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マイセン磁器工場 [ザクセン&ザクセン・アンハルト]

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本日の舞台はこちら。
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上の写真を見ただけでどの街かお分かりになった方はいらっしゃいます?ちなみにこの河はエルベ。

そう、こちらでございます♪
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先日もちらっと書いたが、今年2010年はマイセンが工房を開いて300周年。日本の伊万里焼や中国の陶磁器を手本にして職人が四苦八苦して初めてのマイセン磁器を作るのに成功したのが1709年のこと。1710年にマイセン磁器工場の前身が造られた。手本はあるけど製法は分からず、当時の君主から絶対に作るように言い渡され、出来上がったらその製法の秘密が漏れることを畏れた君主に軟禁され続けた職人(=宮廷錬金術師!マイセン磁器を作ったのは錬金術ですよ~)は、そのストレスで37歳の若さで亡くなったとか・・・いつの時代も使われる人は大変。

そんなマイセン磁器の歴史を知ったのも、ザクセン所縁の母を持つうちのドイツ人と出会い、マイセンを訪れたから。それは2005年7月のこと。(義母はマイセンには住んでいないので、マイセン自体をめぎが訪ねたのは後にも先にもこの一回きり。)奥に見えるのがかの有名なマイセン磁器工場兼博物館。
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ここにはいらしたことのある方もきっといっぱいいらっしゃるはず・・・見学用工房では、マイセン磁器の工程を一つ一つ説明つきで再現してくれる。
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それからこんなディスプレイも。
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まあ、素晴らしいですねえ・・・でも、これ、もともとは日本の磁器のコピーだと思うと、ちょっとにたにたっとしてしまうめぎ。ヨーロッパって、自分たちが最先端という顔をしているけど、日本や中国ではもっともっとずっとずっと前から磁器があったんですよね~♪
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とは言えマイセンにももう300年の歴史が。その間に変遷してきたロゴはこちら。磁器の裏のロゴを見れば、いつの時代のマイセンか、本物か偽物か、全て分かるという。
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じゃ、ちょっとめぎ家の義母からもらったマイセンを見てみましょ。あ、1924~34年のものね。
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マイセン博物館にはカフェもあって、マイセン磁器の食器でお食事できますのよ♪
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こうしてマイセンに浸っていると一つお土産も欲しくなってしまうというもの・・・でもね、ほんと、目の玉が飛び出るお値段。何であんなに高いんでしょ。めぎ家の予算では、清水舞台から飛び降りてもコーヒーカップ一客も買えず。失敗作が2級品として少しお安く売られているが、それすら色つきのは箸置きみたいなナイフやフォークを置くちっちゃなの(カトラリー置きっていうのかしら?)が一つ買えるか否かってところ。それに、そこで売られているのは全て新製品に過ぎない・・・そう、ドイツ人は、マイセンの新製品を買うことに全く価値を見出さない。でも、アンティークのを揃えようと思ったらドイツでは田舎に家が買えるかも。そういうのは代々相続してこそ意味があるんでしょうねえ。

2005年7月のめぎは、ドイツ生活3年が過ぎようとしていた頃・・・その頃はまだ今ほどはドイツ化してなくて、「ここに来たからには何か買わなきゃ!」と強く思わせるここの魔の誘惑にまんまと引っかかり、なけなしのお財布はたいて2級品の中からこんなのを購入したのだった。裏のロゴを見れば、新しいものだと、そして2級品だとすぐに分かる(写真では2級か1級かよく分からないけど)。こういうのは相続しても意味無いし、売ろうと思っても買い手もいないし、ホントただの自己満足。
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マイセンの話となると今でもうちのドイツ人が、あのときのめぎは観光客だったよね~母親のうちから車でほんの30分かそこらで来られるところのものなのに、もう二度と来られないかもって顔して選んでたよね、とからかう。はいはい、私はお上りさんでしたとも!そんな思い出のマイセン。買い物した後は、マイセンの旧市街の方へ散歩。その話はまた明日。
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マイセンの街並み [ザクセン&ザクセン・アンハルト]

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現在、マイセン磁器300周年を記念して、2005年7月のマイセンの旅を連載中。(あまりにも色のない1月のドイツから逃避しているところ。)

