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シューベルトのミサ曲(Es-Dur) [文化の違い]

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ブリュッセルの話は終わり、その他にも妹との話は尽きないが、キリがないのでそろそろ終わりにしよう。

妹に是非見せたかったもの。そして、妹も是非体験したがったもの。それはミサ曲やクリスマス・オラトリオを教会で聞く、ということだった。

(写真はWikipediaより引用)


次の映像は全く別の場所の別な演奏だけど、めぎたちがデュッセルドルフのある教会のミサで聞いたシューベルトのミサ曲を是非どうぞ。映像のはカール・ベームの指揮で、ウィーン少年合唱団が宮廷礼拝堂で歌っているもの。1976年の演奏ですって・・・ミサ曲は全6曲からなり、1曲目はKyrie(キリエ)という。映像1分後くらいからようやく音楽が始まるのだが、めぎの置かれた状況をできるだけ再現なさりたい方は、どうぞ映像を見ずに音だけに集中していただきたい。できれば大きな音で。



めぎは上の写真の教会の、左側の末席の後ろに並べられたパイプ椅子の席に座っていた。見る見るうちに満席となり、通路にも人が次々と立ち始めたところでミサが始まった。そんなちょっとざわざわとした教会で、上(正確に言えば後ろのパイプオルガンがある2階の空間)から音が降ってくるような形で音楽が始まり、その静かな導入と共に教会内のざわざわがスーッと消えた・・・もしくは、少なくともめぎの耳からスーッと遠くなった・・・そして、ホルンの音色に続く最初のコーラスの導入を聞いたときに、めぎは急にぞくぞくっと鳥肌が立ち、ぼろぼろっと涙がこぼれた。それは、不意を突かれたような、自分でもびっくりした予期せぬ出来事だった。この美しい教会、この美しい歌声、これが「天使の声」というものなのね・・・なんて美しいんでしょう!と、純粋に音楽と歌声の美しさに感動して涙が止まらない。でも、拭ったりせずに流れるままに任せながらその調べに集中していた・・・左隣のうちのドイツ人がめぎが泣いたことに気付かなかったほど、ひっそりと涙していたのだった。すると、右隣で妹がそっとバックを開けてハンカチを取り出して涙を拭き出したではないか!あらまあ・・・姉妹で泣きながらミサに出ている光景っていったい!


妹はあとからこのミサ曲を振り返って、あの歌声は歌っている詩の内容を宗教的に心の底から信じている人にしか出せない美しさだった、と言っていた。まさにそうなのよね・・・ミサ曲の1曲目の歌詞は典礼の文句で、ギリシャ語の次の3行だけ。7分もあるこの曲の歌詞はこの3行を繰り返しているだけなんですのよ。

Kyrie eleison(キリエ・エレイソン=主よ憐れみたまえ)
Christe eleison(クリステ・エレイソン=キリスト憐れみたまえ)
Kyrie eleison(キリエ・エレイソン=主よ憐れみたまえ) (訳はWikipediaより)


上の映像の、キリエ・・・と歌い出すところの静謐とした美しさ。「クリステ~♪」と歌うのは、映像3分10秒くらいの、音楽が盛り上がったところから。その辺りのハーモニーも見事だし、その後静まっていってもとのテーマに戻っていくところの響きもなんとも言い表せない美しさ。こういう音楽を教会で聞くというのは、たぶん神社で神楽を見るような、もしくはたぶん皇居で雅楽を聴くような感じかしら・・・神に向かって捧げられている音楽を一緒に聴くことに対し畏れ多い気分になるというか。コンサートホールやオペラ座で聞く音楽のなんと薄っぺらで装飾的なことよ・・・クラシック音楽には、こんなに深く、厳かで、それでいて魂の叫びのような分野があったのだ。宗教音楽としてのクラシックはどれもこのように真摯で、完成度が極めて高い。そして、自分が聴いたり弾いたり作ったりしてその音を楽しんだり調べに酔ったりするものではなく、神に直結している、という感じだ。
Maxkirche2.jpg(写真はWikipediaより引用)


