過ぎゆく時間 [小さな出来事]
今日はめぎが秋休みにしていたことのお話を。写真は秋のめぎ家バルコニー。クラシック音楽に興味の無い方は写真とこの色の文章だけどうぞ。
10月中旬の2週間の秋休み中に2泊3日のヴィサンブール旅行とうちのドイツ人の叔母と従妹を招いた夕食の他にしたことと言えば、先日もちょっと書いたが、美容院、健康診断、コロナワクチン注射、歯医者の4つ。その他には、持ち帰り仕事を少しと、ブログ書き。あとの時間はめぎ、ずっと音楽を聴いて過ごしていた。ギボウシはすっかりおしまい。
音楽というのはほぼいつもクラシック音楽だが、夏以降ずっとモーツァルトをいっぱい聞いてきたので、ちょっとあまり聞いていないものを研究しようと、そしてドイツの作曲家をもう少し知りたいと思って、シューマンとメンデルスゾーンの交響曲やピアノ協奏曲を。これはドライフラワー化したモロッコミントの花。下のうちの蔦も黄色くなった。
それでめぎが感じたのは、めぎ、ロマン派って性に合わないかも…ということ。盛り上げがしつこく感じるのだ。全体的に煩いとも言えるかな。こちらは枯れたチャイブの花とキキョウのような花。
実はめぎ、秋休みの終わりにバーデンバーデンに行こうかなとちょっと考えていた。そこでクルレンツィスがマーラーの5番とブルックナーの9番を2夜連続でコンサートをする予定だったのだ。チケットもまだ売れ残っていたし、行こうかなとずいぶん迷ったけど、予習をしようと聞き始めて、きっぱりやめた。めぎ、マーラーもブルックナーも、どうも好きになれなくて。今までザルツブルク音楽祭でもウィーンフィルの演奏で何度も試したけど良いと思えなかったのだが、やっぱり今回も。これはライオンのちっちゃなお口。すっかり花が終わってしまったけど、葉っぱはまだ緑で元気なので、また蕾をつけないかなあと期待している。
何が好きになれないって、まず長すぎる。それも、テーマを展開し尽くして長いのならいいのだが、マーラーなど次から次へと新しいテーマが出てきて、あれ?もう次行っちゃうの?と肩透かしを食うのだ。素晴らしいアイディアで凄く素敵なのだけど、それを味わいつくさないうちに次のが提示され、それが何度も何度も一時間も続き、途中から食傷気味になる。それと比べると、シューマンもメンデルスゾーンもちゃんとテーマを展開し尽くしていて、そこは評価できると感じた。バルコニーから見える景色も少しずつ秋の色。
しかも、気がついたことが。シューマンを聞きながら、あれ、これってマーラーみたい、と思う箇所がパラパラ出てくる。マーラーには悪いが、彼の生まれる前に、同じような交響曲が存在していたのだ。今で言うと、盗作ですか、という感じ…いや、昔はモーツァルトだって旅先で耳にした色々な曲をそのまま自分の作品に取り入れているので、それが普通だったのだろうけど、めぎの現時点での結論としては、シューマンもメンデルスゾーンも、もっと価値を見直されてもいいんじゃないのかな、ということ。これはマロニエ。もう来年の準備が完了。ちょっと大きくなりすぎたので、外の道端に植えに行こうかなどと話しているところ。鉢植えに留めるにはどこをどう切っていいかよく分からないし。
とは言え、クルレンツィスと彼のオーケストラのユートピアの演奏でマーラーとブルックナーを聞いたら、ひょっとするとめぎの考えも改まるのかもしれないなあとずいぶん迷ったが、この2つを聞きにお金を出してバーデンバーデンまで行くのはやっぱりやめようと決め、秋休みの最後はうちでゆっくりと過ごした。いつか、ザルツブルク音楽祭でクルレンツィスがこの2つをやることがあったら、その時に試してみることにしよう。マロニエで残っているのはこの葉っぱだけ。
で、次に、ザルツブルク音楽祭の例のラジオ公開生放送で聞いたパトリツィア・コパチンスカヤの演奏をYouTubeで色々探した。現代音楽に長けているらしい彼女だが、いくつかロマン派時代のもあって、ベートーベンのヴァイオリンソナタ第9番を見つけた。同じ曲をアルゲリッチの伴奏でクレーメルがヴァイオリンのも見つけ、聴きくらべ。これは申し訳ないけどアルゲリッチとクレーメルに軍配が上がった。淡々と弾いているように見えるのに、でも演奏はずっとドラマチック。不思議だ。ピアノがアルゲリッチだからかもしれないけど、ピアノが伴奏になっているのではなく、ちゃんとヴァイオリンとピアノの両方が主役になっている弾き方もいい。葉の落ちたマロニエの足元で、ライオンのちっちゃなお口が一輪だけ初々しく咲いていた。
