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コテコテのバイエルンの田舎町 [ドイツ各地]

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現在、昨年夏のザルツブルクの帰りに寄った町の話を連載中。今日からドイツ編。

オーストリアで最後に寄ったブラウナウという町から今度はまっすぐ西へ20kmくらいミュンヘンの方へ進む。すると、そこにAltötting(アルトオェッティング)という町がある。
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着いてみると、ザ・カトリックという感じの雰囲気満々。何かカトリック系のお祭りも開催されていたようだが、詳細は不明。ドアが開いていたのでこの立派な教会に入ってみた・・・
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しかし、なんだか暑くてもう疲れてしまってて、こんな斜めな写真を撮っただけ。豪華な大きな教会なのにね。
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で、そそくさと出る。あ、これは意図して斜めに撮ったのだけどね。この頃斜め撮りの練習をしてて。でもあんまり成功してないわねえ。
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疲れてしまったのは、ブラウナウでヒトラーの生家なんぞを見た所為でもあるし、ザルツブルクの休暇が終わってしまったからでもあるし(ザルツブルクでもう教会見まくったし)、おなかも空いたから。そんなわけで、めぎたちは昼食休憩。まずはバイエルンのビールから。
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そう、ここはもうバイエルン。

あ、でも、うちのドイツ人はアプフェルショーレ。リンゴジュース炭酸割りである。
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まずはスープから。クレープを細切りしたみたいなのがコンソメスープみたいなのに入っている例のスープである。
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そして、長々待たされてやっと出てきた料理は・・・
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バイエルンの白ソーセージ!
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このレストラン、白ソーセージに関しては注文を受けてから作ってくれるそうで、20~30分待つと言われたのだが、それを気長に待ったのだった。待った甲斐のある美味しい白ソーセージだったわ~~♡
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ここのはバイエルン州の紋章が。
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短いけど今日はここまで。次に向かうのはこの日の夜泊まるところ。アウトバーンでそろそろ急がないと到着夕方になっちゃうわ。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)
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ドナウのほとりの町 [ドイツ各地]

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昨年夏の旅の話は本日最終回。

アルトオェッティングというバイエルンの町から車で2時間半くらいで、最後の目的地Donauwörth(ドナウヴェルト)という小さな町に到着。アウグスブルクの50kmくらい北、ネルトリンゲンの25kmくらい南東である。そこに寄ったのはうちのドイツ人に所用があったからなのだが、その所用を終えて、これは夕方6時50分頃。ドナウ川。
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そう、ドナウヴェルトという町はドナウのほとりにあるのだ。あの美しき青きドナウも、上流はこんな川なのよね。

そこから町に入ると・・・
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こんな塔がある。あら、司教さんの像の頭が切れちゃった・・・
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この塔、戦争で爆撃を受けて再建したものだそうで、見るからに真新しい。
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このドナウヴェルト、ドイツ観光の目玉ロマンティック街道すぐそば。でも、ヨーロッパバスは止まらず、近くをかすめて行ってしまうようだ。その所為か、夕方だからか、人の気配のない町だった。
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めぎたちが泊まったのはポストホテル・トゥラウベという宿。ポストホテルというのは昔の郵便馬車の宿場で、トゥラウベとは鳩。
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一泊95ユーロ(二人分)。ザルツブルクの相場からするとずいぶんお安め。
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ホテルの1階で地ビール。
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この日の夜はギリシャ料理を食べたのだが、まあまあって感じ。

夕食後、20時半頃町を散歩。ほんと、誰もいない・・・
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あの人で溢れるザルツブルクから来ると、ドイツって寂れてる?と錯覚しそう。
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この町はその昔は歴史的な建物があったようなのだが、戦争で壊滅的に爆撃されたのだとか。戦後ずいぶん頑張って再建したようだけど、真新しさは拭えない。しかし、こんな田舎をそこまで爆撃しなければならなかったというのはどうして?
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飛行機雲を見ても怯えないですむ世界であり続けて欲しいわね。
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最後にもう一度ドナウ。
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ああ、夏旅は終わったわ・・・
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そして次の日の朝、一路デュッセルドルフへ。この日はたしか日曜日で、次の日からめぎは高校の教員研修と職員会議に参加し、水曜日から新年度が始まったのだった。
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以上で本当に昨年の夏旅の話はお仕舞い。やった~今年の夏旅の前に終わったわ!!

