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お別れ [仕事風景]

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今日から2週間、イースター休暇に突入。日本では卒業・進級のシーズンだが、ドイツではまだまだ年度内だし、休みをまたがって学期中。卒業は夏休み前の7月である。高校の場合、イースター明けに卒業試験が始まり、約一か月かけて4科目の試験が行われる。以前にもご紹介したように、1科目の試験が3~5時間で、一日に1科目しか試験が行われなく、一週間に3科目までしか試験を受けられない決まりなので、たった4科目の試験に一か月もかかるということだ。大学入試はなく、その卒業試験の成績が大学進学資格となる。それだけでも日本とまるで違うが、もう一つ日本と大きく違うところは、卒業試験期間以降、高校3年生の授業が全く行われないことだろう。つまり4月から7月にかけて、もう授業はない。高校3年生は自分の試験の日と成績発表の日と卒業式の日に来るだけだ。
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そのようなわけで、イースター休暇に入る前に最後の授業の日がやってくる。めぎが教えている生徒たちの多くはめぎの高校の生徒ではなく、日本語を履修するためにデュッセルドルフ中の他の高校から通い続けた若者たちだ。日本語などというマイナーな言語を高校で選択必修科目として履修できるのは言語教育に熱心なドイツといえども稀で、デュッセルドルフではめぎの高校一校だけなので、やる気のある生徒に門戸を開いているのである。同じように別の高校に集まって選択できる第3~第4外国語の言語としては、スペイン語やイタリア語、ロシア語、ヘブライ語などがある。(英語と第2外国語のフランス語かラテン語はどの学校にもある。)デュッセルドルフ市の教育委員会のようなところが、どの学校がどの言語を受け持つかを決め、各学校の生徒たちがそれを履修できるように全体スケジュール管理も行っている。
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そんな事情はともかく、このことは、めぎが自分の勤める高校の卒業式に出ても、めぎが教えた生徒たちの多くはそこにいないということを意味する。つまり、めぎにとって、日本語で卒業試験を受ける数人の生徒たちと自分の高校の生徒たちを除き、多くの生徒たちとはイースター休暇を前にお別れを迎えるということなのだ。
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前置きが長くなったが、そのようなわけで、3月中旬に最後の授業の日がやってきた。3年間、自分の学校の授業が終わってから午後遅い時間にここへ通い続けた生徒たち・・・最後の時間にはアンケートを記入してもらい、共に日本語を勉強した仲間へのメッセージを自由に書いてもらい、同時に一人一人と最後の学期末成績について個人面談した。最終日に4名も休んで会えなくて残念だったけど、それはそれで仕方がない。
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面談が終わって授業を締めくくったら、最後の授業だからと、生徒たちが花束を用意していてくれた。全く予期していなかったので、かなりびっくりした。ありがとう。
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これがめぎにとってこの学校の教師になってから6回目の卒業生だが、日本語で卒業試験を受けた生徒があとでお礼に訪れて花やチョコレートなどを持ってきたことはあったが、クラス全員から花束をもらったのは2回目だ。つまり、最後に先生に花束を贈るというのはしきたりではない。彼らが花を贈りたいという結論に至ったということである。それは、非常に大きなことだと思う。彼らとの間にそういう関係を築いたということなのだろう。
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毎年毎年、様々なクラスに出会う。おとなしいクラスもあれば、賑やかすぎるクラスもある。非常に手を焼く生徒もいれば、大人びた生徒もいる。どの学年も、どのクラスも、どの生徒も、思い出深い。その中でも、めぎにとってこのクラスはなんとも特別なものだった。それは恐らく、高校制度変革の年の生徒たちだったからだろう。ドイツでは小学校が4年制で、日本でいえば小学5年生の時から中学に入り、さらに将来大学に行きたい生徒はただの中学ではなく中高一貫制度の学校へ進学する(それ以外の学校を出ても将来大学へは入れない)。ドイツではこれまでその中高一貫校を9年間と定めてきた。つまり、中等部が6年間(日本でいえば小5~高1)で、その後高等部が3年間(日本でいえば高2~大1)だった。そう、ドイツの高校を卒業するのは、19歳だったのだ。その分、日本の大学の教養課程のような授業を高等部で行っているのだが、高校卒業までの年数が国際スタンダードより1年多いのは事実。それで、中高一貫校の期間を1年短縮し(短縮するのは中等部)、18歳で卒業できるように制度改革したのだった。
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この夏、中高一貫校9年制の最後の生徒たちと、中高一貫校8年制の最初の生徒たちが同時に卒業を迎える。今から3年前、9年制の生徒たちと8年制の生徒たちを同時に高等部1年として受け持った。予算の関係で日本語はそれを1クラスで授業することとなった。つまり、クラスの半分は16歳、半分は15歳だったという訳だ。(実際は留年したり飛び級したりも含まれるから、14歳から17歳の生徒が卒業年次が同じ学年として一つのクラスに席を並べたのだった。)