そこから派生して、なんとなくベートーヴェンが聞きたくなり、全9曲のうちめぎがあまりなじみのなかった交響曲第8番を聞いた。いくつか試したが、フルトヴェングラー指揮の古いのが最もよかった。部分的にちょっとテンポが遅いけど、強弱が非常にはっきりしててドラマチックだし、全ての音がキッチリ聞こえてくる録音なのだ。そのおかげで、この曲が如何にユーモアがあって皮肉っぽいダジャレっぽい仕掛けに満ちているかも楽しめた。音楽って、まじめくさってもったいぶって有難がって聞くものではなくて、まさにユーモアそのものなんだよなぁ…作曲家の方は真剣にその仕掛けを組み込んで作曲しているのだが、聞き手も弾き手もそこをちゃんと理解しないとね。夏の間大いに茂った植物がすっかり枯れ、その陰に埋もれていたフクシアがまだ頑張っている。でも、この蕾、開けるかな…
この交響曲第8番は第7番から大きく飛躍し、現代曲への橋渡し的な雰囲気に満ちている。長調か短調か分からないような部分は無調への第一歩のような気がするし、転調を繰り返していく部分のその転調の仕方もそれまでの規則とは異なるし。部分的にはプロコフィエフの曲ですか、と思うところも。ただ、その演奏は素晴らしかったしその曲も素晴らしいのだが、めぎはやっぱりしつこく感じてしまい、ロマン派ってめぎダメかも…という結論に至ったのだった。あなたの意図はもう分かったよ、素晴らしいね、と感じたところから、ベートーヴェンでもその倍の長さが続くのだ。これはうちのドイツ人の部屋の朝顔。かなり寒くなってきたのだが、毎日いっぱい咲き、その花が1~2日もつ。朝顔って寒さに強いのかな。
そんな感じでドイツ生まれの作曲家に取り組んだ秋休み。ここまでめぎが書いたことはたぶん研究者や批評家にはとっくに分かり切っていることなのだろうけど、または素人のかなり独りよがりな意見だけど、めぎが聞いて感じたことだということで書き留めておく。めぎ家はテレビを全く見ないので(だからテレビをとうとう片付けてしまった。ちなみにニュースはネットとラジオで事足りている)、毎晩夕食後から就寝までの時間は音楽鑑賞に充てていて、うちのドイツ人とYouTubeから予めダウンロードして置いた音楽を聴き、いくつか聞き比べ、または繰り返し聞いて、あれこれ議論。その曲について、演奏について、指揮者について、演奏家について…など。上に挙げたもののほか、リヒャルト・シュトラウスのピアノ協奏曲と薔薇の騎士、ラヴェルのピアノ協奏曲、さらにチャイコフスキーの胡桃割り人形も見た。こんな風に健康状態を気にせずに音楽を楽しめる時間がまたやってきて、ホント良かったな…朝顔の下では菊が咲いている。秋なのよね。
最後にめぎ的によかったものを貼り付けておく。
ベートーヴェンの交響曲第8番。
シューマンのピアノ協奏曲。
ベートーベンのヴァイオリンソナタ第9番。日本の映像。
リヒャルト・シュトラウスのピアノ協奏曲ブルレスケ。ものすごく皮肉とユーモアに満ちた作品。ティンパニーが凄い。なんだかアルゲリッチばかりになっちゃった…
ザルツブルク音楽祭の総監督が就任した時の特集番組を見つけた。ヒンターホイザーの話し方を見たい方はどうぞ。ドイツ語だけど、設定すれば英語の字幕を付けられるし、19分53秒ぐらいから英語で話しているシーンが出てくる。しかもそれ、クルレンツィスも一緒に話している。いいなぁ…めぎも彼らと一緒にできるような仕事、したかったなぁ…(と妄想に浸るのも秋休みならではの楽しみかも。)それにしてもこの頃(2017年)って、テロは既にあったけど、まだ戦争もなく、未来をまだ明るく信じられて幸せだったなぁ…
