本を作る [うちのドイツ人のDIY]
ここはうちのドイツ人の書斎。
印刷しているのは彼の父親の写真とそれに添えた詩など。
先日もちらっと書いたように、12月29日、うちのドイツ人の父親が傘寿の誕生日を迎えた。何を贈ろうか・・・それはうちのドイツ人にとって2010年の大きなテーマだった。何か買おうにも、父親は必要なものは何でも持ってるし、80年という節目にお金で買えるものを贈るのは味気なくつまらない気がしたのだ。
あれこれ考えていたときに、うちのドイツ人の母親の方からたまたま戦争中の写真や母方のルーツの曾祖父などの写真が送られてきて(母親についてはこちらをどうぞ)、それをスキャンするついでに昔の写真の整理をしているうちに、そうだ、父親の一生をまとめた写真集はどうか、と思いついた。波瀾万丈の青年時代を過ごした父親。ドイツの東側で生まれ、戦争の末期にまだ14歳くらいだったのに兵隊にとられ、戦後はベルリンの壁が作られる少し前に父親と二人でベルリンから西側へ逃れ、そのため家族と東西ドイツに離ればなれとなった。2度離婚し、3回目の結婚をしたのが26年前。ちなみにうちのドイツ人は最初の奥さんの子供である。職業はオペラ歌手で、ハンブルクの国立オペラ座に所属し、ヨーロッパ中はもとよりソ連、日本、アメリカ、カナダ、さらにイスラエルなどへも公演に回ったことがあるという。ドミンゴなどと一緒にステージに立っていた世代であり、現役を引退してからもう20年。華やかなステージの世界と、戦争と東西分裂の暗闇を背負った、非常に魅力ある人物だ。
写真選びをしていたらイメージがどんどん広がり、文学作品やオペラのフレーズなどを会話の中で引用したり、韻を踏むなどの言葉遊びをしたり、わざと方言を使って面白く皮肉を言ったりするのが上手で大好きな父親のいろいろな言葉か思い出され、写真と彼がよく口にした言葉をまとめることにした。
今はコンピューターで本が執筆でき、挿絵ならぬ写真もスキャンしてデータとして貼り付けることができ、それを本にできるように印刷することも可能。なんと便利な世の中になったんでしょ。
こうして折りたたんで8枚ずつ綴じたのを重ねると本になる。
写真選びからスキャン、父親の言葉を思い出して書き留めてここまでくるのに、3ヶ月くらいかかったかしら。自分自身の人生と重ね合わせたり色々思い出して感情的になったりもするから、結構精神的にしんどい作業だったようだ。
本を書く作業が終わったところで普通は製本に出すわけだが、うちのドイツ人は数ヶ月前に古い本の表紙の修理を自分で行って製本にすっかり目覚めていたので(その話はこちらをどうぞ)、それも自分でやることに。プレゼント用と自分用に2冊作り、まずは自分用で試作品を作り、それでノウハウを集めていた。プレゼント用、つまり本番用の製本に取りかかったのがたしか12月23日頃。クリスマス休みに入り、すっかり冬休みの工作気分。この辺りから仕事場はうちで一番明るい食卓テーブルへ。
こうして穴を開けて・・・
糸を通し・・・
結んだところをマニキュアで固める。
めぎが15年くらい前に買ったマニキュアがこんなところで役に立つなんて・・・何でもとっておくものだわね。糸は撚糸なんだって。
全部糸を通し終わり・・・
こうして固定して・・・
こんな風に5刷を綴じていく。
これを5刷分繰り返し・・・
またマニキュアで固定。
それを糸を通した穴の分繰り返し、綴じ終わり。
この上にガーゼを乗せて・・・
のりをつけていく。
それからこんな金色を・・・
綴じているところ以外の3面につけていく。
これで本の中身ができあがり。こうやって本を作るというのは見ているこちらもわくわくする。うちのドイツ人はこの作業を本当に丁寧に、妥協を許さず、でもとっても楽しげに創意工夫を重ねてやっていて、途中から父親のためというよりは自分のためにやっているようだった。それを見ながら、プレゼントというのは贈る相手のことを想うことに加え、なにより自分が楽しんで満足することが大事なんだな、と気づいためぎだった。義務だけじゃプレゼントしても楽しくないし、相手にも心が伝わらないだろうから。
明日は製本の様子を。
製本とできあがり [うちのドイツ人のDIY]
今日の話は昨日の続き。傘寿になる父親へのプレゼントに父親の言葉を綴って写真集を作っているところ。昨日は印刷した紙を綴じた話で、本日は製本編。
表紙の一部に使う皮をのばしているところ。
これは四隅に使う部分。
こんな風に貼り付ける。貼り付けるときもヘラみたいなので皮を丁寧にのばしていた。そういうのは動画にでもしないとなかなか伝わらないけれど、この一つ一つの作業をそこまで丁寧にするのかと思うほどで、でもそのおかげで試作品と本番とでは仕上がりにずいぶん差が出ていた。
そして、いちいちしっかりプレス。
四隅が終わったところで背表紙を貼り付け、真ん中を細い棒をつけてプレスして丸くしていた。これはできあがったところ。