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想像するとすごいことだと思う・・・留年や飛び級はさておき、普通にやってきたのに、自分がようやく高等部へ入ったと思ったら、一年年下の奴らも同時に高等部に入ってくるなんて。年子の兄弟だったら、中等部に入った年次は違うし学年も違うのに、高等部に入るのが同時で、卒業も同時になってしまうのだ。ドイツには先輩後輩の区別は基本的にないが、卒業年度が一年下と同じになるというのは、上の学年にとっては結構大きな屈辱ではないだろうか。同じ高校卒業資格を得るのに一年も余計に学校に通うのだ。方や下の学年にとっては、一年早く大人になれてラッキーという感じ。彼らは一年少ない分中等部の一日の授業時間数が長く、それに耐えて頑張ってきたという自負がある。めぎの観察したところでは、同じクラスに入れられて同時に日本語を始めた彼らは、非常に大きく二分していた。9年制の生徒たちは妙に子どもっぽく、8年制の生徒たちは妙に大人っぽかった。その逆転現象を抱えながら、一つのクラスとして率いていく難しさ。
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いや、日本語は単なる選択科目だから、本当は別に一つのクラスとして率いる必要などない。でも、3年間も週に2回通い続け、同じ先生と同じメンツで勉強し続ける訳で、連帯感も生まれてくる。めぎはそこでお母さんになったりお父さんになったりする。高校生はまだまだ子どもで、ただ日本語を教えればいいという感じでもなく、甘えられたり拗ねられたりアピールされたり無視されたり色々だ。躾やら悩み相談やら授業態度への指導やら親との面談なども必要となる。その上に2学年一緒の難しい状況・・・そんな格闘の3年間を経て、贈られた花束のこの優しい色合い・・・胸にじーんと来るものがあった。
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アンケートには、ぎっしりと様々な思いが綴られていた。
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めぎの授業のどんなところがよかったか・・・ダントツに多かった答えは、和やかな楽しい雰囲気、質問しやすい雰囲気、一方通行ではなく誰もが参加できる雰囲気、だった。次に多かったのは、様々なワークショップや日本文化に触れる機会だった。この3年間に日独交流150周年があり、その記念行事で様々な機会に参加できたこともラッキーだったのだろう。その他、教科書がよかったとか、使える単語を使える表現で学べたとか、そういう答えもあった。
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よくなかったところとしては、口頭試験が嫌だった、という答えがダントツに多かった。定期試験の一つを口頭試験にしたのだが、それは相当難しかったらしい。事前にもっと準備させなければいけないな。やっぱり、言葉なんだから、話せないとね・・・でも確かに、習い始めて2年目くらいでスピーチと会話の試験をするというのは、なかなかに難関だわね。その他、助詞が難しかったと書いた生徒も・・・助詞の教え方をもう少し工夫しなければいけないな。
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試験や平常点の付け方についても尋ねた。高校生からangemessen(適切)やgerecht(公正)というお言葉を頂戴するドイツ。こういうとき、文化の違いを大きく感じる。
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成績のよかった生徒ほどめぎの定期試験の採点は厳しかったとコメントする。そうなのだ。めぎは基本的に、成績のよくない生徒には寛大で、できる生徒には厳しい傾向がある。それは、成績のよくない生徒が精一杯頑張ったのを少しでも良く評価してあげたいと思うからであるし、できる生徒ほどもっともっと伸びる可能性があると思うからなのだが、ちょっと厳しすぎることもあるかも知れないな。
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めぎは毎学期特に平常点の成績について個人面談を行っている。生徒たちの話によると、一般に他の先生方は授業の最後に平常点をクラスで読み上げ(日本のように終業式に成績表をもらってドキドキびっくりホッとするというのと違って、ドイツでは事前に教師それぞれから教科の成績を生徒に伝えることが義務となっている)、異議のある生徒のみ5分間くらい質問の時間を設けるのだそうだが、そんなことはめぎには心情的にできないのだ・・・成績をみんなの前で発表されたい人なんているだろうか?それが一般的でも、めぎはしたくない。だから、授業の進度を調節し、必ず個人面談の時間をひねり出した。同時に日本の映画を見せたりしながら、一人一人別室で面談。この面談に関しては、毎年どの生徒たちにも高評価をもらう。やはり、どこを改善したらよいかを私と話し合えるから。
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でも、めぎにとっては、その意義はそれだけじゃなかった。一年に4回の面談の時間のおかげでどれほど彼らをより理解できたことだろう。短い時間で(90分で15~20人程度の面談を行う)要領を得ない彼らの話しぶりから何かをつかみ取れるよう、そして、せめて彼らの示すシグナルをキャッチできるよう、心理学も少しずつ勉強した。それは、彼らの気持ちが分かるためにではなく、どうしてそういう行動をとるのか理由を推測できるようになるために。教師としてどんなに腹の立つ状況でも、一人の人間として役に立てるきっかけを見出したかった。その姿勢が伝わったんだな、と思うコメントもあった。
