年度終了~夏休み♪ [仕事風景]
めぎは今日から6週間の夏休み。

ドイツは州ごとに夏休みの時期をずらしているのだが、めぎの住むノルトライン・ヴェストファーレン州の2024年の夏休みは7月6日から8月20日まで。と言っても教職員は8月18日から始業するため、2日ほど生徒より少ないが、つまり夏休み中に出勤するのは最後の2日間だけ。校長や学年主任などの上の方々や秘書さんたちは夏休みの最初の週と最後の週に半日程度仕事をするが、その人たちも4週間は完全オフになってその間は誰も学校にいないし(もちろんデュッセルドルフにいる義務もない)、大多数の平教師は6週間出勤の義務がない。夏が年度替わりなので、持ち帰り仕事もない。部活も補習も全くない(日本のような部活はもともとなくて習い事であるし、中学校まででドイツ語・英語・数学の成績が非常に悪かった生徒のための補習は市が提供していて、我々教師はそれへの参加のお勧め状を保護者宛に出すだけ)。自ら志願しない限り転校も転勤もないため引継ぎなどもなく、本当に文字通りお休みなのだ。同僚はみんな、2週間はスイスへ、次の2週間はフランスへ、はたまた5週間アメリカへなどとどこかに出かけ、音信不通になる。と言うか、夏休み中に同僚に仕事のメールなど出すのは時間のメリハリをつけられない人というイメージ。次の学年の授業準備もあるが、それは一人一人の裁量でいつやるか決めることができ、休み前に準備を終えて遊びに行く人や、帰って来てから超特急でやる人など様々だ。

年度末ということで、最後に次の年度の担当クラスなどの決定通知が来る。めぎに届いた通知の中に、次のような項目があった。

↑直訳すると、「55歳または60歳満了後の義務時間軽減」と書かれている。1.00は1時間という意味で、0.00%はフルタイムなので割引なしという意味で、つまり、55歳を過ぎると、就業時間が1時間軽減されるということ。調べてみたら、60歳を過ぎると3時間も軽減されるらしい。めぎの勤める学校(大学入学資格を取れる中高一貫教育校)の教師の場合、フルタイムの就業時間は25.5時間。それが、めぎは55歳を過ぎたので、24.5時間がフルタイムの就業時間になったのだ(この半端な0.5時間は、今年25時間働いたら来年は26時間働くというような形で運用されている。また、これは基本的に授業をする時間数で、それ以外の時間に授業準備や採点やその他の事務を自己裁量でこなすことが見込まれている。日本の高校の授業持ち時間は13~18時間ほどだというので、ドイツの方がずいぶんたくさん働かされている。でも、ドイツの場合はこの25.5時間以外は学校にいる義務がない)。
歳を取ったら時間数軽減があるとは聞いていたのだが、55歳からもうあるのだとは全く知らなかったので、これを見てびっくり。自分もいよいよ年寄りカテゴリーに入ってきたのだなあと実感。日本だったらそろそろ定年近くなるし、まあ実際そうなんだわね。ドイツの定年は67歳なのでまだまだあるなあと思っていたが、こうやって少ない時間働けばいいようになっているというのは、なんとも高齢者に優しいシステムだなぁ…60歳以上の同僚によると、3時間軽減は本当に助かっているとのこと。うん、そうだろうなぁ…しみじみ。30代40代の頃とは疲れ方や境遇がまるで違うもの。

