3日目の目的地到着 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの旅の話を連載中。
日が沈んだころ、遠くに山のようなものがポコポコっと見えてきた。
もう少し近づくと、そのうちの一つが街として見えてきた。
中に入るとどの街も似たようなもの。でも、ここに来たかったのだ。まずはホテル近くの駐車場を探す。と言っても駐車場という場所はなく、車を止めておける(道路の片側ないし両側が合法の駐車スペースとなっている)道路を探すという感じ。そればっかりはGoogle Mapには載っていないので、自分でぐるぐるして探すしかない。
ホテルがこの道路の下にあるはずという場所になんとか車を止めて、荷物をもって、ホテルのある方向へ降りて行こうとすると、目の前に、おおおお!
電線のないところまで下りて、もう一度。
この景色を見てみたかったのだ。そしてブルーアワーに写してみたかったのだ。間に合って良かった~
街の名前はマテーラ。2019年の欧州文化首都の一つで、2019年に入った時からぜひそこに行こうと話していたのだった。と言っても南イタリアの夏の暑さと混み具合は尋常じゃないので避け、秋に行くことも検討したけどフランス北東部に行くこととなってやめ、それで年末年始にずれ込み、2020年元旦になってからやってきたというわけである。ちなみにマテーラは正確に言うとプーリア州ではなくお隣のバジリカータ州に位置する。街に着く直前に州の境があった。昨日の記事の下から2つ目がその州の境沿いに走る道路。
泊まったホテルはこちら。このホテル、見つけるの大変だった…車を止めた道路から階段を降りたらあるはずだったのだが、その階段が入り組んでいて、降りるとすぐに分岐があるし、どちらへ出てもホテルらしきものに出会わず、最後にはめぎが荷物番をしてうちのドイツ人が入り口を探してきた。いったんずっと下まで降りて、新たにこの階段を上ると入り口(左上のリースのかかっているところ)。階段の入り口の扉も施錠されていて、ブザーを鳴らして開けてもらう仕組み。チェックインするとそのカギももらえるけれどね。
マテーラは洞窟住居で有名な世界遺産都市。町全体が大きな岩山で、8世紀ごろから岩のあちこちに穴を掘って住まいとしたのが最初。その洞窟住居は1950年代まで実際に使われ続けていたのだが、衛生状態などの悪化からまず住民を郊外に作ったアパートへ強制的に移し、その後再開発して有名になり、1993年に世界遺産に登録されたのだとか。詳しい説明はこちらをどうぞ。
このホテルも元は洞窟住居だったというところ。その名残が部屋の天井。綺麗に改装されて洞窟の石壁がむき出しではなかったのが残念。
部屋は広々としていて綺麗だった。
こんな素晴らしい景色が目の前に見られる部屋に泊まれたという意味で、このホテルは大満足。泊まってみたら、日本人の家族一組と一人旅の男性も宿泊していた。日本人に人気のホテルだったのね。HPはこちら。
場所はこちら。今思えば、このあたりのB&Bに泊まってみればもっと面白かったかもしれない。元旦だからホテルにしておこうって思ってしまったのだ。同じく大晦日だからホテルにしておこうと思って泊まったブリンディジよりずっとアットホームでよかったけれど。
日が沈んだころ、遠くに山のようなものがポコポコっと見えてきた。
もう少し近づくと、そのうちの一つが街として見えてきた。
中に入るとどの街も似たようなもの。でも、ここに来たかったのだ。まずはホテル近くの駐車場を探す。と言っても駐車場という場所はなく、車を止めておける(道路の片側ないし両側が合法の駐車スペースとなっている)道路を探すという感じ。そればっかりはGoogle Mapには載っていないので、自分でぐるぐるして探すしかない。
ホテルがこの道路の下にあるはずという場所になんとか車を止めて、荷物をもって、ホテルのある方向へ降りて行こうとすると、目の前に、おおおお!
電線のないところまで下りて、もう一度。
この景色を見てみたかったのだ。そしてブルーアワーに写してみたかったのだ。間に合って良かった~
街の名前はマテーラ。2019年の欧州文化首都の一つで、2019年に入った時からぜひそこに行こうと話していたのだった。と言っても南イタリアの夏の暑さと混み具合は尋常じゃないので避け、秋に行くことも検討したけどフランス北東部に行くこととなってやめ、それで年末年始にずれ込み、2020年元旦になってからやってきたというわけである。ちなみにマテーラは正確に言うとプーリア州ではなくお隣のバジリカータ州に位置する。街に着く直前に州の境があった。昨日の記事の下から2つ目がその州の境沿いに走る道路。
泊まったホテルはこちら。このホテル、見つけるの大変だった…車を止めた道路から階段を降りたらあるはずだったのだが、その階段が入り組んでいて、降りるとすぐに分岐があるし、どちらへ出てもホテルらしきものに出会わず、最後にはめぎが荷物番をしてうちのドイツ人が入り口を探してきた。いったんずっと下まで降りて、新たにこの階段を上ると入り口(左上のリースのかかっているところ)。階段の入り口の扉も施錠されていて、ブザーを鳴らして開けてもらう仕組み。チェックインするとそのカギももらえるけれどね。
マテーラは洞窟住居で有名な世界遺産都市。町全体が大きな岩山で、8世紀ごろから岩のあちこちに穴を掘って住まいとしたのが最初。その洞窟住居は1950年代まで実際に使われ続けていたのだが、衛生状態などの悪化からまず住民を郊外に作ったアパートへ強制的に移し、その後再開発して有名になり、1993年に世界遺産に登録されたのだとか。詳しい説明はこちらをどうぞ。
このホテルも元は洞窟住居だったというところ。その名残が部屋の天井。綺麗に改装されて洞窟の石壁がむき出しではなかったのが残念。
部屋は広々としていて綺麗だった。
こんな素晴らしい景色が目の前に見られる部屋に泊まれたという意味で、このホテルは大満足。泊まってみたら、日本人の家族一組と一人旅の男性も宿泊していた。日本人に人気のホテルだったのね。HPはこちら。
場所はこちら。今思えば、このあたりのB&Bに泊まってみればもっと面白かったかもしれない。元旦だからホテルにしておこうって思ってしまったのだ。同じく大晦日だからホテルにしておこうと思って泊まったブリンディジよりずっとアットホームでよかったけれど。
レストランの予約へ行く [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの旅の話を連載中。
3日目、マテーラの宿にチェックインしたのは17時半ごろ。18時ごろから、レストランを探しに行くことにした。これはめぎたちの部屋の前から写したもの。この宿は一つ一つの部屋が独立していて外から入るようになっている。
自分たちで探しに行く前にレセプションに寄り、うちのドイツ人がレセプションのお兄さんにお勧めを聞いてみた。ちょっとゲイっぽいお兄さんはとっても親切に3か所ほど詳しく教えてくれて、元旦だから予約した方がいいと言われ、その場所に行ってみることにした。まずは一番近いところへ。写真の左側の入り口のところ。
中はまだ準備中。でもドアが開いていて、入って聞いてみたら、予約を受け付けてくれるという。おお~今日はまともな食事ができそうだわ~
あとの2か所は見ていないけど、もうここに決定。よさそうな雰囲気だったし、話した人もいい感じだったし、食べ終わってからそんなに歩きたくないしね。
そこから宿の方を振り返って写してみた…しかし今見てもどれが宿だか…みんな同じような感じでよくわかんないわ~
小さな教会があった。日中中を公開しているかどうかは不明だが、ゆっくり滞在してこういうのを一つ一つ見るのも楽しいかもしれないな。
ここがこの街のメインストリート。街の真ん中にある谷の一番下と言う感じ。と言ってもその周りと比べると高い場所にあるのだが、この谷底を境に両側に岩山があって、その岩山をくりぬく形で洞窟住居が作られ、それを綺麗に石で化粧した形で今があるという感じ。
レストランのあるところはメインストリートの反対側で、これはまた宿のある側に戻ってきて登り始めたところ。
アップダウンの激しい街。もう使われていない建物も多そうだったけど。
それにしても高感度と手振れ補正、よくなったわねえ…ここなど、見た目は真っ暗だったのだけど、ここまで撮れちゃうんだもの。それにオートの色合いも悪くない。ホント、このZ50、すごい。
3日目、マテーラの宿にチェックインしたのは17時半ごろ。18時ごろから、レストランを探しに行くことにした。これはめぎたちの部屋の前から写したもの。この宿は一つ一つの部屋が独立していて外から入るようになっている。
自分たちで探しに行く前にレセプションに寄り、うちのドイツ人がレセプションのお兄さんにお勧めを聞いてみた。ちょっとゲイっぽいお兄さんはとっても親切に3か所ほど詳しく教えてくれて、元旦だから予約した方がいいと言われ、その場所に行ってみることにした。まずは一番近いところへ。写真の左側の入り口のところ。
中はまだ準備中。でもドアが開いていて、入って聞いてみたら、予約を受け付けてくれるという。おお~今日はまともな食事ができそうだわ~
あとの2か所は見ていないけど、もうここに決定。よさそうな雰囲気だったし、話した人もいい感じだったし、食べ終わってからそんなに歩きたくないしね。
そこから宿の方を振り返って写してみた…しかし今見てもどれが宿だか…みんな同じような感じでよくわかんないわ~
小さな教会があった。日中中を公開しているかどうかは不明だが、ゆっくり滞在してこういうのを一つ一つ見るのも楽しいかもしれないな。
ここがこの街のメインストリート。街の真ん中にある谷の一番下と言う感じ。と言ってもその周りと比べると高い場所にあるのだが、この谷底を境に両側に岩山があって、その岩山をくりぬく形で洞窟住居が作られ、それを綺麗に石で化粧した形で今があるという感じ。
レストランのあるところはメインストリートの反対側で、これはまた宿のある側に戻ってきて登り始めたところ。
