カフェ・デ・ナット [2024年末~2025年始 チュニジア]
ここ数日、何の話から書こうかなぁ…と旅を振り返っている。時系列にするのが最も簡単だが、今回の旅はそういう気分ではないので、印象に残ったことや今思い出すことなどから順々に書こうと思っている。一番印象に残ったことは宿とそこの食事なのだが、それは後日とし、今日はその次に印象に残ることを書こうと思う。
めぎたちが宿泊したチュニジアのシディ・ブ・サイドには、有名な喫茶店が2軒ある。カフェではなく「喫茶店」と書いた方が、その雰囲気に合うように思う場所。そのうちの1軒に、到着早々行ってみた。カフェ・デ・ナットという店だ。と言っても、ここがそれだと分かって入ったわけではなく、この登り階段の雰囲気が素敵だなあって感じ、入ってみようかということになったのだった。

おお~中、素敵ね~

ここに靴を脱いで上がって座れるようになっていて、水煙草も吸えるみたい。

外の席からは街並みを見下ろせるようだったけどそこは埋まっていたので、ガラガラの中に座った。早速、この辺りで有名らしい若いアーモンドの実の入ったミントティーを注文。事前に聞いた通り、甘いお茶。この日の移動で疲れためぎにはとても美味しい甘さだった。ただ、うーん、美味しいけど、ぬるいな…

しかも、頼んでないのにチュニジアのお菓子をこんなに盛り付けて持ってきた。まあ綺麗だから写真撮影にいいかな、と思ってそのまま頂いたけど、甘くて全部はとても食べられない。

で、店の人に言われたお会計が35DT(チュニジアディナール)。今のレートで換算すると、約10ユーロ(約1500円)。一人当たり5ユーロ(750円)。ドイツ的に考えれば(日本でも資生堂パーラーとかでお茶することを考えれば)全然OKだけど、それはあなた、ぼったくりでしょ…お茶自体はせいぜい5DT、普通の店なら1DTかもしれないものなんだからさぁ…今回の滞在ではこういうことが多々あった。ほんの数ユーロ、それどころか時にはほんの数セントのことなのでめぎ家的には痛くも痒くもないんだけど、人々が観光客に大目に請求したりお釣りを少なく渡したりというのは日常茶飯事で、それはもうイタリアの100倍ぐらい。スリはイタリアより少ないが、堂々とぼったくりをする国というイメージが残った。他方ではものすごく親切で、サービス満点なのだが。この喫茶店の人も、何度もめぎたちのテーブルに来てはフランス語で昔からの歴史を説明してくれてたし。それほど良いサービスじゃなくてもめぎたちはチップをはずむ気満々で来ているのだが、最初からぼったくられたりお釣りを少なく渡されたりするとその気が失せるわよね。この初っ端の出来事、観光地であるこの町ならではのことなのかこの国全体のことなのかは分からないけど、今回の旅の一面を象徴している。
この喫茶店には、かつてフランスのコロニー時代にパウル・クレーやアウグスト・マッケなども来たらしい。たくさん絵がかかっていたが、どれかは彼らの描いた絵だったのかもしれない。

場所はこちら。
喫茶店の話は明日に続く。
移行先はこちら
https://megimigi.seesaa.net/
めぎたちが宿泊したチュニジアのシディ・ブ・サイドには、有名な喫茶店が2軒ある。カフェではなく「喫茶店」と書いた方が、その雰囲気に合うように思う場所。そのうちの1軒に、到着早々行ってみた。カフェ・デ・ナットという店だ。と言っても、ここがそれだと分かって入ったわけではなく、この登り階段の雰囲気が素敵だなあって感じ、入ってみようかということになったのだった。
おお~中、素敵ね~
ここに靴を脱いで上がって座れるようになっていて、水煙草も吸えるみたい。
外の席からは街並みを見下ろせるようだったけどそこは埋まっていたので、ガラガラの中に座った。早速、この辺りで有名らしい若いアーモンドの実の入ったミントティーを注文。事前に聞いた通り、甘いお茶。この日の移動で疲れためぎにはとても美味しい甘さだった。ただ、うーん、美味しいけど、ぬるいな…
しかも、頼んでないのにチュニジアのお菓子をこんなに盛り付けて持ってきた。まあ綺麗だから写真撮影にいいかな、と思ってそのまま頂いたけど、甘くて全部はとても食べられない。
で、店の人に言われたお会計が35DT(チュニジアディナール)。今のレートで換算すると、約10ユーロ(約1500円)。一人当たり5ユーロ(750円)。ドイツ的に考えれば(日本でも資生堂パーラーとかでお茶することを考えれば)全然OKだけど、それはあなた、ぼったくりでしょ…お茶自体はせいぜい5DT、普通の店なら1DTかもしれないものなんだからさぁ…今回の滞在ではこういうことが多々あった。ほんの数ユーロ、それどころか時にはほんの数セントのことなのでめぎ家的には痛くも痒くもないんだけど、人々が観光客に大目に請求したりお釣りを少なく渡したりというのは日常茶飯事で、それはもうイタリアの100倍ぐらい。スリはイタリアより少ないが、堂々とぼったくりをする国というイメージが残った。他方ではものすごく親切で、サービス満点なのだが。この喫茶店の人も、何度もめぎたちのテーブルに来てはフランス語で昔からの歴史を説明してくれてたし。それほど良いサービスじゃなくてもめぎたちはチップをはずむ気満々で来ているのだが、最初からぼったくられたりお釣りを少なく渡されたりするとその気が失せるわよね。この初っ端の出来事、観光地であるこの町ならではのことなのかこの国全体のことなのかは分からないけど、今回の旅の一面を象徴している。
この喫茶店には、かつてフランスのコロニー時代にパウル・クレーやアウグスト・マッケなども来たらしい。たくさん絵がかかっていたが、どれかは彼らの描いた絵だったのかもしれない。
場所はこちら。
喫茶店の話は明日に続く。
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地元の人向けの喫茶店 [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日もチュニジアのシディ・ブ・サイドでの喫茶店のお話を。
こちらは、昨日ご紹介したカフェ・デ・ナット。

その階段を降りてすぐのところに、別の喫茶店がある。めぎたちはそこに行ってみることにした。この外の席に日曜日にはたくさんのチュニジア人が座っていた。月曜日のこの日はガラガラだ。チュニジア人たちは、たぶん普通に仕事をしているのだろう。年末年始、チュニジアでは元旦のみ祝日で、あとは平常だった。

カフェ・デ・ナットは目と鼻の先。見ていると、カフェ・デ・ナットに入っていくのは外国人ばかり(スペイン人とかイタリア人とか)。まあ観光名所だものね。でも、地元の人はあそこには行かないのね。

ここ、うちのドイツ人が外に座り、めぎが中に入って注文してみた。こんな台所でミントティーを入れている。やかんに煮出す形でお茶を用意しているようだった。

めぎが片言のフランス語でお茶2杯、と頼み、いくらか分からないので(フランス語で数は覚えてないし)10DTと20DTを出して見せると、用意してくれたおじさんは20DTの方をひょいとつまんで受け取った。うふふ、そりゃ差し出されたら大きい方をもらうわよね。でもいいわ、あげるわよ。その代わりゆっくりさせてもらうわね。
おじさんは席まで運んでくれた。ほぉ~お茶の量、あのカフェ・デ・ナットの3倍はあるわね。それに、熱々。嬉しいな。

今回中に入っていたのはアーモンドではなく松の実だった。そう言えば、チュニジア人の知り合いによると、チュニジアで一般的なお茶は松の実入りのミントティーで、アーモンド入りはこのシディ・ブ・サイドの名物なのだって言ってたな…じゃ、めぎが注文した時、普通のか?と聞かれてウィって言ったんだけど、普通って松の実入りかって聞かれたってことだったのね。これ、お茶も甘くておいしく、松の実もフレッシュで美味しかった。松の実ってこんなに美味しいんだなあって思ったほどだった。ミントティーはもともと甘い味がついているので糖分を気にしなければならない人にはお勧めできないが、他の場で糖分をカットしててでもこのお茶を飲む価値は十分にあるほどおいしい。熱々でお茶たっぷりで松の実もいっぱい入ってて、これなら一人10DT(約3.3ユーロ)でも納得できるわ。いや、でもやっぱりぼったくりだけど。この頃はめぎたち、どのぐらいのぼったくりをどんな顔でするのかを、ゲームのように楽しんでいた。

美味しいお茶をゆっくり堪能できて、日曜日にここに鈴なりに座っていたチュニジア人たちに感謝。場所はこちら。
喫茶店の話はさらに続く。
移行先はこちら
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こちらは、昨日ご紹介したカフェ・デ・ナット。
その階段を降りてすぐのところに、別の喫茶店がある。めぎたちはそこに行ってみることにした。この外の席に日曜日にはたくさんのチュニジア人が座っていた。月曜日のこの日はガラガラだ。チュニジア人たちは、たぶん普通に仕事をしているのだろう。年末年始、チュニジアでは元旦のみ祝日で、あとは平常だった。
カフェ・デ・ナットは目と鼻の先。見ていると、カフェ・デ・ナットに入っていくのは外国人ばかり(スペイン人とかイタリア人とか)。まあ観光名所だものね。でも、地元の人はあそこには行かないのね。
ここ、うちのドイツ人が外に座り、めぎが中に入って注文してみた。こんな台所でミントティーを入れている。やかんに煮出す形でお茶を用意しているようだった。
めぎが片言のフランス語でお茶2杯、と頼み、いくらか分からないので(フランス語で数は覚えてないし)10DTと20DTを出して見せると、用意してくれたおじさんは20DTの方をひょいとつまんで受け取った。うふふ、そりゃ差し出されたら大きい方をもらうわよね。でもいいわ、あげるわよ。その代わりゆっくりさせてもらうわね。
おじさんは席まで運んでくれた。ほぉ~お茶の量、あのカフェ・デ・ナットの3倍はあるわね。それに、熱々。嬉しいな。
今回中に入っていたのはアーモンドではなく松の実だった。そう言えば、チュニジア人の知り合いによると、チュニジアで一般的なお茶は松の実入りのミントティーで、アーモンド入りはこのシディ・ブ・サイドの名物なのだって言ってたな…じゃ、めぎが注文した時、普通のか?と聞かれてウィって言ったんだけど、普通って松の実入りかって聞かれたってことだったのね。これ、お茶も甘くておいしく、松の実もフレッシュで美味しかった。松の実ってこんなに美味しいんだなあって思ったほどだった。ミントティーはもともと甘い味がついているので糖分を気にしなければならない人にはお勧めできないが、他の場で糖分をカットしててでもこのお茶を飲む価値は十分にあるほどおいしい。熱々でお茶たっぷりで松の実もいっぱい入ってて、これなら一人10DT(約3.3ユーロ)でも納得できるわ。いや、でもやっぱりぼったくりだけど。この頃はめぎたち、どのぐらいのぼったくりをどんな顔でするのかを、ゲームのように楽しんでいた。
美味しいお茶をゆっくり堪能できて、日曜日にここに鈴なりに座っていたチュニジア人たちに感謝。場所はこちら。
喫茶店の話はさらに続く。
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もう一度同じ喫茶店へ [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日もしつこくまた喫茶店のお話を。
チュニジアのシディ・ブ・サイドには、初日に行ったカフェ・デ・ナットと並んでとても有名なカフェがある。チュニジア人の知り合いにも、ここがチュニジアで最も有名なカフェだからぜひ行って、と言われていたところだ。

素晴らしい見晴らしを楽しめる立地で有名なところで、カフェに入らず戸口のところで写真を撮っている人も多い。

このカフェ、現在の口コミでは非常に評判が悪い。かなりのぼったくりのようなのだ。美味しいという言葉も見かけず、出てくるのはぼったくりの話と景色は抜群という言葉のみ。それでも有名店だから一度ぐらいは行ってみようかなと思っていたのだが、立地が実はめぎたちの泊まったところの並びで、見える景色は同じ。

