屋上からの眺め [2024年末~2025年始 チュニジア]
今日も年末年始のチュニジア旅行のお話を。
知り合いのチュニジア人の若者の父親に豪華なチュニジア料理の昼食をご馳走になった後、めぎたちは近くのホテルに案内された。たぶん、もとは父親の親の持ち物だったというところなのだろうと思う。これはその入り口付近にあったクリスマスツリー。クリスマス期間中の旅行だったけどチュニジアではクリスマスにちなんだものはそれまで全く見かけず、ここで初めて見かけた。

ここにはチュニジア一のハマム(蒸気風呂とスパ)があるんだ、と言っていたが、案内されたのは屋上。

プールみたいなのが見えた。寒くて誰もいなかったけど。

メディーナって、こう見ると失礼ながらあまり綺麗とは言えないところね。

白い壁が薄汚れて来ちゃうから仕方がないんだろうな。でも、歴史的な建物なんだなということが時々垣間見える。

この屋上はカフェになっていて、実際座っている人たちがいた(寒いのに!)。若者の知り合いの家族で、一人一人紹介されたのだけど、これまた「私たちこういうところでお茶ができる上流階級なんですのよ」というオーラで満ちていた。そこにあったデザートの看板…レモンタルトが32ディナール(約10ユーロ)、フレンチトーストが38ディナール(約12ユーロ)と、下手するとドイツより高い。場所代って感じかな…

ちなみにその家族、娘はフランスのどこどこに留学中、もう一人の娘もアメリカのどこどこに留学中、その彼氏はドイツのどこどこに留学中、という感じで、みなさん欧米に留学するようだ。そしてみなさんチュニジアのフランス人学校を卒業した同窓生。どうしてみなさんチュニジアの教育を受けないのかな…と思ったら、若者が説明してくれた。日本風に言えばオール5のような成績でチュニジアの高卒の学歴を持っても、それがドイツでは中ぐらいの成績にしかカウントされず、その所為で勉強したい分野の大学学部になかなか登録できない(ドイツでは入試がなくて、高校の卒業試験(=大学入学資格試験)に合格していればどこの大学にも入れるのだが、実際は、人気の学部は卒業試験がオール5ぐらいの成績でないと入れない)。それで、フランスのバカロレアを取るのだという。バカロレアであればチュニジアのフランス人学校卒でもちゃんとその通りの成績がドイツで認定されるのだそうだ。そんな差別があるんだ…と思って調べてみたら、「差別」ではなく、教育水準の差を正しく評価しているということで、PISAの結果などを参考にどの国で取った成績がドイツではどの程度に換算するというのが決まっているようだ。チュニジアの上流階級の人たちは、将来留学すること前提でそれに必要な高卒資格を取る、という感じなのね。
実はめぎにはチュニジアにルーツを持つ生徒がこれまでに何人もいる。ドイツ生まれだったり、生まれはチュニジアでも長いことドイツ育ちだったりで、めぎにとっては彼らってドイツの教育を受けて育ったドイツ語母語話者なのだが、その生徒たち、チュニジアに長期休みに遊びに行くことこそあれど、そこで大学に行ったりそこで仕事をしたりということは全く考えていない。高い教育を受けた頭脳がチュニジアには戻らないということ、きっと何かを象徴しているのだろうな。

