5公演目:アンドラーシュ・シフのピアノコンサート [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]
今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のお話を。
ザルツブルク滞在4日目のお昼のコンサートは、アンドラーシュ・シフというピアニストのコンサート。恩師は上の席へ、めぎは土間席の後ろ。プログラムは当日まで発表されず、モーツァルトの作品を弾くコンサートということだった。今はこちらに弾いた曲目が載っている。

一曲目を聞きながら、これモーツァルトだったっけ…?と思いつつ、何かイヤホンみたいのをつけてるなあと遠目に見ていたら、マイクだった。一曲目を弾き終えてシフは立ち上がり、自ら話し始めたのだ。つまりMCつきのコンサートだったのである。

彼は最初、すぐには話し出さず、一曲目が終わってから会場入りしたお客さんが席につくのを「どうぞお座りください、時間はまだまだたっぷりありますから」と言って会場を笑わせ、本当に座るまでゆっくりと待った。そして、「今の作品はもちろんモーツァルトではありません」と言ってさらに笑わせた。一曲目はバッハの「音楽の捧げもの」で、それは今日のプログラムを理解するためにどうしても必要なのだという。シフは、この日のプログラムをモーツァルトの晩年の作品から構成することとしたのだが、どれにするというのはレーズンを探すが如く決めると(たぶんレーズン入りのケーキを食べるときにレーズンばかり探して食べるというのを例に持ち出しているのではと思う)みんなが知っている曲になってしまうのだが、(ここでさわりを弾きながら)「アイネクライネナハトムジーク」や「トルコ行進曲」のような有名な曲は今日は期待しないで頂きたい、自分は毎日バッハで始まりバッハで終わる毎日を過ごしているので、バッハで始めることとした、きっとモーツァルトも理解を示してくれるだろう、などと言ってさらに笑わす。
まじめな話、この日のプログラムは、モーツァルトがいかに新しかったか、どれほど先見の明があり、どれほど現代の作品に近いものを作ったかが分かるものを選ぶことにしたのだとか。すると、面白いことに、モーツァルトより古い時代に遡る結果となったのだという。モーツァルトは亡くなる2年前、1789年にライプツィヒを訪れ、かつてバッハが仕事をしたところに滞在し、そこで恐らくバッハの作品を研究し、その影響が濃く表れている「小ジーグ」という作品を作曲した。その頃はバロック様式はとっくに廃れていたのだが、モーツァルトは大胆な半音階的表現で、前衛的なひねりを加えて作曲している、とシフは説明する。でもその「小ジーグ」は後回しにして、まずは、最初に弾いた「音楽の捧げもの」の影響を受けていると思われるという「幻想曲 ハ短調 K. 475」。
「音楽の捧げもの」はバッハが晩年に(こちらも亡くなる2年前)ポツダムのプロイセン王フリードリヒ大王を訪ねた際に大王からテーマを与えられて即興した曲である。シフはその旋律を弾いて、今の王様や政治家でこんな天才的なテーマを与えることのできる人がいるだろうか、と言って笑わせたが、同じことを下の動画の最初でも言っている。全く別の録画だが、シフの弾いている「音楽の捧げもの」と「幻想曲 ハ短調 K. 475」と同じような説明MCなので、ドイツ語の分かる方は、または英語の字幕が分かる方は、こんな感じだったんだなあと聞いてほしい。この幻想曲がドン・ジョヴァンニとほぼ同じ雰囲気で、演出ナシのオペラを聞くのもいい、というくだりまで同じ。シフのハンガリー訛りのドイツ語がとてもチャーミング。幻想曲自体は、たしかにドン・ジョヴァンニみたいにドラマチックな部分もあるが、それよりシューベルトかシューマンの曲ですかと思ってしまうような部分が多い。ホント、モーツァルトって、バッハからシューマンまでの様式を一人で全部内包した凄い人。録画は2021年8月のスイスで、まあつまりシフはこの日のプログラムをこの日初めて作ったわけじゃないってことが分かるのだが、何度でもあちこちで紹介して欲しい内容だ。使っているピアノもシフ特注ので、この日もそれを使用していた。
おお~このMCは凄いぞ、ちゃんと覚えておいて後で先生に説明しなきゃ…とめぎはその辺りから必死に言っていることを頭の中で繰り返して暗記した。録音はできないし、書いておこうにも書くものを持ってないし、本番中にスマホをオンにして書いたりすることも憚れる。だから、幕間の休憩の時に覚えていることを一生懸命スマホにメモした。その後、ザルツブルクの地元の新聞にもシフの言っていた内容が一部掲載されたので、それと自分のメモの両方を確認しながら今書いている。シフはかなり話したし、幕間に思い出すままメモしたので、言った順番は多少前後しているかも知れない。これは休憩中の写真。