これは上のトリミングだが、左端がめぎたちの宿で、右端の青いところがそのカフェ。毎日部屋から見ている景色なので、わざわざ喫茶店に行くほどのことはないね、ということで、このカフェに行くのはやめた。

もう一つ、ちょっと気になっていた屋根の上にあるカフェ。シディ・ブ・サイドの目抜き通りの中間地点にある。

入口(左端)にアラビア語が大きく書かれてて、地元の人がよく行くのかな、と思ってちょっと興味があったのだが…

大晦日(次の日には帰国するのでゆっくりお茶に出かけるのは最終日)、めぎたちは結局美味しかった喫茶店にもう一度行くことにした。

この日は席に座ったところにあのおじさんが出てきて、うちのドイツ人が注文。すると、アーモンドのお茶だね?と聞かれ、あれ、昨日は松の実だったけど?と聞き返し、いや、アーモンドだ、と言われる。まあアーモンドでも別に構わないのでそれを注文。昨日20DTだったので、うちのドイツ人がそれを渡した。

そしてうちのドイツ人はその喫茶店のお手洗いに行ったのだが、その間におじさんが来て「マダーム」と言ってコインを差し出した。あれ、お釣りなのかな。メルシ、と受け取って見てみると、それは5DTのコイン。おお~今日のお値段は2杯で15DT。外国人価格も毎日変動するのね~これまでで一番安く上がったのは、ここが2回目だからかな。それとも男性のうちのドイツ人が注文したからかな。そもそも男性のそれも老人にはかなり親切な国だし…それでもやっぱりまだぼったくりよね。チュニジア人向けはホントはいくらなんだろうね。もうちょっとアラビア語ができたらなぁ…(めぎは2か月頑張ってみたけど挨拶と文字が読める程度…つまり、読めても意味が分からない。)次の目標にしよう…まあ次があればだけど。どうかな。マレーシアの方がやっぱり好きかな(めぎたちは過去に5~6回ほど年末年始をマレーシアで過ごしている)。でも、ここ、近くていいよねぇ…(デュッセルドルフから2時間半で着くんだもの!)
…などと話しながら飲んだこのミントティー、若いフレッシュアーモンドがとても美味しく、ドイツでもフレッシュアーモンドが手に入ったらやってみたいなあと思う。松の実はドイツでは簡単に手に入るのだが、フレッシュアーモンドってどこで買えるのかなぁ?

大晦日はチュニジアではお休みではなく、特に元旦を祝うこともないので買い出しの日でもなく、観光客の数も少なく、平日の静けさで落ち着いていられる。ダウンコートを羽織ってちょうどいい感じの陽気で、チュニジアに暑さや暖かさを求めないなら穴場な時期だ。

隣の席に猫が寝ていたのだが…

何があったのか、突然木の上に登って行った。

ここでのまったりとした時間、よかったな。今でもあの美味しかったお茶の味を思い出している。
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チュニジアのシディ・ブ・サイドには、初日に行ったカフェ・デ・ナットと並んでとても有名なカフェがある。チュニジア人の知り合いにも、ここがチュニジアで最も有名なカフェだからぜひ行って、と言われていたところだ。
素晴らしい見晴らしを楽しめる立地で有名なところで、カフェに入らず戸口のところで写真を撮っている人も多い。
このカフェ、現在の口コミでは非常に評判が悪い。かなりのぼったくりのようなのだ。美味しいという言葉も見かけず、出てくるのはぼったくりの話と景色は抜群という言葉のみ。それでも有名店だから一度ぐらいは行ってみようかなと思っていたのだが、立地が実はめぎたちの泊まったところの並びで、見える景色は同じ。
これは上のトリミングだが、左端がめぎたちの宿で、右端の青いところがそのカフェ。毎日部屋から見ている景色なので、わざわざ喫茶店に行くほどのことはないね、ということで、このカフェに行くのはやめた。
もう一つ、ちょっと気になっていた屋根の上にあるカフェ。シディ・ブ・サイドの目抜き通りの中間地点にある。
入口(左端)にアラビア語が大きく書かれてて、地元の人がよく行くのかな、と思ってちょっと興味があったのだが…
大晦日(次の日には帰国するのでゆっくりお茶に出かけるのは最終日)、めぎたちは結局美味しかった喫茶店にもう一度行くことにした。
この日は席に座ったところにあのおじさんが出てきて、うちのドイツ人が注文。すると、アーモンドのお茶だね?と聞かれ、あれ、昨日は松の実だったけど?と聞き返し、いや、アーモンドだ、と言われる。まあアーモンドでも別に構わないのでそれを注文。昨日20DTだったので、うちのドイツ人がそれを渡した。
そしてうちのドイツ人はその喫茶店のお手洗いに行ったのだが、その間におじさんが来て「マダーム」と言ってコインを差し出した。あれ、お釣りなのかな。メルシ、と受け取って見てみると、それは5DTのコイン。おお~今日のお値段は2杯で15DT。外国人価格も毎日変動するのね~これまでで一番安く上がったのは、ここが2回目だからかな。それとも男性のうちのドイツ人が注文したからかな。そもそも男性のそれも老人にはかなり親切な国だし…それでもやっぱりまだぼったくりよね。チュニジア人向けはホントはいくらなんだろうね。もうちょっとアラビア語ができたらなぁ…(めぎは2か月頑張ってみたけど挨拶と文字が読める程度…つまり、読めても意味が分からない。)次の目標にしよう…まあ次があればだけど。どうかな。マレーシアの方がやっぱり好きかな(めぎたちは過去に5~6回ほど年末年始をマレーシアで過ごしている)。でも、ここ、近くていいよねぇ…(デュッセルドルフから2時間半で着くんだもの!)
…などと話しながら飲んだこのミントティー、若いフレッシュアーモンドがとても美味しく、ドイツでもフレッシュアーモンドが手に入ったらやってみたいなあと思う。松の実はドイツでは簡単に手に入るのだが、フレッシュアーモンドってどこで買えるのかなぁ?
大晦日はチュニジアではお休みではなく、特に元旦を祝うこともないので買い出しの日でもなく、観光客の数も少なく、平日の静けさで落ち着いていられる。ダウンコートを羽織ってちょうどいい感じの陽気で、チュニジアに暑さや暖かさを求めないなら穴場な時期だ。
隣の席に猫が寝ていたのだが…
何があったのか、突然木の上に登って行った。
ここでのまったりとした時間、よかったな。今でもあの美味しかったお茶の味を思い出している。
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宿の決定 [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日は年末年始のチュニジアでめぎ家が泊まった宿のお話を。移行先のこの記事はこちら。
チュニジアに行こうと決めたとき、うちのドイツ人の希望で、空港からタクシーで来られる範囲の場所で、海の見える宿を探した。最初に候補にしたのはLa Marsaという海岸沿いの町だったのだが、いいなと思うのがアパルトメントだけで、それもどこも最近アパルトメントを始めたところばかりで、口コミもほとんどなく、本当に信用できるかな、とちょっと不安。で、たぶん相当な観光地だろうなと思ったけど、とても美しい場所のようだし、数日住んでみれば普通の顔も見られて面白いかな、と思う高台のシディ・ブ・サイドで探し始めた。最初は5泊で400ユーロほどのとても素敵な内装で海ももちろん見えるアパルトメントを見つけて予約したのだけど、キッチンが他の部屋と共有だと言われ、うちのドイツ人が首を横に振った。知らない人たちがキッチンでパーティーなどしているのと一緒にいたくない、と言うのだ。本当にパーティーするかどうかは分からないけど、年越しの時期だから無いとは言えない。それに、慣れないチュニジアで、朝ご飯を作るのも食べに行くのも面倒だよね、せめて朝食ぐらいは宿で提供される方がいいな、ということになった。

でも、このシディ・ブ・サイドで海の見える宿って、ほとんどない。↑このホテルは19世紀の邸宅を利用しているとかで良さげなのだけど、部屋からは海が見えない。で、海の見える部屋のあるここ↓を次に候補に挙げた。

レストランも併設しててかなり立派そうなのだが、口コミを読むと、朝食は卵料理を頼むと有料になるとか、部屋にコーヒーを入れる設備もないとか、角なので人の声が煩いとか、書かれてる。うん、たしかに、道路沿いで角だわね…

しかもここ、海を見下ろす見晴らし台のすぐ近くで(写真に写ってないけどこの右側)、人がかなり集まる場所なのだ。そりゃ煩いだろうねぇ…しかも、これはここに来てから分かったのだけど、目の前にもう一軒家がある。すぐ下が海、というわけじゃなかったのね。

というわけで、めぎ家は崖の端に立つ宿を予約したのだった。この入り口がこの宿の中で一番高いところにある。最上階にロビー、その下に部屋。その構造が珍しくて面白い。ホームページはこちら。泊まった部屋はこちら。

場所はこちら。写真バージョンにすると、崖の端っこであることがよく分かる。ちなみにそこから右にスクロールすると、青い傘がいっぱいの有名なカフェ(めぎたちが入らなかったところ)があり、もう少し右にめぎたちが泊まらなかった宿と見晴らしポイントがある。
この宿は部屋が5つしかなく、一番下の階にレストランがあるのだけどそれは一般向けに公開はしてなくて宿泊客だけが使えるところ。したがっていつもとても静かで、外部から人が来ないので安心で、従業員の方々も少人数なので全員の顔を覚え仲良くなれて、とても居心地よく過ごすことができた。ここはロビーのラウンジ。ここに人がいるのを見たことは2回ぐらいしかなかったな。

レストランにはテーブル3つしかなく、ここが満席になったのは大晦日だけで、あとはいつもめぎたちしかいなかった。採算取れてるのかなって心配になるほど閑古鳥。

外のテラス席やプールサイドの席に座っていた人は何度か見かけたけどね。その人たちはチュニジア人で、みんな一泊でいなくなったので、欧米の人も来る宿だけど、チュニジア人が週末とかに一泊遊びに来るのによく使われている場所なのかな、という気がした。めぎたちは寒くてそこには座らなかったけど。しかし、この宿、安い部屋でも一泊150ユーロほど(一部屋の料金なので、二人だと一人当たりはその半額)、高い部屋は一泊330ユーロもするんだけど、チュニジアには若くてもそこに泊まりに来られるお金持ちもいるんだな…まあ、チュニジア国内のIPアドレスなら違う料金が表示されるのかも知れないが。でも、貧富の差も半端なく大きくて、富裕層はめぎよりずっとお金持ちだったし。

朝食付きだから朝から食べに出かける面倒もないし、その朝食がヨーロッパ風で、慣れないチュニジア料理続きにならずに済んで朝にちょっと一息つけたのもよかった。昔はそこに行ったらそこの物を食べるというのを旅の楽しみにしていたけど、歳取ってきて、めぎもうちのドイツ人も多少の中休みを必要とするようになったのだ。めぎたちはいつもこの席に座って食事をした。5泊のうち、朝食5回、夕食3回をここで。それがいつもとてもいい時間だった。朝食はプールの向こうに美しい海が見えて楽しかったし、夕食も海沿いの街灯や遠くの街の明かりが見えてとても美しかったし、食事の質も高かったし、ここのウエイターさんがとても素敵な人で素晴らしくプロフェッショナルでかつ心が籠っていたのだ。このレストランとウエイターさんのおかげで、この宿にして本当によかったと思ったほど好印象。