ここでお茶にしようと言われていたのだけど、なぜかお茶は出てこないし座る気配もない。かなり寒いのでめぎたちの方からお茶は?と聞くのをやめ、チュニス訪問をこれで切り上げることにした。うちのドイツ人は本当は若者にモスクに連れて行って欲しかったのだけど、モスクの入り方を話題にしてみてもなんだかお茶を濁されるし、これ以上何かをしていただくのをやめようと思ったらしい。で、これで帰ると言うと送っていくと言われ、否タクシーで帰るから大丈夫と言っても後に引かず、結局めぎたちはシディ・ブ・サイドまで父親の運転で送ってもらった。途中、若者が小学校から高校卒業まで通ったというフランス人学校の前を通った。そこは高い塀で囲まれてて、厳重に守られていると言えばそうだし、絶対に外に出られないように隔離されていると言えばまたそうだし、若者が恐らくチュニジアの一般の暮らしとは全く無縁で育ったのだろうと伺えた。デュッセルドルフに住む日本人駐在員のお子さんたちが、基本閉まっている門の前に守衛のいる日本人学校に通い、現地の生活とはほぼ無縁で滞在を終えるのと同じことだ。ただ、日本人が日本人学校に行くのは将来の帰国を見据えた選択で至極納得できることなのだが、その国のネイティブがその国の教育ではなく小学校から大学まで全て外国の教育を受けるという部分への説明が、留学に有利だから、ということ以外にないので、めぎにはどうもしっくりこないのだ…
さて、ここからは後日談。この若者、ボン大学に通うために部屋探しをしてて、つてがあったらぜひ紹介してくれと頼まれたので、父親が盛大に招待してくれたのも面倒を見てくれということなのかなと思って、めぎはドイツに戻ってからボンに住む知り合い(ドイツ人)に連絡を取った。すると、その人の住むアパートにはたまたま一人用の部屋が今空き部屋だし、そのアパートのすぐ近くには大学生用のドミトリーのようなものがあるというのだ。しかもとても親切なことに、紹介するから「名前や連絡先や希望する部屋の大きさなど」をまとめたものを送ってと言ってくれた。それを伝えると、若者はメールで自己紹介(僕はまじめで信用に足る人間です、というような自己紹介)を書いて送ってきたが、そこには希望の部屋の大きさなどが書かれていない。それでもう一度「こういうのを書いて送って」と具体的に指示したら、それきり、返事もなければ部屋が見つかったという連絡もない…これって、どうなの。今時の若者の特徴なのか、国の特徴なのか、上流階級の特徴なのか、なんとも分からないが、こうしてこの日のことを思い出すにつけ、なんだかなあという気分である。ただ、めぎたちとしては、ほぼ部屋が見つかるところまでお世話をしたので、この日の借りは全て返した、というスッキリした気分でもある。
知り合いのチュニジア人の若者の父親に豪華なチュニジア料理の昼食をご馳走になった後、めぎたちは近くのホテルに案内された。たぶん、もとは父親の親の持ち物だったというところなのだろうと思う。これはその入り口付近にあったクリスマスツリー。クリスマス期間中の旅行だったけどチュニジアではクリスマスにちなんだものはそれまで全く見かけず、ここで初めて見かけた。
ここにはチュニジア一のハマム(蒸気風呂とスパ)があるんだ、と言っていたが、案内されたのは屋上。
プールみたいなのが見えた。寒くて誰もいなかったけど。
メディーナって、こう見ると失礼ながらあまり綺麗とは言えないところね。
白い壁が薄汚れて来ちゃうから仕方がないんだろうな。でも、歴史的な建物なんだなということが時々垣間見える。
この屋上はカフェになっていて、実際座っている人たちがいた(寒いのに!)。若者の知り合いの家族で、一人一人紹介されたのだけど、これまた「私たちこういうところでお茶ができる上流階級なんですのよ」というオーラで満ちていた。そこにあったデザートの看板…レモンタルトが32ディナール(約10ユーロ)、フレンチトーストが38ディナール(約12ユーロ)と、下手するとドイツより高い。場所代って感じかな…