マイセン磁器工場は旧市街からちょっと離れてて、お城と大聖堂は丘の上。
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ちょっと歩くと、マイセンの本当の姿が見え隠れ。エレガントなマイセン磁器の雰囲気と違う素朴な感じ。誰もいない廃墟も多かったりして、東西分裂の爪痕も。5年経った今はどうなのかしら。
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だいぶのぼってきました~♪
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目指すお城はあそこ。
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なかなか近くならないわねえ。
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この辺りの建物はとっても魅力的。
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2005年のめぎのカメラはFUJIFILMのFinepix。デジカメのコンパクトカメラが出始めて間もない2000年に買ったもので、光学ズームもできなかった・・・そういう時代が懐かしいですねえ。写真の撮り方も下手だったなあ・・・

あ、あそこがお城の入り口みたい。
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そう、ここ。
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この辺りからは河とは反対側のマイセンの景色が見渡せる。
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中では結婚式をしていた・・・ドイツの結婚式って、意外とこういう風にシンプルなことが多い。
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明日はお城の中に入りましょ。

♪ おまけ ♪

これは、2005年のマイセンに普通にあった旧東の信号機。今もあるのかしら。
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この信号機の人の模様がこの頃から大ブレイク。
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今ではこのキャラクターのスポンジとかキーホルダーとかがドイツ土産としていっぱい売られている。デュッセルドルフでも買える。
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アルブレヒト城 [ザクセン&ザクセン・アンハルト]

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現在、マイセン磁器300周年を記念して、2005年7月のマイセン旅行記を連載中。

ようやく城の大聖堂までやってきた。
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城の名前はアルブレヒト城。マイセン磁器が完成した1710年から1864年までこの城の中にマイセン磁器工場があった。それは、マイセン磁器の製法を外部に漏らさないようにするため。そんな歴史をこの城の中で見学いたしましょ。

中に入るとまずは大きな壁画。描かれているのは中世の騎士たちの騎馬戦。
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昔の騎士たちは、こういう騎馬戦で勝てればその身の潔白を証明できたり、貴婦人にふさわしいかどうかを証明できたりしたのだった・・・なぜなら、正しい騎士こそ神が助けてくれるから。
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中にはこんな人魚像があったり。
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お目々が青と緑色・・・!
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そして、昔のストーブ。使って見せて欲しいですねえ。
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この城を有名にした持ち主は、アウグスト強健王。ドイツ語でAugust der Starkeという。ドレスデンに生まれたザクセン選帝侯で、かつポーランド国王になった人。ザクセン人だから敬虔なプロテスタントだったが、ポーランドの国王になりたくてカトリックに改宗したとか。それだけじゃなくて、政治の世界には今も古も等しく資金が必要・・・アウグスト強健王はなんとしてもお金を儲けたくて、錬金術師に白金を作らせようとしたり、そこから転じて白磁を作らせようとした。その任務を仰せつかって幽閉されたのが錬金術師ベトガー。
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この苦悩の表情・・・
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こちらがアウグスト強健王とベトガー。
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ベトガーの作り出したマイセン磁器のおかげで潤ったアウグスト強健王は、その製法が外部に漏れるのを畏れてマイセン磁器工場をアルブレヒト城の中に作り、ベトガーを軟禁したのだという・・・ベトガーはそのストレスで37歳の若さでこの世を去った。このベトガーの顔、37歳前にしてはすっかり老け込んだ表情で、なんだか痛々しい。その後アウグスト強健王とその子孫は、マイセン磁器で得た財力でドレスデンにバロック芸術の花を咲かせた。ドレスデンがあれほど美しく立派なのは、マイセン磁器のおかげなのだ・・・

ベトカー(1719年没)とアウグスト強健王(1733年没)の時代が終わったあともマイセン磁器は試行錯誤と発展を続け、絵付けなどより完成され、また小さな磁器人形が作られるようになっていった。これは1760年の作品で、「日本の魚売り」という名前のもの。実際の魚売りさんたちはこんな美しい着物を着てはいなかったと思うし、着物のスタイルも違うけど・・・当時のマイセンの人たちは、遠い日本をこんな風に思い描いていたのね。
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このアルブレヒト城の中は、古いマイセンの磁器がちらちらと展示されているが、その数はそれほど多くはなく、何となくがらんとした印象。城自体は建てられたのは15世紀で、フランスの宮殿風の城が流行る前の城砦的な、質実剛健な雰囲気が残っている。でも、こんなに細かい装飾が施され、広々と大きく、中世とは違う繁栄の証としての城の機能も。
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下の写真は左が上へ向かって、右が下へ向かって写した階段。なんとなく、塔に閉じこめられたお姫様を救いに騎士が駆け上っていきそうなイメージですねえ。
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