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カタコンベのマクシムス礼拝堂 [2022年夏 ザルツブルク音楽祭とザルツブルク]

現在数日おきに、2022年夏のザルツブルクの話を連載中。今日は先日のカタコンベのお話の続き。

カタコンベの窓の外を見ると、岩の中腹にいるということがよく分かる。
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その辺りの階段。いろんな石があるのは、歴史の積み重ねかな。
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その辺りにあった説明版のようなもの。「この岩窟の中で、イウヴァヴム(ザルツブルクの古代ローマ時代の名前)の最初のキリスト教徒が聖なる秘儀を行った」と書かれている。
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そこからさらに階段を昇る。
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前回載せたこの写真で言えば、岩の中央にある塔のところから左側の窓のところへ向かっている。
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途中の穴からは蔦で外が見えない。
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昇り詰めると、また礼拝堂。
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くり抜かれた穴。説明版は1530年の物で、ラテン語でこんな伝説が書かれている。「477年にルテニア族とゲピド族とゴート族とハンガリー人とヘルール族の王オドアケル(注:西ローマ帝国を滅ぼしたゲルマン人傭兵の名)が神の教会を滅ぼそうとしたとき、聖マクシムスとそれに従った50人は、隠れていたこの洞窟から信仰のために無残にもこの深みに身を投げた。そして、火と剣でノリクム地方(古代ローマ時代のオーストリアとスロヴェニアの間の地方の名前)を滅ぼした。」それでこの礼拝堂はマクシムスという名前がついているのだろう。
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実際の話は、477年にこの辺を支配していたローマ軍が撤退し、マクシムスと50人は蛮族(つまり上に書いたいろんな民族)からの隠れ家としてこの洞窟に籠っていたが、ゲルマン民族に包囲され、この深淵に身を投じた(殉教した)らしい。

写していたら、子ども連れが昇ってきた。
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…ということは、下の入り口の係の人、もう戻ってきたってことね。

で、その家族連れが礼拝堂を見ている間、めぎは窓から外の景色を写していた。
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もう一回続く。
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