ブレーゼ・イン・デア・マーシュという通り [ドイツ各地]
これまで1日おきにウィーンの旅行記とめぎ家の日常を交互にアップしてきたが、今日からそれにもう一つシリーズを加える。つまり、今後ウィーンの旅行記は2日おきになり、続きは明日の予定。
で、加わるもう一つのシリーズは、5月26~28日に2泊3日で行ってきた友人宅への旅行記。ドイツでは2022年5月26日の木曜日(日付は毎年変わる)が「キリスト昇天の日」で祝日で、その次の金曜日も学校が休校としたので4連休だったのだ。かつてはそういう4連休によくドイツ国内で旅行をしたものだが、コロナの2年間はどこにも行っていなかった。今年、コロナが落ち着いたということでかなりの人が出かけたようだし、めぎたちも随分前から友人たちに招かれていた。
その友人たちというのはハンブルクで育ったうちのドイツ人の若いころからの友人夫婦で、二人は今もハンブルクに住んでいる。ちょくちょくハンブルクの彼らの家を訪ねたり彼らがデュッセルドルフに来たり一緒に近場へ旅行したりしてて、一週間に一度は電話もしてて、2010年には日本へも一緒に旅行した準家族とも言える友人たちである。数年前、旦那さんの方がニーダーザクセン州のダンネンベルクという町のアパートやら土地やらを遺産相続し、そのアパートを改装して賃貸とし、彼らはハンブルクに住み続けつつも定期的にその管理のためにダンネンベルクに行くので、その近くに家を借りた。で、ぜひ遊びに来てほしいというわけである。
で、その彼らが借りた家というのが、ダンネンベルクの外れにあるブレーゼ・イン・デア・マーシュという通りにある。その昔は村だったのが、1972年以来ダンネンベルクに吸収合併。それがその通り。

ドイツ語のWikipedia(こちら)によると、1834年にこの村は火災でほとんどが焼失し、その後復元されて今に至っている。一軒だけ火災焼失を免れたのがこの家。

1723年築。

友人たちの借りた家は休暇用の貸別荘で、普通は週単位で賃貸しているところを大家と交渉して年単位で借りたらしい。通りからちょっと奥まったところに立っていて、緑がいっぱい。

さて、到着した木曜日は上にも書いたように祝日で、その土地の射撃クラブがパレードをした。ドイツでは各地に射撃クラブがあり、オリンピックなどで活躍する射撃の選手はこの広大な裾野のおかげで育っているのだが、その射撃クラブは5~6月にパレードを行う。その昔デュッセルドルフの区の射撃クラブのパレードをご紹介したこともある。このパレードというのは、基本的に観光客を呼ぶためではなく、彼ら自身のため、その村の人々と祝うために行われる。

だから、ここで見物していた人たちの中でよそ者と思われるのはめぎ家だけであった。

その後この通り唯一のレストランの裏でお祭りのようなイベントが行われていた。とっても規模が小さいが、食べ物の出店の他に、射撃の出店ともぐらたたきゲームと回転ブランコがあった。寒かったので、あまりまともに写真を撮っていないけど。

そして射撃クラブの皆様はビールで乾杯していた。

別の場所でも、何かを展示していた。

こちらも寒かったのでまともに見ていないけど。

この数日前まで窓に日除けをするほどの暑さだったのに、この日は長袖にカーディガン、さらにコートを羽織っていた。晴れたり曇ったり雨が降ったりまた晴れたりというのを繰り返してもいた。

場所はこちら。
で、加わるもう一つのシリーズは、5月26~28日に2泊3日で行ってきた友人宅への旅行記。ドイツでは2022年5月26日の木曜日(日付は毎年変わる)が「キリスト昇天の日」で祝日で、その次の金曜日も学校が休校としたので4連休だったのだ。かつてはそういう4連休によくドイツ国内で旅行をしたものだが、コロナの2年間はどこにも行っていなかった。今年、コロナが落ち着いたということでかなりの人が出かけたようだし、めぎたちも随分前から友人たちに招かれていた。
その友人たちというのはハンブルクで育ったうちのドイツ人の若いころからの友人夫婦で、二人は今もハンブルクに住んでいる。ちょくちょくハンブルクの彼らの家を訪ねたり彼らがデュッセルドルフに来たり一緒に近場へ旅行したりしてて、一週間に一度は電話もしてて、2010年には日本へも一緒に旅行した準家族とも言える友人たちである。数年前、旦那さんの方がニーダーザクセン州のダンネンベルクという町のアパートやら土地やらを遺産相続し、そのアパートを改装して賃貸とし、彼らはハンブルクに住み続けつつも定期的にその管理のためにダンネンベルクに行くので、その近くに家を借りた。で、ぜひ遊びに来てほしいというわけである。
で、その彼らが借りた家というのが、ダンネンベルクの外れにあるブレーゼ・イン・デア・マーシュという通りにある。その昔は村だったのが、1972年以来ダンネンベルクに吸収合併。それがその通り。
ドイツ語のWikipedia(こちら)によると、1834年にこの村は火災でほとんどが焼失し、その後復元されて今に至っている。一軒だけ火災焼失を免れたのがこの家。
1723年築。
友人たちの借りた家は休暇用の貸別荘で、普通は週単位で賃貸しているところを大家と交渉して年単位で借りたらしい。通りからちょっと奥まったところに立っていて、緑がいっぱい。
さて、到着した木曜日は上にも書いたように祝日で、その土地の射撃クラブがパレードをした。ドイツでは各地に射撃クラブがあり、オリンピックなどで活躍する射撃の選手はこの広大な裾野のおかげで育っているのだが、その射撃クラブは5~6月にパレードを行う。その昔デュッセルドルフの区の射撃クラブのパレードをご紹介したこともある。このパレードというのは、基本的に観光客を呼ぶためではなく、彼ら自身のため、その村の人々と祝うために行われる。
だから、ここで見物していた人たちの中でよそ者と思われるのはめぎ家だけであった。
その後この通り唯一のレストランの裏でお祭りのようなイベントが行われていた。とっても規模が小さいが、食べ物の出店の他に、射撃の出店ともぐらたたきゲームと回転ブランコがあった。寒かったので、あまりまともに写真を撮っていないけど。
そして射撃クラブの皆様はビールで乾杯していた。
別の場所でも、何かを展示していた。
こちらも寒かったのでまともに見ていないけど。
この数日前まで窓に日除けをするほどの暑さだったのに、この日は長袖にカーディガン、さらにコートを羽織っていた。晴れたり曇ったり雨が降ったりまた晴れたりというのを繰り返してもいた。
場所はこちら。