大聖堂のオルガンコンサート [2024年5月 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭]
今日は2024年5月のザルツブルクでのお話を。
ザルツブルク2日目のお昼近くなり、旧市街をちょっと案内しながらこの日最初のコンサート会場に向かう。ここは大聖堂前広場。夏は野外劇イェーダーマンの会場となっててこの広場が舞台と座席で埋め尽くされるため、こういう景色を見られるのは夏じゃないから。
そして大聖堂の中へ。
ザルツブルクは大司教の治めた街。そう書くと、フーンで終わってしまうことが多いが、ものすごくたくさんの情報がこの短い文章に含まれている。まず、ザルツブルクとは大司教のいた街なのだ。大司教と言うのはローマ法王に次ぐ2番目に偉い人たちのことで、その辺の教会の司祭や牧師とはレベルが違う。大司教がいた街というのは、ヨーロッパ内でもそんなに数は多くないのだ。ザルツブルクがかつてそれほど栄えて重要な街だったかということが分かる。次に、大司教がいたということはカトリックの町だということ。同じヨーロッパでもプロテスタントの町とはものの考え方や街の景観が全く異なる。それから、ザルツブルクは大司教が「治めた」街であること。貴族の王様ではなく、カトリックの大司教が君主だった街なのだ。
この建物は普通の教会ではなく「大聖堂」である。大聖堂と言うのは訳によっては大寺院とか、ドイツ語ではドーム(円蓋)とかミュンスター(司教座大聖堂)とかカテドラル(司教座)などと言い、イタリア語だとドゥオモなどと言う。それは大きな教会・大きな聖堂という意味ではなく、大司教がいるところと言う意味で、この近辺の全ての教会の上に立つ機関。カトリックの権力と威信をかけて贅をつくした建物なのだ。
そう言えばそういうことはめぎにはもう当然のこと過ぎてうっかりし、恩師夫妻に説明するのを忘れてしまったな…ここがいかにカトリックの町だったのか、最初にお話しないとザルツブルクという町そのものを全く伝えられない。モーツァルトだって、その大司教と上手くいかなくてザルツブルクを出たんだし。
この大聖堂にはパイプオルガンが7つあり、モーツァルトが弾いたというオルガンもある。これのようだ。
このオルガンコンサートはザルツブルク音楽祭とは全く関係なく、この前日遅延の飛行機を待っているときにスマホで検索して昼に30分のコンサートがあるのを見つけ、パイプオルガンの音を聞いてみませんか、と恩師夫妻に紹介し、ぜひということでネットでチケットを取ったもの。当日は祭壇のところに座っている女性(見えにくい)が演奏の合間合間にドイツ語と英語で曲目の紹介をした。バッハ以前の曲から新しいものへと順々に4曲程度。バッハってプロテスタントだったからこのカトリックの教会に全然合わないのだけど、まあ今はカトリックの教会でもバッハの作曲した作品を演奏する時代だからね。それはそうと、司会の女性はモーツァルトの名前を常に、ヴォルフガング・アマデー・モーツァルト、と言っていた。日本で訳されているアマデウスではなく、アマデーというのがザルツブルク風。というのも、モーツァルト自身、彼の手紙で常にアマデーと署名していたのだ。
コンサートを30分聞き、バッハって偉大だったんだね~と音楽の歴史も分かり、如何にパイプオルガンが天井から地割れがするが如く鳴り響きどれほど威圧的なのかも体験し、先生は大満足。日本にもコンサートホールにパイプオルガンがあるところもあるようだが、音が全然違ったという。そうね、音響を考えたホールの響きと、庶民に神様の圧倒的な力を教えるためにあった教会のパイプオルガンとでは、求める効果が全然違うものね。ちょっと日程的に詰まり過ぎたかとも思ったが、このコンサートをお勧めしてよかったな。
このあとは15時から音楽祭のコンサート。大聖堂のコンサートが終わったのは12時半過ぎであまり時間は無かったが、それぞれ一度自分の宿に戻り短いながらも一服し、身なりも整えてまた14時半に集合することとし、いったん解散した。
