クラクフのユダヤ人街 [ポーランド]
クラクフの旧市街を出ると、ヴィスワ川。散歩している人たちがいっぱい。
あら、警察だわ。
人間の世界は、見ていて飽きませんねえ。
川沿いに南へ歩いていくと、左側にカジミエーシュ地区が広がっている。そこにはこういう綺麗なレストランもちらっとあったりするけど・・
基本的にはこんな建物が並ぶ。
フリーマーケットの雰囲気も、独特。
ここは、このマークの人たちが住んでいるところ。
☆マーク、ユダヤ人のシンボルである。
ユダヤ人はもともとはクラクフの旧市街に住んでいた。それが、1335年に当時の大王カジミエーシュによってここへ追い出されたらしい。その名にちなんでこの地区はカジミエーシュ地区という。
また、ここは「シンドラーのリスト」の舞台となったユダヤ人ゲットーの場所。第二次世界大戦当時、クラクフに6万人のユダヤ人が住んでいたそうだが、その一部はこのゲットーに、大部分は収容所へ送られたそうだ。
古いシナゴーグを見学。ここに入るには、男性はキッパというお椀型の独特の帽子を被らなければならず、女性も肌の露出を避けなければならない。キッパとストールは入り口で貸し出されていた。
ストールはともかく、この独特の形のキッパを被るのは、キリスト教徒にはどうも居心地が悪いようだった。キッパはユダヤ教を信じていることの象徴でもあるから、違和感の度合いが非常に高いのだろう。カトリックの聖職者はこれと似たズケットという帽子を被る。ローマ法王の写真でも、白いズケットが写っているが、聖職者の位によって被ってよい色が決まっているとか。
席の後ろには仕切りがあって、その向こう側が女性席。
祭壇は意外に小さい。
なんて書いてあるのかな・・・
シナゴーグの横にはお墓がたくさん。ここを見学するのにも、例のキッパやスカーフが必要。
シナゴーグをあとにし、壊れた壁や窓が多いこの地区を歩きながらふと見上げると、ベランダに花。
灯りも。
ここにも人の生活があるのだ、ということを想う。
あら、警察だわ。
人間の世界は、見ていて飽きませんねえ。
川沿いに南へ歩いていくと、左側にカジミエーシュ地区が広がっている。そこにはこういう綺麗なレストランもちらっとあったりするけど・・
基本的にはこんな建物が並ぶ。
フリーマーケットの雰囲気も、独特。
ここは、このマークの人たちが住んでいるところ。
☆マーク、ユダヤ人のシンボルである。
ユダヤ人はもともとはクラクフの旧市街に住んでいた。それが、1335年に当時の大王カジミエーシュによってここへ追い出されたらしい。その名にちなんでこの地区はカジミエーシュ地区という。
また、ここは「シンドラーのリスト」の舞台となったユダヤ人ゲットーの場所。第二次世界大戦当時、クラクフに6万人のユダヤ人が住んでいたそうだが、その一部はこのゲットーに、大部分は収容所へ送られたそうだ。
古いシナゴーグを見学。ここに入るには、男性はキッパというお椀型の独特の帽子を被らなければならず、女性も肌の露出を避けなければならない。キッパとストールは入り口で貸し出されていた。
ストールはともかく、この独特の形のキッパを被るのは、キリスト教徒にはどうも居心地が悪いようだった。キッパはユダヤ教を信じていることの象徴でもあるから、違和感の度合いが非常に高いのだろう。カトリックの聖職者はこれと似たズケットという帽子を被る。ローマ法王の写真でも、白いズケットが写っているが、聖職者の位によって被ってよい色が決まっているとか。
席の後ろには仕切りがあって、その向こう側が女性席。
祭壇は意外に小さい。
なんて書いてあるのかな・・・
シナゴーグの横にはお墓がたくさん。ここを見学するのにも、例のキッパやスカーフが必要。
シナゴーグをあとにし、壊れた壁や窓が多いこの地区を歩きながらふと見上げると、ベランダに花。
灯りも。
ここにも人の生活があるのだ、ということを想う。
2008-08-27 02:00
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コメント(33)
ユダヤの人の宗教や文化、そして苦難の歴史について、もっと
知りたくなりました。お墓の上に、笠のように板がかぶせてある
のがなんだか可愛いです。
古い建物が多いんですね。ベランダの花や灯りに、ここにも人の
生活があるのだと思いを馳せていらっしゃるめぎさんに、とても
共感しました。このユダヤの方達とは全然状況は異なりますが、
私の住んでいる町にも、小さくて古いアパートがたくさんあります。
住んでいる人はおそらく、それほど裕福ではないのだと思うけれど、
花がきれいに植えられていたり、布団が干してあったり、
きれいに掃除して生活している様子を見受けると、なんだか
嬉しくなりますし、きちんと生活していらっしゃるのだな、
私もちゃんと生活しよう、と姿勢を正してしまいます。
by tanpopo (2008-08-27 02:19)
ユダヤの人は、基本的には質素な生活をされているのでしょうか?
