レストランで打ち上げ [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]
今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。
めぎの小学校時代の恩師夫妻を聖霊降臨祭のザルツブルク音楽祭にお招きしての3日間を過ごしてきて、この日が最終日。最終公演終了後、レストランで打ち上げの乾杯。めぎと奥様は濁ったタイプの地ビールの生を、先生は澄んだタイプのを。この日はそこそこ暖かかった上、5月で夜もまだ明るいし、素晴らしいドミンゴの公演の後で気分も上々で、外のテラス席で飲む冷たい生ビールがうーん♡美味しい♪

この前の晩まではオペラの終演が22時過ぎと遅かったので、その後はめぎの宿に寄っていただいてワインと出来合いを買った適当なおつまみで語らっていたのだが、最終日の公演は20時ごろ終わるので、レストランを予約しておいた。レストランはこちら。ここに来るのはめぎは3回目だが、今回も去年と同様、ウェイター&ウェイトレスさんたちがとても感じよくて、よく気が利いて、気分良く食事を楽しめる。食事も美味しいし、ちょっと高いけどそれを払う価値は多分にあり、ホントおススメ。
この後めぎと奥様はワインに切り替え、先生はビールをお代わり。ビールのお好きな先生、毎晩めぎの宿でもビールを飲みたかったのかも知れないな。ここでは生ビールを飲みに行くべきなので缶はもちろん瓶ビールもお勧めしません、と拒否しためぎだったのだが、申し訳ないことをしたのかも。料理は3種類注文して小皿も3枚もらってみんなで分けた。右はグリーンアスパラとイチゴと羊のチーズのサラダ。左下は牛肉のカルパッチョ。上はターフェルシュピッツという牛肉の煮込み。その左にある緑色のホウレン草のソースをかけて食べる。

食べながらおしゃべりに花が咲いた。めぎにとってはもう慣れた味だけど、そしてできるだけ日本人の口に合う料理を選んでいたのだけど、恩師夫妻にとっては食べ慣れない料理の新しい味付け。先生は、帰ったらこんな風に料理してみようとか、畑でこんなものを植えてみようとか、色々新しいプランが心に浮かんでいたようだった。それからもちろん音楽のこともたくさんおしゃべり。ザルツブルク音楽祭というレベルの高い演奏と演出を体験し、新しい視野も広がり、先生の音楽への理解が一層深まったようだった。帰宅したらきっと、既にお持ちのCDやレコードも新たな耳で聞くことができ、ますます楽しめるのではないかなと思う。ここに来られて本当によかった、何度もおっしゃっていたが、そう言っていただけて本当によかった。
先生からは、その昔ウィーンの新春コンサートに行くツアーを申し込んであったのに、直前になってパスポートが切れていることに気づいてキャンセルせざるを得なかったという悲しい思い出話や、教師としては、特に校長になってからは長期休暇中も常に何かあったらすぐに駆け付けられるところにいる義務と責任を負っていて、年末年始しか札幌を離れられない決まりだったため、海外になど全く行けなかったこと、どうにかやりくりしてやっと年末年始にアメリカに行ったことがあったが、知り合いに予約してもらっていた新春コンサートはクラシックのオーケストラの公演ではなく、ただのカウントダウンパーティーのようなものだった、というこれまた悲しいお話なども伺った。こうしてザルツブルク音楽祭を訪ねられたのは、悠々自適になったからこそできたこと。でもそれも、奥様が99歳と100歳のご両親の介護をしているということで、直前まで実現できるかどうかわからなかった。ご両親がこの期間お元気でいらっしゃって、奥様が最後までここでの滞在を堪能できたのも本当に有り難いことだった。
料理が美味しかったので、ここで最後にもう一度ホワイトアスパラも食べようということになり、追加オーダー。ホワイトとグリーンの硬めに茹でたのの上にパルメザンチーズがかけてあった。茹でたジャガイモがバターとパセリで味付けしてあった。左上の丸いのは(めぎは食べなかったので記憶がないのだが)たぶん卵の黄身で、これを潰してかければオランデーズソースのようになるのだろう。

