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カルロス・クライバーのお墓を訪ねて [2022夏 スロヴェニア・ コニシツァ]

現在数日おきに、スロヴェニアのコニシツァの話を連載中。

長々と走ってやってきた目的地はここ。
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クライバー夫妻のお墓だが、先に亡くなったのは7年も若い奥さんの方で、その下に奥さんの死後約半年後に亡くなったカルロスの文字が刻まれている。その下は空白になっているから、いつか子孫の方の文字が刻まれるのかもしれない。
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カルロス・クライバーという指揮者を知っている人は、もう今は少し年上のクラシックファンに限られる。カラヤンと比べて…というか、比べられるものでもないけど、クライバー自身がカラヤンを崇拝していたようなので…音楽も追及したのだろうけど名声と自分の見た目もかなり大切にしたカラヤンと違って、天から遣わされたかのような無邪気な魂でただただ音楽そのものに寄り添っていて、拘ったらしい指揮の際の動きなどの見た目は自分をカッコよく見せるためではなく音楽のニュアンスを伝えるための表現手段として大切にし、理想とする音楽を奏でられる体力または精神力をもはや持っていないと悟ればもう人前にも出なくなり、とにかく音楽そのものと戯れていたような人。でも、なかなか指揮の仕事を引き受けなかった人で、残っている録画や録音も少ないし、かなりコアなファンを持ちつつも、今はもう忘れられつつある人である。生前は日本でもコンサートを実現し、熱狂的に迎えられたらしい。残念ながらめぎはそのライブは全く見ていない。

カルロス・クライバーをめぎがおおこれは!とはっきり意識したのは、残念ながらつい最近のことである(めぎは自分の人生に何の悔いも未練もないが、クライバーが生前のうちに彼のコンサートなりオペラなりを見ていなかったのは本当に残念に思う。でも、見ていたとしてもその当時はその価値が分からなかったはずで、理解できるようになった今だからこそクライバーに巡り合えたのだと思っている)。コロナ1年目の2020年の夏、どこにも行けずリビングの床の改装をしていた夏に、うちのドイツ人とシューベルトのシンフォニーをYouTubeでたくさん聞いた。その中にカルロス・クライバー指揮のがあって、ダントツに素晴らしかったのだ。シューベルトってこんなに素晴らしかったのね、と目から鱗が落ちる演奏で、それを実現した指揮者に興味を持って調べていき、大好きなオペラ「薔薇の騎士」の指揮が映像に残っていたということもあり、ありとあらゆる映像を見た。と言っても数は限られているのだ…上にも書いたように、彼はなかなか指揮を引き受けなかったし、録音や録画も嫌がったらしいから。で、いろんな伝説がある中で、このドキュメンタリーを見つけ、クライバーが晩年を過ごしたという奥さんの所縁の地を知り、あ、ここに行きたい!とコニシツァ行きを決めたのだった。クライバーがどんな思いでミュンヘンからコニシツァまで車を走らせたのか、ミュンヘンからではないがそのすぐそばのザルツブルクからその道を辿って、追体験してみたかった。今回、例えばドキュメンタリーの5分35秒のところから6分50秒ぐらいまでの道路から遠くに山の風景が見えるところで、同じ道を車を走らせながらクライバーの心中を色々と想像したし、1時間4分18秒ぐらいから1時間6分ぐらいまでの村の風景も、同じものを目にして本当に感動した。このドキュメンタリーはブログに埋め込んでもそこでは再生できずYouTubeの画面でのみ開けるようになっているのでリンクしかつけないが、英語字幕を日本語字幕に替えられるので、(訳にはかなり間違いもあるが…これじゃ何の話か分からなくなるよなあと思うものも多いが…例えば指揮台を表彰台と訳してたりするが、それでも)よかったらぜひどうぞ。ドイツ語の分かる方はぜひそのままどうぞ。

ビデオを見てから2年経って、やっと実現したコニシツァ行き。先に見つけたのは、奥さんの実家の人たちのお墓。
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クライバーのお墓は、教会の裏側で、使われなくなった倉庫のような建物の屋根が視界を遮っててお世辞にも見晴らしもよくない場所に立っていた。
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世界的に有名な伝説の指揮者のお墓がこんなところにあるなんてね。

