2024年ザルツブルク~7月編~ [2024年ザルツブルク]
今日はつい先日、7月中旬のザルツブルクのお話を。
今回の旅では動画を撮ることにほぼ専念していた。その割には…という出来だが、まだ動画入門者ということで。モーツァルトの生家まではAPS-CのZ50で撮った動画で、祝祭劇場から最後まではスマホ撮影。つまり色合いも画質も撮ったデータ形式も違うのを組み合わせてある。今日の動画は音楽祭初日の一日をまとめたもの。こんな風に一日が過ぎるのね、と見てほしい。
ザルツブルクの地元の新聞によると、音楽祭を訪れる観客は、一人当たり一日に414ユーロ使うのだという。その内訳は、宿と食事に215ユーロ、買い物86ユーロ、見学53ユーロ、個人的な雑費53ユーロ、交通費45ユーロなのだそう。平均5~6日滞在するとのことだから、一人当たり2500ユーロぐらいかけているということだ。
ちなみに動画の中に朝食シーンが出てくるが、これ全部で30ユーロ。1ユーロ168円で計算すると5千円。凄く高い。滞在中毎日は外に食べに行かないからまあいいんだけど、ここで日々を過ごしていると金銭感覚が崩れてくることは確かだ。
この一人一日の平均支出414ユーロの中に音楽祭のチケット代は入っておらず、チケットは一人当たり全滞在中に平均495ユーロ払っているそうだ。それって、平均的な値段のチケットを買うと考えると、オペラ1つとコンサート3つぐらいかな。ちなみに最も高いチケットは2024年の場合オペラの第1カテゴリー465ユーロ、一番安いのは立見席10ユーロ、座る席で一番安いのは15ユーロ(一部無料のコンサートもある)。めぎは年の初めに予約注文し、それも10%引きだったかのまとめ注文もしてできるだけ支出を抑えて、14泊中15公演見る予定である。高くても100ユーロ代のを、いくつかは30ユーロとかのチケットを買っているとはいえ、全部でそれなりの金額になる。だから、新しいカメラが欲しいなあと思っても手が出ない。ちなみに音楽祭の観客の71%は常連客だそう。うん、常連になる気持ち、分かるわぁ…旅行前は、凄くお金かかるなあ、かけ過ぎだなあ、カメラもレンズも欲しいよなぁって思うのだが、行ってしまうと、いや、これにお金をかけるのが一番正しいのだ、このためにまた一年頑張って仕事しよう、カメラ買わなくてもいい、もう私ここにしか来られなくてもいい、と思わせる媚薬のようなところだ。
音楽祭の終わりに公式オンラインサイトに出るレポート報告によると、2023年は全日程43日間に15カ所の会場でオペラ34公演、コンサート86公演、その他講演会など全178公演+青少年のプログラム34公演を行い、チケットの98.8%が売れ、79か国(そのうち40が非ヨーロッパ国)からの24万人以上が来場したそうだ。
新聞によると、音楽祭による経済効果はオーストリア全体で2億5千万ユーロ(420億円)で、そのうちの1億9900万ユーロ(約334億円)がザルツブルクに残るのだとか。音楽祭が始まればシーズンが始まる、と言われるほどで、ザルツブルクは音楽祭様様。その様子がこちらの記事になっている。ドイツ語ができる方は是非。アイス屋さんがめぎの宿のオーナーで、音楽祭と直接関係なくても間接的な利益があり、音楽祭は町全体のエンジンのようなものだ、と話していると書かれている。ビデオの中でも、毎年音楽祭のゲストは大きな利益をうちにもたらしていて、もちろん駐車場や交通の問題などネガティブな面もあるが、音楽祭のおかげで残りの11か月の利益を得ているんだから、と言っている。
まあこのゲトライデガッセと言う通りは最近マクドナルドが撤退するなどテナント料の高騰で空き店舗もちらほら多くなってきているのが問題になっているのだが、アイス屋さんのオーナーはこの建物の持ち主でテナント料もかからないし、音楽祭会場に徒歩3分程度の場所なのに感動的に良心的な値段のアパルトメントで夏中予約いっぱいだし(めぎの泊まる部屋は普通に借りると一泊280ユーロするが、その3分の1~2分の1程度の広さのアパルトメントでも一泊380~430ユーロぐらいするのが相場なのだ)、アイスも大繁盛してて、本当に夏に儲けて後は暇して暮らすという感じなのだろうと思う。そんな普段のザルツブルクにもいつか行ってみたいな。
さて、めぎたちがよく訪ねていたお肉屋さんが去年の夏に急に閉店しててショックだった話を以前書いたが、別の経営者でほぼ同じ雰囲気で復活していた。好きだったものも継続して置かれてて、ああよかった…
この7月の時はたった2泊だしまた来るので、持っていったカメラとレンズはZ50と24㎜単焦点のみ。これなど座ったカフェの席から見える景色を撮っているので、何なのって感じだけど。思い切ってお手軽ズームを使った方がいいかも知れないな。
7月の時に見に行った公演の話はまたそのうちに。また行くのは8月になってから。もうちょっとうちでのんびりの日が続く。
今回の旅では動画を撮ることにほぼ専念していた。その割には…という出来だが、まだ動画入門者ということで。モーツァルトの生家まではAPS-CのZ50で撮った動画で、祝祭劇場から最後まではスマホ撮影。つまり色合いも画質も撮ったデータ形式も違うのを組み合わせてある。今日の動画は音楽祭初日の一日をまとめたもの。こんな風に一日が過ぎるのね、と見てほしい。
ザルツブルクの地元の新聞によると、音楽祭を訪れる観客は、一人当たり一日に414ユーロ使うのだという。その内訳は、宿と食事に215ユーロ、買い物86ユーロ、見学53ユーロ、個人的な雑費53ユーロ、交通費45ユーロなのだそう。平均5~6日滞在するとのことだから、一人当たり2500ユーロぐらいかけているということだ。
ちなみに動画の中に朝食シーンが出てくるが、これ全部で30ユーロ。1ユーロ168円で計算すると5千円。凄く高い。滞在中毎日は外に食べに行かないからまあいいんだけど、ここで日々を過ごしていると金銭感覚が崩れてくることは確かだ。
この一人一日の平均支出414ユーロの中に音楽祭のチケット代は入っておらず、チケットは一人当たり全滞在中に平均495ユーロ払っているそうだ。それって、平均的な値段のチケットを買うと考えると、オペラ1つとコンサート3つぐらいかな。ちなみに最も高いチケットは2024年の場合オペラの第1カテゴリー465ユーロ、一番安いのは立見席10ユーロ、座る席で一番安いのは15ユーロ(一部無料のコンサートもある)。めぎは年の初めに予約注文し、それも10%引きだったかのまとめ注文もしてできるだけ支出を抑えて、14泊中15公演見る予定である。高くても100ユーロ代のを、いくつかは30ユーロとかのチケットを買っているとはいえ、全部でそれなりの金額になる。だから、新しいカメラが欲しいなあと思っても手が出ない。ちなみに音楽祭の観客の71%は常連客だそう。うん、常連になる気持ち、分かるわぁ…旅行前は、凄くお金かかるなあ、かけ過ぎだなあ、カメラもレンズも欲しいよなぁって思うのだが、行ってしまうと、いや、これにお金をかけるのが一番正しいのだ、このためにまた一年頑張って仕事しよう、カメラ買わなくてもいい、もう私ここにしか来られなくてもいい、と思わせる媚薬のようなところだ。
音楽祭の終わりに公式オンラインサイトに出るレポート報告によると、2023年は全日程43日間に15カ所の会場でオペラ34公演、コンサート86公演、その他講演会など全178公演+青少年のプログラム34公演を行い、チケットの98.8%が売れ、79か国(そのうち40が非ヨーロッパ国)からの24万人以上が来場したそうだ。
新聞によると、音楽祭による経済効果はオーストリア全体で2億5千万ユーロ(420億円)で、そのうちの1億9900万ユーロ(約334億円)がザルツブルクに残るのだとか。音楽祭が始まればシーズンが始まる、と言われるほどで、ザルツブルクは音楽祭様様。その様子がこちらの記事になっている。ドイツ語ができる方は是非。アイス屋さんがめぎの宿のオーナーで、音楽祭と直接関係なくても間接的な利益があり、音楽祭は町全体のエンジンのようなものだ、と話していると書かれている。ビデオの中でも、毎年音楽祭のゲストは大きな利益をうちにもたらしていて、もちろん駐車場や交通の問題などネガティブな面もあるが、音楽祭のおかげで残りの11か月の利益を得ているんだから、と言っている。
まあこのゲトライデガッセと言う通りは最近マクドナルドが撤退するなどテナント料の高騰で空き店舗もちらほら多くなってきているのが問題になっているのだが、アイス屋さんのオーナーはこの建物の持ち主でテナント料もかからないし、音楽祭会場に徒歩3分程度の場所なのに感動的に良心的な値段のアパルトメントで夏中予約いっぱいだし(めぎの泊まる部屋は普通に借りると一泊280ユーロするが、その3分の1~2分の1程度の広さのアパルトメントでも一泊380~430ユーロぐらいするのが相場なのだ)、アイスも大繁盛してて、本当に夏に儲けて後は暇して暮らすという感じなのだろうと思う。そんな普段のザルツブルクにもいつか行ってみたいな。
さて、めぎたちがよく訪ねていたお肉屋さんが去年の夏に急に閉店しててショックだった話を以前書いたが、別の経営者でほぼ同じ雰囲気で復活していた。好きだったものも継続して置かれてて、ああよかった…
この7月の時はたった2泊だしまた来るので、持っていったカメラとレンズはZ50と24㎜単焦点のみ。これなど座ったカフェの席から見える景色を撮っているので、何なのって感じだけど。思い切ってお手軽ズームを使った方がいいかも知れないな。
7月の時に見に行った公演の話はまたそのうちに。また行くのは8月になってから。もうちょっとうちでのんびりの日が続く。
ザルツブルク音楽祭前夜 [2024年ザルツブルク]
今日はつい先日、2024年7月のザルツブルクでのお話を。
たった2泊だけどどうしても見たい演目があって行った7月18日のザルツブルク。一人で地ビールで乾杯。
↑実はこれ、2杯目。ここまで約9時間の旅をしたことと、特に最後の2時間が混んでてエアコンも聞いてない電車で汗だくだったので、相当に喉が渇いていた&生ビールが美味しくて。炭水化物だらけで野菜もたんぱく質も全然ない食事だが、あとで宿の部屋でスーパーで買ったトマトと果物を食べた。このビアガーデンの場所はこちら。
そんな食事の様子を含め、先日の動画(音楽祭初日の一日)の前日夜の話をまとめてみた。明るいけど、夕食から21時ごろにかけての話なので、夜。この、まだ始まっていない平常の最後の雰囲気ともうすぐ始まるわくわく感がたまらなく好き。
動画でも書いているが、夕食後、街を散歩。
↑この場所はこちら。さっきの場所から地図上斜め右下へ歩いてきたところ。
8月に2週間行くので、この2日間本当に行くかどうかはかなり迷った。でも、どうせミュンヘンへ行くし、音楽祭開幕のこけら落としの演目はどうしても見たかったのだ。電車の旅にしたのは、往復で100ユーロしなかったから。飛行機だと300ユーロになっちゃうのだ。そうは言っても、こういうことするから新しいカメラが買えないんだけど(Z6IIIって2999ユーロもするし!)。でも、ああ来てよかった~来られてよかった~!と心から思う瞬間だった。
↑これを撮った場所はこのレストラン前。めぎはカフェ・トマセッリからもう少し右にあるレジデンツ広場まで行き、そこから大聖堂の前へは通行止めになっていたので来た道をちょっと戻って今度は地図の下の方へ行き、地図の左の方へ曲がって祝祭劇場の前を通って左上へ抜け、右上へ曲がってここにやってきた。
音楽祭の公演の話はたぶん8月後半または9月になってから。
たった2泊だけどどうしても見たい演目があって行った7月18日のザルツブルク。一人で地ビールで乾杯。
↑実はこれ、2杯目。ここまで約9時間の旅をしたことと、特に最後の2時間が混んでてエアコンも聞いてない電車で汗だくだったので、相当に喉が渇いていた&生ビールが美味しくて。炭水化物だらけで野菜もたんぱく質も全然ない食事だが、あとで宿の部屋でスーパーで買ったトマトと果物を食べた。このビアガーデンの場所はこちら。
そんな食事の様子を含め、先日の動画(音楽祭初日の一日)の前日夜の話をまとめてみた。明るいけど、夕食から21時ごろにかけての話なので、夜。この、まだ始まっていない平常の最後の雰囲気ともうすぐ始まるわくわく感がたまらなく好き。
動画でも書いているが、夕食後、街を散歩。
↑この場所はこちら。さっきの場所から地図上斜め右下へ歩いてきたところ。
8月に2週間行くので、この2日間本当に行くかどうかはかなり迷った。でも、どうせミュンヘンへ行くし、音楽祭開幕のこけら落としの演目はどうしても見たかったのだ。電車の旅にしたのは、往復で100ユーロしなかったから。飛行機だと300ユーロになっちゃうのだ。そうは言っても、こういうことするから新しいカメラが買えないんだけど(Z6IIIって2999ユーロもするし!)。でも、ああ来てよかった~来られてよかった~!と心から思う瞬間だった。
↑これを撮った場所はこのレストラン前。めぎはカフェ・トマセッリからもう少し右にあるレジデンツ広場まで行き、そこから大聖堂の前へは通行止めになっていたので来た道をちょっと戻って今度は地図の下の方へ行き、地図の左の方へ曲がって祝祭劇場の前を通って左上へ抜け、右上へ曲がってここにやってきた。
音楽祭の公演の話はたぶん8月後半または9月になってから。
土曜日の朝 [2024年ザルツブルク]
橋から旧市街を望む [2024年ザルツブルク]
めぎは現在ザルツブルクで休暇中。
↑これは8月3日18時半頃。雲行きが怪しい。コンサートに行く前、ちょっと早く出て、日が差すのを待って撮った。
これはコンサート終了後。20時半頃終わる、つまり早めに終わるコンサートだったので、まだ明るい。でも小雨が降ってて、足早に。
その夜、と言うか次の日の明け方に雷雨。11時からのコンサートに向かうときもまだどんよりしていた。
コンサート終了後、13時過ぎ。晴れてる!