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これはめぎの私見だが、教師になるのなら基本的に精神分析や心理療法(教育心理学や発達心理学などとは全く異なる。生徒指導や学校カウンセリングに近いが、もっと臨床心理学的なもの)を学んでおくべきだろうなと思う。ただ一教科履修するというのではなく、副専攻並みに勉強し、できれば実習もしておくべきだと思う。感情転移のメカニズムを知って、生徒の側からの感情転移の危険を避けるという意味だけでも非常に有効だ。それに気づかず生徒指導で必要以上の手をさしのべたり必要以上に腹を立てたりするのは、結局ナンセンスだし、意味も成果もなく疲れるだけだ。残念ながら教職にそんなカリキュラムは入っていないのが現状だけど。ドイツの教職は2つの主専攻を持ち(例えば数学と英語など、2教科で教職を取る)、教育学も副専攻でとり、修士号を取り、さらに2年間の教育実習をしなければならないから、その上心理学なんてことになったら30才前に取得できることはほとんど不可能になってしまうだろうけれど。でもやっぱり、それを学んでおくことでずいぶん指導に活かせるものと思う。ひょっとしたら、教科そのものの教授法よりずっと重要だとさえ思う。ハッキリいえば、やる気があって集中力もある生徒にはどんな下手な教え方をしても自分で学んでくれるのだけど、精神的に何かを背負っている生徒には、どんな新しい素晴らしいメソッドで教えても全く何も届かないのだから。
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さてさて・・・生徒たちは、午後遅い時間にここに通ってくるのがどれほどしんどかったかも書いていた。
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でも、それを乗り切れたのは、めぎが「おもしろ」くて、「オープン」で、「生徒たちの一日の疲れに寛容」で、めぎの授業が「リラックスして寛いだ」雰囲気で、「休養」の時間のようで、「楽しかった」かららしい。最後に多くが「先生そのままでいてね」と書いていた。
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授業が寛いでリラックスした雰囲気だというのは、退屈な授業でもあるということだと思うのだけどな・・・しかし、彼らはそれをずいぶんポジティヴにとらえているのだな・・・メリハリがあって休む暇もないほど緊張感のある授業をするのが一般にいい授業だと思うのだが、恐らく生徒たちにはそれと正反対なめぎの授業が斬新だったのだろう。そういえば、めぎを雇ってくれた校長も、試用期間の授業参観のあとで、ドラマチックではない平常授業をコンスタントに遂行する、というようなことを非常に高く評価していたものだった・・・普通そういう研究授業や授業参観ではどの先生方も最新のメソッドを用いて派手なドラマチックな授業を展開するのだが、めぎの授業は落ち着いて淡々としていた、それが非常によかった、と言われたのだった。もちろんそれと同時に、ドラマチックな授業は一か月に一回程度あればいい、そうでなければ生徒がエスカレートしていくだけだから、などとだめ押しもあったのだが。
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めぎはそれから6年間、その校長の言葉を信じてやってきた。そう、繰り返しになるが、今回の卒業生はめぎにとって6回目の卒業生。めぎはこの高校の教師としては、ようやく小学校を出るレベル。まだまだなんだよな。そんなめぎに、こんな素晴らしい言葉をありがとう。めぎは本当は非常に冷酷できつくて厳しい人間なのよ。それが、こんな風に「あたたかい」と評価され、プロフェッショナルでいられたかな、と嬉しく思う。これを書いた生徒はめぎの評点の厳しさに触れていたから、きっと冷酷さと表裏一体の愛情に気づいてくれたのだろうと思う。
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めぎはいつも定期試験の答案用紙にトトロのスタンプを押していた。小テストにも押していた。
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その所為か、仲間へのメッセージにはトトロや宮崎アニメのキャラクターの絵がたくさん描かれていた。
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3年間少しずつ成長して、大人になっていく彼らがとっても愛おしかったな。
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まだ10代の彼ら。これからどんな未来が待っているのかしら。
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花は、順番に咲く。先に美しく咲く花もあれば、あとから咲かせる花もある。残酷だが、咲かずに萎れる場合もあるし、他の花の美しさの陰で注目されない花もある。そして、いつか必ず枯れていく。
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そんなしんどい人生がこれから待っている訳だけど、みんなの素敵な花の一生を願っているよ。そして、心のどこかにきっと日本への思いをあたたかく持ち続けてくれることを。
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めぎ先生へ
先生の努力と忍耐に感謝します。楽しい3年間でした。先生に会えなくなるのがきっと寂しくて、ずっと忘れないでしょう。
大人になった日本語のクラスより
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たぶん、日本語の教師としては、こういうカードを日本語で書いてもらえないことを反省すべきなんだろうな。めぎはそういう風に育ててこなかったのだ。でも、最後の言葉をドイツ語で書いてくれたのがめぎは嬉しかった。めぎに本当に伝えたいことを自分たちの言葉で心のままに表現してくれたと思うから。