それから最後に、一つだけポップミュージック。Geile Zeit(ガイレ・ツァイト)というタイトルで、意味は「すっげーとき」とでも言えばいいのか、ものすごくよかったあの時間、という意味。内容は、ものすごくよかった時間が終わっちゃった、というもの。ドイツのJuli(ユーリ)というバンドの曲でドイツ語の歌詞なのだけど、日本にも通じるメロディーとハーモニーだと思うし、歌詞も良いし、歌も上手いのでよかったらぜひ。錆のところでちゃんとweiß, Zeit, weit, leidと韻を踏んでいるのもいい。そしてvorbei(フォアバイ)という言葉が心にしみる。「過ぎ去ってしまった」という意味なのだけど、その歌詞はオペラの「薔薇の騎士」でも出てくるキーワードで、本当に時代が過ぎ、自分の時間も過ぎて行ってしまった感じがするのだ。オフィシャルビデオはこちら。でも、歌詞が出てくるバージョンのを貼り付けておく。こっちの方が本当に終わっちゃった感じがする。
こうやって秋休みは過ぎて行ったし、長期休みを楽しむという時間もいつか仕事を引退すれば終わるし、うちのドイツ人もめぎもいつまでも健康でいられるわけではない。このGeile Zeitに必ず終わりが来るのだなと思いながら、この貴重な時間を二人で楽しんでいた。秋休みが終わっても、できるだけ夜は仕事をせず音楽を一緒に聞く時間を作りたいなと思っている。
10月中旬の2週間の秋休み中に2泊3日のヴィサンブール旅行とうちのドイツ人の叔母と従妹を招いた夕食の他にしたことと言えば、先日もちょっと書いたが、美容院、健康診断、コロナワクチン注射、歯医者の4つ。その他には、持ち帰り仕事を少しと、ブログ書き。あとの時間はめぎ、ずっと音楽を聴いて過ごしていた。ギボウシはすっかりおしまい。
音楽というのはほぼいつもクラシック音楽だが、夏以降ずっとモーツァルトをいっぱい聞いてきたので、ちょっとあまり聞いていないものを研究しようと、そしてドイツの作曲家をもう少し知りたいと思って、シューマンとメンデルスゾーンの交響曲やピアノ協奏曲を。これはドライフラワー化したモロッコミントの花。下のうちの蔦も黄色くなった。
それでめぎが感じたのは、めぎ、ロマン派って性に合わないかも…ということ。盛り上げがしつこく感じるのだ。全体的に煩いとも言えるかな。こちらは枯れたチャイブの花とキキョウのような花。
実はめぎ、秋休みの終わりにバーデンバーデンに行こうかなとちょっと考えていた。そこでクルレンツィスがマーラーの5番とブルックナーの9番を2夜連続でコンサートをする予定だったのだ。チケットもまだ売れ残っていたし、行こうかなとずいぶん迷ったけど、予習をしようと聞き始めて、きっぱりやめた。めぎ、マーラーもブルックナーも、どうも好きになれなくて。今までザルツブルク音楽祭でもウィーンフィルの演奏で何度も試したけど良いと思えなかったのだが、やっぱり今回も。これはライオンのちっちゃなお口。すっかり花が終わってしまったけど、葉っぱはまだ緑で元気なので、また蕾をつけないかなあと期待している。
何が好きになれないって、まず長すぎる。それも、テーマを展開し尽くして長いのならいいのだが、マーラーなど次から次へと新しいテーマが出てきて、あれ?もう次行っちゃうの?と肩透かしを食うのだ。素晴らしいアイディアで凄く素敵なのだけど、それを味わいつくさないうちに次のが提示され、それが何度も何度も一時間も続き、途中から食傷気味になる。それと比べると、シューマンもメンデルスゾーンもちゃんとテーマを展開し尽くしていて、そこは評価できると感じた。バルコニーから見える景色も少しずつ秋の色。
しかも、気がついたことが。シューマンを聞きながら、あれ、これってマーラーみたい、と思う箇所がパラパラ出てくる。マーラーには悪いが、彼の生まれる前に、同じような交響曲が存在していたのだ。今で言うと、盗作ですか、という感じ…いや、昔はモーツァルトだって旅先で耳にした色々な曲をそのまま自分の作品に取り入れているので、それが普通だったのだろうけど、めぎの現時点での結論としては、シューマンもメンデルスゾーンも、もっと価値を見直されてもいいんじゃないのかな、ということ。これはマロニエ。もう来年の準備が完了。ちょっと大きくなりすぎたので、外の道端に植えに行こうかなどと話しているところ。鉢植えに留めるにはどこをどう切っていいかよく分からないし。