今回これまでスマホでしか撮ってない。RAWデータをスマホアプリのLightroomでちょっと調整してアップしている。どんな風に見えているのか、スマホの小さな画面でチェックしているので正直よく分からないが、なんと便利な時代になったものだ。
楽しみにしていた歌手が急病で交代してたり、出演者の体調で曲をチェンジするという連絡が来たり色々だが、コンサートについては帰宅後ゆっくり、仕事のリフレッシュに書くつもり。
↑これは8月3日18時半頃。雲行きが怪しい。コンサートに行く前、ちょっと早く出て、日が差すのを待って撮った。
これはコンサート終了後。20時半頃終わる、つまり早めに終わるコンサートだったので、まだ明るい。でも小雨が降ってて、足早に。
その夜、と言うか次の日の明け方に雷雨。11時からのコンサートに向かうときもまだどんよりしていた。
コンサート終了後、13時過ぎ。晴れてる!
今回これまでスマホでしか撮ってない。RAWデータをスマホアプリのLightroomでちょっと調整してアップしている。どんな風に見えているのか、スマホの小さな画面でチェックしているので正直よく分からないが、なんと便利な時代になったものだ。
楽しみにしていた歌手が急病で交代してたり、出演者の体調で曲をチェンジするという連絡が来たり色々だが、コンサートについては帰宅後ゆっくり、仕事のリフレッシュに書くつもり。
ゲトライデガッセの一日 [2024年ザルツブルク]
めぎは現在ザルツブルクで休暇中。ここは朝のゲトライデガッセ。8時半頃だが、雨だったので人がいない。日曜日の朝なので、ゴミの収集も無い。だから何も無い通りを撮影できた!
10時半。もう観光客でいっぱい。午前中は団体ツアーが多い。ミュンヘンやウィーンからの日帰りツアー。
午後3時過ぎ。家族連れやカップル、友人とのグループ、という感じ。今年は日本語も聞こえて来る。やっと海外旅行がしやすくなったのかな。コンサート会場にも結構いたし。
夜、コンサートからの帰りに。10時頃だがまだアイス屋さんが開いていて、人も次々と。日本語と韓国語が聞こえた。
11時過ぎには店仕舞。日曜の夜は金土と比べてずっと静か。
そして月曜日の朝。今日も雨の始まり。8時半過ぎの気温は18℃で、かなり涼しい。街の準備が始まった。
今晩はオペラ♪一日ゆっくりして夜に集中。
10時半。もう観光客でいっぱい。午前中は団体ツアーが多い。ミュンヘンやウィーンからの日帰りツアー。
午後3時過ぎ。家族連れやカップル、友人とのグループ、という感じ。今年は日本語も聞こえて来る。やっと海外旅行がしやすくなったのかな。コンサート会場にも結構いたし。
夜、コンサートからの帰りに。10時頃だがまだアイス屋さんが開いていて、人も次々と。日本語と韓国語が聞こえた。
11時過ぎには店仕舞。日曜の夜は金土と比べてずっと静か。
そして月曜日の朝。今日も雨の始まり。8時半過ぎの気温は18℃で、かなり涼しい。街の準備が始まった。
今晩はオペラ♪一日ゆっくりして夜に集中。
オフ会 [2024年ザルツブルク]
まったり&大騒ぎ [2024年ザルツブルク]
よく食べよく飲み [2024年ザルツブルク]
オフ会のメインイベント [2024年ザルツブルク]
めぎは現在ザルツブルクでオフ会中。
四泊五日のオフ会で、ザルツブルク音楽祭の合計五公演を満喫。一夜目はモーツァルトのオペラ、皇帝ティートの慈悲。
二夜目もモーツァルトのオペラ、ドン・ジョヴァンニ。
三夜目はキーシンのコンサート。かなりマイナーでマニアックな演目で、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス、プロコフィエフ。
四夜目はまず教会でのモーツァルトのミサ曲のコンサートを見て...
22時からの昔のピアノ、モーツァルトの使っていたというクラヴィコードで弾くバッハとバリトンの歌と朗読のコアでマニアックなコンサートで締めくくり。
それぞれに濃い公演で、後のおしゃべりが弾んだ。終わったあとに感想を色々話せる時間がとても楽しかった。あっという間に四泊五日は過ぎ去り、オフ会終了。訪問者はロンドンへお帰りに。めぎのザルツブルク滞在はこれで半分終了。明日から後半へ。
四泊五日のオフ会で、ザルツブルク音楽祭の合計五公演を満喫。一夜目はモーツァルトのオペラ、皇帝ティートの慈悲。
二夜目もモーツァルトのオペラ、ドン・ジョヴァンニ。
三夜目はキーシンのコンサート。かなりマイナーでマニアックな演目で、ベートーヴェン、ショパン、ブラームス、プロコフィエフ。
四夜目はまず教会でのモーツァルトのミサ曲のコンサートを見て...
22時からの昔のピアノ、モーツァルトの使っていたというクラヴィコードで弾くバッハとバリトンの歌と朗読のコアでマニアックなコンサートで締めくくり。
それぞれに濃い公演で、後のおしゃべりが弾んだ。終わったあとに感想を色々話せる時間がとても楽しかった。あっという間に四泊五日は過ぎ去り、オフ会終了。訪問者はロンドンへお帰りに。めぎのザルツブルク滞在はこれで半分終了。明日から後半へ。
うちのドイツ人到着 [2024年ザルツブルク]
めぎは現在ザルツブルクで休暇中。
2週間の滞在の後半に入り、うちのドイツ人がやって来た。昼ビールで乾杯。
ああ、ほんとに来られたね〜2月だったか3月だったか、医者に夏には休暇に行けますよって言われたときには、希望と勇気を持てと励まされただけかと半信半疑だったけど、本当に実現できたなんて。
今回の移動は飛行機。1時間のフライトだが、電車より色々とハードルが高い。それをクリアできて本当に嬉しい。先月のミュンヘン同様、荷物は事前にめぎが全て運んできてある。
ところが、うちのドイツ人が自分で持って来るもののうち、身分証明書とチケットと並んで最も重要な毎日打つ注射の薬の入っている本体は持って来たけど、針を忘れたことに気付いて、愕然。土曜日の午後だし、近くの薬局も閉まってる…
スマホでググって土曜日18時まで開いている薬局を見つけ(ホント便利な世の中)、早速めぎ一人でそこへ。バス通りの橋を渡り…
あっつ〜い…ザルツブルクも30℃を越している。
で、川向うの新市街の薬局で相談したら、七回分の試供品らしき針を無料でくれて、大感激&大感謝。
おかげで心配なく1週間ゆっくり休暇を満喫できる。ああ良かった。
2週間の滞在の後半に入り、うちのドイツ人がやって来た。昼ビールで乾杯。
ああ、ほんとに来られたね〜2月だったか3月だったか、医者に夏には休暇に行けますよって言われたときには、希望と勇気を持てと励まされただけかと半信半疑だったけど、本当に実現できたなんて。
今回の移動は飛行機。1時間のフライトだが、電車より色々とハードルが高い。それをクリアできて本当に嬉しい。先月のミュンヘン同様、荷物は事前にめぎが全て運んできてある。
ところが、うちのドイツ人が自分で持って来るもののうち、身分証明書とチケットと並んで最も重要な毎日打つ注射の薬の入っている本体は持って来たけど、針を忘れたことに気付いて、愕然。土曜日の午後だし、近くの薬局も閉まってる…
スマホでググって土曜日18時まで開いている薬局を見つけ(ホント便利な世の中)、早速めぎ一人でそこへ。バス通りの橋を渡り…
あっつ〜い…ザルツブルクも30℃を越している。
で、川向うの新市街の薬局で相談したら、七回分の試供品らしき針を無料でくれて、大感激&大感謝。
おかげで心配なく1週間ゆっくり休暇を満喫できる。ああ良かった。
ゆっくりのんびりオペラに備える [2024年ザルツブルク]
めぎ家は現在ザルツブルクで休暇中。
うちのドイツ人到着後一夜明けて、日曜日午前中は部屋でのんびり。本当はお昼のマチネコンサートのチケットを取ってあったのだが、出演予定の歌手が体調不良で交代になり、そのため聞きたかった曲が差し替えになり、めぎたちはキャンセル、部屋でラジオ放送を聴くに留めた。
会場は川向こうでうちのドイツ人にはちょっと遠いし、無理せず夜のオペラに備える方が良いね、という意図も。30℃を越す暑さも避けられるし。チケットは手数料15%で音楽祭公式転売サイトで無事に売れ、それも有り難かった。放送を聴いた限りでは非常に良いコンサートで、特にめぎの知らなかったモーツァルト17歳のときの音楽劇「エジプト王のターモス」が音楽的に既に完璧なモーツァルトで素晴らしく、歌手の声はちょっと強すぎて好きじゃなかったけどこの超難しい曲を難なく歌い切る技術が卓越してて、誰かがめぎたちの代わりにライブを楽しんでくれてよかった。
日曜日は外のレストランも混むので、部屋でブランチ。土曜日の朝のうちにめぎがマルクトで仕入れておいたものを豪勢に並べる。ちょっと買いすぎたが、一週間あるし、食べ切れなかったら持ち帰れるし。
この日の夜のオペラは、文学としては世界的にものすごく有名なドストエフスキーの「白痴」で、でもオペラとしてはものすごくマイナーなまだほとんど上演されたことのない作品である。しかも3時間半もある現代曲なのに、チケットは完売、プルミエにはカーテンコールが15分も続いたとか。演奏も演出も絶賛されてて、とても楽しみ。
うちのドイツ人到着後一夜明けて、日曜日午前中は部屋でのんびり。本当はお昼のマチネコンサートのチケットを取ってあったのだが、出演予定の歌手が体調不良で交代になり、そのため聞きたかった曲が差し替えになり、めぎたちはキャンセル、部屋でラジオ放送を聴くに留めた。
会場は川向こうでうちのドイツ人にはちょっと遠いし、無理せず夜のオペラに備える方が良いね、という意図も。30℃を越す暑さも避けられるし。チケットは手数料15%で音楽祭公式転売サイトで無事に売れ、それも有り難かった。放送を聴いた限りでは非常に良いコンサートで、特にめぎの知らなかったモーツァルト17歳のときの音楽劇「エジプト王のターモス」が音楽的に既に完璧なモーツァルトで素晴らしく、歌手の声はちょっと強すぎて好きじゃなかったけどこの超難しい曲を難なく歌い切る技術が卓越してて、誰かがめぎたちの代わりにライブを楽しんでくれてよかった。
日曜日は外のレストランも混むので、部屋でブランチ。土曜日の朝のうちにめぎがマルクトで仕入れておいたものを豪勢に並べる。ちょっと買いすぎたが、一週間あるし、食べ切れなかったら持ち帰れるし。
この日の夜のオペラは、文学としては世界的にものすごく有名なドストエフスキーの「白痴」で、でもオペラとしてはものすごくマイナーなまだほとんど上演されたことのない作品である。しかも3時間半もある現代曲なのに、チケットは完売、プルミエにはカーテンコールが15分も続いたとか。演奏も演出も絶賛されてて、とても楽しみ。
豪華な朝食など [2024年ザルツブルク]
めぎ家は現在ザルツブルクで休暇満喫中。
月曜日は普通に起きて、朝9時から開くレストランへ朝食に出かけた。素晴らしい見晴らしを楽しみながら豪華な朝食。
↑もう飲みかけのフレッシュオレンジジュース、プロセッコとどちらか片方というメニューだったが、朝なんでアルコールはやめておいた。
こう写真を見ると優雅だが、実際は山の上なんで虫、特に季節柄スズメバチの小さなのがジャムとハムが大好きで20匹ぐらいブンブンやってきて、めぎたちを刺しはしないが、間違ってパンの上のハムの下に潜っている、またはジャムに乗っているのを口に入れないように気をつけなければならなくて、なんだか疲れた…
それでも1時間以上食事と風景を楽しみ、エレベーターで下に降りた。昇りだけでなく下りもエレベーターを使ったのは初めてだ。うちのドイツ人にはまだこの山を散歩がてら下るのは遠過ぎて無理なので、できる範囲のことを無理せず楽しんでいる。
話は前後するが、日曜日の夜のオペラ「白痴」は評判通り素晴らしかった。演出が凄く良くて、3時間半があっという間だった。指揮者は女性で、ウィーン・フィルをエネルギッシュに指揮し、歌手たちの声も演技も凄くて惹き込まれた。ヴァインベルクの音楽も、現代曲だけどショスタコーヴィチっぽくて理解しやすかった。
今晩はプロコフィエフのオペラ「賭博者」。やはりドストエフスキー原作である。プルミエなのでまだ批評が無い。写真用のゲネプロがあったので数枚ネットに出てて、さらに演出家や歌手のインタビューもあったが、まだどんなのか分からず、ワクワク。夜に備えて宿でゆっくり過ごしている。
月曜日は普通に起きて、朝9時から開くレストランへ朝食に出かけた。素晴らしい見晴らしを楽しみながら豪華な朝食。
↑もう飲みかけのフレッシュオレンジジュース、プロセッコとどちらか片方というメニューだったが、朝なんでアルコールはやめておいた。
こう写真を見ると優雅だが、実際は山の上なんで虫、特に季節柄スズメバチの小さなのがジャムとハムが大好きで20匹ぐらいブンブンやってきて、めぎたちを刺しはしないが、間違ってパンの上のハムの下に潜っている、またはジャムに乗っているのを口に入れないように気をつけなければならなくて、なんだか疲れた…
それでも1時間以上食事と風景を楽しみ、エレベーターで下に降りた。昇りだけでなく下りもエレベーターを使ったのは初めてだ。うちのドイツ人にはまだこの山を散歩がてら下るのは遠過ぎて無理なので、できる範囲のことを無理せず楽しんでいる。
話は前後するが、日曜日の夜のオペラ「白痴」は評判通り素晴らしかった。演出が凄く良くて、3時間半があっという間だった。指揮者は女性で、ウィーン・フィルをエネルギッシュに指揮し、歌手たちの声も演技も凄くて惹き込まれた。ヴァインベルクの音楽も、現代曲だけどショスタコーヴィチっぽくて理解しやすかった。
今晩はプロコフィエフのオペラ「賭博者」。やはりドストエフスキー原作である。プルミエなのでまだ批評が無い。写真用のゲネプロがあったので数枚ネットに出てて、さらに演出家や歌手のインタビューもあったが、まだどんなのか分からず、ワクワク。夜に備えて宿でゆっくり過ごしている。
毎日ほぼ同じだけど [2024年ザルツブルク]
めぎ家は現在ザルツブルクで休暇を満喫中。
今夏、用足しはめぎが一人でしている。その方が早く歩けるし、うちのドイツ人が本当に行きたいところへ行く力を集中できるから。この時はフレッシュなパンを買いに。まだ搬入や配達が終わってないが、もう観光客も多い。
それから朝食。茹で卵を入れる食器が無いので、エスプレッソ用のカップを代用。
午後3時半過ぎ、ちょっとは歩かないと、とすぐ近くの教会まで散歩。
あっついね〜ということで...
