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ビンツに到着 [リューゲン島]

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現在、5月末のリューゲン島旅行記を連載中。滞在2日目のハイキングの話の続き。

出発から2時間ほど歩き、下にこんな海岸が見えるところで・・・
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下へ降りてみることにした。こんなところを下る。
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もうゼリンの町は見えない。
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ビンツはもう少し。
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ズームアップ♪
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遠くに白亜の岩壁。その手前に鳥がいっぱい。
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鵜もいるわね~
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ここは白亜じゃないけど、石の綺麗なところで、いくつか拾って帰った。
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また上へ戻り、あともう少し!
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到着~~
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ビーチの籠を接写!
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どうして籠なのかと言えば、もともとは、ビーチで避暑を過ごした上流階級の人たちにとって地べたに寝転がるというのは考えられず、ドレスのまま腰掛けられるソファーの形をした籠が作られたのだと思われる。また、ドイツ北部は風が強いため、ビーチパラソルでは心許なく、風よけも兼ねていると思われる。さらに、こうして鍵をかけられるため、荷物を置いて泳ぎに行くのにも便利である。
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いつか座ってみたいと思いつつ、今回も機会がなかった。
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いい天気~~
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子どもたちがたくさんいた。
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なかなか独創的ね。
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浜辺で砂の城など築く遊びはどこの国も同じだけど、海辺と言えども海の家の屋台のような匂いもない。ちょっと日本の海が懐かしくなる。

でも、ハーゲブッテ(ローズヒップ=たぶんハマナス)の花はここにも。
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これはかつてレスキューの建物だったが、今は町の戸籍課が結婚式場として使っているそうだ。(ドイツでは教会で結婚する人が減っていて、無宗教で結婚する人は町の戸籍課の持つ結婚式場を使う。)景色がよくて面白いけど、夏は暑そうねえ。
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このあとめぎたちはちょっと素敵なレストランへランチを食べに行った。その話はまた明日。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V1 + FT1 + 70-300mm(F4.5-5.6)


♪ W杯を終えて ♪

ドイツの決勝戦の暫定視聴率は何と86%だったんだって!(下の記事ではドイツ国民の約半分が見たと書かれているが・・・めぎには視聴率の計算の仕方がよく分からないが。)自宅ではなく居酒屋やパブリックビューイングで見た人も多かったので、決勝戦を何らかの形で見た人の率はもしかしたらもっと高いのかも知れない。


一夜明けた月曜日、知り合いのドイツ人5名(彼らは一般の会社員で、そのうち4名は普段サッカーを見ないし、残りの1名は普段デュッセルドルフのサッカーチームの試合しか見ない)にそのときどこで何をしていたか尋ねたら、一人は試合開始の3時間前に旧市街のビアホールへ行って席を陣取り(と言っても既にほぼ満席で立ち飲み席だったそうだが)、計6時間半もそこにいたのだとか。一人は友人宅に集まってテレビ観戦したが、試合開始2時間前にガソリンスタンドへビールを買いに行ったら、ドイツのユニホームを着た人たちの長蛇の列だったとか(日曜日にスーパーが開いていないので、ガソリンスタンド以外に買う術がない)。一人は自宅近くのキオスクが店を開けて即席のテラス席にテレビ2台設置して営業しているところへ行って、近所の人たちと約50名で観戦したのだとか。一人は奥さんと友達とイタリアンレストランへ行ったがそこにはテレビはあるのにお客が彼ら以外いなくて、ウエイターやコックさんと一緒に観戦したのだとか。そして最後の一人は、あまりにも緊張してとてもテレビを見られなくて、その間部屋の掃除をしたのだとか・・・窓ふきまでして(夜の10時頃に!)、部屋はピカピカになったとか・・・マジですか・・・

この二人が本当に嬉しそうでよかったな。10番をつけているポルディーが今回あまり出番がなかったことを考えると、ドイツの選手層の厚さがよく分かる。彼は出番が無くてもいつも明るく、チームを盛り上げ、もしかしたら誰よりも喜んではしゃいでいた。(写真はRP-Onlineから)
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ポルディーの子どももクローゼの子どももいつか選手になるのかな。
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選手の奥さんたち・・・なんて美人揃いなんでしょ・・・ヨギは奥さんたち全員と抱擁して互いに喜びを分かち合っていた。そういうのは日本ではあり得ないわねえ。
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ところで、もうずいぶん前から9月にドイツ代表の親善試合が予定されていたのだが・・・その相手はなんとアルゼンチン!しかも、デュッセルドルフでなんだって!!上記の5名にそこへ行くかと尋ねたら、チケットを買ったのは一人のみ、あとの4名は、親善試合なんて興味ないって。親善試合では例えば5対0で負けたっていいんだと。そうね、そういうことなのよね・・・ドイツはW杯前のテスト試合はずいぶん調子悪かったのに、だからメディアも世の中もヨギを批判しまくりだったのに、そんなことは優勝すれば何もかも帳消しなんだもの。
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豪華な昼食と蒸気機関車 [リューゲン島]

