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2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭 ブログトップ

日本からの来客とザルツブルクへ! [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日からぼちぼち先日の来客とのザルツブルクでのお話を。

来客というのはめぎの小学校3~4年生の時の担任の先生とその奥様。去年(2023年)7月初めに札幌で一泊訪問した恩師である(その話はこちらから数回にかけて書いている)。ぜひザルツブルク音楽祭へご一緒に、という話に本当に乗ってくださり、半年前にチケットを予約し、奥様は99歳のご両親の介護の都合をつけて来てくださった。まずデュッセルドルフにおいでになり、めぎ家へ2回夕食にご招待し、めぎの授業も1つ見ていただき(今回は人に見せることも全く前提にせず何も特別な準備をしていない授業で分かってはいたのだが、いっぱいアドバイスを頂いた。ドイツの場合、研究授業という制度もなければ親御さんの授業参観もなく、もうこの歳になると誰かに授業を批評していただく機会もないので、とても参考になった)、3泊ほど過ごした後で一緒にザルツブルクへ。
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到着日は曇り時々雨だった。
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ザルツブルク空港は、こんな風に降りて徒歩で空港の建物へ行く小さな空港。
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写していないが、空港から市街地までのバスの中から虹が見えた。せっかくここまで来たのに雨でお気の毒と思っていたが、虹に迎えられたような気がした、という奥様の言葉が印象に残った。

飛行機は2時間遅れだったし、先生方のホテルのチェックインとめぎのアパルトメントへのチェックインに時間を要し、乾杯できたのは夜8時を過ぎていた。
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食べる前に写真を撮るのを忘れてこんな状況だが、3人で別々の料理を頼み、お皿ももらってみんなで分けて食べた。めぎはツヴィーベルブラーテンという豚の首筋部分の肉を焼いて玉ねぎを炒めたのをのせた料理(付け合わせはインゲンとパスタ)、左奥の先生はフィアカーグーラッシュという牛肉のグーラッシュ(白く丸いのはパンで作ったクヌーデル団子)、右奥の奥様はウィーン風仔牛のシュニッツェル(黄色っぽいのはレモン、小さいガラスの器に入った赤いのはクランベリー)。この写真はスマホでフラッシュを使って撮ったもの。フラッシュは好きではないがとても暗かったので。
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先生方にとってはヨーロッパ滞在4日目で、時差もあるのにとてもお元気で、話もあれこれ弾み、みんなで美味しく全部頂いた。最後にデザートのザルツブルガーノッケルン(ザルツブルクの山々をイメージした形のスフレのようなもの)も3人で完食。赤いのはラズベリーソース。これはフラッシュ無しで撮ったが、やっぱり色がよくわからないわね。
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この日まではめぎが小学生の時やその後の日本にいた時代の思い出話が多かった。それ以外の話題としては、うちのドイツ人のことやうちでお出しした料理のことぐらいかな。それに対し、この次の日から音楽祭を訪問し、一公演終えるごとに新たな話題が付け加わっていった。恩師と会うというのは普通、昔を懐かしむため、または昔の疑問点を解決するために会うのだと思うが、今回のこの旅行を通じ、新たな関係を結び、新たな考えに触れ、新たな思い出が増えていったというのが非常に面白い経験だったように思う。めぎは恩師を「ああ昔と同じだ~懐かしいな!」と感じながらお話していたが、それと同時に、初めて会った人のように「そうか、先生ってこういう風に考えるこういう人だったんだ」と新しく知った点が大いにあった。その反対も恐らく然りだろう。子どもだった以前と違ってめぎもたくさんの経験を積んでかつての恩師の約倍も歳を取っているわけだし、いい大人同士で一週間もこんなに密に過ごしたのだから、当然のことだろう。うまく描けるかどうかわからないが、これから一緒に見た音楽祭の内容に触れながら、先生との触れ合いのことを書いて行こうと思う。
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2日目の朝 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルク2日目のお話を。

小学校時代の恩師ご夫妻をお招きしてのザルツブルク。泊まっているのは、めぎはいつものアパルトメントで、恩師ご夫妻はホテル。朝はゆっくり朝食を召し上がるとのことで、めぎもこの日の朝はその前日までのバタバタの疲れを取って音楽祭に備えるためにゆっくりするはずが、朝5時半過ぎ、ゴミ収集車の音で目が覚めた。
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その後ろを清掃車も追いかけていく。
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やっと静かになったかな…もう車が一台止まっている。この通りは歩行者天国だが、朝の11時まではこの通りで仕事をしている人や搬入などの車が入れることになっている。
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いつも泊まっていた部屋はこの通り側ではなく反対側に面した部屋なのだが、今回はこの部屋を提供された。ちょうどこの春改装したところで、新しい部屋をめぎに見せたかったのかもしれない。オーナーは別荘に行ってて留守だったのだが、電話で「部屋はどう?気に入った?」と聞かれた。とってもきれいな仕上がりで快適だったが、最も気に入ったのは、この通りをそれほど上階からではなく、でもそこそこ上から眺められることかな。もっと上階の部屋にも泊まったことがあるが、こうやって窓から撮るには、このぐらいの高さの方が人の雰囲気も分かりやすくていいように思う。ただ、どうも斜めになっちゃって。写すとき、一応グリッド線を表示させてまっすぐにしたはずなのだが、斜めから見てやっているからよく見えなくて。

また大きな音がすると思ったら、今度は通りのゴミ箱のゴミ収集の車だった。
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そして6時20分頃には搬入の車もやってきた。
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そろそろ人通りも。
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で、めぎも出かけることにした。このとき7時13分。
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恩師のホテルのフロントの人、朝食は7時からって言ってたな…今頃恩師ご夫妻は美味しい朝食を食べ始めているのかな。ちなみにそのホテルの朝食は一人34.8ユーロもする。宿泊客がチェックイン時に滞在中毎朝食べる予約をすると割引されて27ユーロぐらいになると言ってたが、とにかく、今の為替レートで言えば約5千円もする朝食だということ。先生方は5泊するので、朝食だけで二人で5万円。普通の相場は13~15ユーロぐらいではないかと思うが、お泊りのホテルはそこそこの老舗だからまあそんなところかな。後で伺ったら、そのお値段を出すだけのことがある素晴らしい朝食だったとのことで、普通の相場のよりずっと品数やサービスが違うようだった。景色も抜群だったようだし。めぎはアパルトメントなので、そして前の晩は買い物に行ける時間帯に到着できなかったので冷蔵庫にはまだ何もなく、宿に備え付きのエスプレッソコーヒーと紅茶を飲んだだけだ。だからまずは買い出しに行かねば。後回しにすると音楽祭で行けなくなっちゃう。

というわけで、まずはスーパーの方角へ。
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つづく。
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ザルツァハ河を見る [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクのお話を。

めぎの泊まっているアパルトメントから2分ほど歩いて、スーパーのある川沿いの通りまでやってきた。ここにはバス停もある。
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この通りを渡るとすぐザルツァハ河。
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今いるところはここ。めぎのアパルトメントはこの川の下側、Sternbräuと書かれているところのすぐ下あたり。



今年も鍵の影を試行錯誤。
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橋の上から見えるザルツブルク旧市街。もうちょっと川の向こう側の方まで渡ると、川沿いの建物と奥の山の上の要塞との間の教会の塔なども見えるようになり、町の高低の重なりがもっと美しく撮れるのだが。時間がなかったわけではないので、あともうちょっと橋を渡ればよかったな。でもこのときちょっと気が急いていて、あともうちょっとを端折ってここで撮影してお茶を濁してしまった。
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ヨーロッパの大河はたいてい濁っている。それは、公害で汚いのではなく、川の長さによる成分の違い。この直前にかなり雨が降ったので、この日はかなり泥が混ざっていた。

川向こうには堂々たるホテル・ザッハー。一泊500ユーロ以上(部屋料金なので、1人でも2人でも一室500ユーロ)。朝食は一人55ユーロ。
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川沿いを歩いて次の橋を渡り切ったところ(左奥の山のふもと)まで行くと、めぎの小学校時代の恩師ご夫妻が泊まっているホテル・シュタインがある。ここは一泊一室200ユーロ以上から。音楽祭の時期は300ユーロ以上。朝食は先日も書いた通り一人35ユーロぐらい。
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どちらのホテルも町の見える側の部屋は結構な料金となる。ザッハーが一泊1000ユーロ、シュタインが500ユーロ以上という感じかな。シュタインの朝食会場は屋上で、眺めが素晴らしかったそうだ。一回ぐらいは朝食会場に訪ねていって一緒にその絶景を眺めながら朝ご飯を食べようかなと当初は思ったりもしていたが、毎晩夜中までおしゃべりが弾み、朝は別行動とした。めぎのアパルトメントはベッドルームが2部屋あったので、同じ部屋に一緒に泊まるという案も計画時にはあったのだが、めぎの宿の方が音楽祭会場に圧倒的に近いし夜もおしゃべりの後すぐに部屋で眠れるという大いなるメリットがあるものの、恩師ご夫妻にはきっとめぎと離れて水入らずで過ごす時間も大切だったのではと思うし、朝にそれぞれがゆっくり好きなように過ごせるというこのつかず離れずの距離感が非常によかったように思う。