25名でスタートしたクラスも3年間に転校や留学や留年や大変すぎるからと履修を外して10名ほど減り、最後は15名。そのうち4名欠席。最後だけど、なんだかいつも通り。さようなら。
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Baldhead1010

日本人は親におんぶにだっこだけど、外国人はしっかりしてますね。
by Baldhead1010 (2013-03-25 04:29) 

ちばおハム

読んでいて、ジーンとしました。
先生、とくに大きな子を教えている先生方は本当に大変だなあと思います。子どもの心は年と共に複雑に大人に近づいていくんですよね。そのさなかの子どもたちに親身になって指導していくっていうのはとても繊細なお仕事だと感じます。
最後の生徒さんたちの写真はまさしく大人の一歩手前。
これからめぎさんの教えた日本語がどのように育っていくのでしょうね。
by ちばおハム (2013-03-25 05:45) 

hatsu

生徒さんたちのメッセージと、めぎさんの言葉、
心にじんわーり響きました^^
by hatsu (2013-03-25 06:00) 

駅員3

バラのマクロが素敵ですね。
この学生さんたちが、今後どんな風に羽ばたいていくのか、楽しみですね。
by 駅員3 (2013-03-25 07:50) 

YAP

いつもながらに文化の違い、高校生の成熟度の違い、いろいろと感心しながら読ませていただきました。
こういう先生が卒業したあとも「恩師」と慕われるんだろうな、とも。
きれいな花束と、びっしり書き埋められたアンケートがそれを物語っています。
by YAP (2013-03-25 08:18) 

ナツパパ

お互いフランクに、自分の思っていることを書ける関係が良いですね。
紋切り型の感謝ではないところ、そういうところで、こういう評価は
素晴らしい事ともいます。
よかったですね、めぎさん。
by ナツパパ (2013-03-25 08:44) 

luces

教育に対するめぎさんの姿勢や思いが伝わりとても勉強になりました。
ドイツ語は読めませんが生徒さんの気持ちが伝わってくる気がします。
by luces (2013-03-25 09:05) 

かずのこ

ほんとうに素敵なコミュニケーションを築かれましたね。
人との関わりは一生の財産、
いつかまた、そんな風に
改めて彼らは気づいてくれるでしょうね。
by かずのこ (2013-03-25 09:55) 

夢空

3月は、春なんだけど別れの季節でもあるから、ちょっと気持ちも下がり気味です。こちらは、小学生なので花なんてもらえないし(^_^;)学校の先生でもないから、「式」なんてのはないから、区切りもないけど。。。
来週、生徒たちからの要望で、卒業旅行に行ってきます(*^_^*)
by 夢空 (2013-03-25 10:00) 

