義母からのプレゼント [小さな出来事]
今日はめぎの誕生日。
いくつになってもいい大人でも中途半端な年齢でも誕生日を毎年毎年クリスマス(=日本のお正月に当たる大事な行事)と同じぐらい大事に祝うドイツだが、めぎの今日は平日で授業もいっぱいだし、パーティもあまり好きではないので特に誰も招かず何もしない。うちのドイツ人と二人で祝うにしても、今日は夜にゆっくり味わう余裕もないので、ご馳走も後日に後回し。それでも今日はうちのドイツ人がめぎの好みに合わせてトマトソースのスパゲティを用意してくれる予定。
誕生日が近くなって、ああ本当に終わっちゃったんだなあと感じることが。それは、義母からのプレゼントが届かないこと。これは去年のプレゼント。
猫の好きな彼女は、同じく猫好きなめぎに(めぎは犬も好きだけど)、いつも猫の本やカレンダーなどを送ってくれていた。
そのカレンダーを今年ずっと食卓のそばにかけて使ってきたが、もうこの続きは無いのね…
その代わりと言っては何だけど、10月中旬にうちのドイツ人宛てにお届け物があった。中に入っていたのは、義母が最後に病院に持っていっていたというもの。
義母が亡くなった頃うちのドイツ人が腰椎を骨折して動けなくなっていたので、めぎたちは彼女の住んでいた場所や最後にいた病院に一度も行っていない。それでこれらは彼女の仲良しの友人がずっと預かっていたのだが、それを今頃になって(10か月も経ってから)やっと送ってくれたのだ。中に入っていたのは、財布とパスポート入れと時計と指輪。その財布とパスポート入れの中には、ドイツの身分証明カードとイギリスのパスポート(彼女はイギリスに20年ぐらい住んで結婚もしていたので、イギリス国籍を取得していた)、ドイツに戻ってきたときに発行された紙の滞在許可証(当時ドイツは今の日本と同じく外国籍をとると国籍を失う国だったので、彼女はドイツに戻ってきてからしばらくは外国人として生きていた。ちなみにイギリスがEUを離脱した時に、ドイツ国籍を再び取得した)、予防接種の記録台帳(中には2023年11月のコロナワクチン接種の記録があった。亡くなる一か月前のことで、そのときはまさか一か月後に他界するとは思ってもいなかっただろうな)、運転免許証、その他に写ってないけど数十ユーロのお金とリビング・ウィルのカードや緊急連絡先のメモなど。
そして、彼女の指輪。義母は、この貴族の紋章の入った指輪を父方の親戚から譲り受け、それを片時も外さず、自分が亡き後それを長男のうちのドイツ人に譲ると遺書に書いてあった。それで、遺産放棄したうちのドイツ人にもこの指輪だけは無料で引き取ることが可能だった(その他の祖先から伝わる大事なものはお金を払って引き取った)。それがやっとうちに届いたのだ。
晩年の彼女の叔父(義母の父親の弟)が同じ指輪をしている写真が残っている。1985年2月の撮影とのこと。
人が亡くなった後に残るものって、寂しいわね。身分証明書も、時計も財布も指輪も、無くさないようすられないよう大事にしているものだけど、死んでしまったら全く何の用も足さない。なんか、あっけないわね。
めぎが誕生日に義母からもらったものは、今はめぎが一つ一つ懐かしく眺めるけれど、めぎが死んだら誰にとっても何の意味もなくなる。人の思いってこんなにも儚くて、ものすごく切ないわね。
だから、生きているうちが花。また一年元気でいられることを願い、そのためにこそ努力しなきゃなと思っている。
いくつになってもいい大人でも中途半端な年齢でも誕生日を毎年毎年クリスマス(=日本のお正月に当たる大事な行事)と同じぐらい大事に祝うドイツだが、めぎの今日は平日で授業もいっぱいだし、パーティもあまり好きではないので特に誰も招かず何もしない。うちのドイツ人と二人で祝うにしても、今日は夜にゆっくり味わう余裕もないので、ご馳走も後日に後回し。それでも今日はうちのドイツ人がめぎの好みに合わせてトマトソースのスパゲティを用意してくれる予定。
誕生日が近くなって、ああ本当に終わっちゃったんだなあと感じることが。それは、義母からのプレゼントが届かないこと。これは去年のプレゼント。
猫の好きな彼女は、同じく猫好きなめぎに(めぎは犬も好きだけど)、いつも猫の本やカレンダーなどを送ってくれていた。
そのカレンダーを今年ずっと食卓のそばにかけて使ってきたが、もうこの続きは無いのね…
その代わりと言っては何だけど、10月中旬にうちのドイツ人宛てにお届け物があった。中に入っていたのは、義母が最後に病院に持っていっていたというもの。
義母が亡くなった頃うちのドイツ人が腰椎を骨折して動けなくなっていたので、めぎたちは彼女の住んでいた場所や最後にいた病院に一度も行っていない。それでこれらは彼女の仲良しの友人がずっと預かっていたのだが、それを今頃になって(10か月も経ってから)やっと送ってくれたのだ。中に入っていたのは、財布とパスポート入れと時計と指輪。その財布とパスポート入れの中には、ドイツの身分証明カードとイギリスのパスポート(彼女はイギリスに20年ぐらい住んで結婚もしていたので、イギリス国籍を取得していた)、ドイツに戻ってきたときに発行された紙の滞在許可証(当時ドイツは今の日本と同じく外国籍をとると国籍を失う国だったので、彼女はドイツに戻ってきてからしばらくは外国人として生きていた。ちなみにイギリスがEUを離脱した時に、ドイツ国籍を再び取得した)、予防接種の記録台帳(中には2023年11月のコロナワクチン接種の記録があった。亡くなる一か月前のことで、そのときはまさか一か月後に他界するとは思ってもいなかっただろうな)、運転免許証、その他に写ってないけど数十ユーロのお金とリビング・ウィルのカードや緊急連絡先のメモなど。
そして、彼女の指輪。義母は、この貴族の紋章の入った指輪を父方の親戚から譲り受け、それを片時も外さず、自分が亡き後それを長男のうちのドイツ人に譲ると遺書に書いてあった。それで、遺産放棄したうちのドイツ人にもこの指輪だけは無料で引き取ることが可能だった(その他の祖先から伝わる大事なものはお金を払って引き取った)。それがやっとうちに届いたのだ。
晩年の彼女の叔父(義母の父親の弟)が同じ指輪をしている写真が残っている。1985年2月の撮影とのこと。
人が亡くなった後に残るものって、寂しいわね。身分証明書も、時計も財布も指輪も、無くさないようすられないよう大事にしているものだけど、死んでしまったら全く何の用も足さない。なんか、あっけないわね。
めぎが誕生日に義母からもらったものは、今はめぎが一つ一つ懐かしく眺めるけれど、めぎが死んだら誰にとっても何の意味もなくなる。人の思いってこんなにも儚くて、ものすごく切ないわね。
だから、生きているうちが花。また一年元気でいられることを願い、そのためにこそ努力しなきゃなと思っている。