めぎは、教会で聞く宗教音楽の畏れや深さを、声楽をたしなむ妹に体験して欲しかった。それは、テクニックを習うとか、練習するとか、作曲された時代や音楽家の伝記を知るとか、音楽の形式や作曲法を勉強するとか、そういうことで得られるものでは全くない。教会の匂いや光の加減や祈りに来ている人たちのざわめきや司教の声などと一体化して、体得するものだ。図らずもめぎにとっても魂の震えるような体験となった今回のシューベルトのミサ曲が演奏されたミサがあったのは、St. Maximilian(ザンクト・マクシミリアン)という教会。上の写真のように中の装飾も素晴らしく、演奏も歌声もウィーンのに引けを取らない素晴らしいもので、見応え・聴き応えのあるミサだった。あのような質の高い楽団と合唱団を自前で持っているドイツの地方教会の数々・・・ヨーロッパのクラシック音楽の裾野はあまりにも広く深く、底が知れない。(司祭のお話はどうも視点があちこちに飛んでよくまとまっていなかったが、火災報知器が誤作動したほど乳香を焚きながら異教徒の我々を香煙に巻いたのかも知れない。)
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それにしてもシューベルトって、なんて美しい音楽を作ったんでしょう・・・これもまた、本当にその宗教を信じているからこそこういう調べが作曲できたのかしら。同じことをバッハのクリスマス・オラトリオでも感じるのだけど、音楽にはその人の人生というか人となりが全て映し出されますねえ。200年も後に異教徒の人間を泣かせることのできる音楽を遺すって・・・シューベルトってあんまり注目してなかったけど実はすごかったのね。

きっと、音楽に限らず人の営みには、その人の人生が全て映し出されているのだろう。ブログも然り、写真も然り、文章も然り、授業も然り、論文も然り・・・真剣であればそれは美しく、人に伝えたいという気持ちがあればそれは分かりやすくなり、独りよがりであればそれは分かりにくくつまらないものとなるんだろうな。めぎのドイツ暮らしにはめぎの人生が表れているのだろうし、妹はそれを見に来たのだろう。めぎにとって、このミサを妹に見せることができたことは、妹への今回一番のもてなしだったし、自分のこれまでのドイツ生活の集大成でもあった。その意味をきちんと感じることのできる妹を持ったことは、めぎが最も両親に感謝することであり、八百万の神々に感謝することであり、また自分自身の誇りでもある。

上のウィーンの映像、1976年のミサってことは、この少年たちは今40歳くらいってことね・・・そう思うと、本当に、この声が美しくも儚く感じますねえ。


2017年追記
別のバージョンもどうぞ。ヨーナス・カウフマンが歌っているもの。例えば23分54秒くらいからアップ映像があるが、凄く若い!1997年のだというから、もう20年前だものね。上の映像の少年たちはもう50歳くらいだわね・・・

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hatsu

美しい音楽ですね。
心の澱みを、洗い流してもらえた気がします。

by hatsu (2010-01-24 07:15) 

いとお

素敵ですねぇ
私も生で聞いてみたいです(^^)
by いとお (2010-01-24 07:41) 

piano

涙が出るような素敵なミサ、一度体験してみたいです♪
by piano (2010-01-24 07:44) 

manamana

ちょっと大きめにして聴いています。
生で聴いたら、すごい感動でしょうね。
それにしてもいい妹さんを持って、
幸せですね。
by manamana (2010-01-24 08:01) 

rino

めぎさんと妹さんの魂の直結を感じました。
神様の前で尊い姉妹の時間が持てましたね。
教会、そして美しい魂の歌声は姉妹の絆をも再確認させてくれるんですね。こういう経験って本当にすばらしいですね。
by rino (2010-01-24 08:21) 

Baldhead1010

古典音楽が出た頃、大きなうねりの頂点だったでしょうね。
by Baldhead1010 (2010-01-24 08:34) 

のの

( ̄∇ ̄*)・・・一気に過去記事をマトメ読みしてきまして・・
ちょっと頭がクラクラしつつ(笑)でも、私も一緒に旅したような気分♪
最後の〆のめぎさんのお言葉もとても心に染みました*
めぎさんの妹さんが羨ましいです(^^)