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現在、5月末のリューゲン島旅行記を連載中。

宿泊したゼリンという町から10㎞ほどのハイキングコースを歩いて辿り着いたビンツという町。そこはゼリンよりいっぱいホテルやレストランが並んでいるのだが、めぎたちは友人夫婦のお薦めで海沿いのこのレストランへ。
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Strandhalle(海辺のホール)というこのレストランは、100年以上からある建物だとか。レストランのリンクはこちら
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鏡がどうしてああいう風になっているのか、ちょっと気になるが。
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たしかに歴史ある建物という感じ。
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まずはお昼だけどアペリティフを。めぎは、スパークリングワインをリューゲン島の茱萸の実のリキュールで割ったという飲み物を。その他の人たちはビールだったと思う。
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お昼なので軽く食べるつもりだったが、このスープを試してみたくて、うちのドイツ人と二人で一つ頼んでみた。これ、梨とセロリのクリームスープ。美味しかった♡
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めぎが食べたメインはバルト海の鱈の下にWirsing(サボイキャベツ)のクリーム煮が敷かれてて、上にジャガイモの細切りをローズマリー風味でカリカリに揚げた物がのっているもの。
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友人夫婦はここでメダイヨンステーキを。
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最後にデザート。生チーズをニワトコの花で風味づけたムースにラズベリーのピューレがのったもの。
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いやあ、カメラ2台担いで10㎞歩いた分の運動量を遙かに超えるカロリーを摂取しましたわ。

帰りはもう10㎞歩きたくなくて、駅まで20分くらい歩き、切符を買った。
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リューゲン島の小型蒸気機関車♪ 残念ながら後ろ向きだけど。
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中で検札。
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デッキに立って撮影。
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Rasender Rolandという名前らしい。ビデオにはデジイチ持ったカップルが前に写っている。



ゼリン駅に到着。
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しばらく停まっていたので、機関車をゆっくり撮影した。
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鉄子さんじゃないけど、楽しいわねえ♪
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そして、発車の時刻になり・・・
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行っちゃった。
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撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)


♪ しつこく再びドイツ・サッカーのこと ♪

ドイツ代表たちが帰ってきた。



今回ドイツは6大会ぶり、つまり24年ぶりの4回目の優勝であったが、歴史を調べてみたら、戦後初めての1950年のW杯には出場しておらず、戦後2回目の54年に西ドイツとして初出場で優勝、その後8強に入らなかったことは一度もない。8強止まりだったのは62年と78年と94年と98年の4回のみで、あとの12回のうち1回は4位、3回は3位、4回は2位、そして残りの4回は優勝ということになる。それを考えると、優勝することがどれほど難しいかが分かる。今回いいところまで行って負けたブラジルとオランダとアルゼンチンは本当に悔しいだろうけど、ドイツもなんて長いこと何度もそういう悔しい思いをしてきたことだろう。3位決定戦の異議についての議論もあったけど、ドイツは何度も3位になって、それをバネにしたからこそ常に強いのだし、何度も決勝戦で負けてその辛酸をなめたからこそ今回の勝利がある。

強いというのは一般に嫌われがちだ。それは、負けた事実から目を背けず立ち向かう強さというのを普通は持ち合わせていないから、それができる人間に脅威を感じるからかも知れない。ドイツという国は負けた事実・・・それは第二次大戦の結果も然りなのだが・・・そこから目を背けない。その強さというのは、形と質は全く違うが、南米の食べる苦労をして必死に這い上がった選手たちの強さに匹敵するのだろうと思う。だからこそ、南米で初めて優勝できたヨーロッパの国という快挙を成し遂げられたのだろう。そして、それを率いた監督が、選手としては全く成功しなかった人間だったというのが非常に興味深い。そこに強さの秘密があったのかも知れない。
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白亜の絶壁 [リューゲン島]

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5月末のリューゲン島旅行記は本日最終回。

3日目は残念ながら曇りだった。
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所々光が差し込んでいるのだが、天気予報でも芳しくなかった。
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今日は桟橋の先端まで歩いていく。途中、鳥がいっぱい。
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船がやってきた。
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この日、めぎたちは船に乗って、昨日遠くに見えたあの白亜の絶壁を遊覧することにしたのだった。10時頃出航。ずーっとずーっと向こうに白亜の岩肌が見えているのだが、昨日の青空をバックにした真っ白さとは全く違うわね・・・
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船は途中、いくつかの港に寄ってさらに客を乗せていく。途中の港で見かけた船。
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これは第二次大戦時のイギリスのものらしい。
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これが今回の旅の鳥のベストショット。
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頑張って70-300mmレンズを持ってきてよかった♪ この日もカメラは2台体制。

