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蘇る記憶 [小さな出来事]

誰しも恩師と呼ぶ人が多かれ少なかれいて、忘れがたい思い出があったり、影響を受けたりしたことがあろうと思う。それも、職業が教師となった人ならば、そういう人が数人いてもおかしくない。めぎにも恩師と呼ぶ人が数人いて、そのほとんどは20代後半から30代前半にかけてのめぎ2度目の大学・大学院時代にお世話になった教授たちと、8歳ごろから20代まで長年にかけてお世話になったピアノと作曲の先生方で、めぎの生き方やものの考え方に多大な影響を及ぼしている。彼らなしにはめぎの今のドイツ生活は考えられない。
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それに対し、小学校から高校にかけて、恩師と呼べる先生はめぎにはたった一人しかいない。記憶に懐かしく覚えている先生はもう一人いて、それは中学の2~3年時の担任の先生だが、影響は全く受けていないのだ。学校でお世話になった先生方の中で、めぎが自分の人間形成に唯一多大な影響を受けたと思うのは、小学校3~4年生のときの担任の先生一人である。
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その先生は、まず小学校2年のとき、なぜか廊下に一人でいためぎに、「めぎちゃんはいい子なんだよ」と話しかけてくれた。それが最初の思い出だ。めぎはどういうわけか今は理由が全く思い出せないのだが2年生の時の担任の先生とうまくいってなくて、もしかしたら廊下に立たされていたのかもしれないし、みんなと一緒にいたくなくてそこにいたのかもしれない。そのめぎに、優しく声をかけてくれた先生だったのである。その先生が3年生のクラス替えのときに担任となり、それから2年間お世話になった。
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その先生はとても自由で画期的な人だった。何と形容してよいかわからないが、自由で画期的というのが近いように思う。たぶん非常に制約のある中で色々とまるで自由であるかのように画期的なことをしてくれたのだろうと思う。ほかの教科のことはあまり記憶にないのだが、国語の教え方が独特で、めぎの国語力・文章力はあの時に培われたとずっと思っている。
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巻物方式だとか光る文を探すだとか、小学校3年生にして大学ノートを用意させられて毎日10分間学習と言ったか、10分間わき目もふらず漢字を書き続けるとか(3分だったかも知れない)、その大学ノートが最後まで終わったら先生に写真を撮ってもらえるとか、漢字検定というのをやって、1年生のときからの漢字を順々に検定試験にしてあって、10点満点取れなかったら次に進めないというルールだったりとか、モチモチの木というお話の一節を学級目標にするとか、定期的に作文コンクールに応募するとか、みんなから100円だったか300円だったか集めて文庫本を買い集めて、または自分のもう読んで要らなくなった本を持ち寄って学級文庫を作るとか(小3にして文庫本に触れるという凄く大人になった気分を味わい、めぎは当時休み時間にはずっと本を読んでいた。その学級文庫のことは当時北海道新聞に載ったような記憶)…切りがないほどあれこれと思い出される。
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また、正式な学校行事にないことをたくさんした。例えば、ある日登校したら突然山に行くことになったり…
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滝に行ったり海まで行ったり(めぎの小学校はどこも徒歩圏内のところにあった)…
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焚火をして焼き芋を焼いたり。山に登って途中の川でザリガニをとったりしているときにみんなものすごく蚊に刺されたりとかしたような記憶。
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そして、夏休みや日曜日などに生徒たちを数人ずつ自宅に招いてくれたりも。初めて行った時にはお好み焼きを作ってくれたのだが、めぎはその時までお好み焼きという食べ物を全く知らず(めぎの母は自宅でお好み焼きを作ったことが全くなかったし、外でも食べたことがなかった。外で食べるものは札幌ラーメンと決まっていた)、何ができるんだろう?と思いながらキャベツを切ったりするのを手伝った記憶がある。
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学校のクラスだから、いろんな生徒がいて、いろんな親もいて、たぶん何か問題もあったのだろうと思うが、めぎは詳細をあまり思い出せない。でも、なんというか、みんなを抱き込むような、全員を抱きかかえるような、ハートで人に体当たりするような、そんな教育のしかたをめぎは無意識に学んだのではないかと思う。勉強を教える教わるというより、人間と人間の付き合いをするというか。その先生はめぎが4年生を終えたところで別の学校に転任となり、めぎはそれを何としても阻止したくて校長先生にお願いの手紙を持って行ったこともあった。そして、先生が転任した後も、長い間、たしかめぎがドイツに来る直前ぐらいまで手紙を書き続け、数年に一度は札幌でお会いしていたのだった。ドイツに来てからはしばらくは年賀状を出していたが、10年以上前からそれをやめてしまい(年賀状そのものをやめたので誰にも全く送っていない)、失礼ながらすっかりご無沙汰していた。
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…と長々書いてきたのは、コロナの今年、夏休みにふと思い出して十何年振りかでメールを送ってみたからだ。先生は音楽がお好きだったよな、と思って、この夏に聞いていたカルロス・クライバーのことを書いたのだが、それが見事に的中し、メールと写真のやり取りが始まった。先生は懐かしい北海道の写真や食事の写真を送ってくださり、めぎはドイツ生活の写真をお送りした。何通かやり取りして2か月ほど経ったところで、先生からプレゼントが届いた。ああ、なんて懐かしい先生の字。やっぱり手紙っていいわねえ。
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中には、本やらDVDやら。どれもこれも先生がめぎのことを思って選んでくれたことがよくわかり、感無量。先生が最後の校長時代に出した学校だよりをまとめた本もあり、ああ、懐かしい先生の文章!そういえば我々のクラスにも学級だよりがあって、当時ガリ版に生徒にも書かせてくれたのだった。
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英語の写真集とその日本語訳の本は、別々の写真が掲載されていて、それを見ながら先生とクラスのみんなと海に行ったときのことを思い出した。ああいうこと、今時はもうできないんだろうなあ。
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めぎは小学校の教師ではないし、担任もしていないが、めぎの教えた生徒たちはよく、教科の時間なのに一つのクラスのようだった、という感想を述べる。たぶん、先生のあのクラスの雰囲気が無意識にもめぎの理想となっていて、それに近づくような授業をやっているのだろう。10分間学習も、10点満点がとれるまで次に進めない漢字検定もやっていないけど、それを導入しようかなあと考えたことは実は何度もある。三つ子の魂百までというか、めぎの教師としての原点はあそこにある。あの、山があって海が見えて滝の近くの、あそこに。
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(今日の写真は、送られてきたもの以外、2015年10月中旬に札幌のめぎの通った小学校の近くを訪ねてD600と24-70mmF2.8で写したもの。めぎをフルサイズ沼に引きずり込んだこのセット、未だ売り飛ばせずに持っている。撮影はへたっぴだけど、写りは今見ても悪くないなあ。)
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