とは言え、クルレンツィスと彼のオーケストラのユートピアの演奏でマーラーとブルックナーを聞いたら、ひょっとするとめぎの考えも改まるのかもしれないなあとずいぶん迷ったが、この2つを聞きにお金を出してバーデンバーデンまで行くのはやっぱりやめようと決め、秋休みの最後はうちでゆっくりと過ごした。いつか、ザルツブルク音楽祭でクルレンツィスがこの2つをやることがあったら、その時に試してみることにしよう。マロニエで残っているのはこの葉っぱだけ。
で、次に、ザルツブルク音楽祭の例のラジオ公開生放送で聞いたパトリツィア・コパチンスカヤの演奏をYouTubeで色々探した。現代音楽に長けているらしい彼女だが、いくつかロマン派時代のもあって、ベートーベンのヴァイオリンソナタ第9番を見つけた。同じ曲をアルゲリッチの伴奏でクレーメルがヴァイオリンのも見つけ、聴きくらべ。これは申し訳ないけどアルゲリッチとクレーメルに軍配が上がった。淡々と弾いているように見えるのに、でも演奏はずっとドラマチック。不思議だ。ピアノがアルゲリッチだからかもしれないけど、ピアノが伴奏になっているのではなく、ちゃんとヴァイオリンとピアノの両方が主役になっている弾き方もいい。葉の落ちたマロニエの足元で、ライオンのちっちゃなお口が一輪だけ初々しく咲いていた。
そこから派生して、なんとなくベートーヴェンが聞きたくなり、全9曲のうちめぎがあまりなじみのなかった交響曲第8番を聞いた。いくつか試したが、フルトヴェングラー指揮の古いのが最もよかった。部分的にちょっとテンポが遅いけど、強弱が非常にはっきりしててドラマチックだし、全ての音がキッチリ聞こえてくる録音なのだ。そのおかげで、この曲が如何にユーモアがあって皮肉っぽいダジャレっぽい仕掛けに満ちているかも楽しめた。音楽って、まじめくさってもったいぶって有難がって聞くものではなくて、まさにユーモアそのものなんだよなぁ…作曲家の方は真剣にその仕掛けを組み込んで作曲しているのだが、聞き手も弾き手もそこをちゃんと理解しないとね。夏の間大いに茂った植物がすっかり枯れ、その陰に埋もれていたフクシアがまだ頑張っている。でも、この蕾、開けるかな…
この交響曲第8番は第7番から大きく飛躍し、現代曲への橋渡し的な雰囲気に満ちている。長調か短調か分からないような部分は無調への第一歩のような気がするし、転調を繰り返していく部分のその転調の仕方もそれまでの規則とは異なるし。部分的にはプロコフィエフの曲ですか、と思うところも。ただ、その演奏は素晴らしかったしその曲も素晴らしいのだが、めぎはやっぱりしつこく感じてしまい、ロマン派ってめぎダメかも…という結論に至ったのだった。あなたの意図はもう分かったよ、素晴らしいね、と感じたところから、ベートーヴェンでもその倍の長さが続くのだ。これはうちのドイツ人の部屋の朝顔。かなり寒くなってきたのだが、毎日いっぱい咲き、その花が1~2日もつ。朝顔って寒さに強いのかな。
そんな感じでドイツ生まれの作曲家に取り組んだ秋休み。ここまでめぎが書いたことはたぶん研究者や批評家にはとっくに分かり切っていることなのだろうけど、または素人のかなり独りよがりな意見だけど、めぎが聞いて感じたことだということで書き留めておく。めぎ家はテレビを全く見ないので(だからテレビをとうとう片付けてしまった。ちなみにニュースはネットとラジオで事足りている)、毎晩夕食後から就寝までの時間は音楽鑑賞に充てていて、うちのドイツ人とYouTubeから予めダウンロードして置いた音楽を聴き、いくつか聞き比べ、または繰り返し聞いて、あれこれ議論。その曲について、演奏について、指揮者について、演奏家について…など。上に挙げたもののほか、リヒャルト・シュトラウスのピアノ協奏曲と薔薇の騎士、ラヴェルのピアノ協奏曲、さらにチャイコフスキーの胡桃割り人形も見た。こんな風に健康状態を気にせずに音楽を楽しめる時間がまたやってきて、ホント良かったな…朝顔の下では菊が咲いている。秋なのよね。
最後にめぎ的によかったものを貼り付けておく。
ベートーヴェンの交響曲第8番。
シューマンのピアノ協奏曲。
ベートーベンのヴァイオリンソナタ第9番。日本の映像。
リヒャルト・シュトラウスのピアノ協奏曲ブルレスケ。ものすごく皮肉とユーモアに満ちた作品。ティンパニーが凄い。なんだかアルゲリッチばかりになっちゃった…
