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2016年夏旅の概要 [ドイツ各地]

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今日から夏旅のお話を。

2週間の今年の夏旅のうち、最初の7泊8日は「家族の義務」。まず1泊目は、うちのドイツ人の家系ルーツ研究につきあって、ドイツ東部ヴィッテンベルクの郊外の森の中にある叔父のサマーハウスへ。
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ヴィッテンベルクというのはライプチヒの近くにあり、ルターが宗教改革の発端となる「95箇条の論題」を掲げたところ。旧東ドイツ側の古都である。そこにはうちのドイツ人の父方の叔父(父親の一番下の弟)が住んでいるのだが、その叔父はうちのドイツ人の父親が長年生き別れていた旧東ドイツ人。つまり、うちのドイツ人の父親は、ドイツが東西に別れた頃に西側に逃れ、残りの家族は東ドイツに残ったのだった。そんなわけで、うちのドイツ人は父親の存命中この叔父に2~3回しか会ったことがなかったのだが、5年前に父親が亡くなってから、家のルーツを探るべくこの叔父に連絡を取り、2年前に一人で会いに行った。そして今回めぎも同行することになったという訳である。

叔父は街中の本宅には厳冬しか住まず、ほぼ一年中この森の中のサマーハウスで過ごしているという。順にご紹介するつもりだが、小さな小屋の中にはリビングとキッチンと寝室とバスルームが完備されていて、テレビもあればもちろん冷蔵庫などもあり、暖房もあり、狭いながら普通に生活できる・・・日本で言えば1LDKにテラスと広い庭がついているという感じで、小屋と書いたものの、日本の都会の一般家庭よりずっと広々とした空間であると言えるだろう。めぎたちはテラスで夕食をいただきながら談笑し、寝室に泊めていただいた。
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次の3泊はマイセン近くの義母の家。長い読者の方はもうご存じのように、義母は“貴族”。彼女ももともとは東側の出身で、一家で西側に逃れたという過去を持つ。ドイツが東西統一してから故郷に戻り、ここに住んでいるという訳である。
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ここへ来たのは、もともとの計画ではやはりうちのドイツ人の家系ルーツ研究の一環で、曾祖父などの洗礼の記録などを見に行ったり、母親の元にある古い写真を一枚一枚見てそこに写っている人たちが誰なのかを確認するという作業をするためであったが、実際は事情が大きく変わり、写真のチェックは出来たものの、洗礼の記録は見ることができなかった。というのは、母親が白内障の手術をすることとなり、手術と術後チェックの日の病院への送り迎えや食事の世話をすることとなったのだ。マイセンに行ったのは病院がマイセンにあるからで、特に観光も買い物もしていない。

そんなわけで、モブログでご紹介しためぎ家到着時に母親が用意してくれていたトマトの冷製スープ(最近ドイツで流行っているスペイン風のスープで、材料を切ってミキサーにかけて作る)の後は、3日間レストランで食事したり、うちのドイツ人が食事の支度をしたり。これはうちのドイツ人の作った鶏ガラスープにめぎが炊いたご飯。手術は無事に終わり、母親が温めて食べればいいように3日間分くらいの食事の用意をして、ここをあとにした。
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次に3泊したのはミュンヘン。それは、モブログでも書いたように、義父の遺した奥さんをヨーナス・カウフマンの出るオペラに招待するため。奥さんはヨーナス・カウフマンの大ファンで、めぎが去年の夏ザルツブルクでカウフマンの出たオペラを見たのをものすごく羨ましがったのだが、当時に脚の付け根の部分の骨がすり減り、全く歩けなくなっていた。それで、脚の手術をして歩けるようになったら、一緒にザルツブルクへカウフマンを見に行こう!と約束したのである。手術はうまくいって歩けるようになったのだが、肝心のカウフマンの方がこの夏はザルツブルク音楽祭には出演せず、バイエルン・オペラ座のサマー音楽祭の方に出ると言うことで、そちらに招待したのだった。
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しかし、↑上のように杖をつきながらの歩行ではほとんど街歩きは出来ず、ホテルは普通なら歩いてもヴィクトアーリエンマルクトまで行けるし、歩けずとも地下鉄の駅からすぐという便利なところにあったにもかかわらず、ホテルからヴィクトアーリエンマルクトまでタクシーを利用するという有様だった。そのヴィクトアーリエンマルクトでもマルクトを見て歩くなんてことは出来ず、木陰で座って待っていてもらって、めぎ一人でぐるりと撮影だけしてきた・・・写真はヴィクトアーリエンマルクトで朝からビールを飲む人たち。
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上の写真から下の写真のバイエルン・オペラ座まで、距離にしてホンの400mほどであるが、その400mを歩くのに4時間かかった。そのうちの1時間はダルマイヤーで過ごし、もう1時間はシュパーテンハウスで昼食を取り、後の2時間もベンチやら教会の中やらで座って休みつつであるが、つまりそのくらい休みを取って座らないとこの400mを移動できないのである。足は大丈夫なのだが、まだ歩くのが怖いようだし、喘息もあって息が上がってしまうのだった。そんな訳でミュンヘンでは奥さんの支払いでタクシーを多用し(マイカーがあるとは言え、一般車両が入れないところも多く、駐車場が遠くて不便だし、結局タクシーの方が便利なのだ)、ホテルから目的地へ横付け、目的地からもホテルへ横付け、という貴族のような生活を送らせてもらったが。ヨーナス・カウフマンのオペラは素晴らしく、奥さんも大満足でハンブルクへ帰っていった。よかったよかった。
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そんな7泊8日を過ごしためぎたちは、心身共に疲れ果てた。物事の考え方の全く異なる、そしてリズムや波長の全く異なる人と1週間過ごすというのは本当にしんどいことだし、それに介護と話し相手の任務まで加わると本当に大変だ。普段から介護をしている人の大変さは想像を絶する。80代の義母も70代の奥さんも介護が必要な状況ではないのは本当に有り難いことだ。また同時に、自分が70代80代になったときのことを考えずにはいられなかった・・・めぎは子どももいないし、うちのドイツ人は一回り年上で、めぎが高齢になったときにはたぶんめぎ一人だろう。そんな高齢になってから日本へ帰ったところで、住むところもない。ドイツなら病院も手術もただだけど、日本で病院にかかるような財力はたぶん無い。だからそのときには、めぎは外国で、なんとかして生きていかなければならないのだな。少なくとも歩けるようであり続けなければなぁ・・・

