1公演目:お昼のコンサート [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]
今日は2024年5月のザルツブルク音楽祭のお話を。
めぎと小学校時代の恩師夫妻が訪ねたザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭の1公演目は、モーツァルトの交響曲とピアノ協奏曲のコンサート。15時からのコンサートで、14時半に待ち合わせをし、会場入り。
会場の前で一緒に写真を撮ったのだが、その後先生は一緒におしゃべりなどはせずサクッと自分の席の方へ行きたがり、中に入ったところですぐに別行動に。先生の希望で席も先生方とめぎは別の場所を予約しており、先生方は上階へ、めぎは土間席。ちょっと早めに来たのでめぎは暇になり、ロビーの人々を撮ったりプログラムを購入して読んだりして過ごした。音楽祭の当日プログラムは有料。公演によるが、今回はだいたい7~9ユーロだった。プログラムの買い方や場所などもお伝えしたかったのに、先生はもう行っちゃったな…
このコンサートの会場は大祝祭劇場で、めぎの席は土間席の一番後ろ。
コンサートの内容についてはこちら。簡単に言うと、指揮はパーヴォ・ヤルヴィというエストニア出身のアメリカ人で、オーケストラはブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団。一曲目は交響曲31番「パリ」。長年の共演によるものと思われる非常に息の合った演奏をしていたが、めぎ的にはかなりロマン派的弾き方でメリハリも足りない感じ。二曲目はピアノ協奏曲25番で、ピアノはダニール・トリフォノフ。彼の演奏を聴くのは去年の夏の音楽祭でおとさんと一緒にリサイタルを聞きに行ったのに続く2回目だが、もちろんものすごく上手い。ただ、やっぱり弾き方はロマン派だし(そもそもピアノがベーゼンドルファーだし)、立ち居振る舞いがどうも好きになれなかった。前半の終わりに彼のソロのアンコールがあって、モーツァルトのソナタ12番の2楽章を弾いたのだが、それには好感が持てた。今回のザルツブルク音楽祭はモーツァルトがテーマとなっていたので、そこでショパンとかを弾かれて雰囲気が全く変わるような事態を避けられたから。
それから幕間のお休みに入ったのだが、先生には休み時間には会わないときっぱり言われたので、めぎは一人で外に出たりパンフレットの続きを読んだりして過ごした。
そして後半は交響曲41番「ジュピター」。これも、もちろんとても上手い。指揮者とオーケストラがとても信頼し合ってて、一糸乱れぬ呼吸のあった演奏をしている。ただ、やっぱりロマン派だ。モーツァルトは古典派時代の作曲家なのだから弾き方はそうじゃないという解釈と、一昔前まで主流だった壮大なロマン派的演奏の解釈とがあるが、めぎはアーノンクールやクルレンツィスの演奏に傾倒しているので、このロマン派的演奏はものすごく時代遅れに感じてしまう。古い演奏法がずっと新しく聞こえるというのが、このモーツァルトの演奏のおもしろいところ。
ちなみにオーケストラは違うがパーヴォ・ヤルヴィのモーツァルト41番の演奏例はこちら。とってもエレガント。
余談になってしまうがアーノンクールの演奏例。オーケストラの楽器が全く違う。モーツァルトの時代の響きである。フルートなどちゃんと木管楽器だ。これを聞くと、モーツァルトってエレガントな音楽と言うイメージが実は間違いだったのではと思わされる。このテンポはちょっと遅過ぎと思うが。
最後のアンコール。それはシベリウスの「悲しきワルツ」。あああああ…せっかくのモーツァルト気分が台無しに。ただ、ハッキリ言えるのは、この指揮者の演奏、このシベリウスが最も素晴らしかった。ああこの人、これが得意なのね、やっぱりこういうのがいいのよね、と言うのがよく分かった。別のオーケストラだがこの指揮者のその曲を見つけたのでリンクを張っておく。