明日に続く。
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チュニジアに行こうと決めたとき、うちのドイツ人の希望で、空港からタクシーで来られる範囲の場所で、海の見える宿を探した。最初に候補にしたのはLa Marsaという海岸沿いの町だったのだが、いいなと思うのがアパルトメントだけで、それもどこも最近アパルトメントを始めたところばかりで、口コミもほとんどなく、本当に信用できるかな、とちょっと不安。で、たぶん相当な観光地だろうなと思ったけど、とても美しい場所のようだし、数日住んでみれば普通の顔も見られて面白いかな、と思う高台のシディ・ブ・サイドで探し始めた。最初は5泊で400ユーロほどのとても素敵な内装で海ももちろん見えるアパルトメントを見つけて予約したのだけど、キッチンが他の部屋と共有だと言われ、うちのドイツ人が首を横に振った。知らない人たちがキッチンでパーティーなどしているのと一緒にいたくない、と言うのだ。本当にパーティーするかどうかは分からないけど、年越しの時期だから無いとは言えない。それに、慣れないチュニジアで、朝ご飯を作るのも食べに行くのも面倒だよね、せめて朝食ぐらいは宿で提供される方がいいな、ということになった。
でも、このシディ・ブ・サイドで海の見える宿って、ほとんどない。↑このホテルは19世紀の邸宅を利用しているとかで良さげなのだけど、部屋からは海が見えない。で、海の見える部屋のあるここ↓を次に候補に挙げた。
レストランも併設しててかなり立派そうなのだが、口コミを読むと、朝食は卵料理を頼むと有料になるとか、部屋にコーヒーを入れる設備もないとか、角なので人の声が煩いとか、書かれてる。うん、たしかに、道路沿いで角だわね…
しかもここ、海を見下ろす見晴らし台のすぐ近くで(写真に写ってないけどこの右側)、人がかなり集まる場所なのだ。そりゃ煩いだろうねぇ…しかも、これはここに来てから分かったのだけど、目の前にもう一軒家がある。すぐ下が海、というわけじゃなかったのね。
というわけで、めぎ家は崖の端に立つ宿を予約したのだった。この入り口がこの宿の中で一番高いところにある。最上階にロビー、その下に部屋。その構造が珍しくて面白い。ホームページはこちら。泊まった部屋はこちら。
場所はこちら。写真バージョンにすると、崖の端っこであることがよく分かる。ちなみにそこから右にスクロールすると、青い傘がいっぱいの有名なカフェ(めぎたちが入らなかったところ)があり、もう少し右にめぎたちが泊まらなかった宿と見晴らしポイントがある。
この宿は部屋が5つしかなく、一番下の階にレストランがあるのだけどそれは一般向けに公開はしてなくて宿泊客だけが使えるところ。したがっていつもとても静かで、外部から人が来ないので安心で、従業員の方々も少人数なので全員の顔を覚え仲良くなれて、とても居心地よく過ごすことができた。ここはロビーのラウンジ。ここに人がいるのを見たことは2回ぐらいしかなかったな。
レストランにはテーブル3つしかなく、ここが満席になったのは大晦日だけで、あとはいつもめぎたちしかいなかった。採算取れてるのかなって心配になるほど閑古鳥。
外のテラス席やプールサイドの席に座っていた人は何度か見かけたけどね。その人たちはチュニジア人で、みんな一泊でいなくなったので、欧米の人も来る宿だけど、チュニジア人が週末とかに一泊遊びに来るのによく使われている場所なのかな、という気がした。めぎたちは寒くてそこには座らなかったけど。しかし、この宿、安い部屋でも一泊150ユーロほど(一部屋の料金なので、二人だと一人当たりはその半額)、高い部屋は一泊330ユーロもするんだけど、チュニジアには若くてもそこに泊まりに来られるお金持ちもいるんだな…まあ、チュニジア国内のIPアドレスなら違う料金が表示されるのかも知れないが。でも、貧富の差も半端なく大きくて、富裕層はめぎよりずっとお金持ちだったし。
朝食付きだから朝から食べに出かける面倒もないし、その朝食がヨーロッパ風で、慣れないチュニジア料理続きにならずに済んで朝にちょっと一息つけたのもよかった。昔はそこに行ったらそこの物を食べるというのを旅の楽しみにしていたけど、歳取ってきて、めぎもうちのドイツ人も多少の中休みを必要とするようになったのだ。めぎたちはいつもこの席に座って食事をした。5泊のうち、朝食5回、夕食3回をここで。それがいつもとてもいい時間だった。朝食はプールの向こうに美しい海が見えて楽しかったし、夕食も海沿いの街灯や遠くの街の明かりが見えてとても美しかったし、食事の質も高かったし、ここのウエイターさんがとても素敵な人で素晴らしくプロフェッショナルでかつ心が籠っていたのだ。このレストランとウエイターさんのおかげで、この宿にして本当によかったと思ったほど好印象。
明日に続く。
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一夜目の食事 [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日は宿のレストランでの夕食のお話を。移行先のこの記事はこちら。
到着日は近くに散歩に行っただけで部屋でゆっくりし、食事も宿ですると決めていた。歳なのでまずは本当にankommen(アンコメン)することが大事だというので。このankommenとは、到着する、という意味なのだが、着いてそこに馴染む、というような感じ。いきなり冒険せず、ゆっくりと体と心をそこに到着させていく、というようなニュアンスである。

この宿の宿泊者向けレストランには見開き1ページのメニューしかないが、それでも冷たい前菜が4種類、温かい前菜も4種類、スープが2種類、メインが肉魚合わせて8種類、デザートが4種類。値段は近くのこの町で一番有名なDar Zaroukという高級レストランと同じぐらい。つまり、高い。と言っても、ドイツやオーストリアの高級レストランの半分ぐらいの値段だけど。でも、まだチュニジアに慣れていない初日は、高くても宿のレストランで、というのがうちのドイツ人の希望だったのだ。若い頃(50年ぐらい前)はバックパッカーで安宿を泊まり歩き、現地で知り合った人の家に招かれたこともあったとかで、10年ほど前もトルコの僻地ですぐに地元に飛びこんでいった頃とはかなり違って、本当に慎重になったと思う。まあ病み上がり、というかまだリハビリ中だし、初めての国で勝手も分からないということも大きかったかな。若い頃のモロッコと今のチュニジアでは国も時代も違うわけだし。
めぎたちはまずチュニジアビールで乾杯。もう一口飲んだ後で撮影。なかなか行ける。イスラム教でお酒を飲まないチュニジアで、なぜビールを生産しているのかは不明。お通しに出てきたこのニンジンときゅうりが甘くてびっくり。これ何の野菜?と思ったほど味が違う。やっぱり太陽の強さが違うのねぇ…

その後チュニジア産の白ワインをボトルで頼み、前菜にはうちのドイツ人がタコのカルパッチョを頼んだ。38DT(チュニジアディナール)。11ユーロぐらいだ。量が多くてびっくり。それに、凄く美味しくてもっとびっくり!

めぎは魚介のスープ。35DT。これも美味しい。今まで食べたことのない味の魚介スープ。何のハーブなのかな。レモンを絞って食べるというのも初めてかな。この2つの前菜をめぎたちは二人で半分こして食べた。

そしてメインは二人で一つのクスクスにした。クスクスはチュニジアを代表する伝統料理の一つで、これはラム肉と野菜のクスクス。凄い量!58DT。17ユーロほど。二人で一つ頼んだら、ウエイターさんがちゃんと取り皿を用意してくれた。

野菜がごろんと入っている。これはズッキーニ。このクスクスはとても美味しく、このレストランなかなかいいねぇ。毎日ここで食べてもいいな。だって何といってもめぎたちしかいなくて安全で静かなんだもの…と思ったってことは、めぎたちってホント歳とって弱ってしまったってことよねぇ…

おなかいっぱいだけど、なんとなくデザートも欲しい。で、さっぱりと果物にしようとフルーツの盛り合わせを頼んだら、凄い量が出てきた…写真は半分程食べてから写したもので、中身はただのリンゴとミカンとイチゴなんだけど、このミカンの美味しいことといったら…16DT、5ユーロほど。飾りに使われていた緑の葉っぱが見たことのないものだったので、ウェイターさんに聞いたらPélargoniumだという。日本語ではテンジクアオイとか、ゼラニウムとか、そんな感じ。茎を一本持ってきてくれたので、それとともにパチリ。写してないけどコーヒーも頂いた。

食べ終わってもワインがまだ残っていたので、部屋まで運んでもらった。こんな夜景と海を見下ろしながらの晩酌。なんて贅沢。

チュニジア人はイスラム教なのでお酒は飲まないと既に書いたが、ワインを生産している。レストラン価格で一本95DT。28.5ユーロ。これはさすがにドイツと同じぐらいするわね。頼むのは外国人ばかりだし、まさに外国人向け価格。

味はまあまあ。でも、料理に合わせて飲むととても美味しかった。

さて、この日のお会計は〆て282DT。二人で85ユーロ。それって、ドイツの高級レストランの3分の1~4分の1ぐらい、普通のレストランでも最近は一人当たり飲み物込みで50ユーロするのが普通になってしまったので、チュニジアはやっぱり物価が安い。
しかし、ここで衝撃の事実。この国、平均月収がなんと300ユーロ弱、めぎたちがここで夕食を3回も食べればそのお会計と平均月収がほぼ同じなのだ。いや、それどころか、めぎたちの泊まった部屋の一泊分が、平均月収とほぼ同じ。それって、どうなの。美味しかったけど、とても居心地よかったけど、誰にお金を払っているんだろうという気分の悪さと、こんなことしていいのかと感じてしまうなんとも言えない申し訳なさを感じる場所でもあった。このことで、外の店で少々ぼったくりされてもまあいいやと思うようになった。めぎなど、チュニジア人にしてみたらお金の塊なのだ。ひったくりされないのが不思議なほどよね。チュニジア人たちはとても紳士だった。
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到着日は近くに散歩に行っただけで部屋でゆっくりし、食事も宿ですると決めていた。歳なのでまずは本当にankommen(アンコメン)することが大事だというので。このankommenとは、到着する、という意味なのだが、着いてそこに馴染む、というような感じ。いきなり冒険せず、ゆっくりと体と心をそこに到着させていく、というようなニュアンスである。
この宿の宿泊者向けレストランには見開き1ページのメニューしかないが、それでも冷たい前菜が4種類、温かい前菜も4種類、スープが2種類、メインが肉魚合わせて8種類、デザートが4種類。値段は近くのこの町で一番有名なDar Zaroukという高級レストランと同じぐらい。つまり、高い。と言っても、ドイツやオーストリアの高級レストランの半分ぐらいの値段だけど。でも、まだチュニジアに慣れていない初日は、高くても宿のレストランで、というのがうちのドイツ人の希望だったのだ。若い頃(50年ぐらい前)はバックパッカーで安宿を泊まり歩き、現地で知り合った人の家に招かれたこともあったとかで、10年ほど前もトルコの僻地ですぐに地元に飛びこんでいった頃とはかなり違って、本当に慎重になったと思う。まあ病み上がり、というかまだリハビリ中だし、初めての国で勝手も分からないということも大きかったかな。若い頃のモロッコと今のチュニジアでは国も時代も違うわけだし。
めぎたちはまずチュニジアビールで乾杯。もう一口飲んだ後で撮影。なかなか行ける。イスラム教でお酒を飲まないチュニジアで、なぜビールを生産しているのかは不明。お通しに出てきたこのニンジンときゅうりが甘くてびっくり。これ何の野菜?と思ったほど味が違う。やっぱり太陽の強さが違うのねぇ…
その後チュニジア産の白ワインをボトルで頼み、前菜にはうちのドイツ人がタコのカルパッチョを頼んだ。38DT(チュニジアディナール)。11ユーロぐらいだ。量が多くてびっくり。それに、凄く美味しくてもっとびっくり!
めぎは魚介のスープ。35DT。これも美味しい。今まで食べたことのない味の魚介スープ。何のハーブなのかな。レモンを絞って食べるというのも初めてかな。この2つの前菜をめぎたちは二人で半分こして食べた。
そしてメインは二人で一つのクスクスにした。クスクスはチュニジアを代表する伝統料理の一つで、これはラム肉と野菜のクスクス。凄い量!58DT。17ユーロほど。二人で一つ頼んだら、ウエイターさんがちゃんと取り皿を用意してくれた。
野菜がごろんと入っている。これはズッキーニ。このクスクスはとても美味しく、このレストランなかなかいいねぇ。毎日ここで食べてもいいな。だって何といってもめぎたちしかいなくて安全で静かなんだもの…と思ったってことは、めぎたちってホント歳とって弱ってしまったってことよねぇ…
おなかいっぱいだけど、なんとなくデザートも欲しい。で、さっぱりと果物にしようとフルーツの盛り合わせを頼んだら、凄い量が出てきた…写真は半分程食べてから写したもので、中身はただのリンゴとミカンとイチゴなんだけど、このミカンの美味しいことといったら…16DT、5ユーロほど。飾りに使われていた緑の葉っぱが見たことのないものだったので、ウェイターさんに聞いたらPélargoniumだという。日本語ではテンジクアオイとか、ゼラニウムとか、そんな感じ。茎を一本持ってきてくれたので、それとともにパチリ。写してないけどコーヒーも頂いた。
食べ終わってもワインがまだ残っていたので、部屋まで運んでもらった。こんな夜景と海を見下ろしながらの晩酌。なんて贅沢。
チュニジア人はイスラム教なのでお酒は飲まないと既に書いたが、ワインを生産している。レストラン価格で一本95DT。28.5ユーロ。これはさすがにドイツと同じぐらいするわね。頼むのは外国人ばかりだし、まさに外国人向け価格。
味はまあまあ。でも、料理に合わせて飲むととても美味しかった。
さて、この日のお会計は〆て282DT。二人で85ユーロ。それって、ドイツの高級レストランの3分の1~4分の1ぐらい、普通のレストランでも最近は一人当たり飲み物込みで50ユーロするのが普通になってしまったので、チュニジアはやっぱり物価が安い。
しかし、ここで衝撃の事実。この国、平均月収がなんと300ユーロ弱、めぎたちがここで夕食を3回も食べればそのお会計と平均月収がほぼ同じなのだ。いや、それどころか、めぎたちの泊まった部屋の一泊分が、平均月収とほぼ同じ。それって、どうなの。美味しかったけど、とても居心地よかったけど、誰にお金を払っているんだろうという気分の悪さと、こんなことしていいのかと感じてしまうなんとも言えない申し訳なさを感じる場所でもあった。このことで、外の店で少々ぼったくりされてもまあいいやと思うようになった。めぎなど、チュニジア人にしてみたらお金の塊なのだ。ひったくりされないのが不思議なほどよね。チュニジア人たちはとても紳士だった。
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Bolt配車でチュニスのメディーナを通過する [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日から数日はまた年末年始の5泊6日のチュニジア旅行のお話を。
5泊したところは、シディ・ブ・サイドという白と青の建物で有名な小さな町。