マークがあるって、ユダヤ人であることを誇りに思っているのかな?それとも・・・
どうなんだろう?
by くりっぴ (2008-08-27 05:28)
観光地の昔のシナゴーグは見たことがありますが、
ガラーンとしてる空間だけだったので、
記事の写真、とても興味深く見せていただきました。
思ったより、シンプルなんですね。
by Inatimy (2008-08-27 05:46)
「戦場のピアニスト」をふと思い出しました。
by Krause (2008-08-27 05:47)
大きな川の横を散策する・・・みんな同じ考えですね^^
by Baldhead1010 (2008-08-27 06:07)
ここもいきました。が、ちゃんとしないといけない所は
行きませんでした。何もしなくても入れる建物(資料館かな?)が
あったので、そこに入りました。やはり、子どもがいると
入っちゃいけないかなと思ったり、入れないところもありますからね。
帰りに、なんかドヨーンとした気持ちになりました・・・。
by どらっち (2008-08-27 07:21)
ユダヤの人々の悲しみの歴史。。。
もの言わぬ風物から伝わるものがありますね。
そこに住み続ける。。心の強さを想いました。
by ケイクス (2008-08-27 07:22)
ジューイッシュは今もまだとことん厳かに敬虔であれ、なのかしら?
っていう、映画のセリフを憶いだした。何の映画だったかにゃ。
by たろちぅ (2008-08-27 07:22)
めぎさん、いつもコメントありがとうございます。
こちらへの訪問が滞っており恐縮しております。
過去の記事、ゆっくり拝見させていただきますね。
by とよっち (2008-08-27 07:34)
元は一つだった神からキリスト教が分離せざるを得なくなり、イスラム教が生まれ、悲惨な歴史がつづられて来、現代においてもまだ壊すことのできない様々な壁があり…
どちらにも人としての生活がありますのにね…
by もとこさん。 (2008-08-27 07:49)
ポーランドは めぎさんの在住のドイツとも 周りのオーストリア
チェコ(当たっているのか不安ですが) 全然 雰囲気が違いますね!?
「シンドラーのリスト」は 何度も観ました。
めぎさんの投稿記事の中に 北京オリンピックはなかったですね!
首相も開会式に出席しないのだから 今ひとつ 盛り上がらないのかな!?(サッカーのようには)
日本 ドイツ オーストラリア どっこいどっこいでした。
(余分な事のようですね)
私のほうのブログは 落ち着かない状況ですので アップ出来ません。
by ララアント (2008-08-27 07:52)
身近にポーランドに関係した人が何人か居て、いま一番興味のある国なんです。
でも、なかなかポーランドの事を知る機会ってなかったので、めぎさんの記事を熟読です(^^)
by くっさん。 (2008-08-27 07:54)
シンドラーのリストはひじょうに印象に残っている映画です。
考えさせられるものがありますね。
by YAP (2008-08-27 08:13)
古いシナゴーグは女性席が仕切りの奥にある事にビックリです。
by やよい (2008-08-27 09:29)
そういや、下宿先にダビデの星はなかった(当たり前か)けれど、メズーサーはあったね。個々の部屋の入口の壁にも小さな二色のメズーサー。その形状が、当時日本の知人が熱心だったオーラソーマに酷似していて、あーカバラかーと思ったことが。その家庭は大変に裕福でブルジョア街に居を置いていたけど、下宿先を聞かれるたびに、姓で「ああ、ユダヤ人ね」と云われてたな。このニュアンス、うまく伝えられなくてごめんね。
by もんとれ (2008-08-27 11:54)
川辺の写真は、のんびりして、いいなあと思って見ていましたが、次第に胸が痛くなってきましたね。
by たいちさん (2008-08-27 12:39)
うまく言えないけど、はたから見れば壮絶な歴史の舞台が
今もソコになって、そして生活の一部になってるのを間のあたりにするのは
感慨深いですねぇ。。。
by ゆっきぃ (2008-08-27 13:15)
迫害を受けてきた人たちの歴史があってこその今
こういった場所を見学する事で今の平和を再認識出来るかも知れませんね