この日の朝7時半ごろはちょうど天気がよく、こうして眺めや影が楽しめてよかった。今のうちに写しておかないと、天気もどうなるか分からないし、たぶん忙しくてもうこっちには来られないだろうから。この限られた時間に素晴らしいお天気になって、ザルツブルクの神様ありがとうと言う気分。いや、あの清掃車などの騒音、つまり早くから働いている人たちがめぎを起こしてくれてありがとうと言うべきかな。
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さて、まだ7時台だけど、この日は土曜日でこのあと2日間祝日になってしまうので、色々買っておかないと食べるものがないということになる。音楽祭の期間中はレストランに行く時間もないほど公演でいっぱいだから昼と夜はアパルトメントに食料を揃えて恩師夫妻をお招きして一緒に食べるつもりだったし、ザルツブルクのスーパーは日曜日と祝日もお昼頃数時間だけ開くが、その時間帯は音楽祭に行っていてたぶん買う時間がないかも。で、めぎはこれで切り上げてスーパーに寄り、まずはワインや水などを買ってアパルトメントに戻った。
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スーパーの場所はこちら。

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市場で買い物 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。小学校の恩師ご夫妻とザルツブルク入りした日の次の朝のこと。

前日の夜に一緒に夕食を頂いたレストランはこの奥。このときは、光と影の差が激しくて面白いなあとパチリ。全然伝わらないけど。
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場所はこちら。



この辺りにはビアガーデンもあり、滞在期間中何度かここに座って美味しい生ビールを楽しめてよかった。
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そこから地図上の下の方へ抜ける。
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そこにはワインバーがあるのだが、前の晩のワイングラスがポツンと置かれてた。
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めぎが泊まっているアパルトメントはこの右の黄色いアイス屋さんの上。
アイス屋さんはまだ開いていない。奥で仕込みはもう始まってたけど。
このアイス屋さん、工場からの仕入れではなく仕込みから自分で作っているのでとっても美味しい。
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場所はこちら。



スーパーで買ってきた飲み物を部屋に置き、次の買い物へ。今度は地図上のもっと下の方、大学広場の土曜日の市場へ行く。ここは日曜日以外毎日なんらかの店が出ているのだが、一週間に一度土曜日にだけ、とても大きな市場が開かれるのだ。地元の人が生鮮食料品を買いにたくさんやって来る市場で、土曜日は朝6時からやっている。これから3日間の朝昼晩の食事をここで買い込んでおかなければ。昼と夜は先生方の分も用意しておくつもりだったし、いつ何を食べるかも考えながら相応の分を購入する必要が。時間が経てばたつほど人でいっぱいになるので早く行こうと思いつつ朝8時半になってから出向いたのだが、人出はまだそれほどではない。
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だから、ほとんど並ばずにゆっくりとあれこれ訪ねてほしいものをゲット。ここではオーストリアの生ハムや焼き豚、ソーセージなどを購入。
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聖霊降臨祭のバラ(=芍薬)を買ったのもここ。
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場所はこちら。



その他、野菜やお総菜なども買いこんだ。この日の恩師夫妻との約束の時間は10時。めぎもその前に朝食をとっておかなきゃ…
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そう思ってバタバタと食料を買い込み、買い物を終えてすぐに宿に戻る。このとき9時15分頃。
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サクッと影を撮影して朝は終了。
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この朝、ホント気持ち良かったな…しばらくぶりの遠出と休暇でめぎの心もこの日の青空のように澄み渡っていた。勝手知ったる場所なので新しい発見はないが、非日常の場所でもあるため仕事のことをすっかり忘れられたし、うちのドイツ人が元気で留守番できて安心だったし、時間的には忙しかったけどものすごく久しぶりにのびのびとした気分だった。
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恩師夫妻と一回目の散歩 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクのお話を。

恩師夫妻をお招きしてのザルツブルク。到着が午後遅くてホテルのチェックインの後は夕食で終わり、そもそも雨だったのでどこにもご案内できなかった。2日目は3つコンサートがあるので朝は少しゆっくりし、10時に待ち合わせ。まず最初にお連れしたのが、今回の旅のメインの目的である音楽祭の会場。
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その後、その近くの市場へ。今回の恩師の訪問で最も残念だったのは日程上の都合でめぎがいつも買い物している金曜日のマルクト市場がお見せできなかったことで、その代わりと言っては何だが、ザルツブルクの土曜日のマルクト市場にお連れしたのだ。下の写真の右三角形は数種類のネギなのだが、どれも日本で売られているネギとは雰囲気が全く異なり(緑の部分が圧倒的に多く、万能ねぎより太く、下の部分が玉ねぎみたいにちょっと丸いのや、赤いのもある)、これだけでも物珍しい。
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恩師には見慣れない野菜も。これは3つともアーティチョークだが、これをどうやって料理するのかと聞かれる。これ、デュッセルドルフでお出しする候補にしていたのだが、いつも買うお店でたまたまあまりいいのが売られてなかったので諦めたもの。ここのは良さそうだけど、今度は料理する暇もないし、食べるためのソースも作れない…残念。
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ルバーブもお見せできたし、野菜の売られ方もお見せできたし、お連れできてよかった。
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イチゴが美味しそうだったな…これも買って一緒に食べればよかったかな。
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恩師は現在自分で畑もやっているので、こういう苗にもとっても大きな関心が。こんなトマトの苗は見たことがないなあとか、種はないのかとか、見る人によって同じ市場でも見えてくるものや聞きたいことが違ってて面白い。
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その苗の屋台があるのは音楽祭の会場の反対側の端っこ。大学広場をぐるりと回ってきたのだ。さっきはあちらからこちらを眺めていたのね、と少し地理を理解していただく。
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場所はこちら。Großes FestspielhausがあるHofstallgasseという通りの少し上にUniversitätsplatzと言う通りがある。めぎたちはHofstallgasseの左端の信号のところから上へ、左へ、下へといびつな四角形を描くようにぐるりと回ってTriangelという名のレストランの辺りまでやってきたのだ。



市場でほんの少し買い物をし(もう多くはめぎが朝のうちに買い物を済ませておいたので、経験程度に)、それからその荷物を置きに一度めぎのアパルトメントに来ていただいた。そこでちょっと一休みし、この日の予定の詰めの話し合いをした。例えば、今回の散歩でホテルからめぎのアパルトメントまで、そしてそこから会場までの距離感も分かったので、音楽祭に行くときの服や靴、バッグなどをめぎのアパルトメントに持ってきて置いておいてその都度着替えて行くことに。そうすると慣れない靴を履いて歩く距離が大幅に削減できるし、暑さ寒さ雨などにも簡単に対応できるからだ。もう前々からメールでそう提案していたのだが、先生方はそういう詰めのことは到着してからその場で決めたいというお返事だった。めぎが歩いて2分程度などと書いても実際来てみないと距離感がつかめなかったし、本当にそうしてよいものか(迷惑ではないかとか)、判断がつかなかったらしい。かつての教え子、それも小学生であっためぎが考えた通りに従うというのは、恩師にとっては非常に大きな立場の変換でもあり、不慣れな場所で自分の意志で全部を決められないことの難しさも多少はあったかもしれない。途中から先生は、今ここではめぎさんが先生、と何度か口にしていたが、それはたぶんその事の現れかなと思う。先生ご夫妻がオープンで何でも吸収しようという意欲に満ちている方々でとても助かった。めぎはお勧めしないことに関してはキッパリそう言うので、それも日本的にはあまりない感じで(先生に対する生徒の物言いとしても、お客様に対するおもてなしとしても)、良く言えば非常に新鮮、悪く言えば自由が利かないと感じた可能性もあるのだが、説得力があるとおっしゃって受け入れてくださった。このとき、いつどの程度の量の食事をめぎの部屋で一緒に食べるか、いつホテルに戻って休憩をとるかなども決めたのだが、先生方にとってもめぎにとっても時々休憩を入れながら、つまり自分の時間やペースを適度に持ちながら、一緒に楽しく過ごせるいい塩梅をうまく見つけようとしていたように思う。
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この日の話、まだまだ続く。
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大聖堂のオルガンコンサート [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。

ザルツブルク2日目のお昼近くなり、旧市街をちょっと案内しながらこの日最初のコンサート会場に向かう。ここは大聖堂前広場。夏は野外劇イェーダーマンの会場となっててこの広場が舞台と座席で埋め尽くされるため、こういう景色を見られるのは夏じゃないから。
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そして大聖堂の中へ。
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ザルツブルクは大司教の治めた街。そう書くと、フーンで終わってしまうことが多いが、ものすごくたくさんの情報がこの短い文章に含まれている。まず、ザルツブルクとは大司教のいた街なのだ。大司教と言うのはローマ法王に次ぐ2番目に偉い人たちのことで、その辺の教会の司祭や牧師とはレベルが違う。大司教がいた街というのは、ヨーロッパ内でもそんなに数は多くないのだ。ザルツブルクがかつてそれほど栄えて重要な街だったかということが分かる。次に、大司教がいたということはカトリックの町だということ。同じヨーロッパでもプロテスタントの町とはものの考え方や街の景観が全く異なる。それから、ザルツブルクは大司教が「治めた」街であること。貴族の王様ではなく、カトリックの大司教が君主だった街なのだ。
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この建物は普通の教会ではなく「大聖堂」である。大聖堂と言うのは訳によっては大寺院とか、ドイツ語ではドーム(円蓋)とかミュンスター(司教座大聖堂)とかカテドラル(司教座)などと言い、イタリア語だとドゥオモなどと言う。それは大きな教会・大きな聖堂という意味ではなく、大司教がいるところと言う意味で、この近辺の全ての教会の上に立つ機関。カトリックの権力と威信をかけて贅をつくした建物なのだ。
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そう言えばそういうことはめぎにはもう当然のこと過ぎてうっかりし、恩師夫妻に説明するのを忘れてしまったな…ここがいかにカトリックの町だったのか、最初にお話しないとザルツブルクという町そのものを全く伝えられない。モーツァルトだって、その大司教と上手くいかなくてザルツブルクを出たんだし。
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この大聖堂にはパイプオルガンが7つあり、モーツァルトが弾いたというオルガンもある。これのようだ。
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このオルガンコンサートはザルツブルク音楽祭とは全く関係なく、この前日遅延の飛行機を待っているときにスマホで検索して昼に30分のコンサートがあるのを見つけ、パイプオルガンの音を聞いてみませんか、と恩師夫妻に紹介し、ぜひということでネットでチケットを取ったもの。当日は祭壇のところに座っている女性(見えにくい)が演奏の合間合間にドイツ語と英語で曲目の紹介をした。バッハ以前の曲から新しいものへと順々に4曲程度。バッハってプロテスタントだったからこのカトリックの教会に全然合わないのだけど、まあ今はカトリックの教会でもバッハの作曲した作品を演奏する時代だからね。それはそうと、司会の女性はモーツァルトの名前を常に、ヴォルフガング・アマデー・モーツァルト、と言っていた。日本で訳されているアマデウスではなく、アマデーというのがザルツブルク風。というのも、モーツァルト自身、彼の手紙で常にアマデーと署名していたのだ。
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コンサートを30分聞き、バッハって偉大だったんだね~と音楽の歴史も分かり、如何にパイプオルガンが天井から地割れがするが如く鳴り響きどれほど威圧的なのかも体験し、先生は大満足。日本にもコンサートホールにパイプオルガンがあるところもあるようだが、音が全然違ったという。そうね、音響を考えたホールの響きと、庶民に神様の圧倒的な力を教えるためにあった教会のパイプオルガンとでは、求める効果が全然違うものね。ちょっと日程的に詰まり過ぎたかとも思ったが、このコンサートをお勧めしてよかったな。
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このあとは15時から音楽祭のコンサート。大聖堂のコンサートが終わったのは12時半過ぎであまり時間は無かったが、それぞれ一度自分の宿に戻り短いながらも一服し、身なりも整えてまた14時半に集合することとし、いったん解散した。
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1公演目:お昼のコンサート [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のお話を。