そこに泊まることにした決め手は、海沿いで空港からタクシーで来られる場所で、首都のチュニス観光にも遺跡のカルタゴ観光にも近くて便利だということ。チュニジアに行ったのは、めぎ家のアパートに去年一時期チュニジア人の若者が住んでいてチュニジアの話を聞いたのがきっかけなのだが、チュニジアへの飛行機のチケットを取ってからその若者に連絡を取り、見所やお勧めのレストラン、移動方法など色々教えてもらった。彼はレンタカーを全く勧めず、電車移動も全く勧めず、Boltという配車サービス(Uberとほぼ同じ)のアプリを使うことを強く勧めたので、旅の前にそのアプリをダウンロード。初めて使うのでちょっとドキドキ。うまくいくかな。
めぎたちがチュニジアにいるとき、その若者も帰省中だということで、色々教えてもらったお礼にお昼をご馳走するという約束をした。彼が行きたいレストランを予約してもらい、当日そこに集合するということで、早速その配車アプリを利用して、めぎたちの宿からチュニスのメディーナ(アラブ旧市街)にあるレストランまでの配車を手配。すぐに「あと3分で到着」というような表示が出たが、ほどなく案の定めぎたちの宿までは辿り着けないというメッセージ。ちゃんと辿り着ける道があるのだが、遠回りなのでナビに出てこないようで、近場まで来てそれ以上は通行止めになり、そこで待っているというのだ。(余談だが、そのメッセージは何語で書いても相手の言語に瞬時に翻訳されるという優れもので、ドイツ語で書いたのがたぶんあちらではアラビア語になり、運転手がアラビア語で書いたのがめぎには英語で表示されていた。日本語でも試してみればよかったな…でも、そのときはうちのドイツ人と話しながら書いているので、そのままドイツ語で記入。慣れないフランス語を書く必要もなく、文明の利器の有難さを感じたわ。どこにいてもスマホのアプリが使えたので、スマホのSIMカードをちゃんと空港で買っておいてよかったな、と痛感。)めぎたちとしてはうちのドイツ人にあまり歩かせないように宿まで来てほしかったのだけど、結局そのタクシーがいる場所まで降りて行かなければならなかった。まあ下りだからいいけど、うちのドイツ人に約束の場所で元気にいてもらえるよう、事前にあまり負荷をかけたくなかったんだけどな…
チュニジアのBoltで配車を呼ぶと、こんな黄色のタクシーがやってくる。アプリ上でどこまで行くか、そこまでいくらかも決めて配車しているため、乗ってドライバーと話すことはない。ボンジュール、とか、アラビア語でアッサラームと言ってみても、あまり反応がない。ドライバーさんは英語はほとんど全く、フランス語もあまりできない人が多かった。あと、チュニジアはシートベルトについてはほとんどどうでもいいらしく、壊れてて使えない車がほとんどだった。

Boltのアプリ画面にはナンバーが数字と数字の間にTU(チュニスという意味だと思う)と表示されているのだが、実際はそのTUはアラビア文字。日本のナンバーをふと思い出した。品川とか書かれているあのナンバー、そう言えば外国人には読めないわね。

車はかなり汚れていることが多い。これはまだいい方で、ナンバーが見えないほど汚れているのも結構目にした。

シディ・ブ・サイドからチュニスまではどの道を使うかによって違うが20~23㎞ほどで、普通は30分ほど。それがBoltを使うと2024年末の時点で約20ディナール(約7ユーロ)。インターネットで読んでいた相場と比べて、コロナ以降たぶん2倍ぐらいに上がったのではと思う。でも、普通にタクシーを使うより安く(半額ぐらい)、ホテルの送迎などの5分の1程度。この日はこんな道を行った。(下の地図はその日のものではないが。)

↑この地図の左端の通る予定の道路がピンク色になっているが、当日もその辺りが渋滞。これは渋滞に入るちょっと前の花屋が並んでいたところ。ああいいな、この時期にこんなにお花があって。大きなお花が眩しく見えた。

チップスみたいなの、こんな風に売るんだなあって物珍しく写してた。

そしてピンクの辺りになると車がほぼ動かなくなった。暇なので、車窓から写真撮影。日除けの網が張られていたので写りは全く良くないが、チュニスの雰囲気、人々の様子に興味津々で、写さずにはいられず。

めぎたちが泊まっているところにはお金持ちのチュニジア人しかいないのだな、ということがここに来て分かった。

車が渋滞でほとんど動かないからというのもあるけど、ものすごくすぐそばを人が通っていくのでびっくりする。

座り込んでいる人もいる…

この先がメディーナの中なのだが、凄く混んでいるわねぇ…後で聞いたところによると、この日は土曜日だったのだが、日曜日はメディーナの店が閉まるため、買い出しの日なのだそう。

そして、ほんのちょっと隙間を人力車もすり抜けていく。

何しているのかな、何を食べているのかな、何を話しているのかな…

ちょっと大きな広場がすし詰め状態。

レンタカーを全く勧められなかった理由がよく分かったわ。

続く。
5泊したところは、シディ・ブ・サイドという白と青の建物で有名な小さな町。
そこに泊まることにした決め手は、海沿いで空港からタクシーで来られる場所で、首都のチュニス観光にも遺跡のカルタゴ観光にも近くて便利だということ。チュニジアに行ったのは、めぎ家のアパートに去年一時期チュニジア人の若者が住んでいてチュニジアの話を聞いたのがきっかけなのだが、チュニジアへの飛行機のチケットを取ってからその若者に連絡を取り、見所やお勧めのレストラン、移動方法など色々教えてもらった。彼はレンタカーを全く勧めず、電車移動も全く勧めず、Boltという配車サービス(Uberとほぼ同じ)のアプリを使うことを強く勧めたので、旅の前にそのアプリをダウンロード。初めて使うのでちょっとドキドキ。うまくいくかな。
めぎたちがチュニジアにいるとき、その若者も帰省中だということで、色々教えてもらったお礼にお昼をご馳走するという約束をした。彼が行きたいレストランを予約してもらい、当日そこに集合するということで、早速その配車アプリを利用して、めぎたちの宿からチュニスのメディーナ(アラブ旧市街)にあるレストランまでの配車を手配。すぐに「あと3分で到着」というような表示が出たが、ほどなく案の定めぎたちの宿までは辿り着けないというメッセージ。ちゃんと辿り着ける道があるのだが、遠回りなのでナビに出てこないようで、近場まで来てそれ以上は通行止めになり、そこで待っているというのだ。(余談だが、そのメッセージは何語で書いても相手の言語に瞬時に翻訳されるという優れもので、ドイツ語で書いたのがたぶんあちらではアラビア語になり、運転手がアラビア語で書いたのがめぎには英語で表示されていた。日本語でも試してみればよかったな…でも、そのときはうちのドイツ人と話しながら書いているので、そのままドイツ語で記入。慣れないフランス語を書く必要もなく、文明の利器の有難さを感じたわ。どこにいてもスマホのアプリが使えたので、スマホのSIMカードをちゃんと空港で買っておいてよかったな、と痛感。)めぎたちとしてはうちのドイツ人にあまり歩かせないように宿まで来てほしかったのだけど、結局そのタクシーがいる場所まで降りて行かなければならなかった。まあ下りだからいいけど、うちのドイツ人に約束の場所で元気にいてもらえるよう、事前にあまり負荷をかけたくなかったんだけどな…
チュニジアのBoltで配車を呼ぶと、こんな黄色のタクシーがやってくる。アプリ上でどこまで行くか、そこまでいくらかも決めて配車しているため、乗ってドライバーと話すことはない。ボンジュール、とか、アラビア語でアッサラームと言ってみても、あまり反応がない。ドライバーさんは英語はほとんど全く、フランス語もあまりできない人が多かった。あと、チュニジアはシートベルトについてはほとんどどうでもいいらしく、壊れてて使えない車がほとんどだった。
Boltのアプリ画面にはナンバーが数字と数字の間にTU(チュニスという意味だと思う)と表示されているのだが、実際はそのTUはアラビア文字。日本のナンバーをふと思い出した。品川とか書かれているあのナンバー、そう言えば外国人には読めないわね。
車はかなり汚れていることが多い。これはまだいい方で、ナンバーが見えないほど汚れているのも結構目にした。
シディ・ブ・サイドからチュニスまではどの道を使うかによって違うが20~23㎞ほどで、普通は30分ほど。それがBoltを使うと2024年末の時点で約20ディナール(約7ユーロ)。インターネットで読んでいた相場と比べて、コロナ以降たぶん2倍ぐらいに上がったのではと思う。でも、普通にタクシーを使うより安く(半額ぐらい)、ホテルの送迎などの5分の1程度。この日はこんな道を行った。(下の地図はその日のものではないが。)
↑この地図の左端の通る予定の道路がピンク色になっているが、当日もその辺りが渋滞。これは渋滞に入るちょっと前の花屋が並んでいたところ。ああいいな、この時期にこんなにお花があって。大きなお花が眩しく見えた。
チップスみたいなの、こんな風に売るんだなあって物珍しく写してた。
そしてピンクの辺りになると車がほぼ動かなくなった。暇なので、車窓から写真撮影。日除けの網が張られていたので写りは全く良くないが、チュニスの雰囲気、人々の様子に興味津々で、写さずにはいられず。
めぎたちが泊まっているところにはお金持ちのチュニジア人しかいないのだな、ということがここに来て分かった。
車が渋滞でほとんど動かないからというのもあるけど、ものすごくすぐそばを人が通っていくのでびっくりする。
座り込んでいる人もいる…
この先がメディーナの中なのだが、凄く混んでいるわねぇ…後で聞いたところによると、この日は土曜日だったのだが、日曜日はメディーナの店が閉まるため、買い出しの日なのだそう。
そして、ほんのちょっと隙間を人力車もすり抜けていく。
何しているのかな、何を食べているのかな、何を話しているのかな…
ちょっと大きな広場がすし詰め状態。
レンタカーを全く勧められなかった理由がよく分かったわ。
続く。
メディーナの脇に到着 [2024年末~2025年始 チュニジア]
ちょっと多忙にて予約投稿が間に合わず、今日の記事は写真2枚だけ。移行先のこの記事はこちら。