by Ranger (2008-08-27 14:34)
ときどきポーランドに行くのですが、旧ユダヤ人街のカジミェシュ地区の発展はこれでもものすごいスピードです。
第二次世界大戦でナチス・ドイツに蹂躙されたポーランドでは、ユダヤ人がみんな逃げてしまいました。戦後ポーランドが共産主義陣営に組み込まれると不動産が国有化され、1989年に民主化を果たして不動産の私有制度が復活すると、これらの建物の権利関係が複雑になってしまい、戦争で国外に逃げてしまっていたユダヤ教徒と、民主化で国から払い下げを受けた現住民の間で混乱が起きて、しばらく何も手をつけられない状態だったんです。
今世紀に入ってそのあたり権利関係の問題が次々と解決されるようになって、やっと再開発が可能になり、いまカジミェシュ地区は建物はそのままに、オシャレな若者の集まる隠れ家的なバーやカフェがどんどんできています。芸術家のアトリエやギャラリーも多いですね。ロンドンのDocklandのSurrey Quaysが再開発され始めたころと同じ感じのノリです。若い人たちの間では、ここにバーやカフェを開店するのがかっこいい、とされています。ところが彼らはそういう店をわざと一見それとわからないように作るんですよね。本当に隠れ家です。はじめにネットやタウン情報誌で見つけておかないと、そこに店があるのかさえ全くわからないことがあります。
風化してみすぼらしくなっている外装は、「綺麗に修復すべきだ」という人と、「いや、これがかえってシャレてていいんだ」という人と意見が分かれています。
ちなみに、いまヴィスワ川はカジミェシュ地区の南だけにありますが、実はこの地区はもともと島で、たしか19世紀の終わりに地区の北側の川(オールド・ヴィスワ川)を埋め立ててクラクフのほかの部分と陸続きにしたんです。
by ポマラインチャ (2008-08-27 15:27)
クラフクは、「シンドラーのリスト」のロケ地
なんですね、古い建物など映画にもでていたのかな!
第二次大戦中のユダヤ人は、ドイツ軍の言いなりだった
のですね、オスカー・シンドラーは、ここに工場を建て
ユダヤ人を採用、沢山の人の命を救いましたね。
ここは、そんな歴史のある街でもあるのですね。
by wakatate (2008-08-27 17:46)
川でカヌーとか散歩とか楽しそうですねぇ。夏の時期の太陽の光を惜しむかのような感じでしょうか? 先日の写真とちがって質素な建物が多いですね。。
by ぽりぽり (2008-08-27 19:40)
ここがそうだったんですね。
シナゴグの中、よく撮影できましたね。
でも、燈火が電飾、それも経済的なソケット型蛍光灯。^^
以外と今風だったりして。
by Anchor (2008-08-27 21:27)
ここにも人の生活がある・・・旅をするとそういう思いにかられますよね。
そして、歴史を感じます。めぎさんの文章、皆様のコメントを読んで、よりいっそう「歴史は繰り返す」という言葉を胸に深く感じました。繰り返さないでほしい歴史もありますから。
by 夢空 (2008-08-27 21:37)
プラハのユダヤ地区は結構裕福にみえましたが、ポーランドは少し環境がよくない印象ですね。無理やり狭いところに押し込まれていたのですね。
カトリックもユダヤも似た帽子を被るというのは、海のかなたの日本からみると、「あなたたち似てるじゃ~ん!!」
by ada (2008-08-27 23:23)
めぎざん、ご無沙汰してます。
コメントありがとう、うれしいです。
ポーランド、どの写真も深みというか、質感というか、
嘘っぽくないというか、北京の仮面シティを見てきた
だけに説得力があります。のどかな風景も、
古い教会も街並みも、現代の姿も
大変な歴史に積み重ねられた深遠さがいいですね。
ポーランドとは違いますが・・・
叔父が言ってたけど「プラハは凄かった」と。
「何が凄かった?」と聞けば、「いやはやとにかく良かったよ」
というアホな答え。ま、平和で平坦な日本にいると、
その空気感にも魅力というか磁力を感じるんだろうな。。。
あ、何書いてるかわかんなくなってきちゃった(笑)
ではまたねー。
by コールドターキー (2008-08-28 00:20)
シンドラーのリスト
何度か観ました
ボキャ貧なので語弊がありますがいい映画ですよね…
めぎさんの15日の記事リンクしていいですか~?
