4公演目:モーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」 [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]
今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。
ザルツブルク滞在3日目の午後、宿の窓からゲトライデガッセというザルツブルクの観光名所を見下ろす。
朝とは反対に日が射している。その両方が見られるのが楽しい。
この日のオペラは18時半から。オペラなので今回の旅で一番着飾って出かける。会場前で写真を撮って中に入り、そこからまた恩師夫妻と別行動。中はドレスの人が目につく。
この日の会場は「モーツァルトのための劇場」というところ。めぎは土間席の後ろ側。このホールで土間席に座るのは初めてだ。いつも2階席または3階席の後ろや横の席で、立ち見もしたことのあるホール。土間席でもそこそこの傾斜があって、舞台がちゃんと望めてよかった。
この日の演目はモーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」。内容が皇帝を称えるためのものだし、音楽的にもモーツァルトにしてはあまり斬新性がなくて、一般的にあまり人気のある演目ではない。せっかく恩師夫妻が来るのにモーツァルトのオペラの中でこれを見なければならないというのは、ちょっと申し訳ないような気分。恩師はこのオペラのDVDはお持ちではなく予習できずにやってきたし、奥様もあらすじを読んだだけだ。あらすじや作品については日本語のこちらをどうぞ。これはオフィシャル・トレイラー。
このオペラは元々は古代ローマが舞台で、皇帝の座をめぐる争いとユダヤとの確執などが内容なのだが、そのあらすじで今回のオペラを見ると、舞台を現代の国会に移した読み替え演出なので何がなんだか分からなくなる。どの役の人が何について歌うのかぐらいまで予習していなければ、何をどう読み替えているのか内容的についていくのはかなり難しい。歌はイタリア語で、ドイツ語と英語の字幕が出ているのだが、その字幕を読んでも場面の内容を理解するのは至難の業。あとで聞いたところでは、奥様は途中から字幕を追うのをキッパリ諦め、歌と演奏を聴くことに集中して楽しんだとのこと。恩師は演出とは何なのか、という意義を考えながら見たらしい。ここから3枚は幕間の休憩中に撮った写真。
歌手について言えば、女性の歌手はビブラート効きすぎでめぎは好きになれなかった。主役のセストを歌ったツェツィーリア・バルトリは、去年感じたのと同様、歌手の盛りは過ぎているけれど曲の解釈と演技は素晴らしいし、歌そのものもその年齢で立派に歌える技術をしっかり持っているという印象。めぎのお目当てだったダルカンジェロというバリトン歌手はやっぱりピアニッシモがあまりうまくないけどそれ以外は素晴らしい。そしてタイトルロールの皇帝ティートは今回首相か大統領の役だったが、凄くよかった。出演者についてはドイツ語のこちらをどうぞ。写真もいくつか出ている。
次の2枚はスマホでの撮影。
そしてその現代の国会とそこで起こるテロ事件や汚職事件への読み替え演出は、めぎ的には意外と嵌って良かったように思う。というのは、それに至るそれぞれの悩みと葛藤に焦点が当たってて、そこで理解ができるからだ。テロ事件を起こすことに至るセストの葛藤、友人をテロリストとして罰さなければならなくなった首相ないし大統領の葛藤、それらはテロのレベルでなくとも自分自身の色々な葛藤に置き換えて理解可能だ。ただ、最後にさらなる賄賂と買収でティートが殺されなければならなかった理由は、音楽的に合わなかったが。でも、現代の政権を手に入れるためには手段を問わなくなっている世の中の動きとは大いにマッチしているように思った。