次は、ソナタ15番の1~2楽章(この動画はピアノの音声のみ)。3楽章を弾かないのは、別の作品だと理解しているということなのだろう。その辺りについてはこちらをどうぞ。聞くに値する作品だからよく聞いてね、と言って弾き始めた。
次はソナタ17番。「魔笛」のパパゲーノみたいなフーガの旋律が出てくるけど、やっぱり演出はないよ、と言って笑わせて弾き始めた。
そして、再びバッハに戻り、フランス組曲の7番の「ジーグ」。(下の動画では12分52秒から)
そうして、その影響を受けていると最初に話に出てきた「小ジーグ」で前半を締めくくった。たしかにこれなど、パッと聞くとたしかに12音階的で幻想曲のシューマンどころかシェーンベルクなどもっと近代の作曲家の曲かと思ってしまうほど前衛的だ。この曲の冒頭は、数年前のザルツブルク音楽祭の「ドン・ジョヴァンニ」で途中に挿入されていたのだけど(その演出でドンジョヴァンニが壊れたピアノを弾くシーンがあった)、ここでこの曲名が分かって嬉しい。動画は音声のみ。
これで休憩に入ったのだが、これだけのMCを忘れないように一生懸命書き留めた。めぎのまわりはみんなシフの話に大笑いしながら楽しんでいたので、聴衆の多くはオーストリア人またはドイツ人だったのだろう。これ、分からないと、まわりの人が笑ったときに何で?と思って悔しいよね。今、書きながらWikipediaの各作品の説明も読んでいるが、このモーツァルトの作品へのバッハの影響についてはそこにも書かれているので、シフの発見というわけでもないし、モーツァルトのピアノ曲を専門に弾く方などは当然ご存じのことなのかもしれない。でも、めぎはこのとき初めてこの関連付けを聞き、そうか、そうだったんだ~へぇ~と凄く楽しんだ。(これ、ゴースト入りだが、写真少ないので載せちゃう。)

そして後半に入った。長くなったので、続きは次回に。
ザルツブルク滞在4日目のお昼のコンサートは、アンドラーシュ・シフというピアニストのコンサート。恩師は上の席へ、めぎは土間席の後ろ。プログラムは当日まで発表されず、モーツァルトの作品を弾くコンサートということだった。今はこちらに弾いた曲目が載っている。

一曲目を聞きながら、これモーツァルトだったっけ…?と思いつつ、何かイヤホンみたいのをつけてるなあと遠目に見ていたら、マイクだった。一曲目を弾き終えてシフは立ち上がり、自ら話し始めたのだ。つまりMCつきのコンサートだったのである。