裏側はこうなっている。ここに本のガーゼを貼り付けた背をくっつける仕組み。
くっつける前に、表紙を完成させる。表紙は全部が皮ではなく、布も使用。
これに本の中身を挟み・・・
ガーゼを表紙の裏にくっつけて・・・
本の中身が本に固定されたところで・・・
もう一度プレスして表紙が開いた状態なのを閉じる。
こうしてできあがった本は、作家が父親名になっている。父親の言葉を綴ったものだから。
裏表紙も綺麗に貼り付けられていて・・・
最初にショーペンハウアーの引用が。ショーペンハウアーは19世紀前半の思想家で、ニーチェやトーマス・マンやフロイトやユングなど著名な思想家や作家に多大な影響を与えた人物。うちのドイツ人はショーペンハウアーの思想はともかくその言葉の巧みさ・すばらしさに心酔している。学者でもないのにショーペンハウアーがさらっと読めちゃって、その言葉のおもしろさを話題にできちゃうところが、うちのドイツ人一家の奥深さ。ショーペンハウアーに興味のある方はこちらをどうぞ。
本の中身をちょこっとご紹介。これはうちのドイツ人の祖父母と父親兄弟。祖父に抱かれているのが父親。
父親の子供の頃。
1946年ってことは、16歳ね。
うちのドイツ人が子供の時。
うちのドイツ人がオペラ座で子役で歌っていたとき。そう、彼も子供の頃は教会の聖歌隊に属し、オペラにも出ていたのだ。カルメンや魔笛などは100回以上は舞台を踏んでいるそうで、歌詞などすっかり暗記している。これは1968年のトスカ公演の時の写真。めぎもこの頃にはもう生まれていたんだけど・・・まったくもって、育った環境の何という大きな違いかしら。「セロリ」どころじゃないわね。
そして、めぎが写した写真も使ってくれたの♪
一緒に写っているドイツ語は、ただ訳しただけでは何が何だかわからない。これを理解するにはそのお話を知っていたり、そのオペラを知っていたり、その文化的背景を知っていたり、その方言を話す地域を知っていたり・・・と様々な知識や経験が必要で、めぎが読んでも説明を受けない限り何が面白いのか何がどう皮肉なのかちんぷんかんぷんだ。
この全行程を見ているうちに、めぎが一枚添えるものを思いついた。めぎの言葉で歌を詠み、習ったこともないので自己流で思いっきりへたくそだけど筆で書き、たまたま知人にいただいた紋切り型で松ぼっくりの切り絵を作って貼り付け、めぎのはんこを押したもの。これを本に合わせてうちのドイツ人に切ってもらって、栞のように挟み込んだ。
父来ぬる 跡をたどりつ 言の葉に 想ひ重ねむ 傘寿の宴
全身全霊を込めて作り上げた本は、これを手に取る人の涙を誘わずにはいられない。試作品をあとから見せてもらった元学生さんもページをめくりながら泣いてたし、元旦にお招きしためぎの大学の後輩もじっと見入っていた。なにより、父親自身が涙を見せた瞬間を、めぎは一生忘れないだろう。
タイル貼り替え [うちのドイツ人のDIY]
しばらく前の萬中さんのリクエストにお応えし、今日は久々にうちのドイツ人のDIYのお話を。せっかくなのでカテゴリーも新しく。
ここはうちのドイツ人の仕事部屋。
その部屋には小さなキッチンとシャワーやトイレがついているのだが、洗面所の下の部分のタイルが小さな茶色い古いので(40年くらい前によくお風呂の床に使われていたような感じの丸い小さなタイル)、それが長いことうちのドイツ人の気に入らなかった。それで、今回貼り替えすることに。
もともとの茶色のタイルをはがす作業に一日費やしたそうだが、そのときはめぎは出勤中だったので残念ながら写真は無し。
真四角のタイルだけじゃなくて三角のタイルがあるが・・・
タイルを切るのはこの機械。
この人なんでこんな機械を持っているのかしら・・・地下室には魔法のように色々な機械が埋まっていて、まだまだめぎの見たことのないものがあるらしい。このタイルを切る機械はずいぶん前に買ったのだが一度も使わずにいたそうで、使い始める前に一時間くらい試行錯誤したそうだ。
こんな台の上に・・・
左の黒いのでタイルを固定して切っていく。
あの小さな隙間用にも・・・
小さな三角を切る。
素人なので多少のゆがみがあるが、まあなんとか作業を終えた。
このまま二日間くらい乾燥させる。
部屋には以前rinochiさんからいただいたお花が元気に咲いていた。
完全に乾いてから綺麗に掃除し、タイルとタイルの間の隙間を塞いで綺麗に仕上げ。
この穴はねじ釘で固定するためのもの。この穴のところを機械で穴を開けてねじ釘を差し込む。その様子は残念ながらめぎ仕事中につき写してないけど。
こんな感じでできあがり。以前の茶色のタイルの古くさくて暗い感じから一転、ずいぶん清潔そうなイメージに。
ここはうちのドイツ人の仕事部屋を訪ねてくる人がトイレに行ったりしたときに使うので、完全に乾くまで立入禁止の掲示を出していた。
窓から見えるツタの花が綺麗だった。