めぎと小学校時代の恩師夫妻が訪ねたザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭の1公演目は、モーツァルトの交響曲とピアノ協奏曲のコンサート。15時からのコンサートで、14時半に待ち合わせをし、会場入り。
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会場の前で一緒に写真を撮ったのだが、その後先生は一緒におしゃべりなどはせずサクッと自分の席の方へ行きたがり、中に入ったところですぐに別行動に。先生の希望で席も先生方とめぎは別の場所を予約しており、先生方は上階へ、めぎは土間席。ちょっと早めに来たのでめぎは暇になり、ロビーの人々を撮ったりプログラムを購入して読んだりして過ごした。音楽祭の当日プログラムは有料。公演によるが、今回はだいたい7~9ユーロだった。プログラムの買い方や場所などもお伝えしたかったのに、先生はもう行っちゃったな…
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このコンサートの会場は大祝祭劇場で、めぎの席は土間席の一番後ろ。
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コンサートの内容についてはこちら。簡単に言うと、指揮はパーヴォ・ヤルヴィというエストニア出身のアメリカ人で、オーケストラはブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団。一曲目は交響曲31番「パリ」。長年の共演によるものと思われる非常に息の合った演奏をしていたが、めぎ的にはかなりロマン派的弾き方でメリハリも足りない感じ。二曲目はピアノ協奏曲25番で、ピアノはダニール・トリフォノフ。彼の演奏を聴くのは去年の夏の音楽祭でおとさんと一緒にリサイタルを聞きに行ったのに続く2回目だが、もちろんものすごく上手い。ただ、やっぱり弾き方はロマン派だし(そもそもピアノがベーゼンドルファーだし)、立ち居振る舞いがどうも好きになれなかった。前半の終わりに彼のソロのアンコールがあって、モーツァルトのソナタ12番の2楽章を弾いたのだが、それには好感が持てた。今回のザルツブルク音楽祭はモーツァルトがテーマとなっていたので、そこでショパンとかを弾かれて雰囲気が全く変わるような事態を避けられたから。
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それから幕間のお休みに入ったのだが、先生には休み時間には会わないときっぱり言われたので、めぎは一人で外に出たりパンフレットの続きを読んだりして過ごした。
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そして後半は交響曲41番「ジュピター」。これも、もちろんとても上手い。指揮者とオーケストラがとても信頼し合ってて、一糸乱れぬ呼吸のあった演奏をしている。ただ、やっぱりロマン派だ。モーツァルトは古典派時代の作曲家なのだから弾き方はそうじゃないという解釈と、一昔前まで主流だった壮大なロマン派的演奏の解釈とがあるが、めぎはアーノンクールやクルレンツィスの演奏に傾倒しているので、このロマン派的演奏はものすごく時代遅れに感じてしまう。古い演奏法がずっと新しく聞こえるというのが、このモーツァルトの演奏のおもしろいところ。
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ちなみにオーケストラは違うがパーヴォ・ヤルヴィのモーツァルト41番の演奏例はこちら。とってもエレガント。



余談になってしまうがアーノンクールの演奏例。オーケストラの楽器が全く違う。モーツァルトの時代の響きである。フルートなどちゃんと木管楽器だ。これを聞くと、モーツァルトってエレガントな音楽と言うイメージが実は間違いだったのではと思わされる。このテンポはちょっと遅過ぎと思うが。



最後のアンコール。それはシベリウスの「悲しきワルツ」。あああああ…せっかくのモーツァルト気分が台無しに。ただ、ハッキリ言えるのは、この指揮者の演奏、このシベリウスが最も素晴らしかった。ああこの人、これが得意なのね、やっぱりこういうのがいいのよね、と言うのがよく分かった。別のオーケストラだがこの指揮者のその曲を見つけたのでリンクを張っておく。



モーツァルトではなくシベリウスの演奏会だったら、印象はまるで違って絶賛ものだったんじゃないかな。もちろん、こういう演奏のモーツァルトが好きな人もまだまだたくさんいるのだろうけど。そして、モーツァルトがその時代に生きていたら必ずこの編成でこの楽器を使ってこういう風に作ってこう演奏したのだろうから、という考えに基づくロマン派的演奏法という立場に立てば、このコンサート、最初から最後までレベル高く、本当に素晴らしかった。ただ、めぎがこの演奏法が好きじゃないというだけだ。

コンサート終了後、無事に恩師夫妻と合流し、ビアガーデンで一杯。先生方はザルツブルク音楽祭のレベルの晴らしい演奏を聴いて大満足。生ビールも美味しくて、大満足。
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↑ところで、この生ビールの「生」の意味を皆さんご存じだろうか。生ビールって下手すると、グラスに自分で注ぐ形の瓶ビールに対し尾坂屋などで大きなジョッキに入ってくるもの、と言うイメージしか無かったりするが、本来は熱処理していないビールと言う意味。缶や瓶でも熱処理していないのがあるが、樽に入った生のビールから直接注いだビールが最もフレッシュで美味しい。ここには樽が早朝に運ばれてきているのだが、このすぐ近くで作られているのでせいぜい前日に生産されたばかり。本当にできたて生なので、生だとしても一か月以上前に作られたかもしれない缶や瓶を買うのとは新鮮さが全く異なる。美味しいビールを買いたいのだけどどこでどれを買えばいいのかと恩師に聞かれたのだが、めぎは「ここではビールは買ってホテルの部屋で飲むものではなく、外で生ビールとして飲むべきです」とキッパリ拒絶した。それはかなりキッパリしすぎていたようで、その後何度かその点について口にされた。この生ビールがあまりにも美味しくて、説得力があるので異論を唱えられなかったそうだ。でもホント、ドイツでもこのザルツブルクでも生ビールって半端じゃなくおいしいので、めぎはもう缶ビールとか瓶ビールとかは飲まない。外で樽の生ビールを飲める場合にしかビールは飲まないことにしている。それは、日本でお刺身の鮮度にこだわるのと同じようなものだろうと思う。その差をあまり重視しない人にとってはただ生であればいいのだが、美味しさに拘るのなら断然外で、できれば醸造所で作りたての生を飲むのが一番である。そういう意味で、ドイツやここザルツブルクは小さな醸造所がほぼその場で生ビールを提供していて、ビール好きにとっては環境的に恵まれているなあと感じる。
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2公演目:夜のオペラ [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のお話を。