さて、ようやく目指す白亜の絶壁が間近に見えてきた。
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この日はものすごく寒く、みんなこんな恰好で撮影。
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ちなみに中にも座席はあるのだが、暖かくてもガラス越しじゃ写真がねえ。
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ここはやっぱり望遠で。換算800mmだから結構迫力あるのが撮れるのだが、やっぱり天気がねえ・・・
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下に写っている人、ちっちゃいなあ・・・
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ちなみにここは、Caspar David Friedrichというドイツの19世紀初頭の画家が例えばこんな絵を描いたところとして知られる。絵はWikipediaから。
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めぎの好きな絵はこちら。絵はWikipediaから。
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日本にいたときからこの絵が好きだったけれど、この絵を本当に感じることができたのは、北海沿岸の島を旅するようになってからかも知れない。

帰りに見かけた船。
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このカップ、面白いわねえ。買えばよかったかな。
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寒い寒い船旅を終え、午後2時頃ゼリンへ帰着。桟橋にはこの日結婚式らしい人たちが。こんなに寒くて気の毒だなあ。
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それから部屋でゆっくり休み、ワインを飲みながらおしゃべりし、7時過ぎに夕飯を食べに出かけ、夜9時半頃最後の散歩に出かけた。
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リューゲン島、さようなら。
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4日目は朝食を取って帰宅の途へ。4連休の最終日でどこも渋滞し、ハンブルクまで約4時間、それからデュッセルドルフまで6時間ほどかかった。以上でリューゲン島のお話はお仕舞い。またいつかもっとゆっくり滞在できたらいいな。


撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V1 + FT1 + 70-300mm(F4.5-5.6)


♪ サッカーのこと・・・こちらもとりあえず最終回 ♪

こんなニュースが出てたけど、そりゃそうだと思う。


W杯の経済効果が必要な国というのはたぶん世界にはまだたくさんあって、そういう国を勝たせてあげられたらいいのかも知れないね。でも、そういう国は(そういう国でなくても)、たぶん勝ったことによる利益を得るのは一般庶民じゃなくてほんの一握りの人たちなんだろうけれど。


主将ラームが言っているように、今回の勝利はほんの一人や二人のエースストライカーによるものではなく、チームでの勝利。とは言えそれぞれの個の力は素晴らしく、日本の誰かが言っているように、やっぱり個の力ももっともっと伸ばす必要があると思うが。


決勝戦前くらいから日本のメディアに今回のドイツチームは人種融合のチームだといったことが書かれていたが、それは今回に限ったことではなく、4年前も、8年前も、12年前もそうである。トルコ系やポーランドなどの東欧系はすっかり市民権を得ていて、もはや移民という意識さえない。今回も前回もドイツはグループリーグでガーナと同組だったが、ドイツのDFのジェローム・ボアテングの弟はガーナ代表として出ており、実は国を跨いだ兄弟対決であった。が、二人はベルリン出身のベルリン育ちで、U21までは弟もドイツ代表だったのだ。クローゼもポルディもオェーズィルもケディーラも、みんな「生粋の」ドイツ人ではないが、そういうことはほとんど誰も気にとめていない。そもそも「生粋」だって、ヨーロッパの長い歴史の中では民族大移動で怪しいものなのだから。(例えば、あのヒトラーは今の国境線で言えばオーストリアの生まれで、「生粋の」ドイツ人ではない。)

めぎの教えている高校生たちも、1クラスの中にロシア系、スウェーデン系、オランダ系、イタリア系、トルコ系、イラン系、アフガニスタン系、モロッコ系、中国系、タイ系、日系が混ざっている。今やドイツの都市部の学校では両親がドイツ系である生徒はせいぜい半分くらい。子どもの頃から多感な思春期までずっとそういう環境で育っているので、もはや誰も全く気にとめもしない。彼らはめぎのような外国籍の教師にも全く特別な意識はなく、そのオープンさは目を見張る。学校のみならずちょっとインターナショナルな会社ならもっと外国人が多いし、サッカーの各チームにもありとあらゆる外国籍の選手がおり、日本人選手は全く特別ではない。つまり、ドイツでは今や、見た目が外国人でもドイツ人の人が多く、その上外国籍の人も多く、どんな場でも人間としてその場で何ができるか、なんの能力があるかが全てなのだ。

そういう実態は、ネオナチのニュースばかりが伝えられる日本からは想像もできないオープンな雰囲気である。もちろん、外国人が多くなって色々な問題があることも事実だし、それで排斥の動きがあるのも事実である。しかし、それはほんの一部のことであり、大多数は外国籍と元外国籍と生粋のドイツ人が、もはやそのことを全く意識しないで共存している社会なのだ。今回のドイツチームは、そのままドイツ社会であるようなもの。特別感は全くない。かたやめぎの祖国は・・・同じ敗戦国なのに、どうしてこんなに違うのかしらね。
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