ビール休憩♪
ホントただただゆっくりのんびり。
さて、話は前後するが、前日夜に見に行った楽しみにしていた「賭博者」は、歌と演奏と曲は素晴らしかったが、それ以外は色々とうーん…だった。
演出がルーレットを上げたり下げたりするだけでピカピカ綺麗だけど単調、人物の心理的関係性には寄与していないし、作品としても焦点が定まってなくて何を描きたいのか筋書きがうーん…社会の行き詰まりに抵抗する若者、呑み込まれてしまう若者、という意味での現代との共通点について事前に演出家が言っていたが、それが演出上も作品としても不鮮明。せっかくのグリゴリアンも出番少なくて勿体ない。
でも、知られていないオペラにグリゴリアンまで起用してウィーン・フィルで上演できるなんてザルツブルク音楽祭ならではの贅沢で、演出家にもチャレンジさせられるし、プロコフィエフの若い頃の曲も聞けるし、凄く有り難いこと。簡単に集客できるイタリア物などの有名だけどもう聞き飽きたオペラではなくこういうので満員御礼にできて、現代社会の問題に芸術として物申すザルツブルク音楽祭には、ホント敬服する。
終わったら雷雨だったので、オペラ後のビールはビアガーデン前のバーで。
今晩はチケットを取っていない。とってもインテンシブな音楽鑑賞を一休み。
今夏、用足しはめぎが一人でしている。その方が早く歩けるし、うちのドイツ人が本当に行きたいところへ行く力を集中できるから。この時はフレッシュなパンを買いに。まだ搬入や配達が終わってないが、もう観光客も多い。
それから朝食。茹で卵を入れる食器が無いので、エスプレッソ用のカップを代用。
午後3時半過ぎ、ちょっとは歩かないと、とすぐ近くの教会まで散歩。
あっついね〜ということで...
ビール休憩♪
ホントただただゆっくりのんびり。
さて、話は前後するが、前日夜に見に行った楽しみにしていた「賭博者」は、歌と演奏と曲は素晴らしかったが、それ以外は色々とうーん…だった。
演出がルーレットを上げたり下げたりするだけでピカピカ綺麗だけど単調、人物の心理的関係性には寄与していないし、作品としても焦点が定まってなくて何を描きたいのか筋書きがうーん…社会の行き詰まりに抵抗する若者、呑み込まれてしまう若者、という意味での現代との共通点について事前に演出家が言っていたが、それが演出上も作品としても不鮮明。せっかくのグリゴリアンも出番少なくて勿体ない。
でも、知られていないオペラにグリゴリアンまで起用してウィーン・フィルで上演できるなんてザルツブルク音楽祭ならではの贅沢で、演出家にもチャレンジさせられるし、プロコフィエフの若い頃の曲も聞けるし、凄く有り難いこと。簡単に集客できるイタリア物などの有名だけどもう聞き飽きたオペラではなくこういうので満員御礼にできて、現代社会の問題に芸術として物申すザルツブルク音楽祭には、ホント敬服する。
終わったら雷雨だったので、オペラ後のビールはビアガーデン前のバーで。
今晩はチケットを取っていない。とってもインテンシブな音楽鑑賞を一休み。
ちょっと長めの散歩達成 [2024年ザルツブルク]
めぎ家は現在ザルツブルクで休暇を満喫中。
水曜日、早起きして涼しいうちにと7時過ぎに散歩へ。
橋を渡り、新市街のマルクト市場で買い物し、カフェで一休みしてまた歩いて向かったのは、9時開門の墓地。右の緑の屋根の建物に昔の大司教が眠っていて、その周りをお墓の回廊が取り囲む。
そして、モーツァルトの父親のお墓がある。うちのドイツ人はこれが見たかったのだ。
そして、めぎにこれも見せたかったという。これは中世の錬金術師パラケルススのお墓。パラケルススってザルツブルクで死んだのね。知らなかったなぁ…
目的地まで約1キロ。往復2キロ、スローペースで休み休みだけど歩けたわね!そろそろ暑くなってきた10時半頃宿に戻る。お昼にビールを飲みに外へ。馴染になったビールスタンドのおじさんに今日は調子どう?と話しかけられた。
↑生があったのに気づき、ヴァイスビールを飲んでみた。苦みがなくスッキリ、滑らかでちょっと甘いような感じ。
この晩はオペラ、ドン・ジョヴァンニ。めぎは既に2回見たのだが、何度見ても楽しめる。それまで宿でゆっくり休養。
水曜日、早起きして涼しいうちにと7時過ぎに散歩へ。
橋を渡り、新市街のマルクト市場で買い物し、カフェで一休みしてまた歩いて向かったのは、9時開門の墓地。右の緑の屋根の建物に昔の大司教が眠っていて、その周りをお墓の回廊が取り囲む。
そして、モーツァルトの父親のお墓がある。うちのドイツ人はこれが見たかったのだ。
そして、めぎにこれも見せたかったという。これは中世の錬金術師パラケルススのお墓。パラケルススってザルツブルクで死んだのね。知らなかったなぁ…
目的地まで約1キロ。往復2キロ、スローペースで休み休みだけど歩けたわね!そろそろ暑くなってきた10時半頃宿に戻る。お昼にビールを飲みに外へ。馴染になったビールスタンドのおじさんに今日は調子どう?と話しかけられた。
↑生があったのに気づき、ヴァイスビールを飲んでみた。苦みがなくスッキリ、滑らかでちょっと甘いような感じ。
この晩はオペラ、ドン・ジョヴァンニ。めぎは既に2回見たのだが、何度見ても楽しめる。それまで宿でゆっくり休養。
ジョヴァンニを満喫 [2024年ザルツブルク]
めぎ家は現在ザルツブルク音楽祭を満喫中。
8月15日はキリスト教のカトリック圏ではマリア昇天の祝日でお休み。そのせいか、14時でもビアガーデンが大盛況。子連れも多い。
めぎ家としては8月15日はうちのドイツ人の母親の誕生日。去年のクリスマスに亡くなった義母、生きていれば90歳になったはず。そのお祝いに行くことを考えて、実はザルツブルクの宿を14日チェックアウトのつもりで去年予約してて、それがフリーになってあとからもう2泊追加したため、めぎたちは同じ宿内でアパルトメントからダブルルームに引越。小さな冷蔵庫と食器はあるものの、キッチンが無いので温めとかはもうできない。
そんなわけで、朝はカフェに食べに出かけたし、昼も軽くここで。ビールにパラチンケンというアプリコットジャムを巻いたクレープみたいなもの。二人共それを全部食べたかったので、2つ注文。
さて、話は前後するが、前日夜のオペラのお話を。
休暇も終盤となり、めぎ家がこの夏に見る予定のオペラの最後の演目となった。締めを飾るのは、大好きなドン・ジョヴァンニ。祝祭大劇場は満席。
プルミエは遠に過ぎているが、ゴージャスな方の多い演目。
実はめぎ、この夏ドン・ジョヴァンニを見るのは3回目。1回目は先週火曜日におとさんと、2回目はおとさんが帰ってうちのドイツ人が来る前日の先週金曜日に一人で、そして今週水曜日にうちのドイツ人と。もう演出は知っているので、指揮者とオーケストラがよく見える席を取り、指揮と演奏の様子をじっくり楽しんだ。ここからだと舞台も目の端っこで追えるので、最終日としては凄くよかった。めぎはジョヴァンニオタクで音楽も暗記してるし、どのメロディーでどういう内容を歌っているかドイツ語で暗記してて字幕も見ずに意味が分かるのだが、一年のduolingoでイタリア語も若干分かるようになって歌詞も聞き取って楽しめたし、凄い充実感。
↑着物の人が写っているわね。今年のザルツブルク音楽祭には日本人も多数訪れている。円安の極値の時に予約手配したはずだが、コロナ以降ずっと我慢してて、高くても行けるならやっぱり来たくて決断した人が多かったのね。
この指揮者の指揮ぶりとオーケストラの様子をじっくり見られて幸せだった。今回この演目のTV放映は無い。勿体ないな。
義母の誕生日パーティーがなくなったために実現した3度目のジョヴァンニをこうして心から堪能し、あとコンサート2つ見たら、めぎ家の休暇は終了する。今週は夏休み明けの仕事のメールも来始めた。学校の時間割アプリも始動(休講や代講や部屋の変更や出欠や授業内容などを管理するアプリで、昔手書きだったのが去年から全てアプリとなった)。それをまだ斜め読みしながら最後の自由時間を楽しんでいるところ。
8月15日はキリスト教のカトリック圏ではマリア昇天の祝日でお休み。そのせいか、14時でもビアガーデンが大盛況。子連れも多い。
めぎ家としては8月15日はうちのドイツ人の母親の誕生日。去年のクリスマスに亡くなった義母、生きていれば90歳になったはず。そのお祝いに行くことを考えて、実はザルツブルクの宿を14日チェックアウトのつもりで去年予約してて、それがフリーになってあとからもう2泊追加したため、めぎたちは同じ宿内でアパルトメントからダブルルームに引越。小さな冷蔵庫と食器はあるものの、キッチンが無いので温めとかはもうできない。
そんなわけで、朝はカフェに食べに出かけたし、昼も軽くここで。ビールにパラチンケンというアプリコットジャムを巻いたクレープみたいなもの。二人共それを全部食べたかったので、2つ注文。
さて、話は前後するが、前日夜のオペラのお話を。
休暇も終盤となり、めぎ家がこの夏に見る予定のオペラの最後の演目となった。締めを飾るのは、大好きなドン・ジョヴァンニ。祝祭大劇場は満席。
プルミエは遠に過ぎているが、ゴージャスな方の多い演目。
実はめぎ、この夏ドン・ジョヴァンニを見るのは3回目。1回目は先週火曜日におとさんと、2回目はおとさんが帰ってうちのドイツ人が来る前日の先週金曜日に一人で、そして今週水曜日にうちのドイツ人と。もう演出は知っているので、指揮者とオーケストラがよく見える席を取り、指揮と演奏の様子をじっくり楽しんだ。ここからだと舞台も目の端っこで追えるので、最終日としては凄くよかった。めぎはジョヴァンニオタクで音楽も暗記してるし、どのメロディーでどういう内容を歌っているかドイツ語で暗記してて字幕も見ずに意味が分かるのだが、一年のduolingoでイタリア語も若干分かるようになって歌詞も聞き取って楽しめたし、凄い充実感。
↑着物の人が写っているわね。今年のザルツブルク音楽祭には日本人も多数訪れている。円安の極値の時に予約手配したはずだが、コロナ以降ずっと我慢してて、高くても行けるならやっぱり来たくて決断した人が多かったのね。
この指揮者の指揮ぶりとオーケストラの様子をじっくり見られて幸せだった。今回この演目のTV放映は無い。勿体ないな。
義母の誕生日パーティーがなくなったために実現した3度目のジョヴァンニをこうして心から堪能し、あとコンサート2つ見たら、めぎ家の休暇は終了する。今週は夏休み明けの仕事のメールも来始めた。学校の時間割アプリも始動(休講や代講や部屋の変更や出欠や授業内容などを管理するアプリで、昔手書きだったのが去年から全てアプリとなった)。それをまだ斜め読みしながら最後の自由時間を楽しんでいるところ。
休暇の終わり [2024年ザルツブルク]
ザルツブルク音楽祭の幕開け [2024年ザルツブルク]
今日は今年2024年の夏のザルツブルク音楽祭のお話を。
この夏、一人で幕開けのコンサートを聞きに行っためぎ。その話はこちらやこちらなどに書いたが、今日は特にこちらに言及したどうしても見たかったこけら落としのコンサートのお話。こけら落としと言っても新しい会場ができたのではなく、音楽祭の開幕コンサートという意味。時間になっていつものこの場所へ。
↑上の写真だけでも色々書きたいことが浮かぶ。右手前はザルツブルクの祝祭大劇場。この日の公演はその奥のモーツァルトのための劇場が会場なので、手前は閉まっている。銀色のカバーがかかっている机は、祝祭大劇場の方で公演があるときにプログラム売りなどに使われる。公演の演目が書かれたポスターが張られているが、オペラや演劇が初日を迎えると、そのポスターがその演目の写真に変わる。この日はまだ初日だから、全て写真無しのポスターのままだ。
会場に到着。真ん中から右側がこの日の観客たち。この日はコンサートなので、皆さんの恰好もそれほどゴージャスではない。左側の人たちは野次馬。
これは前に載せた写真だが、席から始まる前に撮ったもの。
この席を取るのが大変だった…まず、この演目に関しては、めぎは最初のチケット割り当て戦で負けてしまった。つまり、申し込んだけどチケットが取れなかったのだ。売り切れで買えない状態が4か月ほど続き、開幕2週間前になって突然立見席が売られた。めぎは当然それを買った。その数日後、今度はキャンセル席が売られ始めた。できれば座りたかっためぎは、後ろの方の席をゲット。そのまた数日後、1階席(日本で言えば2階)の側面席でオーケストラに近く、指揮者もよく見える↓この席が売られたので、それをゲットし、その前に買った2席はオフィシャルサイトで転売申請。人気の演目なのであっという間に買い手もつき、めぎはこのアングルで前に人もいなくて邪魔もなくコンサートを満喫することができた。ブレブレだけど説明として写真を載せる。
演目はバッハ作曲の「マタイ受難曲」。華やかな音楽祭の幕開けの曲としては全然ふさわしくない曲だ。今年の音楽祭のテーマは「天国と地獄の狭間」で、今の理不尽な戦争を意識したものであるため、この曲が選ばれたのだろう。聞いてみたい方は例えばこちらをどうぞ。今は女性のソプラノを使うことが多いが、この録音では少年が歌っているのが素敵。
聴きごたえのある素晴らしい曲だが、チケットが売り切れだったのはこの曲が人気だからというわけではない。指揮者がクルレンツィスだからである。反プーチンを表明せず沈黙し、ロシアでの活動も続けている彼については、戦争が始まって以来西側でコンサート活動をさせることに反対する声がずっと少なからずあって、いつももめている。ザルツブルク音楽祭の幕開けのしかもマタイ受難曲を彼が指揮するというのは、音楽祭事務局も随分思い切っている。明確な立場表明、メッセージであろう。そこにはアンチもファンも批評家も報道陣もみんな来るのだから、売り切れが当然なのだ。
下手すると暴動が起きたりするかもしれないな…と思っていたが、始まる前にデモはなかったし、幕間休憩中もいたって普通で静かだった。聞きに来ている人も、もちろんファンがいっぱいいるのだが、コアなクルレンツィスファンより音楽祭の幕開けを楽しみに集まった地元ファンが多いように感じた。
終わってから拍手を浴びる歌手たちと合唱団とクルレンツィス。