小学校時代の恩師夫妻と訪れた音楽祭でめぎたちが見た2公演目は、オペラ。オペラは20時からなのでその前にゆっくり夕食を楽しむ時間はないし(ザルツブルクでレストランにでも行くと2時間以上かけてゆっくり楽しみましょうという風になるので)、終わると22時なのでレストランで食べるには遅すぎる。で、行く前にちょっと腹ごしらえしましょうとめぎが提案し、19時頃めぎの宿に来ていただいて、昼前に市場で買っておいた揚げた鶏肉とポテトサラダでササッと夕食に。サラダ菜とトマトも市場の八百屋スタンドで買ったもの。この鶏肉、揚げ物なのに凄くカラッとサラッとしてて、一人一つペロッと平らげた。
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それからオペラ用にちょっとお洒落に着替えてまた会場へ。めぎは「オペラ用には日本で結婚式に出るときに着るような服装を用意してください」と伝えてたのだが、本当にこんな格好で行くの?とちょっとご夫妻は半信半疑だった。でもめぎは、音楽祭と言うのは祝祭なので、祝宴に出るときの服装を想定してふさわしい格好をすることで本当に参加できる、靴までしっかり履き替えることで、旅行者として観察するのではなく本当に音楽祭に参加できる、と強くお勧めしたのだった。会場前に来るとやっぱり昼と違ってドレスやスパンコールキラキラが多かった。場所は1公演目と同じ会場。会場前で3人で再び記念撮影し、ササッと中に入り、恩師夫妻はまた例の如くササッとめぎと別れて自分の席へ。で、めぎはまた暇なので中で人々の様子をパチリ。皆さん楽しそう。
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ここで気がついたのだが、めぎの席は昼と同じ場所。隣も同じ人。めぎはセット券を買ったのだが、ここはみんなセット券で買った人たちのようで、この後ずっとほぼ同じメンバーで3日間並んで鑑賞。オーストリア人もいればアメリカ人もいたし、チェコ人も。みんなこの音楽祭を楽しみにセット券を買った人たちで、凄く親近感。前の席の人たちは毎回別の人たちだったけど。ちなみにここでもみんな、昼とはちゃんと服装が違った。
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さて、この日のオペラはモーツァルトのダ・ポンテのオペラのガラコンサート。と言ってもよくあるガラではなく、ダ・ポンテのオペラ3作品+αの様々な曲とシーンをうまく組み合わせて架空のダ・ポンテ空港を舞台に色々な事件が起こる筋書きを作ってあって、本格的に演技する楽しい寸劇となっていた。世界の終末と言うテーマを扱っているけどとても軽快・痛快で、面白い事件が次々と起こり、言葉が分かると100%以上に面白いし、分からなくても演技で十分わははと単純に楽しめる。実際に今起こっている戦争のことを思うとこれでいいのかという気もするが、娑婆で束の間の楽しみを、という感じかな。曲目や出演者はとても載せきれないので興味ある方はこちらをどうぞ(写真もそこにたくさん載っていて、クリックするとさらにたくさんの写真が見られるので、楽しそうな雰囲気がお分かりただけると思う)。これだけの有名なオペラの有名なアリアをまあよくうまく組み合わせて考えたなあと感心する面白い寸劇で、演出はDavide Livermore。歌手の皆さんもまあ演技の上手いこと。そこらの俳優女優よりうまくて恐れ入る。歌はもちろん万全。オペラが好きであれば歌詞が分からずともその歌声だけでも感動ものだ。中でも71歳のAlessandro Corbelliというバリトン歌手のレポレッロがホント素晴らしかった。それにしてもオペラ歌手って、あの声量で歌いながらあの演技ができるんだから、ホント凄いよなぁ…これだけのメンバーが揃ってそんなにリハーサルもできなかったと思われるのに。それにしてもこんな一夜限りのガラコンサートのためにいったいいくらかかったんでしょ…勿体ないなぁ。でも、このレベルの歌手たちがこんなに集まるなんて、ザルツブルク音楽祭とかじゃないと無理だわね。
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このガラ・オペラにはUne folle journéeと言うタイトルがついていて、それは恐らくLa Folle Journéeと言う名のフランスのナントの音楽祭をもじっているのだろうと思う。La Folle Journéeはモーツァルトがオペラ化した「フィガロの結婚」の原作フランス戯曲の正式名称でもあるし。本当にその意味の通り、「とある狂おしき一日」という感じ。ほぉ~と思ったのは、昼のコンサートに出ていたダニール・トリフォノフも出て、昔のフォルテピアノ(こういうピアノ)でモーツァルトの曲を弾いたこと。ダ・ポンテの作品じゃないけどモーツァルトのオペラ「イドメネオ」の中の作品で、バルトリと共演。昔のピアノを使っているのにやっぱりロマン派的弾き方だったが、こういう催しにこうして参加する人なのね、こういうピアノも弾けるんだな、と興味深かった。まあ暗譜じゃなかったけどね。

オーケストラはLes Musiciens du Prince — Monacoと言って、このザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭の音楽監督を務めているオペラ歌手のツェツィーリア・バルトリが組織したオーケストラ。指揮者はその首席指揮者のGianluca Capuano。この3者が共演している動画を見つけたので貼り付けておく。ザルツブルク音楽祭とは関係ないし、曲もモーツァルトじゃないけど。



ガラコンサートとは言え演出がついているようだと事前に伝えておいたのだが、そうは言ってもちょっと振り程度かなとめぎも思ってたし、普通のガラコンサートを想像していた恩師夫妻は、この本格的な演出付きガラにびっくり。これが演出というものなのか、と改めて、と言うよりほとんど初めて知ったという。演出の巧みさはDVDなどではなかなか伝わらないし(どうしても歌っている歌手を大写しにするので全体が分からないから)、昔ながらの演出を変える必要性というものが日本人にはなかなか分かりにくい。見慣れていなければ、そして演出のこれまでの変遷を知らなければ、急に現代の演出を見てもどうしてそうなっているのか理解できずついていけないのだ。そもそも言葉が分からない場合はあらすじを読んだだけでオペラを見ることとなり、そのあらすじとまるで違う演出には頭がついていけない。それに、多くのオペラの演出は失礼ながらあれこれ真似しただけで消化しきれていない学芸会レベルも多く、そういうのをオペラ慣れしていない時点でたまたま見てしまった場合、もう違和感しか持てないだろう。それに対し、こういう世界に名だたる音楽祭や有名なオペラ座で上演されている演出は、これまた名だたる演出家が威信をかけて、これまでの演出を研究し尽くして、これでどうだ!と自分の解釈を世に問うているものなのだ。そういう話をめぎは家族や知人によくしているが、それってやっぱりこうして本物を見て頂かないと伝わらないんだよなぁ…今回本当にいい演出で、かつ分かりやすい内容で、楽しんでいただけて良かった。観客側の方も服装を整えることの意味も分かっていただけたようでなにより。

公演終了後、めぎの宿でまた普段着に着替えていただき、寛いでワインを飲みながらおしゃべり。その時の写真は残念ながら撮っていない。下の2つのワインを飲みながら(両方ともオーストリアの代表的ワイン、白は乾杯にしか飲まなかったのでまだ残っているが、赤は飲んじゃった…また買って来なきゃ)、オーストリアの生ハムにスーパーで買ったカットメロン、オーストリアのチーズ2種類(一つはエメンタールでもう一つはブリー)をおつまみにお出しした。生ハムとチーズはこの日の朝に市場で購入。ただ並べただけだが結構お洒落だった…写せばよかったなぁ。
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話は弾み、解散したのは夜中近く。めぎ家の宿から恩師夫妻のお泊りのホテルまでは歩いて7~8分だが、ちょうど雨が降ってなくてよかった。

これでザルツブルク2日目、音楽祭1日目のお話はおしまい。旅行記はまだまだ続く。
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3日目の朝 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。

ザルツブルク3日目の朝も晴れだった。朝の清掃車の跡がまだある。
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ここをカッコよく撮りたくて色々タイミングを計って撮っているのだが、恩師ご夫妻との音楽祭に集中するために今回持ってきたカメラとレンズはAPS-CセンサーのZ50に24㎜単焦点のみ。ズームなどできないので、トリミング。
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影のおもしろい時間はモノクロもいいかも知れないな。夏の宿題としよう。
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上の写真は7時半頃の撮影。ここで朝のコーヒーを。宿備え付きのエスプレッソマシーンで入れたカプセルのエスプレッソ。これはスマホ撮影。この日は日曜日で、新聞休刊日。左に写っている新聞は土曜日に買ったもの。
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ここから下は8時20分の撮影。影がずいぶん変わった。
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ここでもう一つ別のカメラで撮影。クールピクスAという古いので、APS-Cセンサーに18㎜単焦点のコンデジ。
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このコンデジは、音楽祭に持ち込むためにカメラ自体はつまりコンデジでとても小さいけどセンサーが大きいのをと選択。音楽祭自体の撮影はもちろん禁止だが、終わった後のカーテンコールは大目に見られている。スマホではカーテンコールの照明が明るすぎて白飛びしてしまうので、センサーの大きなコンデジの方が歩留まりいいかなと。

この日の音楽祭の昼のコンサートは11時から。で、10時半ごろ宿を出る。ここがめぎの泊まっているアパルトメント。めぎの部屋は今回日本式で言う3階。
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こういうとき、どこを水平に、どこを垂直にしたらいいのかなといつも迷う。
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いい天気で観光日和という感じだが、コンサートへ。
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続く。
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この日の公演の会場はフェルゼンライトシューレ [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクのお話を。

音楽祭2日目の会場の方へやってきた。
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観光馬車が通り過ぎていった。
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同じような写真が続いてしまうが、この女性の衣装が素敵だなあと思って。髪を見ると、結構なお年の方。
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めぎも民族衣装で行けるといいのだけど、着物を着るのはやっぱり手がかかるし、持って行くのも重いし、もう着ることはないかもしれないな。

この日は前日の祝祭大劇場の方ではなく、入口にこんな壁画のあるホール。
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去年そう言えばこの壁画がいつ描かれたとか説明を聞いたのだけど、全部忘れてしまったわ…
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例によって先生は入り口でめぎと別れてすたすたと自分の席の方へ向かったのだが、階段を昇る前に「カール・ベームの間」という文字に気がついてその広間の入り口のところで写真を撮っていたので、先生そこだけ撮っただけではダメです中へ入って見なければ、と誘導し、このフェルゼンライトシューレ(乗馬学校)が天井に描かれている広間を紹介できてよかった。でももしかしたら、先生は自分で発見して撮りたかったのかもしれないわね。余計なことしたかな。
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そしてそれぞれ自分の席の方へ向かった。
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会場入り。この日は、サウンドオブミュージックでマリアと子供たちが歌のコンテストに出た会場である。
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この会場の席は傾斜が大きく、後ろの方でも見えやすい。
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めぎは今回ここだった。
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曲については次回に。
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3公演目:ハ短調ミサ曲 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のお話を。