昨日の配車タクシーが30分の予定のところ1時間半もかけてようやく目的地の近くにやってきて、こんなところで降ろされた。1枚目の猫ちゃんはそこにいた猫。

約束のレストランはそこから歩いて3分ぐらい。と言っても、運転手さんのアラビア語ではよく分からず、スマホで地図を探しての移動で、5分ぐらいかかったかな。
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昨日の配車タクシーが30分の予定のところ1時間半もかけてようやく目的地の近くにやってきて、こんなところで降ろされた。1枚目の猫ちゃんはそこにいた猫。
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レストランを見つける [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行の続きのお話を。(昨日は忙しくて予約投稿も間に合わず、いつもの6時間遅れでタクシーを下ろされた場所の2枚のみアップ。)話は、めぎたちの泊まっているシディ・ブ・サイドという町から首都チュニスの旧市街メディーナにあるレストランまで移動してきたところから。
昨日も書いたように(でもドイツ時間の夜中に急いでアップしてバタンキューで寝たので説明が足りなかったが)、配車アプリでタクシーを手配した時には30分で着くと表示されていたのが、ものすごい渋滞で1時間半もかかって到着。それも、レストランにつくはずが、近くまでは車が入れないとのことでどこか近くの広場で降ろされた。で、運転手さんがあっちの方って言って去って行ったんだけど、そう言われても、ええと…で、その広場にあった地図を見る。今ここにいるようね。

首相官邸のすぐ前で、警官というか軍人のような人たちもいっぱい。写真撮影に気を付けなきゃ(首相官邸など政府機関は写してはいけない)。メディーナの出口すぐの外側(西側の外)にいるということが分かった。
でもそれだけでは目指すレストランの場所が結局分からなかったので(タクシーが連れて来てくれると思っていたから「この辺」としか覚えてなくて)、スマホを出して地図で検索。めぎはカメラを持っているのでそれだけでも目立つので、その上スマホを出したりしたくなかったんだけど、仕方がない…まあ文明の利器は使うためにあるのだけどね。どこにいてもつながるように空港でSIMカードを買ったわけだし、役に立ってよかったわ。どれどれ…と見ている間にひったくりとかスリとかが来ないか気を付けたりするのが面倒だけど、ここはいたって平和だった。まあ警官も軍人もうようよいるしね……あっちの方みたい、とその通りの方に移動。あ、ここにもその名前が出てる。

室外機、いっぱい。あとで聞いたけど、去年の夏にはここ、50℃になったという。夏には来たくないな。

突き当りの黄色いドアのところまで来たら、さらに右へ行く。

この黄色いドアが目指すレストランらしい。すれ違って行く人々の感じが素敵、と思って急いでカメラを構えて撮ったのだけど、残念ながら間に合わなかった…スマホも持っているからカメラを構えるのに手間取っちゃって。だからどっちも持つのは嫌なのよねぇ…うちのドイツ人がスマホ担当してくれればいいのだけど、彼は老眼で見えないので外では全く使わないのだ。(老眼なのはめぎも同じだけどめぎは近眼でもあるので遠近両用メガネを使っているからまあ見えるし、うちのドイツ人は旅行中スマホを宿でWi-Fi使って気になったものをWikipediaなどで調べるためにしか使っていないので、ここに持ってきていない。ドイツを一歩出ると全く使えない安い契約のSIMしか持ってないし。)

そう、この名前のレストラン。チュニジア一のレストランらしい。ここに来たのは、めぎ家のアパートに去年の夏まで住んでいたチュニジア人の若者が今回の旅のために色々アドバイスをくれたので、そのお礼にお昼をご馳走するということで、若者にレストランをチョイスしてもらって予約もしてもらったから。

めぎたちは早めに到着してメディーナ(アラブの旧市街)を散策するつもりだったのだが、タクシーが渋滞で1時間半も遅れたので、約束の時間まであと25分ぐらいだった。でも25分も前なので、どうしようかな…

…と二人で話していたら、↑荷車を押すおじさんが「レストランならここだよ」と言って過ぎ去っていった。ここはドアと名前の表札があるだけで名前はそうだけどドアは閉まってるし、開けていいものかそもそも開いているのかどうも分かりにくいから、親切に教えてくれたのだろう。

で、レストランの場所も分かったことだし、めぎたちは25分間その辺をちょっと歩いてみることにした。
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昨日も書いたように(でもドイツ時間の夜中に急いでアップしてバタンキューで寝たので説明が足りなかったが)、配車アプリでタクシーを手配した時には30分で着くと表示されていたのが、ものすごい渋滞で1時間半もかかって到着。それも、レストランにつくはずが、近くまでは車が入れないとのことでどこか近くの広場で降ろされた。で、運転手さんがあっちの方って言って去って行ったんだけど、そう言われても、ええと…で、その広場にあった地図を見る。今ここにいるようね。
首相官邸のすぐ前で、警官というか軍人のような人たちもいっぱい。写真撮影に気を付けなきゃ(首相官邸など政府機関は写してはいけない)。メディーナの出口すぐの外側(西側の外)にいるということが分かった。
でもそれだけでは目指すレストランの場所が結局分からなかったので(タクシーが連れて来てくれると思っていたから「この辺」としか覚えてなくて)、スマホを出して地図で検索。めぎはカメラを持っているのでそれだけでも目立つので、その上スマホを出したりしたくなかったんだけど、仕方がない…まあ文明の利器は使うためにあるのだけどね。どこにいてもつながるように空港でSIMカードを買ったわけだし、役に立ってよかったわ。どれどれ…と見ている間にひったくりとかスリとかが来ないか気を付けたりするのが面倒だけど、ここはいたって平和だった。まあ警官も軍人もうようよいるしね……あっちの方みたい、とその通りの方に移動。あ、ここにもその名前が出てる。
室外機、いっぱい。あとで聞いたけど、去年の夏にはここ、50℃になったという。夏には来たくないな。
突き当りの黄色いドアのところまで来たら、さらに右へ行く。
この黄色いドアが目指すレストランらしい。すれ違って行く人々の感じが素敵、と思って急いでカメラを構えて撮ったのだけど、残念ながら間に合わなかった…スマホも持っているからカメラを構えるのに手間取っちゃって。だからどっちも持つのは嫌なのよねぇ…うちのドイツ人がスマホ担当してくれればいいのだけど、彼は老眼で見えないので外では全く使わないのだ。(老眼なのはめぎも同じだけどめぎは近眼でもあるので遠近両用メガネを使っているからまあ見えるし、うちのドイツ人は旅行中スマホを宿でWi-Fi使って気になったものをWikipediaなどで調べるためにしか使っていないので、ここに持ってきていない。ドイツを一歩出ると全く使えない安い契約のSIMしか持ってないし。)
そう、この名前のレストラン。チュニジア一のレストランらしい。ここに来たのは、めぎ家のアパートに去年の夏まで住んでいたチュニジア人の若者が今回の旅のために色々アドバイスをくれたので、そのお礼にお昼をご馳走するということで、若者にレストランをチョイスしてもらって予約もしてもらったから。
めぎたちは早めに到着してメディーナ(アラブの旧市街)を散策するつもりだったのだが、タクシーが渋滞で1時間半も遅れたので、約束の時間まであと25分ぐらいだった。でも25分も前なので、どうしようかな…
…と二人で話していたら、↑荷車を押すおじさんが「レストランならここだよ」と言って過ぎ去っていった。ここはドアと名前の表札があるだけで名前はそうだけどドアは閉まってるし、開けていいものかそもそも開いているのかどうも分かりにくいから、親切に教えてくれたのだろう。
で、レストランの場所も分かったことだし、めぎたちは25分間その辺をちょっと歩いてみることにした。
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メディーナの一面 [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行のお話を。
首都チュニスのメディーナ(アラブの旧市街)に到着しためぎたちは、チュニジア人の若者との約束の時間までの25分間、ちょっと散策に出かけた。

タクシーから見えた雑踏と比べると、この辺りはずいぶん綺麗だけど、ゴミがこんな風に捨ててある場所もあった。

チュニスのメディーナは世界遺産にも登録されている大規模な旧市街で、雑踏の部分もあれば高級ホテルやレストランに改装された昔の豪華な邸宅の並ぶ部分もあるらしい。ここはその高級な地区なのだ。でも、うまくいっていないところもあるようで、こんな風に壊れて空き家になっているところもちらほら。

カフェのような場所に出た。

何か売ってる…

このときは何の香辛料なのかなと思って写していたが、今は少なくとも右手前の乾燥した緑の束はミントだと分かる。この乾燥ミントはとてもいい香りでお茶にすると美味しくて、ここでじゃないけど後日スーパーでお土産に購入。めぎは生ミントティーが好きでよくトルコ系のお店で大きな束を買うのだけど、乾燥ミントの美味しさに目覚めたという感じ。ドイツでよく売っているティーバックのミントティーとは全く違う。

通っていく人々の多くはチュニジア人のようなのだけど、さっきタクシーから見かけた生きるので精一杯の感じの人たちとはずいぶん違って、ここに楽しみに来ているという感じだなぁ。

チュニジアにはかなり貧富の差があるのだろうな、とこのときぼんやりと思いながら歩いていた。

散策はまだまだ続く。
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首都チュニスのメディーナ(アラブの旧市街)に到着しためぎたちは、チュニジア人の若者との約束の時間までの25分間、ちょっと散策に出かけた。
タクシーから見えた雑踏と比べると、この辺りはずいぶん綺麗だけど、ゴミがこんな風に捨ててある場所もあった。
チュニスのメディーナは世界遺産にも登録されている大規模な旧市街で、雑踏の部分もあれば高級ホテルやレストランに改装された昔の豪華な邸宅の並ぶ部分もあるらしい。ここはその高級な地区なのだ。でも、うまくいっていないところもあるようで、こんな風に壊れて空き家になっているところもちらほら。
カフェのような場所に出た。
何か売ってる…
このときは何の香辛料なのかなと思って写していたが、今は少なくとも右手前の乾燥した緑の束はミントだと分かる。この乾燥ミントはとてもいい香りでお茶にすると美味しくて、ここでじゃないけど後日スーパーでお土産に購入。めぎは生ミントティーが好きでよくトルコ系のお店で大きな束を買うのだけど、乾燥ミントの美味しさに目覚めたという感じ。ドイツでよく売っているティーバックのミントティーとは全く違う。
通っていく人々の多くはチュニジア人のようなのだけど、さっきタクシーから見かけた生きるので精一杯の感じの人たちとはずいぶん違って、ここに楽しみに来ているという感じだなぁ。
チュニジアにはかなり貧富の差があるのだろうな、とこのときぼんやりと思いながら歩いていた。
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お金を下ろす [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行のお話を。
チュニスのメディーナの西側の辺りをウロウロしているめぎたち。

綺麗なお店…と思ったら…

なんと日本語が書いてあった!