彼は最初、すぐには話し出さず、一曲目が終わってから会場入りしたお客さんが席につくのを「どうぞお座りください、時間はまだまだたっぷりありますから」と言って会場を笑わせ、本当に座るまでゆっくりと待った。そして、「今の作品はもちろんモーツァルトではありません」と言ってさらに笑わせた。一曲目はバッハの「音楽の捧げもの」で、それは今日のプログラムを理解するためにどうしても必要なのだという。シフは、この日のプログラムをモーツァルトの晩年の作品から構成することとしたのだが、どれにするというのはレーズンを探すが如く決めると(たぶんレーズン入りのケーキを食べるときにレーズンばかり探して食べるというのを例に持ち出しているのではと思う)みんなが知っている曲になってしまうのだが、(ここでさわりを弾きながら)「アイネクライネナハトムジーク」や「トルコ行進曲」のような有名な曲は今日は期待しないで頂きたい、自分は毎日バッハで始まりバッハで終わる毎日を過ごしているので、バッハで始めることとした、きっとモーツァルトも理解を示してくれるだろう、などと言ってさらに笑わす。
まじめな話、この日のプログラムは、モーツァルトがいかに新しかったか、どれほど先見の明があり、どれほど現代の作品に近いものを作ったかが分かるものを選ぶことにしたのだとか。すると、面白いことに、モーツァルトより古い時代に遡る結果となったのだという。モーツァルトは亡くなる2年前、1789年にライプツィヒを訪れ、かつてバッハが仕事をしたところに滞在し、そこで恐らくバッハの作品を研究し、その影響が濃く表れている「小ジーグ」という作品を作曲した。その頃はバロック様式はとっくに廃れていたのだが、モーツァルトは大胆な半音階的表現で、前衛的なひねりを加えて作曲している、とシフは説明する。でもその「小ジーグ」は後回しにして、まずは、最初に弾いた「音楽の捧げもの」の影響を受けていると思われるという「幻想曲 ハ短調 K. 475」。
「音楽の捧げもの」はバッハが晩年に(こちらも亡くなる2年前)ポツダムのプロイセン王フリードリヒ大王を訪ねた際に大王からテーマを与えられて即興した曲である。シフはその旋律を弾いて、今の王様や政治家でこんな天才的なテーマを与えることのできる人がいるだろうか、と言って笑わせたが、同じことを下の動画の最初でも言っている。全く別の録画だが、シフの弾いている「音楽の捧げもの」と「幻想曲 ハ短調 K. 475」と同じような説明MCなので、ドイツ語の分かる方は、または英語の字幕が分かる方は、こんな感じだったんだなあと聞いてほしい。この幻想曲がドン・ジョヴァンニとほぼ同じ雰囲気で、演出ナシのオペラを聞くのもいい、というくだりまで同じ。シフのハンガリー訛りのドイツ語がとてもチャーミング。幻想曲自体は、たしかにドン・ジョヴァンニみたいにドラマチックな部分もあるが、それよりシューベルトかシューマンの曲ですかと思ってしまうような部分が多い。ホント、モーツァルトって、バッハからシューマンまでの様式を一人で全部内包した凄い人。録画は2021年8月のスイスで、まあつまりシフはこの日のプログラムをこの日初めて作ったわけじゃないってことが分かるのだが、何度でもあちこちで紹介して欲しい内容だ。使っているピアノもシフ特注ので、この日もそれを使用していた。
おお~このMCは凄いぞ、ちゃんと覚えておいて後で先生に説明しなきゃ…とめぎはその辺りから必死に言っていることを頭の中で繰り返して暗記した。録音はできないし、書いておこうにも書くものを持ってないし、本番中にスマホをオンにして書いたりすることも憚れる。だから、幕間の休憩の時に覚えていることを一生懸命スマホにメモした。その後、ザルツブルクの地元の新聞にもシフの言っていた内容が一部掲載されたので、それと自分のメモの両方を確認しながら今書いている。シフはかなり話したし、幕間に思い出すままメモしたので、言った順番は多少前後しているかも知れない。これは休憩中の写真。

次は、ソナタ15番の1~2楽章(この動画はピアノの音声のみ)。3楽章を弾かないのは、別の作品だと理解しているということなのだろう。その辺りについてはこちらをどうぞ。聞くに値する作品だからよく聞いてね、と言って弾き始めた。
次はソナタ17番。「魔笛」のパパゲーノみたいなフーガの旋律が出てくるけど、やっぱり演出はないよ、と言って笑わせて弾き始めた。
そして、再びバッハに戻り、フランス組曲の7番の「ジーグ」。(下の動画では12分52秒から)
そうして、その影響を受けていると最初に話に出てきた「小ジーグ」で前半を締めくくった。たしかにこれなど、パッと聞くとたしかに12音階的で幻想曲のシューマンどころかシェーンベルクなどもっと近代の作曲家の曲かと思ってしまうほど前衛的だ。この曲の冒頭は、数年前のザルツブルク音楽祭の「ドン・ジョヴァンニ」で途中に挿入されていたのだけど(その演出でドンジョヴァンニが壊れたピアノを弾くシーンがあった)、ここでこの曲名が分かって嬉しい。動画は音声のみ。
これで休憩に入ったのだが、これだけのMCを忘れないように一生懸命書き留めた。めぎのまわりはみんなシフの話に大笑いしながら楽しんでいたので、聴衆の多くはオーストリア人またはドイツ人だったのだろう。これ、分からないと、まわりの人が笑ったときに何で?と思って悔しいよね。今、書きながらWikipediaの各作品の説明も読んでいるが、このモーツァルトの作品へのバッハの影響についてはそこにも書かれているので、シフの発見というわけでもないし、モーツァルトのピアノ曲を専門に弾く方などは当然ご存じのことなのかもしれない。でも、めぎはこのとき初めてこの関連付けを聞き、そうか、そうだったんだ~へぇ~と凄く楽しんだ。(これ、ゴースト入りだが、写真少ないので載せちゃう。)

そして後半に入った。長くなったので、続きは次回に。