夏休み半分終了 [小さな出来事]
もう7月もそろそろ終わり近い。めぎの6週間の夏休みも早くも半分が終わってしまった。
午前中に(必要ならば)買い物などの用足しをし、午後に動画を編集したりブログを書いたりし、たまにちょこっと部屋の壁の塗り直しなどをし、ちょこっと晩御飯の支度をし(めぎはサラダなど野菜の副菜を作る担当)、夜はオンラインでオペラやドキュメンタリーを見る。この夏はそんな風にうちでのんびり毎日を過ごしている。ドイツは暑すぎず、ここまでのところとても過ごしやすい夏だ。
窓辺の朝顔も毎日新たにたくさん咲いている。9輪咲いておおお~と動画を撮った日の次の日は12輪、その次の日はなんと22輪だった。
ミュンヘン往復を無事にやり遂げたうちのドイツ人は、早速自宅でのリハビリを開始し、2キロのダンベルを使ってハアハアとやっている。それがいつかは3キロのダンベルに変わるらしく、既に買って置いてある。
上にオペラやドキュメンタリーと書いたが、ドキュメンタリーは、つい先日メルケルさんが70歳になったため特番があって30分の番組が5回あったので、それを毎晩1つずつ見た。東ドイツにいたときから首相をやめるまでの彼女について、若いときの映像を見ながら、時代の流れを感じた。もうメルケルさんも過去の歴史の人になったんだなぁ…ドイツ語圏の方ならこちらから2026年の7月まで見られる。
次にオペラについて。現在めぎ家は、7月25日に始まったバイロイト音楽祭のこけら落としの「トリスタンとイゾルデ」を見ているところ。ものすごく長いので(全部で約4時間)、一日一幕ずつ(全部で三幕)。興味のある方でドイツ語圏の方なら、こちらで年末まで全て見られる。下に貼り付けた映像では、最初の10分は序曲で真っ暗なので、10分後から見ると、またはYouTubeでPart2を探し手続きを見れば、舞台の雰囲気が分かる(音楽的には10分間のオケの演奏の方が素晴らしいのでお勧めだが)。
↑このバイロイト音楽祭のこの演目、批評は散々。いくつかの批評(例えばこちらやこちらやこちらやこちらやこちら)をまとめると、まず歌手は、イゾルデは部分的に美しい声だけどビブラートかけ過ぎ。トリスタンは怒鳴り上げ過ぎ。でもそれは最近のバイロイト音楽祭を見に来る観客が大声を好む傾向にあるからかもとのこと。マルケ王は体調不良だったらしいのにその旨が伝えられてなくてブーイングがあったとか。演出は、砂漠のようで動きがないとか、歌手は動きを指示されていないから彼らが日常歌うときの動きしかしていないとか、舞台はガラクタ屋だとか、リブレットが書かれた大きな衣装で何か意図したのだろうが暗すぎて見えなくてよくわからないとか、5時間近い無理強いだったとか、情熱が全くないパートナーセラピーだったなどと散々な言われよう。演出家は登場人物の物語を全く分かってなくて何かを表現する術を持たなかった、とまで言い切った批評も。オーケストラ(指揮者)もテンポが歌手とあわなかったり音量上げ過ぎで歌手が苦労していたりと非難囂々。
そんなわけで全く期待しないで見たためか、そんなに言うほど悪くはないんじゃない?という印象。確かにトリスタンは怒鳴っているようなシーンがあったけどソフトに美しく歌っている場面もあったし。マルケ王はめぎ的には完璧で、なぜこれにブーイングがあったのか全く分からないし。彼の声は他の歌手より小さめだったので、大声を好む観衆に気に入られなかったということなのかな。演出は確かに煮詰めきれてなくて、何だろねこれは、という感じ。1幕目は凄く緊張感あるのだが2幕目はダレる…でもそれは演出や歌手の所為というより、ワーグナーの音楽と舞台の展開そのものが2幕目でしつこすぎてダレると言っても良いかも。もう分かったから次行ってよ、と思ってしまう。
たくさんの酷評に、ドイツが如何にバイロイト音楽祭に失望しているかが分かる。最高水準であるべきなのに…と。めぎだって、天下のバイロイト音楽祭のこけら落としの演目を見て、「そんな悪くないんじゃない?」などというコメントを発するなんて、ホント、バイロイトは地に落ちたわね…今年は(理由は明らかではないが)常連だったメルケルさんも行かなかったそうだ。めぎたちも行かない。チケットはつい最近までずっと売れ残っていたそうだ。あの、チケット割り当てまで9年待ちとも言われたバイロイト音楽祭がねぇ…この状況に、文化大臣が「ワーグナーだけじゃなくて他の演目もやるようにすればいいんじゃない?例えばワーグナーと親交の深かった作曲家のヘンゼルとグレーテルのオペラとか…」などと言ったものだから、今は議論が飛び交い、もめにもめているようだ。