この辺は日本人観光客も来るってことなのね。中にどんな本と美術品があるんだろうってちょっと興味あったけど、約束の時間までにしなければならないことがあったので素通り。

カフェとかレストランとかがある辺りにやってきた。座ってみたいけど、これから食事の約束だからなぁ…

それに、めぎたちはこのとき、ATMを探していたのだ。これから今回の旅行のアドバイスをくれたチュニジア人の若者(去年夏までめぎ家のアパートに住んでいた人)にお礼にお昼をご馳走する約束なのだけど、チュニジアは現金大国でカードとかあまり使えないと聞いてたし、まあ高級レストランだからそこはカードが使えるだろうけど空港で両替した450ディナール(約150ユーロ)だけではどっちみち5日間の滞在には足りないし、1000ディナールぐらいは下ろしたいね、できれば2000ぐらい欲しいね、レストランでもできれば現金で払いたいな、などと言っていたのだ。
ここから綺麗なモスクの塔が見えた。それを見てうちのドイツ人が、食事が終わったらあの中に入りたいな。でも我々だけで入るのは難しいから、若者に一緒に入ってくれるように頼んでみよう、と言っていた。そのモスクの近くにやっとATMを見つけたのだが…

残念ながら400ディナールまでしか下ろせなかった。それが上限なのだ。まあレストランではやっぱりカードを使いましょ。
約束の時間まであと10分ぐらい。そろそろ約束のレストランの方に戻りましょ。

↑でも、ああ、こういうところに座ってみたかったなぁ…
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綺麗なお店…と思ったら…
なんと日本語が書いてあった!
この辺は日本人観光客も来るってことなのね。中にどんな本と美術品があるんだろうってちょっと興味あったけど、約束の時間までにしなければならないことがあったので素通り。
カフェとかレストランとかがある辺りにやってきた。座ってみたいけど、これから食事の約束だからなぁ…
それに、めぎたちはこのとき、ATMを探していたのだ。これから今回の旅行のアドバイスをくれたチュニジア人の若者(去年夏までめぎ家のアパートに住んでいた人)にお礼にお昼をご馳走する約束なのだけど、チュニジアは現金大国でカードとかあまり使えないと聞いてたし、まあ高級レストランだからそこはカードが使えるだろうけど空港で両替した450ディナール(約150ユーロ)だけではどっちみち5日間の滞在には足りないし、1000ディナールぐらいは下ろしたいね、できれば2000ぐらい欲しいね、レストランでもできれば現金で払いたいな、などと言っていたのだ。
ここから綺麗なモスクの塔が見えた。それを見てうちのドイツ人が、食事が終わったらあの中に入りたいな。でも我々だけで入るのは難しいから、若者に一緒に入ってくれるように頼んでみよう、と言っていた。そのモスクの近くにやっとATMを見つけたのだが…
残念ながら400ディナールまでしか下ろせなかった。それが上限なのだ。まあレストランではやっぱりカードを使いましょ。
約束の時間まであと10分ぐらい。そろそろ約束のレストランの方に戻りましょ。
↑でも、ああ、こういうところに座ってみたかったなぁ…
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チュニジアのファストフードなのかな [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行のお話を。
ここは首都チュニスのメディーナ(アラブの旧市街)の西側部分のどこか。

この辺りはファストフード街のようだ。こんなヨーロッパでも見かけそうな店構えのところもあれば…

暗めで壁も剥げててどんなところなのかなあって覗きたくなる雰囲気のところも。

ここはピザ屋のようだ。

この辺りの治安は、昼間に関してはドイツと同じぐらいじゃないかなと思う。外で食べている若者たちを見ると、ドイツと変わらない。みんな楽しそう。

良い匂い…いい音…

美味しそうだなぁ…(トリミング)

こういうのがいくらぐらいなのかなと思って看板の一部を一つ写してきた。このMalfoufというのはググるとレバノン料理の一種として出てきて、茹でたキャベツで野菜や肉を巻いて揚げたもののようだ。中が卵のが3000、ツナとハムとモッツァレラ等が色々入っているスペシャルが7000と書かれている。これは3ディナール、7ディナールという意味。つまり、普通の人はお昼に3~7(1~2.5ユーロ)ディナールのファストフードを食べるということなのかな。左の方にはピザの一人分(大きめの一切れ)の値段らしきのがあって、一番安いのが7000ってっことは7ディナール(約2.5ユーロ)、一番高いのが16000で16ディナール(約5ユーロ)。ドイツでもピザはファストフードとして食べた場合具によって7~15ユーロぐらいしそうだから(ファストフードを普段食べないのでなんとも分からないが、クリスマスマーケットで食べたものの値段から推測)、物価は3分の1ぐらいということなのかな。でもこの辺り、小奇麗で観光客向けのゾーンでもあるから、庶民向けの店ではもっと安いのかもしれないな。だって、一か月の平均収入が300ユーロ未満だって話だし。換算して一か月900ディナールで生きている人は、お昼に毎回7~16ディナールも払ってはいられないわよね。単純計算で、一日30ディナールで家賃も光熱費も食費も服も交通費もすべて含めてやって行かなきゃいけないんだから。

そんなことを無意識に感じながら(今、その時に感じたことを思い出して文字化している)、良い匂いがいっぱいで、13時直前だし、おなかすいたわ~ということで、約束のレストランへ。次回はやっと、そのレストランでのお話に入る。
移行先はこちら。
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ここは首都チュニスのメディーナ(アラブの旧市街)の西側部分のどこか。
この辺りはファストフード街のようだ。こんなヨーロッパでも見かけそうな店構えのところもあれば…
暗めで壁も剥げててどんなところなのかなあって覗きたくなる雰囲気のところも。
ここはピザ屋のようだ。
この辺りの治安は、昼間に関してはドイツと同じぐらいじゃないかなと思う。外で食べている若者たちを見ると、ドイツと変わらない。みんな楽しそう。
良い匂い…いい音…
美味しそうだなぁ…(トリミング)
こういうのがいくらぐらいなのかなと思って看板の一部を一つ写してきた。このMalfoufというのはググるとレバノン料理の一種として出てきて、茹でたキャベツで野菜や肉を巻いて揚げたもののようだ。中が卵のが3000、ツナとハムとモッツァレラ等が色々入っているスペシャルが7000と書かれている。これは3ディナール、7ディナールという意味。つまり、普通の人はお昼に3~7(1~2.5ユーロ)ディナールのファストフードを食べるということなのかな。左の方にはピザの一人分(大きめの一切れ)の値段らしきのがあって、一番安いのが7000ってっことは7ディナール(約2.5ユーロ)、一番高いのが16000で16ディナール(約5ユーロ)。ドイツでもピザはファストフードとして食べた場合具によって7~15ユーロぐらいしそうだから(ファストフードを普段食べないのでなんとも分からないが、クリスマスマーケットで食べたものの値段から推測)、物価は3分の1ぐらいということなのかな。でもこの辺り、小奇麗で観光客向けのゾーンでもあるから、庶民向けの店ではもっと安いのかもしれないな。だって、一か月の平均収入が300ユーロ未満だって話だし。換算して一か月900ディナールで生きている人は、お昼に毎回7~16ディナールも払ってはいられないわよね。単純計算で、一日30ディナールで家賃も光熱費も食費も服も交通費もすべて含めてやって行かなきゃいけないんだから。
そんなことを無意識に感じながら(今、その時に感じたことを思い出して文字化している)、良い匂いがいっぱいで、13時直前だし、おなかすいたわ~ということで、約束のレストランへ。次回はやっと、そのレストランでのお話に入る。
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チュニジア料理の豪華な昼食 [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行のお話を。
13時になり、約束のレストランに到着。(この写真はその30分前に写したものだけど。)

ドアをノックすると中からドアを開けてくれた。チュニジアの楽器による音楽の生演奏が聞こえる。中はとっても立派なタイルの空間。その向こうには見覚えのある若者と、その隣にそれとそっくりのもっと老けた顔の男性…そう、その若者のお父さんが待っていた。息子がドイツでお世話になった人たちなので、ぜひ昼食を招待させてくれ、と言うのである。
あららら、そんなつもりではなかったのに…でも、それを受け入れるしかないめぎたち。ご馳走していただけるのはとても有難いけど、気の置けない若者と楽しいおしゃべりが弾むのを想像して楽しみにしていたその昼食は、父親に気を遣って発言にも気を付けて話を合わせるというものに変わってしまった。そうか、それでこのレストランだったのね。どこでも行きたいところを予約してね、と言ったらチュニジア一を誇る高級レストランになったので、たぶん美味しいのだろうけど、もっと地元民ならではのところを紹介してくれることを期待していためぎたちとしては当てが外れた気もしていたのだ。五つ星ホテルの経営するレストランで、ホームページはこちら。

立派な建物ね…18世紀の邸宅をホテルやレストランに改装しているらしい。しかも、その若者のお父さんの親の代でもかつてここじゃないけどこんな邸宅をお持ちで、それを売って今はホテルになっているのだという。近くだからあとで案内するって…へぇ…この若者、筋金入りのお坊ちゃまだったのね…

父親は商社を経営しているという。何を扱っているのかはお茶を濁しててよく分からなかった。どこにどんな家を持っているとか、デュッセルドルフが気に入ったのでライン河沿いの一等地の部屋を買いたいと思っているとか、そんなお話が続く。めぎは食事前にお手洗いに行ったのだが、そのお手洗いのタイルも素晴らしい(↓下の写真)。あの若者、チュニジアではこういう邸宅に住んでいる人なのかな。うちの安アパートの小さな小さな部屋で、辛かっただろうな…

さて、昼食だが、ご招待いただいたわけだし、まだ滞在二日目でチュニジア料理もよくわからないめぎたちなので、注文は全てお任せした。これはお通し。アンチョビとオリーブとケッパーがとっても美味しい。ケッパーってこんなに美味しいものだったのね、とびっくり。その向こうの赤いのは辛かった…凄く美味しいけど辛すぎて食べられない…

辛いのは苦手とうちのドイツ人が言ったので、その後は辛くない料理が続く。スープは魚の出汁のスープなのだが、食べたことのない味。何のハーブなんだろう…うちのドイツ人的にはこれがここで最も美味しかったということだが、本当に絶品だった。

↑上の写真のスープの右後ろにぼんやり写っているものはパイ生地に何かを包んで焼き上げた料理で、中身はこんなのなのだが、何が入っていたか、たぶん卵と何かだったのだが、もう思い出せない。

それからこちらはたぶんチュニジアのサイドメニューで最も有名なブリク。春巻きの皮のようなので大きな餃子にして揚げたようなものの中身は、どろりとした卵(どうやって作るのか分からないが、皮の中に割り入れて包んでそのまま揚げたという感じ)。チュニジア人は卵料理が好きだとちょっと調べるとたくさん出ているが、本当にそうね。手で持って食べながら、中にレモンを絞り入れて食べる。ドロドロ半熟卵とレモン。それがチュニジアの味。

手が汚れるのでこんなものも用意されていた。

さて、これらの料理、一つ一つは美味しいのだけど、大きいし、どれも味が似たような方向で、ここまででめぎはもうおなかいっぱい。しかし、そこに極めつけのクスクスが登場。しかも一人一つ、うちのドイツ人にも同じもの。だからシェアもできないし、別の味に逃げることもできない。単品で食べたら美味しかったのかも知れないが、それまでとほぼ同じ味付けで、半分も食べないうちにギブアップ。うちのドイツ人も半分でギブアップ。ああ、ごめんなさい…(でも正直、美味しさはこの前日の宿のレストランのクスクスに軍配が上がる。)

それなのに、さらに追い打ちをかけてデザートが。コーヒーゼリーとかチョコレートムースとかのように見えるこれら、Zrigaというコーンスターチで作ったプディングのようなものの上にAssidat zgougouという松の実がベースとなっているクリームを載せたもの。とてもねっとり甘くて、何かもさもさしたような舌触りで、もう無理…

