マイセンの位置 [ザクセン&ザクセン・アンハルト]
今日は2005年7月のマイセン旅行記の最終回。
アルブレヒト城が立っているのはマイセンの高台。その辺りにはカフェがたくさんあって、そのカフェから綺麗な景色が望める。
お天気イマイチで残念だったけど。
降りていくと、城の造りがよく分かる。
継ぎ接ぎって感じの建て方ですね~
このエルベ河がマイセンをドレスデンと結んでいる。また、遠くハンブルクとも。
さあ、そろそろマイセンをお暇いたしましょ。
この辺りにはこんな道標が。
下にあるホルンのマークはドイツの郵便局のロゴ。ドレスデンはここから昔の郵便馬車で5時間ちょっとだったらしい。
うちのドイツ人の母親が住んでいる町は郵便馬車でここから4時間と8分の3。
マイセンの場所はこちら。
以上でマイセン磁器300周年を記念したシリーズはお仕舞い。みなさま、マイセンに興味を持っていただけました?今年是非マイセンやドレスデンの旅をいかがでしょ。冬は雪が綺麗だし、夏はエルベ下りも楽しめますよ♪
♪ おまけ ♪
マイセンのあるザクセン地方の言葉はドイツ語のザクセン方言。これはカフェのメニューの一部。上がザクセン方言、その下がその標準ドイツ語訳。
料理の名前だけ比べてみましょ。標準ドイツ語のSchweinehaxe(シュヴァイネハクセ=豚脚のグリル)がザクセン方言ではSchweinshaggsen(シュヴァインスハグゼン)に、Zwiebelbrot(ツヴィーベルブロート=タマネギパン)がZwiebelbrod(ツヴィーベルブロード)に、Sauerkraut(ザウアークラウト)がSauergohl(ザウアーゴール)になる。ズーズー弁になる感じ、わかります?
ドイツは標準ドイツ語を話す人がいない国。外国人が習う標準ドイツ語は書き言葉であって、人が話す言葉じゃないのだ。もちろんドイツ人も、その標準ドイツ語を学校で習って、標準ドイツ語で作文するわけだが、話すときには方言。ハンブルクやデュッセルドルフの人たちはそれほど訛ってないから分かりやすいが、ザクセン方言は相当難解だ。めぎはうちのドイツ人の母親を訪ねると、母親の連れ合いの言葉がよく分からない・・・うちのドイツ人にも分からないことがあるんですのよ。
義母の家の中 [ザクセン&ザクセン・アンハルト]
現在8月初旬のザクセンでの話を連載中。ここはめぎたちが泊まった義母の家。
ちょっと家の中をご案内。玄関を入るとこんな階段が。
2階は人に貸しているそうで、今回は足を踏み入れず。この階段のある玄関ホールから、1階のリビング・ダイニング・キッチン・書斎・さらにバスルームにそれぞれ直接入れるようになっている。つまり、それだけたくさんドアがあるということ。もちろん中でも全部つながっている。
そんな1階が全て彼女の世界。ここはリビング。
暖炉の上にはカールの父親が乗っていたタイプの車の模型。
30年代?40年代?にこんなのに乗っていたとは、お金持ちだったのねえ。
書斎は向こう。
書斎へのドアのそばに置かれているこの人形は、150年前に作られたものなんですって。
先日もお見せした書斎。義母はまずここを片付けるつもりだとか・・・既に家具のいくつかはもらい手を見つけたらしい。在りし日のそのままに、という意識はないようで、新しく自分がここを使えるようにどんどん整理していくという。前向きだなあ。でも、その話を聞いたときって、まだ亡くなって数日後の埋葬前だったんだけど、切り替え早いなあ・・・
リビングに戻り、この窓の左の飾り棚にはマイセン磁器が。その写真は無し。右の壁には・・・
義母の祖父母や両親や親戚たちが。つまり、うちのドイツ人の母方のご先祖様たち。灯りが蝋燭なのにもご注目。
リビングの隣にはダイニング。テーブルの上のカゴの中にはお悔やみのカード。届いたカードは最終的にこの3倍くらいになった。
ダイニングの天井近くには義母に伝わる貴族の紋章が。うちのドイツ人は義父の名を継いだので、貴族の名は義母で途絶えることとなる。
ダイニングには義母の父親(右)とカールの父親(左)が並んで写っている写真があった。つまりカールと義母は親の世代が友人同士だった幼馴染み。東西分裂がなかったら、二人は平穏で幸せな一生を送ったのかも知れない。