アップダウンの激しい街。もう使われていない建物も多そうだったけど。
それにしても高感度と手振れ補正、よくなったわねえ…ここなど、見た目は真っ暗だったのだけど、ここまで撮れちゃうんだもの。それにオートの色合いも悪くない。ホント、このZ50、すごい。
部屋でワイン [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの旅の話を連載中。
レストランの予約をしためぎたちは、再び宿に戻ってきた。
この日は一日走り回ってあちこち見てきてちょっと疲れてしまったので、さらにあちこち見たりせず宿でのんびりアペリティフを楽しもうということにしたのだ。最初はレセプションのスペースにあるバールのようなところで飲もうと思っていたが、そこでワインを買って部屋で飲んでもいいということで、買ってグラスも借りてきた。そうよ、ホテルなんだからこうじゃなきゃねえ...と、前日のブリンディジのホテルで使い捨てプラスチックコップを渡された衝撃をふと思い出す。
このグレコというワインはもとは古代ギリシャからここに渡ってきたらしい由緒あるブドウのワイン。
絵が素敵。
うちのドイツ人はホテルでもらったマテーラの地図をじっくりと見ながら次の日にどこに行こうか考え中。
めぎは行きたいところがもう決まっているのでそれをうちのドイツ人に伝え、その後部屋の外に撮影へ。今回は小さな三脚を持って来たので、まずはF9&ISO100&8秒で。
Z50という軽いカメラなので、三脚も小さくてOKだし、ホント旅行に最適。これはF13&ISO100&30秒で。2日前の記事で最後にお見せした手持ちでISO6400で撮ったのも悪くなかったけど、やっぱりディテールはこちらの方が素晴らしい。ライトアップされている塔が明るすぎたので…
上の撮って出しのRAWデータをうちであれこれレタッチしてみた。例えばこんな感じ。
ちょっとお遊びも。こうしてみると面白いし、星が見えるようになった。
これも悪くないなあ。写真ではなくイメージアートっていう感じ。
そんなレタッチに意味があるかどうかはさておき、印象が変わって面白いわねえ。
レストランの予約をしためぎたちは、再び宿に戻ってきた。
この日は一日走り回ってあちこち見てきてちょっと疲れてしまったので、さらにあちこち見たりせず宿でのんびりアペリティフを楽しもうということにしたのだ。最初はレセプションのスペースにあるバールのようなところで飲もうと思っていたが、そこでワインを買って部屋で飲んでもいいということで、買ってグラスも借りてきた。そうよ、ホテルなんだからこうじゃなきゃねえ...と、前日のブリンディジのホテルで使い捨てプラスチックコップを渡された衝撃をふと思い出す。
このグレコというワインはもとは古代ギリシャからここに渡ってきたらしい由緒あるブドウのワイン。
絵が素敵。
うちのドイツ人はホテルでもらったマテーラの地図をじっくりと見ながら次の日にどこに行こうか考え中。
めぎは行きたいところがもう決まっているのでそれをうちのドイツ人に伝え、その後部屋の外に撮影へ。今回は小さな三脚を持って来たので、まずはF9&ISO100&8秒で。
Z50という軽いカメラなので、三脚も小さくてOKだし、ホント旅行に最適。これはF13&ISO100&30秒で。2日前の記事で最後にお見せした手持ちでISO6400で撮ったのも悪くなかったけど、やっぱりディテールはこちらの方が素晴らしい。ライトアップされている塔が明るすぎたので…
上の撮って出しのRAWデータをうちであれこれレタッチしてみた。例えばこんな感じ。
ちょっとお遊びも。こうしてみると面白いし、星が見えるようになった。
これも悪くないなあ。写真ではなくイメージアートっていう感じ。
そんなレタッチに意味があるかどうかはさておき、印象が変わって面白いわねえ。
マテーラのレストランでの夕食 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの旅の話を連載中。
19時半を過ぎ、やっとレストランの開く時間になった。一番乗りで、席もより取り見取り。奥の壁際の席をゲット。
すぐに何組かがやってきたが、最初の頃はこんなスカスカ状態。
赤ワインが運ばれてきた頃、真ん中の席にもう人が座っていた。
この辺りのワイン。悪くなかったけど、めぎ的には一日目のポリニャーノのレストランで飲んだワインの方が美味しかったなぁ。好みにもよるかも。
20時を過ぎたころ。子連れで夜8時にレストランにやってくるのがイタリア。ドイツだと8時には寝せる。
さて、うちのドイツ人が一皿目に頼んだのはTortino di patate(ポテトグラタン)。ソースはコンソメのような味だったとの記憶。
めぎは前菜をすっ飛ばして一皿目にパスタ。耳たぶパスタのアーリオオーリオに例のRapaという野菜。これが美味しくて、このRapaを買って帰ったのだ。
次にメイン。うちのドイツ人はCosciotto Maialino(訳すと子豚の脚!だけど普通の豚肉の蒸し煮のようなものだった)で…
めぎは本来前菜のメニューである牛肉のタルタルをメインにしてもらった。そういうことはめぎはよくするのだが、ドイツでもイタリアでも問題なく承諾してくれる。
オリーブオイルと甘いクリーム状のバルサミコ酢で自分で味を調えた。
2日ぶりのちゃんとした食事、美味しかったな~この日のお会計は二人で74.5ユーロ。チップ込みで80ユーロ。HPはこちら。HPを見ると、泊まることもできるみたい。写真を見ると洞窟の壁がむき出しで面白い。場所はこちら。
19時半を過ぎ、やっとレストランの開く時間になった。一番乗りで、席もより取り見取り。奥の壁際の席をゲット。
すぐに何組かがやってきたが、最初の頃はこんなスカスカ状態。
赤ワインが運ばれてきた頃、真ん中の席にもう人が座っていた。
この辺りのワイン。悪くなかったけど、めぎ的には一日目のポリニャーノのレストランで飲んだワインの方が美味しかったなぁ。好みにもよるかも。
20時を過ぎたころ。子連れで夜8時にレストランにやってくるのがイタリア。ドイツだと8時には寝せる。
さて、うちのドイツ人が一皿目に頼んだのはTortino di patate(ポテトグラタン)。ソースはコンソメのような味だったとの記憶。
めぎは前菜をすっ飛ばして一皿目にパスタ。耳たぶパスタのアーリオオーリオに例のRapaという野菜。これが美味しくて、このRapaを買って帰ったのだ。
次にメイン。うちのドイツ人はCosciotto Maialino(訳すと子豚の脚!だけど普通の豚肉の蒸し煮のようなものだった)で…
めぎは本来前菜のメニューである牛肉のタルタルをメインにしてもらった。そういうことはめぎはよくするのだが、ドイツでもイタリアでも問題なく承諾してくれる。
オリーブオイルと甘いクリーム状のバルサミコ酢で自分で味を調えた。
2日ぶりのちゃんとした食事、美味しかったな~この日のお会計は二人で74.5ユーロ。チップ込みで80ユーロ。HPはこちら。HPを見ると、泊まることもできるみたい。写真を見ると洞窟の壁がむき出しで面白い。場所はこちら。
3日目の終わり [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、年末年始の南イタリアの旅の話を連載中。
3日目の夕食、19時半のレストラン開店と同時に訪れためぎたちが食べ終わったのは、21時20分ごろだった。デザートやコーヒーはいただかず、メインを食べ終えておしまいに。その頃にはレストランは大盛況。
このレストラン、美味しくてよかったわ。
客層は、イタリア人もいるけどかなり世界中様々。元旦に外に食べに行く人はいないのか、ここは観光客向けなのか。まあ旧市街のど真ん中だから、観光客向けであるっことは確かだわね。でも、美味しくて何より。
さようなら…
レストランを出て前を向くとこんな景色。
ズームアップ。この暗さでここまで手持ちで写るのってホント凄いよなあ。
こんなところを歩いて宿に帰る。
古代の中に現代が紛れ込んだような感じ。
見上げると、多くが空き家のような感じ。左には改装中の様子も。使われているのは改装が済んだホンの一部なのかもしれない。
歩きながら撮ったらさすがにぶれた。
マテーラの話は次の日の午前中へと続くのだが、ここでまた一休みして、明日から数日はデュッセルドルフの話の予定。
3日目の夕食、19時半のレストラン開店と同時に訪れためぎたちが食べ終わったのは、21時20分ごろだった。デザートやコーヒーはいただかず、メインを食べ終えておしまいに。その頃にはレストランは大盛況。
このレストラン、美味しくてよかったわ。
客層は、イタリア人もいるけどかなり世界中様々。元旦に外に食べに行く人はいないのか、ここは観光客向けなのか。まあ旧市街のど真ん中だから、観光客向けであるっことは確かだわね。でも、美味しくて何より。
さようなら…
レストランを出て前を向くとこんな景色。
ズームアップ。この暗さでここまで手持ちで写るのってホント凄いよなあ。
こんなところを歩いて宿に帰る。
古代の中に現代が紛れ込んだような感じ。
見上げると、多くが空き家のような感じ。左には改装中の様子も。使われているのは改装が済んだホンの一部なのかもしれない。
歩きながら撮ったらさすがにぶれた。
マテーラの話は次の日の午前中へと続くのだが、ここでまた一休みして、明日から数日はデュッセルドルフの話の予定。
マテーラの朝 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
本当は今日から一年前の旅行記の続きを再開するつもりだったのだけど、仕事が忙しくて記事を準備できなかった…
というわけで、一枚だけ。これは南イタリアのマテーラという町。ホテルの階段から朝に撮ったもの。
続きはまた明日!
というわけで、一枚だけ。これは南イタリアのマテーラという町。ホテルの階段から朝に撮ったもの。
続きはまた明日!