演奏は、古楽器の音色も素晴らしいし、技術的には最高だ。古楽器の音なのに斬新で、演奏はこれ以上ないぐらい真剣で、刹那的で、心の琴線に触れる。時折クルレンツィスらしい演出が入るのが(例えばバッハの楽譜には無い鐘の音が入るなど)なくてもいいのになあと思わないでもなかったが、非常に劇的でかつ我が身につまされるような感じに仕上がった演奏で、バッハはこういう風にキリストの受難を伝えたかったのかもしれないなと思わせるものだった。なんと言うか、遠い過去を舞台にした伝説なのにキリストの受難は過去の話ではなく、現代の受難にも通じるような、現代の自分の中に蘇るような演奏なのだ。バッハだってキリストの受難を我々と同様に遠い過去の話として読んだのだから、作曲に際しその物語そのものを描くだけでなく、バッハが生きている時代当時の色々な苦しみや悲しみに通じるような作品にしたのかもしれない。作品をそんな風に感じられるような指揮をするクルレンツィス(真ん中の人)が、めぎはやっぱり大好き。
この日、特にクルレンツィスの左にいる↑テノールのエヴァンゲリスト(福音史家、つまりマタイ)の役のJulian Prégardien(ユリアン・プレガルディアン)の歌と声が非常に印象に残った。この人が今年はドン・ジョヴァンニのドン・オッターヴィオの役をするので、凄く楽しみになった。
また、クルレンツィスが西側で音楽活動をするために組織したユートピアというオーケストラの演奏も素晴らしかった。クルレンツィスの元で演奏したいという音楽家の集まりだから、質はもちろん息がぴったり、指揮者の思うがまま。合唱団も同様。ロシアに置いてきてある彼のムジカエテルナのことが気になるけど、ファゴットなどムジカエテルナにも属している(いた)団員も見かけた。
コンサートの概要と公式写真はこちら。演奏が終わるとクルレンツィスは礼をせず振り返りもせずにまずササッと舞台袖へ引き上げた。マタイ受難曲ならではの演出と言うか、キリストが受難して終わるような曲で拍手は合わないと言えばそうだし、この曲でこの状況で自分が喝さいを浴びるべきではないというようなメッセージにも感じた。割れるような拍手喝さいの中、クルレンツィスは1度ステージに戻ってきて写真のようにソロ歌手たちと手を繋いでお辞儀をし、花束をもらい、オーケストラを立ち上がらせて拍手を浴び、その後みんなに引き上げるようにという指示の身振りをして引っ込み、もう出てこなかった。感動している観客たちは数回のカーテンコールを期待してたのに拍手したりないような宙ぶらりんな気分になったが、それもまた演出と言えば演出だし、クルレンツィスらしいと言えばまたそうだし、その点に関してはどこにも書かれていないのでどういう意図だったのか分からないし確かめる術もない。このコンサートはラジオでもテレビでも放送がなかったし、この舞台一回限りの夢の幻だ。素晴らしい演奏だったのになんて勿体ないんだろうと思うが、それもまた彼の意図なのかもしれない。まあ今は、ロシアとの戦争があるので、クルレンツィスのコンサートにはスポンサーがつかないのだろうと思うけど。テレビ局だって、彼のコンサートを放送したら、非難囂々浴びそうだものなぁ…
ああ来てよかった。席が取れてよかった。めぎはこうして大満足で宿に戻る。今年のザルツブルクではクルレンツィスの演奏をドン・ジョヴァンニでも聴けるが、コンサートはこれだけ。だからめぎはたったこの一曲のために7月にザルツブルクへ行ったのだ。この次の日にはミュンヘンに移動し、うちのドイツ人と落ち合うことになる。
書き残したこと、ないかな…写真を撮った時点でこんなことを書こうと考えてあるのだが、書き留めてはいないので忘れたこともあるかも。音楽祭の続きの話はまたいずれ。
この夏、一人で幕開けのコンサートを聞きに行っためぎ。その話はこちらやこちらなどに書いたが、今日は特にこちらに言及したどうしても見たかったこけら落としのコンサートのお話。こけら落としと言っても新しい会場ができたのではなく、音楽祭の開幕コンサートという意味。時間になっていつものこの場所へ。
↑上の写真だけでも色々書きたいことが浮かぶ。右手前はザルツブルクの祝祭大劇場。この日の公演はその奥のモーツァルトのための劇場が会場なので、手前は閉まっている。銀色のカバーがかかっている机は、祝祭大劇場の方で公演があるときにプログラム売りなどに使われる。公演の演目が書かれたポスターが張られているが、オペラや演劇が初日を迎えると、そのポスターがその演目の写真に変わる。この日はまだ初日だから、全て写真無しのポスターのままだ。
会場に到着。真ん中から右側がこの日の観客たち。この日はコンサートなので、皆さんの恰好もそれほどゴージャスではない。左側の人たちは野次馬。
これは前に載せた写真だが、席から始まる前に撮ったもの。
この席を取るのが大変だった…まず、この演目に関しては、めぎは最初のチケット割り当て戦で負けてしまった。つまり、申し込んだけどチケットが取れなかったのだ。売り切れで買えない状態が4か月ほど続き、開幕2週間前になって突然立見席が売られた。めぎは当然それを買った。その数日後、今度はキャンセル席が売られ始めた。できれば座りたかっためぎは、後ろの方の席をゲット。そのまた数日後、1階席(日本で言えば2階)の側面席でオーケストラに近く、指揮者もよく見える↓この席が売られたので、それをゲットし、その前に買った2席はオフィシャルサイトで転売申請。人気の演目なのであっという間に買い手もつき、めぎはこのアングルで前に人もいなくて邪魔もなくコンサートを満喫することができた。ブレブレだけど説明として写真を載せる。
演目はバッハ作曲の「マタイ受難曲」。華やかな音楽祭の幕開けの曲としては全然ふさわしくない曲だ。今年の音楽祭のテーマは「天国と地獄の狭間」で、今の理不尽な戦争を意識したものであるため、この曲が選ばれたのだろう。聞いてみたい方は例えばこちらをどうぞ。今は女性のソプラノを使うことが多いが、この録音では少年が歌っているのが素敵。
聴きごたえのある素晴らしい曲だが、チケットが売り切れだったのはこの曲が人気だからというわけではない。指揮者がクルレンツィスだからである。反プーチンを表明せず沈黙し、ロシアでの活動も続けている彼については、戦争が始まって以来西側でコンサート活動をさせることに反対する声がずっと少なからずあって、いつももめている。ザルツブルク音楽祭の幕開けのしかもマタイ受難曲を彼が指揮するというのは、音楽祭事務局も随分思い切っている。明確な立場表明、メッセージであろう。そこにはアンチもファンも批評家も報道陣もみんな来るのだから、売り切れが当然なのだ。
下手すると暴動が起きたりするかもしれないな…と思っていたが、始まる前にデモはなかったし、幕間休憩中もいたって普通で静かだった。聞きに来ている人も、もちろんファンがいっぱいいるのだが、コアなクルレンツィスファンより音楽祭の幕開けを楽しみに集まった地元ファンが多いように感じた。
終わってから拍手を浴びる歌手たちと合唱団とクルレンツィス。
演奏は、古楽器の音色も素晴らしいし、技術的には最高だ。古楽器の音なのに斬新で、演奏はこれ以上ないぐらい真剣で、刹那的で、心の琴線に触れる。時折クルレンツィスらしい演出が入るのが(例えばバッハの楽譜には無い鐘の音が入るなど)なくてもいいのになあと思わないでもなかったが、非常に劇的でかつ我が身につまされるような感じに仕上がった演奏で、バッハはこういう風にキリストの受難を伝えたかったのかもしれないなと思わせるものだった。なんと言うか、遠い過去を舞台にした伝説なのにキリストの受難は過去の話ではなく、現代の受難にも通じるような、現代の自分の中に蘇るような演奏なのだ。バッハだってキリストの受難を我々と同様に遠い過去の話として読んだのだから、作曲に際しその物語そのものを描くだけでなく、バッハが生きている時代当時の色々な苦しみや悲しみに通じるような作品にしたのかもしれない。作品をそんな風に感じられるような指揮をするクルレンツィス(真ん中の人)が、めぎはやっぱり大好き。
この日、特にクルレンツィスの左にいる↑テノールのエヴァンゲリスト(福音史家、つまりマタイ)の役のJulian Prégardien(ユリアン・プレガルディアン)の歌と声が非常に印象に残った。この人が今年はドン・ジョヴァンニのドン・オッターヴィオの役をするので、凄く楽しみになった。
また、クルレンツィスが西側で音楽活動をするために組織したユートピアというオーケストラの演奏も素晴らしかった。クルレンツィスの元で演奏したいという音楽家の集まりだから、質はもちろん息がぴったり、指揮者の思うがまま。合唱団も同様。ロシアに置いてきてある彼のムジカエテルナのことが気になるけど、ファゴットなどムジカエテルナにも属している(いた)団員も見かけた。
コンサートの概要と公式写真はこちら。演奏が終わるとクルレンツィスは礼をせず振り返りもせずにまずササッと舞台袖へ引き上げた。マタイ受難曲ならではの演出と言うか、キリストが受難して終わるような曲で拍手は合わないと言えばそうだし、この曲でこの状況で自分が喝さいを浴びるべきではないというようなメッセージにも感じた。割れるような拍手喝さいの中、クルレンツィスは1度ステージに戻ってきて写真のようにソロ歌手たちと手を繋いでお辞儀をし、花束をもらい、オーケストラを立ち上がらせて拍手を浴び、その後みんなに引き上げるようにという指示の身振りをして引っ込み、もう出てこなかった。感動している観客たちは数回のカーテンコールを期待してたのに拍手したりないような宙ぶらりんな気分になったが、それもまた演出と言えば演出だし、クルレンツィスらしいと言えばまたそうだし、その点に関してはどこにも書かれていないのでどういう意図だったのか分からないし確かめる術もない。このコンサートはラジオでもテレビでも放送がなかったし、この舞台一回限りの夢の幻だ。素晴らしい演奏だったのになんて勿体ないんだろうと思うが、それもまた彼の意図なのかもしれない。まあ今は、ロシアとの戦争があるので、クルレンツィスのコンサートにはスポンサーがつかないのだろうと思うけど。テレビ局だって、彼のコンサートを放送したら、非難囂々浴びそうだものなぁ…
ああ来てよかった。席が取れてよかった。めぎはこうして大満足で宿に戻る。今年のザルツブルクではクルレンツィスの演奏をドン・ジョヴァンニでも聴けるが、コンサートはこれだけ。だからめぎはたったこの一曲のために7月にザルツブルクへ行ったのだ。この次の日にはミュンヘンに移動し、うちのドイツ人と落ち合うことになる。
書き残したこと、ないかな…写真を撮った時点でこんなことを書こうと考えてあるのだが、書き留めてはいないので忘れたこともあるかも。音楽祭の続きの話はまたいずれ。
ラジオ公開生放送番組 [2024年ザルツブルク]
今日は2024年7月のザルツブルク音楽祭のお話を。
音楽祭の開幕コンサートを見に行っためぎ(その話はこちら)。今日の話はその次の日の午前中のこと。この日、オーストリア放送のラジオの「クラシック待ち合わせ場所」という名の番組の公開ライブ放送へ。前日に開幕したばかりのザルツブルク音楽祭の特集で、ゲストは総監督のマルクス・ヒンターホイザーとバリトン歌手のゲオルク・ニグル。7月初めに売られた特別無料チケットの公開ライブ鑑賞券を争奪戦を勝ち抜いてゲットし(売られ始める瞬間にクリックしたけど、同時に教会コンサートの無料チケットなどがいくつか売られたのだが、買えたのは何より欲しかったので最初にクリックしたその一枚のみで、その後そのサーバーがパンクし、つながった頃には他のは全て売り切れていた)、とても楽しみにしていた。で、会場では一番前の席をゲット(自由席)。
番組が始まる前に、拍手の練習をしているところ。真ん中がヒンターホイザー、右がニグル。
ヒンターホイザーって、こんな微笑みを浮かべるとすごく素敵。
こんな眼差しになることもある。これって凄くヒンターホイザーらしい感じ。
彼はピアニストでもある。今年の音楽祭では彼がピアノを弾くコンサートのチケットもゲットしてある。この手でピアノを奏でるのね~
…と、めぎはかなりのヒンターホイザーファンである。うちのドイツ人が焼きもちを焼くほどである。
番組では今年の音楽祭のテーマや見どころについて話すのだが、全44日間172公演の音楽祭の見どころをすべて語り尽くせるはずもない。まずは前日のコンサートのことから入り、7月中のOuverture Spirituelle(精神的序曲とでも訳すのだろうか…?)というシリーズの今年のテーマEt exspecto(そして私は期待する)のコンサートについて、その後始まるいくつかのオペラについて、そしてニグルのコンサートについてが主な話題。ここでめぎは気がついた。ニグルが企画したという「夜の音楽」というコンサートのチケットを手に入れていないことを。それは、モーツァルトの使っていたクラヴィコードという楽器を伴奏にしてニグルが歌う3夜連続コンサート。そうだ、そういう説明を読んでちょっと迷ったけど、申し込まなかったんだったなぁ…むむむ。あとで確認したら、もちろん3夜とも売り切れである。1月にチケットを申し込むときにちょっと考えたけど、めぎは特にニグルファンではなかったし、ものすごく遅い時間帯の夜中のコンサートなので、やめておこうと思って申し込まなかったのだ。なんたる不覚。
ちなみにこのゲオルク・ニグルは、有名なオペラで言えば魔笛のパパゲーノ役をした人で、最近バイエルン・オペラ座で昨年末に新演出で話題になった「こうもり」のアイゼンシュタインの役を担ってて、超売れっ子でこの夏もあっちこっち行ったり来たり。
さて、番組には時折音楽が入る。その間にちょっと一息ついて水を飲んだり。マイクを取り換えたりなどしている。最初の音楽はジョン・ケージのThe Perilous Night(危険な夜}というピアノ曲で(と言ってもプリペアド・ピアノで普通のピアノではないが)、ヒンターホイザーが弾いている録音。彼はジョン・ケージのプリペアド・ピアノと作曲についてBefreiung(解放)だったと熱っぽく語っていたが、ピアノの新しい可能性に大いに影響を受けたのだろう。98年の録音だ。98年って、めぎは何をしていたんだったかなぁ…二度目の大学で2年目の時かな。ドイツ語でやっと用足しぐらいはできるようになっていた頃だ。ヒンターホイザーまではまだまだ遠かったなぁ…
