけの財力もキッチリあって、とっても格好良かった。その暮らしぶりやものの考え方などの何気ないところから血のつながりも強く感じたりして、今回伯父に会ってもっと詳しく父方の家族のことを知りたいと思うきっかけにもなった。めぎは母方の祖父母をうちに引き取ったり東京で母方の伯母のアパートに下宿したりした関係で母方の親戚とはかなり密接なやりとりがあったけれど、父方とはホンの小さな子ども時代を除き長いこと疎遠だったのだ。その足りない部分をみんなが生きているうちに取り戻しておきなさい、とうちのドイツ人がめぎを促したということもある。

祖父母の代の昔話やら伯父の現役時代のことやら従兄妹たちのことなどやら聞きながら、めぎに欠けていたものをいっぱいいっぱい充足。膨大な写真を一枚一枚見て写真をとっているうちに、すっかり夜に。それから伯父とめぎ家全員とでこちらのお店へ。
a15anigif.gif


このビルにたった一軒だけで大丈夫なのかなあと思ったが、今月移転したみたい。今の場所はこちらをどうぞ。

中はお客さんいっぱい。それもそのはず、新鮮で美味しいのだもの。
a16.jpg


残念ながら事前予約しておいてくれたウニは撮り忘れ。素晴らしい鮮度と質と量。この店に行くのならぜひ事前予約をお勧めする。鉢から溢れんばかりの量の高級品質のウニが食べられる。実は札幌に来る前にもウニをいっぱい食べる機会があったのだが、うちのドイツ人が違いに気がつくほどの品質の差があったのだった。

こちらは牡蠣のがんがん蒸しという料理だったと思う。
a17.jpg


半生のこの大きな牡蠣がすごい。すごい、と言うしかない。
a18.jpg


それから刺身盛り合わせ。北海道らしく、どどーんとした盛りつけで、中身充実。
a19.jpg


アワビの肝も。新鮮で最高。
a20.jpg


貝が好きなめぎのために、もう一度ホタテとツブとホッキを頼んでもらった。
a21.jpg


家族と一緒に美味しい魚介と美味しいお酒。ああなんて幸せ。ここでは特に、伯父と父との仲良さそうなやりとりを見て、心が和んだ。退職後、一緒に囲碁をしたりして楽しんでいるようだ。仲のよい兄弟が近くに住んでいて羨ましいな。どちらも末永く健康でいられたらいいね。

その次の日、父に裏参道へ連れて行ってもらった。かつて木造の祖父母の家があった場所は何度か建て替えられて今はマンションとなっていた。このように昭和30年代の写真の面影は全くなく、それどころか再開発でお洒落なファッションビルが並んで若者で賑わっためぎの高校時代の面影も消え、今やちょっと見捨てられた住宅街って感じ。再々開発の計画があるようで道路拡張工事をしていたから、いつかまた賑わうときが来るのかも知れないが。
a22.jpg


思い出のかけらも見当たらないな・・・と思っていたら、妹が、三角公園は残っているよ~と。おお!
a23.jpg


この公園で、かつて従兄弟たちと遊んだのだった。この古さ、もしかして、めぎが遊んでいたときのもの・・・?ほぼ半世紀も経とうとしているけど、もしかして・・・と思ってしまうような、愛おしさ。
a24.jpg


もう伯父に会うことはないかも知れないし、いつかまた裏参道を訪ねたらもうこの公園はないかも知れない。だからこそ本当に貴重な時間だったし、色々見たり聞いたりし、そこの空気を吸い、色々感じることができて、一緒に美味しいものを食べてわいわい楽しめて、最高に幸せだった。


撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
nice!(43)  コメント(11) 

nice! 43

コメント 11

YAP

めぎさんの故郷に対する強い思いを感じました。
私も同じ国内とはいえ実家が遠く、なかなか帰省をしない親不孝をしているので、なんだか自分と重なっていろいろなことを考えさせられました。
出張で違う国に滞在しているから、そんなセンチメンタルを感じているのかな?
日本って、ほんとに都市開発に一貫性がないというか、ダメダメですよね。
故郷を離れてしまうと、完全に違う町になっていて残念だったりします。
by YAP (2014-10-13 02:25) 

Baldhead1010

時々追憶することは楽しいですね。

家には祖父や曾祖父の写真がありません。
by Baldhead1010 (2014-10-13 05:21) 

mimimomo

めぎさんは家族運に恵まれていらっしゃるのね^^
思い出に浸る場所があるってそれだけでも素敵なこと!
by mimimomo (2014-10-13 06:55) 

engrid

読まさせていただきながら、私自身のことを振り返って
思い考えていました、
思いは、はてがなく正解もないのでしょね
でも、愛はあり、残ります
by engrid (2014-10-13 10:15) 

ぽりぽり

ご家族と一緒に、この新鮮な海の幸に美味しいお酒と、素晴らしい時間を過せた様子。本当に牡蠣が凄いです。
by ぽりぽり (2014-10-13 10:35) 

rino

めぎさんがドイツへお嫁に行ったからこそ、ご自分のルーツや親戚や故郷に対してとても愛情深く、興味深く、、
顧みる心が人一倍温かいよう感じます。

ドイツ人さんの思いやりも、みにしみますね。振り返るよいきっかけになりましたね。
by rino (2014-10-13 11:48) 

テリー

ウニと牡蠣、そして新鮮な刺身、たまりませんね。
食べに行きたくなりました。

by テリー (2014-10-13 14:08) 

Inatimy

足りない部分を取り戻す、それは大切なことですよね。
ちょこっと私は後悔してます・・・。
新鮮な海の幸、旨味たっぷりでしょうね^^。
私にとっては一生に一度すら食べられないほどかも。
by Inatimy (2014-10-13 16:44) 

ちばおハム

私もこの夏高校のそばを通りましたが、変わっていましたねえ。
でも千葉の田舎なので、そんなに劇的には変わっていませんでした。
故郷は遠くにありて思うもの、そう思うようにしています。


by ちばおハム (2014-10-13 17:39) 

Bonheur

自分のルーツを探ると癒される気持ちになるのはなぜでしょう。
ドイツ人さんもお優しく、深い懐をお持ちの方ですね。
ところで、”無機質”な札幌ということですが、私は今住む東京よりも札幌に深く憧れています。自然が多く、土地も広大で、その土地でとれる食べ物で生活が可能。温泉もありますし。ここ数年間、海外旅行に出ない年には、年に2度、札幌周辺を訪れています。なんだかほっとします。
by Bonheur (2014-10-14 21:22) 

もんとれ

身のまわりをきれいに整理なさって、ご自身で食事も作り通常通りの生活のできるスタイルのホームにお入りになった方かな。
記録が残っていることもすごい。
この国にいてこの街に暮らしていても、3ヶ月足を向けずにいると馴染みだった店がなくなったり、その店が入っていた古いビルもなくなったり。
耐久性や耐震のために、昔からの積立金程度じゃ追いつかないから、
新規に移ったほうが安くつくのも、エリアごとの再開発も仕方ないですが、
寂しいのは、昔は普通にあった建造やガラス扉がもう作れる人がいないとか、ね。

by もんとれ (2014-10-15 04:30)