マテーラの朝の始まり [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
昨日書いたように、今日から一年前の旅行記の続きを再開しようと思う。別世界の風景を見れば現状の仕事の息抜きにもなるし。これはちょうど一年前、2019年12月末から2020年1月初めまでの数日間の旅で、イタリアの踵の部分、プーリア州をレンタカーでまわった旅で、ブログではプーリア州との州境にあるバジリカータ州のマテーラという古都を一泊で訪ねているところまで書いていた。マテーラは2019年欧州文化都市に選ばれていたので行ったのだが、めぎたちが行ったのは2020年の元旦の夕方。到着してから夕食が終わるまでの話はこちらから。旅行記自体を一から振り返る興味と時間的余裕のある方は、カテゴリーの「2019-20年末年始 イタリア・プーリア州」をクリックして最初からどうぞ。
マテーラで泊まったところはこちら。旧市街の北部。
一夜明けて2020年1月2日。宿の前の通路や階段から朝の風景を撮った。まず北北西を見ると、光が上の方にだけ届いていた。
昨日の記事の写真は上の写真のちょっと右の方、まっすぐ北を見て写したもの。それよりちょっと東に視線をずらしたのがこちら。ずっと向こうに崖のようなのが見える。凄いところにあるんだな、この街。ちなみに左奥に写っている大きな建物は教会だが、この街にはこのレベルの教会がいくつもある。
南西を見ると、太陽はあの山の裏。
あ、誰か歩いてる…
電線やらアンテナやら、現代と昔が交信しているかのよう。
あ、ちょっと色が変わってきたかな…朝になってきたって感じ。
で、めぎたちは朝食へ。
甘いパンだけでないのは、いかにもそこそこのインターナショナルなホテルって感じ。
その証拠に、なんとここに日本人の赤ちゃん連れ夫婦と、一人旅の男性がいた。どちらもヨーロッパに駐在しているような感じの人。このときの旅でめぎが日本人に会ったのはこの宿だけだった。
駐在の人が泊まるだけあって、本当に居心地がよく、サービスもよく、立地もよく、素敵な宿だった。料金もその分高めなのだが(一泊二人で134ユーロだったのだが、このときの旅で最も高額。他は一泊二人で100ユーロ、108ユーロ、そして33ユーロ!)、他の安めでよさげな宿は全て予約いっぱいだったのだ。
食べ終わり、9時ごろチェックアウトしたら、もうこんな空になっていた。荷物は宿に預かってもらって、これからマテーラを探検。
つづく。
マテーラで泊まったところはこちら。旧市街の北部。
一夜明けて2020年1月2日。宿の前の通路や階段から朝の風景を撮った。まず北北西を見ると、光が上の方にだけ届いていた。
昨日の記事の写真は上の写真のちょっと右の方、まっすぐ北を見て写したもの。それよりちょっと東に視線をずらしたのがこちら。ずっと向こうに崖のようなのが見える。凄いところにあるんだな、この街。ちなみに左奥に写っている大きな建物は教会だが、この街にはこのレベルの教会がいくつもある。
南西を見ると、太陽はあの山の裏。
あ、誰か歩いてる…
電線やらアンテナやら、現代と昔が交信しているかのよう。
あ、ちょっと色が変わってきたかな…朝になってきたって感じ。
で、めぎたちは朝食へ。
甘いパンだけでないのは、いかにもそこそこのインターナショナルなホテルって感じ。
その証拠に、なんとここに日本人の赤ちゃん連れ夫婦と、一人旅の男性がいた。どちらもヨーロッパに駐在しているような感じの人。このときの旅でめぎが日本人に会ったのはこの宿だけだった。
駐在の人が泊まるだけあって、本当に居心地がよく、サービスもよく、立地もよく、素敵な宿だった。料金もその分高めなのだが(一泊二人で134ユーロだったのだが、このときの旅で最も高額。他は一泊二人で100ユーロ、108ユーロ、そして33ユーロ!)、他の安めでよさげな宿は全て予約いっぱいだったのだ。
食べ終わり、9時ごろチェックアウトしたら、もうこんな空になっていた。荷物は宿に預かってもらって、これからマテーラを探検。
つづく。
岩の街を登る [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、一年前の南イタリアのマテーラの話を連載中。
宿を出て、こんな石畳の長い登り道を歩き始めた。
登っているのは、昨日の記事の朝の写真で言うと、この日陰になっているところ。てっぺんの教会のところにまず行こうと。
眺めのよさそうな家だわね。
中腹は空き家も多く、大規模な改装中のところも。
戸が開いているところがあったのでちょっと覗いてみた。岩をくりぬいたような住まいであることがわかる。外側は石を積んで建物のように見えるが、実際は岩をくりぬいて住んでいるのだ。
つまりマテーラという街は、もともとは石灰岩の侵食により形成されたグラヴィナ渓谷の岩山に穴を掘って、またはもともとあった洞窟を使って住まいとしていたところ。その洞窟住居は、古くは旧石器時代から使われていたようだが、8世紀から13世紀にかけて東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着いて街として発展し、1950年ごろまで使われていた。が、人口が増えて劣悪な(昔は家畜のために使われていたような)洞窟住居に住む人も多くなり、衛生状態がひどくて問題となり、街は郊外に新たに作ったアパートに人々を強制移住させた。無人となった洞窟住居はその後その文化的価値が見直され、下水道などのインフラを整備し、1993年に世界遺産に登録された。めぎの泊まった宿も含め、この旧市街は洞窟住宅を改装してホテルや店舗にしたところで、どこもかしこも中は岩山なのだ。
頑張って登り切って、やっとこの教会のところまでやってきた。
素晴らしい見晴らし!右に一昨日の一枚だけの写真に写っていた教会がある。あそこよりここの方が高い。
左側にも後ろの方にもずっと同じような風景が広がっている。朝はずっと陰になっているところと早くから眩しいところと街が2分している感じ。それがきっと夕方は逆転するのだろうな。
ズームしてみた…ずっと向こうのあの高台から向こうは現代になってから建てられたアパートのようね。
しかし、その中に石造りの古い建物が見える。歴史の流れを感じるデザインね。
めぎたちの目指してきたこの教会はマテーラの大聖堂。イタリア語でCattedrale della Madonna della Bruna e di Sant’Eustachioと言って、訳すとブルーナの聖母と聖エウスタキウスのカテドラル。ブルーナの聖母とはマテーラの守護聖人で、聖エウスタキウスは狩りの守護聖人らしい。ちょっと入ってみましょ。
つづく。
宿を出て、こんな石畳の長い登り道を歩き始めた。
登っているのは、昨日の記事の朝の写真で言うと、この日陰になっているところ。てっぺんの教会のところにまず行こうと。
眺めのよさそうな家だわね。
中腹は空き家も多く、大規模な改装中のところも。
戸が開いているところがあったのでちょっと覗いてみた。岩をくりぬいたような住まいであることがわかる。外側は石を積んで建物のように見えるが、実際は岩をくりぬいて住んでいるのだ。
つまりマテーラという街は、もともとは石灰岩の侵食により形成されたグラヴィナ渓谷の岩山に穴を掘って、またはもともとあった洞窟を使って住まいとしていたところ。その洞窟住居は、古くは旧石器時代から使われていたようだが、8世紀から13世紀にかけて東方からイスラム勢力を逃れた修道僧が住み着いて街として発展し、1950年ごろまで使われていた。が、人口が増えて劣悪な(昔は家畜のために使われていたような)洞窟住居に住む人も多くなり、衛生状態がひどくて問題となり、街は郊外に新たに作ったアパートに人々を強制移住させた。無人となった洞窟住居はその後その文化的価値が見直され、下水道などのインフラを整備し、1993年に世界遺産に登録された。めぎの泊まった宿も含め、この旧市街は洞窟住宅を改装してホテルや店舗にしたところで、どこもかしこも中は岩山なのだ。
頑張って登り切って、やっとこの教会のところまでやってきた。
素晴らしい見晴らし!右に一昨日の一枚だけの写真に写っていた教会がある。あそこよりここの方が高い。
左側にも後ろの方にもずっと同じような風景が広がっている。朝はずっと陰になっているところと早くから眩しいところと街が2分している感じ。それがきっと夕方は逆転するのだろうな。
ズームしてみた…ずっと向こうのあの高台から向こうは現代になってから建てられたアパートのようね。
しかし、その中に石造りの古い建物が見える。歴史の流れを感じるデザインね。
めぎたちの目指してきたこの教会はマテーラの大聖堂。イタリア語でCattedrale della Madonna della Bruna e di Sant’Eustachioと言って、訳すとブルーナの聖母と聖エウスタキウスのカテドラル。ブルーナの聖母とはマテーラの守護聖人で、聖エウスタキウスは狩りの守護聖人らしい。ちょっと入ってみましょ。
つづく。
マテーラ大聖堂の中 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、一年前の南イタリアのマテーラの旅行記を連載中。
マテーラ大聖堂は朝9時から開いていて、入場無料、フラッシュ禁止だが写真撮影はOK。11時にミサがあるみたい。
中に入ると、豪華な金色がまず目に入った。
ゴージャスだわね~
大聖堂自体は13世紀のプーリア・ロマネスク様式だが、中は17~18世紀に化粧し直されたようだ。
白に金、所々に青、ゴージャスな中に気品があるような。
でも、うちのドイツ人はこういうのが大嫌い。キンキラで趣味が悪いと感じるようだ。
2003年から2016年にかけて修復工事も行われたそうで、だからこんなに光り輝いて新しく見えるのかも。
主祭壇の絵は17世紀のもの。
教会には左右や祭壇の後ろなどに小さな礼拝堂もいくつかあって、これはその一つ。
ここは守護聖人のMadonna Della Brunaの祭壇。
大聖堂の内部の話はもう一回続く。
マテーラ大聖堂は朝9時から開いていて、入場無料、フラッシュ禁止だが写真撮影はOK。11時にミサがあるみたい。
中に入ると、豪華な金色がまず目に入った。
ゴージャスだわね~
大聖堂自体は13世紀のプーリア・ロマネスク様式だが、中は17~18世紀に化粧し直されたようだ。
白に金、所々に青、ゴージャスな中に気品があるような。
でも、うちのドイツ人はこういうのが大嫌い。キンキラで趣味が悪いと感じるようだ。
2003年から2016年にかけて修復工事も行われたそうで、だからこんなに光り輝いて新しく見えるのかも。
主祭壇の絵は17世紀のもの。
教会には左右や祭壇の後ろなどに小さな礼拝堂もいくつかあって、これはその一つ。
ここは守護聖人のMadonna Della Brunaの祭壇。