次にニグルが昔の楽器クラヴィコードについて語り、Alexander Gergelyfi(アレクサンダー・ゲアゲリフィ)というクラヴィコード奏者が17世紀に作られたオーストリアに現存する最古のクラヴィコードで録音した作品がかかった。ヨーゼフ・アントン・シュテファンという作曲家の作品だという。Alexander Gergelyfiについてはドイツ語のこちら。リンク先にクラヴィコードの楽器の写真がある。素晴らしい絵付で、当時の楽器って芸術作品だったんだなぁと感じる。クラヴィコードについては日本語のこちらをどうぞ。
その後、結構長いトークが続く。ザルツブルク音楽祭でクラヴィコードのコンサートを開くことになったことにまつわるエピソード。ニグルがそのアイディアをウィーンでヒンターホイザーに話したときに出てきたという思い出話が印象深い。ヒンターホイザーはザルツブルクで学生だった時代にフリードリヒ・グルダというピアニスト(彼については日本語のこちら)と知り合い、一緒にチェスをしたりしていたようなのだが、当時学生のたまり場だった小さなチェスクラブのカフェバーで、たばこの煙モクモクの中毎晩毎晩そこで学生たちが集っていたところに、ある日フリードリヒ・グルダがやってきて、持ち込んだクラヴィコードをセッティングし、バッハの平均律の曲を弾いたのだという。小さな音のクラヴィコードを聞くためにそのたまり場がシーンと静まり返ったその親密な雰囲気を思い出し、それをザルツブルク音楽祭でやろうということになったらしい。既に去年その試みが行われ(ここでめぎはそうだそうだと思い出した。去年そのコンサートに興味があったのだけど、めぎの夏休みが終わった後のプログラムだったので全く行けなかったのだ)、60人しか入れない会場での静かなサロンコンサートは去年のザルツブルク音楽祭の中でも最も素晴らしいものだったとのこと。そこにはまさに音楽しかない時間だったのだとか(うーん、それはなんとも魅力的…いいなぁ)。
それに引き続きニグルが、今年どんな風に3夜のコンサートをするか、シューベルトの時代のサロンコンサートの例などを説明し、クラヴィコード奏者のAlexander Gergelyfiがモーツァルトの生家でクラヴィコードを見せてもらった時の話が続く。そのクラヴィコードについているコンスタンツェのメモによると、それでモーツァルトは魔笛、レクイエム、カンタータ(Eine kleine Freimaurer-Cantate)と皇帝ティートの慈悲を作曲したそうだ。そのクラヴィコードの蓋にはインクの染みもあるという。で、今年のコンサートではそのモーツァルトのクラヴィコードを使うそうで、モーツァルトの時代や構成のモーツァルトについて書かれた文献の朗読とクラヴィコードの演奏とニグルの歌とを組み合わせて披露するらしい。で、ヒンターホイザーが、モーツァルトの使った楽器を使うと聞いてほんの60人しか入らない場所にどれほど嵐のように押し寄せるか、夜に5回コンサートをしなきゃならなくなる責任は自分でとれよ、などと冗談を言ったり(そうだよなぁ…この放送を聞いて問い合わせる人も増えるだろうし、今からチケットを取るのはもう全く無理だろな…)。
ここで再び音楽。ニグルが歌い、オルガ・パシェンコが伴奏しているシューベルトのDer Vater mit dem Kind(子を抱く父)。ニグルは新しく歌を練習し始めるとき、何よりもまずテキストから入るという。それは、作曲されたときもたいていの場合はまずテキストがあって、それを解釈して作曲されたからだ。彼はまずテキストを朗読し、どこにコンマ、どこにピリオド、どこにセミコロンと、そういうのまでキッチリ読み込み、それによって作曲家がその言葉をどう作曲したのかを知り、それから歌の練習に入るのだという。また、ニグルは長いこと彼自身の息子に夜にいつも読み聞かせをし(「大どろぼうホッツェンプロッツ」から「ロードオブザリング」まで)、それが本当に親密な、二人の間に繋がりのできた、二人だけの時間であったという経験から、コンサートも同じく、自分が歌うのを観客と共有する親密な時間なのだと捉えている。そこがリート(歌曲)とオペラの大きな違いなのだとか。伴奏の楽器は、1826年製造のを2019年にクリストフ・ケルンが復元したフォルテピアノ。クリストフ・ケルンの楽器工房はこちらにホームページがあった。(音楽の世界にはいろんな職業があるんだなぁ…古楽器を復元したり、弾いたり、素敵だなぁ。)
この生放送は当時1週間ぐらいオーストリア放送のオンデマンドで繰り返し聴けたので、その当時にダウンロードしてあった。今、それをテープ起こししながら書いている。ヒンターホイザーの美しいドイツ語の口調を繰り返し聞き込むのはとても楽しい。ニグルのものすごいウィーン訛りのドイツ語を暗号を解くかのように聞いていくのも楽しい。どうにもこうにもという場合にはうちのドイツ人に聞くと、彼は一発でそれはこういう単語でと分かり、ドイツ語ネイティブが羨ましい。紹介された曲を、誰が弾いているとかいつの録音だとかどの楽器で弾いているとか聞き取って同じのをYouTubeで探すのも楽しい。そんなこんなでこの記事に3時間ぐらい費やし、ここまでで90分の番組の38分が終了。ものすごく長くなったので、続きはまた。
音楽祭の開幕コンサートを見に行っためぎ(その話はこちら)。今日の話はその次の日の午前中のこと。この日、オーストリア放送のラジオの「クラシック待ち合わせ場所」という名の番組の公開ライブ放送へ。前日に開幕したばかりのザルツブルク音楽祭の特集で、ゲストは総監督のマルクス・ヒンターホイザーとバリトン歌手のゲオルク・ニグル。7月初めに売られた特別無料チケットの公開ライブ鑑賞券を争奪戦を勝ち抜いてゲットし(売られ始める瞬間にクリックしたけど、同時に教会コンサートの無料チケットなどがいくつか売られたのだが、買えたのは何より欲しかったので最初にクリックしたその一枚のみで、その後そのサーバーがパンクし、つながった頃には他のは全て売り切れていた)、とても楽しみにしていた。で、会場では一番前の席をゲット(自由席)。
番組が始まる前に、拍手の練習をしているところ。真ん中がヒンターホイザー、右がニグル。
ヒンターホイザーって、こんな微笑みを浮かべるとすごく素敵。
こんな眼差しになることもある。これって凄くヒンターホイザーらしい感じ。
彼はピアニストでもある。今年の音楽祭では彼がピアノを弾くコンサートのチケットもゲットしてある。この手でピアノを奏でるのね~
…と、めぎはかなりのヒンターホイザーファンである。うちのドイツ人が焼きもちを焼くほどである。
番組では今年の音楽祭のテーマや見どころについて話すのだが、全44日間172公演の音楽祭の見どころをすべて語り尽くせるはずもない。まずは前日のコンサートのことから入り、7月中のOuverture Spirituelle(精神的序曲とでも訳すのだろうか…?)というシリーズの今年のテーマEt exspecto(そして私は期待する)のコンサートについて、その後始まるいくつかのオペラについて、そしてニグルのコンサートについてが主な話題。ここでめぎは気がついた。ニグルが企画したという「夜の音楽」というコンサートのチケットを手に入れていないことを。それは、モーツァルトの使っていたクラヴィコードという楽器を伴奏にしてニグルが歌う3夜連続コンサート。そうだ、そういう説明を読んでちょっと迷ったけど、申し込まなかったんだったなぁ…むむむ。あとで確認したら、もちろん3夜とも売り切れである。1月にチケットを申し込むときにちょっと考えたけど、めぎは特にニグルファンではなかったし、ものすごく遅い時間帯の夜中のコンサートなので、やめておこうと思って申し込まなかったのだ。なんたる不覚。
ちなみにこのゲオルク・ニグルは、有名なオペラで言えば魔笛のパパゲーノ役をした人で、最近バイエルン・オペラ座で昨年末に新演出で話題になった「こうもり」のアイゼンシュタインの役を担ってて、超売れっ子でこの夏もあっちこっち行ったり来たり。
さて、番組には時折音楽が入る。その間にちょっと一息ついて水を飲んだり。マイクを取り換えたりなどしている。最初の音楽はジョン・ケージのThe Perilous Night(危険な夜}というピアノ曲で(と言ってもプリペアド・ピアノで普通のピアノではないが)、ヒンターホイザーが弾いている録音。彼はジョン・ケージのプリペアド・ピアノと作曲についてBefreiung(解放)だったと熱っぽく語っていたが、ピアノの新しい可能性に大いに影響を受けたのだろう。98年の録音だ。98年って、めぎは何をしていたんだったかなぁ…二度目の大学で2年目の時かな。ドイツ語でやっと用足しぐらいはできるようになっていた頃だ。ヒンターホイザーまではまだまだ遠かったなぁ…
次にニグルが昔の楽器クラヴィコードについて語り、Alexander Gergelyfi(アレクサンダー・ゲアゲリフィ)というクラヴィコード奏者が17世紀に作られたオーストリアに現存する最古のクラヴィコードで録音した作品がかかった。ヨーゼフ・アントン・シュテファンという作曲家の作品だという。Alexander Gergelyfiについてはドイツ語のこちら。リンク先にクラヴィコードの楽器の写真がある。素晴らしい絵付で、当時の楽器って芸術作品だったんだなぁと感じる。クラヴィコードについては日本語のこちらをどうぞ。
その後、結構長いトークが続く。ザルツブルク音楽祭でクラヴィコードのコンサートを開くことになったことにまつわるエピソード。ニグルがそのアイディアをウィーンでヒンターホイザーに話したときに出てきたという思い出話が印象深い。ヒンターホイザーはザルツブルクで学生だった時代にフリードリヒ・グルダというピアニスト(彼については日本語のこちら)と知り合い、一緒にチェスをしたりしていたようなのだが、当時学生のたまり場だった小さなチェスクラブのカフェバーで、たばこの煙モクモクの中毎晩毎晩そこで学生たちが集っていたところに、ある日フリードリヒ・グルダがやってきて、持ち込んだクラヴィコードをセッティングし、バッハの平均律の曲を弾いたのだという。小さな音のクラヴィコードを聞くためにそのたまり場がシーンと静まり返ったその親密な雰囲気を思い出し、それをザルツブルク音楽祭でやろうということになったらしい。既に去年その試みが行われ(ここでめぎはそうだそうだと思い出した。去年そのコンサートに興味があったのだけど、めぎの夏休みが終わった後のプログラムだったので全く行けなかったのだ)、60人しか入れない会場での静かなサロンコンサートは去年のザルツブルク音楽祭の中でも最も素晴らしいものだったとのこと。そこにはまさに音楽しかない時間だったのだとか(うーん、それはなんとも魅力的…いいなぁ)。
それに引き続きニグルが、今年どんな風に3夜のコンサートをするか、シューベルトの時代のサロンコンサートの例などを説明し、クラヴィコード奏者のAlexander Gergelyfiがモーツァルトの生家でクラヴィコードを見せてもらった時の話が続く。そのクラヴィコードについているコンスタンツェのメモによると、それでモーツァルトは魔笛、レクイエム、カンタータ(Eine kleine Freimaurer-Cantate)と皇帝ティートの慈悲を作曲したそうだ。そのクラヴィコードの蓋にはインクの染みもあるという。で、今年のコンサートではそのモーツァルトのクラヴィコードを使うそうで、モーツァルトの時代や構成のモーツァルトについて書かれた文献の朗読とクラヴィコードの演奏とニグルの歌とを組み合わせて披露するらしい。で、ヒンターホイザーが、モーツァルトの使った楽器を使うと聞いてほんの60人しか入らない場所にどれほど嵐のように押し寄せるか、夜に5回コンサートをしなきゃならなくなる責任は自分でとれよ、などと冗談を言ったり(そうだよなぁ…この放送を聞いて問い合わせる人も増えるだろうし、今からチケットを取るのはもう全く無理だろな…)。
ここで再び音楽。ニグルが歌い、オルガ・パシェンコが伴奏しているシューベルトのDer Vater mit dem Kind(子を抱く父)。ニグルは新しく歌を練習し始めるとき、何よりもまずテキストから入るという。それは、作曲されたときもたいていの場合はまずテキストがあって、それを解釈して作曲されたからだ。彼はまずテキストを朗読し、どこにコンマ、どこにピリオド、どこにセミコロンと、そういうのまでキッチリ読み込み、それによって作曲家がその言葉をどう作曲したのかを知り、それから歌の練習に入るのだという。また、ニグルは長いこと彼自身の息子に夜にいつも読み聞かせをし(「大どろぼうホッツェンプロッツ」から「ロードオブザリング」まで)、それが本当に親密な、二人の間に繋がりのできた、二人だけの時間であったという経験から、コンサートも同じく、自分が歌うのを観客と共有する親密な時間なのだと捉えている。そこがリート(歌曲)とオペラの大きな違いなのだとか。伴奏の楽器は、1826年製造のを2019年にクリストフ・ケルンが復元したフォルテピアノ。クリストフ・ケルンの楽器工房はこちらにホームページがあった。(音楽の世界にはいろんな職業があるんだなぁ…古楽器を復元したり、弾いたり、素敵だなぁ。)
この生放送は当時1週間ぐらいオーストリア放送のオンデマンドで繰り返し聴けたので、その当時にダウンロードしてあった。今、それをテープ起こししながら書いている。ヒンターホイザーの美しいドイツ語の口調を繰り返し聞き込むのはとても楽しい。ニグルのものすごいウィーン訛りのドイツ語を暗号を解くかのように聞いていくのも楽しい。どうにもこうにもという場合にはうちのドイツ人に聞くと、彼は一発でそれはこういう単語でと分かり、ドイツ語ネイティブが羨ましい。紹介された曲を、誰が弾いているとかいつの録音だとかどの楽器で弾いているとか聞き取って同じのをYouTubeで探すのも楽しい。そんなこんなでこの記事に3時間ぐらい費やし、ここまでで90分の番組の38分が終了。ものすごく長くなったので、続きはまた。