実はめぎ、この「皇帝ティートの慈悲」は2017年に夏の音楽祭でも見た。めぎがクルレンツィスという指揮者とセストを歌ったマリアンヌ・クレヴァッサというアルト歌手とそのアリアに絡むクラリネット奏者を好きになるきっかけになったオペラだ。その時の演出でもテロを扱い、ティートは自殺をした。それは、自殺という手段の是非はともかく、その目指すものは融合を促すため、未来をポジティブにするためだった。下の映像は以前にも載せたことのある2017年の映像で、セストを歌うマリアンヌ・クレヴァッサとそれに絡むクラリネット奏者。
それに対し今回の演出は、政治家は常に狙われ、こんな最期を遂げる運命を背負う時代になったということを表現しているのかもしれない。それだけ世の中がどんどん暗い方向に行っているということなのかもしれないな…この前日の演出付きガラの、世界の終末を迎えるけどそれまで娑婆を楽しみましょう的な演出とは正反対。演出家って、今の時代のテーマを扱い、辻褄の合う締め括りをするために、こんなにも異なる解釈をするんだなあと改めて思う。
余談だが、去年の秋からDuolingoでイタリア語の勉強を始めためぎ、今でも地道にやっているのだが(ダイヤモンド・リーグに上がって以来一度も落ちてないし、ダイヤモンド・トーナメントでもう3回も入賞)、今回のオペラで何度かイタリア語の歌詞がそのままわかって嬉しかった。まだ入門レベルの域を超えていないが、簡単な言葉でも毎日毎日聞くと話すの練習を45分ほどしているので(朝起きて30分、夜寝る前に15分というサイクル)、それは大いに聞き取りの練習になっているようだ。オペラを原語で聞き取れると、俄然またやる気が出る。今は、大好きなアリアの詩を暗記することも始めている。めちゃくちゃ楽しい。
終わったのは21時半頃で、その後はまためぎの宿でワインを飲みながらおしゃべり。これはオペラに行く前に撮った準備。
新しく買い足した赤ワイン。オーストリアのブルゲンラント州のツヴァイゲルト。これ、赤ワイン好きの奥様のお気に召してよかった。
この日に出したおつまみは、塩漬けしたザイブリングというこの辺りの川魚(多分イワナ)のカルパッチョ、しょうゆベースのソース味のたれにつけたマグロのたたき、豚バラ肉のローストのスライス、めぎが自宅から持ってきたお米を炊いたご飯、そして写してないけど生ハムとカットメロン。この日も夜中頃までおしゃべりに花が咲いた。寛いで色々お話できてよかった。
これでザルツブルクでの時間はもう半分を過ぎたが、記事はまだまだ続く。
ザルツブルク滞在3日目の午後、宿の窓からゲトライデガッセというザルツブルクの観光名所を見下ろす。
朝とは反対に日が射している。その両方が見られるのが楽しい。
この日のオペラは18時半から。オペラなので今回の旅で一番着飾って出かける。会場前で写真を撮って中に入り、そこからまた恩師夫妻と別行動。中はドレスの人が目につく。
この日の会場は「モーツァルトのための劇場」というところ。めぎは土間席の後ろ側。このホールで土間席に座るのは初めてだ。いつも2階席または3階席の後ろや横の席で、立ち見もしたことのあるホール。土間席でもそこそこの傾斜があって、舞台がちゃんと望めてよかった。
この日の演目はモーツァルトのオペラ「皇帝ティートの慈悲」。内容が皇帝を称えるためのものだし、音楽的にもモーツァルトにしてはあまり斬新性がなくて、一般的にあまり人気のある演目ではない。せっかく恩師夫妻が来るのにモーツァルトのオペラの中でこれを見なければならないというのは、ちょっと申し訳ないような気分。恩師はこのオペラのDVDはお持ちではなく予習できずにやってきたし、奥様もあらすじを読んだだけだ。あらすじや作品については日本語のこちらをどうぞ。これはオフィシャル・トレイラー。
このオペラは元々は古代ローマが舞台で、皇帝の座をめぐる争いとユダヤとの確執などが内容なのだが、そのあらすじで今回のオペラを見ると、舞台を現代の国会に移した読み替え演出なので何がなんだか分からなくなる。どの役の人が何について歌うのかぐらいまで予習していなければ、何をどう読み替えているのか内容的についていくのはかなり難しい。歌はイタリア語で、ドイツ語と英語の字幕が出ているのだが、その字幕を読んでも場面の内容を理解するのは至難の業。あとで聞いたところでは、奥様は途中から字幕を追うのをキッパリ諦め、歌と演奏を聴くことに集中して楽しんだとのこと。恩師は演出とは何なのか、という意義を考えながら見たらしい。ここから3枚は幕間の休憩中に撮った写真。