モーツァルトではなくシベリウスの演奏会だったら、印象はまるで違って絶賛ものだったんじゃないかな。もちろん、こういう演奏のモーツァルトが好きな人もまだまだたくさんいるのだろうけど。そして、モーツァルトがその時代に生きていたら必ずこの編成でこの楽器を使ってこういう風に作ってこう演奏したのだろうから、という考えに基づくロマン派的演奏法という立場に立てば、このコンサート、最初から最後までレベル高く、本当に素晴らしかった。ただ、めぎがこの演奏法が好きじゃないというだけだ。
コンサート終了後、無事に恩師夫妻と合流し、ビアガーデンで一杯。先生方はザルツブルク音楽祭のレベルの晴らしい演奏を聴いて大満足。生ビールも美味しくて、大満足。
↑ところで、この生ビールの「生」の意味を皆さんご存じだろうか。生ビールって下手すると、グラスに自分で注ぐ形の瓶ビールに対し尾坂屋などで大きなジョッキに入ってくるもの、と言うイメージしか無かったりするが、本来は熱処理していないビールと言う意味。缶や瓶でも熱処理していないのがあるが、樽に入った生のビールから直接注いだビールが最もフレッシュで美味しい。ここには樽が早朝に運ばれてきているのだが、このすぐ近くで作られているのでせいぜい前日に生産されたばかり。本当にできたて生なので、生だとしても一か月以上前に作られたかもしれない缶や瓶を買うのとは新鮮さが全く異なる。美味しいビールを買いたいのだけどどこでどれを買えばいいのかと恩師に聞かれたのだが、めぎは「ここではビールは買ってホテルの部屋で飲むものではなく、外で生ビールとして飲むべきです」とキッパリ拒絶した。それはかなりキッパリしすぎていたようで、その後何度かその点について口にされた。この生ビールがあまりにも美味しくて、説得力があるので異論を唱えられなかったそうだ。でもホント、ドイツでもこのザルツブルクでも生ビールって半端じゃなくおいしいので、めぎはもう缶ビールとか瓶ビールとかは飲まない。外で樽の生ビールを飲める場合にしかビールは飲まないことにしている。それは、日本でお刺身の鮮度にこだわるのと同じようなものだろうと思う。その差をあまり重視しない人にとってはただ生であればいいのだが、美味しさに拘るのなら断然外で、できれば醸造所で作りたての生を飲むのが一番である。そういう意味で、ドイツやここザルツブルクは小さな醸造所がほぼその場で生ビールを提供していて、ビール好きにとっては環境的に恵まれているなあと感じる。
めぎと小学校時代の恩師夫妻が訪ねたザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭の1公演目は、モーツァルトの交響曲とピアノ協奏曲のコンサート。15時からのコンサートで、14時半に待ち合わせをし、会場入り。
会場の前で一緒に写真を撮ったのだが、その後先生は一緒におしゃべりなどはせずサクッと自分の席の方へ行きたがり、中に入ったところですぐに別行動に。先生の希望で席も先生方とめぎは別の場所を予約しており、先生方は上階へ、めぎは土間席。ちょっと早めに来たのでめぎは暇になり、ロビーの人々を撮ったりプログラムを購入して読んだりして過ごした。音楽祭の当日プログラムは有料。公演によるが、今回はだいたい7~9ユーロだった。プログラムの買い方や場所などもお伝えしたかったのに、先生はもう行っちゃったな…
このコンサートの会場は大祝祭劇場で、めぎの席は土間席の一番後ろ。
コンサートの内容についてはこちら。簡単に言うと、指揮はパーヴォ・ヤルヴィというエストニア出身のアメリカ人で、オーケストラはブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニー管弦楽団。一曲目は交響曲31番「パリ」。長年の共演によるものと思われる非常に息の合った演奏をしていたが、めぎ的にはかなりロマン派的弾き方でメリハリも足りない感じ。二曲目はピアノ協奏曲25番で、ピアノはダニール・トリフォノフ。彼の演奏を聴くのは去年の夏の音楽祭でおとさんと一緒にリサイタルを聞きに行ったのに続く2回目だが、もちろんものすごく上手い。ただ、やっぱり弾き方はロマン派だし(そもそもピアノがベーゼンドルファーだし)、立ち居振る舞いがどうも好きになれなかった。前半の終わりに彼のソロのアンコールがあって、モーツァルトのソナタ12番の2楽章を弾いたのだが、それには好感が持てた。今回のザルツブルク音楽祭はモーツァルトがテーマとなっていたので、そこでショパンとかを弾かれて雰囲気が全く変わるような事態を避けられたから。