ラジオ公開生放送 その2 [2024年ザルツブルク]
今日は今年2024年の夏のザルツブルク音楽祭でのお話を。音楽祭の第2日目のラジオ公開生放送の続きのお話。90分の番組のうち38分までをまとめた前回はこちら。これは、音楽がかかっている時間にマイクを取り換えているところ。
会場では前回の記事の最後に紹介したゲオルク・ニグルが歌っているシューベルトの「子を抱く父」が終わり、拍手の後でニグルがこう付け足した。彼が特に凄いと思っているのは、シューベルト自身は父になったことがないこと。それなのにこんなに子を抱く父の気持ちを表現できているなんて、ということなのだろう。シューベルトは兄ではあったそうで、恐らくは小さい子供を抱っこして寝かせる経験をしたはずで、kongenialだ(父と精神的に同等であった)とのこと。もう一度聞いてみたい方はこちらをどうぞ。
それから話は次の話題へ。まだシューベルトの歌曲の余韻が残る中かかったのは、1分しかかからない曲。それはシェーンベルクの「6つのピアノ小品 作品19」の2曲目。ゆっくりとしたテンポの静かな無調の曲だ。その1分が過ぎて、この演奏は1991年のヒンターホイザーだと種明かし。それは昔の写真を見るようなものだ、とヒンターホイザー。Halle in Tirol(オーストリアのインスブルックの近くの小さな町)で演奏されたものだそう。そこから今回の音楽祭のテーマの一つである「シェーンベルクとの時間」について話が続く(音楽祭は44日間にわたり170以上の公演があるので、テーマも複数ある)。この「時間」と訳した部分はドイツ語でZeitで、これをプログラムのタイトルとして読んだ時めぎは「時代」だと思っていたのだが、この放送のお話を聞いて、時代という意味ももちろんあるけど時間という意味、我々がシェーンベルクと共に過ごす時間、という意味の方が強いんだなと解釈し、「時間」としておく。残念ながらヒンターホイザーの演奏のは見つからず、下のリンクは別の人の演奏。楽譜を見ていると本当に無調なのが楽譜からも視覚的によく分かって面白い。
ヒンターホイザーはその2週間ほど前のザルツブルクの地元紙とのインタビューで話していたのと全く同じ話を繰り返していたのだが、話の中に音楽史のたくさんのあれこれが詰め込まれてて、現代音楽に疎いめぎが一つ一つ確かめていくと何時間あっても足りない。まず、シェーンベルクと聞くと多くの人が難解だと思い演奏を避けてしまうが、本当は親密な関係になれるのだという。それは、ヒンターホイザーの話をものすごく簡単にまとめると、自由と解放を求めていった人物だからだ。シェーンベルクは無調の十二音音楽を確立した人だと言われているが、その十二音というのはバッハの時代からモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーに至るまで使っている十二音であって、みんな同じ。シェーンベルクはその十二音に調性を持たせず、幹音を無くし、十二音を全て解放した決定的な人物なのだけど、その十二音自体は同じ。だから、我々はその音楽に耳を傾けるだけでなく心を開かなければならない。
上記のシェーンベルクの「6つのピアノ小品 作品19」が作曲されたのはマーラーの交響曲第9番とほぼ同じ時期で、マーラーの第4楽章の長い長い永遠に続くかのようなアダージョの別れの響きと重なる。マーラーはそれまでの調性の時代が終わることを分かっていたのだろう(マーラーの第9番は1909年、シェーンベルクの6つのピアノ小品はマーラーの亡くなった1911年の作曲)。それはヨーゼフ・ロート(20世紀初めのオーストリアの作家で、古き良きヨーロッパとの別れをモチーフとした作品を書いた)の小説と同じで、調性の時代の終焉、交響曲形式との別れなのだ。片や同じ頃シェーンベルクは「弦楽四重奏曲第2番」を作曲し、その4楽章にStefan George(シュテファン・ゲオルゲ)の詩 Ich fühle Luft von anderen Planeten(他の惑星からの空気を感じる)を使った。その頃地球の反対側ではアメリカ人のChales Ives(チャールズ・アイヴス)がほんの10分もかからない The Unanswered Question(答えのない質問)を作曲している。そのタイトルは今でも通用するものだ…と話は続き、ヒンターホイザー曰く(シェーンベルクの)「布教活動の途中」なのだという。
ここでマーラーの9番第4楽章は有名だから省略し、シェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」の第4楽章を貼り付けておく。Ich fühle Luft von anderen Planetenの歌詞の歌が入るのは映像の2分50秒ぐらいから。
また、アメリカ人のチャールズ・アイヴスのThe Unanswered Questionという曲も貼り付けておく。確かにマーラーのようであり、しかし不協和音が重なっていく。
ヒンターホイザーが言うには、人は皆、メロディーを歌いたいという欲求を持っていて、(無調音楽では)それが簡単にできないから難しいと感じるのだけど、ザルツブルク音楽祭が「シェーンベルクとの時間」と銘打ってプログラムを組んだのは、シェーンベルクが今年生誕150周年だったからではなくて、シェーンベルクの音楽に触れる時間を作ることに招待するという意味なんだ、とのこと。司会の女性がそれに引き続き、その「シェーンベルクとの時間」のプログラムの中にはヒンターホイザーとニゲルが共演してシェーンベルクの作品を披露するコンサートもあると紹介(それについてはこちら。めぎは残念ながら日程の都合がつかなくてそのコンサートには行っていない)。まあつまりはこの全てのお話はそのコンサートの番宣なのだとも言えるのだが、このシェーンベルクの時代の話は、その辺りの音楽史に疎いめぎには非常に勉強になった。めぎもシェーンベルクは難しいよなあと思っていたのだ。十二音の解放=自由と考えれば、もっと心がオープンになって聞けるかも。
その「シェーンベルクとの時間」のプログラムはDie Stadt ohne Juden(ユダヤ人のいない町)という1924年のサイレント映画の2019年の復刻版の曲のコンサートから始まる(それについてはこちら)。これはシェーンベルクの作品ではないが、この映画はシェーンベルクが生きていた時代のウィーンが描かれているという意味で、そして文化の首都ウィーンで起きた排斥の悲劇だという意味で、非常に重要なのだという。そこにいたシェーンベルクは恐らく世界が大きく変わっていくことを感じていたに違いないと。この話を聞くと、テーマの訳は「シェーンベルクの時代」の方が当たっているわねぇ。でも、その時代に思いを寄せ、共感するという意味ではやっぱり「シェーンベルクとの時間」かな。ドイツ語のZeitって、どちらにも取れる便利な言葉だ。
ここまできたところで、再び1分間同じ「6つのピアノ小品 作品19」の2曲目を聞く。そうかぁ…シェーンベルクってこの曲を作った頃何を感じ、何を考えていたのか、前よりもイメージが湧く。前衛の無調音楽を作った人、というイメージから解き放たれて、めぎの心も自由になった気がする。ヒンターホイザーの演奏はやっぱり見つからないので、今度は別のピアニストの演奏でどうぞ。
その後、話はヒンターホイザーの音楽祭総監督の契約延長の話になる。今年の4月初め頃決まった契約延長、というか新たな候補者もいた中で再任が決まった話はめぎ的に大ニュースだったのだが、どういう風に決心したのかが語られた。これももうあちこちで読んだのと同じ話なのだが、要点をまとめると、
1)総監督職を10年やって来てここで区切りをつけるという道ももちろん考えた。ザルツブルク音楽祭の総監督をしたという経歴は自分の人生にとって非常に特別で幸運なことだが、いつかはもう充分というときが来る。自分はその座にしがみつくタイプではない。
2)しかし同時に、ちょうどこれから7年は、恐らく音楽祭の歴史の中でも最大の挑戦の年になることが分かっている。7年間もの大改装工事に入るのだ。そんな中、自分は音楽祭を非常によく知っており、この町のこともよく知っており、さらにそういう例外的な状況下で大きな音楽祭を開催させるという仕事は自分はコロナで既に経験済みなので…なにしろ2020年に音楽祭を開催させたのは世界中でザルツブルクだけだったのだから…、もしそんな自分が役に立てるのなら、2029年までなら喜んで手伝いたい(契約自体は31年まで延長しているが、29年に辞められるというオプション付き)。今まですっかり家族のようになった仲間…芸術家や観客も含め…のために尽力しようと思う(ここで盛大な拍手)。
そうなんだな、やっぱり、ヒンターホイザーがザルツブルクを知り尽くしているというのが決め手だったのだろうな。彼はピアノをザルツブルクで学び、若い頃からずっと音楽祭で仕事をし続けてきているのだ。カトリックの町ザルツブルクで誰とどう交渉すればどこでどんなコンサートを開けるか、彼以上に知っている人などいないのだろう。全てのホールが一新した後で新しい試みをするならともかく、そこまでのつなぎはここをよく知る人が継続するのが最も無難なのだろう。まあ当たり前の決定だったのだ。それでもめぎは決まるまでドキドキしちゃったのだけど。
放送の方は、それに引き続き、ここまで約16分間ずっと話を聞いていたゲオルク・ニグルに話が振られる。今度は彼の昔の写真を見ましょう、とのことで、かかった曲は1986年録音、ニグルが14歳の時の声。彼はウィーン少年合唱団に属し、彼の時から名前が公表されることになったそうで、その音源が容易に探せたのだという。めぎもYouTubeで見つけることができた。曲はモーツァルトが12歳の時の「バスティアンとバスティエンヌ」というジングシュピール(歌芝居)。
子どもの頃の彼を見てみたい方は、別の作品だがこちらもどうぞ。なんと日本語の字幕付きだ。ニグルは、歌が好きで子どもの頃遊びながらいつも歌っていたのだが、母親に連れられてウィーン少年合唱団に入ったものの、父親は大反対だったとか。歌ってもいいという許しが出て本当に幸せだったという。このバスティアンを収録した時のことはよく覚えてて、その一週間前に体調不良で休んでいたところに合唱団の指導者がやってきて、来週収録だと告げたのだとか。それで次の日には練習に行って、ちゃんと収録にこぎつけたのだという。去年の年末の「こうもり」の公演時にも体調不良になり、観客にその旨アナウンスで知らせたのだが、そのとき舞台の真ん中に立って、ああ舞台が大好きだ!と思ったそう。その「こうもり」の雰囲気はザルツブルクとは関係ないけどこちらをどうぞ。バイエルン・オペラ座で伝統の演出をやめて、コスキーという演出家が新たに演出したという話題の作。NHKのプレミアムシアターでも4月に放送されたようなので、オンデマンドなどでぜひ。
ここまでで90分のうちの58分が終了。長くなったので、続きはまた。
会場では前回の記事の最後に紹介したゲオルク・ニグルが歌っているシューベルトの「子を抱く父」が終わり、拍手の後でニグルがこう付け足した。彼が特に凄いと思っているのは、シューベルト自身は父になったことがないこと。それなのにこんなに子を抱く父の気持ちを表現できているなんて、ということなのだろう。シューベルトは兄ではあったそうで、恐らくは小さい子供を抱っこして寝かせる経験をしたはずで、kongenialだ(父と精神的に同等であった)とのこと。もう一度聞いてみたい方はこちらをどうぞ。
それから話は次の話題へ。まだシューベルトの歌曲の余韻が残る中かかったのは、1分しかかからない曲。それはシェーンベルクの「6つのピアノ小品 作品19」の2曲目。ゆっくりとしたテンポの静かな無調の曲だ。その1分が過ぎて、この演奏は1991年のヒンターホイザーだと種明かし。それは昔の写真を見るようなものだ、とヒンターホイザー。Halle in Tirol(オーストリアのインスブルックの近くの小さな町)で演奏されたものだそう。そこから今回の音楽祭のテーマの一つである「シェーンベルクとの時間」について話が続く(音楽祭は44日間にわたり170以上の公演があるので、テーマも複数ある)。この「時間」と訳した部分はドイツ語でZeitで、これをプログラムのタイトルとして読んだ時めぎは「時代」だと思っていたのだが、この放送のお話を聞いて、時代という意味ももちろんあるけど時間という意味、我々がシェーンベルクと共に過ごす時間、という意味の方が強いんだなと解釈し、「時間」としておく。残念ながらヒンターホイザーの演奏のは見つからず、下のリンクは別の人の演奏。楽譜を見ていると本当に無調なのが楽譜からも視覚的によく分かって面白い。
ヒンターホイザーはその2週間ほど前のザルツブルクの地元紙とのインタビューで話していたのと全く同じ話を繰り返していたのだが、話の中に音楽史のたくさんのあれこれが詰め込まれてて、現代音楽に疎いめぎが一つ一つ確かめていくと何時間あっても足りない。まず、シェーンベルクと聞くと多くの人が難解だと思い演奏を避けてしまうが、本当は親密な関係になれるのだという。それは、ヒンターホイザーの話をものすごく簡単にまとめると、自由と解放を求めていった人物だからだ。シェーンベルクは無調の十二音音楽を確立した人だと言われているが、その十二音というのはバッハの時代からモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーに至るまで使っている十二音であって、みんな同じ。シェーンベルクはその十二音に調性を持たせず、幹音を無くし、十二音を全て解放した決定的な人物なのだけど、その十二音自体は同じ。だから、我々はその音楽に耳を傾けるだけでなく心を開かなければならない。