めぎたちは今までに3回バイロイト詣でをした。初めてバイロイト音楽祭に行ったのは2012年のことで、その時には本当に数年待ちでやっと手に入るチケットで、めぎ家も2004年ごろから申し込み続けてやっと割り当てられたのだった。格式がまだ感じられたころ。この頃めぎはニコンのD40Xを使ってて、ビビッドに設定して撮っていたから凄いどぎつい色合い。この頃はRAWでは撮ってなかったので今から変えることもできない…
軽いカメラとしてはソニーのHX5Vというのを使っていた。このときに撮っためぎとうちのドイツ人お写真を見ると、まあ我々なんて若かったんでしょ…とびっくり。12年前、つい昨日のことのようなのに。めぎはこのとき着物を着たのだが、車で行ったとは言え、頑張って持っていって自分で着てあのバイロイトの祝祭劇場までの丘を登り、休憩を入れて6時間も7時間も着たままでオペラを楽しめる元気があったのだ。このときの話はこちらから。写真や映像を引用貼り付けしている部分はことごとくもう無いようで空欄になっているけど。
次に行ったのは2018年、日本から来た妹と。チケット割り当ては叶わなかったのだが、この頃からバイロイト音楽祭事務局はチケットの売り方を変更し、9年待ちのカテゴリーと早い者勝ちのオンライン購入との2本立てとしたため、妹のためにとこの早い者勝ちのオンラインに挑んで勝ち取ったチケットだった。
バイロイト音楽祭は休憩が長く、裏の芝生で持ち込みピクニックができた。うちのドイツ人が休憩時間中に駐車場まで往復してめぎと妹のために用意してくれた。ホントこのとき、うちのドイツ人は妹に本場を経験してもらおうと一生懸命やってくれたんだったなぁ…音楽祭そのものは、あれれどうもイマイチになってきたねぇ、という感じの頃のこと。最高級の音楽祭を妹にお見せできるはずが、かなりがっかりな出来だった。このときの話はカテゴリーを作っただけでまだ全く書いていない。
最後に行ったのはコロナの時期の2021年。ワクチン済みでマスク着用が必須だった頃。食べ物の持ち込みは禁止となり、芝生の前で屋台でソーセージが売られていた。それはまあコロナで仕方がないにしろ、予約の取れない三ツ星レストランだったバイロイト音楽祭が屋台ソーセージイベントになったかのような、シンボリックな出来事だった。このときの話はこちらから。
今年2024年の7月25日、バイロイト音楽祭の開催初日には、ドイツのラジオで開幕の演目トリスタンとイゾルデの有名なトリスタン和音についての説明があった。普段は政治や事件のニュース解説が行われる番組の中での音楽学的な解説で、へええ流石ドイツ!と思う内容なのでリンクを貼り付けておく。ドイツ語の分かる方はぜひこちらで聞いてほしい。分からなくても、ピアノでバッハの時代からワーグナーのこのトリスタン和音までの発展の様子を紹介しながら話を進めるので、音楽が昔はどういう決まりで作られていたのがどう発展してどう自由になったのか、ピアノの音で聞ける。ラジオではワーグナーのこの和音を「原子爆弾のよう」と言っているが、ワーグナーが自らこの画期的な和音を作ったことで、その後の音楽界が現代音楽へと切り替わっていったのだ。それについては日本語のWikipediaのこちらでもさらりとだが触れられている。かなり専門的なことを素人にも分かりやすく説明しているよくできた解説なのだが、なぜかピアノの音色がちょっと調律し切れていないのが不思議。
こうして人類史上に残る音楽を聴くことを中心に毎日を過ごしていると、仕事上のあれこれなんてまあいいやという気がしてくる。めぎのやってる仕事なんて、個人的に糧を得るためにも音楽を楽しめるためにも必要だけど、めぎがいなくても何とでもなるし、引退しても何がどうということもなく続いて行くもの。その仕事分野で史上これほど画期的なことをした、と150年後にニュース解説で紹介されるようなものでもないし、そんなに必死に疲れるほど頑張り過ぎる必要などないのでは…と思うのだ。そうは言っても、3週間後に始まればまたその波に吞まれて目を三角にしてしまうんだろうけど。それまでのあと3週間、この自由を貪っておこうと思う。