撮影: Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)、D600 + 24-70mm(F2.8)
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2016年夏旅の概要 [ドイツ各地]

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今日から夏旅のお話を。

2週間の今年の夏旅のうち、最初の7泊8日は「家族の義務」。まず1泊目は、うちのドイツ人の家系ルーツ研究につきあって、ドイツ東部ヴィッテンベルクの郊外の森の中にある叔父のサマーハウスへ。
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ヴィッテンベルクというのはライプチヒの近くにあり、ルターが宗教改革の発端となる「95箇条の論題」を掲げたところ。旧東ドイツ側の古都である。そこにはうちのドイツ人の父方の叔父(父親の一番下の弟)が住んでいるのだが、その叔父はうちのドイツ人の父親が長年生き別れていた旧東ドイツ人。つまり、うちのドイツ人の父親は、ドイツが東西に別れた頃に西側に逃れ、残りの家族は東ドイツに残ったのだった。そんなわけで、うちのドイツ人は父親の存命中この叔父に2~3回しか会ったことがなかったのだが、5年前に父親が亡くなってから、家のルーツを探るべくこの叔父に連絡を取り、2年前に一人で会いに行った。そして今回めぎも同行することになったという訳である。

叔父は街中の本宅には厳冬しか住まず、ほぼ一年中この森の中のサマーハウスで過ごしているという。順にご紹介するつもりだが、小さな小屋の中にはリビングとキッチンと寝室とバスルームが完備されていて、テレビもあればもちろん冷蔵庫などもあり、暖房もあり、狭いながら普通に生活できる・・・日本で言えば1LDKにテラスと広い庭がついているという感じで、小屋と書いたものの、日本の都会の一般家庭よりずっと広々とした空間であると言えるだろう。めぎたちはテラスで夕食をいただきながら談笑し、寝室に泊めていただいた。
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次の3泊はマイセン近くの義母の家。長い読者の方はもうご存じのように、義母は“貴族”。彼女ももともとは東側の出身で、一家で西側に逃れたという過去を持つ。ドイツが東西統一してから故郷に戻り、ここに住んでいるという訳である。
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ここへ来たのは、もともとの計画ではやはりうちのドイツ人の家系ルーツ研究の一環で、曾祖父などの洗礼の記録などを見に行ったり、母親の元にある古い写真を一枚一枚見てそこに写っている人たちが誰なのかを確認するという作業をするためであったが、実際は事情が大きく変わり、写真のチェックは出来たものの、洗礼の記録は見ることができなかった。というのは、母親が白内障の手術をすることとなり、手術と術後チェックの日の病院への送り迎えや食事の世話をすることとなったのだ。マイセンに行ったのは病院がマイセンにあるからで、特に観光も買い物もしていない。