上記のシェーンベルクの「6つのピアノ小品 作品19」が作曲されたのはマーラーの交響曲第9番とほぼ同じ時期で、マーラーの第4楽章の長い長い永遠に続くかのようなアダージョの別れの響きと重なる。マーラーはそれまでの調性の時代が終わることを分かっていたのだろう(マーラーの第9番は1909年、シェーンベルクの6つのピアノ小品はマーラーの亡くなった1911年の作曲)。それはヨーゼフ・ロート(20世紀初めのオーストリアの作家で、古き良きヨーロッパとの別れをモチーフとした作品を書いた)の小説と同じで、調性の時代の終焉、交響曲形式との別れなのだ。片や同じ頃シェーンベルクは「弦楽四重奏曲第2番」を作曲し、その4楽章にStefan George(シュテファン・ゲオルゲ)の詩 Ich fühle Luft von anderen Planeten(他の惑星からの空気を感じる)を使った。その頃地球の反対側ではアメリカ人のChales Ives(チャールズ・アイヴス)がほんの10分もかからない The Unanswered Question(答えのない質問)を作曲している。そのタイトルは今でも通用するものだ…と話は続き、ヒンターホイザー曰く(シェーンベルクの)「布教活動の途中」なのだという。
ここでマーラーの9番第4楽章は有名だから省略し、シェーンベルクの「弦楽四重奏曲第2番」の第4楽章を貼り付けておく。Ich fühle Luft von anderen Planetenの歌詞の歌が入るのは映像の2分50秒ぐらいから。
また、アメリカ人のチャールズ・アイヴスのThe Unanswered Questionという曲も貼り付けておく。確かにマーラーのようであり、しかし不協和音が重なっていく。
ヒンターホイザーが言うには、人は皆、メロディーを歌いたいという欲求を持っていて、(無調音楽では)それが簡単にできないから難しいと感じるのだけど、ザルツブルク音楽祭が「シェーンベルクとの時間」と銘打ってプログラムを組んだのは、シェーンベルクが今年生誕150周年だったからではなくて、シェーンベルクの音楽に触れる時間を作ることに招待するという意味なんだ、とのこと。司会の女性がそれに引き続き、その「シェーンベルクとの時間」のプログラムの中にはヒンターホイザーとニゲルが共演してシェーンベルクの作品を披露するコンサートもあると紹介(それについてはこちら。めぎは残念ながら日程の都合がつかなくてそのコンサートには行っていない)。まあつまりはこの全てのお話はそのコンサートの番宣なのだとも言えるのだが、このシェーンベルクの時代の話は、その辺りの音楽史に疎いめぎには非常に勉強になった。めぎもシェーンベルクは難しいよなあと思っていたのだ。十二音の解放=自由と考えれば、もっと心がオープンになって聞けるかも。
その「シェーンベルクとの時間」のプログラムはDie Stadt ohne Juden(ユダヤ人のいない町)という1924年のサイレント映画の2019年の復刻版の曲のコンサートから始まる(それについてはこちら)。これはシェーンベルクの作品ではないが、この映画はシェーンベルクが生きていた時代のウィーンが描かれているという意味で、そして文化の首都ウィーンで起きた排斥の悲劇だという意味で、非常に重要なのだという。そこにいたシェーンベルクは恐らく世界が大きく変わっていくことを感じていたに違いないと。この話を聞くと、テーマの訳は「シェーンベルクの時代」の方が当たっているわねぇ。でも、その時代に思いを寄せ、共感するという意味ではやっぱり「シェーンベルクとの時間」かな。ドイツ語のZeitって、どちらにも取れる便利な言葉だ。
ここまできたところで、再び1分間同じ「6つのピアノ小品 作品19」の2曲目を聞く。そうかぁ…シェーンベルクってこの曲を作った頃何を感じ、何を考えていたのか、前よりもイメージが湧く。前衛の無調音楽を作った人、というイメージから解き放たれて、めぎの心も自由になった気がする。ヒンターホイザーの演奏はやっぱり見つからないので、今度は別のピアニストの演奏でどうぞ。
その後、話はヒンターホイザーの音楽祭総監督の契約延長の話になる。今年の4月初め頃決まった契約延長、というか新たな候補者もいた中で再任が決まった話はめぎ的に大ニュースだったのだが、どういう風に決心したのかが語られた。これももうあちこちで読んだのと同じ話なのだが、要点をまとめると、
1)総監督職を10年やって来てここで区切りをつけるという道ももちろん考えた。ザルツブルク音楽祭の総監督をしたという経歴は自分の人生にとって非常に特別で幸運なことだが、いつかはもう充分というときが来る。自分はその座にしがみつくタイプではない。
2)しかし同時に、ちょうどこれから7年は、恐らく音楽祭の歴史の中でも最大の挑戦の年になることが分かっている。7年間もの大改装工事に入るのだ。そんな中、自分は音楽祭を非常によく知っており、この町のこともよく知っており、さらにそういう例外的な状況下で大きな音楽祭を開催させるという仕事は自分はコロナで既に経験済みなので…なにしろ2020年に音楽祭を開催させたのは世界中でザルツブルクだけだったのだから…、もしそんな自分が役に立てるのなら、2029年までなら喜んで手伝いたい(契約自体は31年まで延長しているが、29年に辞められるというオプション付き)。今まですっかり家族のようになった仲間…芸術家や観客も含め…のために尽力しようと思う(ここで盛大な拍手)。
そうなんだな、やっぱり、ヒンターホイザーがザルツブルクを知り尽くしているというのが決め手だったのだろうな。彼はピアノをザルツブルクで学び、若い頃からずっと音楽祭で仕事をし続けてきているのだ。カトリックの町ザルツブルクで誰とどう交渉すればどこでどんなコンサートを開けるか、彼以上に知っている人などいないのだろう。全てのホールが一新した後で新しい試みをするならともかく、そこまでのつなぎはここをよく知る人が継続するのが最も無難なのだろう。まあ当たり前の決定だったのだ。それでもめぎは決まるまでドキドキしちゃったのだけど。
放送の方は、それに引き続き、ここまで約16分間ずっと話を聞いていたゲオルク・ニグルに話が振られる。今度は彼の昔の写真を見ましょう、とのことで、かかった曲は1986年録音、ニグルが14歳の時の声。彼はウィーン少年合唱団に属し、彼の時から名前が公表されることになったそうで、その音源が容易に探せたのだという。めぎもYouTubeで見つけることができた。曲はモーツァルトが12歳の時の「バスティアンとバスティエンヌ」というジングシュピール(歌芝居)。
子どもの頃の彼を見てみたい方は、別の作品だがこちらもどうぞ。なんと日本語の字幕付きだ。ニグルは、歌が好きで子どもの頃遊びながらいつも歌っていたのだが、母親に連れられてウィーン少年合唱団に入ったものの、父親は大反対だったとか。歌ってもいいという許しが出て本当に幸せだったという。このバスティアンを収録した時のことはよく覚えてて、その一週間前に体調不良で休んでいたところに合唱団の指導者がやってきて、来週収録だと告げたのだとか。それで次の日には練習に行って、ちゃんと収録にこぎつけたのだという。去年の年末の「こうもり」の公演時にも体調不良になり、観客にその旨アナウンスで知らせたのだが、そのとき舞台の真ん中に立って、ああ舞台が大好きだ!と思ったそう。その「こうもり」の雰囲気はザルツブルクとは関係ないけどこちらをどうぞ。バイエルン・オペラ座で伝統の演出をやめて、コスキーという演出家が新たに演出したという話題の作。NHKのプレミアムシアターでも4月に放送されたようなので、オンデマンドなどでぜひ。
ここまでで90分のうちの58分が終了。長くなったので、続きはまた。
ラジオ公開生放送 その3 [2024年ザルツブルク]
今日は今年2024年夏のザルツブルク音楽祭のお話を。音楽祭2日目のラジオ公開生放送を見に来ているところ。ここまでの話はこちらとこちら。
90分の放送のうち58分を過ぎたところで、今年の音楽祭のオペラの話に入る。今年は10のオペラが公演され、そのうち5つがコンサート形式。ゲストのバリトン歌手ゲオルク・ニグルがウィーン少年合唱団にいた頃初めて出演したオペラは8歳の時でカルロス・クライバーが指揮をしたカルメンだったとか。その頃はまだ自分はカカーニエン(皮肉めいた言い方で「君主国」という意味)のプリンスで、16歳の時にはオッフェンバッハのオペラに観衆役で出て…というような話をしていたとき、すぐ近くの教会でこの日の夜のコンサートのゲネプロを終えたパトリチア・コパチンスカヤというバイオリニストが会場に入ってきた。間に合えば駆けつけるという話だったびっくりゲストの彼女がやってきたので、その話は中断。
で、パトリチア・コパチンスカヤが拍手で迎えられる中、ヒンターホイザーと抱擁。いいなぁ…私も音楽家になってヒンターホイザーに認められたらどんなに素敵かしら…と夢物語の妄想に浸る。なのでその瞬間は撮っていない。手前の後ろ姿の女性がそのバイオリニスト。その日のコンサートについてはこちら。リンク先の下の方に出てくる写真の赤いドレスの女性。ちょっとしゃべりすぎるきらいがあるけど、とってもエネルギッシュでとっても可愛い。彼女については日本語ではこちら。
彼女が出るこの日の夜のコンサートは、ザルツブルク音楽祭の開催最初の1週間ぐらいに毎晩上演されるOuverture spirituelle(精神的序幕)というシリーズの今年のテーマEt exspecto(そして希望・期待)の一環で、そこからしばらくヒンターホイザーがそのコンサートシリーズについて話す。そのコンサートシリーズの多くはコレーギエン教会で行われるのだが、その場所が音楽の受容や知覚に非常に重要だという。神の領域での敷居がその音楽の受け取り方を変えるのだとか。それを引き継ぎ、パトリチア・コパチンスカヤも、この教会の場所が演奏や言葉や知覚を自由にするという。コレーギエン教会はなにかマジックな場所で、助けてくれるのだとか。うーん、たしかに教会でのコンサートは独特な雰囲気で素敵なのだけど、このお話はちょっとしつこくて、カトリックの教会を借りてコンサートをしている音楽祭の立ち位置と言うか、場所を貸してくれている人への配慮を感じたな…
ゲネプロを終えたばかりで駆けつけて、今晩コンサートだというパトリチア・コパチンスカヤはかなりハイテンション。早口で喋りまくる。ゲネプロは公開で、完璧だったという。お客さんの魂が存在するので普通のゲネプロにはならなくて、で、完璧なゲネプロの後の本番は危ないというからちょっと考え方を変えなきゃ、と話していた。曲はカール・アマデウス・ハルトマンというドイツの作曲家の1939年作曲の「ヴァイオリンと弦楽合奏のための葬送協奏曲」で、滅多に演奏されない非常に暗い、否、明暗の両方がある曲なのだという。彼女は反体制・反戦争のハルトマンについてダッハウ強制収容所の目撃や作品へのユダヤのメロディーの挿入など様々なエピソードを紹介しながら紹介し、「葬送協奏曲」の最初には当時の体制への批判からフス派(フスとは15世紀にカトリック批判をして火刑されたボヘミア人、ボヘミアとは今のチェコ、フス派とはチェコで信仰の自由を求めてずっと運動をつづけた人たち)のコラールが使われているのだが、世界は未だ歴史から学んでいない、と締めくくった。彼女自身の演奏の録音があるので、とそこでちらっと3楽章が紹介された。YouTubeで見つけたので貼り付けておく。凄いなぁ…こんなのをバイオリンで弾くんだ、この可愛い女の子が(彼女の話し方や雰囲気を見たい方はこちらをどうぞ)。と言っても彼女も1977年生まれなのでもう若くはないのだけど、雰囲気はまだ少女のよう。モルダヴィアから両親とともにオーストリアに亡命した彼女はウィーン育ち。17歳からウィーン音楽大学に進み、21歳からはスイスのベルン芸術大学。世界にはこういう道もあったんだなぁ…自分も音楽続けてたら…とちょっと妄想に浸るが、まあ日本で音楽の道に進んだところでザルツブルク音楽祭に招待されて弾けるようにはならなかったはずだし、めぎはめぎの道でめぎなりに努力して今こうしてここでこの話を聞いて楽しめるようになったんだから、素直に良しとしましょ。
この日の夜のコンサートはめぎは行っていない(この放送の後めぎはミュンヘンに移動し、うちのドイツ人と合流、バイエルン・オペラ座に行った)。でも、そのコンサートのラジオ放送は録音してある。エネルギッシュな演奏。希望を持ち続けたいという強い意志を感じる。彼女は8月後半にザルツブルク音楽祭でもう一つコンサートをする予定で、そこではGyörgy Kurtág(クルターグ・ジェルジュ)の作品をソプラノ歌手とともに演奏するという(それについてはこちら)。Kurtágと言えば、ゲオルク・ニグルも秋にウィーンの国立オペラ座で彼のオペラをやるそうで(それはこちら)、ちょうど譜読みを終えたところだという。演出は誰?とパトリチア・コパチンスカヤに聞かれ、うー…と言葉に詰まるゲオルク・ニグル。このオペラFin de Partieはもともとはザルツブルク音楽祭で初演が計画されたが、戯曲の執筆に長い時間を要し、変更されてミラノ・スカラ座となったというもの。2018年11月が初演だから、もし間に合ってザルツブルク音楽祭になってたら見たはずだったのに、残念。ザルツブルク初演だったら、ゲオルク・ニグルが歌うことになっていたそうだ。パトリチア・コパチンスカヤの方は、Kafka-Fragmente op. 24 für Sopran und Violineという曲で、何度弾いても掴めないという。弾きながら、zööööööööööööögern!(ためら~~~~~~~~う!)なのだそう。だから観客の方も事前に何も食べず良く寝てコンサートに集中した方がいいという(笑い)。その一部がパトリチア・コパチンスカヤの演奏で東京で演奏されたビデオがあったので貼り付けておく。4分14秒からのほんの30秒と、9分20秒から最後まで。この曲、ソプラノ歌手との共演なのだが、このビデオでは本人が弾きながら歌っている。