音楽祭2日目、3公演目は昼11時からのコンサート。曲目はモーツァルトのハ短調ミサ曲。出演者などについてはこちら。下の写真は、約1時間の演奏が終わったところ。一度舞台袖に引き上げた指揮者が左側から戻ってきて、舞台上に残っていた歌手やオーケストラに拍手をおくりながら戻ってきたところ。
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恩師はモーツァルトのミサ曲を予習しようとして持っているレコードやCDを当たったところ、「戴冠ミサ」はあるけど「ハ短調ミサ」は無かったのだという。めぎの印象では、ドイツやオーストリアではモーツァルトのミサ曲と言えばハ短調の方がメジャーな気がする。特にザルツブルク音楽祭では、ハ短調ミサが毎年必ず演奏されているし、めぎはもう何回目か分からないほど聞いている。これは全然違う場所のだけど、曲の参考に。



先日も書いたが、音楽祭には今回APS-Cセンサーと18㎜単焦点の古いコンデジを持ち込んでいる。それで撮ったのが一枚目と下の写真。こんな風に、講演後は多くの人が写真を撮っていて、大目に見られていて撮りやすい。RAWから現像すると黒潰れも白潰れもせずそこそこの写真になるし…
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↑上の写真をトリミングすると、こんなにハッキリ写っている。これがセンサーが大きいことのいい点。このコンデジは手振れに弱いので何枚かボツ写真を撮っていたが、嵌るとすごい。
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↑ちなみに今回の歌手の4人の一番左側の人(黄色いネクタイの人)は日本人。平野 和(やすし)というバリトン歌手で、ウィーンのフォルクスオーパーという市民向けのオペラ座の専属歌手を14年間もしていた人のようだ(情報はこちら)。日本ではあまり知られていないようで、恩師も知らなかった。このハ短調ミサでは出番がものすごく少ないのだが、でもいい声で素晴らしく貢献していて、講演後の批評でも讃えられていた。こうやって長くこちらで活躍していた人って、日本では全然有名でなくても、こんな名だたる音楽祭に呼ばれていたりするのよね。

モーツァルト時代の古楽器を使った演奏は素晴らしく、スタンディングオベーションだった。
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さて、コンサート後、恩師夫妻も非常に感動してて、このプログラムが欲しいという。プログラムはドイツ語と英語だし有料(一部6~8ユーロぐらい)なので、先生はここまで買わずにいたのだ。あぁもう片付けちゃったかもしれないなぁ…で、一度出たのを中に入り直し、すぐに呼び止めた係員にちょうど片付けているプログラム販売のところに案内してもらって、一部手に入れた。よかった。

それからめぎは恩師夫妻をたった今聞いたばかりのハ短調ミサ曲が初演された聖ペーター教会へお連れした。
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この曲についての詳しい情報はこちらをどうぞ。簡単に言うと、ポイントは次の3つ。1.これはモーツァルトのミサ曲としては最後の作曲で、未完。2.父親に自分の結婚と妻の歌手としての力量を認めてほしくて作った作品。3.当時としては珍しく、注文されたのではなく自発的に作曲した作品。

夏のザルツブルク音楽祭ではいつもここでそのハ短調ミサのコンサートが開かれる。ここでモーツァルトも演奏したんだなあと思うと感慨深く聞ける。
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小さいけれど贅をつくした教会を見て、恩師もカトリックの権勢を感じたようだった。
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それからその教会の裏の有名な墓地を回って、またビアガーデンの生ビールで乾杯。
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その後いったんお開きにして、それぞれ宿で一休みし、次の公演前に会うこととした。
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4公演目:モーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。

ザルツブルク滞在3日目の午後、宿の窓からゲトライデガッセというザルツブルクの観光名所を見下ろす。
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朝とは反対に日が射している。その両方が見られるのが楽しい。DSC_6947_001.JPG


この日のオペラは18時半から。オペラなので今回の旅で一番着飾って出かける。会場前で写真を撮って中に入り、そこからまた恩師夫妻と別行動。中はドレスの人が目につく。
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この日の会場は「モーツァルトのための劇場」というところ。めぎは土間席の後ろ側。このホールで土間席に座るのは初めてだ。いつも2階席または3階席の後ろや横の席で、立ち見もしたことのあるホール。土間席でもそこそこの傾斜があって、舞台がちゃんと望めてよかった。
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この日の演目はモーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」。内容が皇帝を称えるためのものだし、音楽的にもモーツァルトにしてはあまり斬新性がなくて、一般的にあまり人気のある演目ではない。せっかく恩師夫妻が来るのにモーツァルトのオペラの中でこれを見なければならないというのは、ちょっと申し訳ないような気分。恩師はこのオペラのDVDはお持ちではなく予習できずにやってきたし、奥様もあらすじを読んだだけだ。あらすじや作品については日本語のこちらをどうぞ。これはオフィシャル・トレイラー。



このオペラは元々は古代ローマが舞台で、皇帝の座をめぐる争いとユダヤとの確執などが内容なのだが、そのあらすじで今回のオペラを見ると、舞台を現代の国会に移した読み替え演出なので何がなんだか分からなくなる。どの役の人が何について歌うのかぐらいまで予習していなければ、何をどう読み替えているのか内容的についていくのはかなり難しい。歌はイタリア語で、ドイツ語と英語の字幕が出ているのだが、その字幕を読んでも場面の内容を理解するのは至難の業。あとで聞いたところでは、奥様は途中から字幕を追うのをキッパリ諦め、歌と演奏を聴くことに集中して楽しんだとのこと。恩師は演出とは何なのか、という意義を考えながら見たらしい。ここから3枚は幕間の休憩中に撮った写真。
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歌手について言えば、女性の歌手はビブラート効きすぎでめぎは好きになれなかった。主役のセストを歌ったツェツィーリア・バルトリは、去年感じたのと同様、歌手の盛りは過ぎているけれど曲の解釈と演技は素晴らしいし、歌そのものもその年齢で立派に歌える技術をしっかり持っているという印象。めぎのお目当てだったダルカンジェロというバリトン歌手はやっぱりピアニッシモがあまりうまくないけどそれ以外は素晴らしい。そしてタイトルロールの皇帝ティートは今回首相か大統領の役だったが、凄くよかった。出演者についてはドイツ語のこちらをどうぞ。写真もいくつか出ている。
次の2枚はスマホでの撮影。
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そしてその現代の国会とそこで起こるテロ事件や汚職事件への読み替え演出は、めぎ的には意外と嵌って良かったように思う。というのは、それに至るそれぞれの悩みと葛藤に焦点が当たってて、そこで理解ができるからだ。テロ事件を起こすことに至るセストの葛藤、友人をテロリストとして罰さなければならなくなった首相ないし大統領の葛藤、それらはテロのレベルでなくとも自分自身の色々な葛藤に置き換えて理解可能だ。ただ、最後にさらなる賄賂と買収でティートが殺されなければならなかった理由は、音楽的に合わなかったが。でも、現代の政権を手に入れるためには手段を問わなくなっている世の中の動きとは大いにマッチしているように思った。
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実はめぎ、この「皇帝ティートの慈悲」は2017年に夏の音楽祭でも見た。めぎがクルレンツィスという指揮者とセストを歌ったマリアンヌ・クレヴァッサというアルト歌手とそのアリアに絡むクラリネット奏者を好きになるきっかけになったオペラだ。その時の演出でもテロを扱い、ティートは自殺をした。それは、自殺という手段の是非はともかく、その目指すものは融合を促すため、未来をポジティブにするためだった。下の映像は以前にも載せたことのある2017年の映像で、セストを歌うマリアンヌ・クレヴァッサとそれに絡むクラリネット奏者。



それに対し今回の演出は、政治家は常に狙われ、こんな最期を遂げる運命を背負う時代になったということを表現しているのかもしれない。それだけ世の中がどんどん暗い方向に行っているということなのかもしれないな…この前日の演出付きガラの、世界の終末を迎えるけどそれまで娑婆を楽しみましょう的な演出とは正反対。演出家って、今の時代のテーマを扱い、辻褄の合う締め括りをするために、こんなにも異なる解釈をするんだなあと改めて思う。
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余談だが、去年の秋からDuolingoでイタリア語の勉強を始めためぎ、今でも地道にやっているのだが(ダイヤモンド・リーグに上がって以来一度も落ちてないし、ダイヤモンド・トーナメントでもう3回も入賞)、今回のオペラで何度かイタリア語の歌詞がそのままわかって嬉しかった。まだ入門レベルの域を超えていないが、簡単な言葉でも毎日毎日聞くと話すの練習を45分ほどしているので(朝起きて30分、夜寝る前に15分というサイクル)、それは大いに聞き取りの練習になっているようだ。オペラを原語で聞き取れると、俄然またやる気が出る。今は、大好きなアリアの詩を暗記することも始めている。めちゃくちゃ楽しい。

終わったのは21時半頃で、その後はまためぎの宿でワインを飲みながらおしゃべり。これはオペラに行く前に撮った準備。
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新しく買い足した赤ワイン。オーストリアのブルゲンラント州のツヴァイゲルト。これ、赤ワイン好きの奥様のお気に召してよかった。
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この日に出したおつまみは、塩漬けしたザイブリングというこの辺りの川魚(多分イワナ)のカルパッチョ、しょうゆベースのソース味のたれにつけたマグロのたたき、豚バラ肉のローストのスライス、めぎが自宅から持ってきたお米を炊いたご飯、そして写してないけど生ハムとカットメロン。この日も夜中頃までおしゃべりに花が咲いた。寛いで色々お話できてよかった。
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これでザルツブルクでの時間はもう半分を過ぎたが、記事はまだまだ続く。
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ザルツブルク4日目の朝 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日からまたぼちぼちと2024年5月のザルツブルクでのお話を。