ちなみにその家族、娘はフランスのどこどこに留学中、もう一人の娘もアメリカのどこどこに留学中、その彼氏はドイツのどこどこに留学中、という感じで、みなさん欧米に留学するようだ。そしてみなさんチュニジアのフランス人学校を卒業した同窓生。どうしてみなさんチュニジアの教育を受けないのかな…と思ったら、若者が説明してくれた。日本風に言えばオール5のような成績でチュニジアの高卒の学歴を持っても、それがドイツでは中ぐらいの成績にしかカウントされず、その所為で勉強したい分野の大学学部になかなか登録できない(ドイツでは入試がなくて、高校の卒業試験(=大学入学資格試験)に合格していればどこの大学にも入れるのだが、実際は、人気の学部は卒業試験がオール5ぐらいの成績でないと入れない)。それで、フランスのバカロレアを取るのだという。バカロレアであればチュニジアのフランス人学校卒でもちゃんとその通りの成績がドイツで認定されるのだそうだ。そんな差別があるんだ…と思って調べてみたら、「差別」ではなく、教育水準の差を正しく評価しているということで、PISAの結果などを参考にどの国で取った成績がドイツではどの程度に換算するというのが決まっているようだ。チュニジアの上流階級の人たちは、将来留学すること前提でそれに必要な高卒資格を取る、という感じなのね。
実はめぎにはチュニジアにルーツを持つ生徒がこれまでに何人もいる。ドイツ生まれだったり、生まれはチュニジアでも長いことドイツ育ちだったりで、めぎにとっては彼らってドイツの教育を受けて育ったドイツ語母語話者なのだが、その生徒たち、チュニジアに長期休みに遊びに行くことこそあれど、そこで大学に行ったりそこで仕事をしたりということは全く考えていない。高い教育を受けた頭脳がチュニジアには戻らないということ、きっと何かを象徴しているのだろうな。
ここでお茶にしようと言われていたのだけど、なぜかお茶は出てこないし座る気配もない。かなり寒いのでめぎたちの方からお茶は?と聞くのをやめ、チュニス訪問をこれで切り上げることにした。うちのドイツ人は本当は若者にモスクに連れて行って欲しかったのだけど、モスクの入り方を話題にしてみてもなんだかお茶を濁されるし、これ以上何かをしていただくのをやめようと思ったらしい。で、これで帰ると言うと送っていくと言われ、否タクシーで帰るから大丈夫と言っても後に引かず、結局めぎたちはシディ・ブ・サイドまで父親の運転で送ってもらった。途中、若者が小学校から高校卒業まで通ったというフランス人学校の前を通った。そこは高い塀で囲まれてて、厳重に守られていると言えばそうだし、絶対に外に出られないように隔離されていると言えばまたそうだし、若者が恐らくチュニジアの一般の暮らしとは全く無縁で育ったのだろうと伺えた。デュッセルドルフに住む日本人駐在員のお子さんたちが、基本閉まっている門の前に守衛のいる日本人学校に通い、現地の生活とはほぼ無縁で滞在を終えるのと同じことだ。ただ、日本人が日本人学校に行くのは将来の帰国を見据えた選択で至極納得できることなのだが、その国のネイティブがその国の教育ではなく小学校から大学まで全て外国の教育を受けるという部分への説明が、留学に有利だから、ということ以外にないので、めぎにはどうもしっくりこないのだ…
さて、ここからは後日談。この若者、ボン大学に通うために部屋探しをしてて、つてがあったらぜひ紹介してくれと頼まれたので、父親が盛大に招待してくれたのも面倒を見てくれということなのかなと思って、めぎはドイツに戻ってからボンに住む知り合い(ドイツ人)に連絡を取った。すると、その人の住むアパートにはたまたま一人用の部屋が今空き部屋だし、そのアパートのすぐ近くには大学生用のドミトリーのようなものがあるというのだ。しかもとても親切なことに、紹介するから「名前や連絡先や希望する部屋の大きさなど」をまとめたものを送ってと言ってくれた。それを伝えると、若者はメールで自己紹介(僕はまじめで信用に足る人間です、というような自己紹介)を書いて送ってきたが、そこには希望の部屋の大きさなどが書かれていない。それでもう一度「こういうのを書いて送って」と具体的に指示したら、それきり、返事もなければ部屋が見つかったという連絡もない…これって、どうなの。今時の若者の特徴なのか、国の特徴なのか、上流階級の特徴なのか、なんとも分からないが、こうしてこの日のことを思い出すにつけ、なんだかなあという気分である。ただ、めぎたちとしては、ほぼ部屋が見つかるところまでお世話をしたので、この日の借りは全て返した、というスッキリした気分でもある。