めぎはこの小学校時代の恩師と中学・高校・大学を通しずっと文通をして来て、大人になってからは帰省時に連絡して飲みに連れていっていただいたりしていた。いつだったか就職して社会人をしていたときか二度目の大学生活に戻ったときか忘れたけど東京に住んでいた頃に、めぎはもうずっと、たぶん一生東京にいるつもり、というようなことを話したことがあったのだが、先生はその時、いや、いつかは札幌に戻ってくると思うよ、とおっしゃった。めぎは東京で成功したい、名を成したいというような意欲に満ちていたのだが、先生の方は、成長していつかは札幌に戻って札幌のために働いてほしい、というような意味だったのではないかと思う。ずっと東京にいたいなんてまだまだ青いな、というようなニュアンスもあったかもしれない。しかし今回先生は、「いやあめぎさんはもうずっとドイツにいるんだね、いや、そうするのが一番いい、ご主人にも会って、本当にこれが一番いいと思ったよ」と何度も先生の方からおっしゃった。めぎがいろんなことを乗り越えて自分で居場所を開拓し、頑張って根を張って行ったことを認めてくださっただけでなく、それを喜んでもらえたような気がして、とても嬉しかった。
お腹はいっぱいになったけど、〆にここでぜひ食べてほしかったデザートを。パラチンケンというデザートで、中にオーストリアならではのアンズジャムが入っているクレープのようなもの。3人で仲良く分けて完食。美味しかったなぁ…

子どものころからの御恩と、そして昨年の先生のお宅でのおもてなしに対する御恩返しにはまだまだ足りないが、めぎにできることを無理のない範囲でこちらも楽しみながら精一杯提供し、それを楽しく受け取って過ごしていただけて、とても素敵な数日間だった。名残惜しいけど、これで恩師夫妻とはお別れ。めぎはこの次の日の朝の便でデュッセルドルフに帰り、仕事復帰。恩師夫妻はもう1日ザルツブルク滞在を楽しんで、2日後にウィーンへ。最後の滞在地ウィーンでも色々散策を楽しんで、その数日後、日本に無事にお戻りになった。その後何度かメールのやり取りをしたが、先生のお知り合いに今回の旅の話をしたり、早速こちらで体験したハーブの味を再現しようと色々畑に植えてみたりしているようだ。音楽も、あのシフのコンサートで聞いた曲をもう一度聞いてみるなど、追体験したり再発見したりしているらしい。そうやって懐かしみつつさらに色々深めていっていただけて、本当になにより。
これで先生とのお話はおしまいだが、ザルツブルクの話はあともう1回続く。
めぎの小学校時代の恩師夫妻を聖霊降臨祭のザルツブルク音楽祭にお招きしての3日間を過ごしてきて、この日が最終日。最終公演終了後、レストランで打ち上げの乾杯。めぎと奥様は濁ったタイプの地ビールの生を、先生は澄んだタイプのを。この日はそこそこ暖かかった上、5月で夜もまだ明るいし、素晴らしいドミンゴの公演の後で気分も上々で、外のテラス席で飲む冷たい生ビールがうーん♡美味しい♪

この前の晩まではオペラの終演が22時過ぎと遅かったので、その後はめぎの宿に寄っていただいてワインと出来合いを買った適当なおつまみで語らっていたのだが、最終日の公演は20時ごろ終わるので、レストランを予約しておいた。レストランはこちら。ここに来るのはめぎは3回目だが、今回も去年と同様、ウェイター&ウェイトレスさんたちがとても感じよくて、よく気が利いて、気分良く食事を楽しめる。食事も美味しいし、ちょっと高いけどそれを払う価値は多分にあり、ホントおススメ。
この後めぎと奥様はワインに切り替え、先生はビールをお代わり。ビールのお好きな先生、毎晩めぎの宿でもビールを飲みたかったのかも知れないな。ここでは生ビールを飲みに行くべきなので缶はもちろん瓶ビールもお勧めしません、と拒否しためぎだったのだが、申し訳ないことをしたのかも。料理は3種類注文して小皿も3枚もらってみんなで分けた。右はグリーンアスパラとイチゴと羊のチーズのサラダ。左下は牛肉のカルパッチョ。上はターフェルシュピッツという牛肉の煮込み。その左にある緑色のホウレン草のソースをかけて食べる。

