叔母と従妹と白アスパラパーティ [食べ物・飲み物]
先週の金曜日の夜、一年ぶりに叔母と従妹が訪ねてきた。ドイツの南西部、プファルツ地方のスパークリングワインで乾杯。全然違う銘柄のクーラーに入れてて瓶は見えないけど。
うちのドイツ人の叔母は約一年前、何十年も住んでいたナーゴルトの部屋を引き払い、娘の住むデュッセルドルフの老人ホームへ引っ越してきた。叔母をうちに招いたのはその夏のこと。その後最後に会ったのは今年の1月初め、うちのドイツ人の母親(叔母の姉)が12月に亡くなって、それを受けて全員で遺産放棄の手続きに出向いた時のこと。その頃のうちのドイツ人は、既に腰椎を骨折してて、でもまだ骨折だとは知らなかった時。その直後の検査でやっと骨折と分かり、その検査中に(MRIを撮るときに)さらに骨折し、かつコルセットの所為で肋骨の方まで傷めて寝たきりになったのだ。だから、腰が痛くてゆっくりとしか歩けないのを最後に見た叔母たちは、その後歩けなくなった話を電話で聞き、ずっと心配に次ぐ心配をしながらもどうしようもなく、いつ次に会えるかもわからないままだった。
イースターにもとてもじゃないが招待などできなかったし、従妹のうちに出向くこともできなくて、会えるようになるのはいつかなあと思っていたのだが、白アスパラがまだシーズンのうちに実現できてよかったわ。叔母は、想像していたのよりうちのドイツ人がずいぶん元気そうで、めぎが本当にしっかり面倒を見たんだね、とねぎらってくれた。
白アスパラはとても美味しかった。みんなもとても嬉しそうで、こうして招待できて良かったな。
スパークリングの跡は同じプファルツ地方の白ワインを楽しんだ。
それからデザートの時間はリビングへ。うちのドイツ人がたぶん2年ぶりぐらいに作ったティラミス。
飲み物はポートワインの白。これ、そんなに甘くなくなかなか美味。
久しぶりの家族の集い。みんな幸せ。みんな年相応にそこそこ健康。よかったな。
うちのドイツ人の叔母は約一年前、何十年も住んでいたナーゴルトの部屋を引き払い、娘の住むデュッセルドルフの老人ホームへ引っ越してきた。叔母をうちに招いたのはその夏のこと。その後最後に会ったのは今年の1月初め、うちのドイツ人の母親(叔母の姉)が12月に亡くなって、それを受けて全員で遺産放棄の手続きに出向いた時のこと。その頃のうちのドイツ人は、既に腰椎を骨折してて、でもまだ骨折だとは知らなかった時。その直後の検査でやっと骨折と分かり、その検査中に(MRIを撮るときに)さらに骨折し、かつコルセットの所為で肋骨の方まで傷めて寝たきりになったのだ。だから、腰が痛くてゆっくりとしか歩けないのを最後に見た叔母たちは、その後歩けなくなった話を電話で聞き、ずっと心配に次ぐ心配をしながらもどうしようもなく、いつ次に会えるかもわからないままだった。
イースターにもとてもじゃないが招待などできなかったし、従妹のうちに出向くこともできなくて、会えるようになるのはいつかなあと思っていたのだが、白アスパラがまだシーズンのうちに実現できてよかったわ。叔母は、想像していたのよりうちのドイツ人がずいぶん元気そうで、めぎが本当にしっかり面倒を見たんだね、とねぎらってくれた。
白アスパラはとても美味しかった。みんなもとても嬉しそうで、こうして招待できて良かったな。
スパークリングの跡は同じプファルツ地方の白ワインを楽しんだ。
それからデザートの時間はリビングへ。うちのドイツ人がたぶん2年ぶりぐらいに作ったティラミス。
飲み物はポートワインの白。これ、そんなに甘くなくなかなか美味。
久しぶりの家族の集い。みんな幸せ。みんな年相応にそこそこ健康。よかったな。