そして、その後の5泊6日はザルツブルク。去年3週間も滞在してくまなく見て回ったザルツブルクなので、特に観光もせず、夜のオペラに差し支えないようのんびりし、せいぜい2時間程度散歩したり、食事やお茶に出かけたりしたくらい。ここはモブログでもご紹介したザルツブルクを新市街側から見下ろす景色。
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今回の旅では例の70-300mm望遠ズームを持参し、圧縮写真もあれこれと。
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そして、長時間のオペラに備えて昼寝をして体力を蓄えて、音楽祭を心ゆくまで楽しんだ。これのみV3で撮影。
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そして一気に800km駆け抜けてデュッセルドルフへ帰宅。ザルツブルクに今回5泊6日しかいなかったのは、それほど見たい演目がなかったので。それに、残りの2週間、うちでゆっくりしたいとも。なにしろ去年の春も夏も秋も冬も今年の春も、いつもいつも休みとなれば遠くへ長々と旅をして、うちでゆっくりするという楽しみを忘れていたからね。


撮影: D600 + 20mm(F1.8)、D600 + 70-300mm(F4.5-5.6)、Nikon 1 V3 + 18.5mm(F1.8)
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Baldhead1010

こう暑いと、台風の一つでも来て、暑気を吹き払ってもらいたくなりますが、そんな不埒な願いはやめておきましょう^^;
by Baldhead1010 (2016-08-09 04:38) 

YAP

私たち夫婦も子供がいないので、将来のこと、老後のことは考えさせられます。
たとえ子供がいたとしても、年老いた自分たちの世話を頼んで子供たちの人生を壊したくないし、そう思うと子供がいてもいなくても同じかもしれませんが、肉親の話し相手がいるのといないとでは、やはりずいぶんと違うだろうし。
なんにせよ、とにかく元気で生きていくことですね。
by YAP (2016-08-09 08:09) 

engrid

そうなのゆっくりうちで、いいですよね
私も、バタバタしないで、のんびりペースで過ごす休日
好きです、、お互い干渉せず、かと言って無関心でもなく
適当な距離感を持ってね
by engrid (2016-08-09 09:02) 

mimimomo

休暇も前半はお忙しかったですね。特に精神的に大変だったでしょうね。
by mimimomo (2016-08-09 18:25) 

Bonheur

自分は長期休暇前はすでに仕事で疲れ果ててしまい、遠出することが億劫になることがあり、いつも活発にご旅行に出かけていらっしゃるめぎさんご夫婦、なんてアクティブなんだろう、人生楽しんでいらっしゃるなあと思っていました。自宅でゆっくりもいいものですよね。
ザルツブルクの遠景の山のお写真、素敵ですね。早く緑を眺めに行きたいです。

by Bonheur (2016-08-09 19:16) 

Inatimy

山、キレイですね〜^^。
400mを4時間・・・わかるなぁ、私の母も喘息で。
近所の病院に連れて行くのにかなり時間がかかりましたもの。
2週間、家でのんびり、時折カメラを持って研究ですね〜。
by Inatimy (2016-08-09 21:10)