ショプロンの宿~その2~ [2022年春 ウィーン~シュプロン]
現在数日おきに、2022年春のハンガリー・ショプロンの話を連載中。泊まった宿の部屋の紹介を既に書いたが、今日はその続き。宿のホームページはこちら。最初のページはハンガリー語だが、右上で英語やドイツ語にできる。
泊まった宿は2階建てで(一部その上に屋根裏部屋もあるようだ)、高さはそんなにない。
1階の入り口付近に古そうな石がはめ込まれていた。
宿のご主人が、チャーミングなハンガリー訛りのドイツ語で色々説明してくれた。オーストリアとの国境の街なので、お年寄りでも普通にドイツ語が話せる。いや、歴史的な経緯から考えると、お年寄りの方がうまいかもしれない。
そして…
このときはコロナで閉まっていたのだが、半地下のワインバーも見せてくれた。上の写真に書かれた言葉を見れば分かるように、ドイツ語とハンガリー語は全く別の言語で、推測もできない。
ご主人は、なんでもここにその昔フランツ・ヨーゼフ・ハンガリー王が立ち寄ってくれたのだととても誇り高く話してくれた。フランツ・ヨーゼフはオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝だったのだけど、彼にとってはハンガリー王なんだな…これがハンガリーの国民感情なのだろうな。
めぎたちの部屋は、そのワインバーの入り口の右のドアを入ってこの階段を上がると近い。
階段を上がるとこんな空間がある。
綺麗だったので何枚か別の時間帯に撮った。
特に朝日が綺麗だった。
泊まった宿は2階建てで(一部その上に屋根裏部屋もあるようだ)、高さはそんなにない。
1階の入り口付近に古そうな石がはめ込まれていた。
宿のご主人が、チャーミングなハンガリー訛りのドイツ語で色々説明してくれた。オーストリアとの国境の街なので、お年寄りでも普通にドイツ語が話せる。いや、歴史的な経緯から考えると、お年寄りの方がうまいかもしれない。
そして…
このときはコロナで閉まっていたのだが、半地下のワインバーも見せてくれた。上の写真に書かれた言葉を見れば分かるように、ドイツ語とハンガリー語は全く別の言語で、推測もできない。
ご主人は、なんでもここにその昔フランツ・ヨーゼフ・ハンガリー王が立ち寄ってくれたのだととても誇り高く話してくれた。フランツ・ヨーゼフはオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝だったのだけど、彼にとってはハンガリー王なんだな…これがハンガリーの国民感情なのだろうな。
めぎたちの部屋は、そのワインバーの入り口の右のドアを入ってこの階段を上がると近い。
階段を上がるとこんな空間がある。
綺麗だったので何枚か別の時間帯に撮った。
特に朝日が綺麗だった。