食べながら、うちのドイツ人と若者の父親がフランス語で交わす話や(これが意外にも半分ぐらい意味が分かったので、昔懐かしの大学時代の2年間の第2外国語やこの2か月のDuolingoは伊達じゃないと実感…まあ話題が凄く単純だったことにもよるけれど)、時折若者がドイツ語に訳してくれたりするのを聞く。若者がチュニジアの普通の学校ではなくチュニスにあるフランス人学校を出ていることや、10月からはボン大学で薬学を専攻していること、寮が空室待ちの長いリストで全く入れず、アパートなども全く見つからず、12月まではデュッセルドルフ大学に通っている知り合いの部屋に居候して毎日ボンに片道2時間かけて通っていたこと、それがあまりにも大変なので1月からはホステルに泊まって家探しをする予定だということなどを聞いた。聞きながら複雑な思いがした。この若者はチュニジアでは上流階級の人間で、フランス人と同様の教育を受けていた。それが、フランスに行けば当然のことながら全くフランス人と同等にはみなされないし、ドイツにやってきたら、大学にはフランスの卒業証書が認められてすぐに入れたものの、住まいが全く見つからないのだ。寮にすぐに空きがないのは25年前も今も同じだが、アパートを借りようにも、チュニジア人に貸してくれる人はそう簡単には見つからないのだろう。ちゃんと家賃が入るかと心配で断ったりするのだろうな。普通のドイツ人でも部屋探しは昨今難しいのに、外国人、それもチュニジア人はそれよりずっと大変なはずだ。
そう気の毒に感じつつも、どうもめぎたちはこの父親が好きになれなかった。そもそも約束と全く違った状況で待ち受けて暴力的に招待を受けるよう強いたわけで、そのやり方そのものが全く気に入らなかったし、話題がどうも「自分はこんなに上流階級なんだ」ということに終始したからである。お金と待遇と自分が買えるもののことしか興味はないのかな、と思ったほどで、オペラとか文学とかは期待しないけどその国の歴史とか社会背景とかを知りたいめぎたちとは興味が全くずれていたのだ。
だから、表面的な話題に終始してつまらなくなんとも後味の悪い会食となってしまったが、それでも、この経験にはとても感謝している。おかげでチュニジアの貧富の差を身をもって感じることができたし(クスクス一つだけで80ディナールもする…一人当たり少なく見積もっても400ディナールぐらいの食事をしたわけで、外の一番高いピザでも16ディナールだったのを思い出すと、ここは別世界だ)、こんな機会でもないとこの高級レストランにはめぎたちは入らなかったと思うから。

そうそう、このレストラン、数席離れたところで日本人家族が食事していた。駐在の方なのか、旅行者なのかは不明。日本人がいると聞いたからか、小さなお琴みたいな楽器で生演奏していた人が「さくら」も演奏。それらの事実からしても、ここは日本人を含めた外国人が来るところで、たぶん英語も通じるし、めぎたちだけでも来られるところ。ホント、もっとローカルなところに案内して欲しかったな…でも、このお育ちじゃ無理な話だったわね。この若者、ひょっとしたらチュニジアの普通のローカルなところなんて行ったことがないのかもしれないな。
13時になり、約束のレストランに到着。(この写真はその30分前に写したものだけど。)
ドアをノックすると中からドアを開けてくれた。チュニジアの楽器による音楽の生演奏が聞こえる。中はとっても立派なタイルの空間。その向こうには見覚えのある若者と、その隣にそれとそっくりのもっと老けた顔の男性…そう、その若者のお父さんが待っていた。息子がドイツでお世話になった人たちなので、ぜひ昼食を招待させてくれ、と言うのである。
あららら、そんなつもりではなかったのに…でも、それを受け入れるしかないめぎたち。ご馳走していただけるのはとても有難いけど、気の置けない若者と楽しいおしゃべりが弾むのを想像して楽しみにしていたその昼食は、父親に気を遣って発言にも気を付けて話を合わせるというものに変わってしまった。そうか、それでこのレストランだったのね。どこでも行きたいところを予約してね、と言ったらチュニジア一を誇る高級レストランになったので、たぶん美味しいのだろうけど、もっと地元民ならではのところを紹介してくれることを期待していためぎたちとしては当てが外れた気もしていたのだ。五つ星ホテルの経営するレストランで、ホームページはこちら。
立派な建物ね…18世紀の邸宅をホテルやレストランに改装しているらしい。しかも、その若者のお父さんの親の代でもかつてここじゃないけどこんな邸宅をお持ちで、それを売って今はホテルになっているのだという。近くだからあとで案内するって…へぇ…この若者、筋金入りのお坊ちゃまだったのね…
父親は商社を経営しているという。何を扱っているのかはお茶を濁しててよく分からなかった。どこにどんな家を持っているとか、デュッセルドルフが気に入ったのでライン河沿いの一等地の部屋を買いたいと思っているとか、そんなお話が続く。めぎは食事前にお手洗いに行ったのだが、そのお手洗いのタイルも素晴らしい(↓下の写真)。あの若者、チュニジアではこういう邸宅に住んでいる人なのかな。うちの安アパートの小さな小さな部屋で、辛かっただろうな…
さて、昼食だが、ご招待いただいたわけだし、まだ滞在二日目でチュニジア料理もよくわからないめぎたちなので、注文は全てお任せした。これはお通し。アンチョビとオリーブとケッパーがとっても美味しい。ケッパーってこんなに美味しいものだったのね、とびっくり。その向こうの赤いのは辛かった…凄く美味しいけど辛すぎて食べられない…
辛いのは苦手とうちのドイツ人が言ったので、その後は辛くない料理が続く。スープは魚の出汁のスープなのだが、食べたことのない味。何のハーブなんだろう…うちのドイツ人的にはこれがここで最も美味しかったということだが、本当に絶品だった。
↑上の写真のスープの右後ろにぼんやり写っているものはパイ生地に何かを包んで焼き上げた料理で、中身はこんなのなのだが、何が入っていたか、たぶん卵と何かだったのだが、もう思い出せない。
それからこちらはたぶんチュニジアのサイドメニューで最も有名なブリク。春巻きの皮のようなので大きな餃子にして揚げたようなものの中身は、どろりとした卵(どうやって作るのか分からないが、皮の中に割り入れて包んでそのまま揚げたという感じ)。チュニジア人は卵料理が好きだとちょっと調べるとたくさん出ているが、本当にそうね。手で持って食べながら、中にレモンを絞り入れて食べる。ドロドロ半熟卵とレモン。それがチュニジアの味。
手が汚れるのでこんなものも用意されていた。
さて、これらの料理、一つ一つは美味しいのだけど、大きいし、どれも味が似たような方向で、ここまででめぎはもうおなかいっぱい。しかし、そこに極めつけのクスクスが登場。しかも一人一つ、うちのドイツ人にも同じもの。だからシェアもできないし、別の味に逃げることもできない。単品で食べたら美味しかったのかも知れないが、それまでとほぼ同じ味付けで、半分も食べないうちにギブアップ。うちのドイツ人も半分でギブアップ。ああ、ごめんなさい…(でも正直、美味しさはこの前日の宿のレストランのクスクスに軍配が上がる。)
それなのに、さらに追い打ちをかけてデザートが。コーヒーゼリーとかチョコレートムースとかのように見えるこれら、Zrigaというコーンスターチで作ったプディングのようなものの上にAssidat zgougouという松の実がベースとなっているクリームを載せたもの。とてもねっとり甘くて、何かもさもさしたような舌触りで、もう無理…
食べながら、うちのドイツ人と若者の父親がフランス語で交わす話や(これが意外にも半分ぐらい意味が分かったので、昔懐かしの大学時代の2年間の第2外国語やこの2か月のDuolingoは伊達じゃないと実感…まあ話題が凄く単純だったことにもよるけれど)、時折若者がドイツ語に訳してくれたりするのを聞く。若者がチュニジアの普通の学校ではなくチュニスにあるフランス人学校を出ていることや、10月からはボン大学で薬学を専攻していること、寮が空室待ちの長いリストで全く入れず、アパートなども全く見つからず、12月まではデュッセルドルフ大学に通っている知り合いの部屋に居候して毎日ボンに片道2時間かけて通っていたこと、それがあまりにも大変なので1月からはホステルに泊まって家探しをする予定だということなどを聞いた。聞きながら複雑な思いがした。この若者はチュニジアでは上流階級の人間で、フランス人と同様の教育を受けていた。それが、フランスに行けば当然のことながら全くフランス人と同等にはみなされないし、ドイツにやってきたら、大学にはフランスの卒業証書が認められてすぐに入れたものの、住まいが全く見つからないのだ。寮にすぐに空きがないのは25年前も今も同じだが、アパートを借りようにも、チュニジア人に貸してくれる人はそう簡単には見つからないのだろう。ちゃんと家賃が入るかと心配で断ったりするのだろうな。普通のドイツ人でも部屋探しは昨今難しいのに、外国人、それもチュニジア人はそれよりずっと大変なはずだ。
そう気の毒に感じつつも、どうもめぎたちはこの父親が好きになれなかった。そもそも約束と全く違った状況で待ち受けて暴力的に招待を受けるよう強いたわけで、そのやり方そのものが全く気に入らなかったし、話題がどうも「自分はこんなに上流階級なんだ」ということに終始したからである。お金と待遇と自分が買えるもののことしか興味はないのかな、と思ったほどで、オペラとか文学とかは期待しないけどその国の歴史とか社会背景とかを知りたいめぎたちとは興味が全くずれていたのだ。
だから、表面的な話題に終始してつまらなくなんとも後味の悪い会食となってしまったが、それでも、この経験にはとても感謝している。おかげでチュニジアの貧富の差を身をもって感じることができたし(クスクス一つだけで80ディナールもする…一人当たり少なく見積もっても400ディナールぐらいの食事をしたわけで、外の一番高いピザでも16ディナールだったのを思い出すと、ここは別世界だ)、こんな機会でもないとこの高級レストランにはめぎたちは入らなかったと思うから。

そうそう、このレストラン、数席離れたところで日本人家族が食事していた。駐在の方なのか、旅行者なのかは不明。日本人がいると聞いたからか、小さなお琴みたいな楽器で生演奏していた人が「さくら」も演奏。それらの事実からしても、ここは日本人を含めた外国人が来るところで、たぶん英語も通じるし、めぎたちだけでも来られるところ。ホント、もっとローカルなところに案内して欲しかったな…でも、このお育ちじゃ無理な話だったわね。この若者、ひょっとしたらチュニジアの普通のローカルなところなんて行ったことがないのかもしれないな。
レストランの見学 [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行のお話を。
チュニスのメディーナ西側にある高級レストランで、知り合いのチュニジア人の若者の父親にチュニジア料理をご馳走になっためぎたち。食後は若者がレストランの中を案内してくれた。

古い高級食器や花瓶などが置かれている飾り棚。

シャンデリアは電気。

これは何に使うのかな。お茶入れるのかな。何かふかすのかな。

吹き抜けの2階にやってきた。

下を眺めながら食べるというのもよさそうね。

ハーレムみたいな場所もあれば…

会食用の部屋もあり…

その奥に会食の輪を離れてちょっと一息、秘密のお話をする感じの場所もあり…

個室もある。

今も客が使っているのか、飾りなのかよく分からなかったが、かつてここで贅を尽くした生活をしていた人の邸宅をレストランにした場所なのだ、というのはよく分かった。

階段の部分が古いタイルのままで、とても趣があった。

こうやって案内してもらっている間に若者の父親がお会計を済ませてあり、これでここを後にし、若者と父親が案内してくれる場所へと移動した。
チュニスのメディーナ西側にある高級レストランで、知り合いのチュニジア人の若者の父親にチュニジア料理をご馳走になっためぎたち。食後は若者がレストランの中を案内してくれた。
古い高級食器や花瓶などが置かれている飾り棚。
シャンデリアは電気。
これは何に使うのかな。お茶入れるのかな。何かふかすのかな。
吹き抜けの2階にやってきた。
下を眺めながら食べるというのもよさそうね。
ハーレムみたいな場所もあれば…
会食用の部屋もあり…
その奥に会食の輪を離れてちょっと一息、秘密のお話をする感じの場所もあり…
個室もある。
今も客が使っているのか、飾りなのかよく分からなかったが、かつてここで贅を尽くした生活をしていた人の邸宅をレストランにした場所なのだ、というのはよく分かった。
階段の部分が古いタイルのままで、とても趣があった。
こうやって案内してもらっている間に若者の父親がお会計を済ませてあり、これでここを後にし、若者と父親が案内してくれる場所へと移動した。
屋上からの眺め [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行のお話を。
知り合いのチュニジア人の若者の父親に豪華なチュニジア料理の昼食をご馳走になった後、めぎたちは近くのホテルに案内された。たぶん、もとは父親の親の持ち物だったというところなのだろうと思う。これはその入り口付近にあったクリスマスツリー。クリスマス期間中の旅行だったけどチュニジアではクリスマスにちなんだものはそれまで全く見かけず、ここで初めて見かけた。