それから幕間のお休みに入ったのだが、先生には休み時間には会わないときっぱり言われたので、めぎは一人で外に出たりパンフレットの続きを読んだりして過ごした。
そして後半は交響曲41番「ジュピター」。これも、もちろんとても上手い。指揮者とオーケストラがとても信頼し合ってて、一糸乱れぬ呼吸のあった演奏をしている。ただ、やっぱりロマン派だ。モーツァルトは古典派時代の作曲家なのだから弾き方はそうじゃないという解釈と、一昔前まで主流だった壮大なロマン派的演奏の解釈とがあるが、めぎはアーノンクールやクルレンツィスの演奏に傾倒しているので、このロマン派的演奏はものすごく時代遅れに感じてしまう。古い演奏法がずっと新しく聞こえるというのが、このモーツァルトの演奏のおもしろいところ。
ちなみにオーケストラは違うがパーヴォ・ヤルヴィのモーツァルト41番の演奏例はこちら。とってもエレガント。
余談になってしまうがアーノンクールの演奏例。オーケストラの楽器が全く違う。モーツァルトの時代の響きである。フルートなどちゃんと木管楽器だ。これを聞くと、モーツァルトってエレガントな音楽と言うイメージが実は間違いだったのではと思わされる。このテンポはちょっと遅過ぎと思うが。
最後のアンコール。それはシベリウスの「悲しきワルツ」。あああああ…せっかくのモーツァルト気分が台無しに。ただ、ハッキリ言えるのは、この指揮者の演奏、このシベリウスが最も素晴らしかった。ああこの人、これが得意なのね、やっぱりこういうのがいいのよね、と言うのがよく分かった。別のオーケストラだがこの指揮者のその曲を見つけたのでリンクを張っておく。
モーツァルトではなくシベリウスの演奏会だったら、印象はまるで違って絶賛ものだったんじゃないかな。もちろん、こういう演奏のモーツァルトが好きな人もまだまだたくさんいるのだろうけど。そして、モーツァルトがその時代に生きていたら必ずこの編成でこの楽器を使ってこういう風に作ってこう演奏したのだろうから、という考えに基づくロマン派的演奏法という立場に立てば、このコンサート、最初から最後までレベル高く、本当に素晴らしかった。ただ、めぎがこの演奏法が好きじゃないというだけだ。
コンサート終了後、無事に恩師夫妻と合流し、ビアガーデンで一杯。先生方はザルツブルク音楽祭のレベルの晴らしい演奏を聴いて大満足。生ビールも美味しくて、大満足。
↑ところで、この生ビールの「生」の意味を皆さんご存じだろうか。生ビールって下手すると、グラスに自分で注ぐ形の瓶ビールに対し尾坂屋などで大きなジョッキに入ってくるもの、と言うイメージしか無かったりするが、本来は熱処理していないビールと言う意味。缶や瓶でも熱処理していないのがあるが、樽に入った生のビールから直接注いだビールが最もフレッシュで美味しい。ここには樽が早朝に運ばれてきているのだが、このすぐ近くで作られているのでせいぜい前日に生産されたばかり。本当にできたて生なので、生だとしても一か月以上前に作られたかもしれない缶や瓶を買うのとは新鮮さが全く異なる。美味しいビールを買いたいのだけどどこでどれを買えばいいのかと恩師に聞かれたのだが、めぎは「ここではビールは買ってホテルの部屋で飲むものではなく、外で生ビールとして飲むべきです」とキッパリ拒絶した。それはかなりキッパリしすぎていたようで、その後何度かその点について口にされた。この生ビールがあまりにも美味しくて、説得力があるので異論を唱えられなかったそうだ。でもホント、ドイツでもこのザルツブルクでも生ビールって半端じゃなくおいしいので、めぎはもう缶ビールとか瓶ビールとかは飲まない。外で樽の生ビールを飲める場合にしかビールは飲まないことにしている。それは、日本でお刺身の鮮度にこだわるのと同じようなものだろうと思う。その差をあまり重視しない人にとってはただ生であればいいのだが、美味しさに拘るのなら断然外で、できれば醸造所で作りたての生を飲むのが一番である。そういう意味で、ドイツやここザルツブルクは小さな醸造所がほぼその場で生ビールを提供していて、ビール好きにとっては環境的に恵まれているなあと感じる。