そんなわけで、モブログでご紹介しためぎ家到着時に母親が用意してくれていたトマトの冷製スープ(最近ドイツで流行っているスペイン風のスープで、材料を切ってミキサーにかけて作る)の後は、3日間レストランで食事したり、うちのドイツ人が食事の支度をしたり。これはうちのドイツ人の作った鶏ガラスープにめぎが炊いたご飯。手術は無事に終わり、母親が温めて食べればいいように3日間分くらいの食事の用意をして、ここをあとにした。
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次に3泊したのはミュンヘン。それは、モブログでも書いたように、義父の遺した奥さんをヨーナス・カウフマンの出るオペラに招待するため。奥さんはヨーナス・カウフマンの大ファンで、めぎが去年の夏ザルツブルクでカウフマンの出たオペラを見たのをものすごく羨ましがったのだが、当時に脚の付け根の部分の骨がすり減り、全く歩けなくなっていた。それで、脚の手術をして歩けるようになったら、一緒にザルツブルクへカウフマンを見に行こう!と約束したのである。手術はうまくいって歩けるようになったのだが、肝心のカウフマンの方がこの夏はザルツブルク音楽祭には出演せず、バイエルン・オペラ座のサマー音楽祭の方に出ると言うことで、そちらに招待したのだった。
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しかし、↑上のように杖をつきながらの歩行ではほとんど街歩きは出来ず、ホテルは普通なら歩いてもヴィクトアーリエンマルクトまで行けるし、歩けずとも地下鉄の駅からすぐという便利なところにあったにもかかわらず、ホテルからヴィクトアーリエンマルクトまでタクシーを利用するという有様だった。そのヴィクトアーリエンマルクトでもマルクトを見て歩くなんてことは出来ず、木陰で座って待っていてもらって、めぎ一人でぐるりと撮影だけしてきた・・・写真はヴィクトアーリエンマルクトで朝からビールを飲む人たち。
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上の写真から下の写真のバイエルン・オペラ座まで、距離にしてホンの400mほどであるが、その400mを歩くのに4時間かかった。そのうちの1時間はダルマイヤーで過ごし、もう1時間はシュパーテンハウスで昼食を取り、後の2時間もベンチやら教会の中やらで座って休みつつであるが、つまりそのくらい休みを取って座らないとこの400mを移動できないのである。足は大丈夫なのだが、まだ歩くのが怖いようだし、喘息もあって息が上がってしまうのだった。そんな訳でミュンヘンでは奥さんの支払いでタクシーを多用し(マイカーがあるとは言え、一般車両が入れないところも多く、駐車場が遠くて不便だし、結局タクシーの方が便利なのだ)、ホテルから目的地へ横付け、目的地からもホテルへ横付け、という貴族のような生活を送らせてもらったが。ヨーナス・カウフマンのオペラは素晴らしく、奥さんも大満足でハンブルクへ帰っていった。よかったよかった。
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そんな7泊8日を過ごしためぎたちは、心身共に疲れ果てた。物事の考え方の全く異なる、そしてリズムや波長の全く異なる人と1週間過ごすというのは本当にしんどいことだし、それに介護と話し相手の任務まで加わると本当に大変だ。普段から介護をしている人の大変さは想像を絶する。80代の義母も70代の奥さんも介護が必要な状況ではないのは本当に有り難いことだ。また同時に、自分が70代80代になったときのことを考えずにはいられなかった・・・めぎは子どももいないし、うちのドイツ人は一回り年上で、めぎが高齢になったときにはたぶんめぎ一人だろう。そんな高齢になってから日本へ帰ったところで、住むところもない。ドイツなら病院も手術もただだけど、日本で病院にかかるような財力はたぶん無い。だからそのときには、めぎは外国で、なんとかして生きていかなければならないのだな。少なくとも歩けるようであり続けなければなぁ・・・

そして、その後の5泊6日はザルツブルク。去年3週間も滞在してくまなく見て回ったザルツブルクなので、特に観光もせず、夜のオペラに差し支えないようのんびりし、せいぜい2時間程度散歩したり、食事やお茶に出かけたりしたくらい。ここはモブログでもご紹介したザルツブルクを新市街側から見下ろす景色。
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今回の旅では例の70-300mm望遠ズームを持参し、圧縮写真もあれこれと。
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そして、長時間のオペラに備えて昼寝をして体力を蓄えて、音楽祭を心ゆくまで楽しんだ。これのみV3で撮影。
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そして一気に800km駆け抜けてデュッセルドルフへ帰宅。ザルツブルクに今回5泊6日しかいなかったのは、それほど見たい演目がなかったので。それに、残りの2週間、うちでゆっくりしたいとも。なにしろ去年の春も夏も秋も冬も今年の春も、いつもいつも休みとなれば遠くへ長々と旅をして、うちでゆっくりするという楽しみを忘れていたからね。


撮影: D600 + 20mm(F1.8)、D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)、Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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