ここにはチュニジア一のハマム(蒸気風呂とスパ)があるんだ、と言っていたが、案内されたのは屋上。

プールみたいなのが見えた。寒くて誰もいなかったけど。

メディーナって、こう見ると失礼ながらあまり綺麗とは言えないところね。

白い壁が薄汚れて来ちゃうから仕方がないんだろうな。でも、歴史的な建物なんだなということが時々垣間見える。

この屋上はカフェになっていて、実際座っている人たちがいた(寒いのに!)。若者の知り合いの家族で、一人一人紹介されたのだけど、これまた「私たちこういうところでお茶ができる上流階級なんですのよ」というオーラで満ちていた。そこにあったデザートの看板…レモンタルトが32ディナール(約10ユーロ)、フレンチトーストが38ディナール(約12ユーロ)と、下手するとドイツより高い。場所代って感じかな…

ちなみにその家族、娘はフランスのどこどこに留学中、もう一人の娘もアメリカのどこどこに留学中、その彼氏はドイツのどこどこに留学中、という感じで、みなさん欧米に留学するようだ。そしてみなさんチュニジアのフランス人学校を卒業した同窓生。どうしてみなさんチュニジアの教育を受けないのかな…と思ったら、若者が説明してくれた。日本風に言えばオール5のような成績でチュニジアの高卒の学歴を持っても、それがドイツでは中ぐらいの成績にしかカウントされず、その所為で勉強したい分野の大学学部になかなか登録できない(ドイツでは入試がなくて、高校の卒業試験(=大学入学資格試験)に合格していればどこの大学にも入れるのだが、実際は、人気の学部は卒業試験がオール5ぐらいの成績でないと入れない)。それで、フランスのバカロレアを取るのだという。バカロレアであればチュニジアのフランス人学校卒でもちゃんとその通りの成績がドイツで認定されるのだそうだ。そんな差別があるんだ…と思って調べてみたら、「差別」ではなく、教育水準の差を正しく評価しているということで、PISAの結果などを参考にどの国で取った成績がドイツではどの程度に換算するというのが決まっているようだ。チュニジアの上流階級の人たちは、将来留学すること前提でそれに必要な高卒資格を取る、という感じなのね。
実はめぎにはチュニジアにルーツを持つ生徒がこれまでに何人もいる。ドイツ生まれだったり、生まれはチュニジアでも長いことドイツ育ちだったりで、めぎにとっては彼らってドイツの教育を受けて育ったドイツ語母語話者なのだが、その生徒たち、チュニジアに長期休みに遊びに行くことこそあれど、そこで大学に行ったりそこで仕事をしたりということは全く考えていない。高い教育を受けた頭脳がチュニジアには戻らないということ、きっと何かを象徴しているのだろうな。

ここでお茶にしようと言われていたのだけど、なぜかお茶は出てこないし座る気配もない。かなり寒いのでめぎたちの方からお茶は?と聞くのをやめ、チュニス訪問をこれで切り上げることにした。うちのドイツ人は本当は若者にモスクに連れて行って欲しかったのだけど、モスクの入り方を話題にしてみてもなんだかお茶を濁されるし、これ以上何かをしていただくのをやめようと思ったらしい。で、これで帰ると言うと送っていくと言われ、否タクシーで帰るから大丈夫と言っても後に引かず、結局めぎたちはシディ・ブ・サイドまで父親の運転で送ってもらった。途中、若者が小学校から高校卒業まで通ったというフランス人学校の前を通った。そこは高い塀で囲まれてて、厳重に守られていると言えばそうだし、絶対に外に出られないように隔離されていると言えばまたそうだし、若者が恐らくチュニジアの一般の暮らしとは全く無縁で育ったのだろうと伺えた。デュッセルドルフに住む日本人駐在員のお子さんたちが、基本閉まっている門の前に守衛のいる日本人学校に通い、現地の生活とはほぼ無縁で滞在を終えるのと同じことだ。ただ、日本人が日本人学校に行くのは将来の帰国を見据えた選択で至極納得できることなのだが、その国のネイティブがその国の教育ではなく小学校から大学まで全て外国の教育を受けるという部分への説明が、留学に有利だから、ということ以外にないので、めぎにはどうもしっくりこないのだ…
さて、ここからは後日談。この若者、ボン大学に通うために部屋探しをしてて、つてがあったらぜひ紹介してくれと頼まれたので、父親が盛大に招待してくれたのも面倒を見てくれということなのかなと思って、めぎはドイツに戻ってからボンに住む知り合い(ドイツ人)に連絡を取った。すると、その人の住むアパートにはたまたま一人用の部屋が今空き部屋だし、そのアパートのすぐ近くには大学生用のドミトリーのようなものがあるというのだ。しかもとても親切なことに、紹介するから「名前や連絡先や希望する部屋の大きさなど」をまとめたものを送ってと言ってくれた。それを伝えると、若者はメールで自己紹介(僕はまじめで信用に足る人間です、というような自己紹介)を書いて送ってきたが、そこには希望の部屋の大きさなどが書かれていない。それでもう一度「こういうのを書いて送って」と具体的に指示したら、それきり、返事もなければ部屋が見つかったという連絡もない…これって、どうなの。今時の若者の特徴なのか、国の特徴なのか、上流階級の特徴なのか、なんとも分からないが、こうしてこの日のことを思い出すにつけ、なんだかなあという気分である。ただ、めぎたちとしては、ほぼ部屋が見つかるところまでお世話をしたので、この日の借りは全て返した、というスッキリした気分でもある。
知り合いのチュニジア人の若者の父親に豪華なチュニジア料理の昼食をご馳走になった後、めぎたちは近くのホテルに案内された。たぶん、もとは父親の親の持ち物だったというところなのだろうと思う。これはその入り口付近にあったクリスマスツリー。クリスマス期間中の旅行だったけどチュニジアではクリスマスにちなんだものはそれまで全く見かけず、ここで初めて見かけた。
ここにはチュニジア一のハマム(蒸気風呂とスパ)があるんだ、と言っていたが、案内されたのは屋上。
プールみたいなのが見えた。寒くて誰もいなかったけど。
メディーナって、こう見ると失礼ながらあまり綺麗とは言えないところね。
白い壁が薄汚れて来ちゃうから仕方がないんだろうな。でも、歴史的な建物なんだなということが時々垣間見える。
この屋上はカフェになっていて、実際座っている人たちがいた(寒いのに!)。若者の知り合いの家族で、一人一人紹介されたのだけど、これまた「私たちこういうところでお茶ができる上流階級なんですのよ」というオーラで満ちていた。そこにあったデザートの看板…レモンタルトが32ディナール(約10ユーロ)、フレンチトーストが38ディナール(約12ユーロ)と、下手するとドイツより高い。場所代って感じかな…
ちなみにその家族、娘はフランスのどこどこに留学中、もう一人の娘もアメリカのどこどこに留学中、その彼氏はドイツのどこどこに留学中、という感じで、みなさん欧米に留学するようだ。そしてみなさんチュニジアのフランス人学校を卒業した同窓生。どうしてみなさんチュニジアの教育を受けないのかな…と思ったら、若者が説明してくれた。日本風に言えばオール5のような成績でチュニジアの高卒の学歴を持っても、それがドイツでは中ぐらいの成績にしかカウントされず、その所為で勉強したい分野の大学学部になかなか登録できない(ドイツでは入試がなくて、高校の卒業試験(=大学入学資格試験)に合格していればどこの大学にも入れるのだが、実際は、人気の学部は卒業試験がオール5ぐらいの成績でないと入れない)。それで、フランスのバカロレアを取るのだという。バカロレアであればチュニジアのフランス人学校卒でもちゃんとその通りの成績がドイツで認定されるのだそうだ。そんな差別があるんだ…と思って調べてみたら、「差別」ではなく、教育水準の差を正しく評価しているということで、PISAの結果などを参考にどの国で取った成績がドイツではどの程度に換算するというのが決まっているようだ。チュニジアの上流階級の人たちは、将来留学すること前提でそれに必要な高卒資格を取る、という感じなのね。
実はめぎにはチュニジアにルーツを持つ生徒がこれまでに何人もいる。ドイツ生まれだったり、生まれはチュニジアでも長いことドイツ育ちだったりで、めぎにとっては彼らってドイツの教育を受けて育ったドイツ語母語話者なのだが、その生徒たち、チュニジアに長期休みに遊びに行くことこそあれど、そこで大学に行ったりそこで仕事をしたりということは全く考えていない。高い教育を受けた頭脳がチュニジアには戻らないということ、きっと何かを象徴しているのだろうな。
ここでお茶にしようと言われていたのだけど、なぜかお茶は出てこないし座る気配もない。かなり寒いのでめぎたちの方からお茶は?と聞くのをやめ、チュニス訪問をこれで切り上げることにした。うちのドイツ人は本当は若者にモスクに連れて行って欲しかったのだけど、モスクの入り方を話題にしてみてもなんだかお茶を濁されるし、これ以上何かをしていただくのをやめようと思ったらしい。で、これで帰ると言うと送っていくと言われ、否タクシーで帰るから大丈夫と言っても後に引かず、結局めぎたちはシディ・ブ・サイドまで父親の運転で送ってもらった。途中、若者が小学校から高校卒業まで通ったというフランス人学校の前を通った。そこは高い塀で囲まれてて、厳重に守られていると言えばそうだし、絶対に外に出られないように隔離されていると言えばまたそうだし、若者が恐らくチュニジアの一般の暮らしとは全く無縁で育ったのだろうと伺えた。デュッセルドルフに住む日本人駐在員のお子さんたちが、基本閉まっている門の前に守衛のいる日本人学校に通い、現地の生活とはほぼ無縁で滞在を終えるのと同じことだ。ただ、日本人が日本人学校に行くのは将来の帰国を見据えた選択で至極納得できることなのだが、その国のネイティブがその国の教育ではなく小学校から大学まで全て外国の教育を受けるという部分への説明が、留学に有利だから、ということ以外にないので、めぎにはどうもしっくりこないのだ…
さて、ここからは後日談。この若者、ボン大学に通うために部屋探しをしてて、つてがあったらぜひ紹介してくれと頼まれたので、父親が盛大に招待してくれたのも面倒を見てくれということなのかなと思って、めぎはドイツに戻ってからボンに住む知り合い(ドイツ人)に連絡を取った。すると、その人の住むアパートにはたまたま一人用の部屋が今空き部屋だし、そのアパートのすぐ近くには大学生用のドミトリーのようなものがあるというのだ。しかもとても親切なことに、紹介するから「名前や連絡先や希望する部屋の大きさなど」をまとめたものを送ってと言ってくれた。それを伝えると、若者はメールで自己紹介(僕はまじめで信用に足る人間です、というような自己紹介)を書いて送ってきたが、そこには希望の部屋の大きさなどが書かれていない。それでもう一度「こういうのを書いて送って」と具体的に指示したら、それきり、返事もなければ部屋が見つかったという連絡もない…これって、どうなの。今時の若者の特徴なのか、国の特徴なのか、上流階級の特徴なのか、なんとも分からないが、こうしてこの日のことを思い出すにつけ、なんだかなあという気分である。ただ、めぎたちとしては、ほぼ部屋が見つかるところまでお世話をしたので、この日の借りは全て返した、というスッキリした気分でもある。