それからキッチン。6年前にはここにカールが立って、グーラシュを作ってくれたんだった・・・(グーラシュって本来はドイツの食事じゃないんじゃない?とめぎが思ったことはさておき、カールにとってはそれはこてこてのドイツの食事だった。いかにもナショナリストらしいでしょ。彼にとってはチェコもオーストリアもハンガリーも全部ドイツのはずなんだから。)
キッチンからテラスが見える。
3年前の夏にはここでカールと共にバーベキューをしたんだよなあ・・・
テーブルの向こうの窓辺には余ったパンなどをいつも出してあり、常に鳥がやってきていた。いろんな野鳥が来るそうで、義母とカールは毎日バードウオッチングを楽しんでいたとか。
それから地下の一部屋の一角をご紹介。ここにめぎたちは泊めてもらったのだけど・・・
天井に蜘蛛の巣がいっぱいなの!天井をこんな蜘蛛さんが覆い尽くしているって感じかしら。
この部屋は実は義母とカールの寝室。ええ、客用の寝室で締め切っていたというわけじゃなくて、毎日使っていた部屋ってこと・・・実はリビングもダイニングも天井は蜘蛛の巣だらけで、うちのドイツ人が到着してすぐにしたことは蜘蛛の巣払いだったの。義母がここ1~2年、うちの掃除もままならないほど介護に明け暮れたと言うことがこんな状況からよく分かる。
カールとの楽しい思い出がいっぱいのこの家に住み続けることが、義母が言うには、カールの望んだことであり、カールへの供養になるのだそうだ。だって、家の中にはカールがいつでもいるのだから。
♪ おまけ ♪
昨日のクイズ、20年間の墓地使用料は500ユーロ(1ユーロ=約112円)。デュッセルドルフだともっと高くて、同じような墓の場合20年で900ユーロくらいするようである。さらに、葬儀のあとのお別れ会は、30人くらいの席を予約して飲み物とおつまみ(生ハムやスモークサーモンやチーズなどのカナッペ)で300ユーロくらいだった。日本のお葬式にかかる飲食代を思うと、信じられない安さでしょ。ネットで色々調べてみたが、ドイツで最も安く葬儀をした場合、1500ユーロくらいでできるようである。とは言え、普通は総額8000ユーロくらい(約90万円)と考えるらしい。ポイントは都市か田舎か、墓石をどの程度にするかのようである。
夕方の光と朝の光 [ザクセン&ザクセン・アンハルト]
ザクセンのお話は今日でお仕舞い。
話はちょっと戻るが、お葬式と埋葬とその後の宴を終えてうちに戻ると、猫ちゃんが出迎えてくれた。
わたし、ミンツィーよ。15歳なんだけど、まだまだ若いでしょ。
ここはザクセンで泊まっていた義母の家。
夕方の光が美しかった。
広い庭ねえ・・・これを一人で管理するのは大変だろうな。
家の中には暖炉もあって、薪もほら、向こうにいっぱい。義母は冬には一人でも薪を焚いて過ごすつもりだそうだ。薪の方がずっとあたたかい上に、暖房費がずっと安上がりなんですって。
暮れゆく光って、温かくて美しいわねえ・・・
このとき8時頃。8月に入り、ずいぶん日暮れが早くなったとは言え、8時でもまだこんなに明るい。
教会の鐘が鳴り響くと、あの牧師さんが礼拝をやっているのね、と思う。
猫ちゃんも鐘の音を聞いてるの?
カールの死が分かっているのか、次の日に義母も旅に出ることが分かっているのか、この日のミンツィーはとても懐っこくて夜も義母にびったりだった。
そうそう、ティンキー(犬)を亡くしたうちのドイツ人の妹は、あの北ドイツの家の裏に埋葬し、その次の日に子猫を2匹もらい受けてきて既に猫にめろめろ状態。猫好きのめぎは明日にでも一人で北ドイツへ行きたい気分。
さてさて、一夜明けて、次の日の朝。
この日も素晴らしい天気。
ミンツィーの世話と水遣りは近所の人が引き受けてくれたとか。
よかった、カールの花も水枯れしないですみそうね。
お花たちが義母の寂しさを紛らわしてくれますように。
さて、そろそろ出発しましょうか・・・時刻は10時半近く。これからお墓によって、アウトバーンをかっ飛ばし、途中でお昼休憩をしてまたかっ飛ばし、700キロ近くの距離を走行してデュッセルドルフに到着したのが6時頃。
めぎ家のあるデュッセルドルフはドイツの西の端っこ近く。この夏は北へ南へ東へとドイツ中を駆け回った気分。まだ南のシュヴァルツヴァルトの話が残ってるし、東で途中下車して一泊までして写した街の写真もあるし、これから追い追いにドイツの様々な姿がお届けできそう。その前に明日から数日はデュッセルドルフの話の予定。