今年度は辛い一年だった。仕事は充実して生徒にも同僚にも恵まれて結構楽しくて全く辛くなかったが、プライベートが辛すぎて、先が見えない時期が長くてとてもしんどかった。まあみなさんもうご存じのことで繰り返しになるが、去年夏休みを終えていつものように秋休みを楽しみに頑張っていたらうちのドイツ人の腰椎骨折で(当時は骨折とは知らずぎっくり腰だと思っていたが)秋旅がおじゃんになり、痛みに七転八倒するうちのドイツ人を前になすすべもなく、途方に暮れた秋休みの2週間を過ごして疲れも倍増した状態で仕事に復帰。次はとにかく冬休みを楽しみに、それまでには治るだろうと思っていたら、義母は亡くなるしうちのドイツ人もまたまた骨折して冬旅もおじゃんに。さらにその後一時期だけどうちのドイツ人が寝たきりになったし、骨折だと分かるまでが長かったし骨折だと分かってから療養が長くて痛みも酷くてそばにいるのも辛かったし、めぎは仕事も家事も介護も全てをこなさなければならなくて、それよりなにより動けなくてどんどん細くなっていくうちのドイツ人を見ながらどうなるのか分からなくて心配で、ただただ苦しかった。一番辛かったときは仕事のことなどハッキリ言ってどうでもよくなったが、でも仕事しないわけにはいかないし、申し訳ないがかなり適当だったこともあったと思う。仕事をしている間はちょっとうちのドイツ人のことを忘れていられたので精神的に助かったとも言えるかな。
イースター休みの頃から少しずつ回復の兆しが見え始め、気持ちも前向きになり、物事も先に進み始めた。今は、まだまだ元通りには程遠いが痛みも減ってきて、仕事も料理も普通にこなし、サッカーを見るとか音楽を聴くとかちょっと散歩するとかそこそこ普通に生活らしきことができるようになり、それどころかうちのドイツ人もゆっくり移動すれば夏にちょこっと旅ができそうな感じにまで戻ってきたし、ダメでもうちで一人で留守番できそうなので、めぎはやっと不安と心配から多少解放されてリフレッシュできそうだ。
今回のことで大いに思い知ったのは、まず、この当たり前の生活がいつあっという間に脆くも崩れ去るか知れないということ。次に、長年かけて一生懸命築いてきたものが、成し遂げて終わりなのではなく、折角築いたのにそれが不変ということもなく、これからはそれが必ず来る終わりに向かって少しずつ壊れていくのだということ。そして、それが少しずつではなく百々っと雪崩のように壊れる瞬間があるのだということ。最後に、そんな終わりに向かって、めぎは外国で暮らしているのだということ。まだある程度若く、キッチリ考えたり整えたりできる今のうちにそれを思い知ることができ、そういう意味ではこの一年間の経験はよかったと言えるかも。
夏休みの前半はめぎもうちでのんびり本でも読んだりうちのドイツ人のリハビリにつきあったり音楽でも聴いたりして過ごそうと思っているのだけど、めぎにもうちのドイツ人にも多少なりとも生活を楽しめる心と身体の余裕ができたということで、うちのドイツ人の頑張りと快復に心から感謝したい。
ドイツは州ごとに夏休みの時期をずらしているのだが、めぎの住むノルトライン・ヴェストファーレン州の2024年の夏休みは7月6日から8月20日まで。と言っても教職員は8月18日から始業するため、2日ほど生徒より少ないが、つまり夏休み中に出勤するのは最後の2日間だけ。校長や学年主任などの上の方々や秘書さんたちは夏休みの最初の週と最後の週に半日程度仕事をするが、その人たちも4週間は完全オフになってその間は誰も学校にいないし(もちろんデュッセルドルフにいる義務もない)、大多数の平教師は6週間出勤の義務がない。夏が年度替わりなので、持ち帰り仕事もない。部活も補習も全くない(日本のような部活はもともとなくて習い事であるし、中学校まででドイツ語・英語・数学の成績が非常に悪かった生徒のための補習は市が提供していて、我々教師はそれへの参加のお勧め状を保護者宛に出すだけ)。自ら志願しない限り転校も転勤もないため引継ぎなどもなく、本当に文字通りお休みなのだ。同僚はみんな、2週間はスイスへ、次の2週間はフランスへ、はたまた5週間アメリカへなどとどこかに出かけ、音信不通になる。と言うか、夏休み中に同僚に仕事のメールなど出すのは時間のメリハリをつけられない人というイメージ。次の学年の授業準備もあるが、それは一人一人の裁量でいつやるか決めることができ、休み前に準備を終えて遊びに行く人や、帰って来てから超特急でやる人など様々だ。
年度末ということで、最後に次の年度の担当クラスなどの決定通知が来る。めぎに届いた通知の中に、次のような項目があった。