大聖堂の内部の話はもう一回続く。
大聖堂の歴史を感じるもの [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、2019~20年末年始の南イタリアのマテーラの旅行記を連載中。
ここは昨日も書いたマテーラ大聖堂の中。
その中に、いくつか小さな礼拝堂がある。ここはその一つ。
マリアの受胎告知の祭壇。
ここも金色で埋め尽くされているけど、いぶし銀ならぬいぶし金という感じで、そんなに悪趣味には見えないわよね。
ここは改修工事中のようでガラス越しだったが…
奥の黒っぽいところをあとでRAWから起こしてみてびっくり。こんなに立派なクリッペがあることにも天井画にもびっくりしたし、この頃買ったばかりだっためぎ初のミラーレスのAPS-CセンサーのZ50で撮った写真、手持ちでガラス越しにISO1800で撮ったのに、奥の小さな黒い部分にもこんなに情報が詰まっていて、このカメラ凄い、と。これはトリミング。
それから、大聖堂の壁に描かれた絵の中にも、歴史を感じるものがいくつかあった。
結構鮮やかで、古いフレスコ画を2003年から2016年までの修復工事で蘇らせたのかもしれないわね。
昔の人はこれを見て感動したのかな。金ぴかの大聖堂より、何かをダイレクトに伝えていたかもしれないわね。
カトリックの大聖堂らしく、ちゃんと懺悔の場所もあったし、その向こうにはガラス張りの棺桶のようなところに聖エウスタキウスなのか昔の司教なのか確認していないが、綺麗な像が眠っていた。
いつも教会に入ると素敵な写真が撮りたいなあって思って頑張るのだけど、やっぱりただ撮っただけになっちゃった…
ここは昨日も書いたマテーラ大聖堂の中。
その中に、いくつか小さな礼拝堂がある。ここはその一つ。
マリアの受胎告知の祭壇。
ここも金色で埋め尽くされているけど、いぶし銀ならぬいぶし金という感じで、そんなに悪趣味には見えないわよね。
ここは改修工事中のようでガラス越しだったが…
奥の黒っぽいところをあとでRAWから起こしてみてびっくり。こんなに立派なクリッペがあることにも天井画にもびっくりしたし、この頃買ったばかりだっためぎ初のミラーレスのAPS-CセンサーのZ50で撮った写真、手持ちでガラス越しにISO1800で撮ったのに、奥の小さな黒い部分にもこんなに情報が詰まっていて、このカメラ凄い、と。これはトリミング。
それから、大聖堂の壁に描かれた絵の中にも、歴史を感じるものがいくつかあった。
結構鮮やかで、古いフレスコ画を2003年から2016年までの修復工事で蘇らせたのかもしれないわね。
昔の人はこれを見て感動したのかな。金ぴかの大聖堂より、何かをダイレクトに伝えていたかもしれないわね。
カトリックの大聖堂らしく、ちゃんと懺悔の場所もあったし、その向こうにはガラス張りの棺桶のようなところに聖エウスタキウスなのか昔の司教なのか確認していないが、綺麗な像が眠っていた。
いつも教会に入ると素敵な写真が撮りたいなあって思って頑張るのだけど、やっぱりただ撮っただけになっちゃった…
街の南側へ [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、一年前(2019~20年末年始)の南イタリアのマテーラの旅行記を連載中。
街の旧市街の高台にあるマテーラ大聖堂を出て来たところ。外に出ると雰囲気は一変、日常に戻る。
そこから少し歩くと、Casa Nohaというこの街の先史時代から現代までの歴史博物館があるのだが、まだ開いていなかった。宿の人に勧められて興味あったのだけど、残念。
そこからこんなところを歩く。向こうの開けているところ、眺めよさそう。行ってみましょ。
途中にこんなアーチがあった。この辺りのふつうの建物が並んでいる中に、こんな古代のアーチ。ああイタリアねえ。昔はここに何があったのかしらね。
その手前にはこんな水場。これはかなり最近作られたもののはずで、でもこの街並みを全く邪魔していない。
わ~眺めよさそう~~
こんなところを通って…(この通りとドアの雰囲気やら、電線やら、いちいち面白いのでなかなか歩が進まない。)
わ~電線がロープウェイみたいね。これで古代と現代が繋がるって感じ。
そして、じゃじゃん!
ひゃ~すご~~~あぁ~下に小さな駐車場がある。ホント、古代と現代が同居してて、おもしろーい!
散歩はまだまだつづく。
街の旧市街の高台にあるマテーラ大聖堂を出て来たところ。外に出ると雰囲気は一変、日常に戻る。
そこから少し歩くと、Casa Nohaというこの街の先史時代から現代までの歴史博物館があるのだが、まだ開いていなかった。宿の人に勧められて興味あったのだけど、残念。
そこからこんなところを歩く。向こうの開けているところ、眺めよさそう。行ってみましょ。
途中にこんなアーチがあった。この辺りのふつうの建物が並んでいる中に、こんな古代のアーチ。ああイタリアねえ。昔はここに何があったのかしらね。
その手前にはこんな水場。これはかなり最近作られたもののはずで、でもこの街並みを全く邪魔していない。
わ~眺めよさそう~~
こんなところを通って…(この通りとドアの雰囲気やら、電線やら、いちいち面白いのでなかなか歩が進まない。)
わ~電線がロープウェイみたいね。これで古代と現代が繋がるって感じ。
そして、じゃじゃん!
ひゃ~すご~~~あぁ~下に小さな駐車場がある。ホント、古代と現代が同居してて、おもしろーい!
散歩はまだまだつづく。
目に入るもの [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
今日から再び一年前(2019~20年末年始)の南イタリアのマテーラのお話を。
朝の散歩でこんな景色の見えるところまでやってきたところ。
あの切り立った岩山のまま建物になっているらしいところまで行きたいな。
でも、さっさと歩くことはできない。屋根も面白いし…
左を見ても…
後ろを振り返っても、撮りたくなるものばかり。
今見るとどれも似たような建物ばかりなのだが、このときはどこを見ても絵になる~とあっち見てはカシャ、こっち見てはカシャッと。
下を見ても、これを撮らずにはいられない。自転車用かな。
アーチの埋め込まれた壁。何千年の歴史が詰まっていそう。
修復中のところもたくさん。
宿になるのか店になるのか、住まいになったりもするのかな。
この後コロナでロックダウンになって、今はこの街、どうなっているのかな。
朝の散歩でこんな景色の見えるところまでやってきたところ。
あの切り立った岩山のまま建物になっているらしいところまで行きたいな。
でも、さっさと歩くことはできない。屋根も面白いし…
左を見ても…
後ろを振り返っても、撮りたくなるものばかり。
今見るとどれも似たような建物ばかりなのだが、このときはどこを見ても絵になる~とあっち見てはカシャ、こっち見てはカシャッと。
下を見ても、これを撮らずにはいられない。自転車用かな。
アーチの埋め込まれた壁。何千年の歴史が詰まっていそう。
修復中のところもたくさん。
宿になるのか店になるのか、住まいになったりもするのかな。
この後コロナでロックダウンになって、今はこの街、どうなっているのかな。
洞窟住居の跡 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、一年前(2019~2020年末年始)の南イタリア・マテーラの話を連載中。
いつまでも歩が進まないのでそろそろ切り上げて…
あそこへ行きましょ。
下の方からゴロゴロという音が響いてきた…この石畳の上でコロを引くのはしんどそう。
そしてめぎたちも降りてきた。
こういうものにいちいち歩みを止めながら。
そして、こんな道に出た。
そこから岩山が見渡せた。
谷も。ずっと下には川があった。下の方には緑があるようね。
よく見ると、洞穴のようなのがいくつも見える。あれが洞窟住居の元の姿らしい。ああいうところに住んでいたってことね。あの上にも行けるようで、人の姿が見えた。めぎたちは行かなかったけど。あの洞窟のところにはちょっと行ってみたかったなと思う。
振り返るとこんな景色。あの大聖堂から降りてきたのよね。ホント、石ばかりね。
いつまでも歩が進まないのでそろそろ切り上げて…
あそこへ行きましょ。
下の方からゴロゴロという音が響いてきた…この石畳の上でコロを引くのはしんどそう。
そしてめぎたちも降りてきた。
こういうものにいちいち歩みを止めながら。
そして、こんな道に出た。
そこから岩山が見渡せた。
谷も。ずっと下には川があった。下の方には緑があるようね。
よく見ると、洞穴のようなのがいくつも見える。あれが洞窟住居の元の姿らしい。ああいうところに住んでいたってことね。あの上にも行けるようで、人の姿が見えた。めぎたちは行かなかったけど。あの洞窟のところにはちょっと行ってみたかったなと思う。
振り返るとこんな景色。あの大聖堂から降りてきたのよね。ホント、石ばかりね。
洞窟教会からの眺め [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、一年前(2020年始め)の南イタリアのマテーラの話を連載中。
昨日のこの車…
凄い臭いだった。
さて、あの崖の上に行こうと思っているのだが…
登り口を探して崖の裏側の方へ行ってみたら、かつての洞窟住居の跡が博物館になっているところがあった。
面白いのかもしれないが、博物館として展示されているところにはあまり興味が湧かなくて、中には入らなかった。これは外にあったむき出しの空間。
それからやっと上へ上る階段を見つけた。この岩山は中が教会なのだが、教会の中は撮影禁止だった。洞窟の岩肌にフレスコ画が描かれているという感じのとても古いところだった。この写真はこちらから。
場所はこちら。
これはその教会の入り口の前の広場から見えた風景。
その広場も岩山の一部がごつごつと。
昨日のこの写真でもその広場の場所が分かるかな。
岩山の上の十字架のところまでも行ってみた。右下に広場とそこで写真撮っている人のシルエットが見える。右奥に見えるのがマテーラ大聖堂。これは今いるところから北北西の方を見て撮ったもの。
眺めが素晴らしくてあちこちいっぱい撮ったのだが、上の写真以外はもう、どこをどう撮ったのか全然思い出せない…
緑があるところもたまに見えるのだが、例外って感じで、石しかないところ。あ、雨戸が緑だわね。
朝から晩まで光の変化を撮り続けていたくなるところだった。
昨日のこの車…
凄い臭いだった。
さて、あの崖の上に行こうと思っているのだが…
登り口を探して崖の裏側の方へ行ってみたら、かつての洞窟住居の跡が博物館になっているところがあった。
面白いのかもしれないが、博物館として展示されているところにはあまり興味が湧かなくて、中には入らなかった。これは外にあったむき出しの空間。