歌手について言えば、女性の歌手はビブラート効きすぎでめぎは好きになれなかった。主役のセストを歌ったツェツィーリア・バルトリは、去年感じたのと同様、歌手の盛りは過ぎているけれど曲の解釈と演技は素晴らしいし、歌そのものもその年齢で立派に歌える技術をしっかり持っているという印象。めぎのお目当てだったダルカンジェロというバリトン歌手はやっぱりピアニッシモがあまりうまくないけどそれ以外は素晴らしい。そしてタイトルロールの皇帝ティートは今回首相か大統領の役だったが、凄くよかった。出演者についてはドイツ語のこちらをどうぞ。写真もいくつか出ている。
次の2枚はスマホでの撮影。
そしてその現代の国会とそこで起こるテロ事件や汚職事件への読み替え演出は、めぎ的には意外と嵌って良かったように思う。というのは、それに至るそれぞれの悩みと葛藤に焦点が当たってて、そこで理解ができるからだ。テロ事件を起こすことに至るセストの葛藤、友人をテロリストとして罰さなければならなくなった首相ないし大統領の葛藤、それらはテロのレベルでなくとも自分自身の色々な葛藤に置き換えて理解可能だ。ただ、最後にさらなる賄賂と買収でティートが殺されなければならなかった理由は、音楽的に合わなかったが。でも、現代の政権を手に入れるためには手段を問わなくなっている世の中の動きとは大いにマッチしているように思った。
実はめぎ、この「皇帝ティートの慈悲」は2017年に夏の音楽祭でも見た。めぎがクルレンツィスという指揮者とセストを歌ったマリアンヌ・クレヴァッサというアルト歌手とそのアリアに絡むクラリネット奏者を好きになるきっかけになったオペラだ。その時の演出でもテロを扱い、ティートは自殺をした。それは、自殺という手段の是非はともかく、その目指すものは融合を促すため、未来をポジティブにするためだった。下の映像は以前にも載せたことのある2017年の映像で、セストを歌うマリアンヌ・クレヴァッサとそれに絡むクラリネット奏者。
それに対し今回の演出は、政治家は常に狙われ、こんな最期を遂げる運命を背負う時代になったということを表現しているのかもしれない。それだけ世の中がどんどん暗い方向に行っているということなのかもしれないな…この前日の演出付きガラの、世界の終末を迎えるけどそれまで娑婆を楽しみましょう的な演出とは正反対。演出家って、今の時代のテーマを扱い、辻褄の合う締め括りをするために、こんなにも異なる解釈をするんだなあと改めて思う。
余談だが、去年の秋からDuolingoでイタリア語の勉強を始めためぎ、今でも地道にやっているのだが(ダイヤモンド・リーグに上がって以来一度も落ちてないし、ダイヤモンド・トーナメントでもう3回も入賞)、今回のオペラで何度かイタリア語の歌詞がそのままわかって嬉しかった。まだ入門レベルの域を超えていないが、簡単な言葉でも毎日毎日聞くと話すの練習を45分ほどしているので(朝起きて30分、夜寝る前に15分というサイクル)、それは大いに聞き取りの練習になっているようだ。オペラを原語で聞き取れると、俄然またやる気が出る。今は、大好きなアリアの詩を暗記することも始めている。めちゃくちゃ楽しい。
終わったのは21時半頃で、その後はまためぎの宿でワインを飲みながらおしゃべり。これはオペラに行く前に撮った準備。
新しく買い足した赤ワイン。オーストリアのブルゲンラント州のツヴァイゲルト。これ、赤ワイン好きの奥様のお気に召してよかった。
この日に出したおつまみは、塩漬けしたザイブリングというこの辺りの川魚(多分イワナ)のカルパッチョ、しょうゆベースのソース味のたれにつけたマグロのたたき、豚バラ肉のローストのスライス、めぎが自宅から持ってきたお米を炊いたご飯、そして写してないけど生ハムとカットメロン。この日も夜中頃までおしゃべりに花が咲いた。寛いで色々お話できてよかった。
これでザルツブルクでの時間はもう半分を過ぎたが、記事はまだまだ続く。