今日、「ヒトラーの贋札」という映画(DVD)を見た記事を
後日アップするつもりなのでその時に…
by ユキ (2008-08-28 00:32)
☆のマークのおうち、悲壮な印象を受けます。お写真見ただけですが、どーんと肩が重くなりました。
by bonheur (2008-08-28 01:13)
>みなさま
クラクフのユダヤ人街の話にコメントとniceをありがとうございました。
ユダヤ人はヨーロッパではどちらかというと裕福で有名なんですが、戦時中はナチスドイツによって徹底的に迫害されましたから、ポーランドのユダヤ人は悲惨きわまりない運命を辿ったことでしょうね。クラクフのここは、その迫害の歴史を残そうとしてこのようなままにしている面もあります。ここへ観光電気自動車が来てましたし、シナゴーグもこのように開放してますし。博物館もありますね。
星のマークは、ナチスドイツによってつけることを強制された歴史もあります。でも、しばらく前にアルザスの町の看板に見つけたマークの場合は、たぶん誇りを持って自ら掲げているものと思います。ユダヤの方々は、ユダヤ教の神を信じていることに誇りを持ち、そしてその教えを実行することに全力で取り組んでいる人たちです。
ユダヤ教もキリスト教ももとは一緒なのに、と私も思うんですが、袂を分ってからもう2000年になるわけですし、それだけの歴史を考えればこれはもう別物でしょう。キリスト教徒とユダヤ教徒との間には、うまく言いようのない何かがあって、もんちゃんが書いているように、キリスト教徒には、ユダヤ系の人の名前を聞いただけで「あーユダヤね」という独特の空気が流れます。表面上は穏やかに共生していますが、決して相容れない何かがあるように見受けられます。でも、それは、それこそ異教徒(それどころか日本風に言えば無宗教)の私にはどうもよく分からない部分です。
先程もちらっと書いたように、ユダヤ教は、信じることよりも実行することが重んじられる宗教なので、今でも非常に厳格です。例えば食べ物に厳しい制限があって、決して食べない食材があるし、食べ物によって食器を分け、もし間違って盛りつけたらその食器を廃棄処分にするくらいです。人の生活があると言っても、ユダヤの方々の生活は宗教の規律に従っているもので、暮らし方はずいぶん異なります。とは言え、花を愛でたり明かりを灯したりするのは、万国共通の人の生活ですね。
ポマラインチャ様、たくさんの書き込みをありがとうございました。めぎの観光旅行記とは違って、非常に細かい情報を書いてくださいまして、大変勉強になりました。せっかくの情報、こんなところにコメントしておくだけでは勿体ないですね。ポマラインチャ様のブログかホームページのアドレス、またはご著書の記載がなかったのが非常に残念です。
ユキさん、リンクしていただけるとは、大変嬉しいです。わざわざ事前にお知らせ下さり、ありがとうございます。
ララアント様、北京オリンピックはドイツではあまり話題になりませんでした。もちろん、多少放送されてましたが、めぎのまわりでは誰も口にしなかったんです。授業で「オリンピックの競技の日本語」を取り上げてみましたが、生徒の反応は今ひとつでした。メディアでは、開催国の政治的な問題と、ドーピングに引っかからないように開発された、選手の健康を蝕む薬の問題ばかりが取り上げられてました。それでも、金メダルを16個、メダル総数は41個で、日本を大きく上回ってますが・・・先週から始まったサッカーのブンデスリーガの方がずっと話題になってましたよ。
by めぎ (2008-08-28 07:08)
人間と宗教の関わりについて深く考えさせられます。
自分も無関心なほうではないので
とても勉強になります。
by のの (2008-08-28 10:58)
たいへん多くのことを考えさせられます。
by mustitem (2008-08-29 02:13)
シンドラーのリスト、とっても記憶に残っている映画のひとつです。
涙、涙だった気がします。
by koshike (2008-08-29 13:19)
オーストラリアも以外とユダヤ人は多いようですが
私が一目でわかったのはコドモタチの学校でいつもすれ違うお迎えのおとうさんだけです。
黒いつばの帽子 黒いもじゃもじゃのおひげに 黒い服。
最初見たときはちょっとひきましたが 「剣道やってるんだよ~」と意外に気さくなおじさんでした。
この国もよく見ればディアスポラの集まりのようになってきてるので ユダヤ人も居心地がいいんですかね。
by mompeli (2008-08-30 23:16)
>みなさま
みんなが居心地よく住めるところって、意外と外国人が多いところなのかも知れませんねえ。それも、移民としてその国の人になった人が多いんじゃなくて、みんな外国籍のまま共存しているようなところ。どうかしら。
by めぎ (2008-08-31 22:54)