パトリチア・コパチンスカヤは今回のザルツブルクで演出なしで歌うのをとても楽しみにしているという。それを受けてゲオルク・ニグルが言うには、彼も、オペラのように振りやら衣装替えやら頭のどこかでそのことを考えながら歌っているのと、ただ舞台に立ってただ音楽を演奏するのとでは全く違う、息をすることができるのは、本当に素晴らしい時間だ、とのこと。コンサート形式で歌うと、理解が深まるのだとか。
そろそろ終わりが近くなり、最後にかつてヒンターホイザーが感銘を受けたというマーラーの交響曲第2番の4楽章Urlicht(原光、始原の光)がかかった。Janet Bakerという歌手とバーンスタインの演奏だという。美しい歌声と演奏だったので、最後まで聞いてみたくて探してみた。その部分を聞きたい方は、48分35秒から5分ほど。
この歌声の後、司会の女性が、こうして素晴らしいゲストと毎週素晴らしい音楽を聴くことができて、私は世界一素晴らしい職業についているわ、と言い、いや、自分の方がもっといい、とゲオルク・ニグル。こうして90分はあっという間に過ぎ、司会の女性が歌手の二人にコンサートやオペラの成功を祈り、ヒンターホイザーにあと43日間の音楽祭の成功を祈り(この日は全44日間の2日目だったのだ)、来週のゲストは誰々で…と宣伝し、公開ライブ放送は終わった。音楽家たちを間近で見ることができ、肉声を聞くことができてとても楽しかった。それにしても、こうしてここにタダで入れてくれて、写真を撮らせてくれる音楽祭って太っ腹だよなぁ…スマホでビデオ撮っている人もいたし、なんというか、おおらかだなぁ。めぎはそんなザルツブルクが好き。
90分の放送のうち58分を過ぎたところで、今年の音楽祭のオペラの話に入る。今年は10のオペラが公演され、そのうち5つがコンサート形式。ゲストのバリトン歌手ゲオルク・ニグルがウィーン少年合唱団にいた頃初めて出演したオペラは8歳の時でカルロス・クライバーが指揮をしたカルメンだったとか。その頃はまだ自分はカカーニエン(皮肉めいた言い方で「君主国」という意味)のプリンスで、16歳の時にはオッフェンバッハのオペラに観衆役で出て…というような話をしていたとき、すぐ近くの教会でこの日の夜のコンサートのゲネプロを終えたパトリチア・コパチンスカヤというバイオリニストが会場に入ってきた。間に合えば駆けつけるという話だったびっくりゲストの彼女がやってきたので、その話は中断。
で、パトリチア・コパチンスカヤが拍手で迎えられる中、ヒンターホイザーと抱擁。いいなぁ…私も音楽家になってヒンターホイザーに認められたらどんなに素敵かしら…と夢物語の妄想に浸る。なのでその瞬間は撮っていない。手前の後ろ姿の女性がそのバイオリニスト。その日のコンサートについてはこちら。リンク先の下の方に出てくる写真の赤いドレスの女性。ちょっとしゃべりすぎるきらいがあるけど、とってもエネルギッシュでとっても可愛い。彼女については日本語ではこちら。
彼女が出るこの日の夜のコンサートは、ザルツブルク音楽祭の開催最初の1週間ぐらいに毎晩上演されるOuverture spirituelle(精神的序幕)というシリーズの今年のテーマEt exspecto(そして希望・期待)の一環で、そこからしばらくヒンターホイザーがそのコンサートシリーズについて話す。そのコンサートシリーズの多くはコレーギエン教会で行われるのだが、その場所が音楽の受容や知覚に非常に重要だという。神の領域での敷居がその音楽の受け取り方を変えるのだとか。それを引き継ぎ、パトリチア・コパチンスカヤも、この教会の場所が演奏や言葉や知覚を自由にするという。コレーギエン教会はなにかマジックな場所で、助けてくれるのだとか。うーん、たしかに教会でのコンサートは独特な雰囲気で素敵なのだけど、このお話はちょっとしつこくて、カトリックの教会を借りてコンサートをしている音楽祭の立ち位置と言うか、場所を貸してくれている人への配慮を感じたな…
ゲネプロを終えたばかりで駆けつけて、今晩コンサートだというパトリチア・コパチンスカヤはかなりハイテンション。早口で喋りまくる。ゲネプロは公開で、完璧だったという。お客さんの魂が存在するので普通のゲネプロにはならなくて、で、完璧なゲネプロの後の本番は危ないというからちょっと考え方を変えなきゃ、と話していた。曲はカール・アマデウス・ハルトマンというドイツの作曲家の1939年作曲の「ヴァイオリンと弦楽合奏のための葬送協奏曲」で、滅多に演奏されない非常に暗い、否、明暗の両方がある曲なのだという。彼女は反体制・反戦争のハルトマンについてダッハウ強制収容所の目撃や作品へのユダヤのメロディーの挿入など様々なエピソードを紹介しながら紹介し、「葬送協奏曲」の最初には当時の体制への批判からフス派(フスとは15世紀にカトリック批判をして火刑されたボヘミア人、ボヘミアとは今のチェコ、フス派とはチェコで信仰の自由を求めてずっと運動をつづけた人たち)のコラールが使われているのだが、世界は未だ歴史から学んでいない、と締めくくった。彼女自身の演奏の録音があるので、とそこでちらっと3楽章が紹介された。YouTubeで見つけたので貼り付けておく。凄いなぁ…こんなのをバイオリンで弾くんだ、この可愛い女の子が(彼女の話し方や雰囲気を見たい方はこちらをどうぞ)。と言っても彼女も1977年生まれなのでもう若くはないのだけど、雰囲気はまだ少女のよう。モルダヴィアから両親とともにオーストリアに亡命した彼女はウィーン育ち。17歳からウィーン音楽大学に進み、21歳からはスイスのベルン芸術大学。世界にはこういう道もあったんだなぁ…自分も音楽続けてたら…とちょっと妄想に浸るが、まあ日本で音楽の道に進んだところでザルツブルク音楽祭に招待されて弾けるようにはならなかったはずだし、めぎはめぎの道でめぎなりに努力して今こうしてここでこの話を聞いて楽しめるようになったんだから、素直に良しとしましょ。
この日の夜のコンサートはめぎは行っていない(この放送の後めぎはミュンヘンに移動し、うちのドイツ人と合流、バイエルン・オペラ座に行った)。でも、そのコンサートのラジオ放送は録音してある。エネルギッシュな演奏。希望を持ち続けたいという強い意志を感じる。彼女は8月後半にザルツブルク音楽祭でもう一つコンサートをする予定で、そこではGyörgy Kurtág(クルターグ・ジェルジュ)の作品をソプラノ歌手とともに演奏するという(それについてはこちら)。Kurtágと言えば、ゲオルク・ニグルも秋にウィーンの国立オペラ座で彼のオペラをやるそうで(それはこちら)、ちょうど譜読みを終えたところだという。演出は誰?とパトリチア・コパチンスカヤに聞かれ、うー…と言葉に詰まるゲオルク・ニグル。このオペラFin de Partieはもともとはザルツブルク音楽祭で初演が計画されたが、戯曲の執筆に長い時間を要し、変更されてミラノ・スカラ座となったというもの。2018年11月が初演だから、もし間に合ってザルツブルク音楽祭になってたら見たはずだったのに、残念。ザルツブルク初演だったら、ゲオルク・ニグルが歌うことになっていたそうだ。パトリチア・コパチンスカヤの方は、Kafka-Fragmente op. 24 für Sopran und Violineという曲で、何度弾いても掴めないという。弾きながら、zööööööööööööögern!(ためら~~~~~~~~う!)なのだそう。だから観客の方も事前に何も食べず良く寝てコンサートに集中した方がいいという(笑い)。その一部がパトリチア・コパチンスカヤの演奏で東京で演奏されたビデオがあったので貼り付けておく。4分14秒からのほんの30秒と、9分20秒から最後まで。この曲、ソプラノ歌手との共演なのだが、このビデオでは本人が弾きながら歌っている。
パトリチア・コパチンスカヤは今回のザルツブルクで演出なしで歌うのをとても楽しみにしているという。それを受けてゲオルク・ニグルが言うには、彼も、オペラのように振りやら衣装替えやら頭のどこかでそのことを考えながら歌っているのと、ただ舞台に立ってただ音楽を演奏するのとでは全く違う、息をすることができるのは、本当に素晴らしい時間だ、とのこと。コンサート形式で歌うと、理解が深まるのだとか。
そろそろ終わりが近くなり、最後にかつてヒンターホイザーが感銘を受けたというマーラーの交響曲第2番の4楽章Urlicht(原光、始原の光)がかかった。Janet Bakerという歌手とバーンスタインの演奏だという。美しい歌声と演奏だったので、最後まで聞いてみたくて探してみた。その部分を聞きたい方は、48分35秒から5分ほど。
この歌声の後、司会の女性が、こうして素晴らしいゲストと毎週素晴らしい音楽を聴くことができて、私は世界一素晴らしい職業についているわ、と言い、いや、自分の方がもっといい、とゲオルク・ニグル。こうして90分はあっという間に過ぎ、司会の女性が歌手の二人にコンサートやオペラの成功を祈り、ヒンターホイザーにあと43日間の音楽祭の成功を祈り(この日は全44日間の2日目だったのだ)、来週のゲストは誰々で…と宣伝し、公開ライブ放送は終わった。音楽家たちを間近で見ることができ、肉声を聞くことができてとても楽しかった。それにしても、こうしてここにタダで入れてくれて、写真を撮らせてくれる音楽祭って太っ腹だよなぁ…スマホでビデオ撮っている人もいたし、なんというか、おおらかだなぁ。めぎはそんなザルツブルクが好き。
ザルツブルクからミュンヘンへ [2024年ザルツブルク]
今日は今年2024年夏のお話を。
ザルツブルク音楽祭の総監督と出演するバリトン歌手とバイオリニストを招いたラジオトーク番組の公開生放送をライブで堪能しためぎは、その後カフェへ。カフェ・モーツァルトというところで一息入れる。これは隣のテーブルの人がザルツブルガー・ノッケルンというスフレのようなのを注文したので、頼んで写させてもらった。この3つの三角形が、ザルツブルクの山々を表している。
めぎはここで軽食を。これはグーラッシュスープ。
暑かったし喉が渇いていたので、コーヒーだけでなく水も注文。
それからめぎは電車でミュンヘンへ。ザルツブルクとミュンヘンの間は普通電車で1時間半の距離で、外国だけどドイツ・チケットも有効なのだが、行きにそのドイツ・チケットで普通電車に乗ったら満員の上にクーラーもなくものすごく辛かったので、帰りはIC(イメージとしては新幹線のこだまのような感じ)の1等を予約した。なぜ1等にしたかと言えば、2等だと混んでて凄いことになるのが予想されたので。案の定、2等は満員すし詰めで、チケットを持ってない家族連れとかが1等にも入ってきて座ってて予約した客に追い出されたりするのが続出で、めぎもとにかく席を確保できててよかった…
うちのドイツ人到着に間に合うようにミュンヘンに着いたのだが、これまた案の定遅延してて、1時間ぐらい待つことになった。
で、1等を取っておいてさらに良かったのは、ミュンヘン駅でうちのドイツ人を待つ間、ラウンジに座っていられたこと。到着駅でもラウンジが使えるか否か予め確認して1等に決めたのだが、本当に有り難く使わせてもらった。もちろんチケット代は2等より高いけど、それにラウンジだと言ってもたいしたものがあるわけじゃないけど、静かでクーラーが効いてて快適度が全然違う。うちのドイツ人の荷物もめぎが全部持ってきて移動しているわけで大変だったのだから、こういうところでお金使わないとね。
こうして下界を眺めながら待機。
そしてやっと到着したうちのドイツ人をピックアップし、タクシーでホテルへ。1年以上ぶりに旅行をしたうちのドイツ人は、目に入るものが何でも珍しく感じていた様子。こんなホテルのどうってことのない街並みも嬉しそうに見下ろしていた。
そして既に書いたようにビールで乾杯。
ミュンヘンに来たのはあるオペラを見るため。次回はその話を書こうと思う。
ザルツブルク音楽祭の総監督と出演するバリトン歌手とバイオリニストを招いたラジオトーク番組の公開生放送をライブで堪能しためぎは、その後カフェへ。カフェ・モーツァルトというところで一息入れる。これは隣のテーブルの人がザルツブルガー・ノッケルンというスフレのようなのを注文したので、頼んで写させてもらった。この3つの三角形が、ザルツブルクの山々を表している。
めぎはここで軽食を。これはグーラッシュスープ。
暑かったし喉が渇いていたので、コーヒーだけでなく水も注文。
それからめぎは電車でミュンヘンへ。ザルツブルクとミュンヘンの間は普通電車で1時間半の距離で、外国だけどドイツ・チケットも有効なのだが、行きにそのドイツ・チケットで普通電車に乗ったら満員の上にクーラーもなくものすごく辛かったので、帰りはIC(イメージとしては新幹線のこだまのような感じ)の1等を予約した。なぜ1等にしたかと言えば、2等だと混んでて凄いことになるのが予想されたので。案の定、2等は満員すし詰めで、チケットを持ってない家族連れとかが1等にも入ってきて座ってて予約した客に追い出されたりするのが続出で、めぎもとにかく席を確保できててよかった…
うちのドイツ人到着に間に合うようにミュンヘンに着いたのだが、これまた案の定遅延してて、1時間ぐらい待つことになった。
で、1等を取っておいてさらに良かったのは、ミュンヘン駅でうちのドイツ人を待つ間、ラウンジに座っていられたこと。到着駅でもラウンジが使えるか否か予め確認して1等に決めたのだが、本当に有り難く使わせてもらった。もちろんチケット代は2等より高いけど、それにラウンジだと言ってもたいしたものがあるわけじゃないけど、静かでクーラーが効いてて快適度が全然違う。うちのドイツ人の荷物もめぎが全部持ってきて移動しているわけで大変だったのだから、こういうところでお金使わないとね。
こうして下界を眺めながら待機。
そしてやっと到着したうちのドイツ人をピックアップし、タクシーでホテルへ。1年以上ぶりに旅行をしたうちのドイツ人は、目に入るものが何でも珍しく感じていた様子。こんなホテルのどうってことのない街並みも嬉しそうに見下ろしていた。
そして既に書いたようにビールで乾杯。
ミュンヘンに来たのはあるオペラを見るため。次回はその話を書こうと思う。