恩師夫妻とご一緒したザルツブルク滞在も4日目の朝。2日目の朝に買った芍薬がここまで開いてきていた。朝7時半頃、部屋でエスプレッソを飲みながら撮影。
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連日オペラの後、めぎのアパルトメントで真夜中近くまでおしゃべり。この前日もいっぱい飲んでいっぱい語り合った。最近の日本の音楽家たちのこととか、日本のクラシック界のこととか。実際に聞いたこともないのに日本で紹介される雑誌の批評をそのまま自分の意見としている人が多いとか、応援することと本当にいいかどうかは別だということとか。同じ日本人だから、同じ故郷の出身だからということで「いい」と思ってしまいがちなこととか。海外の何々で活躍しましたというのを売りにして、そのレベルだと勘違いさせる商法のこととか。
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3人で空けたワイン。先生ご夫妻にはオーストリアのワインを味わっていただいた。
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1日目は到着して夕食、2日目は大聖堂のオルガンコンサートとザルツブルク音楽祭の昼のコンサートと夜のオペラ・ガラ、3日目は昼のコンサートと夜のオペラ、そして4日目のこの日はまた昼のコンサートと夜のオペラ・ガラの予定である。この日の夜は外のレストランで食べる予定で、その次の日にめぎは帰宅するため、もう買い物には行かない。散歩にも行かず、この日の予定に備えて部屋でゆっくりした。これはめぎのアパルトメントのリビング。夜の撮影の写真だけど。
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改装したばかりの部屋で、どこもかしこも新品。8年前にここのオーナーがめぎのために買ってくれた炊飯器が写っている。めぎはザルツブルクに普通2週間ぐらい滞在するので、1~2回分のお米を持参する。今回の4泊5日にも1回分持ってきて、この前日恩師夫妻にお出しした。
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最近ヨーロッパの宿の値段はものすごく上がっていて、ザルツブルクの場合アパルトメントも今や高級ホテル並み。小さな部屋でも一泊300ユーロから。その中で、ここのオーナーはその半額ではないが3分の2ぐらいの値段でずっと大きな部屋に泊まることができ、かなり良心的だ。しかし空いていることがほぼ無いけど。めぎのような固定客が一年前から2週間とかの単位で押さえてしまうのでね…夏は固定客同士でも結構な争いなのだ。場所はこちら。と言ってもGoogle Mapに出てくるホームページのリンクに飛ぶと全然違うところが出てくるし、この宿は自分のホームページを持っていない。オーナーは固定客以外はBooking.comのみで運用しているようだ。



昼のコンサートについては、非常に印象的なコンサートで長い記事になるので別記事にしようと思う。
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5公演目:アンドラーシュ・シフのピアノコンサート [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のお話を。

ザルツブルク滞在4日目のお昼のコンサートは、アンドラーシュ・シフというピアニストのコンサート。恩師は上の席へ、めぎは土間席の後ろ。プログラムは当日まで発表されず、モーツァルトの作品を弾くコンサートということだった。今はこちらに弾いた曲目が載っている。
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一曲目を聞きながら、これモーツァルトだったっけ…?と思いつつ、何かイヤホンみたいのをつけてるなあと遠目に見ていたら、マイクだった。一曲目を弾き終えてシフは立ち上がり、自ら話し始めたのだ。つまりMCつきのコンサートだったのである。
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彼は最初、すぐには話し出さず、一曲目が終わってから会場入りしたお客さんが席につくのを「どうぞお座りください、時間はまだまだたっぷりありますから」と言って会場を笑わせ、本当に座るまでゆっくりと待った。そして、「今の作品はもちろんモーツァルトではありません」と言ってさらに笑わせた。一曲目はバッハの「音楽の捧げもの」で、それは今日のプログラムを理解するためにどうしても必要なのだという。シフは、この日のプログラムをモーツァルトの晩年の作品から構成することとしたのだが、どれにするというのはレーズンを探すが如く決めると(たぶんレーズン入りのケーキを食べるときにレーズンばかり探して食べるというのを例に持ち出しているのではと思う)みんなが知っている曲になってしまうのだが、(ここでさわりを弾きながら)「アイネクライネナハトムジーク」や「トルコ行進曲」のような有名な曲は今日は期待しないで頂きたい、自分は毎日バッハで始まりバッハで終わる毎日を過ごしているので、バッハで始めることとした、きっとモーツァルトも理解を示してくれるだろう、などと言ってさらに笑わす。

まじめな話、この日のプログラムは、モーツァルトがいかに新しかったか、どれほど先見の明があり、どれほど現代の作品に近いものを作ったかが分かるものを選ぶことにしたのだとか。すると、面白いことに、モーツァルトより古い時代に遡る結果となったのだという。モーツァルトは亡くなる2年前、1789年にライプツィヒを訪れ、かつてバッハが仕事をしたところに滞在し、そこで恐らくバッハの作品を研究し、その影響が濃く表れている「小ジーグ」という作品を作曲した。その頃はバロック様式はとっくに廃れていたのだが、モーツァルトは大胆な半音階的表現で、前衛的なひねりを加えて作曲している、とシフは説明する。でもその「小ジーグ」は後回しにして、まずは、最初に弾いた「音楽の捧げもの」の影響を受けていると思われるという「幻想曲 ハ短調 K. 475」。

「音楽の捧げもの」はバッハが晩年に(こちらも亡くなる2年前)ポツダムのプロイセン王フリードリヒ大王を訪ねた際に大王からテーマを与えられて即興した曲である。シフはその旋律を弾いて、今の王様や政治家でこんな天才的なテーマを与えることのできる人がいるだろうか、と言って笑わせたが、同じことを下の動画の最初でも言っている。全く別の録画だが、シフの弾いている「音楽の捧げもの」と「幻想曲 ハ短調 K. 475」と同じような説明MCなので、ドイツ語の分かる方は、または英語の字幕が分かる方は、こんな感じだったんだなあと聞いてほしい。この幻想曲がドン・ジョヴァンニとほぼ同じ雰囲気で、演出ナシのオペラを聞くのもいい、というくだりまで同じ。シフのハンガリー訛りのドイツ語がとてもチャーミング。幻想曲自体は、たしかにドン・ジョヴァンニみたいにドラマチックな部分もあるが、それよりシューベルトかシューマンの曲ですかと思ってしまうような部分が多い。ホント、モーツァルトって、バッハからシューマンまでの様式を一人で全部内包した凄い人。録画は2021年8月のスイスで、まあつまりシフはこの日のプログラムをこの日初めて作ったわけじゃないってことが分かるのだが、何度でもあちこちで紹介して欲しい内容だ。使っているピアノもシフ特注ので、この日もそれを使用していた。



おお~このMCは凄いぞ、ちゃんと覚えておいて後で先生に説明しなきゃ…とめぎはその辺りから必死に言っていることを頭の中で繰り返して暗記した。録音はできないし、書いておこうにも書くものを持ってないし、本番中にスマホをオンにして書いたりすることも憚れる。だから、幕間の休憩の時に覚えていることを一生懸命スマホにメモした。その後、ザルツブルクの地元の新聞にもシフの言っていた内容が一部掲載されたので、それと自分のメモの両方を確認しながら今書いている。シフはかなり話したし、幕間に思い出すままメモしたので、言った順番は多少前後しているかも知れない。これは休憩中の写真。
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次は、ソナタ15番の1~2楽章(この動画はピアノの音声のみ)。3楽章を弾かないのは、別の作品だと理解しているということなのだろう。その辺りについてはこちらをどうぞ。聞くに値する作品だからよく聞いてね、と言って弾き始めた。



次はソナタ17番。「魔笛」のパパゲーノみたいなフーガの旋律が出てくるけど、やっぱり演出はないよ、と言って笑わせて弾き始めた。



そして、再びバッハに戻り、フランス組曲の7番の「ジーグ」。(下の動画では12分52秒から)



そうして、その影響を受けていると最初に話に出てきた「小ジーグ」で前半を締めくくった。たしかにこれなど、パッと聞くとたしかに12音階的で幻想曲のシューマンどころかシェーンベルクなどもっと近代の作曲家の曲かと思ってしまうほど前衛的だ。この曲の冒頭は、数年前のザルツブルク音楽祭の「ドン・ジョヴァンニ」で途中に挿入されていたのだけど(その演出でドンジョヴァンニが壊れたピアノを弾くシーンがあった)、ここでこの曲名が分かって嬉しい。動画は音声のみ。



これで休憩に入ったのだが、これだけのMCを忘れないように一生懸命書き留めた。めぎのまわりはみんなシフの話に大笑いしながら楽しんでいたので、聴衆の多くはオーストリア人またはドイツ人だったのだろう。これ、分からないと、まわりの人が笑ったときに何で?と思って悔しいよね。今、書きながらWikipediaの各作品の説明も読んでいるが、このモーツァルトの作品へのバッハの影響についてはそこにも書かれているので、シフの発見というわけでもないし、モーツァルトのピアノ曲を専門に弾く方などは当然ご存じのことなのかもしれない。でも、めぎはこのとき初めてこの関連付けを聞き、そうか、そうだったんだ~へぇ~と凄く楽しんだ。(これ、ゴースト入りだが、写真少ないので載せちゃう。)
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そして後半に入った。長くなったので、続きは次回に。
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5公演目その2:アンドラーシュ・シフのピアノコンサート後半 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のシフのコンサートのお話の続きを。