ザルツブルク音楽祭の総監督が就任した時の特集番組を見つけた。ヒンターホイザーの話し方を見たい方はどうぞ。ドイツ語だけど、設定すれば英語の字幕を付けられるし、19分53秒ぐらいから英語で話しているシーンが出てくる。しかもそれ、クルレンツィスも一緒に話している。いいなぁ…めぎも彼らと一緒にできるような仕事、したかったなぁ…(と妄想に浸るのも秋休みならではの楽しみかも。)それにしてもこの頃(2017年)って、テロは既にあったけど、まだ戦争もなく、未来をまだ明るく信じられて幸せだったなぁ…
それから最後に、一つだけポップミュージック。Geile Zeit(ガイレ・ツァイト)というタイトルで、意味は「すっげーとき」とでも言えばいいのか、ものすごくよかったあの時間、という意味。内容は、ものすごくよかった時間が終わっちゃった、というもの。ドイツのJuli(ユーリ)というバンドの曲でドイツ語の歌詞なのだけど、日本にも通じるメロディーとハーモニーだと思うし、歌詞も良いし、歌も上手いのでよかったらぜひ。錆のところでちゃんとweiß, Zeit, weit, leidと韻を踏んでいるのもいい。そしてvorbei(フォアバイ)という言葉が心にしみる。「過ぎ去ってしまった」という意味なのだけど、その歌詞はオペラの「薔薇の騎士」でも出てくるキーワードで、本当に時代が過ぎ、自分の時間も過ぎて行ってしまった感じがするのだ。オフィシャルビデオはこちら。でも、歌詞が出てくるバージョンのを貼り付けておく。こっちの方が本当に終わっちゃった感じがする。
こうやって秋休みは過ぎて行ったし、長期休みを楽しむという時間もいつか仕事を引退すれば終わるし、うちのドイツ人もめぎもいつまでも健康でいられるわけではない。このGeile Zeitに必ず終わりが来るのだなと思いながら、この貴重な時間を二人で楽しんでいた。秋休みが終わっても、できるだけ夜は仕事をせず音楽を一緒に聞く時間を作りたいなと思っている。
2024-10-31 02:00
nice!(31)
コメント(9)
ギボウシもすっかり冬枯れ、降霜の後のような姿ですね。
by Baldhead1010 (2024-10-31 06:14)
お花たちはもうすっかり冬のイメージですね。こちらはまだ夏から秋だわ。
by mm (2024-10-31 06:17)
"クラシック" って、私たちの時代から見れば昔の音楽というだけで、当時は時代の最先端だったわけなので、そもそもの音楽の目的、芸術性だけでなく、ユーモアを含んだものもあったんですね。
最後に貼りつけられていた曲、たしかに日本人にもスーッと入ってくるメロディですね。
by YAP (2024-10-31 10:06)
クラッシックを秋の夜長に楽しむのはいいですね。音楽には癒されます。
動画のコンサートホールも素晴らしいし、音楽が風景にとけ込んでいます。やっぱり本場ですね。
by Jetstream (2024-10-31 11:11)
貼って下さった各映像を少しずつ拝見しました。
クラシックに疎いので『何か、凄いらしい』としか分からないのですが、ラストのポップスは良い曲だと分かりました(笑)
by angie17 (2024-10-31 17:23)
音楽音痴の私です、めぎさんの文章につられて読んでしまいました。秋色の写真が途中にあるので、一息入れられました。何もわからなくとも曲を聴くのは好きです。
by JUNKO (2024-10-31 17:29)
vorbei(フォアバイ)・・・ドイツ語でもそうなんだ。
オランダ語も似てて、voorbij(フォーァバイ)です^^。
by Inatimy (2024-10-31 20:23)
ロマン派は個人的な感慨といった音楽のような感じ
なので、室内楽が合うように思います。そんなところ
がアルゲリッチはほれぼれしますね。
by 爛漫亭 (2024-10-31 21:14)
ドイツ人さんと音楽についていろいろ語る時間、とても楽しそうです^^音楽にどっぷり浸かって過ごされたんですね~♪
by おと (2024-11-01 19:26)