ベルギーの歴史のお話もとてもためになりました。そうやって出来た
国なんですね・・。
旦那さまがいらっしゃらない時のめぎさんの怠惰生活(^m^)
とても親近感湧きました(笑) 私の一人の昼食と一緒だわ♪と。
老眼はちょっとずつ・そして一気にやってきます(++)
私はすでに撮ってる時のピントが合いません(笑)
なので、勘で何枚も同じやつ撮って、パソコンで大きくしてみてから
ピントが合ってる合ってないが判るという・・・(^^;)やれやれ・・;
妹さん、体調戻られてよかったですね。
私もイタリアンとか好きですけど、お米・ラーメン食べれない1週間は
やはり辛いですね(>∇<)

楽しい旅行記ありがとうございました♪
めぎさんの妹さんご夫婦にも感謝です!
by のの (2010-01-24 10:24) 

くろた

聴かせていただきました。
ボクも一度だけチェコで本物のミサに出会い
パイプオルガンと声楽の音色に感動しました。
クラシックに知識や宗教など無関係に
心に響く音楽ってほんとにすばらしい芸術だと思います。
by くろた (2010-01-24 12:11) 

マリエ

めぎさんの今日の記事何だか小説のよう、別の意味で感動しましたよ、ウルウルってきちゃいましたよ~、教会の音楽、ミサ、日本のですが参加したことがあるので分かります。鳥肌ものっていうのも同じです。
異文化でも感じるものがありますよね。
by マリエ (2010-01-24 13:40) 

YAP

美しい音楽ですね。
以前、ドイツの田舎町を歩いているとき、教会があったのですが、中からパイプオルガンの音楽が聴こえてきて、中に入っていいものかわからず、外から眺めるだけにしたことがあります。
中で聴いたら、また違う感動があったのだろうと思います。
by YAP (2010-01-24 13:47) 

tanpopo

これはぜひ、生で聞いてみたいですね。教会の雰囲気や人々のざわめきや真剣な表情、匂いまで、体中で体験したら、より深い感動があるのだろうなあと思いました。最後の、人の営みにはその人の人生が映し出されている…というお話、きっとそうですね。自分のことも振り返って、いろいろと考えさせられました。妹さんも素晴らしい体験ができて良かったですね。姉妹の絆の深さも、ほんとうに素敵です。羨ましいなあ…。
by tanpopo (2010-01-24 14:04) 

香草

心を震わせるものは国境も時間も超えると思っています。
いろいろなことに感謝の気持ちをお持ちになれるめぎさんが一番素敵だと思います^^。
by 香草 (2010-01-24 14:21) 

maki

キリスト教に限らず、長い間人類が心の拠り所としてきた宗教にはそれだけ人の心を感動させ、染み入るものがあるのでしょうね。
それは頭で考える以前に心が感じるものなのだと思います。
私はキリスト教信者ではないけど、聖歌は好きですし、ヨーロッパに行くとその教会の荘厳さに圧倒されて胸が一杯になりますし、アジアの寺院で一心に祈祷する僧侶や信者の姿にも心打たれます。
もちろん神社の境内を歩いていれば敬虔な気持ちに包まれますし。
そう感じられることが有り難いし、ステキな体験だと常々感じます^^

by maki (2010-01-24 15:22) 

ぽりぽり

教会ですから、良い気が流れているのかもしれませんねぇ。伝わる音も魂に届くのかもしれません。本場のクラッシック音楽を聞きに行きたいものです。
by ぽりぽり (2010-01-24 16:32) 

塩

ベーム指揮のシューベルトのミサ曲6番変ホ長調を聞かせていただき感激です。生前にはカラヤンよりベ―ムが好きでした。
シューベルトのミサ曲のCDは3番~6番まで持っていますがサバリッシュ指揮のものですのでありがとうございました。
by (2010-01-24 17:53) 

おじゃまま

涙がながれるほどの美しさでしたか…。
聞いてみたいものです。
by おじゃまま (2010-01-24 18:11) 

ナツパパ

わたしもそういう経験を持ちたいなあ、と思いました。
こればかりは、どんなCDの名演奏も、教会で実際に聞くものには敵わないでしょう。
by ナツパパ (2010-01-24 19:59) 