それからやっと上へ上る階段を見つけた。この岩山は中が教会なのだが、教会の中は撮影禁止だった。洞窟の岩肌にフレスコ画が描かれているという感じのとても古いところだった。この写真はこちらから。
場所はこちら。
これはその教会の入り口の前の広場から見えた風景。
その広場も岩山の一部がごつごつと。
昨日のこの写真でもその広場の場所が分かるかな。
岩山の上の十字架のところまでも行ってみた。右下に広場とそこで写真撮っている人のシルエットが見える。右奥に見えるのがマテーラ大聖堂。これは今いるところから北北西の方を見て撮ったもの。
眺めが素晴らしくてあちこちいっぱい撮ったのだが、上の写真以外はもう、どこをどう撮ったのか全然思い出せない…
緑があるところもたまに見えるのだが、例外って感じで、石しかないところ。あ、雨戸が緑だわね。
朝から晩まで光の変化を撮り続けていたくなるところだった。
パスコリ小広場へ [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、一年前(2020年1月初旬)の南イタリアのマテーラの話を連載中。
昨日の崖の教会から、また移動中。あちこちに十字架のある街だ。
洞窟住居はまだ改築中のところも多い。
だからこんなのもよく見かける。
この街はまだまだ貧しいだろうな。いや、イタリアって、特に南部は生活水準がドイツとは全く違う。だからEU基準であるはずのイタリアなのに、有毒ガスがそのまま出るような車も極めて普通に走ってるし、こういうのも座席が思いっきり壊れている(上の写真のトリミング)。壊れてても動くから気にしないし、取り締まったりもしないのがイタリアだ。ここにはここの生き方とルールがあるのだ。ヨーロッパって、本当に様々。
こういうところは中世からほとんど変わっていないのだろうな。電線などをあとで配線しただけで。
すり減った石。隙間から雑草。こんなところを上がったり下りたりを繰り返す。
そして、たぶんマテーラのメインストリートの一つではないかと思えるところに到達。見えている建物は国立博物館。
ここは人が多かった。
ワンちゃんを連れているってことは、ここの地元の人なのかな。もちろんヨーロッパでは犬連れで旅をする人も多いけど、この二人の感じ、地元っぽい。
上の写真の突き当りに見える建物の左に、Piazzetta Pascoliというところがあって、そこからこれまで歩いたところの全景が見えた。左上の大聖堂の裏から登ってきて、あの大聖堂を見た後、右の崖の教会に行って、そこからここまで歩いてきたのだ。結構歩いたわね~
場所はここ。
この場所の名前のパスコリって、ジョヴァンニ・パスコリという人の名前なのだが、どんな人なのか調べてみて非常に興味深かった。よかったらこちらをどうぞ。
素晴らしい景色だったなぁ…バベルの塔のような、ラピュタのような。
昨日の崖の教会から、また移動中。あちこちに十字架のある街だ。
洞窟住居はまだ改築中のところも多い。
だからこんなのもよく見かける。
この街はまだまだ貧しいだろうな。いや、イタリアって、特に南部は生活水準がドイツとは全く違う。だからEU基準であるはずのイタリアなのに、有毒ガスがそのまま出るような車も極めて普通に走ってるし、こういうのも座席が思いっきり壊れている(上の写真のトリミング)。壊れてても動くから気にしないし、取り締まったりもしないのがイタリアだ。ここにはここの生き方とルールがあるのだ。ヨーロッパって、本当に様々。
こういうところは中世からほとんど変わっていないのだろうな。電線などをあとで配線しただけで。
すり減った石。隙間から雑草。こんなところを上がったり下りたりを繰り返す。
そして、たぶんマテーラのメインストリートの一つではないかと思えるところに到達。見えている建物は国立博物館。
ここは人が多かった。
ワンちゃんを連れているってことは、ここの地元の人なのかな。もちろんヨーロッパでは犬連れで旅をする人も多いけど、この二人の感じ、地元っぽい。
上の写真の突き当りに見える建物の左に、Piazzetta Pascoliというところがあって、そこからこれまで歩いたところの全景が見えた。左上の大聖堂の裏から登ってきて、あの大聖堂を見た後、右の崖の教会に行って、そこからここまで歩いてきたのだ。結構歩いたわね~
場所はここ。
この場所の名前のパスコリって、ジョヴァンニ・パスコリという人の名前なのだが、どんな人なのか調べてみて非常に興味深かった。よかったらこちらをどうぞ。
素晴らしい景色だったなぁ…バベルの塔のような、ラピュタのような。
コーヒーブレイク [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
今日から再び一年前(2020年1月初旬)の南イタリアのマテーラのお話を。
先日ご紹介したパスコリ小広場の角にカフェがあった。
いっぱい歩いたので、ここで一休み。ワンちゃんも入れるカフェ。
色々食べ物も。
めぎたちは朝食をしっかり取っていたので、ここではおやつ程度。このとき10時40分。9時ごろ出発したから、1時間半ちょっと歩いていたってことね。
ここの床が印象的。カフェ自体は新しく見えたが、ずい分古いってことだわね。
さて、めぎたちはそろそろ宿の方向へ戻ることにした。このカフェのあるパスコリ小広場から見えるあの大聖堂の向こう側に泊まった宿がある。
しかしなかなか歩が進まない。ちょっと歩くと色々面白いものがあるのだもの。
電線…うふふ♪
あ、またあの3輪車。これにはサンタのシールが張られていた。
先日ご紹介したパスコリ小広場の角にカフェがあった。
いっぱい歩いたので、ここで一休み。ワンちゃんも入れるカフェ。
色々食べ物も。
めぎたちは朝食をしっかり取っていたので、ここではおやつ程度。このとき10時40分。9時ごろ出発したから、1時間半ちょっと歩いていたってことね。
ここの床が印象的。カフェ自体は新しく見えたが、ずい分古いってことだわね。
さて、めぎたちはそろそろ宿の方向へ戻ることにした。このカフェのあるパスコリ小広場から見えるあの大聖堂の向こう側に泊まった宿がある。
しかしなかなか歩が進まない。ちょっと歩くと色々面白いものがあるのだもの。
電線…うふふ♪
あ、またあの3輪車。これにはサンタのシールが張られていた。
石畳の階段を下りる [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、一年前(2020年1月初旬)の南イタリアのマテーラの話を連載中。
昨日見えていたこの教会はサン・フランチェスコ教会。ドイツ語にしたら聖フランツィスカーナー。中は見ていないけど。
場所はここ。
この近くから向こう側が見下ろせた。
屋根が素敵ですぐに撮ってしまう。屋根だけでなく、アンテナとか、電線とか、雨樋とか、管とか、テーマを決めて撮ったらきっと面白いだろうな。
めぎたちはこんな階段を下りた。
この日は1月2日。大晦日の花火の跡が散乱していた。ブリンディジではなくマテーラで年越ししたら賑やかだったんだろうな…
どこも絵になると言えば絵になるし、荒んでいると言えば荒んでいるところ。
ゴミ箱、石畳、石塀、そこに無造作に置かれた植木鉢やら犬の餌やりのボウル?やら、ホント面白い。それぞれの石の大きさや色の違いや、石の隙間から生えてきている色々な種類の雑草が、ここのリアリティを伝えている。ディズニーランドやハウステンボスなどのような作り物ではなく、アジアの洋風に作った新しい街並みとは違う、歴史の積み重ねと人の生活の営みがここにあるのだ。
意外とキッチリ分別してあるわね。
登っていく人や…
これから出かけるらしい人たち。そろそろ人が増えてきたわね。
昨日見えていたこの教会はサン・フランチェスコ教会。ドイツ語にしたら聖フランツィスカーナー。中は見ていないけど。
場所はここ。
この近くから向こう側が見下ろせた。
屋根が素敵ですぐに撮ってしまう。屋根だけでなく、アンテナとか、電線とか、雨樋とか、管とか、テーマを決めて撮ったらきっと面白いだろうな。
めぎたちはこんな階段を下りた。
この日は1月2日。大晦日の花火の跡が散乱していた。ブリンディジではなくマテーラで年越ししたら賑やかだったんだろうな…
どこも絵になると言えば絵になるし、荒んでいると言えば荒んでいるところ。
ゴミ箱、石畳、石塀、そこに無造作に置かれた植木鉢やら犬の餌やりのボウル?やら、ホント面白い。それぞれの石の大きさや色の違いや、石の隙間から生えてきている色々な種類の雑草が、ここのリアリティを伝えている。ディズニーランドやハウステンボスなどのような作り物ではなく、アジアの洋風に作った新しい街並みとは違う、歴史の積み重ねと人の生活の営みがここにあるのだ。
意外とキッチリ分別してあるわね。
登っていく人や…
これから出かけるらしい人たち。そろそろ人が増えてきたわね。
マテーラ散歩の終わり [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
2020年1月2日の南イタリアのマテーラの話は本日最終回。
わ~荷物いっぱいね。お土産なのかな。
そんなこんな人々や街並みを眺めつつ歩いてきて、めぎたちはやっと宿へ通じる通り(写真右下)が見えるところまで来た。
そこへ降りる階段を、ちょうどたくさんの人たちが昇ってきていた。
観光グループみたい。階段を昇り切ったところにある小さな広場で説明を聞いていた。
当時はこれも普通の光景だったが…いつかこうやって人がたくさん一緒に歩くことがまた可能になるのだろうか…?写真を見ながら、そんなことばっかり考えてしまう。
階段から見えた景色。
このレストラン可愛いなあと思って写したこの写真のおかげで、めぎはこの場所を後でグーグルマップで探し出すことができた。
あ、まだ説明が続いてる…
宿のある通り。この辺りに泊まっている車はここに住んでいる人やここで働いている人のもので、一般車両は立ち入り禁止区域。
あ、サンタも休暇に入ったようね。
こうしてスタート地点に戻ってきた。11時9分。2時間の散歩だったわけね。
そして宿から荷物を引き取って、出発。めぎたちの車はこの宿の裏の山の上。そこは駐車無料区域だったのだ。
しばらくこんなところを歩いて、マテーラに別れを告げた。
あ、また3輪車。そうそう、この車は、以前出したのも含め全てPiaggio Apeというイタリア車。
以上でマテーラの話はおしまい。この後は旅の終盤に入る。立ち寄った街としてはあと2か所あって、ブログの記事にしてたぶんあと8回前後。その話はまた数日後から再開予定。
わ~荷物いっぱいね。お土産なのかな。
そんなこんな人々や街並みを眺めつつ歩いてきて、めぎたちはやっと宿へ通じる通り(写真右下)が見えるところまで来た。
そこへ降りる階段を、ちょうどたくさんの人たちが昇ってきていた。