アンドラーシュ・シフのMCが面白く、幕間にスマホに書き留め、頭をリセットして後半に臨む。これは幕間に撮った写真。先日の前半の記事にも似たようなのを載せているが、先日のはスマホで、今日のはクールピクスAという古いコンデジで撮ったもの。
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後半が始まった。曲目についてはドイツ語のこちら。今はこうして曲目が音楽祭のホームページに載っているけど、このときは曲の名前もシフの解説を聴きとらないと分からない状態で、あとで恩師夫妻に説明するためにめぎは一生懸命暗記中。でも、ケッヘル番号まではとても覚えきれないわ…最初の曲は「ロンド イ短調K.511」。シフはモーツァルトの音楽のメランコリーに触れ、ショパンの予感がすると言っていたが、たしかにショパンですと言われてもそうかもと思いそうな曲だ。この動画はシフが若いときに弾いた録音のピアノ音声のみ。



モーツァルトが短調のソナタを2曲しか作っていないということにも触れた。その1曲目はパリで母親を亡くした直後に作ったソナタ第8番で、それはイ短調だった。このロンドも同じイ短調だが、ソナタ第8番の約10年後にできた作品だと説明。ウィーンで友人の死を悼んで作曲したものだそう。

同じ曲を韓国人のチョ・ソンジンが弾いているのを見つけた。去年の夏におとさんと聞いて感動したピアニストだ。あの日はモーツァルトの若い時代のイケイケな曲をイケイケで弾いたのでまさにマッチしててエネルギッシュで本当に素晴らしかった。このロンドを聞くと、弾き方はかなりロマン派的。めぎは基本的にモーツァルトをこういう風に弾くのはあまり好きではない。が、この曲はショパン風であるのだから、これもまたありかもしれない。上のシフの弾き方だと彼だってかなりロマン派的弾き方なのだがバッハ的バロック様式的要素が非常によく聞こえてくるのに対し、ソンジンのはずっとショパン風に聞こえる。同じ曲なのに全然違って聞こえてとても面白い。



さて、第2幕目の締めくくりに弾いたのが、ソナタの中のもう一つの短調の「ソナタ第14番ハ短調」。これは前半で弾いた幻想曲の姉妹曲だが、それを前後に続けて弾かなかったのは、「悲劇が多すぎるから」とのこと。これもシフのピアノ音声のみ。リンク先は1楽章のみなので、3楽章まで聞きたい方はYouTubeでどうぞ。



これで正式なプログラムは終わりなのだが(曲数の多かった1幕目と違って2幕目はたったの2曲で、暗記には非常に助かった)、アンコールとして「さあどうぞ」と言って弾き始めたのがこの超有名な曲で、弾き出した途端に観客は大爆笑。これは1楽章のみ。



そして本当に最後として、モーツァルト最後のピアノソナタ第18番の2楽章。



後半はYouTubeでシフが弾いている映像を見つけられなくて残念。他の人のは色々あるのだが、めぎはこのシフの職人的弾き方が非常に気に入った。曲に酔っているかのようにカッコつけなくても十分素晴らしいんだよなぁ…と多くのピアニストたちに強く伝えたい。どっちみち、どんな素晴らしいピアニストでもモーツァルト自身にはかなわないのだし。

コンサートが終わってから、ビールを飲みながらこのMCの説明をして、良い演奏だったね~と意見が一致したところでまた次の公演まで別行動。めぎは昼寝した後カフェに行った。いつも行っている馴染みのところがお休みだったので、同じ通りのカフェ・モーツァルトというところへ。モーツァルトの生家のすぐ近くにあるが、たぶんモーツァルトとは関係ない。ただ、昔ながらのカフェの雰囲気で、一人でのんびり寛いだ。
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続く。
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6公演目:千秋楽~ドミンゴのザルツブルク50周年記念ガラ~ [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のお話を。

5月の聖霊降臨祭の音楽祭もとうとう千秋楽。
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最後の公演は、ドミンゴとその仲間たちのガラコンサート。ガラコンサートだからいつもに増して華やか。ドミンゴがザルツブルク音楽祭にデビューして50周年だそうで、それを記念した催しで、さらに華やか。ここまでのモーツァルトをテーマとした演目と全く異なり、曲目はイタリア物ばかり。あ、いや、厳密に言えばビゼーとかチャイコフスキーとかのオペラも入っているのだが、基本はヴェルディ、ヴェルディ、ヴェルディ、たまにロッシーニやドニゼッティなど。

そんなわけで、聴衆は今まで最もゴージャスなお召し物だったし、カメラマンも複数。純粋に音楽が好きな輩ばかりではなく、ここに来ることにステイタスがあるために来ている人たちも多い。モーツァルトが好きな人たちとはかなり雰囲気の違うイタリア物が好きな人たち、それもガラコンサートといういわば語弊を恐れず喩えるならサーカスのようなものが好きな人たちが来ているという意味で、ここまでと全く雰囲気が異なった。
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意外とチケットの残席のある聖霊降臨祭音楽祭の中、このコンサートだけはずっと前から売り切れだったし、中は舞台袖にも臨時席が設けられていたし、そこに昔の写真が映し出されてて、熱気むんむん。
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この日、クールピクスAも持ってきていたのだが、これしか写真を撮っていない。今見るとやっぱりこちらの方がしゃっきり写ってて、こっちで撮っておけばよかったなあって思う。でももうこのときは、ここまでいっぱい撮ったし、スマホでいいやという気分だったのだ。
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出演者と曲目についてはとても書ききれないのでこちらを参照されたい。出演者の中でドミンゴ以外に一人だけ名を挙げるとすると、自らも歌い、司会も務めたRolando Villazónかな。この人、とても有名なオペラ歌手なのに、なぜかWikipediaで日本語がない。仕方がないので英語のこちらをどうぞ。映像は2022年2月のザルツブルク、彼の50歳の誕生祝のガラ・チャリティコンサート。ドミンゴが指揮をしている。メキシコシティ生まれで、かなりのムードメーカーで、今回のコンサートでは英語で司会をして大いに盛り上げていた。



このRolando Villazónは若かりし頃、2005年にザルツブルク音楽祭でこれまた若かりし頃のネトレプコと「椿姫」で共演している。それは一見の価値があると思うので、ここに張り付けておく。この頃のネトレプコってホント素晴らしかったわねぇ…



めぎは10年前、初めてザルツブルクに来た時の夏の音楽祭でドミンゴのザルツブルク40周年のガラコンサートを見ている。そのときもこのRolando Villazónが出ていた。あれから10年経ったのか…と思うと、めぎも感慨深い。めぎのザルツブルク詣でももう10年目なのだ。毎年平均して15公演ぐらい見ているので、ザルツブルクだけで150公演も見たということになる。この蓄積が、今のめぎ。

この公演だけは幕間休憩に恩師夫妻と合流。というのは、打ち上げにと軽食とスパークリングワインを予約しておいたから。このロゼのスパークリングワインは、その直前に買った新聞にオーストリアの家族経営のワイン農家からザルツブルク音楽祭の公式スパークリングワインに選ばれたという話が載ってて、ああこれか~と味わっていただいた。このオープンサンドもとても美味しかった。一つ食べきれずに持ち帰ったのだが、それはめぎが次の日の朝食として頂いた。それがまた、一日経っても美味しかった。
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さて、肝心のドミンゴだが、もちろんもはやテノールではないし選曲も上手くやっているのだが、83歳なのに未だ素晴らしい声量。まだまだとても元気そうだったし、10年後もあるといいな。彼は60周年と言わず51周年もやりたいなんて言って聴衆を沸かせてたけど、ホント彼の声に限っては1年1年が貴重だよね。これは最後のカーテンコール。これを見るとああやっぱりクールピクスでも撮っておけば良かったな…と思うが、スマホではここまで望遠ができるのでこれで撮ってしまった。クールピクスAのAPS-Cセンサーと単焦点18㎜で撮っておいた方が、トリミングしてももっとクッキリ写っていたことだろう。
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聴衆は当然のことながらドミンゴファンばかりで、待ってましたと総立ちでブラボーブラボーの嵐だったし、最後のアンコールのところではもうみんな録画してた…
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これはYouTubeに載ってたその録画の一つ。まあドミンゴの50周年だしアンコールなんだから、硬いこと言わずにいいんじゃない?という状況。



何はともあれ、和やかで楽しく盛り上がったガラコンサートで締めくくり、やっぱりドミンゴは別格だね~と恩師夫妻も大満足。ああよかった。
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レストランで打ち上げ [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。

めぎの小学校時代の恩師夫妻を聖霊降臨祭のザルツブルク音楽祭にお招きしての3日間を過ごしてきて、この日が最終日。最終公演終了後、レストランで打ち上げの乾杯。めぎと奥様は濁ったタイプの地ビールの生を、先生は澄んだタイプのを。この日はそこそこ暖かかった上、5月で夜もまだ明るいし、素晴らしいドミンゴの公演の後で気分も上々で、外のテラス席で飲む冷たい生ビールがうーん♡美味しい♪
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この前の晩まではオペラの終演が22時過ぎと遅かったので、その後はめぎの宿に寄っていただいてワインと出来合いを買った適当なおつまみで語らっていたのだが、最終日の公演は20時ごろ終わるので、レストランを予約しておいた。レストランはこちら。ここに来るのはめぎは3回目だが、今回も去年と同様、ウェイター&ウェイトレスさんたちがとても感じよくて、よく気が利いて、気分良く食事を楽しめる。食事も美味しいし、ちょっと高いけどそれを払う価値は多分にあり、ホントおススメ。