ムク

人の営みには、その人の人生が全て映し出されている・・・。
おっしゃるとおりですね、深いお言葉です。

by ムク (2010-01-24 20:17) 

miffy

教会で聞く音楽は心に響きますね。
空から音が降ってくる感じをまた味わいたいな~と思いました。
by miffy (2010-01-24 21:52) 

もとこさん。

民主主義ではなかった時代、庶民は神様のため、王様のために命を懸けた(かけざるを得なかった)ものがあったのでしょうね。それが素晴らしい感性と表現の技術の裏づけがあって、芸術に昇華して行くのではないでしょうか。愛する対象、それが神であっても人であっても、に完全に捧げきる動機でなされたものやことは人々を感動させずにはおかないでしょう。その意味で、長い宗教の歴史と伝統があり、今も生きている社会に住んでいらっしゃるめぎさんは幸せですね。
今の世で命を懸けるなんてめったやたらにあるわけでは無いですが、我なる動機を全く忘れ去るほど打ち込む世界を持ちたいものだと思います。

by もとこさん。 (2010-01-25 01:32) 

たいちさん

音楽を聴きながら、この記事を読ませていただきました。その時、数年前にドレスデンへ行って、フラウエン教会のミサを聴いたことを思い出しましたね。教会とクラシックのコラボはいいですね。
by たいちさん (2010-01-25 16:22) 

めぎ

>みなさま
シューベルトのミサ曲の話にコメントとniceをありがとうございました。
このミサは、クリスマスというただでさえ気持ちが高揚する雰囲気の中、美しい音楽とそれを非常に美しく再現した演奏に加え、妹たちが来てくれたという特別な感情もプラスして、非常に心を揺さぶる経験となりました。妹たちと一緒にオペラやコンサート、旅行やカウントダウンパーティーと、いろんな所へ行きましたが、このミサがめぎ的には最高のイベントだったと振り返っています。
クラシック音楽についてある程度勉強しためぎは、一般の人よりクラシックを知っていると自負していました。でも、その意識がドイツに来て根本から覆されました。宗教音楽としてのクラシックを知らないままクラシック音楽を作曲したり演奏したりするのは、土台のないところに家を建てているようなもの。または、ギリシャ・ローマ文化やキリスト教を知らずにドイツ文化を語るようなものです。めぎは、ドイツに来てからいろんな意味で、自分のこれまでしてきたことを見直さなければなりませんでした。
そこまで考える必要がないかも知れませんが、めぎは基礎を大切にする教育を受けてきた人間なので、自分が努力して得てきたはずの基礎が実は土台を持っていなかったことを知ったショックは計り知れず、立ち直るまでの相当な時間がかかりました。めぎのドイツでの8年間は、自分を建て直す孤独な戦いの時間でした。
普通は1~2年程度の留学で日本へ帰り、研究者として独り立ちしていくはずのめぎの属する世界で、敢えて日本へ帰ることをやめた理由は、1年や2年ではその土台を作れなかったからです。土台を作らないままその道の研究者になることに、めぎには非常に大きな抵抗感がありました。そして、ドイツに残ってこの土地に根ざしていけば行くほど、外国人のめぎにはこの土台が決して作れないものだということも、涙を呑んで受け入れざるを得ませんでした。そして、めぎが既に持っているものを有効利用し、それで人様の役に立てるような、そして自分自身も高めていけるような、そういう道を試行錯誤して見つけていきました。
クリスマスは、そしてミサは、めぎがこの社会に属していないことを最も感じる場です。そんな部外者の人間でも、その中で何かに感動できることを幸せに感じます。涙が出て、肩の荷が一つ下りたような、スーッと楽になっていくような感覚を覚えました。そんな経験ができたことが、これまでの集大成だと感じた所以です。
そして、日本から来た妹も、妹なりに何かを感じて涙したということが、非常に価値あることだったのではと想像しています。それは妹が妹自身で少しずつ消化し、彼女自身の人生の中に昇華していくことでしょう。その小さな手助けができたことが非常に嬉しかったです。
by めぎ (2010-01-26 03:25)