観光グループみたい。階段を昇り切ったところにある小さな広場で説明を聞いていた。
当時はこれも普通の光景だったが…いつかこうやって人がたくさん一緒に歩くことがまた可能になるのだろうか…?写真を見ながら、そんなことばっかり考えてしまう。
階段から見えた景色。
このレストラン可愛いなあと思って写したこの写真のおかげで、めぎはこの場所を後でグーグルマップで探し出すことができた。
あ、まだ説明が続いてる…
宿のある通り。この辺りに泊まっている車はここに住んでいる人やここで働いている人のもので、一般車両は立ち入り禁止区域。
あ、サンタも休暇に入ったようね。
こうしてスタート地点に戻ってきた。11時9分。2時間の散歩だったわけね。
そして宿から荷物を引き取って、出発。めぎたちの車はこの宿の裏の山の上。そこは駐車無料区域だったのだ。
しばらくこんなところを歩いて、マテーラに別れを告げた。
あ、また3輪車。そうそう、この車は、以前出したのも含め全てPiaggio Apeというイタリア車。
以上でマテーラの話はおしまい。この後は旅の終盤に入る。立ち寄った街としてはあと2か所あって、ブログの記事にしてたぶんあと8回前後。その話はまた数日後から再開予定。
グラヴィーナ・イン・プーリアというところ [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
今日からまた一年前(2020年1月初め)の南イタリアのお話を。
マテーラをあとにして、再びプーリア州へと走る。これはマテーラの岩山から降りてきているところ。
ちょうど前にいた車は霊柩車だった…お墓は街の外にあるということね。
それからしばらくこんな道を行く。この辺り、アウトバーンはなく、ひたすらこんな道を走る。だから南イタリアの旅は、そんなに大きな地域でなくても時間がかかる。
昨日のYAPさんのコメントのおかげで、電気自動車が70㎞よりもっと走れるということが分かってちょっとホッとした。あとは、やっぱり、ガソリンの力を借りずにどこまで行けるかと、500㎞で一回ほど充電するとしてそれがどのぐらいかかるかと(つまり旅を中断させられる時間がどのぐらいで、これでの20分程度の休憩と似たようなレベルでありうるか)、その充電の場所が今のガソリンスタンドと同様にすぐに利用できて待ち時間など無しで行けるのか、という点であろうと思う。いつの日か、レンタカーでちょっと体験してみたいような気もする。しかしめぎ家のこのような旅スタイルだと、充電の場所を見つけるのがかなり難しいような気がする…この辺り、ガソリンスタンドもあまりなかったし。旅のリズムで充電のタイミングを見つけるのも難しそうね。そういうのはでも慣れるものなのかな。
さて、車窓からはこんな暮らしが見える。ここの人たちは何をしているのかな。時折見かけた山羊&羊飼いか、この辺りのワイン造りか(でもワイン畑は見当たらなかったなあ…)、まあほとんどが小麦かな。
そしてめぎたちはある街へやってきた。Gravina in Puglia(グラヴィーナ・イン・プーリア)という街である。場所はこちら。右下の方に出発地マテーラがある。スクロールすれば見えてくる。
その町に来たのは、うちのドイツ人があるものを見たいということで。それは街の中ではなく、外れの方にあるようだ。ここを下りていく。
行きたいところはあの辺のようだが、まだよく見えない。
ここの人たちはこういうアパートで暮らしているのね。
そこにこんな水場があった。
Fontana la Stellaというようだ。
そこからこんな橋が架かっている。見たかったのはこれである。
つづく。
マテーラをあとにして、再びプーリア州へと走る。これはマテーラの岩山から降りてきているところ。
ちょうど前にいた車は霊柩車だった…お墓は街の外にあるということね。
それからしばらくこんな道を行く。この辺り、アウトバーンはなく、ひたすらこんな道を走る。だから南イタリアの旅は、そんなに大きな地域でなくても時間がかかる。
昨日のYAPさんのコメントのおかげで、電気自動車が70㎞よりもっと走れるということが分かってちょっとホッとした。あとは、やっぱり、ガソリンの力を借りずにどこまで行けるかと、500㎞で一回ほど充電するとしてそれがどのぐらいかかるかと(つまり旅を中断させられる時間がどのぐらいで、これでの20分程度の休憩と似たようなレベルでありうるか)、その充電の場所が今のガソリンスタンドと同様にすぐに利用できて待ち時間など無しで行けるのか、という点であろうと思う。いつの日か、レンタカーでちょっと体験してみたいような気もする。しかしめぎ家のこのような旅スタイルだと、充電の場所を見つけるのがかなり難しいような気がする…この辺り、ガソリンスタンドもあまりなかったし。旅のリズムで充電のタイミングを見つけるのも難しそうね。そういうのはでも慣れるものなのかな。
さて、車窓からはこんな暮らしが見える。ここの人たちは何をしているのかな。時折見かけた山羊&羊飼いか、この辺りのワイン造りか(でもワイン畑は見当たらなかったなあ…)、まあほとんどが小麦かな。
そしてめぎたちはある街へやってきた。Gravina in Puglia(グラヴィーナ・イン・プーリア)という街である。場所はこちら。右下の方に出発地マテーラがある。スクロールすれば見えてくる。
その町に来たのは、うちのドイツ人があるものを見たいということで。それは街の中ではなく、外れの方にあるようだ。ここを下りていく。
行きたいところはあの辺のようだが、まだよく見えない。
ここの人たちはこういうアパートで暮らしているのね。
そこにこんな水場があった。
Fontana la Stellaというようだ。
そこからこんな橋が架かっている。見たかったのはこれである。
つづく。
水道橋を渡る [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、2020年1月初めの南イタリアの旅行記を連載中。
ここは昨日の記事でやってきたグラヴィーナ・イン・プーリアというところ。
この古い橋を渡るのだが、この橋は1734年に建てられた水道橋。昨日ご紹介した水場の水を供給していた水路。
その昔建てられたらしい古代ローマ水道橋は、たぶん何度も地震で崩壊しては建て替えられてきたらしい。史書として残っている記録は、1686年の地震で当時の橋が危険な状態となり、1722年の地震で崩壊。それを建て直したのがここにある今の橋。情報源はこちら。
グラヴィーナ川にかかる橋で、その川が長年かけてずいぶん浸食したらしいことが伺える。マテーラと似てるわね。あの洞窟のところに礼拝所があって、中世の頃はもちろん今でも使われているらしい。
途中で下が見えるようになっている場所があったので…
覗いてパチリ。ずいぶん浸食したわねえ。川は全然見えないけど、1855年に洪水で橋を修復したという記録もあるようだから、凄い水量になることもあるということね。
そして橋を渡り切り、振り返る。街はあっち。橋が建てられたのは、水路のためだけでなくこちらにあったMadonnna della Stella教会に人々が行けるようにするためだったとか。
その教会の跡の場所に立って橋を眺めてみる。今日の記事の一枚目の写真の右端に写っているところね。
昔の人って凄いなあ。水のためでもあるけど、宗教のためにこんなの12年で建てちゃったんだものね。
ここは昨日の記事でやってきたグラヴィーナ・イン・プーリアというところ。
この古い橋を渡るのだが、この橋は1734年に建てられた水道橋。昨日ご紹介した水場の水を供給していた水路。
その昔建てられたらしい古代ローマ水道橋は、たぶん何度も地震で崩壊しては建て替えられてきたらしい。史書として残っている記録は、1686年の地震で当時の橋が危険な状態となり、1722年の地震で崩壊。それを建て直したのがここにある今の橋。情報源はこちら。
グラヴィーナ川にかかる橋で、その川が長年かけてずいぶん浸食したらしいことが伺える。マテーラと似てるわね。あの洞窟のところに礼拝所があって、中世の頃はもちろん今でも使われているらしい。
途中で下が見えるようになっている場所があったので…
覗いてパチリ。ずいぶん浸食したわねえ。川は全然見えないけど、1855年に洪水で橋を修復したという記録もあるようだから、凄い水量になることもあるということね。
そして橋を渡り切り、振り返る。街はあっち。橋が建てられたのは、水路のためだけでなくこちらにあったMadonnna della Stella教会に人々が行けるようにするためだったとか。
その教会の跡の場所に立って橋を眺めてみる。今日の記事の一枚目の写真の右端に写っているところね。
昔の人って凄いなあ。水のためでもあるけど、宗教のためにこんなの12年で建てちゃったんだものね。
こちら側から街を見渡す [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、2020年1月初めの南イタリアの旅行記を連載中。
ここはグラヴィーナ・イン・プーリアという街。
1枚目の写真から視線を右にずらすと、街の大聖堂が見える。立派ねえ。
そこからこちらへは、近そうだけど簡単には来られない。
ず~っと下にグラヴィーナ川があるのだろうが、よく見えない。そんな川が橋を壊しちゃうほどの勢いになることもあるなんて、自然って凄いわねえ。
めぎたちがいる側には、草原が広がっていた。
橋と大聖堂の両方が写真に納まる場所を探して、ちょっと移動。
その辺りは、かつて町があったのか大きな建物があったのか、そんな跡が残っていた。影はめぎ♪
どこまで通じているんだろう…ずっと下の川のところまで?この穴、ちょっと怖かった。
ここはグラヴィーナ・イン・プーリアという街。
1枚目の写真から視線を右にずらすと、街の大聖堂が見える。立派ねえ。
そこからこちらへは、近そうだけど簡単には来られない。
ず~っと下にグラヴィーナ川があるのだろうが、よく見えない。そんな川が橋を壊しちゃうほどの勢いになることもあるなんて、自然って凄いわねえ。
めぎたちがいる側には、草原が広がっていた。
橋と大聖堂の両方が写真に納まる場所を探して、ちょっと移動。
その辺りは、かつて町があったのか大きな建物があったのか、そんな跡が残っていた。影はめぎ♪
どこまで通じているんだろう…ずっと下の川のところまで?この穴、ちょっと怖かった。
再びコーヒーブレイク [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、2020年1月初めの南イタリアの旅行記を連載中。
グラヴィーナ・イン・プーリアという街と水道橋。
水道橋と、奥にグラヴィーナ・イン・プーリアの大聖堂と、右にこちら側のマドンナ・デッラ・ステラという教会の廃墟。
にぎやかにおしゃべりしながら歩いて行く声が響いていた。