この後めぎと奥様はワインに切り替え、先生はビールをお代わり。ビールのお好きな先生、毎晩めぎの宿でもビールを飲みたかったのかも知れないな。ここでは生ビールを飲みに行くべきなので缶はもちろん瓶ビールもお勧めしません、と拒否しためぎだったのだが、申し訳ないことをしたのかも。料理は3種類注文して小皿も3枚もらってみんなで分けた。右はグリーンアスパラとイチゴと羊のチーズのサラダ。左下は牛肉のカルパッチョ。上はターフェルシュピッツという牛肉の煮込み。その左にある緑色のホウレン草のソースをかけて食べる。
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食べながらおしゃべりに花が咲いた。めぎにとってはもう慣れた味だけど、そしてできるだけ日本人の口に合う料理を選んでいたのだけど、恩師夫妻にとっては食べ慣れない料理の新しい味付け。先生は、帰ったらこんな風に料理してみようとか、畑でこんなものを植えてみようとか、色々新しいプランが心に浮かんでいたようだった。それからもちろん音楽のこともたくさんおしゃべり。ザルツブルク音楽祭というレベルの高い演奏と演出を体験し、新しい視野も広がり、先生の音楽への理解が一層深まったようだった。帰宅したらきっと、既にお持ちのCDやレコードも新たな耳で聞くことができ、ますます楽しめるのではないかなと思う。ここに来られて本当によかった、何度もおっしゃっていたが、そう言っていただけて本当によかった。

先生からは、その昔ウィーンの新春コンサートに行くツアーを申し込んであったのに、直前になってパスポートが切れていることに気づいてキャンセルせざるを得なかったという悲しい思い出話や、教師としては、特に校長になってからは長期休暇中も常に何かあったらすぐに駆け付けられるところにいる義務と責任を負っていて、年末年始しか札幌を離れられない決まりだったため、海外になど全く行けなかったこと、どうにかやりくりしてやっと年末年始にアメリカに行ったことがあったが、知り合いに予約してもらっていた新春コンサートはクラシックのオーケストラの公演ではなく、ただのカウントダウンパーティーのようなものだった、というこれまた悲しいお話なども伺った。こうしてザルツブルク音楽祭を訪ねられたのは、悠々自適になったからこそできたこと。でもそれも、奥様が99歳と100歳のご両親の介護をしているということで、直前まで実現できるかどうかわからなかった。ご両親がこの期間お元気でいらっしゃって、奥様が最後までここでの滞在を堪能できたのも本当に有り難いことだった。

料理が美味しかったので、ここで最後にもう一度ホワイトアスパラも食べようということになり、追加オーダー。ホワイトとグリーンの硬めに茹でたのの上にパルメザンチーズがかけてあった。茹でたジャガイモがバターとパセリで味付けしてあった。左上の丸いのは(めぎは食べなかったので記憶がないのだが)たぶん卵の黄身で、これを潰してかければオランデーズソースのようになるのだろう。
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めぎはこの小学校時代の恩師と中学・高校・大学を通しずっと文通をして来て、大人になってからは帰省時に連絡して飲みに連れていっていただいたりしていた。いつだったか就職して社会人をしていたときか二度目の大学生活に戻ったときか忘れたけど東京に住んでいた頃に、めぎはもうずっと、たぶん一生東京にいるつもり、というようなことを話したことがあったのだが、先生はその時、いや、いつかは札幌に戻ってくると思うよ、とおっしゃった。めぎは東京で成功したい、名を成したいというような意欲に満ちていたのだが、先生の方は、成長していつかは札幌に戻って札幌のために働いてほしい、というような意味だったのではないかと思う。ずっと東京にいたいなんてまだまだ青いな、というようなニュアンスもあったかもしれない。しかし今回先生は、「いやあめぎさんはもうずっとドイツにいるんだね、いや、そうするのが一番いい、ご主人にも会って、本当にこれが一番いいと思ったよ」と何度も先生の方からおっしゃった。めぎがいろんなことを乗り越えて自分で居場所を開拓し、頑張って根を張って行ったことを認めてくださっただけでなく、それを喜んでもらえたような気がして、とても嬉しかった。

お腹はいっぱいになったけど、〆にここでぜひ食べてほしかったデザートを。パラチンケンというデザートで、中にオーストリアならではのアンズジャムが入っているクレープのようなもの。3人で仲良く分けて完食。美味しかったなぁ…
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子どものころからの御恩と、そして昨年の先生のお宅でのおもてなしに対する御恩返しにはまだまだ足りないが、めぎにできることを無理のない範囲でこちらも楽しみながら精一杯提供し、それを楽しく受け取って過ごしていただけて、とても素敵な数日間だった。名残惜しいけど、これで恩師夫妻とはお別れ。めぎはこの次の日の朝の便でデュッセルドルフに帰り、仕事復帰。恩師夫妻はもう1日ザルツブルク滞在を楽しんで、2日後にウィーンへ。最後の滞在地ウィーンでも色々散策を楽しんで、その数日後、日本に無事にお戻りになった。その後何度かメールのやり取りをしたが、先生のお知り合いに今回の旅の話をしたり、早速こちらで体験したハーブの味を再現しようと色々畑に植えてみたりしているようだ。音楽も、あのシフのコンサートで聞いた曲をもう一度聞いてみるなど、追体験したり再発見したりしているらしい。そうやって懐かしみつつさらに色々深めていっていただけて、本当になにより。

これで先生とのお話はおしまいだが、ザルツブルクの話はあともう1回続く。
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帰宅の日 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]

2024年5月のザルツブルクの話はこれが最終回。

帰宅前、芍薬はここまで咲いた。持って帰りたかったけど、カバンにお花を入れる余裕はなく、諦めた。
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めぎの宿から空港に向かうバス停までは歩いて2分ほど。昨日まで楽しく通った祝祭劇場の方を見ながらバスを待つ。バスはこの反対側からやってきて、ここで右に曲がって岩山の向こうへのトンネルに進む。
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めぎの後ろにはかつての馬洗場がある。確かここもサウンドオブミュージックに出てきていたんじゃなかったかな。
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その上には岩山がそびえる。そう言えばこの岩山の上に恩師夫妻をご案内しなかったな…昼も夜もコンサートでその暇がなかったのだが、上からザルツブルクを見渡すとどれほど教会が多いかが分かり、川と山の間に囲まれたザルツブルクの旧市街の造りも分かり、この町をもっとよく理解できるのだが。そう思ってメッセージを送ったが、この日は天候が悪くなり、先生方は上へは登らず、一日乗車券を買って市バスに乗って街の郊外へ行ってみて戻ってくるなど、普段の町の住民の様子を見て楽しんだとのこと。それもいいわね。ああでもそれならそれで、あの尖った山のウンタースベルクの方へ乗ることをお勧めしたかったなぁ、近くの塩鉱の方へという手もあったのになぁ…と、できなかったことは本当にたくさん。
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そうそう、ちょっと話が逸れるけど、先生と食べ物などの買い物の清算をしたとき、いただいた100ユーロ札が古いバージョンだった。つまり、日本で換金したというユーロは数年前のバージョン。今のお札は手前の物。代わったのはいつだったっけ…もう結構前なんだけどな。日本にはコロナ前に仕入れた古いバージョンのユーロがまだたくさん残っているのかもね。日本もお札が変わって、めぎが今持っている去年の残りは古いお札になってしまうなぁ。諭吉さんを記念にとっておきたい気もするけど、一万円だしなぁ…それと比べると、ユーロ札は人じゃないので昔のを取っておこうという気分には特にならないな。
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コメントで質問のあっためぎと先生との年齢差についてだが、小学校4年の時に先生の30歳の誕生日祝いをした記憶があるので、年の差は20歳ぐらい。両親より若く、うちのドイツ人より年上。子どもの時の歳の差20年って永遠に近いぐらい圧倒的だが、大人になると感覚的にその差はグーンと縮まる。でも、さらに歳を取ってくると、再びその差が大きくなってくるなあと最近感じている。

人間というのはその時その時置かれた状況に応じて必死に生きていて、世の中と折り合いをつけつつ自分の意志で自分の道を自分にとってまたは世の中にとって良かれと思って切り開いて決定していくが、その末にあるのが70代80代で、人間性ってそこで集大成されてそこでやっと華開くように感じるのだ。華開くのは職業の集大成として50代ぐらいだと考えがちだけど、人間としてはもっと後なのだ。いや、花が開くか開かないかがそれまでで決まるというべきか。職業など、定年を迎えれば終わってしまうが、人間性はその後も試される。今回の旅で恩師の人となりに改めて深く触れ、自分もたくさんの蓄積に加えてこう柔軟でエネルギッシュで好奇心旺盛でありたいなと思った。このチャレンジと内省、挑戦と実のある蓄積のバランスが大事なのだ。自分の20年後って、どうなっているかな。

ザルツブルク空港へのバスは乗ること20分ぐらいで到着。小さな空港なのでチェックインもあっという間だし手荷物検査もあっという間。帰りは遅れもなさそうだ。
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そして、いつもの如く歩いて飛行機へ。飛行機の翼の向こうにザルツブルクの岩山の上にあるホーエンザルツブルク城が見えている。あの向こうにザルツブルクの旧市街がある。またね。
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そう、めぎはまたそのうちザルツブルクに行く。そう計画しているし、また何度でも行ける。何のことだったか忘れたが、私はまた夏に来るのでそのときできるから今はお二人でぜひどうぞ…という何気ないめぎの言葉に、奥様がちょっと息をのんでいらした一コマがあった。日本から苦労してやっと来られたという状況と、こちらに住んでいるので例えば週末一泊でもサクッと行けるめぎの状況とは本当に全く違う。ザルツブルクはもはや、もちろんまだまだほんの一部しか知らないとはいえ、めぎにとって第3の故郷だ。その代わり、めぎには温泉もないし、美味しいお刺身も無いのだけど。恩師夫妻には、またいつかぜひ都合をつけて、今度は夏の音楽祭の方へいらしていただきたいな。今回は本当に楽しかった。はるばるいらして一緒にたくさんの時間を過ごしてくださったことに、心から感謝。
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