午前中に(必要ならば)買い物などの用足しをし、午後に動画を編集したりブログを書いたりし、たまにちょこっと部屋の壁の塗り直しなどをし、ちょこっと晩御飯の支度をし(めぎはサラダなど野菜の副菜を作る担当)、夜はオンラインでオペラやドキュメンタリーを見る。この夏はそんな風にうちでのんびり毎日を過ごしている。ドイツは暑すぎず、ここまでのところとても過ごしやすい夏だ。
窓辺の朝顔も毎日新たにたくさん咲いている。9輪咲いておおお~と動画を撮った日の次の日は12輪、その次の日はなんと22輪だった。
ミュンヘン往復を無事にやり遂げたうちのドイツ人は、早速自宅でのリハビリを開始し、2キロのダンベルを使ってハアハアとやっている。それがいつかは3キロのダンベルに変わるらしく、既に買って置いてある。
上にオペラやドキュメンタリーと書いたが、ドキュメンタリーは、つい先日メルケルさんが70歳になったため特番があって30分の番組が5回あったので、それを毎晩1つずつ見た。東ドイツにいたときから首相をやめるまでの彼女について、若いときの映像を見ながら、時代の流れを感じた。もうメルケルさんも過去の歴史の人になったんだなぁ…ドイツ語圏の方ならこちらから2026年の7月まで見られる。
次にオペラについて。現在めぎ家は、7月25日に始まったバイロイト音楽祭のこけら落としの「トリスタンとイゾルデ」を見ているところ。ものすごく長いので(全部で約4時間)、一日一幕ずつ(全部で三幕)。興味のある方でドイツ語圏の方なら、こちらで年末まで全て見られる。下に貼り付けた映像では、最初の10分は序曲で真っ暗なので、10分後から見ると、またはYouTubeでPart2を探し手続きを見れば、舞台の雰囲気が分かる(音楽的には10分間のオケの演奏の方が素晴らしいのでお勧めだが)。
↑このバイロイト音楽祭のこの演目、批評は散々。いくつかの批評(例えばこちらやこちらやこちらやこちらやこちら)をまとめると、まず歌手は、イゾルデは部分的に美しい声だけどビブラートかけ過ぎ。トリスタンは怒鳴り上げ過ぎ。でもそれは最近のバイロイト音楽祭を見に来る観客が大声を好む傾向にあるからかもとのこと。マルケ王は体調不良だったらしいのにその旨が伝えられてなくてブーイングがあったとか。演出は、砂漠のようで動きがないとか、歌手は動きを指示されていないから彼らが日常歌うときの動きしかしていないとか、舞台はガラクタ屋だとか、リブレットが書かれた大きな衣装で何か意図したのだろうが暗すぎて見えなくてよくわからないとか、5時間近い無理強いだったとか、情熱が全くないパートナーセラピーだったなどと散々な言われよう。演出家は登場人物の物語を全く分かってなくて何かを表現する術を持たなかった、とまで言い切った批評も。オーケストラ(指揮者)もテンポが歌手とあわなかったり音量上げ過ぎで歌手が苦労していたりと非難囂々。
そんなわけで全く期待しないで見たためか、そんなに言うほど悪くはないんじゃない?という印象。確かにトリスタンは怒鳴っているようなシーンがあったけどソフトに美しく歌っている場面もあったし。マルケ王はめぎ的には完璧で、なぜこれにブーイングがあったのか全く分からないし。彼の声は他の歌手より小さめだったので、大声を好む観衆に気に入られなかったということなのかな。演出は確かに煮詰めきれてなくて、何だろねこれは、という感じ。1幕目は凄く緊張感あるのだが2幕目はダレる…でもそれは演出や歌手の所為というより、ワーグナーの音楽と舞台の展開そのものが2幕目でしつこすぎてダレると言っても良いかも。もう分かったから次行ってよ、と思ってしまう。
たくさんの酷評に、ドイツが如何にバイロイト音楽祭に失望しているかが分かる。最高水準であるべきなのに…と。めぎだって、天下のバイロイト音楽祭のこけら落としの演目を見て、「そんな悪くないんじゃない?」などというコメントを発するなんて、ホント、バイロイトは地に落ちたわね…今年は(理由は明らかではないが)常連だったメルケルさんも行かなかったそうだ。めぎたちも行かない。チケットはつい最近までずっと売れ残っていたそうだ。あの、チケット割り当てまで9年待ちとも言われたバイロイト音楽祭がねぇ…この状況に、文化大臣が「ワーグナーだけじゃなくて他の演目もやるようにすればいいんじゃない?例えばワーグナーと親交の深かった作曲家のヘンゼルとグレーテルのオペラとか…」などと言ったものだから、今は議論が飛び交い、もめにもめているようだ。