2日前の記事で水道橋を渡り切ってから写したのはあそこ。あそこがマドンナ・デッラ・ステラ教会の跡。
…という訳で、見るべきものを見終わり、写すべきものも写し終わり(うまく撮れたかどうかはさておき)、満足しためぎたちは再び橋を渡って町に戻ってきた。
そして、角のバールで一休み。
うちのドイツ人と半分こしたので食べかけのように見えるが、この2種類のパン(詳細は忘れたが生ハムが中に挟まっていたような記憶)がお昼代わり。水がこんなプラスチックのに入れられて出てくるのは、今回の旅では他の街でも経験済み。イタリアは、少なくともこういう南イタリアの田舎では、環境破壊云々と考えるところからはまだまだ遠いようだ。
店の外で記録としてパチリ。コーヒーブレイクを取るのは、お手洗いを借りるためでもある。でも、コーヒー飲むとまたお手洗いに行きたくなっちゃうのよね~でもでも、イタリアでコーヒー飲まないというのもね~ホントどこに入っても美味しくて。
このとき13時15分ぐらいで、それからめぎ家はここから70㎞程離れたその日に宿泊する海沿いの街まで一気に移動。海に近づくとちょっとだけアウトバーンがあったのだが、それ以外はずっと田舎道で、例えばこんな風景を見ながら。
これ、何だったのかな~石の間に金属も使われているからそんな古いものでもないと思うのだが。こんなのがあちこちにあるのだが、何のために使われていたのか全く分からないものも多い。いろんな時代で時が止まっているようなところだった。
グラヴィーナ・イン・プーリアという街と水道橋。
水道橋と、奥にグラヴィーナ・イン・プーリアの大聖堂と、右にこちら側のマドンナ・デッラ・ステラという教会の廃墟。
にぎやかにおしゃべりしながら歩いて行く声が響いていた。
2日前の記事で水道橋を渡り切ってから写したのはあそこ。あそこがマドンナ・デッラ・ステラ教会の跡。
…という訳で、見るべきものを見終わり、写すべきものも写し終わり(うまく撮れたかどうかはさておき)、満足しためぎたちは再び橋を渡って町に戻ってきた。
そして、角のバールで一休み。
うちのドイツ人と半分こしたので食べかけのように見えるが、この2種類のパン(詳細は忘れたが生ハムが中に挟まっていたような記憶)がお昼代わり。水がこんなプラスチックのに入れられて出てくるのは、今回の旅では他の街でも経験済み。イタリアは、少なくともこういう南イタリアの田舎では、環境破壊云々と考えるところからはまだまだ遠いようだ。
店の外で記録としてパチリ。コーヒーブレイクを取るのは、お手洗いを借りるためでもある。でも、コーヒー飲むとまたお手洗いに行きたくなっちゃうのよね~でもでも、イタリアでコーヒー飲まないというのもね~ホントどこに入っても美味しくて。
このとき13時15分ぐらいで、それからめぎ家はここから70㎞程離れたその日に宿泊する海沿いの街まで一気に移動。海に近づくとちょっとだけアウトバーンがあったのだが、それ以外はずっと田舎道で、例えばこんな風景を見ながら。
これ、何だったのかな~石の間に金属も使われているからそんな古いものでもないと思うのだが。こんなのがあちこちにあるのだが、何のために使われていたのか全く分からないものも多い。いろんな時代で時が止まっているようなところだった。
ジョヴィナッツォという街 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、2020年1月初めの南イタリアの旅行記を連載中。今日から旅の最終宿泊地のお話を。
南イタリアのMatera(マテーラ、洞窟住居のあるところ)を11時半頃出発して、近くのGravina in Puglia(グラヴィーナ・イン・プーリア、水道橋のあるところ)を通って海沿いのBari(バーリ)という街の西隣にあるGiovinazzo(ジョヴィナッツォ)という小さな街へ移動。こんな港のある街。
場所はこちら。
とくに有名なものがあるわけでもない小さな街なのだが、次の日の朝が9時ごろの飛行機で、レンタカーを返したりもあるので、空港の近くに最後の宿を取ったのだった。バーリ空港なのでバーリという街の方に宿を取ることも考えたが、空港はバーリとこのジョヴィナッツォのちょうど真ん中ぐらいにあって(上の地図を何度かマイナスすると左下に空港とバーリという街が見えてくる)、道の様子を見るとジョヴィナッツォからの方が行きやすそうなので、そしてバーリという大きめの街よりちっちゃな街の方が面白いかもと思って、ジョヴィナッツォの方にしたのだった。
街への到着は14時半頃。まずはガソリンスタンドへ。このときディーゼルが1リットル当たり1.479ユーロで、満タンで45.5リットルほど入れ、67ユーロほどかかった。
このときのレンタカーはダチア・ダスター。この写真は旅行の始め頃に写したもので、この日のものではないが。特にこれを希望したわけではなく、安い小さめの車、というカテゴリーにしたのだが、これがあてがわれたのだった。イタリアは道が細く曲がるのや対向や駐車が大変なことも多々あるので、小さい車を借りることにしているのに結構大きな車で、ちょっとむむむと思った記憶。案の定めぎが降りて誘導したりすることも多かった。
さて、そのガソリンスタンドのところには結構大きめのスーパーもあって、めぎたちはそこでお土産の買い物をした。お土産と言っても他人へのお土産は一つもなくて自分たちが食べるものだけなのだが、ここで…
このCima di rapeという野菜を見つけて、やった~とお買い上げ。何度か夕食で菜の花みたいな味の野菜が出てきたので、それを買いたいと思っていたのだ。(これがRapaという名前でドイツでもトルコ系の店で売られているのをこの後発見し、今年も何度か購入して食している。これで菜の花の代用を見つけたわ。ちょっと苦みのある味わいがとても嬉しい。)
それから、めぎ家で使っているこのタイプのエスプレッソマシーンの売り場で…
めぎたちはフィルターのパッキンのゴムの部分を購入。このマシーンの大きさも種類がいっぱいあって、その一つ一つの替えの部品もあって、充実度が羨ましい。やっぱりイタリアだわね。
それから宿にチェックインし(宿の話は後日)、光があるうちに散歩に出かけた。これは15時40分頃の撮影。
アドリア海に面した港。
夏は賑わうのかな。
南イタリアのMatera(マテーラ、洞窟住居のあるところ)を11時半頃出発して、近くのGravina in Puglia(グラヴィーナ・イン・プーリア、水道橋のあるところ)を通って海沿いのBari(バーリ)という街の西隣にあるGiovinazzo(ジョヴィナッツォ)という小さな街へ移動。こんな港のある街。
場所はこちら。
とくに有名なものがあるわけでもない小さな街なのだが、次の日の朝が9時ごろの飛行機で、レンタカーを返したりもあるので、空港の近くに最後の宿を取ったのだった。バーリ空港なのでバーリという街の方に宿を取ることも考えたが、空港はバーリとこのジョヴィナッツォのちょうど真ん中ぐらいにあって(上の地図を何度かマイナスすると左下に空港とバーリという街が見えてくる)、道の様子を見るとジョヴィナッツォからの方が行きやすそうなので、そしてバーリという大きめの街よりちっちゃな街の方が面白いかもと思って、ジョヴィナッツォの方にしたのだった。
街への到着は14時半頃。まずはガソリンスタンドへ。このときディーゼルが1リットル当たり1.479ユーロで、満タンで45.5リットルほど入れ、67ユーロほどかかった。
このときのレンタカーはダチア・ダスター。この写真は旅行の始め頃に写したもので、この日のものではないが。特にこれを希望したわけではなく、安い小さめの車、というカテゴリーにしたのだが、これがあてがわれたのだった。イタリアは道が細く曲がるのや対向や駐車が大変なことも多々あるので、小さい車を借りることにしているのに結構大きな車で、ちょっとむむむと思った記憶。案の定めぎが降りて誘導したりすることも多かった。
さて、そのガソリンスタンドのところには結構大きめのスーパーもあって、めぎたちはそこでお土産の買い物をした。お土産と言っても他人へのお土産は一つもなくて自分たちが食べるものだけなのだが、ここで…
このCima di rapeという野菜を見つけて、やった~とお買い上げ。何度か夕食で菜の花みたいな味の野菜が出てきたので、それを買いたいと思っていたのだ。(これがRapaという名前でドイツでもトルコ系の店で売られているのをこの後発見し、今年も何度か購入して食している。これで菜の花の代用を見つけたわ。ちょっと苦みのある味わいがとても嬉しい。)
それから、めぎ家で使っているこのタイプのエスプレッソマシーンの売り場で…
めぎたちはフィルターのパッキンのゴムの部分を購入。このマシーンの大きさも種類がいっぱいあって、その一つ一つの替えの部品もあって、充実度が羨ましい。やっぱりイタリアだわね。
それから宿にチェックインし(宿の話は後日)、光があるうちに散歩に出かけた。これは15時40分頃の撮影。
アドリア海に面した港。
夏は賑わうのかな。
ジョヴィナッツォの散歩 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
今日からまた2020年1月初めの南イタリアの旅行記の続きをどうぞ。
これは南イタリアのバーリの西隣にあるジョヴィナッツォという小さな街の港。
めぎたちは明るいうちにレストランさがし。なにしろこの日は1月2日で、ヨーロッパ的にはもう平日(この日は木曜日だった)とは言えオフシーズンだし街はシーンと静まり返ってて、やっているところが非常に少ないのだ。まずは宿の人のお勧めのところに行ってみることに。途中、鳥がたくさんたくさん飛んでいた。
月もあって、印象的だったのだけど、全然それが伝わらないわねえ。
宿の人のお勧めのレストランはこんな道にある。ホントにレストランがあるのか?と思うような人気のなさ。
猫さんが芸術鑑賞中。
無事にレストランを発見し、この時間は準備中だったけど営業するとのことだったので、念のためテーブルを予約してここをあとにした。
帰りには海沿いを。
ああこれでまた海もしばらくお別れだなあ…と思いながら。
海沿いにこんな建物が並んでいる。そして、人が全然いない。ここに住んでいる人はみんなどこにいるのかしら。
車が結構並んでいるので人はいるのだと思うのだけど。めぎたちもこの一角に車を止めた。無料だったし、5分ほど歩けば宿だから。旧市街の中の宿のすぐ近くには止められなかったのだ。うちのドイツ人はこういう路駐のところで無料の駐車場を見つけるのがものすごくうまい。小さなスペースでの縦列駐車もうまい。やっぱりその辺はヨーロッパの人っていう感じ。
これは南イタリアのバーリの西隣にあるジョヴィナッツォという小さな街の港。