食べながらおしゃべりに花が咲いた。めぎにとってはもう慣れた味だけど、そしてできるだけ日本人の口に合う料理を選んでいたのだけど、恩師夫妻にとっては食べ慣れない料理の新しい味付け。先生は、帰ったらこんな風に料理してみようとか、畑でこんなものを植えてみようとか、色々新しいプランが心に浮かんでいたようだった。それからもちろん音楽のこともたくさんおしゃべり。ザルツブルク音楽祭というレベルの高い演奏と演出を体験し、新しい視野も広がり、先生の音楽への理解が一層深まったようだった。帰宅したらきっと、既にお持ちのCDやレコードも新たな耳で聞くことができ、ますます楽しめるのではないかなと思う。ここに来られて本当によかった、何度もおっしゃっていたが、そう言っていただけて本当によかった。
先生からは、その昔ウィーンの新春コンサートに行くツアーを申し込んであったのに、直前になってパスポートが切れていることに気づいてキャンセルせざるを得なかったという悲しい思い出話や、教師としては、特に校長になってからは長期休暇中も常に何かあったらすぐに駆け付けられるところにいる義務と責任を負っていて、年末年始しか札幌を離れられない決まりだったため、海外になど全く行けなかったこと、どうにかやりくりしてやっと年末年始にアメリカに行ったことがあったが、知り合いに予約してもらっていた新春コンサートはクラシックのオーケストラの公演ではなく、ただのカウントダウンパーティーのようなものだった、というこれまた悲しいお話なども伺った。こうしてザルツブルク音楽祭を訪ねられたのは、悠々自適になったからこそできたこと。でもそれも、奥様が99歳と100歳のご両親の介護をしているということで、直前まで実現できるかどうかわからなかった。ご両親がこの期間お元気でいらっしゃって、奥様が最後までここでの滞在を堪能できたのも本当に有り難いことだった。
料理が美味しかったので、ここで最後にもう一度ホワイトアスパラも食べようということになり、追加オーダー。ホワイトとグリーンの硬めに茹でたのの上にパルメザンチーズがかけてあった。茹でたジャガイモがバターとパセリで味付けしてあった。左上の丸いのは(めぎは食べなかったので記憶がないのだが)たぶん卵の黄身で、これを潰してかければオランデーズソースのようになるのだろう。

めぎはこの小学校時代の恩師と中学・高校・大学を通しずっと文通をして来て、大人になってからは帰省時に連絡して飲みに連れていっていただいたりしていた。いつだったか就職して社会人をしていたときか二度目の大学生活に戻ったときか忘れたけど東京に住んでいた頃に、めぎはもうずっと、たぶん一生東京にいるつもり、というようなことを話したことがあったのだが、先生はその時、いや、いつかは札幌に戻ってくると思うよ、とおっしゃった。めぎは東京で成功したい、名を成したいというような意欲に満ちていたのだが、先生の方は、成長していつかは札幌に戻って札幌のために働いてほしい、というような意味だったのではないかと思う。ずっと東京にいたいなんてまだまだ青いな、というようなニュアンスもあったかもしれない。しかし今回先生は、「いやあめぎさんはもうずっとドイツにいるんだね、いや、そうするのが一番いい、ご主人にも会って、本当にこれが一番いいと思ったよ」と何度も先生の方からおっしゃった。めぎがいろんなことを乗り越えて自分で居場所を開拓し、頑張って根を張って行ったことを認めてくださっただけでなく、それを喜んでもらえたような気がして、とても嬉しかった。
お腹はいっぱいになったけど、〆にここでぜひ食べてほしかったデザートを。パラチンケンというデザートで、中にオーストリアならではのアンズジャムが入っているクレープのようなもの。3人で仲良く分けて完食。美味しかったなぁ…

子どものころからの御恩と、そして昨年の先生のお宅でのおもてなしに対する御恩返しにはまだまだ足りないが、めぎにできることを無理のない範囲でこちらも楽しみながら精一杯提供し、それを楽しく受け取って過ごしていただけて、とても素敵な数日間だった。名残惜しいけど、これで恩師夫妻とはお別れ。めぎはこの次の日の朝の便でデュッセルドルフに帰り、仕事復帰。恩師夫妻はもう1日ザルツブルク滞在を楽しんで、2日後にウィーンへ。最後の滞在地ウィーンでも色々散策を楽しんで、その数日後、日本に無事にお戻りになった。その後何度かメールのやり取りをしたが、先生のお知り合いに今回の旅の話をしたり、早速こちらで体験したハーブの味を再現しようと色々畑に植えてみたりしているようだ。音楽も、あのシフのコンサートで聞いた曲をもう一度聞いてみるなど、追体験したり再発見したりしているらしい。そうやって懐かしみつつさらに色々深めていっていただけて、本当になにより。
これで先生とのお話はおしまいだが、ザルツブルクの話はあともう1回続く。