朝食 [ドイツ南西の旅]
現在10月末の古城ホテルの話を連載中。昨日のレストランでは、めぎはシンプルなワンピースに羽織を羽織った。めぎがドレスアップするときはたいてい和である。と言っても、着物を着るのは面倒なので、羽織を重宝しているというわけ♪
次の日の朝。
部屋の窓からはホテルのレストランのテラス席は見えるのだけど、ネッカー川はどこにも。
何も見えないけど、素敵ねえ。
朝食に行くときに、昨夜のレストランをちらっと撮影。
あそこに座っていたのね・・・
奥は昼食用にセッティングされていたが、手前は朝食用のセッティング。
めぎたちが座ったのはこちら。
朝食が並んでいる部屋は、中世の騎士のトーナメントが描かれているところ。
品揃えは、めぎ家的にはゴージャス、日本から来た母たちにはまあまあ、かな。
人によって取ってくるものや順番が全然違う。家族でも好みって違うわね。
ちらっと覗いた裏側には、食膳用のエレベーターがあった。
明日は古城見学のお話をする予定・・・たぶん。
♪ 12月2日のアドヴェントカレンダー ♪
2日目はシールだった。
3枚しかないわね・・・何に使おうかな。子供が偶数なら取り合いになりそう。
こちらは義母が予め送ってくれていたアドヴェントカレンダー。こんな風に窓を開けていく。
♪ おまけ ♪
12月2日の夜には、来年のEURO2012の組み合わせが発表された。ドイツはBグループで、オランダとデンマークとポルトガルと。ひえええ。(写真はARDから)
ヨギ曰く、keine Wunschgegner und keine Angstgegner(絶対勝てる相手もいないし、勝てない相手もいない)。ええ、まあ、そうだけど。先日のオランダとの親善試合は3対0でずいぶん楽勝だったけど。でも。でも。
スペインはCグループで、イタリアと一緒だって・・・それもまたすごそう。
朝の光 [ドイツ南西の旅]
現在10月末の古城ホテルのお話を連載中。
朝食を食べ終わって、ちょっと外に出てみた。
夏はここで食べられるのね。
下の方はまだまだ靄の中。
でも、上の方は朝日を浴びて、なんて美しいこと!
早朝と違って、ずっと向こうの方がうっすらと出てきていた。
ほら、うっすら鉄塔も見える。
この日は午前中に古城の廃墟の部分を見学。
あそこを見に行くのね~
結構傷んできてもいるのね・・・
・・・と、なんだか一日引っ張ったような気がするが、記事の編集上ここで日を変えることにする。以上、朝の光シリーズでした♪
古城ホテルの見学は本当に明日から。
♪ 12月3日のアドヴェントカレンダー ♪
3日目は・・・
神経衰弱ゲームだった♪
このアドヴェントカレンダーの由来が12月1日のマウスのカレンダーに書かれていた。
なんでももともとは、19世紀の終わり頃からクリスマスまでの日にちを数えるために藁を一本ずつ置いたり壁に書いたチョークの線を一本ずつ消していったりしたことが始まりらしい。藁はクリスマスにはクリッペ(キリスト降誕を再現した模型)に使われたようだ。チョコレートを毎日もらえるアドヴェントカレンダーが登場したのは1950年のことですって・・・それって、うちのドイツ人が生まれるちょっと前のことだわねえ。いやあ、我々、歳だわね。
♪ おまけ ♪
先週ようやくドルトムントが首位に立ったブンデスリーガだが、今週またもやバイエルン・ミュンヘンが首位に返り咲き。バイエルンが大勝した以外はどこも引き分けばかりでパッとしなかったこの土曜日、ケルンも引き分けたけど、シュトゥットガルトにアウェイで負けずに済んだのはポルディのおかげ。よしよし、よくやったわね♪ (写真はARDから)
廃墟へ [ドイツ南西の旅]
現在10月末の古城ホテルの話を連載中。
さあ、いよいよ古城見学へ!
案内図では、建てられた時代によって色分けされている。
めぎたちが泊まった部分は中央左側の茶色い四角の下、赤とオレンジの縞々になっているところで、1517年から94年までに建てられたところを1612年以降に改築したものらしい。これから入るのは案内図の上半分の入り組んでいる部分。
ちなみに1517年から94年までこの城を所有したベルリヒンゲン家は、ゲーテが1773年に『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』という戯曲にしている。ゲーテの初期の作品で、史実を元に大いに脚色して書いたようだが(作品ではゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは若くして死ぬが、ホンモノのゲッツは80歳以上まで長生きしたそうだ)、この作品は何より「Leck mich am Arsch!」(訳は敢えてひらがなで書くことにする・・・おれのけつのあなをなめてみろ!)という台詞で有名。これ、文字通りの意味じゃなくて、「てめえ、ひっこめ!」みたいな意味で使われる。この言葉、あのモーツァルトだってLeck mich am Arschと歌うカノンを作っているのだから、ドイツ語の芸術は奥深い。うちのドイツ人がよくこのことを話題にしてたので、めぎはゲッツの城(Burg Hornberg)に泊まってみたいと思ってたの。
さて、中にはいると、こんなところを上っていく。
足もとが結構悪いのだが、健脚の母には何のその。
石ゴロゴロののぼりもくだりも何の問題もなかった。
こんなところを上ったり下ったりして・・・
ふと見上げると、本当は建物の中のはずなのに屋根がないことに気がついた。
この辺は14世紀に建てられた部分なのだ・・・長い間にすっかり崩れちゃったのね。
トイレか汚物を捨てる穴だったと思われるところ。
向こうに見えるアーチ型の入り口の奥は・・・
左側は1570年に作られたワインセラー、右側は牛乳貯蔵室だった。
本当に危ないところは立ち入れないようになっているけれど、こんなに崩れそうなのにそのままにしてあるドイツの古城。こういう展示の仕方が、ドイツらしさ。飾らずにありのまま。危険か否かは自己責任。
可愛いお花も咲いてるし。
でも、かつてはここにちゃんと部屋があって、屋根もちゃんとあって、家具とかが置かれてて、ワイン飲んだり牛乳を使った料理を食べたりして、人が生活してたのね。
窓だって、こんなに精巧に作られている・・・ここに住んでいた人たちは、ここから外を眺めてどんなことを考えていたのかしら。
下界は少しずつ姿を現し始めていた。
つづく。
♪ 12月4日のアドヴェントカレンダー ♪
4日目はタトゥーだった。
12月4日は第2アドヴェント。2つめの蝋燭に点火。
4日の午後、うちのドイツ人の友人がお悔やみに訪ねてきて、一緒にシュトレンとフルーツ漬けのラム酒を楽しみながら静かに話していた。友人も昨年父親を亡くしたばかりなので、二人は色々と共感しあっていたようだった。こういうときに、ただただ共感しあえることが、そして優しい言葉を掛けられることが、何よりもの慰めになる。