めぎたちは明るいうちにレストランさがし。なにしろこの日は1月2日で、ヨーロッパ的にはもう平日(この日は木曜日だった)とは言えオフシーズンだし街はシーンと静まり返ってて、やっているところが非常に少ないのだ。まずは宿の人のお勧めのところに行ってみることに。途中、鳥がたくさんたくさん飛んでいた。
月もあって、印象的だったのだけど、全然それが伝わらないわねえ。
宿の人のお勧めのレストランはこんな道にある。ホントにレストランがあるのか?と思うような人気のなさ。
猫さんが芸術鑑賞中。
無事にレストランを発見し、この時間は準備中だったけど営業するとのことだったので、念のためテーブルを予約してここをあとにした。
帰りには海沿いを。
ああこれでまた海もしばらくお別れだなあ…と思いながら。
海沿いにこんな建物が並んでいる。そして、人が全然いない。ここに住んでいる人はみんなどこにいるのかしら。
車が結構並んでいるので人はいるのだと思うのだけど。めぎたちもこの一角に車を止めた。無料だったし、5分ほど歩けば宿だから。旧市街の中の宿のすぐ近くには止められなかったのだ。うちのドイツ人はこういう路駐のところで無料の駐車場を見つけるのがものすごくうまい。小さなスペースでの縦列駐車もうまい。やっぱりその辺はヨーロッパの人っていう感じ。
ジョヴィナッツォの宿 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
現在、2020年1月初めの南イタリアの旅行記を連載中。
レストランの目途もつけて宿に戻ってきた。この通りの右側に見えている建物の隣(写真に写っていない)がめぎたちの泊まったところ。この通りの名前はPiazza Duomoといい、写真奥に見えているサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の向こう側が港。
場所はここ。ストリートビューで見ると、29番という番号の戸口の右にある茶色の閉まっている木戸のところで、このストリートビューの写真では木戸に取っ手もついていなくて、改装中か閉鎖中に見える。これ、いつ撮ったものなのかしらね。めぎたちが来たときはガラス窓のついたドアになっていて、コロナ前にブームだった民泊のような、別のところに住んでいる家族が所有しているこの木戸の一階の部屋を貸している、という感じだった。だからここにはチェックインの人がいるわけではなく、到着して電話をしたら鍵を持った人がやってきて、次の日の朝は部屋の中に鍵を置いて行ってくれ、とのこと。予約はこちらから。
中はアパルトメント。大きなワンルームという感じで、ソファもあるし…
キッチンもあるし…
奥にベッドもあって…
さらにシャワールーム。長期滞在できるように、洗濯機もあった。
この部屋、一泊二人で33.3ユーロ(約4200円)。一人当たり2千円ちょっとと安かったのは、名もない田舎町の部屋であるとともに、1階の部屋だということと、窓がないことによるかなと思う。窓かなと思ったところはただの納戸で、サイトでは海が臨めるような書き方をしているけど、そんな場所は部屋には無かった。ちょっと騙されたような気がしたけど、でもまあ33ユーロだからね。今見ると、一泊43ユーロとなっている。その近くには一泊60ユーロ出せば海の見える部屋を提供しているアパルトメントもある。ただ、一泊60ユーロの方は、泊まれるのは二泊以上から。この辺は、滞在型の休暇を過ごしに来るエリアなのだろうな。
ここでスマホを使って次の日の朝の飛行機のチェックイン。ホント、便利な世の中になったわねえ…
そして、日が暮れてから夕食に出かけた。
なにしろイタリアのレストランだから、夜は遅いのだ。今回のレストランは19時からだったのだけど、20時からとかも多いのよね。そして、開店とともに来るのはドイツ人をはじめとする北欧の人間ばかりで、イタリア人は子連れでも21時とか22時とかにやってくる。
食事の話はまた明日。
レストランの目途もつけて宿に戻ってきた。この通りの右側に見えている建物の隣(写真に写っていない)がめぎたちの泊まったところ。この通りの名前はPiazza Duomoといい、写真奥に見えているサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂の向こう側が港。
場所はここ。ストリートビューで見ると、29番という番号の戸口の右にある茶色の閉まっている木戸のところで、このストリートビューの写真では木戸に取っ手もついていなくて、改装中か閉鎖中に見える。これ、いつ撮ったものなのかしらね。めぎたちが来たときはガラス窓のついたドアになっていて、コロナ前にブームだった民泊のような、別のところに住んでいる家族が所有しているこの木戸の一階の部屋を貸している、という感じだった。だからここにはチェックインの人がいるわけではなく、到着して電話をしたら鍵を持った人がやってきて、次の日の朝は部屋の中に鍵を置いて行ってくれ、とのこと。予約はこちらから。
中はアパルトメント。大きなワンルームという感じで、ソファもあるし…
キッチンもあるし…
奥にベッドもあって…
さらにシャワールーム。長期滞在できるように、洗濯機もあった。
この部屋、一泊二人で33.3ユーロ(約4200円)。一人当たり2千円ちょっとと安かったのは、名もない田舎町の部屋であるとともに、1階の部屋だということと、窓がないことによるかなと思う。窓かなと思ったところはただの納戸で、サイトでは海が臨めるような書き方をしているけど、そんな場所は部屋には無かった。ちょっと騙されたような気がしたけど、でもまあ33ユーロだからね。今見ると、一泊43ユーロとなっている。その近くには一泊60ユーロ出せば海の見える部屋を提供しているアパルトメントもある。ただ、一泊60ユーロの方は、泊まれるのは二泊以上から。この辺は、滞在型の休暇を過ごしに来るエリアなのだろうな。
ここでスマホを使って次の日の朝の飛行機のチェックイン。ホント、便利な世の中になったわねえ…
そして、日が暮れてから夕食に出かけた。
なにしろイタリアのレストランだから、夜は遅いのだ。今回のレストランは19時からだったのだけど、20時からとかも多いのよね。そして、開店とともに来るのはドイツ人をはじめとする北欧の人間ばかりで、イタリア人は子連れでも21時とか22時とかにやってくる。
食事の話はまた明日。
南イタリア最後の晩餐 [2019-20年末年始 イタリア・プーリア州]
2019~20年末年始の南イタリアの話は本日最終回。
南イタリア最後の夜は、宿の人に紹介されたこのレストランで。
レストランの名前はScvnazzといい、ホームページはこちら。場所はこちら。
ちょっとポップな感じの内装。
魚介が食べたいと言って紹介されたのがこのレストランだったのだ。
いつもそうなのか、1月2日という日付の所為なのかわからないが、今日の料理はこの中から。そうそう、この日のウェイターさんはドイツで働いたこともあるというおじさんで、片言のドイツ語で応対してくれた。ここ、きっと、ドイツからの観光客が多いのだろうな。
お通しはこれで…
タコ尽くしって感じだけど、煮たタコと…
焼いたタコを食べた。これ、どちらか片方で十分な量だったのだが、注文するときには前菜でこんなにいっぱい出てくるとは思わなかったから。
そうそう、テーブルの上には赤ワインが既に置かれていたのだが、めぎたちは白にした。
それからここのお手製パスタ。これ、美味しかったな~こういう何でもないものがものすごく美味しいのがイタリア。
そして、揚げた魚!ひょ~これはもう食べられない~ということで、半分以上をお持ち帰り。ちゃんと包んでくれて、それを飛行機で持ち帰って、デュッセルドルフに帰ってきてから天ぷらそばのように麺の上にのせて、遅ればせながらの年越しそばのかわりにしたような記憶。
そして美味しいものでおなかいっぱいになって、満ち足りた思いで旅を終えた。帰り道でこの海を写して以来、めぎは海を見ていない。このとき、まさかこの後こんなに長い間旅に行けなくなるとは思ってもいなかった。めぎはまあ夏にザルツブルクに行ったのだけど、感染を避けるためレストランで食べるというような気軽さははなかったし、うちのドイツ人はこれ以来旅をしていないのだ。
次の日の朝は6時45分に宿を出て、まだ薄暗い道を急ぎ、車のトランクに勝ったまま無造作にぶち込んであった野菜やら揚げた魚やらあちこちで買ったワインやらを道端でスーツケースに詰め直し、空港へ。バタバタしてたし、空港までは(と言うか空港のレンタカー返却の場所まで)めぎがスマホで地図を見ながらナビをしていたので撮影の余裕はなく、上の写真が今回の旅行の最後の写真となった。
以上で南イタリアのプーリア州とマテーラの旅行記はおしまい。
南イタリア最後の夜は、宿の人に紹介されたこのレストランで。
レストランの名前はScvnazzといい、ホームページはこちら。場所はこちら。
ちょっとポップな感じの内装。
魚介が食べたいと言って紹介されたのがこのレストランだったのだ。
いつもそうなのか、1月2日という日付の所為なのかわからないが、今日の料理はこの中から。そうそう、この日のウェイターさんはドイツで働いたこともあるというおじさんで、片言のドイツ語で応対してくれた。ここ、きっと、ドイツからの観光客が多いのだろうな。
お通しはこれで…
タコ尽くしって感じだけど、煮たタコと…
焼いたタコを食べた。これ、どちらか片方で十分な量だったのだが、注文するときには前菜でこんなにいっぱい出てくるとは思わなかったから。
そうそう、テーブルの上には赤ワインが既に置かれていたのだが、めぎたちは白にした。
それからここのお手製パスタ。これ、美味しかったな~こういう何でもないものがものすごく美味しいのがイタリア。
そして、揚げた魚!ひょ~これはもう食べられない~ということで、半分以上をお持ち帰り。ちゃんと包んでくれて、それを飛行機で持ち帰って、デュッセルドルフに帰ってきてから天ぷらそばのように麺の上にのせて、遅ればせながらの年越しそばのかわりにしたような記憶。
そして美味しいものでおなかいっぱいになって、満ち足りた思いで旅を終えた。帰り道でこの海を写して以来、めぎは海を見ていない。このとき、まさかこの後こんなに長い間旅に行けなくなるとは思ってもいなかった。めぎはまあ夏にザルツブルクに行ったのだけど、感染を避けるためレストランで食べるというような気軽さははなかったし、うちのドイツ人はこれ以来旅をしていないのだ。
次の日の朝は6時45分に宿を出て、まだ薄暗い道を急ぎ、車のトランクに勝ったまま無造作にぶち込んであった野菜やら揚げた魚やらあちこちで買ったワインやらを道端でスーツケースに詰め直し、空港へ。バタバタしてたし、空港までは(と言うか空港のレンタカー返却の場所まで)めぎがスマホで地図を見ながらナビをしていたので撮影の余裕はなく、上の写真が今回の旅行の最後の写真となった。
以上で南イタリアのプーリア州とマテーラの旅行記はおしまい。