めぎたちは今までに3回バイロイト詣でをした。初めてバイロイト音楽祭に行ったのは2012年のことで、その時には本当に数年待ちでやっと手に入るチケットで、めぎ家も2004年ごろから申し込み続けてやっと割り当てられたのだった。格式がまだ感じられたころ。この頃めぎはニコンのD40Xを使ってて、ビビッドに設定して撮っていたから凄いどぎつい色合い。この頃はRAWでは撮ってなかったので今から変えることもできない…
軽いカメラとしてはソニーのHX5Vというのを使っていた。このときに撮っためぎとうちのドイツ人お写真を見ると、まあ我々なんて若かったんでしょ…とびっくり。12年前、つい昨日のことのようなのに。めぎはこのとき着物を着たのだが、車で行ったとは言え、頑張って持っていって自分で着てあのバイロイトの祝祭劇場までの丘を登り、休憩を入れて6時間も7時間も着たままでオペラを楽しめる元気があったのだ。このときの話はこちらから。写真や映像を引用貼り付けしている部分はことごとくもう無いようで空欄になっているけど。
次に行ったのは2018年、日本から来た妹と。チケット割り当ては叶わなかったのだが、この頃からバイロイト音楽祭事務局はチケットの売り方を変更し、9年待ちのカテゴリーと早い者勝ちのオンライン購入との2本立てとしたため、妹のためにとこの早い者勝ちのオンラインに挑んで勝ち取ったチケットだった。
バイロイト音楽祭は休憩が長く、裏の芝生で持ち込みピクニックができた。うちのドイツ人が休憩時間中に駐車場まで往復してめぎと妹のために用意してくれた。ホントこのとき、うちのドイツ人は妹に本場を経験してもらおうと一生懸命やってくれたんだったなぁ…音楽祭そのものは、あれれどうもイマイチになってきたねぇ、という感じの頃のこと。最高級の音楽祭を妹にお見せできるはずが、かなりがっかりな出来だった。このときの話はカテゴリーを作っただけでまだ全く書いていない。
最後に行ったのはコロナの時期の2021年。ワクチン済みでマスク着用が必須だった頃。食べ物の持ち込みは禁止となり、芝生の前で屋台でソーセージが売られていた。それはまあコロナで仕方がないにしろ、予約の取れない三ツ星レストランだったバイロイト音楽祭が屋台ソーセージイベントになったかのような、シンボリックな出来事だった。このときの話はこちらから。
今年2024年の7月25日、バイロイト音楽祭の開催初日には、ドイツのラジオで開幕の演目トリスタンとイゾルデの有名なトリスタン和音についての説明があった。普段は政治や事件のニュース解説が行われる番組の中での音楽学的な解説で、へええ流石ドイツ!と思う内容なのでリンクを貼り付けておく。ドイツ語の分かる方はぜひこちらで聞いてほしい。分からなくても、ピアノでバッハの時代からワーグナーのこのトリスタン和音までの発展の様子を紹介しながら話を進めるので、音楽が昔はどういう決まりで作られていたのがどう発展してどう自由になったのか、ピアノの音で聞ける。ラジオではワーグナーのこの和音を「原子爆弾のよう」と言っているが、ワーグナーが自らこの画期的な和音を作ったことで、その後の音楽界が現代音楽へと切り替わっていったのだ。それについては日本語のWikipediaのこちらでもさらりとだが触れられている。かなり専門的なことを素人にも分かりやすく説明しているよくできた解説なのだが、なぜかピアノの音色がちょっと調律し切れていないのが不思議。
こうして人類史上に残る音楽を聴くことを中心に毎日を過ごしていると、仕事上のあれこれなんてまあいいやという気がしてくる。めぎのやってる仕事なんて、個人的に糧を得るためにも音楽を楽しめるためにも必要だけど、めぎがいなくても何とでもなるし、引退しても何がどうということもなく続いて行くもの。その仕事分野で史上これほど画期的なことをした、と150年後にニュース解説で紹介されるようなものでもないし、そんなに必死に疲れるほど頑張り過ぎる必要などないのでは…と思うのだ。そうは言っても、3週間後に始まればまたその波に吞まれて目を三角にしてしまうんだろうけど。それまでのあと3週間、この自由を貪っておこうと思う。