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とっても小さな村の、とっても小さな教会の周りにあるとっても小さな墓地の中に、他と比べて割と小さめな墓石で立っているのだ。
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ね、他の墓石の方が立派でしょ。
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クライバーの奥さんはこの辺りの出身らしいが、彼女がクライバーと出会ったのはデュッセルドルフで、クライバーがデュッセルドルフのオペラ座で仕事をしていた頃。彼女はダンサーとしてオペラ座にいたらしい。その同じ時期、実は、うちのドイツ人の父親も同じデュッセルドルフのオペラ座で歌手として仕事していた。めぎたちがそのことを知った時にはもう父親は亡くなっていたので、うちのドイツ人としては、もし生きていたらクライバーがどんな人だったか、どんな仕事ぶりだったか、どんな交流をしたか、奥さんはどんな風に踊ったか等々聞けたのにと、とっても残念がっている。めぎとしてもとても残念だけど、クライバーがその昔数年デュッセルドルフに住んでいたなんて、それはなんだかちょっと嬉しい…

さて、ここに来たらコニシツァの村も散策してみようかと思っていたが、このお墓を見ただけで感無量で、あとはどうでもよくなってしまった。
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だから、お墓以外にほとんど何も撮っていない。お墓でしばらく過ごして、クライバーのここでの生活に思いを馳せた。彼は世界を知っていながら…日本はもちろん、アルゼンチンにもいたのに、オーストリア国籍も持っていたのに、愛した場所と言うか、終の棲家として籠ったのがスロヴェニアのこんな田舎だとは…最後に仕事をしていたミュンヘンとかウィーンには割と近いとはいえ、オペラやコンサートを引き受けてここから出ていく時、どんな思いを抱いていたのだろう。自給自足かと思うような場所から、文化の結晶のようなオペラやコンサートの場へ、熱狂的ファンの拍手喝采のスポットライトの中心へ。娑婆に出ていくというか、別世界に行くというか、なんと形容してよいか思いつかない。でも、彼の中の音楽を実現できるところは、オーケストラのあるオペラ座やコンサートホール以外になかったのだ。その一方で、どこの音楽祭で何の指揮をしたというような名声は彼にはどうでもよく、一度しっかりお金を稼げば(そのお金稼ぎの場として上のリンクのビデオでは日本公演が言及されている)、そのお金で何年も田舎に篭って生きていたらしい。だから、お金がなくなったら指揮を引き受ける人、とも揶揄されたりしているが、真相はともかく、彼は田舎に籠って慎ましく暮らせる人で、次から次へと仕事を引き受けてどんどん儲けるタイプではなかったことは事実である。

そして、死んでしまっては、誰も同じ。カルロス・クライバーも、その他の名もない人々もみな同じ。死後20年近くもなれば誰が訪ねてくるわけでもなく、こんな田舎にあるとなっては場所すら忘れられていきそうだ。お墓の世話は恐らく所縁の人たちがまだお金を払ってやってもらっているのだろうが、ここに来る道路だってたいして整備されている様子もなかったし、今頃訪ねてくる人なんて年にそうもいないのだろうな。それに、そもそもこの村の人たちやクライバーゆかりの人たちは、クライバーを使って村おこし、というようなつもりもないのだろう。
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近くに記念館があるらしいが、オフィシャルホームページもなく英語の案内があるわけでもなく、事前に連絡を取らなければ入れないそうだし、今も開いているのかどうかもわからず、今回はこの場所に行ければいいと思って連絡を取らなかった。
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クライバーに興味のある方は、下のリンクをどうぞ。短いものがよろしければこちら、日本でのコンサートのアンコール。



最も面白いのは彼のリハーサル。日本語字幕付き。



彼がおそらく最も愛し、最もたくさん公演をしたオペラ「薔薇の騎士」。日本語字幕付き。同じ演出家によるほぼ同じ演出のウィーン版(94年)もあるが、めぎは古い方のこのミュンヘン版(79年)の方がエネルギッシュで配役も素晴らしくて好き。



その他、オペラではなく交響曲を聞きたい方は、例えばこちら。日本公演のもの。



めぎがクライバーに開眼したシューベルト「未完成」。これは映像は無く、音声のみ。



最後に、コアなファンはこういうのを見るというものを。バイロイトでトリスタンを指揮しているクライバーの、舞台上の歌手とスタッフ向けのモニターの録画。

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