↑直訳すると、「55歳または60歳満了後の義務時間軽減」と書かれている。1.00は1時間という意味で、0.00%はフルタイムなので割引なしという意味で、つまり、55歳を過ぎると、就業時間が1時間軽減されるということ。調べてみたら、60歳を過ぎると3時間も軽減されるらしい。めぎの勤める学校(大学入学資格を取れる中高一貫教育校)の教師の場合、フルタイムの就業時間は25.5時間。それが、めぎは55歳を過ぎたので、24.5時間がフルタイムの就業時間になったのだ(この半端な0.5時間は、今年25時間働いたら来年は26時間働くというような形で運用されている。また、これは基本的に授業をする時間数で、それ以外の時間に授業準備や採点やその他の事務を自己裁量でこなすことが見込まれている。日本の高校の授業持ち時間は13~18時間ほどだというので、ドイツの方がずいぶんたくさん働かされている。でも、ドイツの場合はこの25.5時間以外は学校にいる義務がない)。
歳を取ったら時間数軽減があるとは聞いていたのだが、55歳からもうあるのだとは全く知らなかったので、これを見てびっくり。自分もいよいよ年寄りカテゴリーに入ってきたのだなあと実感。日本だったらそろそろ定年近くなるし、まあ実際そうなんだわね。ドイツの定年は67歳なのでまだまだあるなあと思っていたが、こうやって少ない時間働けばいいようになっているというのは、なんとも高齢者に優しいシステムだなぁ…60歳以上の同僚によると、3時間軽減は本当に助かっているとのこと。うん、そうだろうなぁ…しみじみ。30代40代の頃とは疲れ方や境遇がまるで違うもの。
今年度は辛い一年だった。仕事は充実して生徒にも同僚にも恵まれて結構楽しくて全く辛くなかったが、プライベートが辛すぎて、先が見えない時期が長くてとてもしんどかった。まあみなさんもうご存じのことで繰り返しになるが、去年夏休みを終えていつものように秋休みを楽しみに頑張っていたらうちのドイツ人の腰椎骨折で(当時は骨折とは知らずぎっくり腰だと思っていたが)秋旅がおじゃんになり、痛みに七転八倒するうちのドイツ人を前になすすべもなく、途方に暮れた秋休みの2週間を過ごして疲れも倍増した状態で仕事に復帰。次はとにかく冬休みを楽しみに、それまでには治るだろうと思っていたら、義母は亡くなるしうちのドイツ人もまたまた骨折して冬旅もおじゃんに。さらにその後一時期だけどうちのドイツ人が寝たきりになったし、骨折だと分かるまでが長かったし骨折だと分かってから療養が長くて痛みも酷くてそばにいるのも辛かったし、めぎは仕事も家事も介護も全てをこなさなければならなくて、それよりなにより動けなくてどんどん細くなっていくうちのドイツ人を見ながらどうなるのか分からなくて心配で、ただただ苦しかった。一番辛かったときは仕事のことなどハッキリ言ってどうでもよくなったが、でも仕事しないわけにはいかないし、申し訳ないがかなり適当だったこともあったと思う。仕事をしている間はちょっとうちのドイツ人のことを忘れていられたので精神的に助かったとも言えるかな。
イースター休みの頃から少しずつ回復の兆しが見え始め、気持ちも前向きになり、物事も先に進み始めた。今は、まだまだ元通りには程遠いが痛みも減ってきて、仕事も料理も普通にこなし、サッカーを見るとか音楽を聴くとかちょっと散歩するとかそこそこ普通に生活らしきことができるようになり、それどころかうちのドイツ人もゆっくり移動すれば夏にちょこっと旅ができそうな感じにまで戻ってきたし、ダメでもうちで一人で留守番できそうなので、めぎはやっと不安と心配から多少解放されてリフレッシュできそうだ。
今回のことで大いに思い知ったのは、まず、この当たり前の生活がいつあっという間に脆くも崩れ去るか知れないということ。次に、長年かけて一生懸命築いてきたものが、成し遂げて終わりなのではなく、折角築いたのにそれが不変ということもなく、これからはそれが必ず来る終わりに向かって少しずつ壊れていくのだということ。そして、それが少しずつではなく百々っと雪崩のように壊れる瞬間があるのだということ。最後に、そんな終わりに向かって、めぎは外国で暮らしているのだということ。まだある程度若く、キッチリ考えたり整えたりできる今のうちにそれを思い知ることができ、そういう意味ではこの一年間の経験はよかったと言えるかも。
夏休みの前半はめぎもうちでのんびり本でも読んだりうちのドイツ人のリハビリにつきあったり音楽でも聴いたりして過ごそうと思っているのだけど、めぎにもうちのドイツ人にも多少なりとも生活を楽しめる心と身体の余裕ができたということで、うちのドイツ人の頑張りと快復に心から感謝したい。