塩

ご苦労さまでした。
めぎ先生の丁寧な質問に賛辞を含めて生徒さん達は真面目に答えていますね。不可能なことですが、授業参観をさせていただきたいような気持になります。
先生も生徒さんも素晴らしいです。
by (2013-03-25 10:04) 

krause

素敵なお仕事です^^、そして素敵な先生です。
そういえば、私の高校時代も高校生活も思い出したくないものですが、そこにいた教員たちは例外なく本当に素敵な人たちばかりでした。
by krause (2013-03-25 11:13) 

たいちさん

今回の記事を読み、非常に感動し、目頭が熱くなりました。
めぎさんは、素晴らしい教師ですね。
by たいちさん (2013-03-25 14:54) 

nachic

一人一人と向き合って、成長を見守りながら、先生も
育ててもらっているのでしょうか。めぎさんはすばらしい
お仕事をされていると思います。
by nachic (2013-03-25 18:23) 

Inatimy

入門レベルの私が訂正できるほど先生の文法の間違いが多かったり、文法は理解できるけど会話は苦手なのを分かってくれなくて宿題の作文を自分でしなかったと疑われたり・・・といろいろ体験ありな私。 若い学生さんたちとは立場は違えど、行く先々の国々で語学を習う身としては、めぎさんは本当にプロ意識が高い良い先生だなぁと感じます。 学生さんたちのこれからの人生で日本語を学んだことやクラスで得たものが、彼らの世界が広がるきっかけとなればいいですね~。
by Inatimy (2013-03-25 19:02) 

Bonheur

ドイツでは他国より高校卒業時期が一年遅く、また制度改正があったとは、めぎさんの記事を拝見するまで知りませんでした。制度改正の狭間の生徒たちは、悲喜こもごもでしょうね。
いつもより文章の多い記事、めぎさんの気持ちがいつも以上にこもっているのが伝わります。
めぎさんのように真面目で一生懸命な先生に巡り合えて、学生・生徒たちは幸せだなあと思います。
私はめぎ先生にドイツ語(初級)を教わりたいなあ(^^)
それにしても、日本語に興味を持ってくれるドイツの子供たち、なんだか嬉しくなります。
by Bonheur (2013-03-25 21:37) 

yutakami

わーーー、ナイス20!
心から「お疲れ様でした」と申します!

by yutakami (2013-03-25 22:46) 

ぽりぽり

お部屋のイメージが変わっていますねぇ〜。高級ホテルみたい。 めぎさんの教師としての熱意が伝わってきますねぇ〜。 自分の技能を使って、人を育てることが出来れば、大きな社会的財産になりますよね。自分もがんばらなくては。。
by ぽりぽり (2013-03-25 23:00) 

stellaria

密度の濃い記事で、読みながらとても多くのことを感じました。めぎさんの温かな思いが伝わってきます。3年間、お疲れさまでした。やはりめぎさんは素敵な先生ですね。その努力、その思いやり、心配り、ひとつひとつに頭が下がります。これほどまでに心を砕いて生徒たちに接し、ていねいに指導していらっしゃることが素晴らしいと思います。私はめぎさんが冷酷できつくて厳しいとは全然思わないなあ。生徒さんたちと同じく、私もめぎさんに「そのままでいてね」と言いたいです。
by stellaria (2013-03-26 00:02) 

テリー

本日、無事帰国しました。
今回は、ルフトハンザ航空を、使用したせいで、行きは、ミュンヘンの乗り換え、帰りは、フランクフルトから、成田にA380で、戻りました。
by テリー (2013-03-26 00:29) 

rino

めぎさんのような先生に出会えて子供たちは幸せですね。
by rino (2013-03-26 18:31) 

HIROMI

わたしも子どもたちにわたしの通信簿をつけてもらいました。
とはいえ、1年生なのでほんの短い所見のみの通信簿です。
「あまりをこらないでください。」(をは原文のまま)というのがあり反省したり。
「けんこうでいればいいです。」という言葉が嬉しかったり。

派手な授業ばかりだと、子どもたちは疲れてしまいますよね。
しっとりと落ち着いた授業は、一服の清涼剤です。
by HIROMI (2013-03-26 22:31)