ザルツブルク2日目のお昼近くなり、旧市街をちょっと案内しながらこの日最初のコンサート会場に向かう。ここは大聖堂前広場。夏は野外劇イェーダーマンの会場となっててこの広場が舞台と座席で埋め尽くされるため、こういう景色を見られるのは夏じゃないから。
そして大聖堂の中へ。
ザルツブルクは大司教の治めた街。そう書くと、フーンで終わってしまうことが多いが、ものすごくたくさんの情報がこの短い文章に含まれている。まず、ザルツブルクとは大司教のいた街なのだ。大司教と言うのはローマ法王に次ぐ2番目に偉い人たちのことで、その辺の教会の司祭や牧師とはレベルが違う。大司教がいた街というのは、ヨーロッパ内でもそんなに数は多くないのだ。ザルツブルクがかつてそれほど栄えて重要な街だったかということが分かる。次に、大司教がいたということはカトリックの町だということ。同じヨーロッパでもプロテスタントの町とはものの考え方や街の景観が全く異なる。それから、ザルツブルクは大司教が「治めた」街であること。貴族の王様ではなく、カトリックの大司教が君主だった街なのだ。
この建物は普通の教会ではなく「大聖堂」である。大聖堂と言うのは訳によっては大寺院とか、ドイツ語ではドーム(円蓋)とかミュンスター(司教座大聖堂)とかカテドラル(司教座)などと言い、イタリア語だとドゥオモなどと言う。それは大きな教会・大きな聖堂という意味ではなく、大司教がいるところと言う意味で、この近辺の全ての教会の上に立つ機関。カトリックの権力と威信をかけて贅をつくした建物なのだ。
そう言えばそういうことはめぎにはもう当然のこと過ぎてうっかりし、恩師夫妻に説明するのを忘れてしまったな…ここがいかにカトリックの町だったのか、最初にお話しないとザルツブルクという町そのものを全く伝えられない。モーツァルトだって、その大司教と上手くいかなくてザルツブルクを出たんだし。
この大聖堂にはパイプオルガンが7つあり、モーツァルトが弾いたというオルガンもある。これのようだ。
このオルガンコンサートはザルツブルク音楽祭とは全く関係なく、この前日遅延の飛行機を待っているときにスマホで検索して昼に30分のコンサートがあるのを見つけ、パイプオルガンの音を聞いてみませんか、と恩師夫妻に紹介し、ぜひということでネットでチケットを取ったもの。当日は祭壇のところに座っている女性(見えにくい)が演奏の合間合間にドイツ語と英語で曲目の紹介をした。バッハ以前の曲から新しいものへと順々に4曲程度。バッハってプロテスタントだったからこのカトリックの教会に全然合わないのだけど、まあ今はカトリックの教会でもバッハの作曲した作品を演奏する時代だからね。それはそうと、司会の女性はモーツァルトの名前を常に、ヴォルフガング・アマデー・モーツァルト、と言っていた。日本で訳されているアマデウスではなく、アマデーというのがザルツブルク風。というのも、モーツァルト自身、彼の手紙で常にアマデーと署名していたのだ。
コンサートを30分聞き、バッハって偉大だったんだね~と音楽の歴史も分かり、如何にパイプオルガンが天井から地割れがするが如く鳴り響きどれほど威圧的なのかも体験し、先生は大満足。日本にもコンサートホールにパイプオルガンがあるところもあるようだが、音が全然違ったという。そうね、音響を考えたホールの響きと、庶民に神様の圧倒的な力を教えるためにあった教会のパイプオルガンとでは、求める効果が全然違うものね。ちょっと日程的に詰まり過ぎたかとも思ったが、このコンサートをお勧めしてよかったな。
このあとは15時から音楽祭のコンサート。大聖堂のコンサートが終わったのは12時半過ぎであまり時間は無かったが、それぞれ一度自分の宿に戻り短いながらも一服し、身なりも整えてまた14時半に集合することとし、いったん解散した。